〜教経 Side〜
634。
この戦で命を落とした郎党の数だ。
俺が最初から陣頭に立って指揮をしていれば、もっと人死にを減らすことが出来ただろう。
彼らは、俺が、俺の都合の為に、殺した。
そこにどのような理由があり、どう言い訳をしようとも、その事実は変わらない。
戦前に風が言ったことは、正しい。それは間違いないことだ。
正しいが、人は正しいから生きているのではない。どうしようもない極悪人を心から愛する人がいる。その事実一つだけで、その事が証明できるではないか。そう思う。
だが、既に賽は投げられ、目が出揃っている。
この事実を、今更無かったことには出来ない。
「お兄さん、準備が整いました」
「あぁ、分かった」
神葬祭を執り行う。
もう幾度となく執り行ってきた、戦の鬼共を鬼であることから解放し、彼らの家の守護神とするための神事。
神葬祭とは、そういうものだ。少なくとも、俺が家長を務めるこの平家においては。
眼前に並ぶ、634の棺。
その一人一人の人生を、祝詞と共に彼らの祖霊に奏上する。
祝詞を詠み上げながら、想う。
太原で共に闘った者のうち、何人かが命を落とした。
それ以降、共に闘い、共に苦しみ、共に笑い、共に泣いた者達も。
皆、死んだ。俺と共に在った為に。
今までも、何人も死んでいった。
それは、割り切っておかなければならないものだった。
だから、割り切ったのだ。
彼らが望んだ平穏な世を創り出す為に、彼らはその礎となったのだ、と。
俺が志操を曲げず、彼らが希求して已まなかった世の中を創り出す。そうすることで、彼らの死には意味がある、そう俺が思える。だから、天下を平定するのだ。死んでいった者達の為ではなく、何よりも先ず俺自身の為に。
そう思っていた。そう割り切っていた。
どこかで聞いたことのある言葉を並べ立てながら。
自分のことを内心で女々しい奴だと思いながら。
……割り切った、つもりだった。
だが、今回死んだ者達の死は、今までとは違った色合いを持つ。
俺が、死ななくて済んだ者を殺してしまった。今後起こり得ることだという、尤もらしい理由を付けて。どうしても、そう思ってしまう。この思いに決着を着けなければ、前に進めない。
だが、立ち止まれば、犬死にをさせただけになる。
だから、自分なりの結論を出さなければならないのだ。借り物の言葉ではなく、自分の言葉で。
戦の前、今回こうすると決めた時点で、自分がこういう状態になることは分かっていた。だから、ずっと考えていた。
彼らが俺の夢の為に払った犠牲の対価として、俺がなにを差し出してやれるのか。
考え続けて漸く出した結論は、整合性も論理性もないものだ。
『決して言い訳をせぬこと』。
『決して泣かぬこと』。
言い訳をしたり泣いたりすれば、少しは気持ちが楽になるに違いない。人間とは、自分の心を壊さぬ為に、自分を正当化したり誤魔化したりして生きていく生き物だと思う。だから、それを自分から取り上げるのだ。そうすれば俺の人生は、少なくとも他の人間よりも苦痛に満ちたものになるだろう。その為に、俺の心が壊れてしまったとしても、それが俺が彼らに差し出してやれるものだ。俺の夢の為に、俺の都合によって死んでいく者の為に。俺は、強くなければならないのだ。だから、俺の弱さの象徴を斬り捨てる必要がある。
そう思ったのだ。郎党共が死という、それこそ生きている俺には全く想像することも叶わない苦痛を受け入れることを強いられたのに、俺だけが楽になるなんて許されるわけがないのだ。
そんなものは、天下を平定した後に、存分にやれば良いのだ。恥も外聞もなく。
思うがままに言い訳をし、感情の趨くままに泣き喚けば良い。
今の俺に、それは『許さない』。
言い訳をしたければ、泣きたければ、天下を平定するが良いのだ。
〜愛紗 Side〜
教経様が祝詞を詠み上げている。
