〜風 Side〜
黒山賊の討伐から3ヶ月が過ぎ、山は初夏の彩りを見せています。
あの後、袁紹さんが朝廷に奏上し、お兄さんは并州牧に任命されました。
お兄さんは、今まで『馬鹿の純粋種』と呼んでいた袁紹さんのことを、感謝を込めて『おっほっほ』と呼ぶことにすると宣言しています。相変わらず、こういった方面でお兄さんが考えていることは分からないのです。
ですがこれは、袁家の力というものを見せる為の、一種の示威行動。そう、風は思います。
何せ、今中央での権勢争いが激しくなっているのですから。風達の実力をある程度計ったつもりの袁紹さん達は、風達を与しやすいと考え、袁家の力というものを見せることで従属させ、最終的には臣下にしてしまい、并州を袁家のものにしてしまおうと考えているのでしょう。残念ながら、それはお兄さんが袁紹さんのことを鼻で嗤って『おっほっほ』呼ばわりすることをもたらしただけのようですが。
不敵に笑いながら『おっほっほ』さんを持てる限りの罵詈雑言で馬鹿にしているお兄さんを見て、本当に良かったとしみじみしてしまうのです。
あの晩。
お兄さんがお兄さんであること。そうあり続けること。
それこそが、死んでいった人達にお兄さんがしてあげることが出来ること。
だから、どんなことがあってもお兄さんはそう生きていくことにする。
風の陣屋まで来て、お兄さんはそう言っていました。
……本当に、良かったのです。
風は、お兄さんがもうどうにもならないところまで行ってしまっていたら、と星ちゃんや稟ちゃんに申し訳ない気持ちで一杯だったのです。風が、時機を見誤ったが為に、皆が好きなお兄さんを殺してしまったかも知れない。そう思って、ずっと泣いていたのです。後事を、愛紗ちゃんに託して。
愛紗ちゃんは、良くやってくれたと思うのです。
手合わせの一件から、お兄さんに諌言をするに向いている類の人だとは思っていました。人に諌言するに、まずその至らなさを想わせること。それが諌言の要諦なのです。お兄さんから話を聞いた限りでは、これを自然にやっていたのですから。
だから、一緒に来てくれていて、本当に良かった。そう思います。
でも、太原に帰って来てから、少し気に入らないことがあります。
愛紗ちゃんの仕事ぶり。
例えば、警護を理由にお兄さんと一緒によく町を歩いています。理由と都合が付く限りにおいて、お兄さんの側に居ようとするのです。その、ある種の可愛らしさを、星ちゃんはにやにや笑って見ているようです。時に冷やかしながら。
愛紗ちゃんの目。
お兄さんが朝議で寝ていると、怒りながらも優しい目でお兄さんを見つめているのです。その雰囲気を察知した稟ちゃんが、眼鏡をクイクイしてお兄さんをはんたぁぶりぃだぁにしてしまい、愛紗ちゃんが覚醒することになるのですが。
愛紗ちゃんの悲しそうな顔。
お兄さんが、夜、稟ちゃんと自分の部屋で過ごしている時、偶々通りがかった愛紗ちゃんがお兄さんと稟ちゃんの関係に気付いたそうなのです。その時、それは悲しそうな顔をしていた、と愛紗ちゃんをこれまた偶々見かけた星ちゃんが言っていました。本当に偶々なのか、疑わしいことなのです。
それは置いておいて、稟ちゃん、最近大胆になってきたのですよ。自分で夜這うなんて本当に淫乱なのです。翌日稟ちゃんにそう言うと、まだ見ぬ大地を求めて妄想の扉から旅立って行きました。8じちょうどのあずさ2号で。はんたぁつながりなのです。狩人だけに。
……よく分からない電波を受信してしまったのです。
それほどまでにお兄さんのことが好きであるならば、愛紗ちゃんもはっきりとすればよいのです。でも、愛紗ちゃんは悩んでいるようで、何も行動を起こそうとしないのです。はっきり言ってしまえば、へたれなのです。そこが気に入らないのです。
風は、星ちゃんと稟ちゃんに、愛紗ちゃんがお兄さんを救ってくれたことを伝えてあります。わざわざ、愛紗ちゃんの目の前で。風は、もし愛紗ちゃんにその気があるのならお兄さんを共有する仲間になっても構わない、と考えています。認めているのです。愛紗ちゃんの気持ちは、軽々しい憧れなどではないのです。だから、他の二人がいる場所で愛紗ちゃんが果たした役割を説明し、彼女を持ち上げ、風が愛紗ちゃんを認めていることを稟ちゃん達に伝えたつもりです。
……間違いなく、お兄さんは愛紗ちゃんの胸、お尻、太股が大好きなのです。涸れ井戸で叫んでいるのを、もう何度も見ているのです。
だから、そのいやらしい躰でお兄さんを誘ってしまえばいいのです。
お兄さんは獣なので、間違いなく食いつくのです。
丁度、眼鏡をクイクイする稟ちゃんに我慢できなくなっていたように。
