創造者


破壊者


どちらも本質は同じ


どちらも大きな力の持ち主


そんな二人の衝突


どちらに勝利の女神は微笑むのか?


女神となるのはどちらか?










Catharsis

第三十七編 創造者と破壊者
(?月?日 ?)










「……」
「ボクの世界を壊すなんてね」
「……」

静かな怒り、というのはこういうことをさすのである。
翡憐はいつもの無表情でそこに立っていた。しかし、そこから漂う雰囲気は明らかに怒気が混じっていた。

「……邪魔…しないでよ」
「断ります」
「…どうして?ボクはただ祐一君が欲しいだけだよ?」
「気づいているでしょう。祐一がこの世界から完全に離れるとどうなるか?」
「知ってるよ。だからこそ、だよ。世界が壊れればボクの世界でしか生きれなくなる。そうすれば、祐一君は完全にボクの物だよ」
「あちらの世界でも関与していたはずです」
「うん、もう一人のボクが邪魔してくれたおかげで祐一君は手に入れられなかったけどね」
「だから、この世界の際に便乗したのですね」
「そうだよ。こっちならあっちより自由が利いてね。動きやすかったよ」
「…これ以上、壊させません」
「嫌、ボクはボクのしたい事をする」

平行線を辿る二人の議論。いや、議論にすらなっていない。互いの主張を述べただけで
互いの闘争心をさらに強めるだけのものでしか無くなっていた。
火に油を注ぐ、というのはこういうことを言うのだろう。
臨戦態勢にあった二人は一切の合図も無く、同時に仕掛けた。










俺が意識を失って現れた世界は崩れた世界だった。
そこはかつて豪奢だった場所だった。
それが今では廃墟と化した世界。俺はそこに立っていた。

「ここは?」
【豪奢の廃墟】
「えっ?」

俺は声に振り返る。
しかし、そこには誰もいない。おそらく、世界にして世界に非ず世界か?
辺りを見渡しても翡憐の姿が無い。
もしかして、俺だけがこの世界に連れてこられたのか?
いつも翡憐がそばにいただけあって、傍にいないことにこれほど不安に思うとは…。
結構、俺って助けられていたらしいな。
そんな廃墟の影にいくつかの影を見つけた。

「誰だ!」
「誰? ひどいな…祐一君」
「あゆ!」

そこにいたのは赤色に染まった服を纏ったあゆだった。

「あゆ……」
「ねぇ、どうしてボクを見捨てたの?」
「ねぇ、どうして私を置いていったの?」

もう一つの影が声を発した。それはまだ幼い舞だった。

「舞」
「ねぇ、どうして私を拒絶したの?」
「名雪」
「ねぇ、どうして真琴を捨てたの?」
「真琴」

昔のみんなだった。
あちらこちらから俺に向かって投げかけてくる言葉は俺への非難
俺が犯した過ちの被害者だ。
どうやら、俺も向き合う必要性が出来たらしいな。
思った以上に遅いが……向き合わないとな

「聞いてる?」

心に突き刺さる。
俺はこんなにみんなを傷つけていのか?

「ねぇ」

苦しい。
昔の傷をえぐられるつらさはこんなにつらいものなのか?
いや……あいつらにした仕打ちにしては軽いか?

「何で?」

それでもつらい。
向き合わなければ…。そう思えば思うほどつらくなってくる。
……翡憐はいない。俺は一人で立ち向かわないけないのか?

「どうして?」

ためらいも無い言葉。深く、俺の心を抉る。痛みは…感じている。
感じているうちはまだ
大丈夫だ。だが…感じなくなったときはどうすりゃいい?

