〜風 Side〜
「風、敵の前軍が我が軍の中軍と接触したぞ」
「そのようですね。では愛紗ちゃん、鋒矢の陣を」
「わかった。全軍鋒矢の陣を取れ!」
愛紗ちゃんの号令一下、陣を素早く形成します。流石に愛紗ちゃんなのです。お兄さんではありませんが、関雲長は伊達じゃないのです。ふぃんふぁんねる?的に考えて。
「このまま微速前進して、敵さんの様子を見ましょう」
「ああ」
風達が近づいているにも関わらず、敵さんは対処すべく動いてきません。
まぁ、前線に盾を並べ、その後に騎馬をついて行かせているので騎馬隊の規模が見えていない、というのも大きいとは思うのですが。全く反応が見えないところを見ると、どうやら敵さんはお兄さんの策に完全に嵌ってしまったようなのです。
「こうまで反応しないとは。我々を侮っているのか?」
「いえ、そうではないと思うのですよ。敵さんは、お兄さんの旗目掛けて闇雲に突撃しているだけでしょう。こちらの様子は盾で見えていませんし、まさか騎馬がこれ程居るとは思っていないと思うのですよ」
お兄さんの旗印。揚羽蝶。悠然と戦場に舞っている。それだけでなく、『郭』の旗も、『趙』の旗も。今回は、稟ちゃんも星ちゃんもお兄さんの側に居ます。あの二人が居れば、大丈夫なのです。
「では、こちらはこちらの責を果たすとしようか、風」
「はい。愛紗ちゃん、敵さんは全く心構えが出来ていないと思いますから、いきなり騎馬で蹂躙してあげるのが良いと思うのですよ」
「分かっている、風。……後軍との連携は上手く行くだろうか?」
「張遼さんは、騎馬の指揮に長けていると思いますので、こちらに連動して動いてくれると思うのですよ」
「そうか……よし、征くぞ!騎兵は全員騎乗しろ!敵後軍の腹背からひとかたまりとなって飛び込むぞ!飛び込んだら向こう側へ抜けて、風の率いる盾隊と挟み込んで蹂躙する!一揉みに揉んでやれ!」
相性がいい、と言うのでしょう。愛紗ちゃんは風が考えていた絵図通りに軍を動かそうとしてくれます。この分なら直ぐに敵さん達を駆逐できると思うのですよ。
「では、風達も愛紗ちゃんの後について敵さんに向かいますよ〜。はぐれないようにして下さいね〜」
「はっ!了解致しました!」
……双頭の蛇。お兄さんはえげつないことを考える人です。
これに柔軟に対応できる軍は、そうないことでしょう。自分が思い描く戦を、思い通りに行う為に、兵の練度を上げ続けてきたのだと分かります。
飛躍の秋。風と一緒に居る時、そうお兄さんは言っていました。
これは、その手始めに過ぎないのです。こんなところでお兄さんを立ち止まらせるわけにはいかないのですよ。私達皆の為にも。
〜星 Side〜
賊共の中軍がこちらにぶつかってきたのだろう、前線が押されている。
だが、そう簡単に前線を押し上げることができると思って貰っては困る。
ここには、私が居るのだ。
「皆、今一度気勢を上げよ!我らは太原で苦しい訓練を積んできたではないか!目の前の賊共のように、只飯と酒を喰らって遊び呆けていたわけではあるまい!ここを耐えれば、あとは楽なものだ!平家の戦の鬼がどれ程のものか、目にものを見せてやるのだ!」
「「「「「「おぉ〜!」」」」」」
前線に躍り込み、槍を振るう。
賊共を槍で突き、薙ぎ、叩き付ける。周囲を取り囲もうと回り込んでくるが、それを許す兵は居ないのだ。平家には。
主は、自分が一人で闘うことを前提に鍛錬をしている。だが、兵達には三人一組で敵に当たるように指導している。兵達個々の武技を磨いた方が良いのではないか、という私の問いに主はこう答えたものだ。
