〜愛紗 Side〜
「はぁ」
最近、気が重い。
教経様との出陣後、私は教経様を常に意識している自分が居ることを自覚した。
夢ではなく、いつの間にか教経様自身に惹かれていたことに気付かされて。普段あんなにもお巫山戯が過ぎる、どうしようもない教経様を、掛け替えのないものだと自覚させられて。いつもあの人を目で追いかけている自分が居た。教経様は、私によく笑いかけて下さる。……偶に不埒な視線と共に笑っていることもあるが。ニヤニヤと。……その笑顔を、私はずっと見ていたいと感じていた。
だが……教経様をそういう目で見るようになって初めて、星や風、稟の関係が理解できるようになった。三人とも、教経様を好いている。臣下としてではなく、一人の女性として。いや、愛していると言っていいかもしれない。そして、互いを意識し合って教経様の心を捕らえようと動いていた。好敵手のような関係。そう感じた。
……私とて。私とてこの人の寵愛を一身に受けたい。だから、参戦させて貰う。
そう思い、少し見え透いている気はしていたが、理由を付けては教経様と共にいる時間を作ろうとした。そして、それは成功していた。
けれど、教経様は稟と、その、そういうことを。稟とそういう関係だったのだ。……悔しいが私は負けたのだ。教経様が稟を選んだのなら、私の出る幕はない。だから諦めよう。そう思った。
でも、駄目なのだ。
どうしても、教経様を目で追ってしまう。その都度、自分は負けたのだからと目で追うのを止めようとするが、それが叶わない。諦められないのだと思う。胸が、苦しい。何と女々しいことか。だがそんな自分を、仕方がないではないか、と肯定する自分も居るのだ。好きなのだから、愛しているのだから、それは当たり前のことなのだ、と。
「……はぁ」
どうすればいいのだろう。どうすれば自分で自分を納得させることが出来るのだろう。
「おや、愛紗。こんな所で何をやっているのだ、お前は」
星がやってきた。
「私がここにいて何か問題になるのか」
「やれやれ、この娘は本当に刺々しいな。そんなことだから主にまで『鉄の女』などと言われてしまうのだぞ?愛紗」
五月蠅い。
「おや、拗ねた」
「拗ねてなど居ない!」
「はは、拗ねて居るではないか」
「拗ねてなど居ないと言っている!」
「……主が心配しておったぞ?」
「なっ!何を」
「朝から晩まで溜息ばかり吐いている様子だったからなぁ、お前は」
「……教経様は、何と?」
「さて。何であったか」
「星!」
「そんなに主と稟が情を交わしていたことが衝撃だったのか」
星は、教経様と稟の関係を知っている。
それでいてまだ諦めていないのか。
「何故星がそれを知っている」
「決まっている。私も主と情を交わしているからだ」
「なっ」
「意外か?だが考えれば直ぐに分かるであろうに。夜、主に報告があるからと私達三人のうちの一人が夜話から抜け出て行ったことが何度もあったではないか。教えてやるが、風もだ」
私だけが、知らなかったのか。
私だけ、除け者にされていたのか。
何も知らないで、舞い上がっていたのか。
馬鹿みたいではないか。一人で勝手にそう思い込んでいただけで、最初から勝負も何もあったものではなかったのだ。
「愛紗よ、もう少し素直になってみたらどうなのだ」
「何に素直になるのだ!」
「お前は主の事を好いているのだろう?」
「……違う」
「またそうやって意地を張る。何故お前が主を好きであることを素直に認めないのだ」
「私は別に」
「やれやれ。本当に強情だな、この『鉄の女』は。主はどうやってこの女の心を絡め取ったのやら」
「……貴様!」
「おぉ、怖い怖い。まるで子供ではないか、愛紗よ。都合が悪くなったら、理由も何も関係なく感情のままに怒るなど」
「貴様に何が分かる!」
「分からぬなぁ。何せ私が一番最初に主と情を交わしたのだ。主に懸想をしていて、その主が他の女と情を交わしたことを知った時の気持ちなど分からぬよ」
「なっ」
星が、一番初めに?稟ではなかったのか?