……そうは言っても、そういう愛紗ちゃんの奥ゆかしさも含めて、お兄さんも憎からず思っているに違いないのです。む〜、借りは返さなければならないのです。風は、愛紗ちゃんに救われたのです。だから今度は、風が愛紗ちゃんを助けてあげるべきなのですよ。仕方がないからなのです。愛紗ちゃんを応援したいと思ったからではないのです。仕方がないからなのです。大事なことなので、二回言うのですよ。
〜星 Side〜
「なぁ、星。最近愛紗がおかしくないか?」
そう、主が言う。おかしいも何も、溜息ばかり吐いている。主、他の誰でもない貴方のせいで。まぁ、稟もその原因の一翼を担っているが。
主は、そこまで鈍くない人だ。愛紗が自分に好意を持ってくれていることに気がついているはずだ。だが、あの様に深刻な溜息を吐く原因になるほどには好かれてはおるまい、などという戯けたことを考えているようだ。
……全く。仕方のない人だ。本当は気づいているでありましょうに。
ここで愛紗の気持ちを主に伝え、抱いてしまえと言ったとしても、きっと何のかのと理由を付けて踏み切らないに違いない。
曰く、『星に悪い』。
曰く、『風に悪い』。
曰く、『稟に悪い』。
悪いことなどありはしない。それを言うなら、主。私だけを見て、私だけを抱いて、私の為だけに生きてくれれば良いのだ。私達三人を好きになった以上、何人増えようと何も変わらないということに全く気がつかない。……イライラしてきたので後でいじめて差し上げよう。
兎も角、美しい花には蝶が集うものなのだ。蝶達がその花がよいと集ってくるのであって、花が蝶を捕食するのではない。どの蝶にも、花を愛で、花に愛でられる権利があるはずだ。花に嫌われない限りにおいて。だから集ってくればよいものを。
集ってきた後のことは、花には関係ないことだ。蝶達が、花の寵を競うだけだ。自分が一番花に愛されている蝶なのだと主張する為に。
まぁ、主も私に操を立てようとした位なのだから、そう割り切れるお人でもないのだろうが。……ちょっと操を立てることが出来ていた時間が短すぎると思うのですがね?主?次の日の夜とは、どういうつもりですかな?
一度、愛紗を掴まえて話をしなければならないかな。
まぁ、精々からかってやるとしようではないか。
ククッ。愛紗よ、歓迎するぞ?
あぁ、主、ちょっとお話があるのですが宜しいでしょうかな?
いえいえ、怒ってなどおりませぬよ。ちょっと虫の居所が悪いだけですから。
はは、八つ当たりなどではありませんぞ、主。
ふとももを思い切り抓ってやりたくなっただけですから。
〜稟 Side〜
愛紗が、教経殿を好いているようです。遠征から帰って来てから、傍目にそう分かるようになりました。教経殿も、そんな愛紗を憎からず思っていらっしゃるようで。しかし、二人とも互いのことが気になっているのに、互いに一歩が踏み出せない。
全く以て、仕方のない二人だと思います。でも、愛紗を見ていると、きっと自分もこうだったのだろうと思え、微笑ましい気持ちにもなります。もう少し、あとちょっとだけ、勇気が出ない。よく、分かります。私が勇気を出したのは、いつも引っ込みがつかなくなってからでしたから。
「愛紗、今日の練兵についてなんだが」
「はい、教経様」
当たり障りのない会話をし、執務室を出て行く愛紗を、教経殿は食い入るように見ています。
……全く。そんなにあのお尻が良いのでしょうか。私は、郭奉孝。私にも意地というものがあるのです。そう思いながら、伝家の宝刀を抜き放ちます。
今度は、こちらを食い入るように見つめ、鼻息が荒くなってきたようです。
……本当に気が多い人です。好きになってしまった私も私、なのですが。
そうぼんやり考えていると、教経殿が私を抱きすくめ、胸に手を伸ばしてきます。
まだ、昼なのですよ、教経殿。
そう言っても、教経殿は収まらず、次々に私を求めてきます。
誰に見られても構わないではないか。いっそ、町の皆に見せてやろうか。
そう、私の耳元で、いやらしく囁きます。
恥ずかしい。「あぁ、稟、この書類について何だけどさぁ」
でも、教経殿がそれを望むなら私は。
私は、教経殿「この嘆願書、ちょっと虫が良すぎると思わんかね?」に蹂躙されてしまうだろう。あっという間に。
そう、このようないやらしい私を、教経殿は求めているのだ。
私は、私は……
「ここにはこう書いてあるけど……稟?お〜い、稟さん?……なんだこの既視感は。要するにこれはあれか?午前8時になったってことか?あずさ2号的に考えて。……おいおいおいおい待てよおい、ここにはまだ処理してない書類が山ほど在るだろうが!ちょっと待って!お願いだからちょっと待って!
