〜教経 Side〜
吃驚したことについ数十分前から今までの記憶がない。
そして、気がついたら傷の手当てがしてあって、南側の守備陣地に来ていた。
なんというキングクリムゾン。思い出そうとするが……何も思い出せない。
多分何もなかったのだろう。考え事でもしていたのだろうか。
「おお、御遣い様。御遣い様のおかげで何とかなりそうですよ!」
そう兵達が声を掛けてくる。
すまんなぁ、これからここが一番の激戦区になる予定なんだよ。
だが、余計なことを言って、無駄な心配をさせることもないだろう。
「まぁそうだろうな。何、俺たちに任せておけば何も問題はないさ」
「へ、へい!」
そう言って城壁の上に移動し、前方を見やる。
ちょうどそのタイミングで、向こうの森の後ろに土煙が上がっているのを確認できた。
「結構人がいるみたいだな。東側から50人連れてきてはいるが、押さえられるか?」
土煙が上がる、というのは、人が多いということか、騎馬が多い、と言うことのどちらかを意味している。
願わくば、前者であって貰いたいものだ。
騎馬を想定した戦い方の修練なんて全く積んでいない。
まず馬の足を斬れ、と言ったところで、それを実戦で実践するには修練が必要だ。
いざとなれば、柵を利用する。これは流石に抜く事は出来ないから、それを盾にして攻防を行うしかない。
だが死傷者は想像以上のものになるだろう。
「とにかく様子を見ることだな」
そう独りごちて、前方を、余裕のある表情を作って見ていることにした。
〜星 Side〜
「どうなっている、戦況は?」
「は、はい。南門付近で敵本隊と御遣い様が統率する隊とが激しい攻防を行っているようです!」
激しい攻防。
それはそうだろう。賊共が来る方向も人数も想定通りだった。
だが、予想以上に騎馬が多かったのだ。
いくら準備をしてあったといえども、それは歩兵に対する備えであって騎馬に対する備えではない。
騎馬の脅威は、何よりも馬そのものにある。
軍馬というものは、他の生き物とぶつかることを恐れるようでは使い物にならない。
その為に特別な訓練を施し、漸く軍馬となることが出来るのだ。
つまり、馬自体をぶつけてくる。
馬の体重は500Kgを超える。それがもの凄い速さで体当たりしてくるのだ。
まともに当たればひとたまりもない。
その上で、馬上の人間が飛びかかってきたりするのだ。
これに対応できる人間はそう居ないだろう。特に混乱した戦場の中においては。
「大丈夫なのか、主は」
自分の肋骨の痛みを忘れて不安になる。
主も、自分ほどではないとはいえ手負いの状態のはずだ。
普段通りの武威を発揮できるとは思えない。
早く、戦線が混戦状態に陥らないだろうか。
いや、この際それを待つまでもなく、敵大将を討ち取るために突出すべきではないのか?
しかしそれを行っては、せっかくこれまでやってきた事が無駄になってしまう。
私の一存でそのような真似をするわけにはいかない。
ここは、堪えるところだろう。
主の姿を探して、戦場を見つめる。
主は、間違いなく一番先頭に立っているだろう。あの人はそういうお人だ。だからこそお仕えしようと思ったのだが、こうも心配になるとは思っても見なかった。尤も、私が女で主が男であるから、というのが最大の要因なのだろうが。
「趙雲様!敵の前線への圧力が薄くなっているように見えるのですが……」
「まだだ。混戦とは言えないだろう。あれは膠着状態だ。待つのだ。耐えるのだ」
主よ、早く、早くしてくれないと、この私ですら趨りだしてしまいそうなこの焦燥感に兵達は耐えられなくなってしまいますぞ。
〜教経 Side〜
「こいつは……随分と侮っていた、ということなんだろうなぁ、おい」
周りに群がってくる賊共を斬りつけながら、そう口にしてみる。
別に口にしたからと言って状況が好転する訳じゃない。が、言わずには居られなかった。
「御遣い様、危ないですぜ!」
わかってるって〜の。矢と馬、だろ?
