俺は忘れていた。


大切な憖い事ねがいごと


俺は忘れていた。


大切な懐い出おもいで


俺は忘れていた。


懐いおもいあつまれば


憖い事ねがいごとが叶う事を…。










Catharsis

最終編 翡憐










「うごー!! またかー!」
「ふぁいとだよ、祐一」
「ふざけんなー!」

今日も今日とて俺は走っていた。
新学年が始まってから数週間が経ち、雪も大分、姿を消している。
とは言え、雪国である以上まだもう少し先まで雪は残っているであろうが…。
そうして自然は冬から春へと移り変わっていく。
そう、自然は変わるのだ。
なのに何故、名雪は変わらない。
なのに何故、寝坊癖は治らないんだー!

「祐一、もう少しだよ」
「う、うるせー」

はじめの頃に比べれば、大分疲れなくなったものの、それでも名雪ほど体力がある訳ではない。
慣れって怖いな…。
結局、今日も昇降口を駆け上がり、教室へ駆け込む。

“キーンコーンカーンコーン”

予鈴がたった今鳴ったところ…。何とか遅刻もせず、始業式のときに比べ、早くはなっていた。

「ぜぇー」
「お疲れさん」
「よぉ、今日も頑張ってんな」
「体力が付いてくる自分が情けない」
「体力が付く事は良い事なんだよぉー」

疲れを知らない名雪がそんな事を言ってきやがる。ぜってー、明日、放置してやる。

「大変ね、相沢君も」
「いい加減、疲れた」
「その気持ち、良く分かるわ」

香里が遠い目でそう呟く。そうだろうな。経験者は語るってか?

「…俺も放っていくか」
「祐一ひどいよー」
「ひどいのはどっちだ!」
「大変ね。相沢君も」

そういう香里を見ていたが、不意に視線を感じた。
誰かに見られているそんな感覚。そして、胸のうちから湧き上がってくる衝動。
ただ、その衝動は爆発しそうで胸のところでつっかえた。
あたりを見回すが特に変わった様子は無い。ただ、何かいる。

「どうしたの? 相沢君」
「えっ…」

ボーっとしていたらしい。一体、なんだったんだ?

「最近、多いわね。大丈夫?」
「あ、ああ、少しな…」

胸につっかえた感覚。それは思い出せそうで思い出せないもどかしい感覚。
そう…何かが思い出せないんだよな…。










「あ、秋子さん。今日は鍋ですか?」
「はい、みんなで食べるには持ってこいの料理でしょう?」
「そうですね」
「それにそろそろ食べれなくなりますからね」

二階から降りてくると、廊下にいるときから良い香りがしていた。
ダイニングのドアを開けると、テーブルの上にその香りの発生源があった。
鍋が食べられる時期ももう終わりか。
それを考えると春がそろそろ来るってことか…花見とか楽しそうだな…。
みんな呼んで騒ぐのも良いかもしれないな。あいつとか…輪から離れてのんびりと過ごしてそうだな…。

「……??」

あいつって誰だ? いま、俺はあいつと思ったが…あいつって一体、誰だ?
天野か? いや…少し違う。なら…香里? これとも少し違う。
確かに二人みたいな知的なイメージがある人なんだ…。

「祐一さん?」
「あ、はい」
「どうしました?深刻そうな顔で悩んでいましたが…」
「…いえ、大丈夫です」
「祐一さん」

秋子さんは優しさの中に少しの強制力を含ませた声色で呼びかけてきた。

「祐一さんは家族です。相談ぐらいでしたら乗りますよ?」

温かい笑顔。
それは俺の中に居る『あいつ』に似ている気がした。

「……何か、を忘れているんです」
「何か、ですか?」

頬に手を当てて、少し考え込む秋子さん。
そのしぐさに何かとダブった。それが何か分からない。
たぶん、俺が思い出そうとしている、『あいつ』とは天野や香里以外にも秋子さんにも
似ているという事か?
思い出そうにも表面の意識では何も思い出せない。
思い出そうとしてそれが湧き上がってくる場所はいつも心の奥底。胸の深いところ。
そう、深層に沈んだその何か…。

「はい、それで…何かを忘れたんですけど…思い出せなくて…たぶん、人だと思うんです」
「…祐一さんはその何かをどうしたいですか?」
「えっ?」
「忘れたいんですか? それとも思い出したいんですか?」
「…そうですね…思い出したいです…。けど、もう忘れても良いかなぁとは思っています」