その顔は、少し青ざめているかのように見える。
透き通った表情。
あの人に、あの様な表情は似合わない。あの人は、もっと明るくあるべき人なのだ。死者を悼むのは良い。責任を感じるのは人の心の作用として当然の帰結だ。だが、あんなに透き通った顔をするなんて。
啜り泣く声が聞こえる。そちらを見やると、風がさめざめと泣いていた。
自分達の考えが、間違っていた。そう言う。
私はそうは思わない。
いずれ、教経様は風の言うとおりの考え方をなさらなければならなくなっていたはずだ。それが早いのか遅いのか。只それだけの違いではないか。
そう言うが、風は、そういうことではないのですよ、と力なく応えた。
時期尚早だったのだ、と。
教経様がお優しいことは、皆分かっていた。だから、人が死ぬ度に辛そうな顔をする教経様を見ては、星も、稟も、風も、本当に心を痛めていたのだ。教経様が死んでいった者達に囚われぬように、教経様ご自身の精神を如何にして強いものにしてゆくのか。そのことを、出陣前ずっと話し合っていたことを私は知っている。
教経様のお陰で確かに救われている人間が居るのだということを実感していれば、きっと真正面から自分自身の罪悪感と向かい合ったとしても、ああなることはなかっただろう。
今、この時点でそれと向き合わせてしまった為に。自分が人を殺すだけでなく救えてもいるのだということを実感出来ていない今、向き合わせてしまったが為に。教経様が教経様で在るが故に、教経様が死んでしまう。そう風は言う。
まさか。そう思う。
教経様は罪悪感から自ら命を絶つような、そのような無責任な人ではないだろう。
だが風は、そういうことではないのですよ、と重ねて言った。
今まで神葬祭を行っている最中、教経様は泣きそうな顔をしながらも己を叱咤してそれを執り行っていた。だが、あの顔は違う。あれは己を叱咤しているのではなく、切り刻んでいるだけだ。教経様は、なにか極端な、悲しい決意をしているに違いない。そのせいで、教経様は死んでしまうだろう。最早、そこには私達が知っている『平教経』という人は亡く、彼が抱いた夢の残骸が、歪な情操を有して、教経様の形をとって残っているだけだろう。
だが、あの提言をした風自身が、教経様を諫めることは叶わない。だから、私に、教経殿を助けて欲しい。何かしらの極端な、悲しい結論を出してしまったであろう教経様を、助けて欲しい。
幼子のように啜り泣きながら、そう風は言った。
「教経様」
「なんだ愛紗」
「教経様にお話があります」
神葬祭を終えた後、教経様に宛がわれた陣屋で期を捉まえて話をする。
「教経様、教経様はなぜあのように透き通った顔をなさっておられたのですか?」
「……そんな顔をしていたか、俺は」
「はい。……教経様、私は星達から、教経様は神葬祭の際いつも辛そうな顔をなさっていたと聞いております。今回に限りそうでなかったのには理由があるだろう、そう思ったのでその理由をお聞かせ願いたいと参りました」
教経様の表情に大きな変化はない。
風が言っていたことを思い出す。
確かに、おかしい。確かに顔は普段通りだ。態度についても、少し落ち込んでいる程度にしか見えない。だが、この人は今確かに『哭いている』。涙を流していないだけで。
普段通りの教経様なら、その感情に従っているのではないか。顔を歪ませ、多少の涙は見せるのではないか。ここは教経様の陣屋で、誰にも見られることはないのだ。それが、私の知っている『平教経』という人だ。
「愛紗、俺はな、今まで自分のすることに対して言い訳もしてきたし、その結果に対して涙も見せてきた。だが、それは今後許さないことにしたンだ。死んでいった奴らが俺の夢の為に払った犠牲の対価として、俺がなにを差し出してやれるのか。それを考え抜いて、俺はその二つを俺自身から取り上げてやることにしたンだよ」