稟!目を醒ませ!無駄な妄想を止めて今すぐ投降しろ!今なら、今ならまだ間に合う!な〜んつって!な〜んつって!太陽に吠えろ、的な!Gパンキター!ばっシティばっ、ばっシティ!あ、これ探偵の方だ。
いやいや、遊んでいる暇はない!俺の、俺の貴重なプライベートタイムが大ピンチ!地球が!地球が壊れちゃう!リプリィィィィィィィ!助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「ブーッ」
「うおぁ!なんじゃぁこりゃぁ〜?……って感じにさ、今俺は血まみれになっているわけですが、その辺り、どうなんですかね、解説の風さん」
「はい〜、稟ちゃんは本当に淫乱なのです」
「ええ、本当にそうですね!左脇腹をこう、抉り込むように相手のボディを……っておい!友達なんだからちっとは手心加えるなり多少柔らかい表現に変えてやるなりしてやれよ!」
「……メス豚?」
「いや、俺に聞くなよ……というか、風!居たのか!」
「居たのですよ」
「だぁ〜!何で一緒に妄想止めてくれなかったんだよ!おかげでご覧の有様だよ!」
「どう致しましてなのですよ〜。稟ちゃんが突如考え込んで暫くしてから恍惚とした表情を浮かべ始めたので楽しみに待っていたのですよ。初日の出妄想なのです。時期的に考えて」
「今は初夏だよ!冒頭でお前さんがそう言ったんだろうが!メタ発言させるんじゃない!最初っから気付いてたんなら止めてくれよ!ったくどうすんだよこの殺害現場に落ちている書類の山ぁ」
「まぁまぁ、その辺りは稟ちゃんとお兄さんが何とかしてくれるので、お兄さんは気にしなくても大丈夫なのですよ」
「成る程、それなら大丈夫……じゃねぇじゃねぇか!俺のプライベートタイムがぁ〜!」
「ぷらいべーとらいあん?」
「……貴様、見ているな!?」
「風は電波を受信しただけなのです」
……教経殿。風。いい加減そのわけの分からない漫談を止めて、トントンして貰っても良いでしょうか……その、気が遠くなってきたもので。あぁ、私にも刻が見える……
「こういうわけで、稟ちゃんも愛紗ちゃんを応援してあげようと決意したのでした?」
「風、電波受信しすぎだろうが。……どういう意味だ?」
「さぁ?風には分かりかねます」
……その流れには、無理があると思います。二人とも。
まぁ、応援はしてあげますが……その為にも、いい加減に……トン……トン……を……
「主、ここにいたので……稟!しっかりしろ!」
「だれかたすけてください〜!なのです」
「ひ〜とみ〜をと〜じて〜き〜みを〜えが〜くよ〜そ〜れだ〜けでぇ〜いいんだねぇ」
「……主、風。もうその辺りでいいでしょう。これ以上は稟が……」
「鎮まれ!鎮まれぃ〜!こちらにおわすお方をどなたと心得る!畏れ多くも先の留守大将、趙子龍様に在らせられるぞ!御前である、頭が高い控えおろぅ〜!」
「この宝ャが目に入らぬか〜」
「……済まぬ、稟。これは私でも無理だ」
……星、諦めたら、そこで私の人生終了ですよ?