〜教経 Side〜

楽平郡での一戦から、二月経過した。

『楽平郡にて天の御使いと天兵が賊を屠る』

こんな恥ずかしい流言が、今そこかしこを飛び交っている。
かなり恥ずかしい。俺は見せ物じゃないんだ。耐えられんぞこんなの。俺を見つけてはキャーキャーキャーキャー言ってくるが、俺はパンダじゃない。勿論、キリンさんでも象さんでもない。

ただ、この恥ずかしい風評のおかげで、募兵も集金もしやすくなったと稟が言っていた。まぁ、御輿になった時点である程度こうなるのは分かってたから仕方がないと思って諦めることにする。但し、ある程度だ。耐えられなくなったら俺が性格破綻者だって事を見せつけてやるさ。

ただいまの俺は絶賛政務中だ。

目下の問題は、そろそろ根拠地が手狭になってきてることだ。
一度本格的に拡張工事をしなけりゃならない。
が、俺たちにはまだそんな途方もない金を捻出できるほど懐に余裕がない。カツカツだ。

どうにもならないことを考えても仕方がない。次。

流民の流入が増えており、彼らによって治安がやや低下する傾向にある、か。
治安低下の原因は、さしあたって生きていくのに十分な金や食料が手に入らないからだろうな。だが、公共事業的な張り紙はこれ以上無いほど既に貼ってる。
そうなると、どうするかな。
町の郊外で屯田でもさせるか。金のない奴ら集めて屯田の名目で町から一旦追い出す。帰ってくる頃には自分が耕した土地で喰っていけるようになってるからそんな問題も起こさないだろう。

これで行ってみようか。次。

なになに、目通りを希望する人間が居る?
へぇ、物好きな奴が居るな。阿呆か。ここは動物園じゃないんだよ。
え〜、名前は……げぇ!?関羽!?
何しに来たんだ、この神様は。
一人か?そうか、一人か。

……劉備とか張飛とかと一緒に行動してない時期か?塩の密売やってたとかなんとかいう話があったような……張飛だっけ?でもあれは肉屋だった気が……まぁ、いいや。

「なぁ、風」
「どうかしましたか〜お兄さん」
「この、関羽っての、男だよな?」
「いいえ〜女性でしたよ〜お兄さん」

女の関羽かぁ、まさかとは思うけど、『強い』って書いて『こわい』って読むような、岡本綾子的な顔してないよな?



















〜愛紗 Side〜

私は、姓は関、名は羽、字は雲長、真名は愛紗。
巷で『黒髪の山賊狩り』として多少は名前が通っている武芸者だ。
今の世を憂い、悪を正し、正義を打ち立てて再び安寧な世にしたい。
その為に、己が出来ることとして山賊共を討伐してきた。

常山の賊の規模が拡大している。
そう人から聞いて、常山へ行くべく旅をしていると、常山に近づくにつれ、多くの人が同じ噂を口にしていた。

『楽平郡にて天の御使いと天兵が賊を屠る』

これを聞いて、私は目が醒める思いがした。

『天の御使い』
予言によれば、この天下に安寧をもたらすもの。それが遂に顕れたのだ。
私一人では叶わないであろう大規模な賊共の討伐を、その者は一軍を組織して行ったらしい。

聞けば、天の御使いは并州・太原郡の太守となっており、そこを拠点に賊共を討伐しているという。武も智も有する、正に英雄と呼ぶにふさわしい人物であり、特にその武勇は、この世に冠たるものがある。そう聞いている。我が武を預けるに足るかどうかは分からぬが、一度訪いを入れてみるとしよう。叶うなら、その武技を見てみたいものだ。
























〜教経 Side〜

「御遣い殿、この度はお目通りをお許し頂き、誠にありがとうございます」

目の前の綺麗な姉ちゃんが、そう言ってこちらを見上げてくる。
こちらに歩いてくる時から遠目に見ていたが、本当に良い躰してるよね。
乳、尻、ふともも。乳、尻、ふともも。
井戸に向かって何度も叫ばないと劣情が押さえられ無くなるかも知れないねぇ。

だが、一番俺の興味を引いているのは、そんな事じゃない。
確かに良い乳。良い尻。良いふとももしてる。大事なことだから何度も言うぜ?
腕も女性らしくか細いし、足も細い。
だがそんな躰してるくせに、持ってる威圧感というか、なんというか。とにかく、思わず斬りつけてみたくなっちまう程の良い武人の雰囲気を持ってるってことだ。

関雲長は伊達じゃないって感じだ。フィンファンネル的に考えて。

「いや、こちらこそなかなかいいモンが見れた。礼を言うよ」
「はぁ」
「で、関羽。太原くんだりまで態々何をしに来たんだね?」
「……御遣い殿にお会いしてみたく、やって参りました」

