〜教経 Side〜
風達が帰って来た。
そう言って愛紗が執務室に駆け込んでくる。
「まぁそう焦りなさんな。お前さんが走ったら風達が早く帰ってくるわけでもあるまいに」
「は、はい。済みません」
「畏まる必要もないさ。んじゃ、門までお出迎えに行くとしますかね」
「はい」
稟達と三人で待っていると、風達が馬を駆ってやってきた。
……どうやら首尾は上々のようだ。顔を見れば分かる。
「ご苦労さん、風」
「……む〜、お兄さん?違うのですよ」
「……おかえり、風」
「ただいま、ですよ。お兄さん」
そう言って抱きついてくる。
頭を撫でてやると、目を細めて嬉しそうにしている。
「星、お帰り」
「はっ。ただいま帰りました、主」
そう言って、物欲しそうにこっちを見てくる星。
……分かってるさ。
頭を撫でると、くすぐったそうに、でも嬉しそうにしていた。
「報告は、後でゆっくり聞くから旅塵を落としてくると良い。食事を用意させておくから」
「では、また後で、なのですよ。お兄さん」
「分かりました。風、行こうか」
そう言って二人で連れ立って風呂に向かう。
さて、どんな案配に上手く行ったのかね?
風達が旅塵を落とし、広間にやってきた。
既に準備させていた食事を各々の席に運ばせる。
「主、豪華な食事ですな」
「まぁ、久しぶりに会えたんだ。これ位しても罰は当たらないだろうがよ。俺も二人の元気そうな顔を見れて嬉しいしなぁ」
「主……」
「お兄さん……」
「……全く教経様は……」
「……こういう演出を当たり前にするところが何とも心憎いですね……」
何か変なこと言ったか?
まぁ、二人とも喜んでくれて居るみたいだし、これが正解だって事で良いんだろう。
そのまま、和やかに談笑しながら、食事を済ませた。
「んじゃ、報告を受けようか」
「はい。糧食についてですが、15万人が3ヶ月行軍できるだけのものを買い集めることが出来たのですよ」
「良くやってくれた。張遼にもしっかり礼をしなきゃならんねぇ」
「主、その事についてなのですが」
「ん?」
「実は霞ではなく、董卓殿の世話になったのです」
……どこまでも想像を裏切ってくれるな、董卓様は。
「どう世話になったんだね?」
「本来お兄さんが貰えるはずだった金額の約3倍の金子を頂けることになったのですが、その調整を董卓さんがやってくれたのですよ。霞ちゃんに話をしたら、董卓さんを紹介してくれたのです」
ん?今なんか変なこと言ったな?
「……なぁ」
「はい」
「金、黙ってても貰えたの?」
「当然なのですよ。移動するのに準備が必要なのは当たり前なのですから」
マジかよ。
「それだと俺はとんだ強欲野郎になっちまったって事だなぁ」
「いえいえ。風が事情を正直に話したのですよ。お兄さんを慕って約15万の民衆が付いてくる、と」
「さりげなく水増しされていることについては何も言うまい」
「……多分、そうなるのですよ。
まぁ、それは置いておいて、その話を聞いた董卓さんは、こういった民に慕われる州牧に、何の褒詞も褒賞もなく唯々移動させるというのは信賞必罰の理念に反する、その功を賞することで広く天下にそういった政を行う人間こそ望ましいということを知らしめることが出来る、その結果として同じように民を大事にする官吏が増え、それがきっとこの国を良くしてくれるだろう、だから金子を授けるべきだ、という感じに陛下を説いてくれたのです」
……先ず隗より始めよ、か。
かなり老練な政治家の相貌が見えてくる。一流、いや、超一流の政治家だろう。先行投資の有用性とその効能、宣伝の重要性についてしっかりと理解できている。この時代、そういう人間が居ることの方が珍しいと思う。春秋戦国時代ならまだしも、三国時代は哲学史・思想史的には停滞期だ。それも、旧来の思想に囚われているからではなく、それを見失った結果としての。そんな中で、旧時代の有用な政治思想をしっかりと実践しているところが凄い。知っているだけなら誰でも出来るが実践するとなると話は別だからな。
「……董卓殿は、本当に凄いですね。いえ、侮っていたつもりはありませんが、それでも此処までの政治家とは思っていませんでした」
稟も、そう言って驚いている。
「稟の言うとおりだ。まさか、そこまでの人物とはねぇ」
「あと、糧食を安く買い求める為に、官が購入する兵糧と一緒に我らが買い求めたい糧食を購入して下さいましてな。そのお陰で、随分と多くの糧食を購入できたのです」
そこまで考えつくのか、董卓は。
「……疑問があるんだが」
「なんでしょうか、お兄さん?」
「なんでそこまでしてくれたンだ?董卓は」
「霞が紹介してくる人間が悪い人であるはずはない。であれば、霞の友人として出来るだけのことはさせて貰う。そう仰っておられました」
人格も全く問題無い。問題無いどころか、人主として理想的だと言える。
「……こいつは素通りできないな。頭をきっちり下げて礼を述べる必要があるねぇ」
「出来れば、そうして頂きたいのですよ」
「分かった。必ずそうする」
こういった有能な人間とは、敵対したくないからな。
敵対せずに済むならそれに越したことはないのだから。
袁紹軍が、并州を接収しにやってきた。
顔良、良く俺の前にのこのこと顔を出せたな?マリオに倣って踏みつぶすぞ?
