〜稟 Side〜
「風、本当に行くのですか?」
「当然ですよ〜稟ちゃん。お兄さんが心変わりしないうちに、こういうことはさっさと済ませなければならないのです。お兄さんも、まさか今日いきなり来るなんて思っていないはずなのです。兵を以てするに敵の虚を撃つべし。これ兵法の基本なり。ですよ」
風から、教経殿の寝所に行く、と言われた時、いくら何でも早すぎる、と思いました。
しかし、風が一人で行く、と言った時、私一人だけ残されるのは嫌だ、という感情があり、また、私一人だけで教経殿の寝所を訪ねるなど到底出来そうにもないということに気がついて、風に同行することにしました……しましたが。教経殿の寝所の前まで来て、拒絶されたらどうしようかという不安が湧き起こり。
「稟ちゃん、ここまで来て怖じ気づいたのですか〜」
「そ、そんなことは」
「あるみたいですね〜」
「うぅ」
「稟ちゃん、お兄さんの言葉、覚えていないのですか?お兄さんは、稟ちゃんのことを好きだと言っていたのですよ?」
「そ、それは分かっていますが」
「であれば、心配はないのですよ」
……風は緊張しないのだろうか。
そう思って風を見るが、普段と変わりないように見える。
「お兄さん、入りますよ〜」
あ。
……行ってしまった。
私だけ残されるのは嫌です。付いていくしかないのでしょう。
「失礼します、教経殿」
そういって寝所に入ります。
「お、いらっしゃい」
教経殿は、いつも通りな様子で私達を迎え入れてくれました。
……着流しの掛け合わせが崩れ、胸板がはっきりと見えています。
「どうした、二人とも。二人が揃ってくるなんて、何か重大な相談事でもあるのか?」
「何よりも重要なことについてお話があるのですよ」
「そりゃ大事だな。水用意するから適当に座ってくれ」
「はい」
湯飲みを出しながら、教経殿が問いかけてくる。
「んで、なんの話だ?」
「いやらしいことについてですね〜」
……風、そんなあっさりと。
あ、教経殿が湯飲みを落とした。
「……いま、なんと?」
「ですから、いやらしいことについてですね〜」
教経殿は固まっているようだ。
風、その剛速球は流石に打ち返せないと思うのですが。
「お兄さん、風はお兄さんにきちんと『平等にしてもらう』と言いましたよね〜」
「いやいや確かにそう言っていたけども」
「それに、お兄さんは『わかった』と言ったのですよ」
「その前に何か付いてただろうが、こう、葛藤してますよ〜的なものが」
「それはこの際どうでもいいのですよ」
「……はぁ……」
風、このままでは話が進みませんよ。
「教経殿」
「ん」
「その、教経殿は、わ、私達とはそのようなことはしたくない、ということでしょうか」
「おぉ、稟ちゃん、大胆ですね〜」
「……いや、その、そういう訳じゃないけど」
「ふむ、お兄さんは性欲魔人ですからね〜」
「人聞きの悪いことを言うな!」
これで風は照れているのでしょうね。
「では、何が教経殿をそう躊躇させているのでしょうか」
「……その、何だ。これでそういうことをすると、少し軽薄すぎやしないかね、俺は?」
「大丈夫ですよお兄さん、お兄さんが軽薄なのは今に始まったことではないじゃないですか」
……風、それは逆効果だと思います。
「軽い気持ちで好きだと答えたのですか?教経殿は」
「そんなことはないよ、稟」
そういって真剣な面持ちで私をじっと見つめてくる。
……恥ずかしい。
「むむむ、我糸口を見つけたり。稟ちゃんの伝家の宝刀が今、お兄さんを滅多切りにしているのですよ」
「……いや、待てよ俺、我慢だ、我慢。我慢するんだ。俺はやれば出来る子のはずだ。うんうんそうそう、我慢我慢……萌えるねぇ、俺は眼鏡属性持ちなんだよねぇ。麦茶が好きなんだよねぇ……いやいや、違うだろ俺、そうじゃないだろ俺。まだだ、まだ慌てるような時間じゃない。ここは我慢だ……120%中の120%……いやいやいや……」
いつの間にか眼鏡を触っていたようです。
教経殿はなにやらぶつぶつと仰っては葛藤しておられるようですが、ここが勝負所なのは分かりました。ここまで来たら、恥ずかしいも何もあったものではないでしょう。
「教経殿……お嫌なら突き飛ばして下さい」
そう言って、顔を近づける。