「わかってるっての」
矢を掴みながら、そう答える。
馬ってのは賢い生き物でさぁ。
きちんと判断できるのよ、自分に危険が迫っているのかどうなのか。
殺気全開の俺にぶつかって来ようとした馬は10頭も居ない。
「わりぃなぁ、俺は馬が好きなんだけど、俺に従わない馬ならまだしも殺しに来る馬なんて必要ないんだよね。……だから、死んでくれ」
馬がこちらに駆けてくる。
馬ってのは足が全てだ。体重を支えるのも走るのも、4本の足が全て揃っていて初めて出来ることなのだ。サイレンススズカやキーストン的に考えて。だから足を斬るのが一番だ。
こちらにぶつかってこようとする馬から逃げるのは難しいだろう。
馬に向かっていく。折れても問題ない左腕などなら、ぶつかっても戦力の低下にはならない。
だから、如何に致命傷を避けてぶつかり、いなし、馬の足を斬るのかが問題だ。
馬にぶつかりそうになった瞬間、馬の左足が前に来たタイミングで馬の左、俺から見て右に移動しつつ、左足を切りつけてやる。左腕に馬面が当たったが、所詮腕だ。簡単にいなすことが出来る。肩だと躰ごと持って行かれたんだろうから運が良かったとしか言いようがないな。まあ、いなす、といっても矢傷がまた開いてしまった様だが。
その他の馬は、もう柵に近づいてこようとしない。
これで、何とか騎馬の脅威は収まった、という所なんだろう。
……だがここまでに払った代償が大きすぎた。
予定では、南からやってくる賊共は約300。これを150で迎え撃ち、かつ期が至れば星が30名の虎の子を率いて壊滅させるつもりだった。膠着状態に持ち込んだ時点で、120名程度残っていてくれれば、と思っていたのだ。
だが現状、賊共が200を越えて残っている状況でこちらは70人程度。
はっきり言って殺されすぎた。
こちらの立てた策が甘かった。それに尽きるのだろうがそれは採用した俺に責がある。
策は尽きた。これで終わりだろう。敗戦は確定的だ。普通なら、だけど。
「だけどねぇ、残念ながら俺がいるんだよねぇ。ここにさぁ」
前を見据える。
賊共が下卑た面を並べてこちらに向かってきている。
「ヒヒッ、さっさと降伏したらどうだ?兄ちゃん。尤も降伏したところで皆殺しだぁ〜」
「ヒャハハハハ」
何のために瞬動使わなかったと思ってる?
こういう時に切ることが出来る切り札が必要だと思っていたからさ。
「まぁ、何にしても、あんたらには死んで貰うしかないかな」
「何言ってやがるこの糞野郎が!」
「ぶっ殺してやるよ〜兄ちゃん!」
……瞬動を使う。まぁ、吃驚人間ショー的な物ではなく、己が振るう剣速と同じ速度で己の体を動かすってのを瞬動って呼んでいるだけだが。
だが、躰への負担は半端じゃない。特に、足の親指。慣性を完全に制御するには足の指の力が必須だ。
ここ数日の疲労に東門付近での戦闘による疲労もあり、肉体的にはそろそろ限界が近い。気を失いそうになるが、そういうわけにも行かないだろう。だって、男の子だもんってか。
「このZakuは通常の三倍の速度で動けるんだよねぇ。多分三倍じゃ済まないんだろうけどさ」
見た感じ武芸が達者というわけではなくただの力自慢のようだが、万全を期す。
俺を半月形に囲んでいる中で、先ず槍を手にした二人を殺るべきだろう。
右へ。まず右から切り崩す。
一番右の男はまだヘラヘラと笑っている。……そのまま死んじまうことになるが、自業自得だな。槍を持ち手の箇所から切り落とし、返す刀で逆袈裟に、左下から右上へ刀を一閃させる。
落ちようとする槍の穂を、その隣にいた刀を持った男に歳暮代わりにくれてやる。
槍は喉を突き破る。男はまだ笑っているようだ。
次。
その向こう、中央にいる槍を持った男。走り込み、清麿を切り上げる。右腕ごと槍の穂を切り飛ばす。そのまま男の肩の高さまで刀を跳ね上げたところで、首へ。綺麗に切り飛ばす。
再び手に入れた槍の穂を、男の右腕を添えてその向こうにいた4人目の腹へ投げつける。俺からの歳暮が余程嬉しかったのか、笑っている。御遣い様からの歳暮だもんなぁ。あの世で自慢してやれ。
5人目。これが最後。
右袈裟、左袈裟。これを連続して行う。残り物には福があるって言うだろ?
