〜教経 Side〜

「はぁ、黄巾の賊共を討伐せよ、ねぇ」
「如何なさいますか、教経殿」

愛紗とああいう事があってから暫くして、朝廷から勅使という形で使者がやってきた。そいつが持ってきた内容が、冒頭の発言になったわけだ。

……まぁ、準備してたから全く問題無いんだけどな。
あれは御遣いなどではなくただの商人だ、などと影口を叩かれながらも投機を行って利を得、その利を持って糧食を買い求め、更にそれを転売してより大きな利益を得てきたのだ。
全ては、この秋の為に。ここで飛躍してやる。俺たち全員の夢の為に。

「如何も糞もないだろうに、稟。俺たちはその備えをしてきた。正しく、この秋の為に」
「はい」
「出陣だ。星、愛紗。陣触れを」
「はっ!」
「畏まりました、教経様」
「この度は、将、軍師、全て。つまり、四人全員伴う。いいな?」
「わかったのですよ、お兄さん」
「承りました」

全員で、やる。
太原の留守については、ダンクーガにやらせる。
アレで問題無いだろ。賊共はほぼ全部が鉅鹿に集まりつつある。
その状況で、今まで散々にやられてきた并州で暴れようと考える阿呆はおるまい。
一応、ダンクーガに釘は刺しておくが、あれでいて気が回る男だし、何より目下の者を大事にする人間だ。あいつなら、絶対にやってはならない判断ミスをしないだろう。民衆を捨てる、といったような。

「率いる兵数はどうしますか?お兄さん」
「15,000率いていく。并州には7,000も居れば十分だと思うが。どうかな?」
「それでも少し多いくらいだと思うので、問題無いと思いますよ〜」
「では、出発は何時になさいますか?」
「官軍と合流しろ、と言ってきている。合流して貰わないと賊が怖くてたまらんのかも知れんしな。まぁ、纏めて面倒を見てやるさ。官軍を太原で待ち受ける。出発は、そいつら次第だろうさ」
「はっ」

張角、だっけ?
もう死んでるんだっけか?確か、黄巾の乱が終熄する頃には奴さんは死んでたはずだ。
まぁ、お前さんの夢の残りカスは俺がしっかり再利用してやるよ。俺の夢のために、な。












官軍を待って1週間後、漸くやってきた。
思っていたよりも整然と行軍している。騎馬が多いのも特徴だろう。
ウチの騎馬隊はかなりのものだと思っているが、鐙なしであれだけの動きをするのはかなりのものだと思う。そう思っていると、官軍から将だろうか、一名こちらに馬で駆けてくる。
……女だ。なんて格好してやがるよ、姉ちゃんはよ。胸にサラシ。袴をはいてるが下着着けてないのか?露出狂って奴なのか?もう暖かいモンなぁ。シーズン真っ盛りってところか。

「いやぁ〜済まんかったなぁ。待ってくれとったんやろ?ウチが官軍の纏めをやっとる、張遼や」

……こいつは驚いた。

「……へぇ。あんたが張遼か」
「ん?なんや、あんたウチのこと知っとるん?」

そりゃ知ってるさ。并州牧になって最初に捜した人間が張遼なんだからな。上党辺りにいると思ってたんだが、居なかったのさ、お前さんは。まさか官軍に居るとは思ってもみなかったがな。
張来来、張来来。
演義じゃ、関羽に匹敵する将。史実じゃ、関羽なんて目じゃない将。

「まぁ、ね。知ってると思うが、俺は平教経。字も真名もない。宜しく。張遼」
「ウチは姓は張、名は遼、字は文遠。宜しく、経ちゃん」

……誰だよそれは。

「経ちゃんて誰だよ」
「嫌やわ〜、経ちゃん言うたら経ちゃんしかおれへんやんか」

これはあれだな、風と同じだ。何言っても無駄だ。そんな気がする。

「……まぁ、それでいいさ」
「おおきに〜」

なにがおおきになのかさっぱり分からん。

「んじゃ、明後日出発って事で良いか?そっちの軍、それなりに急がせてきたみたいだからな」
「……へぇ〜、なんや分かるんかいな」
「まぁ、分かるだろうさ。馬はいざ知らず、人となるとな。皆疲労の色が濃いぜ?ゆっくり休息すべきだと思うがね」
「ほな、そうさせて貰うわ」
「愛紗」
「はい、教経様」
「張遼を客間へ案内してくれ。愛紗が以前使っていた部屋だ」
「畏まりました。張遼殿、こちらへ」
「宜しく頼むわ」
「稟、風。張遼の兵達に兵舎を割り当ててやってくれ。野営させて無駄に体力を使わせる訳にもいかん」
「承りました」
「わかりました」
「星、平家軍の装備の最終点検を頼む」
「承知」
「んじゃ、明後日の出発まで適当に疲れを癒しておいてくれ。今日の所は、これで解散だ」