教経殿は……そのまま、私に口づけをされた。
「お兄さん、平等にしなければならないのですよ」
そういって風も教経殿に口づけをする。
少々の沈黙。
「……負けだな、負け。俺の負けだよ」
「嫌々ですか?」
「いいや。んなこたぁない。……駄目だな。俺ぁ自分がこんないい加減な人間だとは思わなかったけど。でもまぁ、仕方ないだろ。これが現実だ。認めざるを得ない、な」
苦く笑った教経殿は、私達二人を連れて寝台に移動した。
「俺は二人も好きみたいだ」
そう言って、抱きしめてくれた。
〜星 Side〜
「すまん、この通りだ」
主が寝台の横で、土下座している。
聞けば、風と稟を抱いたのだそうだ。確かに、主の寵を一身に受けることが出来ないことは残念ではあるが、私達三人はお互いが抱いている感情に気がついていたのだ。こうなるであろう事も、何となく想像はしていた。私とて、同じ立場になったら同じ事をしただろう。そもそも、これ程の男に惹かれない女があるだろうか。気宇は大きく、志操を持ち、なにより、心根が優しい人なのだ。口調はともかくとして。美しい花に蝶が集まってくるのは、致し方のないことだろう。が、主をからかうのは面白いのでからかうことにする。
「……主、あの夜、この星に言った言葉は皆嘘だったのですか……?」
そう、涙を浮かべたふりをして主に言ってみる。
「いや、そんなことはない。そんなことはないが……その……」
「……うぅ……酷い……」
「とにかく済まん。本当に済まん。その、なんと言ったらいいのか、なんと言うべきか……」
主は何とも珍妙な顔をしている。浮気をした亭主を嬲る、というのはこういうものかな。
ククッこれだから止められないのだ、主遊びは。
「……何故私を裏切ったのですか……?」
「あぁ、いや、裏切ったつもりは……いや、裏切ったことになるのか、そうだよな……済まん、星。この通りだ。謝ってどうにかなる問題でもないし、その、これからの事を考えてもその、あ〜、なんて言えばいいんだよ……星のこと、ちゃんと好きなんだよ、でも、二人も、その、好きというか、あぁ〜、とにかく済まん。本当に申し訳ない。その、あ〜……」
……駄目だ、限界だ。
「……ぷっ」
「ぷ?」
「あはははは、主、そのように面白い顔をなされるものではありませんぞ」
「……星?」
「主、この星は主を束縛するような、器の小さな女ではありませんぞ?」
見れば主は、唖然とした顔をしている。
なんともまぁ、この主は面白い顔をするものだ。
「それに主が二人を憎からず思っておったのは、気がついておりましたしな」
「……まぢで?」
「まぢで、とは?」
「あ〜……本当に?」
「ええ、本当に」
「……俺自身、考えさせられるまではっきりとした感情には気がつかなかったんだが?」
「私が気がついたのは、主の寵を受けてから、ですな」
私に対する接し方と、二人に対する接し方。大して変わりがなかったのだ。当然、二人にも私に対する感情と同じ感情を持っていると気付く。
「それにしても……はぁ……焦らせないでくれ、星」
「……主、いい気はしない事は間違いないのですぞ?」
「……すいません」
「平等に、と風が言ったのでしょう?」
「……なんでわかんだ、そんなこと」
主が驚いた顔をしている。それは分かる。風達が口吻した時に、正しくその論法で主を逃げられないようにして、見事に口吻為果せたのだから。
「さて、いい女というものは好きな男のことは大概見通せるものなのですぞ、主?」
そういうと、主は少し青い顔をしていた。
ふふっ、これくらいの意趣返しはさせて頂いても構いませぬよなぁ、主。
「まぁ、宜しい。主の寵を受ける蝶の中で、一番の蝶になれば良いだけですからな」
「……星」
「そう気に病まずとも、宜しいのですよ。自由気ままに、気の向くままに。さながら空に浮かぶ雲のように、己のやりたいことをやりたいようにやりたい時にやる。その方が貴方らしいのですから」
「……やれやれ、星には敵いそうにないな」
そういって、主は苦笑いをする。
どうやら、気持ちに整理が付いて普段通りの主に戻れたようだ。
……そう、その方が貴方らしいのですよ、教経様。
私が、私達が好きになったのは、そのような貴方なのですから。