清麿で二回も斬って貰えるなんて、こいつはとんだ果報者だ。清麿はそれが影打でも無い限り国宝並みに価値のある、世に出れば間違いなく文化財認定されるようなものなんだからな。
ふぅ。
何の武芸も納めていない人間だと、まぁこんなものだろう。
全く反応できていなかったな。
5人が5人とも、自分がどうやって死んだのか分かっていないだろう。いい笑顔で逝ったのは間違いない。本望だろうさ。
自分が振るえる剣速=自分が認識できる速度、だ。
自分がその速度の中に生息したことがないのにその速度を見極めることは出来ない。
剣速並みに動くことが出来る俺にとっては、有象無象共は据え物斬りの据え物にしか見えない。
「こ、こいつ今何しやがった!」
「……流石に姿が消える訳じゃないんだから、何をやったかくらいは分かるんじゃないかね?」
そう言いつつ更に賊を斬りつけていく。
流石に躰がきつい。
そう思っていると、町の中から残りの人間全てが出てきていた。
「お前ら、御遣いの旦那があれだけやってくれてるんだ、俺たちがやらないで誰がやるんだ!」
あのオッサン、あの集会ん時のオッサンか。
「おおよ!やぁってやるぜ!」
……ロボットアニメ的な何かに出てきそうな人が、主人公的な台詞を宣っている。
まさかピストルの発射音がしたりしないだろうな?
見ると、賊共の前線は一人で殺しまくっていた俺にドン引きしているようで。
突っかかって混戦状態を現出するとしたら、前線の賊共が怯んでいるこの時をおいて他にはないだろう。
「おい貴様ら!賊共を殲滅する!俺に続け〜!」
そう叫びながら賊の集団に飛び込み、斬りつけていく。
右袈裟、逆袈裟、左胴払い。
この動作で4人斃せた。まだだ、まだ行けるだろう。
少なくとも師匠との死合いではここから先の世界があったはずだ。
体力の限界を超えて初めて見える、剣理に満ちあふれた世界が。
そこまで持って行く。そうすれば、より多くの賊共を殺すことが出来るだろう。
「剣とは所詮人殺しの道具だ。すなわち、剣理とは最も理に適った斬人の法のことを言うのだ」
んなこたぁわかってるよ、この糞爺。
「考える前に躰を動かせ。常在戦場、止まる時は死ぬ時だということをしかと認識しろ」
だからこうやってこいつら殺して回ってるんだろうが。
……にしても、きついな。戦いは数だ、ってのが実感できるねぇ。さすがだねぇ、ドズル兄さん。
周囲からどんどん人が減っていっている。
だが、これで混戦状態には持ち込めたんじゃないか?
そう考えたのを最後に、意識を手放してしまった。
〜星 Side〜
「趙雲様!」
「見えている!私は失明して居るわけではないぞ!」
南門前の状況が一変した。
南門の中から、恐らく全ての兵が飛び出し、賊共に向かっていく。
やはり主は先頭にいるようだ。
主が賊の集団に飛び込む。
その数瞬後、周囲の賊が膝を折って斃れていた。
「流石は我が主!皆、今こそ敵将を討ち取る時ぞ!私に続け〜!」
「「「「「お〜!!!!!」」」」」
これまで目の前で多くの仲間達が命を散らしていく様をただ手を拱いて見ているしかなかった兵達の士気は非常に高い。このまま一気に賊将の首を頂く!