死んでいった者達が払った犠牲の対価。
この人は、今そう言ったのか。
「天下を平定した後なら、いくらでも出来ることだ。そう思う。だから、そうするんだ」
風が言ったことは、正しかった。この人は、死んでしまう。いや、自らを殺してしまう。
『言い訳をしない』。
『泣かない』。
簡単なことだ。そう思う人間が多いだろう。だがそれは違う。
言い訳というが、それはその考え方を理解できない、もしくは理解しようとしない人間にとって、であって、理解できる人間にとっては当然のことであったり、信念といって差し支えないものであったりするだろう。それを周囲に漏らさぬ、ということは、理解者を得られぬ、ということに他ならない。孤独に苛まれるのは目に見えている。
孤独に苛まれた支配者。考えただけでもぞっとする。
彼の行いを親身になって注意する人間が居ない。彼の考えを親身になって注意する人間が居ない。支配者である彼ではなく、彼そのものを心配して注意してくれる人間が居ない。
行き着くところは、暴君だろう。
彼は孤独だ、他者の感情など知ったことではない。彼は孤独だ。他者の生活など知ったことではない。彼は孤独だ。他者は、血の通った人間は、彼の住む世界には存在しない。暴君しか、ないではないか。こんな悲しい人間が行き着くところは。
泣かない、というが、では泣かずにどうやって自分の気持ちに整理を付けるのだ。感情に身を任せず、論理的に物事を考えることは必要なことだが、論理で感情が捌けるわけがないではないか。
自分に良くしてくれたから人が死ぬと悲しいわけではない。好きだから悲しいのだ。論理的であったり客観的であったりする理由は、後から適当に見繕って言っているに過ぎない。感情は、感情によってしか制御できないものだ。溢れる感情をもてあまし、気が狂ってしまうに決まって居るではないか。
猿でさえ、我が子を奪われれば腸がズタズタになる程に悲しんで絶命するというのに。人であれば、それ以上の悲しみが襲ってくるだろう。それを、泣かずにどうやって整理するというのだ。
間違いなく、教経様は死んでしまう。精神的に。
それで天下を平定したとして、その天下になんの意味があるのだ。教経様が、『平教経』としてそれを為さない限り、意味がない。
いや、民達にとっては意味あるものだろう。
だが、私達にとって、教経様が『平教経』として創り出した、あの優しく、稚気が旺盛すぎ、少し幼い所のある『平教経』が創り出した世の中でないと、意味がない。
自分を犠牲にする、それは立派な心がけだろう。だが、そんなものは私達には必要ない。私達は、教経様であればこそ従ったのだ。彼であればこそ。強さと弱さが同居する彼であればこそ。己の弱さを素直に認めることが出来る、弱くも強い彼であればこそ。
有り体に言えば、嫌だ。そんなものはいらない。嫌だ。嫌なのだ。とにかく嫌なのだ。犠牲になんてなって欲しくない。傲岸不遜で不敵な、そんな人間を演じたい、偽悪趣味を持ったこの愛すべき善人が居なくなってしまうなんて嫌だ。
教経様の『夢』の為にこそ、私は自分の武を奮いたい。
間違っていたのだ。そうではなかったのだ。
『教経様』の夢の為にこそ、私は自分の武を奮いたいのだ。
「教経様。教経様は間違っておられます」
「……何が間違っている!俺のせいで!俺の夢の為に皆死んでいく!そんな奴らの為に俺が出来ることが他に何かあるのかよ!」
「教経様!教経様が死んでいった者達のことを想ってそのような結論を出されたことは分かります!分かりますが、では生きている者達はどうなるのです!」
「……生きている者達?」
「そうです!教経様。星や稟、風、そして私。付き従ってくれている兵達。教経様が教経様で無くなってしまった時、生きている私達は、残される私達は一体どうすれば良いのです!」
