黄昏時はこれから暗くなっていく手前


すなわち、絶望への入り口


黎明はこれから明るくなっていく手前


すなわち、希望への入り口


今はどっち?


目の前に広がる薄明かりは…


これから暗くなるの?


それともこれから明るくなるの?










Crtharsis

第三十編 Dusk or Dawn
(1月22日 金曜日)










御速水を追い返してから、一日がたった。
別に寂しいわけじゃない。
俺にはあゆがいる。
俺のそばに居てくれているんだ…。
寂しいはずが無い。

「だろ? あゆ」
『うん、ボクは祐一君のそばに居るよ』
「ああ…」

これで良いんだ…。俺は一人じゃない…。俺にはあゆがいる。
それに原因がもう分かっているんだ。
あとはどうにでもなる。それなら、今更焦る事もないだろう。

「あとは御速水だな」
『うん、そうだね』
「…今じゃなくても良いな…」
『うん、大丈夫だよ』

“ズキッ”

頭痛が始まった。
生まれる事は痛みを伴う…。そんなことを聞いたことがある。
たぶん、俺の記憶が生まれようとしてるんだろうな…。

「…くっ…!」
『祐一君?』
「だ、大丈夫だ…」
『うん、ボクがついてるから…』
「ああ……くっ…」

痛みが強くなってくる。頼む…。もう失くしたくないんだ。思い出せよ…。










雪ウサギ……


麦畑……


キツネ……


大きな木……


満開の桜……


記憶の断片Fragment

あやふやで…単語しか思い出せない。

ただ…それはそれぞれの象徴的な物Symbolic

それは記憶を掘り返す上での重要なキーワード

それぞれの少女を表す断片Fragment…。

思い出せ…。

どのキーワードが、どの少女の象徴的な物Symbolicなのかを…。



「ぐぅ…」
『祐一君…』
「もう……すこ…し…なん…だ」
『がんばって、祐一君』
「……」



雪ウサギ……
小さな雪ウサギ……。
俺は払いのけた…
小さな雪ウサギ……。
それは……


金色の麦畑…
ウサギの耳を躍らせて…
走る少女
少女は金色の麦畑に…
姿を消す……


黄金色の毛並み…
太く伸びた尻尾…
俺の頬をくすぐり……
楽しげに振りながら…
眠りにつく……


大木に……
身を預け……
空を眺める少女……
白き雪は…
赤き雪へ染められる…。


満開の桜……
薄紅色の花びらが舞う…
楽しげに乱れ散る
なのに…
少女の姿は見えない。


「ぐああぁぁ!!」

頭が張り裂けそうに痛い。
断片しか思い出せない。全部…全部思い出したいのに…。
何も思い出せない。断片しか思い出せないのかよ!
俺はそれだけしか記憶してないのかよ!
思い出せ!
忘れたんじゃない! 忘れようと努力してただけだろ!
全てが嫌で忘れたんだろ! だったら思い出せ!
忘れる事が出来たんなら、思い出す事も出来るだろ!!
頭の中でスパークする。
記憶の封印が解けてるんなら、思い出す事など造作も無いはず。
記憶が内側から溢れてくる。
嫌な記憶だろうと俺は……
世界が入れ替わる。
重力から解放された瞬間、開放感に身を震わせた。
内側からあふれ出る情報の奔流に脳がついていかない。
至高のハードウェアと名高い脳でさえ追いつけない情報量。
今までの記憶が一気に吹き上がってきていた。大量のおもちゃが入ったおもちゃ箱をひっくり返したような
惨劇が脳内で繰り広げられていた。
前後の脈絡も関係ない記憶同士が合わさり、不可解な記憶になっていた。
手で写された写本は一度、間違えば初めからやり直さなければならない。
生まれた瞬間の記憶から、ほんの一秒前の記憶まで全てを書き換えていく。


光が見えたことに歓びの声を上げているのか、光が見えたことに絶望の泣き声をあげているのか?
そんな小さいころの記憶。
かけっこで一番、早い走り方は? 思案して結局、元に戻る幼い頃の単純思考。
好きな女の子は誰か? という幼い初恋の思い出。それはある種の忌まわしい記憶。
八年前に出会った少女は金色の畑で走り回っていた。
七年前に出会った少女は悲しみにくれていた。
懐かしい従姉妹の髪型は三つ編みだった。
北国で出会った幼い子狐は小さいながらも金色の毛並みだった。
初めての学園祭は戸惑いを覚えた。なれないことの連続。親への反発。それが一つの思い出。
全て思い出していく。そう、俺の欠けた部分が全て埋まっていくのだ。
一切の記憶が元に戻っていく。










なら、灰色に汚れた俺の記憶の中で一際、色彩に富んだこの少女は誰だ?
烏羽玉色の黒い髪をなびかせて、アレキサンドライトのような二面性を持ったその少女は?
黒百合のような魅力的で不吉なイメージを纏っている少女は?