『誰もが皆武技に才能があるわけじゃねぇだろうが。俺はこれで、自分は武に関して天与の才を持っていると自負している。それは、衆に秀でていることを自覚しているからだ。衆に秀でているのは、皆がそういう才を持っているわけではないからだろう?軍のことを考えるならそれを基準にしてものを考えないと駄目なんだよ。
例え一人で当たることが敵わぬ敵を目の前にしても、三人がまるで一人であるかのように連携して当たれば、死ぬ確率は少なくなるだろう。俺にしても星にしても、ある程度実力のある人間が完全に連携して攻撃を仕掛けてきたら、間違いなく苦戦するだろうし、嘗めてかかったら大怪我をすることだって考えられるンだ。
だから、ある程度の体力と基礎が身にが付けば、あとは轡を並べて闘う友と共に闘う術を身につけさせた方が良いんだよ、星。その方が、軍としてだけでなく、普段もまとまりが出てくるはずだからな。互いに助け合いながら生きていく。これに越したことはないだろうさ。それが当たり前になっていれば、戦のない世の中になっても爪弾きにされるようなことはないだろうからなぁ。皆で手を取り合って上手くやっていってくれるさ。』
主は、軍事は軍事、政務は政務で仕事自体はきっちりと分けるが、それぞれがお互いに良い影響を与えることが出来るようにものを考える。よく、このようなことまで考えて居られるものだ。まぁ、だからこそ私や愛紗は安心して武を奮えるのだが。この主に付いている限り、我らが武の奮い方で誤ることは無いだろうから。
「さぁ、どうした!この趙子龍の槍をその身に受けてみたいというものは居ないのか!」
そういって賊共を挑発する。
存外、張り合いのないものだ。主であればこのような安い挑発には乗らぬぞ?
胴を、突く。皮を裂き、肉に突き刺さる感触が槍を伝って手に感じられる。肉が締まらぬうちに、槍を引き抜く。戦で最も危険なのは、槍を刺し過ぎて肉が締まり、抜けなくなった時だ。そのような初歩的な過ちを犯しはしない。
槍を持った賊を優先的に屠っていく。
左から多くの賊がやってくるが、右からの圧力は余り感じられない。
そちらを見ると、主がやってきて清麿を振るっていた。
「待たせたな、星。奴さん達は蛇に絞め殺されにやってきたようだぜ?間違いなくな」
そう不敵に嗤う。
「そうですか。それは重畳」
「はっ、全く以てその通りだ」
そう言って、主は静かに辺りを見渡す。死んでいる兵達を目にして少し哀しそうな顔をしたが、直ぐに強い意志を感じることが出来る目をして、彼らを再度見渡している。
……あぁ、この主の顔は、『美しい』。
人は、苦しまなければ美しくはなれない。苦しまない人は、美しくない。美しい人は、皆例外なく苦しんだ人なのだ。己の至らなさに。己が抱える矛盾に。我が主は苦しみ、そしてその苦しみから抜け出した。この勇ましくも儚い、夢を抱いた揚羽蝶は、漸く羽化したのだ。そう、実感できる。あとは、優雅に天下を舞うだけだ。
「ふっ、主。思えば主とこうして肩を並べて闘うのは初めてですな」
「そうかぁ?そういえばそんな気もするが、まぁ、そんなことはどうでもいいだろうさ。楽に屑共を掃除できる分、少々物足りなく感じるんだろうけどねぇ」
「まぁ、危険は少ないに越したことはありませんぞ?主」
「わぁ〜てるよ。だからこそ、一番安心できる星の隣に来たんだろうに」
「ふふっ。主、今日は中々に素直ですな?」
「まぁ、おかげさまで、な!」
二人でそう会話をしながら、目の前の賊共を次々に屠っていく。
私が槍で牽制し、怯んだところを主が斬る。
周囲にいるものを次々に斬り捨てていく主に怯んだ者を、私が槍で突き殺す。
ここが戦場であることを忘れてしまうような、優雅な演舞。まるで、蝶が舞うように。
