〜星 Side〜
「なぁ、星。……その、かなり眠いんだよ、俺ぁ……このまま少し寝ちまっていいか?」
「……構いませぬよ」
「なんかあったら……起こして……」
そう言って主は寝てしまった。
本当に人騒がせな主だ。死体の中に埋もれてしまっていた主を見つけた時、心の臓が止まってしまったのではないかと思うほどの衝撃を受けた。
思いを告げぬまま、何も叶えることが出来ぬままに、主を失う。
女としても、武人としても。
これほどに恐ろしいことはないとしみじみ思う。
そんな私の気持ちも知らず、主たるこの御仁は私の腕の中で気持ちよさそうに眠っている。
見ると左腕の矢傷が開き、まだ血が流れているようだ。
眠い、というのは失血しているが故なのかも知れない。応急処置にしかならないが、矢傷をきつく縛ってこれ以上失血しないようにする。主の躰を改めるが、大きな傷は他には無いようだ。
主を抱え直す。先程までの喧噪が嘘のように静かだ。
主の寝息が聞こえてくる。こうしてみると、本当に普通の、十人並みな顔立ちなのだが。惚れてしまうとは、出遭った時には思いもよらなかった……我ながら最悪な邂逅だったと思う。
出陣前の夜、主にからかわれたことをふと思い出す。
「いっそ、今唇を奪ってしまおうか」
そういう考えが湧いてくる。
そうすれば、もしこの先主と離れ離れになってしまうことがあったとしても、その思い出だけを頼みにずっと主のことを想い続けることが出来る。
我ながら女々しいことだと思うが、私は女だ、それがどうした。
周囲を見る。人はまばらだ。
私達を見ている人間は居ない。
……今ならば。
「……主……その、お慕い申し上げております……」
そう呟いて口吻を交わそうとしたその時。
「星ちゃん、抜け駆けは良くないですよ〜?」
そんな言葉と共に、真っ黒な風と稟が現れた。
〜稟 Side〜
東側の戦闘については、拍子抜けする位順調だった。
教経殿が南側へ移動された後も、賊共は我々を恐れてか積極的に攻め寄せてくることはなかった。
その後暫く防戦に明け暮れていたが、南側から星が、賊将の首を掲げて馬を趨らせてきた。
「敵将、討ち取ったり〜!」
……本当に絵になる。私や風では、ああはいかないだろう。
星を見た賊共は我先に逃げ出している。自分たちの大将の首が晒し者にされているのに実力で止めさせようともしない。
「風、追撃を行いますよ。二度とこの町に近づかないように、徹底的に」
流石に風は分かっているようで、殲滅戦ですね〜、といつも通り暢気な声で答えてくる。
口にした言葉は、暢気とはかけはなれたものですが。
「これ以上の追撃は無意味ですし、お兄さんの所へ行ってみましょう」
「ええ、そうしましょうか」
風の言葉に同意する。
追撃を止め、町へ戻り、南側へ移動する。
自分が考えていた以上に、南側の戦闘行動は激しかったようだ。
「郭嘉様、お疲れ様です!」
「ええ……少し良いでしょうか?」
「は、はい!」
「南側の兵が随分少ない……また、怪我人も多いように見受けられるのですが」
一見して分かる。策に穴があったのだ、と。
自分と風が、何かの要素を見逃していたはずだ。
「その、賊共が騎馬隊といって差し支えないほどの軍馬を揃えて来ていたのです」
「なっ」
その言葉は、正直に言って予想外だった。
賊が騎馬隊を作っている、とは思っていなかったのだ。
「状況は分かりました。教……御遣い様は?」
「ああ、御遣い様であれば、先程発見されました」
……発見された?