「捨てたの?」

一番、つらい言葉。そうだ…捨てたんだ…。みんなを…

「「教えて」」

俺はあゆを見捨てた。俺は名雪を拒絶した。俺は舞を信じなかった。俺は真琴を捨てた。

「「「「教えて」」」」

怖かったんだ…。仕方なかったんだ…。

「「「「そうやって逃げるの?」」」」

四人の声が被り、同時に責めてくる。そうだ…。俺は逃げてるんだ…。
辛い事、嫌いな事、嫌な事から

「「「「そうやって忘れるの?」」」」

忘れたい。七年前の事なんて忘れたい。
でも…それでいいのか?
俺はそれで自分を許せるのか?
忘れて、俺は翡憐の隣に立てるのか?
全てを忘れて罪なんてなくしたい。
俺はもう苦しみたくない

「「「「そうやって苦しみから逃げるの?」」」」
「「「「そうやって嫌な事から逃げるの?」」」」

くそ……。
向き合うつもりでいたのが……逃げ出したい。
俺は…逃げて、忘れたがっているんだ。
でも……いいのか?
いや、良い筈が無い。でも、逃れたい。忘れたい。

「「「「死んじゃえ」」」」

……そうか…死ねばいいんだ…。
そうすれば全てから逃れられる。
向き合うようなことは俺には出来ないんだ。
俺は結局、逃げるしかないんだ。

「「「「いらない」」」」

ああ…そうだ…。拒絶されるってこういう事なんだろうな…。
すげー、痛い。たぶん、あいつらもこうやって痛みを抱えていたんだろうな?
ああ…まだ、痛みを感じてる。
いつになったら痛みを感じなくなるんだろうな…。










翡憐の方が一歩的な防戦だった。
あゆが放つものに対して相殺するだけ。たったそれだけの事を繰り返しているだけだった。
ただ、翡憐も何か考えがあるようで、あゆもそれに警戒して大技を繰り出してこなかった。

「そうやって傷つける事に躊躇いは無いのですか?」
「どうしてためらうの?欲しいものは欲しい。力付くでも奪えば良いんだよ」

翡憐の“想い”があゆの“欲望”とぶつかる。
二つのそれは互いに衝突し、消えていく。一定の距離を保ったままの争い。

「そんな事をすれば多くの人が傷つく。その事も考えないのですか?」
「ボクはボクの欲求さえ満たせれば良いんだ。ほかの人なんて知らない」

再び、両者はぶつかる。そして消えていく。そんな不毛な戦い。
しかし、終わりの無い戦いではない。どちらかが力尽きるか、祐一の心が壊れるかすれば
この戦いは終わる。
力尽きるほうも明らかにどちらかが分かった。
一目で分かるくらい、翡憐は疲労していた。正確に言えば、壊れてきていた。
体のあちこちにノイズが入っているかのように乱れていた。
あゆの方は全く変化が無く、ただ笑顔を浮べながら戦いに興じていた。
祐一の心が壊れる前に決着をつけなければならない…。
無茶にも程がある。と心の中で思いつつも翡憐は小さい可能性に掛けて耐えていた。
成功するかは、ほとんど分の悪い賭けでしかない。
何より、もとから不利な状況にある。あゆは自分が倒れないように防御一点でも目的は達成できる。
しかし、翡憐の場合はそうはいかない。翡憐は祐一の心が壊れる前にあゆを倒さなければ成らない。
しかも、自分より強い相手である。時間制限付きのハードな戦闘だった。
(乾坤一擲、祐一の好きな言葉ですね)
翡憐が考えている事はまさにこの言葉で代用できる事だった。

「いい加減に諦めてよ? 祐一君はボクの物なんだから」
「消させるわけにはいきません。世界を崩壊させるわけにはいきませんので」
「それは建前。本音は欲しいんでしょ?祐一君が」
「それは…」
「違わない。御速水さんもボクと同じく、ボクを傷つけて祐一君を奪う。欲しいものは奪うっていうのが君の本心」

翡憐がまた壊れた。明らかに不利な状況下。さらに追い討ちを掛けるように信念を崩していく
あゆの口調。
祐一のいない翡憐は明らかに不利だった。
どう足掻いても、今のままでは負けることなど火を見るほど明らかだった。

「それをそうやって他人云々を気にするなんて言うから嫌い」

“欲望”が放たれる。“想い”で受け止める。相殺するものの相手の一方的な攻撃に不利な状況は変わらない。

「いい加減、正直になろうよ」
「……確かに私は祐一が欲しい」
「認めた。なら、ボクを否定する事は出来ないよ?」
「しかし、社会を形成するには自我が必要なのです」
「知らない。ボクはただ欲しいだけ。それがボクの本心だよ」

