〜華琳 Side〜

私は、姓は曹、名は操、字を孟徳。真名は、華琳。
この荒れ果てた世界に覇を唱え、安寧をもたらす事が出来る人間だと自負している。

その手始めとして、黄巾賊討伐を行う為、配下である春蘭、秋蘭、桂花、季衣を伴って鉅鹿にやってきていた。

「華琳様、官軍がやってきたようです」
「そう、意外に早かったわね。確か黄巾賊の別働隊が楽平辺りまで出張って殲滅しようとしていたはずだけど」

そういって、秋蘭を見る。
姓は夏侯、名は淵、字を妙才。真名は秋蘭。
私の一族に名を連ねる、冷静沈着にして弓の腕前に優れる優秀な将。
その秋蘭が答える。

「官軍は、并州牧 平教経と共にこれを撃退したようです。黄巾賊の別働隊はその将を討ち取られ、軍としての機能を保ち得ないところまで叩きのめされたという報告が上がっています」

并州牧 平教経。
天の御使い。その武は世に冠たるものであり、その智は天下を遍く治ることができる。
そう、民達が噂をしていたのは知っている。

この短期間に賊を退けたことから見て、それ程実像とかけ離れた噂ではないようね。
まあ、本人ではなくその名声に惹かれて集まった周囲の者達が優秀である可能性が高いと思っているのだけれど。

「どうやって短期間でそれを為し得たのかしら。調べてあるのでしょう?桂花」

姓を荀、名をケ、字を文若。真名は桂花。
我が子房と呼ぶに相応しい知略の持ち主。
当然、情報収集はしているでしょう。

「はい。平軍、彼らは平家軍もしくは平家と自称しておりますが、この平軍が兵書にない全く新しい陣によって黄巾賊およそ40,000を打ち破ったようです。兵達によれば、その陣を『双頭の蛇』と呼んでいたようです。
前軍と後軍を蛇の頭に、中軍を蛇の胴にそれぞれ見立て、胴の部分で敵の突撃を耐え、いなし、出血を強いている所に蛇の双頭が襲いかかって食い破る、というものです。平軍の軍兵の練度は我が軍に劣らず高いものと推測されます」

『双頭の蛇』。言い得て妙じゃない。その陣に対応するには、高い柔軟性と困難に耐えるだけの精神力を植え付けられた兵が必要ね。賊共では一溜まりもないでしょう。
これ程の策を考えつく軍師が居るとは。欲しいわね、その軍師。

「そう。よく調べてくれたわ。桂花」
「か、華琳さま〜」
「華琳様!私であれば全滅させてご覧に入れます!」

春蘭。
姓を夏侯。名を惇。字を元譲。真名は春蘭。秋蘭の姉。
私の配下の中で一番の武を誇る、私の可愛い剣。
そんなことで張り合うなんて、可愛いわね。

「えぇ。春蘭ならきっと出来るわ」
「か、華琳様〜」
「ふふ。姉者は可愛いなぁ」
「ねぇ、秋蘭様。ボクお腹がすいちゃったんですけど」

そう言っているのは、季衣。
姓は許、名は楮、字を仲康。真名は季衣。
類い希な膂力を有する、親衛隊の将だ。
……貴女、さっき夕食を取ったばかりでは……まぁ、季衣らしいけれど。

「では、訪いを入れましょう。春蘭、秋蘭。付いてきなさい」
「はっ」
「はい」

さて、挨拶という名の視察に行きましょうか。
御遣いとやらを見物するのも、一興でしょう。















平家軍の陣屋に入る。
入って直ぐ、私を意外そうに眺めている男に気が付いた。

……どうせ私の背丈が低いことに驚いているのでしょう。
失礼な男ね。これだから男は駄目なのよ。女を見るに、外見を以てしか判断できない低能ばかり。この男も、そういうところがあるのでしょうね。私の敵にはなり得ないわ。

