〜星 Side〜

これで私の命数も尽きたか、という時に、稟と風がやってきた。

「待ってください。こちらにあなたに危害を加えようとするつもりはありません」
「いやいや、危害を加えられたばかりで、今から危害を加えられるかもしれん所なんだが?」

そう言いながらも、目の前の男は殺気を納めた。
警戒はしているようだが、稟の話を聞いてみよう、ということらしい。

……助かった。正直に言って、私は自分の死は確定的なものであると思っていたから。

「星ちゃん、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ、風。稟も有り難う」

本当に有り難い。声を掛けるならここしかない、というタイミングで介入してくる辺りは流石だ。構えを解いて槍を立てる。
と。

「なかなか扇情的な光景だな」

慌てて胸を両手で隠す。
やはりこの男は……賊か?

「いや、すまん。言ってみただけなんだよ。とりあえず、服を変えるなりなんなりして貰えるとこちらとしても助かる」

申し訳なさそうな顔をしてそっぽを向く。
……照れているのだろうか。意外に初心な男だ。


















「ということは、あれか?俺が賊だと思ったってのか?」
「申し訳御座らん」

落ち着いて話をするうちに、どうやら私が早合点をしてしまっていたらしい事が判明した。

「で、いきなり突いてきたけど俺じゃなかったら死んだんじゃないかね?」

いや、殺さないように加減はしたつもりなのだが。
避けた本人が言っているのでひょっとしたらそういうことが起きたかも知れぬ。

「重ね重ね申し訳御座らん」
「どう見てもあっちの世紀末スタイル的な三人の方がむさ苦しい顔をしているし、賊っぽいと思うんだがなぁ……『新鮮な水だぁ〜』とか『ヒャッハー』とか言いそうだったし……モヒカンじゃなかったけれども……」
「申し訳……世紀末スタイル?」

?よく分からない言葉を使う人だ。

「ああ、いい、こっちの話だよ」

そういって話を切られた。

風がすべてを無かったことにしようとしたが、男は素早く突っ込みを入れていた。
……なかなか面白い御仁のようだ。
いつまでもこうしているわけにも行かないので、自己紹介を互いにすることを提案する。

「とりあえず、自己紹介から始めませぬか。私は姓名を趙雲、字を子龍と申すもの」
「風は程立、字を仲徳といいます〜」
「私は戯志才と申します」
「俺は平教経、字はないよ」

字がない、とはまた珍しい御仁だ。
真名がない、という人間が存在する事は知っている。大体が複雑な家庭事情によるものだ。が、字というものは恩人などに付けて貰うことも多く、すべての人間が持っていると言っても過言ではない。
ひょっとすると、彼は漢の民ではないのかも知れない。
たとえば、烏桓の人間には字がない。そのように、漢以外の文化を有する国から旅してきたのだろう。

そう考えていると、稟が彼に出身を質していた。

「いや、なんというか、俺は……」

少し言いにくそうに、どう説明したものかと考えているようだ。

「……そうだな、こことは全く違う、近いようで全く遠い世界から来たのさ」

……具体的な地名でも国名でもなく、漠然としたものの言い方をしている。
何故だろう?言いよどむ事情が彼に存在する、と考えた方がしっくり来る。

刃を交えて感じた彼の人間性からすると、もっと歯切れの良い回答が帰ってくるものだと思っていた。剣は巧緻を極めるが詐術に満ちたものではなく、ただ真っ直ぐに駆け引きをしていた。ああいった剣を振るえるものが、我々に対して嘘を以て回答することをするはずはない。

であればこそ、何らかの事情がある、と見ているのだが。
と、あることに今更にして気がつく。

「その服装……我々のものとは全く違いますな」

彼が羽織っている外套や衣服は、見たこともないようなものであった。
外套はその素材が。衣服はその意匠が。
そういえば彼の振るっていた剣もまた見たことがないものであった。無論、その剣術も。

流星が墜ちた場所にいた、見たこともないような格好をし、見たこともないような剣を使い、見たこともないような剣術を使う男。男性でありながらこの私を打ち負かすほどの武を持つ男。
この平教経という男性は……噂になっている『天の御使い』ではないのか。