欲望そのままのあゆには理論などいらなかった。当然である。彼女は本能なのだから。
欲望、人間で言うイドにあたるものなのだから。

「自我があるから人は行動を制限されるんだよ。無かったら良いんだよ。そんなもの」
「やはり、あなたは…」
「そうだよ。ボクは月宮あゆのイド。人間の根本。そして月宮あゆの願いを叶えるためにここにいるんだよ」

不敵に笑うその顔はすでに幼さの残る月宮あゆではなく、獲物に狙いを定めた肉食動物のようなものであった。

「本当のあゆがそれを願った。だから叶えるためボクはここにいる」










どれだけの時間がたったのか分からない。
耳をふさいでも聞こえてくる俺を責める声。
心に突き刺さってくる棘。
痛みを感じたくないのに、いまだに感じ続ける心。

「もうやめてくれ…」
「まだだよ。だって、祐一は一人で苦しみなく生きてるんだもん」

そうだ…そうだよ…。だからって…。
くそ…逃げられないし。
受け入れられない。
俺ってこんなに弱かったのか?

「そうだよ。だから、逃げて忘れて…私たちのことを無視したんだよ」

ああ……やめてくれ。
もうこれ以上、俺を責めないでくれ。

「祐一だけ何にも無いなんて不公平…」

ああ…まだ、俺は許されないのか?
俺の罪はこんなにも深いのか?

【願いは何?】

俺は…どうすればいいんだ?
どうすれば償える? みんなに対してした過ちに対する償いは……。

【願いは何?】

助けてくれ……翡憐。
俺はどうも自分の罪すら償えない馬鹿な男なんだ。

【それが祐一君の願い?】

そうだ…。
助けて欲しい。それが俺の願いだ…。

【祐一君は大きな間違いをしてる。だって、誰も責めてないもん】

なら、俺を苛むこの言葉を発している奴らは何なんだ?

【それは祐一君の幻想だよ】

どこからか聞こえてくる優しい声。
それが俺の正気を取り戻させた。
廃墟が広がっているのは変わらない。
だが、周りから声が聞こえなくなっている。

「今までの声は…?」
【祐一君が祐一君自身を責めるために作った幻想】
「あゆ……?」
【うん。そうだよ】
「何でだ? なんでお前は俺を助けるんだ?」
【だって、祐一君が好きだから…苦しんでるなら助けないと】
「でも、俺は……」
【ボクを確かに見捨てた。でもね。だからといってそれが責める理由になるとは限らないんだよ?】
「……」
【本当に好きなら、自分の所為で苦しんでなんて欲しくないから】
「あゆ……」
【それに、祐一君に翡憐さんが必要なように翡憐さんにも祐一君が必要なんだよ?】
「……そうなのか?」
【忘れたの? 翡憐さんの力は祐一君の想い。祐一君がいなかったら翡憐さんは】
「……」
【ねぇ、祐一君。翡憐さんは自分自身を責めている祐一君を好きになると思う?】
「でも、俺は…それだけの罪があるんだ」
【ちがうよ。祐一君に罪は無い。罪は他人が罪と認めない限り罪にはならないんだよ?】
「なら…俺のは罪になるんじゃないのか?」
【ならないよ。だって誰も祐一君の罪とは思っていないから】
「だが…俺をみんな責めてた」
【だから、それは祐一君の幻想だよ?】
「……そうなのか?」
【そう、だからこれ以上、自分を責めないで】
「……」
【祐一君がまた罪を作りたいなら、自分を責め続けてもいいけど?】
「また罪を作る?」
【そう、翡憐さんを見捨てるという絶対的な罪】
「…俺が翡憐を見捨てる?」
【もし、これ以上、自分を責めて翡憐さんを見捨てたら、ボクは祐一君を許さないから。祐一君を助けるために戦っているのに
 祐一君が助けに行かない。それは絶対にボクは許さないよ】
「……あゆ」
【だから、祐一君。自分を責めないで。祐一君が不安に思っているならボクが祐一君の無実を証明してあげる】
「……」
【立ち上がって。前を見て。過去ばかり見ていても駄目。過去を振り返ることはいいけど、囚われたら駄目だよ?】