……俺の中じゃ、張遼は「山田〜!」って良いながら偃月刀振り回すひげ面のオッサンだったんだけどなぁ……調子狂うわ。

















太原を出発し、鉅鹿に近づく俺たちの目の前に、40,000の黄巾賊が現れた。ここで、俺たちを食い止める、というのではなく、俺たちを殲滅する、という構えだ。魚鱗ではなく、鶴翼。こちらは官軍と併せて25,000弱。まぁ、間違っちゃいない。奴らの方が兵数が多いし、鶴翼陣で左右から包囲殲滅ってのは常道だろう。が、身の程は弁えた方が良いと思うぜ?訓練されてきた軍兵に対するに、只の野党。兵一人で賊三人は殺せるだろう。自分が死ぬことなく、な。そうなると、70,000でどっこいどっこいって所だろうに。見通しが甘すぎるんだよ、馬鹿共が。

「なぁ、経ちゃん。どうするん?」
「そうだねぇ。軍を一列に並べて目の前を横断し、中軍を突かせてみるか。無視して先に行くような様子でな。どうせ馬鹿だから我慢できないだろう。隊伍もろくに組まずに突っ込んできてくれるだろうさ。俺が中軍を受け持つ。前軍に愛紗と風。星と稟は、中軍に居てくれ。張遼には、後軍を頼みたい」
「えぇけど、土手っ腹を突かせるんやろ?経ちゃん、大丈夫かいな」
「大丈夫だろう。あいつらは所詮屑だ。どこまで行ってもな。屑に後れを取るような奴が此処にいると思うか?」
「あははっ、はっきり言うなぁ自分。気に入ったで!」
「そりゃ有り難うよ」

まぁ、こういう戦が実際にあったんだけどな。腹を突かせ、それをいなして耐えるうちに前軍と後軍が左右から襲いかかる。さながら、双頭の蛇のように。胴に絞め殺されながら、二本の頭に散々に食いちぎられちまうと良いさ。そのつもりがあって腹を突かれるのと、不意を突かれるのとは訳が違うってことを実感して貰うことにしますかねぇ。

「じゃぁ、細かい段取りを決める。といっても、戦闘中止の合図とその後のことだけだがな」
「教経様、どういうことでしょうか?」
「愛紗、ここでの俺たちの勝ちは揺るがない。此処には俺が居て、稟が居て、風が居る。星も、愛紗も。張遼だっている。どう考えても、賊共にこの全員に対応できる器量があるとは思えない。双頭の蛇に喰い殺されるのは目に見えているだろうが。猪武者は幸いにしていないことだし、戦略上の目的は鉅鹿の黄巾賊討伐だってのは皆分かっている。あとは、どの時機に戦を中止して鉅鹿に向かうのか、鉅鹿に向かう際にどう兵を再編するのか、というところだけが問題になるわけだ。だから、戦闘中止の合図ぐらいで良いのさ」
「成る程。よく、わかりました」
「主、私が前軍でないところが納得いかないのですが」
「……先鋒は武門の誉れ、か?」
「その通りです」
「星、よく考えろよ?確かに配置上は中軍に位置しているが、さっきから言っているとおり、これは双頭の蛇なんだよ。腹を突かせてからこちらに引きずり込んで、胴で絞め殺しながら頭で喰らう。そういう陣形なんだ。要するに、中軍と言いながらもここが実質先鋒なのさ。これでも納得いかないのか?星は」
「いえ、納得致しました、主」
「やれやれ、頼むぜ星。お前さんにはいずれこの規模の兵を指揮して貰うことになるんだから」
「はっ」
「なぁなぁ、経ちゃん」
「ん?」
「経ちゃんが自分で今考えたんか?この策」
「あぁ、そうだ」
「へぇ〜。腕っ節に自信があるんかと思ってたんやけど、頭の方もかなりキレるみたいやな」
「褒めても何も出んぞ?まぁ、戦に勝ったら酒ぐらいくれてやるが」
「ほんまか!」

えらい食いついてくるな。

「あぁ、くれてやるよ。太原で作った酒をな」
「おぉ〜、あれがまた飲めるんやな!これは気合い入れて行かなアカンわ」
「やる気が出てきたようで何よりだ」
「絶対やからな!?」
「分かったって、張遼。顔が近い。胸も近い。……良い体してるよね、露出狂だけあって」
「露出狂とちゃうわ!まぁ、良い体って褒めてくれたのには礼を言っとくわ」
「……教経殿?」
「……お兄さん?」
「……主?」
「……教経様?」