ずーっと、気にしすぎてイライラしてきたし…考えなくても良いか…。
ただ、それを俺の何かが懸命に警告してくる。
忘れるな、と必死になって俺を忘れようとする行為を引き止めていた。

「祐一さん。忘れては駄目ですよ」
「秋子さん?」
「忘れていることを憶えている事はそれだけ大切な人なんじゃないんですか?」
「大切な…人」
「そうです。いつからそうなっているか分かりません。
 でも、忘れていなかったという事は祐一さんにとってとても大切な人だと思いますよ?」

俺を悩ませているこの記憶は俺にとってとても大切な人…。
それは…一体誰なんだろうな…?
世界が持っている記憶。
それを覗き込めば、思い出す。





「「「「いただきまーす」」」」
「はい、どうぞ」

俺を含め、五人の食卓。
鍋を囲んで争奪戦が繰り広げられるのは必死だな…。
五人?……一人足りなくないか?
あゆ、真琴、名雪、秋子さん、俺…。それ以外にも誰かがいたはずだ…。
そう……絶対にいた…。俺の中でつかえている記憶が抜けようともがく。
だが、やはり決定打に欠ける。そう、あと少しなんだ…。

「祐一? どうしたの?」
「ん…少しな」
「考えごとは良いけど、無くなると思うわよ…」
「何!」

鍋を覗き込めば、三分の一は消滅していた。たぶん、誰かの胃袋に消えているんだろうな。
鍋の中身を取り皿に取る。湯気を立てて存在をアピールする具を口に入れる。
熱さが口の中で広がる。
思考は停止することなく動き続け、いまだに脳の中では式の解析が繰り広げられていた。
いったい、俺が思い出そうとしているのは誰なんだろうか…。










それからその週の日曜日に起きた。
その日、その季節には珍しい豪雨がこの地域を襲った。雷が鳴り響き、雨は全てを押し流すぐらいの
勢いで降っていた。

「うぐぅー」
「あうー」
「だおー」

奇声三人組がリビングで固まっていた。窓に当たる水滴は窓ガラスを突き破らんばかりの勢いでぶつかってきていた。
原始の地球は雨が大量に降ったといわれている。そして、その後生命が誕生したといわれているが、
新しい命が今、生まれようとしているのか? それとも何の関係も無く、ただ降っているのか?
ただ、一ついえる事は俺の中で何かが目覚めようとしている事だった。
それが記憶なのか、何なのか分からない。
そして、その衝動は夜に近づくたびに強くなってきた。
何かをしなければ、どこかに行かなければ…。
強迫観念に近いレベルまでその衝動は達してきた。
夕食…それすらもほとんどのどを通らず、大半を食卓に残して部屋に戻ってきた。
雨は相変わらず、激しい…。
心の中の衝動は俺を突き動かそうとする。これに従ってどうなる?
従えば何か手に入るのか?
俺は自分自身に問いかける。
答えは無い。ただ、衝動がさっきよりも強くなっただけ。
動け、と?
いっそう、衝動が激しくなった。
それはまるでその答えを受けて、自分の中の自分が歓喜の声を上げているようだった。

「動け…か…」

多分、俺の中の俺は動く事を望んでいるのだろう。しかし、それに従っても良い物か?
自分を信じろ、と良く言われているが、果たして信じる事に値するのか?

“コンコン”

「ん? はい」
『うぐぅ…祐一君』
「あゆか、どうした」

胸騒ぎを強引に気付かれないように胸の奥に閉じ込めると部屋のドアを開けた。

「何だ? こんな時に」
「ちょっと祐一君に話があって…」
「おう」

あゆを招き入れる。
あたりをきょろきょろしても珍しいもんは特に無いと思うが。

「祐一君。最近、変じゃない?」
「何がだ? 別に変なところは無いと思うが」
「いつもボーッとしてる」
「……」

あゆに気づかれたら終わりだ。
しかし、あゆに気付かれてるって事は名雪とか真琴も気付いてるってことか?

