〜教経 Side〜
馬鹿の巣から帰って来た俺たちは、軍議を開いた。
「さて、風。基本方針は?」
「はい〜。如何に手を抜いて勝つか、に焦点を合わせるべきかと〜」
……風は気付いているな。俺の目論見に。
「風、どういう事だ?」
「愛紗ちゃん、よく考えて下さいね〜。なぜ、袁紹さんはお兄さんに助力するようにお手紙を出したのでしょうか〜?」
そうそう、それが問題なんだよねぇ。
隣に居るから、ということなら、劉虞だってそうだろうし、公孫賛だってそうだろう。
その中から、戦力の詳細が不明である俺たちに白羽の矢を立てたのだ。
しかも、俺たち『だけ』に。
「?教経様が天の御使いであり、その軍勢は正に騎虎の勢いがある。それを頼みにした、ということではないのか?」
「違いますね〜では、お兄さんはどう思いますか?」
「……まぁ、俺たちの軍勢がどの程度のものか、目の前で闘わせて見物してみたいってのが正解なんだろうさ」
だから目の届かないだろう山中に駐屯して、戦いっぷりがよく見えないようにしようとしているのさ。
「流石はお兄さんなのですよ。風もそれに違いないと思うのです」
「……成る程、そういうことでしたか。では、袁紹のあの言動は、全てこちらを試す為のもの、ということでしょうか」
「愛紗、残念でも何でもないが、アレはただの馬鹿だ。周囲のものは優秀なようだがな」
「そ、そうですか」
愛紗、真面目だねぇ。でも、真面目すぎると足下掬われちまうぜ?
俺みたいな不真面目な人間に。
「で、どう手を抜く?」
「簡単なのですよ〜お兄さんや愛紗ちゃんが先頭に立つのではなく、先ず兵隊さん達だけで敵軍を食い止め、その後でお兄さんと愛紗ちゃんが動くようにすれば、普段我が軍が見せている実力の半分も見せていないことになるでしょうから」
確かにそうだろうが、それだと……
「風、それだと人死にが多く出るんじゃないかね?」
「はい〜そうですね〜」
「……風、その策は」
「お兄さん」
風が、厳しい声を出す。
珍しい事もあったモンだ。
「お兄さんはいつも自分が居る状況で全ての戦が行われると思いますか?」
「……いんや」
「であれば、今から少しずつでもその事に慣れておかなければならないのですよ」
「……」
「現状、我が軍はお兄さんに対する依存度が高すぎると思うのですよ。戦力的な意味ではなく、心理的な意味で。お兄さんが居ることで士気が揚がるのは良いことだと思いますが、お兄さんが居ないと話にならないようでは困るのですよ」
「……はぁ。それは分かっちゃいるが、な」
「納得は出来ない、ですか。教経様?」
「そりゃそうだろう。特に先手には、太原での初陣からずっと一緒にやってきてる奴らが居るンだ。気になるのが人の情というモンじゃないかね?」
「お兄さん、お兄さんのその優しさはお兄さんの美点ですが、度が過ぎればそれは弱点にしかなり得ないものなのですよ。あと、少し厳しい言い方をしますが、お兄さんは思い上がっていると思うのですよ。自分が居れば何とかなると思っていませんか?」
……まぁ、思ってるな。確かに、思い上がりだろう。
星の事を言ってられない、か。
「……風、有り難う。俺は思い上がっていたらしい。これからも、至らないところがあれば是非諌言してくれ。必ず耳を傾けるから。……今回は、風に任せるよ」
「分かって頂ければ良いのですよ、お兄さん」
そう言って、嬉しそうに笑う。
……敵わないなぁ。
「では、風。兵達だけで敵軍を食い止めた後、どうする?」
そう愛紗が問う。
「先ず様子を見なければなりませんが、賊さんは袁紹軍の縦深陣を前にして、全軍で突入するほどお馬鹿ではないと思うのです。黒山賊は、その辺りにいるお馬鹿さんと同列に見ない方が良いと思います。敵将は、必ず様子を見ようとするはずなのです。自らは戦闘に参加せずに」