あゆの言うことは一理ある。確かにそうだ。過去ばかりに囚われて先に進まないのならそれは
ある種の罪になるのかもしれない。

「俺はどうすれば良い?」
【前を向こうとすれば良いよ。そうすればボクが祐一君を未来さきに連れて行ってあげるから】
「……俺は……」
【さぁ、祐一君】
「俺は……翡憐を見捨てたくない。過去には囚われない。だから、あゆ。俺を助けてくれ」
【うん!】

あゆの声に俺は従った。
おそらく、あゆの言うとおりだろう。過去に囚われていては駄目だ。
過去を見つめ、過去の出来事を受け入れて未来さきを見なければいけないんだ。
それが多分、今の俺に出来ること。

「あゆ。俺はみんなに謝りたい。みんなに責められてばかりじゃない。責められて、謝りたいんだ!」
【じゃぁ、願って…。どこに行きたいか。何をしたいか…】

俺は目を瞑り、俺の行きたい場所。いや、傍に居て欲しい人の事を思う。
いつも一人で、いつも寂しげで、いつも人の為に動いている少女。
俺が好きと伝えた人物。そして俺をいつも傍で支えてくれる人物。
だが、俺はその人の傍にいるためには過去を清算しなければならない。
だから…お前を信じるぞ。翡憐

【それが祐一君の願いだね】





あゆの声が響いた。と同時に瞳を開くとそこに広がっていたものは金色の麦畑だった。
そんな中、俺の正面に立っている少女に覚えがあった。

「舞……」
「祐一……」
「ここは、あの麦畑か…」

あたりを見渡すと麦が風に揺られていた。
少女の頭に付いているウサギの耳もそれに揺られていた。
やっぱ謝んないとな…。

「どうしてここに来たの?祐一が来るべき場所じゃない」
「……俺も最初はそう思った。初めは翡憐の居場所を願ったんだ。でもな、罪を償わずに翡憐の傍で笑うには俺も抵抗があった。
 それに翡憐も嫌がるだろうしな」
「……」
「舞、悪かった。今更謝るには遅すぎる気がする。でも、謝らないわけにはいかない。どんな償いもする。悪かった」
「……祐一。私は祐一がこの場所に帰ってくるのを待っていた。ずっと待ってた」
「ああ……」
「だから祐一は勘違いしてる。だって、今、来てる」
「あ……」
「だから、謝らなくて良い。私の憖いは祐一がここに来ることだったから。今、叶った。おかえり、祐一」
「……舞……」

内側から何かがこみ上げてくる。
喜び? 悲しみ? 何だ、この感覚は…

「男は泣かない」
「えっ…?」

舞に言われて初めて気が付いた。頬が濡れていく感覚。
そうか、俺は泣いていたのか…

「祐一、泣いている暇があるなら行くところがある」
「そうだな」
「祐一の幸せ。それが私の次の約束」
「舞、ありがとな」
「翡憐によろしく」
「ああ」

俺は涙を拭うと身体を翻した。
まだ償わなければいけない罪はまだ残っている。だからといって途中でやめる気など更々無い。
立ち去ろうとする俺の後姿に声が掛かった気がした。

『祐一……ありがとう』



一歩踏み出すと世界が白く変わった。最近、こんな変なことのオンパレードで慣れてきたな。
前にはうぐぅ星人が立っていた。
変わらないダッフルコートに羽リュック。そしてミトンをはめている辺り、もはや制服だな。

「よぉ、うぐぅ」
「ちょっとかっこいいなって思ったのに、それだと御速水さんに捨てられるよ?」
「安心しろ、あいつは逃げられん。俺にぞっこんだからな」

ちなみに俺も翡憐にぞっこんだったり…

「何か惚気られた気がする…」
「そう言うな。惚気てみたかったんだ」
「祐一君ってどこ行っても祐一君だよね」

と盛大にため息をついているあゆよ。俺にすごい失礼だからな。
まぁ、今は大切な協力者だから丁重に扱うが。

「って、おい、あゆ。確かのんびりとはしてられんだろ?」
「そうだね。それじゃ、祐一君。次はどこに行きたいの?」
「みんなに謝るに決まってるだろ?」
「良いけど……手遅れになったらどうするの?」
「おいおい、あゆ。誰に物を言ってるんだ? あいつは俺の彼女だぞ?」
「ゆ、祐一君… どこからそんな自信がくるの?」
「だぁー!! うるさいぞ、あゆの癖に!!」
「う、うぐぅ!! ごめんなさい!!」
「ほら、次行くぞ」
「じゃ、何処に行くの?思い描いて……」