「もしかしたら、お兄さんは……」

風も私と同じ事を考えているようだ。
その言葉に、彼は眉をひそめて不満そうな顔をしている。
どうやら間違いではないらしい、と勝手に当たりを付ける。

すばらしい武人であることは確かだ。
が、しかしそれだけで予言にあるようにこの乱世を鎮めることが出来るのだろうか。



















町に到着してまず教経殿が言ったのは、自分が持っている紙と硬貨がお金として使用できるのか?ということであった。
紙はともかく、硬貨には見事な意匠が施してあるが、漢では使うことは出来ないだろう。何となくそのことを感じた教経殿は、自分が文無しだ、ということをはっきり言った。

……迷惑を掛けてしまったのだ。そのくらいの世話は焼かせて貰おう。

「あぁ、それであれば私が貴殿の分を払いましょう。迷惑をかけましたからな」

そういうと、教経殿は金を借りるのも貰うのも嫌だ、と答えてきた。
この状況で何ともまぁ、頑固なお人ではある。
が、好意を断られたにも関わらず、私は何となく納得してしまっていた。むしろ清々しささえ感じた。こういうお人なのだろう。自分のことは自分でやる、他人には迷惑を掛けられない、か。

そこで稟が教経殿が持っていた硬貨を好事家に売却してはどうか?そしてそれを風に任せてみてはどうか、と提案すると、教経殿は全権委任すると回答した。

なかなかに気宇が大きな御仁のようだ。
出遭ったばかりの風に、そのような大事を簡単に託している。
見れば、稟も意外そうな顔をしていた。

「宜しいのですか?言い出した私が言うのもおかしな話ですが、なぜ全権委任するのですか?」
「口調はともかく、先程から会話の最中に俺がなんたるかを注意深く伺っているし、洞察力に自信があるんだろう。ついでに俺が使う言葉についていち早く突っ込んだりと、注意力も、頭の回転が早いことも分かる。もっと言うとこの口調だと真意が測りにくいし、はっきり言って交渉ごとに向いているだろう。国でいうなら一流の外交官だ。そう言った人間にものを依頼するなら、条件付きではなく自由に手腕を振るって貰う方が大体いい結果が出るものだよ」

……まさか風の才を見込んで頼んでいるとは思っても見なかった。
それも、一流の外交官という評価。
風を見るとまんざらでもない様子だ。
続けざまに稟が質問する。

「良い結果が出る、とは限りませんが」

そう、その通りだ。望むほどの結果が出なかった場合、教経殿はどうするつもりなのか。

「まぁ、任せるさ。それで結果が出なかったら、それは俺の責任でこの仕事を請け負ってくれた彼女の責任ではない」

……風は嬉しそうに教経殿を見つめている。
まさか、惚れたか?後でからかってみるとしよう。
普段がああだからからかう甲斐があるだろう。あれで風は意外に純真だからな。ククッ。

それにしても、なかなか見事な心構えであると言える。
人の上に立つものというのは、こうでなくてはならないという私の理想をそのまま体現したかのような言葉。

俄然興味が沸いてきた。この御仁は今の世の中をどう思っているのだろうか。
何とも思っていないのだろうか。それとも、世を憂い、何かしらの行動を起こそうとしているのだろうか。

それ以前の問題だが、彼の為人はどういったものなのだろう。



















宿で落ち着き、風が教経殿は御遣いではないのか、という質問をした時の回答が面白かった。

「御遣い?」
「都で噂になっているのです。簡単に言うと、流星に乗って御遣いがやってくる。
 その御遣いが乱世を鎮めるであろう、という予言があったのです」
「へぇ。予言ね。俺は占いは嫌いでね」