「……敵将の位置を掴み、それを討ち果たすべく行動する。そういうことか」
今のでその結論をはじき出せるのか。
やっぱり関雲長は伊達じゃない。
「そうです。それを愛紗ちゃんにやって貰います」
「任せて貰おう。この青龍偃月刀に誓って敵将の首を挙げて見せよう」
「じゃぁ、俺はその辺で補助に廻って戦線を維持するって事だな」
「そういうことです」
「では、この方針で行こう。開戦まで、暫く時間がある。兵に休息を取らせておこう。後飯も」
「承知致しました〜」
「はっ、畏まりました」
兵の皆には、正念場になるだろう。何せ、俺が先頭に立って居ない状況での初めての戦になる。しかも、敵の方が多勢と来ている。全ての敵兵がこちらに向かってくるわけではないが、受ける威圧感は相当なものがあるだろう。
……死なせずに済ませることが出来るはずの人間を、それと分かっていながら死なせる、か。
風や愛紗が戦の準備をしている間、俺はずっとその事だけを考えていた。
〜風 Side〜
黒山賊と袁紹軍が山麓で激しく押し合っています。
開戦から既に2刻。袁紹軍は流石に地力があるようで、寄せてくる黒山賊をしっかりと跳ね返しています。
平家軍は、先手がまだまだ元気です。
「まだまだぁ!テメェら!殺ぁぁぁってやるぜ!」
「「「「「OK!忍!」」」」」
……いつも通り、暑苦しいのです。
随分と苦戦をするだろう。そう思っていたのですが、断空我さんの威勢に周囲の兵が引き摺られ、思いも寄らぬ健闘をしています。このまま戦線を維持することが出来れば、焦れた敵総大将が必ず動いてくると思うのです。……兵数の少ないこちら側へ。それまで、耐えて貰わなくてはなりません。
敵の総大将は、まだ焦れないのでしょうか。
ちなみに、平家軍の総大将は、既に焦れるどころの話では無くなっています。
防衛線を突破しようとちょっとした突撃祭り中なのです。
「そこを退けろ、愛紗。ちょっとそこまで散歩に行って、そこら中に溢れかえってる生ゴミをお片付けしてくるだけだ。なぁに、すぐ戻る。ほんの1刻もあれば綺麗になるだろうさ」
「教経様、駄目だと何度も申し上げているではありませんか」
「愛紗、こう考えるとなんの問題も無いじゃねぇか。俺は思い出作りに行ってくるだけなンだよ」
「……どのような思い出ですか?」
「彼岸花のような、鮮やかな朱の華がそこら中に咲いた、美しい思い出だねぇ」
「なんの問題も無いどころか問題しかありません!とにかく落ち着いて下さい!」
通常であれば、こちらの防衛線はもう突破されてしまっていたことでしょう。が、今お兄さんの前にいるのは『鉄の女』の異名をとる愛紗ちゃんです。その異名に相応しい鉄壁ぶりでお兄さんを押さえ込んでいます。ですが、戦場でのお兄さんは色々とぶっ飛んだ人になってしまうので、そろそろ突破されてしまうかも知れないのです。
「む〜、愛紗ちゃん」
「風、教経様がそろそろ押さえられなくなりそうなのだが」
「愛紗ちゃん、ちょっと外に出て貰っても良いですか?お兄さんに説教をするので」
「?分かったが……大丈夫なのか?」
「大丈夫なのですよ〜その辺りを巡回して、兵を励ましてきてあげて下さいね〜」
「?分かった」
愛紗ちゃんはよく分かっていないようですがそれでも外に出て行ってくれました。
「風、俺はそろそろ前線に出るぞ?」
「はいはい、お兄さん、その前にこっちを向いて下さいね〜」
そういって、お兄さんに口吻します。
「っ」
「ん……ふぅ。お兄さん、落ち着きましたか?」
「……あぁ」
「前線に出ますか?」
「……いんや、止めとくよ」
「それならいいのですよ」
愛紗ちゃんがどこまで行ったのか分かりませんが、お兄さんが次に我慢できなくなるまでに帰って来てくれれば問題無いのですよ。
〜愛紗 Side〜
風に言われて、本陣の陣屋を出る。
本当に、大丈夫なのだろうか。きちんと押さえられるのだろうか。