その思いが言葉を険しいものに変える。

「へぇ。貴方が天の御使い、平教経なの。思ったよりも普通ね。噂なんて当てにならないものね」
「あぁ、そうだよ。俺は平凡な人間なんでなぁ。別にご迷惑をおかけしてるわけでも無かろうに、ご丁寧な挨拶痛み入るね」

私の言葉に、皮肉を以て応える。
……直接的な言葉を選ばず皮肉った辺りの機知は中々のものね。
そう思いながらも、言葉を続ける。

「あら、別にそう邪険にすることはないと思うのだけど?」
「なら自分の言葉が含んでいる険を取り除く努力でもすることだな」

その言葉に、春蘭が反応した。

「貴様!華琳様を愚弄するか!」

……春蘭。私の為に怒っているのは分かるけど、少し場を考えて頂戴。
そう思っていると、平教経が平然と答えてくる。

「……おい、曹操さんよ。お前さんの所の番犬は躾がなってないみたいだな?主君同士の会話に割って入ってくるほど自分は偉いと思っているらしい」

……全く以て言う通りね。少し恥ずかしいわ。

「貴様ぁ〜!」

自分までも愚弄されて、春蘭が殺気を平教経にぶつける。
彼が謝らなければ、春蘭は本当に殺そうとするだろう。
官軍の将が居る前で、此方に非がある形で狼藉を働くのはまずいわ。

「止めなさい、春蘭」
「ですが、華琳様!」
「やめなさい、と言っているのが分からないのかしら」
「うっ……申し訳ありません」

春蘭は我慢できたようね。
しっかりと押さえておくように、と秋蘭を見る。
秋蘭は頷いた。
……本当に頼りになるわ。秋蘭。お願いね。

それにしても、私も少し大人げなかったかしら。互いに抱いた悪感情を多少和らげる必要があるわね。ここは、私から謝罪した方が良いでしょう。官軍の将の心証の問題もあることだし。

そう思い私が謝罪すると平教経は、気にならないから構わない、あと、自分のことは姓か名で呼んで欲しい、と言った。
……この男は春蘭の殺気を受けて全く動じていなかった。『気にしない』ではなく、『気にならない』と言ったのだ、この男は。それはつまり、春蘭の殺気など無いに等しいと言ったようなものだ。どうやら本人は失言に気がついていない様だが、そう言えるのは無能か偉才かの何れか両極端な人間しか居ない。
大体、私を目の前にしてこれだけ自然体で居られる人間を、私は未だかつて見たことがない。無論配下の者達は別だが、私を目の前にした者の殆どは、私の身の丈を見て馬鹿にした後、私の気宇の大きさや覇気に気圧されて卑屈になるか強く反発してくるかの二通りの者しか居なかった。

ひょっとしてこの男は馬鹿なのかしら。麗羽のように。

そう思って彼の周囲にいる人間を見る。
武に関しても智に関しても、秀でているであろうと思わせる目で私を観察している。
こういった者達の心を絡め取る人間が、馬鹿であろうはずはない。

であれば、この男は間違いなく偉才であろう。
私に対するに全く対等に付き合おうとし、そして恐らく、付き合えるであろう男。

……この男は、間違いなく私の覇道の障害となって立ちはだかってくる。
それが、どうしようもなく愉快だ。
春蘭に殺されると思わなかったのか、などと訊きながら、そう思っていた。

「で、何の用だったんだっけ?曹操は」

平が話しかけてくる。
……この戦の主導権を握りに来たのよ。貴方、気が付くのかしらね。

「今日は顔合わせだけよ。明日、軍議を開きたいの。それに参加してくれるでしょう?」

そう言った私に、平は拒絶の意を表したばかりか、自分が軍議を開くから私に参加しろ、と言ってきた。
頭の方も、流石に切れるようね。状況から考えて、私が主導権を握ることは叶わないでしょう。ここは、彼の言うことに従っておいた方が良さそうね。しっかりとその器量を計らせて貰う為にも、ね?