俺が次に訪れた場所は大きな丘だった。
ものみの丘。それが後輩から聞いた丘の名前だった。
そんな涼しい丘の中央にあいつが立っていた。いつも俺に悪戯ばっかりしてくるあいつが…。

「真琴…」
「どうしてここに来んのよーー!!」
「うおっ」

いきなり怒鳴るなっての。

「祐一が行く場所はここじゃなくてあの女のところでしょーが!!」
「怒鳴らなくても聞こえてるから、怒鳴るな」
「どうしてそんな馬鹿なことするのよぉ…真琴の事は気にしなくて良いから…」
「分かった。ただ、一言言わせてくれ。すまん。ちゃんと面倒見切れないのに拾っちまって…。それで後は捨てて…悪かった」
「あうー……」
「すまない、真琴」

俺は誠心誠意、頭を下げた。それで許されるかどうかは分からない。ただ、そうしないと。
それが今の俺のすべき事だった。

「……」
「……」
「祐一」
「……」
「一つだけ約束して…」
「おう」
「あの女、大事にしなさいよ。真琴を二回も捨てるんだから……」
「優しいな」
「ふ、ふん、ほめても何も出ないんだから」

真琴、余所見をしても誤魔化せんぞ。照れてるな
……ありがとな。真琴。
ものみの丘を通り抜ける風が俺の周りで踊る。
取り囲むように、俺を竜巻の中心にしているように。
身体が浮くような感覚がある。俺はゆっくりと目を閉じる。
浮遊感の中で俺は真琴の声が聞こえた気がする。

『祐一……ありがとう』





「次はここか」

いつもの場所だった。
秋子さんが居て名雪と共に飛び出す家の前に立っていた。
そして俺と向かい合うように立っているのは七年前の名雪だった。
雪ウサギを手に持っている。

「来たんだ」
「ああ」
「ねぇ、雪ウサギ、受け取ってくれる?」

三つ編みの髪を揺らして俺に近づいてきた。
そして俺に差し出す。

「ああ」

小さな手の上に作られた雪ウサギ。
俺はしゃがみこんでそっと受け取った。ひんやりとした感覚が手の平から伝わってくる。

「やっと渡せた」
「ごめん…名雪。俺は」
「それ以上は言わないで」
「名雪……」
「言うと許さないから」
「……」
「ほんとはね、すごい悔しいんだよ? ずっと祐一のことを思ってたのに…… でも、祐一は振り向いてくれなかった。
 七年経ってもだよ? とっても悔しい。でも、無理やり祐一を振り向かせても多分、祐一の心は占領できないしね」

泣きそうな名雪の顔を見ていられなかった。
だが、逸らすわけにはいかない。しっかりと見ないと。

「祐一。今は御速水さんに譲ってあげる。でも、御速水さんに飽きたらいつでも来ていいよ」
「飽きたらな」
「望み薄そうだけどね」
「名雪」
「行って……早く行ってあげないと苦しんでるよ?」
「ああ、分かってる。みんなを裏切ってまで翡憐に付いて来たんだ。あいつを死なせるわけがないさ」
「違うよ。みんなを裏切ったんじゃないよ。ただ、私たちに魅力が無かっただけだよ」
「……そうか、そんじゃ、ちゃんと磨いとけよ」
「うん」

雪ウサギが光になって空に舞う。
高く上がるに連れて、光が薄くなって消えていく。俺の身体もその雪ウサギのように淡い光を放ちながら空に舞い始めた。
名雪がその様子を見つめる。最後まで笑顔を浮べている名雪を俺は記憶にしっかり刻み込んだ。
そして俺の意識が世界から消えようとした時、声が聞こえた。