「発見された、とはどういうことですか?」
「そ、それが、戦の最中に御遣い様のお姿が見えなくなって……今南側郊外で趙雲様がお世話をして居られるはずです」
……説明になっていない。
そう思い、相手から更に情報を引き出すべく詰問しようとすると。
「稟ちゃん、何か嫌な予感がするのですよ〜。具体的に言うと、お兄さんと星ちゃんの関係絡みで」
風がそう言い、私の手を取って教経殿達がいると言われた郊外へ向かった。
目の前で星が教経殿を抱きかかえている。
それはまぁ、いいとしよう。問題は、口吻を交わそうとしているように見えることだ。
「星ちゃん、抜け駆けは良くないですよ〜?」
……風が真っ黒だ。
「さて、何のことかな?」
「……星ちゃん、一度はっきりさせておいた方が良いかもしれませんね〜」
「……何をかな?」
「……きっとお兄さんは風のことを一番大切に思ってくれていると思うのですよ〜?最初にお兄さんに信頼して頂いたのはこの風ですから〜」
「……それを言うなら、私は主と直接刃でお互いの存在を語り合った仲だ。男女の仲など及びもつかぬ、深いつながりを有しているわけだ。風には申し訳ないと思うが、主の心は私で占められていると思うぞ?」
……不毛な争いだ。
「……なら勝負ですね〜」
「……ほう、その勝負受けて立とうではないか」
「……星ちゃん、今星ちゃんはお兄さんを抱き抱えていますね〜。その状態で風と撃ち合って貰いましょう。これなら風でも星ちゃんに勝てるでしょうから〜」
「待て風、それでは主が……」
「問答無用〜」
「このっ!危ないだろう風!」
「星ちゃん、お兄さんが地面に投げ出されてますが」
「負けるわけにはいかんのだ!」
「チッ」
何という黒い風。
あ、教経殿が起き……た。
「……痛てぇなぁおい、お前ら、俺が寝てるのに何やってくれてんだ?ああ!?」
凄まじい殺気ですね。
どうやら教経殿は寝起きの機嫌が最悪なようです。
「いや、主、これは風が……」
「私は何も知りませんよ〜」
「……この!何とか言え!」
「私は知りませんよ〜」
走って逃げる風、追いかける星。
あの二人はどこまで走っていくつもりだろうか。
「はぁ、眠ぃんだよ……稟」
教経殿が手招きしている。先程の剣幕から考えて、逆らわない方が良さそうですね。
「なんでしょうか?」
「ちょっとこっち来て貰ってっと」
「ななななな何を!」
「これでいいや、お休み、稟」
「の、のの、教経殿!」
教経殿は私を抱き寄せると膝枕の状態を無理矢理作ってそこに寝転がった。
恥ずかしい……と、目を泳がせる。躰を見ると無数の傷がある。
左腕の矢傷は、応急処置が為されているが、かなり酷いことになっていることが伺える。
……それもこれも、全て軍師である私が賊の規模や構成などを甘く見通してしまっていたからだ。『国で五指に入る』と言われ、舞い上がっていたのだ、きっと。
その罰として、私自身ではなく教経殿が怪我をしたのではないか、そう思ってしまう。
あれだけ見込んで貰っていたのに。
あれだけ信頼して貰っていたのに。
私はその期待に応えることが出来なかった。
「……申し訳ありませんでした」
「……あぁ?何がだ」
「策が十全なものではありませんでした」
「いや、問題ないんじゃないかね?俺が居たから上手く行った。それも、稟の計算の内だろう?」
そう言うとこちらを見上げながらニヤリと笑う。
気を遣って下さっているのだろう。だが、有耶無耶にすることは出来ない。信賞必罰は武門の拠って立つところだ。これが正しく行われないと、国家も集団も規律が保てない。
「そういうわけにもいかないのです。私のせいで……」
「そんなことはないさ。決めたのは俺だ。俺のせいだ」
「違います。私は軍師なのです。見抜かなければならなかった。私は……」
私は……私は、軍師失格だ。
そう言いたかったが、教経殿に『お前は不要だ』と言われるのが怖くて言い出せない。
……必要として欲しい。他の誰でもない、この人に、私自身を必要として欲しい。
「待った」
怖くて泣きそうになっていると、教経殿が再び体を起こしてこちらに向き直る。
「いいか、稟。これは気を遣って言ってるわけじゃないからな。
どう考えても、あの状況で立てることが出来る最良の策だったのは間違いない。問題なのは俺も、稟も風も星も、皆所詮賊だと考えていたことだ。
敵を侮った。それが最大の計算違いを招いた。よくあることだ。普通なら敗死してるところだろう。
だが幸いにも俺たちは生きている。この教訓を次に生かせる機会を得ることが出来たって事だ。同じ事を何度も繰り返すのなら稟が今思っているように軍師失格だろうな。だが、1回の失敗で積み重ねてきた全てを駄目だと断ずることはしないよ。
稟、俺には君が必要だ。ずっと側にいて助言してくれないと困る」
途中から私を抱きしめながら、教経殿はそう言った。
どうしたのだろう、私はこういうことには慣れていないので、すぐに悪癖が始まって鼻血を出してしまうと思っていたのに。先程まで感じていた恐怖感は霧消し、何故だかとても安心している自分を教経殿の腕の中に発見する。このまま、ずっとこうしていて欲しい。
「あ〜!稟ちゃん、ずるいですよ〜」
「稟!主と抱擁など、なんとうらやましいことを!」
風と星が帰ってきたようですね。教経殿も抱きしめるのを止めてしまいました。
……今まで、風や星ほど私の気持ちははっきりとしていたわけではありませんでした。でも、今回のことではっきり分かりました。私は教経殿のことが好きなのでしょう。そうでなければ、私自身を必要として欲しい、なんて思わないに違いないから。
敵は強大、負けないように頑張らないと。
私は、軍略には、自信があります。
恋も戦、なのでしょうからね。負けることはあり得ません。
私は、郭奉孝。
教経殿が見込んでくれた、
教経殿が必要だと言ってくれた、
教経殿の軍師なのですから。