「祐一君が何を悩んでるかボクには分からない。でも、祐一君の好きなようにすれば良いと思う」
「何を…」
「祐一君はどこかで何かを躊躇ってない? 躊躇わなくて良いと思うよ。秋子さんなら絶対に許してくれるよ」
「……」
「ボクも力になるから…」
「あゆ。思い出せないときはどうすれば良い?」
「思い出せないとき?」
「ああ、何かを思い出そうとして思い出せないとき」
「…思い出そうと努力する。だって、思い出せないってことを憶えてるってそれだけ重要な事じゃないかな?」

あゆの癖して秋子さんと同じことを言いやがる。
何か、負けた気がする。

「……」
「祐一君。憖いや懐いは萃れば・・・・・・・・・どんなことだって起こせるんだよ?」

そういって出て行くあゆを俺はただ、見送るだけだった。

「……」

駄目だ…。すでにこれは俺の言う事を聞く限界を超えている。
あゆの言うとおり行動あるのみだな。コートを羽織る。それだけで俺は部屋を飛び出した。
階段を駆け下りる。その音に気づいた秋子さんが玄関に顔を覗かせた。

「祐一さん。どこかに出かけるんですか?」
「あ、はい。少し出かけてきます」
「危ないですよ?」
「分かっています。ただ…どうしても今じゃないといけないんです」
「どうしてですか?」

聞かれて詰まる。まさか、自分がそういっているので…なんて答えられない。
ただ…それでも行かないと…どこかで俺が俺にそう語りかけてくる。

「どうしてもなんです」
「……分かりました。気をつけてください」
「秋子さん…」
「祐一さんが何の考えも無く動くとは思っていませんよ」
「ありがとうございます。風呂を入れておいてくれませんか?多分、冷え切っていると思うので…」
「分かりました」

秋子さんの笑顔で後押しされて、家を飛び出した。走るのに傘など差していられない。
むしろ、邪魔になる。
外は完全な暗闇。空には厚い雲に覆われ、一切の光をさえぎっていた。これが暗闇というものかも知れない。
強い雨が体に吹き付け、風は俺の周りで踊り狂っていた。
外を歩いている人間など誰もいない。
俺は無人の街を走り抜けた。風が俺の邪魔をし、雨が冷たく叩く。

「どこ行きゃ良いんだ?」

思えば考えも無く飛び出してしまった。何処へ行けば良いなんて分かるはずもない。

「おいおい…もう一人の俺、案内してくれよ」

一人、自分に向かって呟く。奥から湧き上がってくる衝動が何処へ行けば良いか伝えてくる。
足が、商店街のほうへ向けられる。商店街を通りすぎ、更に町を離れていく。
公園が目に映った。俺の体の行き先は公園か?
しかし、公園を通り過ぎ、その横道に入る。
細い路地のようなその道を抜けると、目の前には寂れた教会がそこにあった。
そこで俺の衝動は落ち着く。

「教会が待ち合わせ場所か?」

そう、誰かとの待ち合わせ場所といえる。
俺の中にいる“あいつ”との待ち合わせ場所だ。
入り口まで距離がある。ゆっくりと歩みを進める。
体の中でまた、何かが俺に語りかけてくる。
そうだ…。
まだ俺は忘れている事があった。
あいつとは誰なのか? 教会に入る前に思い出さなければいけない。
そんな気がしてきた。必死になって記憶を辿る。


俺は一体、何を思い出さなければいけないのか?
あいつのことだ

俺は一体、何を忘れているというのか?
あいつのことだ

俺は一体、何をすれば良いのか?
思い出せ



『忘れているんだ…何かを…。忘れちゃいけない何かを…』
世界ハ拒絶スル

歩む速度は変わらず、止まる事無くただ入り口に向かって歩く。
雨は相変わらず激しく俺を叩き、風は俺の体から体温を奪っていく。



―――――わすれた? 憶えているだろ?―――――



『くそ…思い出せない。何かあったはずなんだ?』
コノ世界ニ彼女・・ハイナイ

胸騒ぎに似た感覚が抜けない。絶対に思い出さなければ…。そうでなければ二度目は無い。
今、思い出さなければそれは完全に消えてしまう。
焦りが俺を襲う。



―――――思い出せない? 思い出せるだろ?―――――



『忘れちゃいけないことのはずなんだ…』
世界ノ流レハ存在ヲ消去シタ

俺の体は雨にぬれて、冷たいはずなのに…それなのにそれを感じない。
外部からの入力に俺の脳は認識が追いつかない。ただ、焦燥感だけが今の俺の中で渦巻いている。



―――――なんで思い出そうとしない。お前の意識の下に眠っているそれを!―――――






『忘れていることを憶えている事は、それだけ大切な事なんじゃないんですか?』
『だって、思い出せないってことを憶えてるってそれだけ重要な事じゃないかな?』







―――――表層の意識だけに囚われるな! 深層に目を向けろ!―――――



『何を忘れているのか思い出せない。忘れている事だけ覚えている』

歩みが止まらない。もう、すぐ目の前に扉があるのに…それまでに思い出さなければ…。
記憶の深みに手を伸ばす。ただ、ひたすら暗い中を探す。
だが、脳内のエネルギーが足りない。記憶を思い出すには再び回路にインパルスが駆け抜けない限り思い出せない。