心底嫌そうな顔をして言う。その理由が知りたいものだ。

「ほう、何故です?」
「剣を交えたお前さんなら俺がどういう人間であるか大体分かるであろうに。
予言なんてものは一種の呪いと同じだ。それあるが為に人はそのことを意識して行動してしまう。「予言があるから、それを意識して行動する」、当たり前のことで不自然じゃないと思うかも知れないが、予言を意識しているからこそ取れる行動と、予言を意識しているからこそ取れない行動が出てくる。
『今日西の方へ行けば、貴方は死ぬことになる』
なんて言われたら、そんなことあるかと思って西に行っても、びくびく警戒してしまうだろう。それが結果的に大金を持っているように見受けられた場合、殺されてしまう可能性がある。
もちろん、西に行く用事を明日以降に持ち越したりする人間だって出てくるだろう。
そういう意味で、呪いと同じなんだよ。
大体が悲観的なものであるにも理由があるしな。結果として実現した結果が予言と同じようなものであれば予言通りであるといい、そうでない場合は予言のおかげで回避できたというのさ。そうやって人の意識から本来取れる選択肢を狭めておいて、選択した行動の結果によらず予言のおかげ云々抜かすのが予言屋だ。ただのペテンさ」
「ペテン?」
「ああ、詐術を行う人間の一つの手管、さ。
 だから俺は嫌いなんだよ。俺は自由に生きたい。俺は自分の意志で選択する。俺が好きな時に飯を食い、好きな時に酒を喰らい、好きな時に寝て、好きな時に好きな女を抱きたい。選択肢を限定しようとするような奴らは大嫌いだ」

成る程、かなりひねくれた御仁のようだ。
自分がしたいようにしたいから嫌いだ、と言っている様に感じられるが、それは最後の言葉がすべてを覆い隠しているからに過ぎない。
彼が尊重しているのは、「個人が自分の意志で自分の行動を選択すること」だ。照れ隠しなのか何なのか、彼は素直にそれを伝えようとしない。
そういった言動は他人に誤解を与えることを分かっていてなお、そういう言動を取る辺り、私達は似たもの同士なのかもしれない。


















そのまま話をしていると、外から騒がしい、物騒な声が聞こえてきた。
稟に言われ、事態を収拾するために表に出ると男達が騒いでいた。

「大変だ〜、賊が、賊が来るぞ〜!!!今度の賊は1000人を超えているぞ〜!!!!」
「もう駄目だ!賊に逆らわずに金目のものを出して命乞いをした方がいいぞ!!!!」

全く騒々しい。
そう思っていると、騒ぐ男達のうち一人を教経殿が殴り飛ばす。
……教経殿、何故貴方は嬉しそうにニヤニヤ笑っているのだ?
まさかおふざけで殴った、などと言うことはなかろうな……

「いや、あまりに取り乱していたからな。あのまま町中を駆け回られても困るだろ。収拾が付かんし」

なるほど、それは一理ありますが教経殿、笑った顔のままでは説得力がありませんな。
どうやら本当に悪巫山戯で殴ってみたというのが正解らしいな。
この御仁が私と似ているのはどうやら間違いない様だ。そのことに思わず笑いがこみ上げてくる。

「確かにそうですな」

笑いながらそう答えておいた。
すると教経殿は私の顔を惚けたように見ていた。……ああいう顔で見つめられると少々恥ずかしい。私を打ち倒してなお余力をもてるほどの武人で、かつ人の上に立つ器量を有するであろう御仁。それが女性でなく、男性であり、私と似た性格をしているから私について誤らずに理解してくれそうな御仁。
異性としての魅力がないと言えば嘘になる。
刃を交えて、彼は私のことをどう感じたのだろう。

そう思って教経殿をみていると、何もなかったかのように話を戻していた。
何ともまぁ、つれない御仁だ。

教経殿は、広場に戦えそうなものを集めるように言って男を行かせた。
彼は賊を討伐しようとしている。それは私にも分かった。
その後、二人で一旦落ち着くように、と町の中を一巡して説き、混乱を沈静化していった。


















町を巡って感じたことは、戦意が全くない、ということだ。
これでは戦うという話にはならないだろう。我々が一騎当千の武と神算鬼謀の智を有していても、兵たる民に戦意がなければどうにもならない。
しかし、同時に面白いことになっている、とも感じている。
彼はこの状況でどのような選択をし、どのような将来を紡ぎ出すつもりなのだろうか?

「さて、どのようなお話をなされるおつもりか?」

我知らず笑っているまま、そう質問してみる。

「さて、な。俺が大層なことを言ったところで、奴さん達がやる気にならなきゃどうにもならない」

流石に感じるべき事は感じていたようで、教経殿はそう答えた。
では、彼らがやる気になったらどうするつもりなのだろうか?賊を討伐する、それで終わるのか?それを聞いてみる。

「やる気になったら?」
「俺の夢を実現させるさ。その為にいま夢見てんだろうしな」

夢、と言った。この御仁はこの乱世において夢を抱いている!この荒廃した世界に希望を見いだしている!