心の声がダダ漏れたらしい。どうなってんだよ俺の心の蛇口。クラシアンでも呼んで見て貰うか?……おいおいおい、四人一度に殴られたら天に還っちまうだろうが。あの世的な意味で。

「ちょ、待てよ、落ち着けって」
「あはははっ、自分ら、おもろいなぁ」
「面白くないからこいつら怒ってるんだよ!」
「まぁ、ええわ。ウチは準備があるよって。経ちゃん、また後でな〜」

……あぁ、生きてたらな。















「主、やって参りましたぞ!」
「あぁ、そうだねぇ」

……そんなことより俺は顔が痛いんだよ。

賊共は、取るものも取り敢えず、といった様相でこちらに突っかかって来る。慌ててやってきても何も変わらないだろうが、馬鹿共が。これだけ近づいて猶整然としている軍を目の前に、何も感じていないらしいな。

「星。頼むぞ。信頼してる」
「……お任せあれ!」

そう言って、星は愛馬に跨って前線へ趨く。
さしあたって、星が居れば問題無いだろう。
俺は、まだ此処にいて賊共を見極める必要がある。これが擬態であれば、こちらと接触して暫くしてから全軍でゆっくりと後退し、自陣近くに引き摺り込んで中軍を袋だたきにする、という策が考えられる。万に一つ。いや、億に一つの可能性だと思うが、その可能性がないとは言えないだろう。

そう思って戦場を注視していると、稟が俺に話しかけてくる。

「教経殿、教経殿が思っているようなことはどうやらないようですよ」

何考えてたかがわかるのか、稟。

「……どうしてそう言いきれるンだ、稟?」
「敵の後軍が動いています。真っ直ぐにこちらへ。これが策なら、後軍は左右に分かれて足止めをするはずです。そうでないと、我が軍を引き摺り込む前に全軍崩壊の危機に直面することになります」
「そうとばかりは言えないのではないかね?全軍で連動して動けば問題無いと考える場合もあるだろうに」
「いえ、それはないでしょう。もしその策を思いつく人間が居るなら、左右から迫る騎馬隊を自由にはさせないはずです。徒ばかりならばまだしも、騎馬に戦場を蹂躙されるともう収拾が付きません。一旦後退して再編するしか無くなるのです。我らを殲滅したいのであれば、騎馬を止めない限りそれは叶わないのです。ですから、教経殿は心配する必要はないと思います」

……流石は稟だ。観察眼といい、相手の器量の程を何通りか考えてその思考を辿って正答に近いであろうものを導き出すところといい。俺だけだと、どうしても不安だからな。ある程度は分かっても、間違いないと言い切るにはもっと時間が必要になるだろうし。

「稟、安心できたよ。稟のお陰で余裕を持って見ていられそうだ」
「い、いえ。教経殿の軍師として当然のことです」

稟を撫でると、嬉しそうに顔を染めてそう言う。
俺の軍師として当然、か。
その期待には応えないとなぁ?

「じゃぁ、敵の中軍がぶつかってきたら俺も前線に出るぜ?全軍の指揮は、稟。お前さんに任せる」
「教経殿。教経殿は前線に立つべきではないと思いますが」
「そうだろうな。だが、俺のために皆死んでくれている。俺だけが後方でのうのうと過ごすわけにはいかんだろうさ。俺が俺であるために、どうしても必要なんだよ」
「しかし」
「稟。俺はな、この手で天下を掴みたいンだ。手袋越しなんかじゃなく、直に、この手でな。だから俺は征く。お前さん達には心配掛けることになると思うが、それは諦めてくれ。というより、受け入れて欲しい、かな。他でもない、お前さん達にだけは」
「……そういう言い方をされると、何も言えなくなるではありませんか」
「済まんね。だがこれが俺の性分だ」
「まぁ、いいでしょう。但し、必ず星と一緒に行動すること。それだけは守って下さい。お願いですから。心配で指揮が手に付かなくなってしまっては困るでしょう?」

そうきましたか。只では転ばない。稟らしいね。

「了解、了解」
「教経殿!」
「分かってるよ、稟」

そういって、稟を柔らかく抱きしめる。
……稟は、俺の頬に口づけをしてきた。

「約束、ですからね、教経殿」
「……あぁ、約束だ」

全く以て、この軍師様には敵わないね。
出来るだけ心配掛けないようにしなきゃならんだろう。それが男の甲斐性ってモンだ。