「稟と風は、それでも諦められないと言って自分の気持ちを主に伝え、主を強引に籠絡して情を交わしたのだ。全く以てやるものではないか……お前と違って。愛紗、そうは思わぬか」
「……」
稟を抱いていた。
でも星が一番最初で……
風達がそこに後から飛び込んで。
頭が、混乱している。何も、考えられない。
星から立て続けに信じられぬような話を聞いて。
「まぁ、そんなことは良い。今の問題はお前の気持ちなのだ、愛紗」
「……私の気持ちだと」
「そうだ。お前はどうなのだ。何も障害がなかったとして、お前は主とどうなりたいのだ」
何も障害がなかったとして。
「……私は教経様の寵愛を一身に授かりたい」
「あはははっ」
「何が可笑しい!」
「いや、なかなかに素直になったものだと思ってな。何も障害がなかったら、そうまで素直になれるのに何がそのようにお前を悩ませているのか全く分からぬな。言っている通り、私も稟も風も、皆主と情を交わしている。主は気の多いお方なのだ。まぁ、英雄と呼ぶに相応しいお方だ。色恋に関してだけ見れば間違いなく英雄だろうな。何せこの私の他に二人も好きだと言っているのだ。この私を目の前にして、済まないなどと謝りに来たにも関わらず、だぞ?」
そう言って、ククッと笑う。
……しまった。続けざまに驚かされて、思ったままに答えてしまっていた。
「そして愛紗、私が見たところでは主はお前のことも好きなようだ。丁度私達を好きなように」
……教経様が、私を。
思わず、赤面してしまう。
「く、口から出任せを言うな!」
「何が出任せなものか。お前だって気がついているだろうに」
「……そんなことがあるはずがない」
「あり得ぬ、か。では何故主はお前と一緒にいてあんなにも愉しそうにしているのだ。私達が少々妬けてしまうほどに」
「……」
「……臆病者め」
「誰が臆病者だ!」
「ここには私以外にはお前しかおらぬではないか。それともお前の目には他に誰かが居るように映っているのかな?いやはや、恋に悩める乙女とは誠不思議なものだな……この臆病者め」
「何だと!」
「主に受け入れて貰えるかどうかが分からないから自分の想いを伝えない。臆病者以外の何者でもないではないか」
「……」
「どうやら自覚出来たらしいな」
「……五月蠅い」
「愛紗よ、お前は自分の想いを受け入れてくれるから主を好きになったのか?」
「そんなことはない!」
「では、主がどうあろうとも主が好きなのだろう?」
「……そうなのだろうな」
「では、その想いを伝えてみてはどうなのだ。後悔したいのか?主が死んでしまった後で、棺に向かって愛を囁くのか?お前が死んでしまう時に、主を思って一人虚空に向かって愛を呟くのか?お前はそれで満足できないから、その想いを遂げたいと望んでいるからこそ、そうやって溜息を吐いて毎日を憂鬱な気持ちで過ごしているのではないのか?」
「……」
「伝えようと伝えまいと、お前が主の元でやることは変わらないのだろう?主の夢の為に、その武を奮うのだろう?違ったか?」
「そうだ」
「では、伝えれば良い。伝えても伝えなくてもお前が何も変わらないのなら。その手が届くうちに、その想いを告げることが出来るうちに。お前は、主が居なくなることの恐ろしさを実感してきたのではないのか?常山で。今のあの主に、お前の気持ちを知っていて貰いたいとは思わないのか?」
……知っていて欲しい。受け入れられなくとも、せめて、この想いだけは、知っていて欲しい。だが。
「まだ納得がいっていないのか。頑固な女だ」
「……星、お前に聞きたい」
「なんだ、愛紗」
「教経様が他の女と情を交わしている事をどう思っているのだ」
「仕方のないことだろう。主は、ああいう人なのだ。自由気ままに、気の向くままに、やりたいことをやりたいようにやりたい時にやる人だ。それを束縛しようとは思わぬ。主は、あの人はそうあるべき人で、その主を私は好いているのだ。確かに、少々寂しい気もするが、な」