「夢?それはどのような?」

思わず、聞いてしまう。

「ああ、夢はでっかく天下統一さ」
「ほう、天下統一」

まさか、『天下統一』という言葉が出るとは思っても見なかった。
理想を語るものだと思ったが、その前の現実的な、ある意味で非情な道を口の端に乗せるとは。

「で、平和な世の中にして、みんなでヘラヘラしてられる世の中にしたいね。悪ふざけ推奨で」

軽口を叩くが、恐らくそれは照れ隠しなのだろう。私達は似ているのだ、私の目はごまかされませんぞ?
そうなると、この賊共の争乱を切っ掛けにして、天下統一に乗り出す、ということだろうか。見ると、どうやら稟と風もこちらの話を伺っているようだ。このまま話をした方がいいだろう。

「その為の足がかり、ということですかな?」
「そうだな。ここの人たちには迷惑だろうがな」

やはりそのつもりのようだが、迷惑とはどういう事だろうか。
稟が声を掛けようとしているが、風が止めたようだ。

「何故迷惑なのです?賊共から守って貰えるではありませんか」

そう、民にとって強力な指導力を持つ君主を頂くことは良いことはあっても悪いことはないはずだ。少なくともその辺りにいる有象無象の県令などより、教経殿の方が優れた資質を持っていることはまず間違いないだろう。
戦における将としてどうかはまだ分からないが、その辺りは周囲のものが補えば事足りることだ。風の一件から考えて、下のものに自分の不足を補って貰うことを全く恥ずかしいとは思わないらしいし……
と、ここまで考えて彼を主にするかどうかかなり現実的に考えている自分を自覚した。

まだ、まだ早いだろう。彼という人間がある程度の器を有する事は分かったが、それと我が主たる器があるかはまた別物なのだから。

教経殿は少し考えてから言葉を紡ぎ出す。

「……その後でつらく長い戦が続くさ。そしてその中で幾人も死んでいく。それでも幸せか?愛する人に死んでこいと言い、喜んで死にに行かせる人間を恨まないなんて無理じゃないかね?」

まず民の幸せを考えている様だ。これであれば……
しかし、教経殿が言っていることは、少し民に思いを馳せすぎだと思う。偉大な事績を為すには必要な犠牲を伴うものだ。その点を問いただす。

「しかしそれは必要な犠牲でしょう」

得た回答は私にとっては衝撃的なものだった。

「確かにそうかも知れんが、それでも人の感情は論理では割り切れないものだと俺は思うよ。それに、自分の行動や理念のために人が死ぬという事実を、『必要な犠牲』という便利な言葉で片付けて、その事実について深く考察しないというのは頂けない。
もしこの町の人が俺にきっかけを与えるなら、それはご愁傷様でしたとしか俺には言えない。やっかいなもの抱え込みましたね、とね。
 趙雲、人の理想は人を殺すよ。人の理想は、その人とそれに共感する人にとってはとても大切なもので何よりも価値を持つものだけど、それを理解しない人、共有できない人にとっては何の価値もないものだ。それを踏まえた上で、出来るだけ多くの人が納得できる、よりよい選択が出来るといいんだけどね……」

……人の理想は人を殺す、か。
それにしても、何という顔をして何ということを語る人なのだろう。これは些か反則ではないのか。そのような切ない顔をされて、こういう事を語られたら……その、何というか、とにかくずるい。

「なかなか考えるものですな。ただの武辺かと思っておりましたのに」

見とれていたことが少々気恥ずかしく、思ってもいなかったことを言っていた。
これは少し失敗したかもしれぬ。そう思っていると、

「それはひどいな。これでも人の上に立つべく教育されてきた自負があるんだが?」

どうやら痛痒にも感じていないらしい。やはり私のことは理解して貰っている様だ。
そのことを何よりも嬉しく感じている自分を発見し、私は遂に仕えるべき主を見いだした気持ちでいた。

「偶にふざけるのをおやめになればらしいのですが」

そういっても彼は苦笑いするだけだった。