東門も南門も、最早限界といっても差し支えないほど疲労困憊していることだろう。
彼らがそうなったのは、偏に我らが賊将を討ち取ることを信じ、その為の布石となった為だ。
……なんとしても賊将を。
槍を抱え、敵中をひた走る。立派な馬に乗り、一人だけ武具が立派だった男が居たのは確認している。
その男を討ち取る。それでこの戦は勝利だ。
「貴様ら、邪魔をするなぁ〜」
前方に立ちふさがった二人を、左の男は槍を左から薙いで、右の男はその流れまま胸の前で槍を止めて突くことで一気に仕留め、再び走り出す。
「あそこか!」
見れば賊将は周囲の賊に怒鳴り散らしている。
自分で前線に立たないから兵が奮い立たないのだ、ということを教えてやりたいものだ。
将が前線に立った我が軍。ただの農民でこの士気、この強さ。賊といえども将が前線に立てば、もっと苦戦したであろうことは想像に難くない。
「賊将よ!私は常山の趙子龍!天の御遣い、平教経の槍なり!我が槍の錆になるがいい!」
そう声を掛けるが……賊将は……逃げ出した。
なんということだろうか。この私とまともに向き合う気概さえない。
このような相手に同志達が苦しめられていたのかと思うと、腸が煮えくり返るようだ。
「逃がすな、必ず首を取れ!」
道を塞ぐ賊共を、隊の兵が排除する。
私は奴が逃げた方向から、最寄りの森に逃げ込もうとしていると判断し、先回りすることにした。
「逃がさんと言ったはずだ」
目の前に出てきた賊将に槍を付け、そう宣言する。
賊将も観念したのだろう、剣を抜き構える。
なかなかに剣を使うようだ。が、平教経という一流の武人とつい先日死合いをしたばかりの私には、その構えは児戯に等しく見える。
はっきり言おう、隙だらけだ。
ちょうどいい、この賊将は、教経殿に試した槍術で討ち取るとしよう。
教経殿のために初めて立てる武功を、教経殿を懲らしめるために使った槍術で以て為す。
……なかなか良い趣向だと思うが、気に入って貰えるだろうか。
賊将の左肩へ、槍を突き出す。
それを受けて、賊将は右に、右足に体重を預けて左足を下げ、左半身を後ろへ捻ることで躱そうとする。
その刹那、教経にそうしたように、躰を回転させて賊将の右足を狙って槍を薙ぐ。
星が正面を向いた時、賊将の右足はその持ち主に永遠の別れを告げていた。
〜第三者視点 Side〜
「敵将、討ち取ったり〜!」
星の声が戦場に響き渡る。
星はそのまま槍の穂に敵将の首を引っかけ、賊軍の中を馬に乗って駆け回る。
それを見た賊共は戦意をなくし、撤退していった。
「今が好機です。追撃して下さい!」
「さあ〜みんな頑張るのですよ〜」
稟と風の采配に従って、落ちていく賊共に追撃を掛ける。
気勢を上げる兵に追い立てられ、決して少なくない損害を出しながら逃げていく賊共。
それを見ながら、ここから漸く自分達の本領を発揮できる。漠然と二人はそう考えていた。
「主はどこだろうか」
星は教経を捜していた。
途中まで主が剣を振るっていたのは分かっている。だが、あの後一向に主を見なかったし、主が居るであろう事を示す、賊共の怯えた悲鳴などが聞こえてこなかった。
まさかあり得ぬ事とは思うが。そう思いながら教経を探す。
死体に躓いて転んだ先にあった物は。
「主?」
教経が羽織っていた外套。
それが死体の間から見えている。
そんなことはあり得ない。
主は自分よりも強く、自分よりも怪我は軽かった。
だが、目の前には主が来ていたはずの外套が、死体に埋もれてしまっている。
「誰か、誰か居ないか!この死体を全てどけろ!今すぐにだ!」
気が動転している。目の前の死体を足で蹴り付け、そこから退けようとする。
考えたくもない事態を、否定できない自分が居る。
死体を退けているうちに、教経が見えてくる。
全身血まみれだ。
息をのみ、ゆっくりと教経に近づく。
「主……?主!」
教経の躰を抱え、抱き寄せる。
まだ戦場に居るにも関わらず、涙がこみ上げてくる。
「……星、か」
教経の意識が覚醒した。ただ気を失っていただけのようだ。
「主、吃驚させないで頂きたい!」
先程まで涙を浮かべていた顔を見られることを嫌って、顔を背ける。
「なぁ、星。……その、かなり眠いんだよ、俺ぁ……このまま少し寝ちまってもいいかね?」
「……構いませぬよ」
「なんかあったら……起こして……」
そう言って再度教経は意識を手放した。