でもまぁ、大丈夫なのだろう。風が断言する、ということは、勝算あってのことだから。
それにしても。
教経様がああまで好戦的になるとは思わなかった。
本当に、大変だ。あの方は常に前線で戦ってきたと星が言っていた。だから、皆が闘っている今戦場に自分が居ないことに我慢出来なくなったのだろう。
今回、漸く留守ではなく教経様と共に戦陣に望むことができた。
共に立つ初めての戦陣。ここで、負けるわけにはいかない。
眼前で繰り広げられる攻防。皆、必死に闘っている。
敵の総大将は、何をしているのか。まだこちらに寄せてこないのか。
そう思って戦場を眺めていると、『張』の旗が上がり、その旗が急速にこちらに近づいてきていた。
来たのだ。
まず、本陣に戻らなければ。
本陣に戻ると、陣屋の外で、先程までの異常な興奮状態から醒めた教経様が、戦場を眺めておられた。
「教経様。敵総大将がこちらに向かって参りました」
「そうだねぇ」
そう言って、悠然と戦場を眺めておられる。
総大将が悠然と構えていることがこれ程に心強いと感じるとは。
「愛紗、これからが本番だ。平家に関雲長があることを思い知らせてやらないとなぁ」
「……はい」
「……愛紗、ちっとこっち来い」
「はっ」
教経様の側まで行くと、前から私の両肩を掴み、のぞき込んでくる。
「……愛紗、緊張しているのか?」
私が緊張していることが分かったからか、そう声を掛けてくる。
「……恐らく、そうだと思います」
躰が強ばっている。それが、分かる。
私にとって、これは初めての大規模な戦だ。
何も変わりはしないと思っていたが、そんなことはないと実感している。
「……ふむ。『鉄の女』も形無しだねぇ」
「なっ!」
「可愛い顔をしているのに、普段ああもツンツンしているからそんな渾名を付けられちまうンだよ、愛紗」
「教経様!何を言っておられるのですか、このような時に!」
「もっとこう、俺にしな垂れ掛かってくるとかしてくれると嬉しいんだけどなぁ?」
そう言いながら、私の手を取る。
「の、教経様!」
「愛紗は自分に自信を持った方が良いぜ?」
「えっ」
「折角そんなに良い乳、良い尻、良いふとももをしているのだから」
……ほう。
「……教経様、たっぷりとお話をする必要があるようですね?」
「いやぁ、良い笑顔だねぇ、愛紗。じゃぁ俺はそろそろ前線に行かなきゃ行けない時間だからお暇させて頂きますのことよ。あ〜ほっほっほ」
「しっかり反省して頂きましょう!」
「ご反省頂けましたか?」
「……はい」
「ああいったことを二度と言いませんね?」
「だが断る」
「……二度と言いませんね?」
「はい!不肖この平教経、お言葉しっかりとこの胸に刻みまして御座います!」
……はぁ。本当にこの人は仕方のない人だ。
「で、愛紗」
「まだ何かご用ですか?」
「緊張、解れたか?」
……あ。
「……その様子だと、解れたみたいだな」
「教経様……」
「まぁ、殴られ損にならなくて良かったよ。はは」
「申し訳ありません。教経様」
「ありがとう、だろ?愛紗」
「……有り難う御座います。教経様」
「あいよ、どう致しまして」
私が緊張していることを知ってあのように心にもないことを仰って私を怒らせ、私の緊張を解そうとなされるとは。……本当にこの人は仕方のないお人だ。
「じゃぁ、愛紗。屑の親玉、とっとと首にして俺ンとこに持ってこい」
そう言って不敵に笑う。
ただ、教経様。そのように腫れたお顔では締まるところも締まりませんよ?
そう思って少し笑ってしまう。
……麾下の騎兵達と共に前線の賊共を蹴散らして賊将を前線に引き寄せた後、馬を駆って敵将に向かう。それが現状望める最も確率の高い策だろう。
そう思い、一度偃月刀を振る。
……全身全霊をかけて事に当たるのだ。
教経様のご要望通り、敵将を首とする為に。