「天下を統一する。その目的も、理由も何も変わらないだろうが!俺の夢の為に、従ってくれているのだろうが!それが為し得るなら、この際俺がどう変わろうがどうだって良いだろうが!」
「貴方が!貴方が貴方でなくなって、それで天下を統一すれば皆が喜んでくれるとでも思っているのですか!私は嫌です!星にしても稟にしても、今自分の陣屋で泣いている風にしても!絶対に嫌だと言うことでしょう!」
「……」
「貴方は自分のせいで消えていく命のことしか考えておりません!貴方が夢を抱いて行ってきたことで確かに救われた人間が居るのです!私は、只の武侠でしかなかった。貴方が夢を私に語り、共に歩もうと、そう言ってくださった事でこの世に救いを見出すことが出来たのです!この世の中をより良いものに変える為に、自分の力を奮うことが出来る。ただ目の前の者を救うのではなく、貴方と共に歩むことで自分にも世を変えるが出来る。そう思わせてくれたのは貴方なのです!」
私は、泣いてしまっている。
教経様の顔が歪んで良く見えない。
「貴方が貴方であればこそ、皆希望を胸に今日を生き、明日を闘う事が出来るのです!その貴方が!その貴方が変わってしまって、それでも闘っていけと!そう仰るのですか!」
「……愛紗……」
「私は嫌です!教経様、貴方が貴方で居てくれることが、どれ程今を生きる人々に希望を与えてくれることか!いや、言ってしまえば他の者などどうでもいいのです!死んでいった者達のことを考える前に、何故私達のことを考えて下さらないのです!?」
「……愛紗、もういい」
「良くありません!何故!何故貴方は!貴方は……」
そう言って、私は泣き崩れてしまった。
〜教経 Side〜
愛紗が、泣いている。
もうずっと泣き続けている。
……俺は、死んでいった者達のことしか考えていなかった。
星、稟、風、愛紗、ダンクーガ。兵達。
太原で懸命に生きている人たち。
彼らは、俺の夢を信じてくれている。
彼らは、今のこのどうしようもない俺の事を信じて、俺の夢に希望を見いだしている。
そんなことが、考えられなかった。
分かっていたはずの事じゃないか。
自由気ままに、気の向くままに。それが俺らしい。
星は、そう言ってくれたじゃないか。
稟も風も、そういう俺が好きだと言ってくれたんじゃないか。
俺が俺のままであって欲しい。
愛紗も、そう言って泣いているじゃないか。
俺は何をやってるんだ。
死んでいった者達は、今生きて俺を信じて付いてきてくれている人間と同じように、俺の事を信じてくれていたんじゃないか。それを悲しんで俺が変わってしまうってのは、彼らを犬死にさせたのと同じ事じゃないか。俺の為に死んだのに、俺が俺じゃなくなるなんて。
その事を、考えられなかった。
その結果が、これだ。
愛紗を泣かせ、そして、どうやら風も泣かせているらしい。
愛紗の肩に、そっと手を置く。
「……愛紗。俺が間違っていたみたいだ」
「……教経様……」
「すまんな、愛紗。世話を掛けちまった」
「……」
「変わっちまったら駄目だったんだな。この碌でもない俺のままでないと駄目だったんだな」
「……そうです」
「俺が未熟で、愛紗に世話掛けるのは、これで二回目か」
「……そうです」
「……もう泣き止んでくれよ、愛紗」
「……無理です」
「俺は俺として、俺のままで生きていく。そう言ってるンだよ、愛紗」
「……分かっています」
「なら、どうしてそんなに泣いているんだ。もう、泣くことはないだろうに」
「……嬉しいのです」
「……」
「……貴方が、貴方として生きていくと言ってくれたことが嬉しいのです」
「……愛紗……」
「……風も、泣いていますよ」
「分かってるさ。迎えに行こう、愛紗」
「……はい」
俺は、俺として、俺のままで生きていく。
それが、死んでいった者達に、ただ唯一の俺が出来ること。
それが、俺が風と愛紗に迷惑を掛けながら、漸く出す事が出来た結論だった。