なぁにがお会いしてみたく、だ。いきなり殺気浴びせてくんじゃねぇよ。まぁ、糞爺とトントンってところだな。量的には。質的には糞爺の方が容赦ないと思うが。まぁ、トラウマになってるからどうしても糞爺のほうが怖ぇと思っちまうんだがねぇ。

星が即座に反応して槍を出せるようにしている。

「星、黙って見てろ。……へぇ。そいつは少し不足してるだろ?ただの御遣い見物なら、そんなに殺気飛ばして俺を試そうとはしないと思うんだがね?」
「……殺気を浴びている、とおわかりになっておられるので?」
「たりめぇだ。俺ぁそういう環境で育てられたんだからよ」
「この殺気を浴びても何ともない、と?」
「あぁ、涼しい風が吹いてる程度だろ」
「……失礼ながら御遣い殿。御遣い殿は自分の武技に自信がおありか?」
「あぁ、有るよ。お前さんを打ち倒せると思う程度には、ね」

そう言って嗤ってやる。
おお、食いついてきたねぇ。期待通りの反応だ。怒った顔も可愛いもんだねぇ。

「御遣い殿、宜しければ私と手合わせをお願い致したい」

俺の望み通り、関羽と戦えそうだな。





















〜愛紗 Side〜

駄目で元々、と御遣い殿が居られる町で面会を希望してみると、御遣い殿が会ってくれるという。面会まで時間があったので、町で御遣い殿の情報を集めてみた。

「あぁ?御遣いの大将の武勇?」
「……そうだ、何かご存じであれば、教えて頂けないだろうか」

なんということだろう。御遣い殿に対してぞんざいな口をきいている。この男は少々礼儀がなっていないようだ。

「そうだなぁ。多分大将は人間じゃないと思う」
「……は?」
「だから、人間じゃないと思う」

……なんなんだその答えは……

「……なぜ貴殿がそのような意見を持つに至ったか、教えて頂きたいのだが」
「この間賊を討伐しに行った時、大将が賊の親玉の首を刎ねて殺したんだがそんとき大将がこう、ぱっと消えて、気がついたら首を刎ね飛ばしてた。あんなこと、人間じゃ出来ねぇと思う」

……消えるとはなんだ……この男はひょっとして頭が……

「そ、そうか。忙しそうな所を済まなかったな」
「あぁ、別にかまわねぇよ」

疲れた。人が消えるなどとあり得ぬことを言う男だ。
そのまま、特にこれといった収穫がないまま、面会の時刻がやってきた。










御遣い殿に無礼ながら殺気を叩き付けたところ、全く反応しなかった。殺気に反応できない人間が、武勇に優れるなどあり得ない。噂とは存外当てにならぬものだと失望していた時、何故殺気を飛ばして来たのかと聞かれた。

殺気を浴びている、ということに気がついているのかと聞くと、気がついているという。
その上で、私の殺気を、涼風が吹いている様だと言った。

流石に慢心が過ぎるのではないか。その自信が過信でないか、試してみたい。

「……失礼ながら御遣い殿。御遣い殿は自分の武技に自信がおありか?」

そう尋ねる。

「あぁ、有るよ。お前さんを打ち倒せると思う程度には、ね」

慢心している。武芸において、私は人後に落ちぬ自信がある。それほどまでに言うので有れば是非向後の参考にさせて貰いたいものだ。出来るものなら、だが。

「御遣い殿、宜しければ私と手合わせをお願い致したい」

気がつけば、私はそう言っていた。





















〜教経 Side〜

立ち合うに当たって、互いに武器を選ぶ。
俺は木剣。関羽は長刀のようなもの。

「じゃぁ、いつでもいいぜ」
「……関雲長、参る!」

その掛け声と共に繰り出してきた右からの、つまり俺の左からの横薙ぎは、一見して当たればただでは済まないことが分かる。
いきなりご挨拶だねぇ。
自分が舐められていることが許せなかったのだろうが……お前さんの方でも俺のことを舐めてるみたいだねぇ。

「ほいっと」

一歩だけ、後ろに下がってこれを躱す。糞爺に仕込まれてる見切りの業は半端なもんじゃねぇんだよ、姉ちゃん。

「!」
「そんな意外だったか?だとしたら心外だねぇ」

そう言いながら、たった今薙いだばかりの、長刀を持っている左腕の付け根向かって突きを放つ。横薙ぎをする為に左足に重心を掛けてるンだ。そこを、俺の剣速で突く。まぁ、不可避の突きだろう。力的には加減をしてやるがな?