そんな人間は居ない……。


そんな     一体誰だ?

         人間は     一体誰だ?

                   いない     一体誰だ?












『存在しない』に汚れた俺の記憶の中で一際、色『存在しない』この少女は誰だ?
烏羽玉色の黒い髪をな『存在しない』アレキサンドライトのような二面『存在しない』その少女は?
黒百合のような魅力的『存在しない』メージを纏っている少女は?



『存在しない』に汚れた『存在しない』中で一際、色『存在しない』この少女は誰だ?
『存在しない』黒い髪をな『存在しない』アレキサン『存在しない』ような二面『存在しない』その少女は?
『存在しない』うな魅力的『存在しない』メージを纏『存在しない』



『存在しない』『存在しない』『存在しない』中で一際、色『存在しない』『存在しない』
『存在しない』黒い髪をな『存在しない』『存在しない』『存在しない』ような二面『存在しない』『存在しない』
『存在しない』うな魅力的『存在しない』『存在しない』『存在しない』



『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』
『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』
『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』『存在しない』




「……」
『祐一君?』
「……」
『祐一君? 大丈夫?』
「…あゆか…頼む、話しかけないでくれ…。頭に響く」
『うん。今は休んだほうが良いよ』
「ああ…」

全部…思い出した…。
俺が何をしたか…。ただ、今だけは休ませてくれ…。
次、目を覚ましたときに全て償う。
俺が背負うべき罪は背負ってやる…。だから、今は休ませてくれ…。












どれだけ寝たのか分からない。
今が何時なのかも分からない。ただ、俺はもう…

「なぁ…あゆ」
『大丈夫? 祐一君』
「俺…どうしよう…」
『つらいの? 祐一君』
「ああ、俺は…」

目覚めれば、眠る前の決意など何処へ行ったのか…。目の前の恐怖にただ、逃げようとするだけ。
どこかへ逃げれるなら何処へでも行きたい。
誰も俺を責めない。
誰も俺を知らないところへ…。
いや…逃げても変わらないだろう。
俺自身が俺を責め続ける…。
逃げた事を
忘れた事を…

「あゆ…」
『祐一君。ボクは祐一君のそばに居るよ』
「あゆ…」

名雪も俺を責めるだろう。舞も俺を恨んでるだろう…。
真琴も…だから、俺を狙ってたんだろうな…。

「お前だけだな…」
『だって、ボクは祐一君のことが好きだもん』
「そっか…」

うれしい。
恨まれるだけの俺をそうやって慰めてくれる事が…。
あゆに対しても俺は…
俺は見捨てた…。なのにあゆは恨み言も言わず俺を受け入れてくれている。
……。

『祐一君。行こうか?』
「どこへ?」
『誰も祐一君を責めないところ』
「……ああ」
『うん、“果テ無キ世界”に行こうよ』
「ああ…あゆがいれば怖くないな」
『うん、大丈夫』

どこかで聞いた単語があゆの口から出てきた。
ただ、今の俺にはそんなことどうでもいい。
ただ、誰にも責められない。誰にも俺を拒絶されない世界にいけるなら…。

「ありがとう…あゆ」










「…?」

誰かが消えるような感覚。
そんな感覚が私の中を走りました。消える事などありえないはず…。
人が死ぬことはあっても消える事はありません。
しかし……

「まさか…」

相沢さんが?
でも、いくらなんでもあの人はそこまで弱くは無いはず…。
しかし…可能性としては一番高い人。
もし、記憶を全て取り戻したのなら…。
“果テ無キ世界”へ旅立つ事も…。

「……」

いえ、相沢さんなら……
でも、この拭えない不快感は?
襲ってきたこの胸騒ぎは?
……

「私には関係ない」

そう、もし相沢さんがあの世界に行ったのなら、それは私より月宮さんを選んだことなのだらから。
あの人の意思を尊重しなければ…。
それに…あの人の精神が崩れる直前が、月宮さんにとってチャンスのはず。
あの人が帰ることを望むなら、それは逆に私のチャンスでもある。
今は…まだ時ではない。










黄昏と黎明
どちらも境界線。
越えれば朝。
越えれば夜。
どっちかな?