「春蘭、秋蘭、行くわよ」

明日、私が再度訪いを入れることを宣言して、彼の陣屋から出る。
春蘭はまだしも、秋蘭は彼のことをどう思ったのかしら。
















「一代の傑物、と見えました」

平教経という人間をどう見たか、と秋蘭に訊いた回答だ。

「あら、どうしてそう思うのかしら?」

私と同じ感想を抱いた秋蘭に、そう訊いてみる。
こういう時間は愉しいものね。

「は。先ずあの者の身のこなしについてですが、舞を極めた者のように無駄な動きがありませんでした。最初は舞だと思っていたのですが、姉者の殺気を受けて平然としていたのを見て、舞ではなく何らかの理のある型を有する武芸を収めた結果、ああなったのであろうと推測致しました」
「それで?」
「華琳様と話をしている最中の彼は、華琳様を計っておりました。華琳様が姉者を強い一言で我慢させたのを見た際、彼は納得の表情を見せていました。華琳様の器量が大きいことを知っていて猶、華琳様の器量を計ろうとしていたのです。言葉遣いとは裏腹に、慢心することがない、きめの細やかな思考が出来る人間であると思われます。
また、華琳様からの提案を受ければ主導権を明け渡すことになることに気が付いて、それを尤もらしい理由で撥ね付けた上で自分が主導権を握る手腕についても見逃せません。
最期に、あの者は最期まで華琳様の覇気に屈することも反発することもなく、飄々としておりました。今まで述べてきた理由により、それは彼が無能であるからではなく、むしろそれが気にならない程自身が器量や才に恵まれているからだと結論付けることが出来ます。
これらのことから、あれは傑物であろうと思った次第です」

……秋蘭は本当によく見ているわね。

「私もそう思うわ。秋蘭、明日の軍議に貴女も出席しなさい。彼の周囲にいた者達も、才能を有している可能性は高いわ。将来を見越して、彼女達の力量を計っておく必要があるの」
「畏まりました、華琳様」

本当に楽しみだわ。
こんな所でこんな者達に出会えるなんて。
やはり私は天に愛されている。天はその愛する者にこそ困難を与えるのだから。















翌日の軍議。
司会を務めている郭嘉とその補佐の程c。
話の進め方、必要な情報の提示の仕方とその時機。その全てが理に適っている。

……これは才能を有しているという次元の話ではないわね。はっきり言って、桂花に匹敵する才を有しているわ。それは間違いないでしょう。

兵の配置。私達の配置の仕方も、理に適っている。敵本陣前に配して使い捨てにするつもりが有るかも知れないなどと勘繰っていたが、それを官軍と勤めた上で猶別働隊により戦術上の命題を果たそうとしている。考えられる限りで最良の策。

でも、中央が薄いわ。別働隊に兵を割き、私達に殊勲を為さしめぬように動くつもりなのでしょうが、それを見抜けない私だとは思わないで貰いたいものね。

「平、貴方大丈夫なの?敵は100,000は居るのよ?平家軍の全軍を以て当たった方が良いのではないかしら」

そう言った私に、平は問題無い、やれるのだ、と答えた。
彼の示した見解は、恐らく正しい。少し見込みがある者であれば、気が付く程度のものだ。だが、なんの気負いも無く軽口まで叩きながらそれを提示してくるところにこの男の真価があるだろう。彼にとって、それは当然のこと。つまり、この戦に向けて万全の準備をしてきたという自信がある。そう見える。

この男に負けるわけにはいかないわ。

「そう、それなら構わないわ。秋蘭、行くわよ」

そう言って自陣に帰る。
彼らを出し抜く為の策を考える為に。















戦場を駆ける。
秋蘭が後から弓で援護する中を、春蘭が強引に突破していく。
その春蘭の脇で、季衣が群がってくる敵兵を薙ぎ倒している。

どうしても、殊勲が欲しい。あの男に負けたくない。

そう伝えた時の春蘭は、心強かった。

「華琳様!私にお任せ下さい!例えこの身が朽ち果てようとも、華琳様の為に敵将を屠って見せます!」

死んでしまっては意味がない。
そう伝えたが、必ずそれを成し遂げると言い切った春蘭。
そして、その春蘭を見ながら頷き、自分も共に進むと言った秋蘭。

この二人と季衣が居れば、強引な手法でも行けるかも知れない。
そう思って今、私にしては珍しく力で押し続ける戦をしている。
桂花は、私の意思を尊重した上で最良の策を献策してくれている。