一緒に居るこのちっさいのは誰だか知らんが。
「引き継ぎはこれで全てだ。こっちの資料に大体のことは纏めてある」
「確かに受け取りました。朱里ちゃん、内容に問題はありませんか?」
「……はい、問題在りません。それより、お聞きしたいことがあるのですが宜しいでしょうか」
「構わんが、お前さんは誰だね?」
「あ、失礼致しました。袁紹軍の客将となっている、劉玄徳様の臣、諸葛亮と申します」
……劉備!?諸葛亮だと!?袁紹の客将だって!?
全く予想していなかった回答に、大混乱だ。
諸葛亮が世に出てくる時代も違えば劉備の状況も違う。
一体、どうなってやがる。俺がいることでこの変化が起きたのか、それともこの世界ではこれが史実の流れだとでも言うのか。
「……で、訊きたい事ってのは何だね?」
内心の動揺を悟らせぬように注意しながらそう尋ねる。
「太原の郊外に集結している約15万の民衆は何でしょうか」
「あぁ、あれは物好きにも俺について雍州に移動しようっていう人間だ」
「それは困りますね。勝手に移動するなど許されるはずがありません」
「なんでだね?」
「それをやられてしまえば、并州の人口低下によって農産や商業に悪影響を及ぼしますし、そもそも戸籍台帳と実態が乖離してしまうことになります。朝廷はそれを許さないでしょう」
成る程。しかし、こんなちっこい成りしてても流石に諸葛亮だ。的確に問題点を突いて来やがるな。論理的だ。……反論が難しいな。無理に連れて行けば、民衆が不利益を被るのは間違いない。朝廷に問題行動として報告させないようにする為に、如何にして言いくるめるか。
「それについては問題無いのですよ」
……風?
「ここに、勅許があるのです。此処にはこうあります。『この度の并州牧の領地替えに際し、此を慕って付き従おうとする者の移動については、今回に限り認めるものとする』。つまり、これは陛下に認められた、民達の正当な権利という訳なのです」
「……その書状を見せて頂けますか?」
「どうぞ〜」
「……どうなの、朱里ちゃん?」
「……間違い在りません」
……間違いないのかよ。てっきりねつ造したのかと思ったが。
「ご理解頂けたようで何よりなのですよ。では、風達はこれで失礼致しますね〜」
そう言って、俺の腕を取って太原から出て行く。
顔良と諸葛亮は、それをただ見ているだけだった。
「風」
「なんでしょう」
「あれ、どうしたんだ?」
「?どれですか?」
「勅許だよ」
「董卓さんに頼み込んで貰っておきました。ひょっとしたらこうなるかも知れないと思っていましたので」
……風。最高だよお前さん。
「お兄さん、風に惚れ直しましたか?」
「あぁ、惚れ直した」
「お、お兄さん……」
顔を真っ赤にして俯く風。
純情だね。そしてなにより、可愛いねぇ。
それにしても、また董卓か。この借りはでかいねぇ。
「じゃぁ、出発しようか、皆」
「はっ」
「総員、出立の準備を!」
「民達にも通達をしておいて下さい」
「はっ、畏まりました!」
慌ただしくなってくる。そういえば、稟に頼んだことは上手く行ったのか?諸葛亮が居るンだ、ひょっとすると失敗したかも知れない。
「稟」
「はい」
「この間頼んでおいたこと、どうなった?」
「全て上手く行きました」
「……そうか、良かった」
「何を心配されていたのですか?教経殿は」
「……さっき、諸葛亮が居ただろう?あのちっこい娘」
「はい」
「あれな、俺の時代じゃ天才軍師だの何だの言われて祭り上げられてる人間なんだよ。だから気が付いて対処されちまっていないかが気になったのさ」
「大丈夫ですよ、教経殿。途中で気が付いても対処は出来ませんから」
そう言って、眼鏡をクイクイする稟。
……良いねぇ。萌えてくるねぇ。俺は眼鏡属性持ちなんだよねぇ。そして麦茶が好きなんだよねぇ。
は、置いといて。
「何でそう思うんだ?」
「教経殿、私達が糧食を売却したのはただの商人です。袁家を相手にしたわけではありません。
教経殿の目論見を挫いて価格を安定させる為には、商人から糧食を購入する、もしくは接収する必要がありますが、商人からあの膨大な量の糧食を購入するだけの金子を短期間で用意することは出来ません。
そうなると糧食を接収するしか方法がありませんが、接収するには大義名分が必要になります。そうでなければ、袁家が支配する地域ではいつ財産を没収されるか分からない、と言う噂が立ち上ることになります。勿論、そうなるように私が仕向ける部分もありますが。
そうなってしまえば、袁家の経済力が一気に低下することになるでしょう。何せ商人が寄りつかなくなり、出店しなくなるでしょうから。そうなると物流が滞るようになります。その結果、袁家が今有している経済力は大打撃を受けるのです。物が動かない限り、利益は生じ得ませんから。知謀に優れているならば、そのようなことはしないはずです。ですから、この度の策については何の心配もない、と考えておりました」
そこまで考えていたのか、稟は。
「……流石は、俺の軍師様だよ」
「当然です。私は教経殿の軍師ですから」
そう言って、笑う。その笑貌に、見とれてしまう。
……愛しい。そう思うよ、心から。この笑顔をずっと見ていたいモンだ。
「じゃぁ、行こうか。俺たちの新しい家へ」
稟の肩を抱きながら、そう言う。
「……はい」
皆で、雍州へ。そこで再び地力を付けて、いつか袁紹をぶっつぶしてやる。
必ず、どんなに時間が掛かろうとも、な。