「さぁ、主。敵の腹背から右翼が突っ込んでいるようですぞ?我らも負けてはおれませんな!」
「たりめぇだろうが!こちとら負けるつもりはさらさら無いンだよ!」
主は、まだ羽化したばかりの蝶に過ぎない。
人は、まだその真価を知ることはないだろう。
だが、これから世の人々にその蝶の美しさを広く知らしめなければならぬのだ。
平教経という、揚羽蝶の美しさを。
〜稟 Side〜
教経殿が前線に出ていった後、風達前軍が敵後軍の腹背を散々に攻め立てている。
その動揺を受けた敵中軍に、張遼殿が率いる後軍が遮二無二突き進んでいく。もの凄い突破力だ。指揮官の力量があれだけで分かろうというものだ。
騎馬に蹂躙され、敵中軍及び敵後軍の前線は既に崩壊しつつある。組織立った抵抗をまだ続けているが、それも時間の問題だろう。騎馬を甘く見たこと。それが彼らの敗因だ。
「中軍全体に伝令を。少しずつ前線を押し戻します。予備兵力の全てを敵の前面に叩き付け、こちらに敵の注意を再度惹くのです。また、その際に疲労してどうにもならない兵を後方へ回して休息させて下さい」
「はっ!伝令!予備兵に全兵力を持って前進しろと伝達を!」
「兵を休息させる場所と水を用意しろ!怪我の手当も出来るようにするんだ!」
伝令が慌ただしく走っていく。
風達の前軍は、敵後軍を蹂躙し終えて中軍に攻め掛かっている。
張遼殿の後軍は、全体を二つに分け、一つはそのまま風達と敵中軍を挟み込むように叩き、一つは敵前軍の後背を扼そうという構えを見せて敵を混乱させようとしている。
ここで一気に決める。これが決定打になるだろう。
「本陣も前へ。教経殿達と合流し、敵前軍を殲滅。そのままの勢いで敵中軍を叩きます。敵中軍が軍としての機能を保ち得なくなった時点で兵を再編し、鉅鹿へ向かいます。再編と、負傷兵の手当の準備をしておいて下さい」
本陣を押し上げ、敵軍に圧力を掛ける。
卵の殻のように、罅を入れることが出来るだろう。
本陣が前線に移動する、ということの意味を、風は理解しているはずだ。間違いなく、全軍を敵に叩き付けてくれるだろう。
敵軍を包囲すれば、これを完全に殲滅せしめる自信はある。
が、この度は包囲をせずに、逃げるに任せる。
この出征の目的を違えるわけにはいかない。蛇足、というものだ。余計な足を描いてしまったために本来目指す絵図を描けないなど、低能も良いところだ。私は違う。そうはならない。
このまま、鉅鹿へ。
教経殿が望む天下を描く為の、戦略。
それを、描いているのだから。
中軍が前線を押し上げ始める。
前軍は、敵中軍に向かって突貫している。
その周囲を、後軍が寄せて叩いては引く運動を繰り返して損耗を強いている。
こちらの兵の損耗は少ない。
このまま、鉅鹿で主力となりうるだけの兵力を有して決戦に望めるだろう。
あと、一押しだ。
「今です!全軍突撃を!」
こちらの攻勢に対応し始めた敵を見て、そう命を下す。
一直線に力を加える。丁度、前軍と合流するように。
敵は、こちらの急激な攻勢の変化に対応出来ていない。敵中軍の牙門旗が大きく揺れている。
……崩れる。
張遼殿の後軍が一気に寄せていく。
こちらに合わせて、一気に牙門旗の元へ。
「敵将、この張文遠が討ち取ったで!」
張遼殿が、そう名乗りを上げる。
その衝撃が敵軍に伝播し、皆算を乱して逃げ始めた。
「旗を振って下さい。平家の旗を」
「はっ」
完勝。
次も勝ってみせる。いや、戦略上の勝ちは既に決まっているのだ。これあるを見越して準備を十分にしてきたのだから。後は、どういう戦術で戦略上の命題を満たすのか。これに尽きるだけだ。
これからの事を思い、私はそう考えていた。