～詠 Side～
平教経が洛陽に到着した。
引き連れている民衆の数に、驚く。
程昱がああ言っていたから洛陽郊外に宿舎を仮設しておいたけど、あれでは少し足りないかも知れない。まさか、本当に15万居るんじゃないでしょうね？
とにかく、彼らの状態を把握しておかないと。衰弱していたりするものが居て、洛陽で命を落とした、なんて、このボクの誇りが許さないのよ。出来るだけ面倒を見てあげて欲しいという月からのお願い。受けた以上は、最善の手を打たせて貰うわ。
そう思い、町を出て郊外の宿舎を見て回る。
……随分元気ね。一月かけて移動してきた訳だから確かに余裕があったとは思うけど。彼らの健康状態を気にしながら行軍してきた、ということなんでしょうね。
一通り巡ってみたが、特に問題のありそうな人間は居なかった。
郊外から、平家軍の将達に割り当てられた宿舎周辺へ移動する。
程昱達は元気だろうか。糧食の引き渡しについて、話をしておかなければならない。
宿舎の入り口辺りで、浅葱色にダンダラ模様の羽織を着た男が何か考え事をしていた。
霞と同じような服装をしている。霞から聞いた姿形に似ている。恐らく、あれが平教経だろう。……傾いた格好をしているわね。でもまぁ、なんというか、似合ってる、かな。嫌みがない感じで。
見ていると、平教経に子供達が絡んでいる。
「御遣い様！遊ぼう！かくれんぼしようよ！」
「……お前ら、迷子になるぜ？この辺で鬼ごっこしとけよ」
「じゃぁ、御遣い様が鬼ね！」
「きゃははは」
「わ～い」
「ちょっ、待てよ！……って、行っちまいやがった」
……子供に随分なつかれているわね。ぶっきらぼうに受け答えしていたけど、『迷子になるからこの辺で遊べ』なんて、案外子供のことが好きなんじゃないの？こいつ。
平教経は、そのまま子供達をじっと見つめている。
……結構様になって……じゃなくて！何でボクがこんなこそこそと覗きみたいな真似をしなきゃならないのよ。これは……そう、あいつの為人を知る為の偵察よ、偵察！
当初の目的も忘れ、平教経をじっと観察し続ける。
月の敵になるかならないか、それを見極めるのよ。
そう思って観察していると、平教経がそっと呟いた。
「家長としての責任は、果たす。それが平家の頭領ってモンだ。そうだろ？糞爺共」
そう言って、ずっと子供達の背中を見つめていた。
覚悟を示すような厳しい、それでいて、柔らかい光を宿した瞳で。
その横顔を夕日が照らしている。雰囲気があるというか。何というか。
……胸が、締め付けられるような、そんな感じがする。
「賈駆っち、なにしとるんや？」
「わぁっ！ななな何なのよ霞！？吃驚させないで！」
「？な～にを見とったんや……おろ、経ちゃんやないか」
「ちょっと観察してたのよ！」
「ははぁ～ん、賈駆っち、さては経ちゃんに一目惚れしたんか？いやぁ～、経ちゃんもやるなぁ～」
ほ、惚れ！？
「そんなことあるわけ無いじゃない！」
「……エラい突っかかって来るなぁ自分。まさか、ホンマなんか！？いやいや、賈駆っち、おめでとうさん。お堅い賈駆っちにも漸く春が来るんやなぁ。ツンツンのみの賈駆っちが遂にデレる。永久凍土が、ツンドラならぬツンデレに変わる訳や」
「……なんなの、それ？」
「……さぁ、ウチにもよう分からんねん。何となく口を吐いて出ただけやし」
「まぁ、良いわよ。程昱と話をしなきゃいけないんだから邪魔しないでよね！」
「はいはい、賈駆っちの恋の邪魔はせぇへんよ～？」
「霞～？」
「ニシシ。ほなウチは星に用事があるさかい。これで失礼するわ」
「とっとと行きなさい！……ったく！」
ボクが一目惚れなんてするわけ無いでしょ！
全く。霞はホントにどうしようもないわね。そんなことも分からないなんて。
アイツの顔を思い出す。
……ま、ブ男じゃないわね。それだけよ、それだけ。
