〜稟 Side〜
教経殿から受けた命令をこなし、報告すべく移動する。。
報告すると言っても……まだ恥ずかしくて目をまともに合わせるのは無理そうだ。
その、自分から口吻をすることになるとは思ってもみなかった。
星と既に口吻したことを聞かされた時、目の前が真っ暗になった。
が。
それは星からしたことで教経殿からしたものではないということが風の誘導尋問によって判明し。
それならばと、風主導で私達二人がそれぞれ教経殿の口吻したのだ。
風曰く、平等にして頂かなくては困ります、ということで。
星は、何故か嬉々とした表情を浮かべて協力してくれた。
……教経殿は嫌がらなかった。それが少し嬉しかった。
考え事をしているうちに、教経殿の前まで来ていた。
「稟、ご苦労さん。で、首尾は?」
「はっ、こちらに取り纏めました」
そう言って調査結果を渡す。
「へぇ、よく調べてあるじゃないか、稟。常山との郡境付近の賊共についてだけで良いと言ったのに、ほぼ全域に渡っているな。……こいつはかなり価値がある資料になりそうだねぇ」
教経殿は面白そうに資料に目を通しながら、そう褒めてくれた。
役に立てたことが何より嬉しい。
「はっ」
「後は、風から情報を仕入れたらある程度青写真が描けるようになるだろう」
そう言って教経殿は私の方を見る。
……あのようなことをしたが、教経殿は私のことを嫌っていないのだろうか?
眼鏡を中指で押し上げながら、チラチラと教経殿の方を伺っていると、教経殿はいつも通りの『あの』顔で私の方をじっと見つめている。
どうやら、嫌われては居ないと思って良いようだ。
「お兄さん、お待たせしたのですよ〜」
風が部屋に入ってくる。
「おつかれさん、風。そっちはどうだった?」
「はい〜いろいろと情報を集めてみたのですよ〜。まず襲われている時期ですが重なった時期は全くありませんね〜。襲ってくる周期ですが、辺りの人たちに聞いたところでは40日前後、だと思われます〜。襲ってきた賊の規模はいつも同じくらいで、およそ500とのことでしたよ〜下回ることはあっても上回ることはなかった、とのことでした〜」
流石は風だ。教経殿は襲われている時期が重なっているかどうかについてのみ言及されていたが、襲撃間隔や襲撃参加人数については何も仰らなかった。伝え忘れていただけなのかそれとも風を試そうとしたのかは定かではないが、それらは間違いなく必要な情報だった。
「よく調べてくれたな、風」
「いえいえ〜お兄さんのためですから〜」
風は教経殿と普通に会話をしている。
……我が友人ながら、偶にその神経の図太さを疑ってしまう。
どれだけ図太いのか、と。
「これで絵図が描けそうだな」
教経殿が私が先程お渡しした資料に目を通しながら、地図を前に話し始める。
「先ず、隣接する2つの郡へ出稼ぎに来ると言うことは、常山、新興、楽平の3つの郡が接している、この辺りに賊共の根城があると考えて良いと思うんだが、さて、我が子房達はどう思う?」
我が子房。即ち張良。漢の高祖に天下を取らせしめた人物。
教経殿はそれになぞらえて、そう私達を呼ぶ。その期待には応えなければならない。風を見れば、真剣な表情で地図を見ている。風も同じ思いで居るのだろう。
今度こそは。
そう思って地図を見る。教経殿が指さしているのは、3つの郡が接している箇所にある、山岳の麓辺りだ。
……40日程度の間隔で、と言うことを考えると、その辺りが妥当だろう。
それ以上遠ければ略奪したもので愉しむ時間がさほど取れない。つまり、随分と物資を余した状態で再び略奪に行く、ということになる。それはあり得ないのではないか。
それ以上近ければ、襲撃は40日程度の間隔では済まないだろうし、何よりそこより国境に近い場所は平原だ。身を隠すようなものがない場所で集団生活をしているとは考えられない。
「教経殿が考えている通りだと思います」
「お兄さんの考えでまず間違いはないと思いますよ〜」
そう言うと教経殿は微笑む。
「で、襲撃人数が500、となると……こいつら、かな?」
教経殿が、略奪を行っている賊に目星を付けたようだ。
教経殿の横に立ち、資料を覗く。……多分、間違いないだろう。
全体で800名前後の賊。これに違いない。だが、教経殿は何故彼らに目を付けたのだろうか。
「教経殿、何故彼らだと?」
「……稟、自分たちの根城を空にして遠足に行く馬鹿は居ないだろうよ。ある程度食料や酒、金などが備蓄してあることを想定しているが、それを近隣の同業者達から守るためにはそれなりの抑止力が必要になってくる。つまりこの場合は兵数だ。襲撃に500名を供出して、かつ残りの人数で周辺にいる同業者に対する抑止力としての兵数を確保できそうな奴らを探したのさ。そうしたらこいつらしか居なかった。だからこいつらだと思った。……何か間違ったのか、俺は?」
非常に論理的だ。そして、それで間違いないだろう。
私と似たような思考によって同じ結論を出したようだ。
「いえ、私も教経殿と同じ理由で、彼らに間違いないと思います」
「稟と同じ理由か、それは嬉しいねぇ」
心底嬉しそうに、教経殿が私に笑いかける。
……この人は計算してこれをやっているんだろうか。
〜風 Side〜
「稟と同じ理由か、それは嬉しいねぇ」
お兄さんが稟ちゃんに微笑んでいます。
稟ちゃんは、あれが恥ずかしい時の癖でしょう。頬を軽く上気させながら、眼鏡を左手の中指で押し上げる動作を繰り返しています。
……お兄さんが喜んでいるようです。
稟ちゃんのあの伝家の宝刀は、お兄さんを滅多切りに出来るようです。
もし稟ちゃんが過度の妄想により鼻血を吹き出すという悪癖を持っていなかったらと思うとぞっとしますね〜
「で、風。次はどちらの郡が襲われるんだっけ?」
おぉ、風の番ですね〜。稟ちゃん、負けませんよ〜?