『祐一……ありがとう』





全ての始まり。
そして、物語の終わりがここだった。
俺の全てが詰まった場所だ。
大きな木の下で幼い頃のあゆが立っていた。俺を案内していたあゆとはまた違うあゆだった。
優しい眼差しが俺を包み込んでいる。

「祐一君、ここにも来たんだ」
「当たり前だ。お前にもしっかりと謝らないといけないんだ」
「うん」

俺は背筋を伸ばして大きく、息を吸い込んだ。

「あゆ、悪かった。俺のせいで今も眠り続けることになった。どんな償いでもする。だから、みんなを帰してくれ」
「祐一君」
「……」
「祐一君って普段は捻くれ者だけど、どうしてこういう時だけ真っ直ぐなんだろうね」
「……」
「話がしたいから顔を上げて」

顔を上げた俺に向けるまなざしは初めと変わらず優しさに溢れていた。
俺の周りに居た奴って本当に優しい奴ばっかりだった。

「ボクはずっと眠り続けて本当に辛かった。あの時、どうして助けてくれなかったの?
 どうしてあの時、見捨てたの?って思ったんだよ?でも、子供だったら絶対に逃げると思う。
 だからね、許す…って訳にはいかないけど、気持ちは分かるよ」
「…あゆ」
「祐一君。ボクの時みたいに他の人を見捨てないで欲しいんだ。だから、御速水さんを絶対に見捨てないで。
それがボクに対しての償い。それで許してあげるよ」
「みんな、自分の事より、俺と翡憐なんだな」
「だって、御速水さんと一緒に居るときに祐一君、すごく生き生きしてるから。それぐらい仲が良い二人を裂けないよ」
「……」
「ボクとの…ううん、みんなとの約束、絶対に守ってよ?」
「ああ、守る。絶対に俺は翡憐を手放さないし、絶対に幸せにしてみせる」
「いつもそれぐらいかっこよかったら、御速水さんも苦労しないんだろうけどね」
「結構、疲れる」
「うん、それでこそ祐一君だよ。御速水さんによろしくね」
「ああ……」

木々のざわめきが俺を取り囲む。
舞い散る葉が俺を包み込んでいく。
徐々に激しくなる木々のざわめきと、舞い散る木の葉の演舞。
一切の感覚を失う直前にあゆの声が聞こえた。

『祐一君……ありがとう』





目を開けると、そこは真っ白い世界だった。
そして、そこに立っているのはさっき別れを告げてきた少女の成長した姿だった。

「あゆ」
「全員に挨拶はしてきたんだ」
「ああ」
「最後だね」
「あとは翡憐を助けるだけだな」
「……ううん、実はまだ一人残っているんだよ?」
「えっ?」

驚いた俺を白い鳥の羽が包み込んだ。思わず目を閉じる。
急激に地面にひきつけられる感覚。

「あ、あれ…」
「ここに行かないと駄目だよ? 祐一君を助けてくれる人の根源に」
「根源……?」

俺の意識がまたどこかへ飛んでいこうとしている。
最近、意識が飛ぶことが多くなったな……。
【祐一君が忘れている記憶。ここに行かないと駄目だよ?】
そんなあゆの声を遠くに聞きながら。俺はどこかへおちて行った。





「ここは…?」
俺が目を覚ましたところ。
それは小さな丘の上に立つ桜が舞い散る中だった。
そんな薄紅色の桜の花にまぎれて、上から下まで黒い衣服で統一された女の子が立っていた。

「どうしてここに?」

驚いた表情を浮べる少女に俺は衝撃を受けた。
その仕草。その口調。そしてこの雰囲気…。

「ひ、翡憐……」
「何故……ここに?」
「俺は…七年前に翡憐と出会っていたのか?」
『そうだよ。そしてこれがその時の記憶』

あゆの声が聞こえた瞬間、目の前が暗転した。
そして、俺はモノクロの世界へ飛び立った。










過去が明らかになる
忘却のために犠牲にした大切な記憶。
さぁ、これが物語の始まり。
これが全ての根源。
これが出会い。