～教経 Side～
董卓に礼を述べる為訪いを入れたが、董卓の体調が思わしくなく、本人が応対できないとのことだった。
別に待っていても問題無いが、民衆を引き連れている。出来れば早めに長安へたどり着きたい。明後日には、出発したいんだが。
……この際、代理の者でも構わないから礼を言って出発することにするか。大変に礼を失する事になるが、明日も駄目であればどうせ代理の者に伝えることになるのだ。こういったことは早いほうが良い。
そう思い、代理でも構わぬから目通りの上一言礼を述べさせて欲しいと伝えると、代理の者が対応する、と回答があった。
「じゃぁ、行くとしますかね。稟、明後日出発できるように、準備をしておいてくれ」
「畏まりました」
さて、行くとしますかね。代理って、まさか霞じゃないよな？
「ボクは、姓は賈、名は駆、字を文和。董卓の代理よ」
……ボクっ娘で眼鏡っ娘。
この野郎、俺を殺す気だな？全ての要素を兼ね備えた、正しくパーフェクトと呼ぶべき存在だ。パーフェクトジオング的に考えて。あ、足は飾りなんだっけ？俺は偉い人だから分からんのだ。済まんな。
……圧倒的じゃないか、敵軍は！我が軍の兵は既に裏切り済みだ！残ったのは理性のみだ！
賈駆、って言ったのか。
漢字が違う気がするが、あのカクだよな。一流の戦略家であり、老練な政治家でもある、あの。ひょっとして、一連の対応は全てこの娘の頭ン中から出てきたって事か？
「俺は、姓は平、名は教経、字も真名もない。元并州牧にして、現雍州牧だ」
「……それで、何の用かしら？」
体調悪いのか？ほんの少しだけだが頬赤いぜ？といっても、そこまで近くにいる訳じゃないから多分、だけどな。
どうやら董卓陣営の中で、風邪でも流行しているらしいな。
「申し継ぎの者から伝えて頂いたとは思うが、この度の董卓殿のご助力について、一言礼を申し上げようと訪いを入れさせて頂いた。改めて、御礼申し上げる。お陰で、民を誰一人飢えることなく長安までたどり着かせ、来年の収穫までの生活を保護してやれる目処が付いた。皆、あなた方のお陰だ。有り難う」
なんか意外そうにしている奴が居そうだな？
……まぁ、俺だってこういう口調で話せるのさ。
流石にこういう場面で砕けた口調で話すのはちょっと、な。
返事がないので、失礼だとは思ったが、賈駆を見る。
……本格的に熱が出てきたんじゃないのか、この娘。上の空というか、なんというか。
「……賈駆殿。体のお加減が悪いようであれば、このまま退出させて頂くが？」
「えっ、ああ、ごめんなさい。少し考え事をしていたものだから。失礼したわね」
「お気になさらず。礼を申し上げようというだけでしたからな、そもそもが。我らは、明後日の日の出と共に洛陽を後にしようと思っております。それまでの間、色々とご迷惑をおかけすることになると思いますが、宜しくお頼み申し上げる」
「え、えぇ、気にしなくてもいいわ。董卓からも面倒を見るように言われているし」
「そう言って頂けると助かります」
ホッとしたのと、今までの自分の言動がらしくなくて少々気恥ずかしいのとで、無意識に笑みが零れる。
「……」
「では、私はこれで失礼致します。賈駆殿」
「……え、ええ」
……本当に体調が悪そうだな、賈駆。
早く風邪直せよ？
宿舎に帰ろうとしていると、張遼に声を掛けられた。
「経ちゃん」
「お、張遼か。んな所で遇うなんて奇遇……でもないか」
「あははっ、まぁ、そういうこっちゃ」
「で？」
「なんやの？」
「何か用事があるから声かけてきたんだろ？お前さんは」
「あぁ、そうそう。どうやった、賈駆っち？」
「……体調が悪そうだったな」
「は？」
「だから、体調悪そうだったって言ってンだよ。反応が薄いし、熱でもあるんじゃないか？頬も少しだけ赤かった気がするしな」
「……ふぅ～ん。やっぱりそうなんやんか」