20名程度の小隊に分かれ、それぞれが連動して山中を一斉に駆け上がる。黄巾賊共が対策を施している道を突破するのには時間が掛かるだろう。それでは、確実に平家軍に先行して敵本陣に躍り込むことは出来ない。
だから、被害が出るのは承知の上で、小隊を打ち寄せる波のように、小刻みに、東側全体に叩き付けることで山道の守備隊を分散させ、薄くなった守備隊を春蘭と秋蘭が率いる精兵200を以て突破し、敵将を討つ。

……本当に桂花は良く考え出してくれたわ。最良の策を。

「どけぇい!邪魔だ!」
「しっ」
「どいてどいてどいてぇ〜!」

敵守備隊を突破し、遂に本陣へ乗り込む。
平家軍は、まだ中腹から少し上辺りにしか居ない。
勝った。これで殊勲は私の物だ。
そう思っている私の元へ、秋蘭が女を三名伴ってやってきた。

詳しく話を聞いて、驚いた。
彼女達が、張角・張宝・張梁だと言うのだ。
関係のない民間人の振りをして抜け出そうとしていた彼女達に、季衣が気付いたらしい。

三人から聞いた限りだと、黄巾賊共は彼女達を慕って集まった者どもだ。それが制御しきれず暴徒と化した。黄巾賊の真相は、そんなものだったのだ。

……彼女達を処断するのは簡単だが、彼女達が有する人を惹き付ける力。これを有効に活用したいわね。

幸いにも、張角達三名の顔は知られていない。
処断したことにして、匿ってしまえばなんの問題も無いわね。

殊勲と、有効な力。その双方を手に入れられる。
そう思い、彼女達の身の安全を保証してあげた。














最期の軍議に出席する前に、桂花から驚くべき情報を聞かされた。
曰く、『平教経が張角達三名を曹操軍が匿っていることを察知しているらしい』。

私の顔は、恐らく蒼白になっていることでしょうね。
これが知れれば、私を追討せよという勅が下されるだろう。
だが、身の安全を保証した者達を今更処断することなど、私の誇りが許さないわ。

まず、軍議に出て、その場の状況によって今後の身の振り方を考えましょう。その方が建設的ね。
そう思い、平家軍の陣屋に向かった。


平が何を考え、どう行動するのか。
それを見極めようと話を振ったが、どうやら情報が誤っていたようだ。知っていれば、間違いなく此処で問題にするはずでしょう。

話が終わり、ホッとして自領に帰るべく陣屋を出ようとした私に、平が近づいてきた。
まだ、何か用でもあるのかしら。

『……張角達には、名前を捨てさせろよ?バレちまうぜ?』

!この男……斬り捨てておくべきか?幸いにも、平の発言を聞いた人間は居ない。私に対し、耐えられない侮辱を行ったのだと言えばどうとでもなる状況ね。
そう思っている私に続けて話しかけてくる。

「じゃぁ、な。曹操。また逢う日まで、壮健でな」

『また逢う日まで』
どうやら、平は問題にするつもりが無いらしい。
私に貸しがある。私は借りが出来た。その事を私に認識させる為だけに伝えてきたようね。

「……えぇ、貴方も壮健でね、平」

そう言いながら、陣屋を出る。
……ふふっ。本当に食えない男ね。いずれこの借りを返せと言ってくるつもりなのでしょう?平?

私と、対等につきあえる、恐らく史上例のない程の器量を持った男。
いいわ。認めてあげる。
貴方は、この曹孟徳と対等に付き合うに相応しい男よ。

貴方を屈服させて、私に仕えさせてみせるわ。
その才、この曹孟徳の為に奮わせてみせる。
愉しみにしていなさい、『教経』。私も、愉しみにしているわ。