「最後に襲撃されたのは新興郡ですので、次は楽平郡になるでしょうね〜」
「ここら辺りから楽平郡へ、だな……」
お兄さんが考え込んでいます。
賊さん達がどの辺りの町を襲うのか、それを考えているのでしょう。
「遠足に行くのに往復で10日以上は掛けたくないだろうな。お楽しみの時間を確保しなきゃならんことから考えて。そうなるとここから……ここまでの町の内のどれか、ということになるのかな」
お兄さんが予想した町を見てます。
……町の外壁などを考えるとあり得ない町が入っていますね〜。
まぁ、お兄さんは地図しか見ていませんから仕方がないのでしょうけど。
「お兄さん、この町とこの町、あとこの町も対象に選ぶ必要はありませんよ〜」
「へぇ。また何で?」
「それらの町は外壁が強固で、官軍とは別に自警団が編成されているのですよ〜」
「成る程、それは襲う側からすると面倒だな」
「そういうことですね〜。ですので、対象となる町はこの町とこの町、あと、この町と、この町。この4つの町ということになりますね〜」
「……風、実はどの町が襲われる可能性が高いか、見当が付いているんじゃないのか?」
「ふふっ、そうですよ〜お兄さん」
「それはどこだ?」
「それは恐らく最も南にある町だと思うのですよ〜」
「根拠は?」
その町は、まだ1度も賊に襲われたことがない町。そして、調べた限りでは賊さん達は北から順番に町を襲っているのです。賊さん達がこの町まで来ることが億劫で最北の町に再度襲撃しに行くことも考えられますが、あの町にはもう略奪するほどの魅力ある物資は残されていませんでした。量的に。そのほかの町は最北の町以降に襲われている町。物資も、当然更に少ないはず。だから、恐らくこの町。
そうお兄さんに伝えます。
「理に適ってるな。それを採用しよう」
お兄さんがそう決断しました。
〜星 Side〜
「じゃぁ、星。今回の遠征には、兵をどれくらい連れて行くかね?」
漸く私にお鉢が回ってきたようだ。
「無論500、と言いたいところですが、出来れば1000、それが無理でもせめて800は引き連れて参りましょう」
「その心は?」
「……相手よりも多く兵を引き連れていけば、取り得る行動・選択肢というものにゆとりを作ることが叶いましょうからな」
「ん、流石星だ。将として間違いなくこの国で1,2を争う存在になれるよ」
はっきり言って、主に遇うまでは私は将としての責務というものについて全く考えたことがなかった。私の武技があれば大抵のことが出来る。そう思っていたし、実際に大抵のことは何とか出来ていた。
だが主は、先の賊との戦が始まる前に私にこう仰った。
『将として国で1,2を争う星』
この言葉を聞いた時、確かに嬉しかったが、只それだけの事だったのは主には内緒だ。
何せあの時の私は、自分が居れば問題なく戦に勝てると、何の裏打ちもないままに思い込んでいたのだから。だが、死体に埋もれた主を発見した時、そんなことはないのだということを思い知った。己の槍だけでは主は守れない。それを実感した。
戦が終わり、主が町の長老と話をしている時、稟や風を主は「我が子房」と言っていた。
彼女達が張良になぞらえられたことに最初は驚いていたものだが、彼女達を見ている内にその評価は妥当なものなのかも知れないと思えた。だから、私に対する評価も、ひょっとすると妥当なものなのではないか。私には将としての才能があるのではないか。その時初めてそう思った。
それから私は、皆に隠れて兵書に目を通してみた。
今まで目を通さなかったことが損失であると思えるようなことが書いてあった。
今の主からの問いに、以前の私なら迷い無く最大でも500で行くことを声高に主張しただろう。
だが、今は違う。戦というものは基本的に敵より多くの兵を集めた方が勝つ。それを覆す事に意義を見出していたがそれは敗亡への第一歩でしかないと思う。
兵数が少ない方が勝った例は有名だ。だが、それが有名になるのは、それが珍しいからだ。珍しい、すなわち、滅多にないということ。
……私から見て、以前の私は非常に危なっかしい。
『槍一本で立身出世』。大いに結構。それは今でも思う。
だが、身を立て、世に出た後に就く地位で求められるのは、まさしく将としての働きなのだ。
それを、全く考えたことがなかったのに、『立身出世』を望んでいたのだから。
その危なっかしい私を見て、主は国で1,2を争う将器があると言い、こう考えることが出来るように導いてくれた。巡り合わせが良かったのだと、本当に思う。
この人は私の何を見て、そう言いきることが出来たのだろうか。
やはり、人の上に立つ英傑というものは、そういう目が備わっているのだろうか。
……この人が見ている風景を、私も見てみたい。
この人の目には、今の世は、人は、どのように映っているのだろう。
「どうした、星。俺の顔になんか付いてるか?」
主の顔をじっと見ていると、そんなことを言ってくる。
主との距離がもっと近くなれば、この人が見ている風景を私も見ることが叶うのだろうか。
いい加減この距離を縮めたいものだ。そう切実に願っている自分が居た。