『やっぱり』、か。気付いてたんなら休ませとけよ、張遼。
「良く言って聞かせとけ。無理して死んじまったら天下の損失だろうが、とな」
「どういうこっちゃ？」
「ありゃ一流の軍師だろ？多分、一流の前に超が付く、な。そういう人間が居なくなるってのは、天下の損失以外の何物でも無かろうに」
「……へぇ～、おもろい口説き文句やなぁ、経ちゃん」
「……どうやったら今のが口説き文句になるんだよ」
「ま、ええわ。で、女の子としての賈駆っちはどうやった？経ちゃん、ああいう娘好きやろ？」
「まぁ、好きだな。可愛い。ボクっ娘なのもポイント高いな」
「は？どういう意味や？」
「あ～、とにかく、好みって事で良いさ」
「そかそか」
何でこいつはニヤニヤニヤニヤ笑ってるんだよ。
「ひょっとしてそれだけか？」
「そうやけど？」
「……帰るからな」
「ほなさいなら～また明日な～」
毎回そうだが、調子狂うぜ、全くよ。
～詠 Side～
「平教経殿が董卓様に目通りを願っております。一言、お礼を申し上げたいとのことですが如何致しましょうか？」
「だ、そうよ。月、どうする？」
「詠ちゃん、男の人と私が会うのに、反対しないの？」
「ま、まぁボクが観察した結果、その辺にいるケダモノとは違うっていう結論を出したって事よ」
「……本当に？」
……何故か月が笑ってるのが気になるわね。
「本当よ」
「ふ～ん。私に何も言ってくれないんだね、詠ちゃん。霞さんが、詠ちゃんが恋してるって教えてくれたよ？」
「ぶっ」
お茶を吹き出してしまった。
霞、あんた月になんてこと吹き込んでくれたのよ！
「そそそそんなことあるわけ無いでしょ！月、それは霞が勝手に言ってるだけよ」
「そうなの？」
「そうよ！」
「ん～。じゃあ、この話は止めよっか、詠ちゃん」
「そうね。それで、どうするの？月？」
「私ね、ちょっと朝から体調が悪いの。だから、詠ちゃん、私の代わりに平教経さんとお話ししてきて欲しいな……」
え？
「いや、月？月に礼を言いたいって言ってるんだし、それなら明日にしましょう」
「え～……」
「え～じゃないの！ちょっと、董卓の体調が悪いから今日は無理だって言っておいて！」
「畏まりました」
全く。霞のせいで月に誤解されることに……覚えておきなさいよ、霞。
どうやってギャフンと言わせてやろうか考えていると、また申し継ぎの人間が来た。
「あの」
「何よ！？」
「た、平教経様が、代理の方でも構わないのでお礼を申し上げたいとのことですが」
……アンタも明日で良いのに今日にこだわるわね。
「……」
「詠ちゃん、私は体調が悪いから、お願いね」
「ちょ、ちょっと月～」
「詠ちゃん、代理、お願い出来ないかな……？」
その顔でお願いって卑怯だと思う。
「もぉ～、分かったわよ！ボクが行けばいいんでしょ！」
「うん。詠ちゃん、お願いね」
はぁ。全く。月の態度がちょっと引っかかるけど、仕方がない、か。
「ボクは、姓は賈、名は駆、字を文和。董卓の代理よ」
そう挨拶をした私をしっかりと見据えながら、アイツが挨拶をしてくる。
「俺は、姓は平、名は教経、字も真名もない。元并州牧にして、現雍州牧だ」
……堂々としているわね。
昨日とは違い、深い藍色に揚羽蝶の紋を白抜きで描いた羽織。色のせいもあると思うけど、服装が変わるだけでこんなに涼しげで落ち着いた男に見えるなんてね。ちょっと意外。
正面から見る顔。少し眉毛が太い気もするけど、全体的に精悍な感じを受ける。
「……それで、何の用かしら？」
じっと見ているのが少し気恥ずかしくなって、そう訊いてしまう。
礼を言いに来たって分かってるじゃない！もう。調子が狂うなぁ。
「申し継ぎの者から伝えて頂いたとは思うが、この度の董卓殿のご助力について、一言礼を申し上げようと訪いを入れさせて頂いた。改めて、御礼申し上げる。お陰で、民は誰一人飢えることなく長安までたどり着き、来年の収穫までの生活を保護してやる目処が付いた。皆、あなた方のお陰だ。有り難う」