「それで構わないのか、納得出来るのか、星は」
「構いたいが、構えぬよ。主という、誠に美しい花に蝶が集うのは当たり前のことなのだから。後は、その集った蝶達の中で私こそが主に最も愛されていることを証明してやれば良いだけのことだ。主が私を好いていてくれているのは間違いないし、私も主を好いている。ただ、主には他にも好きな女が居るだけのことだ。それに我慢がならないのなら、私に夢中にさせてやればいいのだからな」
自分が一番だと証明する、自分に夢中にさせる、か。星らしいな。恐らく、他の二人も似たようなものなのだろう。だから、三人の関係を好敵手だと感じていたのか。
……教経様にとっての一番は、まだ決まっては居ないらしい。
私は、まだ諦めなくても良いのだ。まだ、私が入り込む余地があるのだ。
もし、教経様が受け入れて下さったら。
……嬉しい。私だけを見て私だけを愛して貰いたいが、この際そこは我慢する。
私も、星と同じように考えられると思うから。
「いい顔をするようになったではないか。愛紗よ」
「……ふん。礼は言わぬぞ」
「さて、礼を言われるようなことは言った覚えはないのだがな。頭の固い、素直でない女をからかってやっただけのことでなぁ。まぁ、感謝するというのなら精々旨い酒でも飲ませて貰うことにしようか」
「言っていろ」
「あぁ、愉しみにしているさ」
きちんと私に報告するのだぞ?愛紗。良い酒のあてになるのだから。
そう言って星は離れていった。
一日の仕事を終えて、自分の部屋に帰る途中、風に出くわした。
どうやら私を待っていたらしい。
風にはやることが多くある。こんな所に用もなく立っているはずもないのだ。
「愛紗ちゃん」
「風。どうしたのだ」
「お兄さんから連絡なのですよ。今日、お話があるから愛紗ちゃんの部屋で待っていて欲しい、とのことでしたよ〜」
教経様が?
「分かった」
「……愛紗ちゃん、しっかり綺麗にしておくと良いと思うのですよ」
「ああ、片付けておく」
「そうではなくて、愛紗ちゃん、ちょっと汗の臭いがするのですよ」
そう言って風が私の手をとって臭いを嗅いでいる。
「風!」
「……まぁ、今日は譲ってあげるのです。頑張ると良いのですよ、愛紗ちゃん……では、風はこれで〜」
「ちょっと、風!」
なにやらぼそぼそと言っていたが、なんと言っていたのだろうか?
……湯浴みしておいた方が……良いのだろうな。
汗臭いまま教経様と話をするなど、今は避けたいところだ。
……そんなに、汗臭かったのだろうか。
「よっ、愛紗。邪魔するぜ?」
「あ、はい」
夜も更けて来た頃、教経様がやってきた。一体何のお話なのだろうか。
とりあえず、湯飲みを出して水を注ぎ、教経様に渡す。
「悪いねぇ」
「いえ」
昼間、星と話たことを思い出して、緊張してしまう。
何故か教経様も、緊張している……というよりはビクビクしている?
「さて、教経様」
「……はい」
「お話があると聞いたのですが」
「……は?」
「え?」
ん?話が噛み合っていない?
「いや、俺は稟に、愛紗が俺に言いたいことがある、だから部屋に来いと怒っていたって聞いたんだけど?」
……稟、何故そのような嘘を。
何故か素直に来た教経殿にも疑問を感じますが。激しく。
「私は風から、教経様からお話がある、と聞いて待っていたのですが」
「え?」
教経様には全く心当たりがないらしい。
これは……風、稟、そして、昼間の星。確かに、『報告しろ』、と言ったのだ。あのお節介な女は。
貴女たち、もしかして……
「愛紗、俺に説教するんじゃないの?」
「い、いえ。そのようなことは致しません」
「……はぁ〜。焦った。昼間ダンクーガと喧嘩して防壁ぶっ壊したのバレたのかと思った」
「……教経様。今、何と?」
「あ」
全く!またこの人は!