「うっ」
「ふん。関羽、甘く見てたみたいだな?油断大敵って奴だ」
「……確かにそうですな!」
「んなっ」

姉ちゃんは右腕で俺の服をひっつかみ、左足を払って地面に叩き付けようとしている。叩き付けられたら、そのまま押さえつけて首筋に長刀押しつけて終了って流れだな。そうなると……

引き手を切る動作で、自分の服を破るしかない、か。
おいおい、これこの間新調したばっかりの着流しなんだけど。勿体ないことさせんなよ。

「やりやがるな関羽!」

そう言って引き手を切ろうとする。が、姉ちゃんは俺を後ろに押し、引き手を離して長刀を両手で持っている。
あぁ、こりゃぁやばいな。

「そちらこそ、この私を見くびっておられたようですな!」

俺が突いてやった同じ箇所、左腕の付け根を午後は○○思いっきりテレビされた。いや、突かれた。滅茶苦茶痛てぇ。が、骨が折れないように手加減しやがったな、この女ぁ。


……良い度胸してんじゃねぇか、糞アマ。俺相手に手加減だぁ?あの鍛練を積んだ俺に、手加減。巫山戯てんじゃねぇぞ、コラ。俺はなぁ、剣に命掛けてんだよ。そんじょそこらの口ばっかり君と同程度に思われるなんざ、俺の矜持が許さねぇ。大体、糞爺に申し訳がたたねぇだろうが。

『もうお前には、これ以上、儂が伝え遺すべき何物もない』

そういって、ちっと寂しそうに正座してた、あの一瞬だけやたら弱々しく感じた、あの糞爺に。俺が舐められるってのは、糞爺が舐められてるのと同じだ。それは、それだけは、例え何があっても、絶対に受け入れることは出来ねぇ。俺が、俺だけが、爺さんの剣を正しく伝えられた、最期の弟子なのだから。

「糞アマ、覚悟は出来てるんだろうな」

こいつを叩きのめす。手加減せずに、全力で。
俺のお師匠に、地に這いつくばって土を噛ませて、詫びを入れさせてやる。





















〜星 Side〜

これはまずい。
はっきり、そう思う。

先程までは、互いに様子見だった。主の剣はあのように軽くはない。関羽と名乗った女の実力を計っていたのだろう。だが、関羽が主の左肩辺りを突いてから、主の様子が一変した。

主からは殺気しか感じられない。この辺り一帯には、殺気しかない。

女の突きが、手加減されていたものだった。
どうやらそれが、主の癇に触ったらしい。
主の顔は、私と最初に死合った時とは違い、無表情だ。それがより一層恐ろしさを増して印象づけている。目は、焦点が合っていないかような、それでいて全てを見通しているような、そんな目をしている。木剣を片手にだらりと持っているが、それで居て全く隙というものがない。どこにどう打ち込んでも、間違いなく打ち倒される。そう感じる。

思わず身構えるが、相手が私ではないことを思いだして躰の緊張を解く。
主は、恐らく瞬動を使うだろう。あの速度の中で本気で剣を振るえば、例え木剣と雖も無事では済まない。運と当たり所が余程に良ければ打撲。だが、間違いなくそれで済まそうと思っているような気配ではない。

気当たりが酷い。躰が、思うように動かない。
直接その殺気を向けられていない私で、この為体だ。あの関羽という女は、もっと酷いことだろう。主が彼女を殺さないように、横槍を入れなければならない。主の為に。

あの女が例え死んでしまおうと、別に私は構わない。主は故無くして人を殺すようなお方ではない。だからあの女を主が殺すなら、それは周囲はどうあれ主にとっては必要なことなのだろう。だが、面会に来た人間をさんざんに打ち据えたあげく殺した、とあっては主の不利益にしかなり得ない。それは、主の臣として避けるべく行動すべきだろう。例え、主の意志に反しても。

























〜愛紗 Side〜

目の前に、鬼が居る。
剣の、鬼が。

私の左肩を突いてきた。感じる力量からすると、ある程度手加減されていた。
……舐められている。それは、耐えられぬ屈辱だった。故に私も、手加減をしてやったのだ。どうだ、屈辱だろう?そう、得意げに思っていた。


その手加減が、この鬼を喚んだ。

怖い。そう思う。
隙だらけに見えるが、自分がどこにどう打ち込んでも、無残に殺される自分しか想像できない。

逃げ出したい。
武芸を修めて初めて、逃げ出すことを考える自分に気がつく。

駄目だ。逃げることは許されない。ましてやこの鬼に背中を向ければ、死有るのみ。
萎縮する全身に再び闘気を漲らせ、闘うべく構えをとる。

私は、こんな所で斃れる訳にはいかないのだ。
世を、正すのだ。その為に、私は生きてきたのだから。