……昨日宿舎前で見たコイツとは違って、丁寧な口調で謝辞を述べてくる。
その挙措には、確かな知性が感じられる。昨日は、野性的な感じだったのに。
『あなた方のお陰』
その言葉に、また少し気恥ずかしくなってしまっている自分がいた。
そのボクを見て何を勘違いしたのか、ボクの体調を心配してきた。
……気を遣ってくれるのは嬉しいけど、ボクは別に病気なんかじゃないの！
そう思っていると、明後日まで洛陽に滞在するがその間の世話を頼む、とこれまた丁寧にお願いされた。
……ホント、昨日とはうって変わって知性的で……何か別人と話をしてるみたいね。どっちが本性なんだろう。って、きっと昨日のが本性よね。周りに誰もいないところで演技するなんて、只の馬鹿だもの。
「え、えぇ、気にしなくてもいいわ。董卓からも面倒を見るように言われているし」
「そう言って頂けると助かります」
そう言うと、安堵したような、ちょっと照れくさそうな、そんな笑みを浮かべた。
……痺れるような、惹き付けられるような、良い笑顔だった。
「では、私はこれで失礼致します。賈駆殿」
その言葉に適当に応えながら、先程の笑貌を思い浮かべていた。
「お～い、賈駆っち」
来たわね、諸悪の根源が。
「霞、あんた月になんてこと吹き込んでくれたのよ！」
「？経ちゃんのこと、好きなんやろ？ええってええって、分かっとるって」
「何にも分かってな～い！
「まぁまぁ、そう興奮せんと。愛しの経ちゃんから、賈駆っちへの愛の言葉を届けに来てやったんやで？」
「なな何言ってんのよ！」
「え～っとな。先ず賈駆っち、経ちゃんな、賈駆っちが熱出しとるって勘違いしとったんやけど、きちんと体を休めんとアカンって心配しとったで。賈駆っちのような超一流の軍師が死んでしもうたら天下の損失やって」
……アイツは、ボクの何を見てそう言ったのよ。まぁ、言ってることは当然だけどね！ボクのこと、中々分かってるじゃない。
「後な、これが一番大事なんやけど、賈駆っちのこと、女の子としてどう思ったかって訊いてきたんや」
ちょっと！
「あ、アンタ何やってんのよ！」
「気になるやろ？」
「ばばば馬鹿じゃないの！？何やりたい放題やってくれちゃってるのよ！」
「なんとなぁ、賈駆っち！おめでとうさん！経ちゃんは、賈駆っちのこと可愛くて好きだ、やって！最高やって言うとったで」
「なななな何を馬鹿なことを言ってるのよ！」
か、可愛いって。好きってどういうことよ。
「……賈駆っち、ホンマに何でも無いんやったらそないな態度は取らへんもんやで？」
「五月蠅いわね！とにかく一目惚れなんてしてないって言ってるの！」
「……ほな、訊き方を変えよか。経ちゃんのこと、少しは気になるやろ？ほんのちょっとだけは」
思い浮かぶのは、昨日の顔。昨日の、瞳。今日の、笑貌。
……胸が、締め付けられるような、そんな感じがする。これは、何だろう。
その事が。
「……気になる」
「ほれ。やっぱり」
あ。
「い、今のは違うわよ！」
「な、月。ウチの言うた通りやろ？」
へ？
「詠ちゃん」
「ゆ、月！」
「詠ちゃん、良かったね、相思相愛だなんて……」
「ち、違う違う、違うわよ月！今のは違うの！ボクは別に何とも思ってないんだから！」
「も～……詠ちゃんは、直ぐにそうやって……素直じゃないんだから」
「霞！どうしてくれるのよ！月が完全に誤解しちゃったじゃない！」
「まぁまぁ、誤解やないんやし、特に問題無いやんか」
「も～知らない！」
そう言って、駆け出す。
とにかく、ここから逃げ出さないと。こんな雰囲気、いたたまれないわよ！
後の方で、まだ月と霞が愉しそうに話をしている。
……あの感じが気になっているだけで、惚れてなんか居ないわよ。