そう思い怒りそうになるが、思い留まった。
折角、星達がお膳立てをしてくれたのだ。
私一人で、こういう機会を創れるとは思えない。緊張して、二人で逢う約束など、取り付けられるはずもないのだ。まんまと乗せられてしまった気もするが、この機会を逃さぬ方が良いだろう。
「教経様」
「ひぃっ!すいません!もうしません!俺じゃないです!ダンクーガ!あいつが全部悪いんです!嫌がる俺を無理矢理に!だからダンクーガをやっちゃえばいいと思います!好きにして下さい!この際死んでも構いません!マウントポジションで目眩く血塗られた旅を心行くまでお愉しみ下さい!」
……教経様の中で、私は一体どういう存在になっているのだ?その反応はちょっと酷いと思います、教経様。私だって流石に傷つきます。
「……はぁ。怒りませんから」
「……え?」
「ですから、怒りません」
「……愛紗、もしかして『おっほっほ』から良からぬ頭の病気を……アレは空気感染するのか?だとしたら、この俺の最近の異常なテンションにも説明が付くな……ブラックジャック先生的なものを早く捜さないと取り返しが付かないことに……!」
……アレと私が同じように見えているというのですね?教経様、貴方はいつも通りです。『てんしょん』とは、何ですか?ぶらっく……?まぁ、宜しい。とにかく、教経様はお仕置きが大好きなんですね?
「反省してください!」
教経様にしっかりお話をした後、そういう雰囲気にもならず世間話をしたりしている。
話は様々に変わるが、こうやって二人だけで長々と世間話をするのも、得難いものだ。
「しかし、愛紗が居てくれて本当に助かったよ」
「そう言って頂けると幸いです」
「本当に感謝してるんだよ。もうちょっとで、俺は俺じゃなくなるところだったからな」
「……はい」
「愛紗が居なかったらと思うと、ゾッとするねぇ」
「有り難う御座います。ですが、教経様としては少々窮屈なのではありませんか?こんな可愛い気の無い女がずっと側に居て口うるさく注意をしていると」
「そうか?可愛いと思うぜぇ?愛紗は」
不意打ちは卑怯だ。
顔が、赤くなる。
「そ、そのようなことはありません」
「照れちゃって、可愛いねぇ。真面目な話、そのようなことはあるだろうさ。人がなんと言おうと、愛紗は可愛いよ。まぁ、もうちょっと素直になればもっと可愛いと思うんだけどねぇ」
「素直ではない、ですか」
「……普段の自分が素直だと思ってるのか?アレで?」
「……少々素直ではないかも知れません」
「ははは」
……可愛い、か。好いていて、くれるのだろうか。こんな私でも。一緒に居たいのにそう言えず、嬉しいのにそう伝えることが出来ず、好きなのにそれを告げることも出来ず。そんな私でも、教経様は好いていてくれるのだろうか。
『素直になれば』
そう、仰った。少し恥ずかしいが、教経様は、私の気持ちに気付いているのではないか。素直になれないことに気がついているということは、素直な気持ちを想像できるということに他ならないのだから。
もし、そうであるならば。
もし気がついていて、あのようにいつも私と愉しそうにしてくれていたのならば。誘いに嫌な顔一つせず、一緒に町を廻ってくれていたならば。
……少し性急な気もするが。
そういう話が出来る雰囲気であるだろう。辛うじて。
……怖い。稟達は、いや、稟達もこのように怖かっただろう。
良い結果と、悪い結果。双方が交互に頭に思い浮かんでは消えていく。
それに、翻弄されてしまう。
良い結果を想っては、嬉しくなった勢いで話を切り出しそうになり。
悪い結果を想っては、恐ろしくなって止めてしまおうと思ったり。
……だが、このまま想いを告げずに居るのは、駄目だ。
星が言った通りなのだ。
教経様が私の想いをはっきり知らぬまま、この想いを告げる機会を永久に失ってしまうようなことがあれば、私は後悔するに決まっている。好きだと言っておけば良かったと女々しく泣き暮らすのは目に見えている。
……言った方が良い。言うのだ。
「どうした愛紗。……怒っちまったのか?」
「教経様」
「んん?」
「教経様。私は……私は、教経様を、お慕い申し上げております」
言ってしまった。
もう、後戻りは出来ない。
私は教経様の顔を見ることが出来ず俯いたまま、教経様の言葉を待っていた。