―――――懐い出おもいでを思い出せ!―――――



『たぶん、それは俺の中にあるんだろう…』
ダメダ、思イ出シテハイケナイ

深い意識が俺の中で目覚めてくる。表層の意識が拒絶の意思を表すが、すぐに消える。
その回路にインパルスが駆け抜けた。
記憶の海に沈んでいた“それ”を掴みとる。絶対に離さない。



―――――冀えこいねがえ! それがお前のすべき事だろ!―――――



『求めなければいけないんだろう…。それが俺のすべき事なんだ…』
求メテハイケナイ

深い意識の中に眠っていた記憶が今の俺の記憶を次々と塗り替えられていく。
新しい記憶がそこに埋まっていく。まるで間違った記憶が正しく補正されていくような…。
それに伴って胸の奥につかていたものが少しずつ消えていく。



―――――思い出せ! 憖いねがいを―――――



『何を…思い出せば良い…』
世界ハ翡憐・・ヲ認メナイ

肝心な事がまだ、抜けている。おかしい部分を感じられるのにそれが何か分からない。
空白が次々と埋まっていく。ただ、一つのキーワードで完全にそれは埋まるのに…
誰と話していたのか?
誰と歩いたのか?
誰と食事をしたのか?
その“誰”さえ思い出せば…。



―――――解き放て! 懐いおもいを―――――



『胸につかえているそれは何なんだ?』
ダメダ! ダメダ!

記憶の処理が行われる。記憶の欠損している部分が解析、推測される。
そう、後はその最後のつかえているものを取り除くだけ。
それが俺にとって思い出すべき事柄であり、忘れてはいけない事柄だ。



―――――あつめろ! それは翡憐かたちになる!―――――



『何かをすれば、俺の中にあるものを思い出せるんだ…』
ダメダ! ダメダ! ダメダ!

答えを出そうとしてエラーが出る。そんなもの無視だ! 絶対に思い出せ!
それは見せかけのエラーだ。それはただ表層面が拒絶しているだけだ!
そう、答えに何かが阻害する。それは何か?
思イ出スナ! 世界ノ調和ヲ乱ス

誰かが話しかける。そんなもの知らない。調和なんてクソくらえだ!
俺にそんなものを求めるな!
ヤメロ! 世界ニ存在シナイ人物ヲ創ルナ!!

黙れ!俺は俺のしたい様にする。それで世界が崩れるなら、それだけもろいんだろ?
強引に俺に話しかけてきたそれを黙らせる。



―――――名を呼べ! 翡憐かたちを表す唯一の名を!―――――



式にエラーが次々と現れる。記憶の空白部分に答えが表示されない。
まだだ。もっと正確に思い出せ。それは絶対に必要な事だ。
頭が痛い。
それも無視だ。外部の入力も内部からの出力も無視しろ!
今すべき事は頭の中で立てられた方程式の解析だ!
不完全な部分を埋めるための答えを思い出せ!
式に間違いはない。代入された数字にも問題は無い。
あるとすれば、解析する脳に問題がある。
拒絶するな! 受け入れろ! それが世界を壊すものであっても受け入れろ!
たった一つの真実で世界が壊れるはずが無いんだ!


扉に手をかける。


答えはまだか
否、答えはすでに出ている。完全に表示されている。ただ、それを受け入れられないだけ!
それが世界の拒絶か、俺自身の拒絶か分からない。
俺の拒絶? そんなわけ無い。今の今まで忘れていたことを憶えていたんだ。
なら、不可能じゃないよな?

一気に扉を引き開ける。
虹色の光が俺の目を焼く。まぶしい…。
目を閉じる。思考のエラーが次々と消えていく。
世界がそれを受け入れた。
ありとあらゆる場所からその人の存在を消し、無かった事にしたその存在が…
再び、世界に帰って来た。
だからこそ、そこに翡憐答えがある。






























「翡憐……」





























虹色の世界が広がる。ここは一体何処なんだ?
何故、虹色なんだ?
目が慣れてくる…。
俺の目が最初に認識したのは多くの蝶だった
たくさんの虹色に輝く蝶が飛びまわっていたから、世界が虹色に見えたのだ。
多分、メルヘンチックな世界はこんな感じなんだろうな…。
有り得ないはずの世界を俺はそうやって受け入れていた。

「翡憐……」

これが俺の記憶の空白に入る答えだ。
世界が拒絶し、俺の記憶の奥底に沈み、浮かぶ事が有り得ない記憶だった。
虹色の蝶が乱舞している中で目の前の少女は自分の体を見つめていた。
黒い衣にその身を包んで、一際、光の中でその存在を誇示していた。
有り得ない事が起きて、思考が追いついていないのか?

「……どうして?」

呟く…。
俺の存在を認識していないのか、ただ、自分の体を眺めていた。
手を動かし、指先まで動く事を確認してあたりを見渡した。
光の乱舞の中で俺の姿を見つけ、そこで視線が止まった。

「祐一…?」
「それ以外の誰かに見えるか?」
「…どうして?」
「さぁな…」

距離が縮まる。
蝶が少しずつ消えている。良く見れば、その蝶達は翡憐の体に触れると吸い込まれていった。

「何故?」
「さぁな…」

手を伸ばせば触れられる距離に翡憐それはいた。
つかえていた“何か”は完全に姿を消していた。これが俺の探していたものだった。
俺の記憶の埃を被り、ありとあらゆる記憶に埋もれていた一番、大切な記憶。
世界が絶対的に拒絶し、本来なら受け入れられないそのもの。
まだ、驚きが抜けないのか、あたりをしきりに気にしていた。
蝶は更に姿を消していく。
それに伴って、俺の記憶とそして目の前にいる少女はこの世界に確かに存在を固着していった。

「…どうして?」
「さぁな」

同じやり取り…それ以外喋れないのか?
俺の中の衝動は消え、心地よい安堵感が広がってきていた。
ジグソーパズルのピースを間違っていれてしまって違和感のある絵柄がすっかりと正しい形に収まった。
翡憐はかつて最後のときに言った。

『私は本来の世界ではイレギュラーになります』

そう、この世界では翡憐は存在しない。なのに、ここに居る。
それはイレギュラーじゃなくなったからじゃないのか?
翡憐がここに存在するのはここに居るべきだからじゃないのか?
もしかしたら、俺の“懐い”や“憖い”が“萃まって”翡憐を作り上げたのかもしれない。

「……」

蝶が二匹だけ残った。一際光り輝くそれらは翡憐の肩に止まると、姿を消すわけでもなく
翅をゆっくりと開いたり閉じたりしていた。
赤系統の色を発しながら止まっている蝶と、青系統の色を発しながら止まっている蝶。
二匹が俺を見る。

「良いんじゃないのか?」

そう発言しろ、と語りかけてきているように思えた。
余計なお世話だ。
通じるとは思えないが、蝶にそう心の中で話しかけた。
最初から俺はそういうつもりだ。
悪いが、これで世界が滅びるなら俺はその滅びるほうを選んでいるよ。
残念ながら、俺も欲望の強い人間の端くれだからな。

「祐一……」
「帰ってきた。世界がお前を受け入れた。それで良いんじゃないのか?」
「……」

不安が残るのか、寂しげで不安な顔つきで俺を見た。
やめてくれ、俺はそんな顔が見たくてここに来たわけじゃないんだ。
二匹の蝶が舞い上がる。俺と翡憐を囲むように飛び回っていた。
手を伸ばせば触れられる“翡憐それ”を俺は引き寄せた。
浮くような勢いで俺の腕の中に落ちた。
抱きしめれば、そこに確かな感覚があった。
そこに確かな温度があった。
そこに確かに翡憐がいた。

「あの時のサービスはまだ有効だぞ?」
「大丈夫ですか? 赤字なのでは?」

いつもの翡憐がそこにいた。全く変わらない口調の翡憐が…。

「いや…お前がいない間に回収しといた。また赤字を出しても問題なしだ」
「……祐一」
「願い事は何だ?」
「それでは私のたった一つの願いを叶えていただけませんか?」
「おお、一つだろうと、二つだろうと、いくらでも構わないぞ」
「今は一つで良いです」
「分かった」
「それは―――――――」








































心に傷を負い、世界のやり直しを願った少年と


そんな少年を助けるために世界を創った少女


そんな二人の物語……。


少年の心に溜まった傷跡は綺麗に浄化されCatharsis


少女は再び命の焔を燃やし始めた。


少年は“懐いおもい”を知り、少女は“憖いねがい”を知った。


そんな冬の物語…。


それは終わりを告げ、こうして世界は受け入れた。


そして、再び二人の物語が紡がれていく。


終わりが見えない物語が……。