不確定要素が強いとそれはどちらにも成り得る


前提を変えるだけで真実が逆転する。


否、前提が確定しなければそれは全部が逆転する。


どちらが正しいか…


どちらも正しく


どちらも間違い


表と裏


表が見えれば裏が見えなくなり


裏が見えれば表は見えなくなる


それはまるで二律背反アンビバレンス…。










Catharsis

第二十九編 離別Separation
(1月21日 木曜日)










今日も今日とて俺は惰眠を貪っていた。
と言いたい所なんだが…眠るにも眠れん。
昨日から俺は浅い眠りの繰り返しだった。寝ようとしても気分が高揚して結局寝付けず、寝返りを数える事も飽きた。

「くそっ…」

秋子さんは無事だと聞いている。ただ…舞の状態は…

「くそっ…」

何が原因なんだ?
何が俺たちの周りで起きてるんだ?
何が俺に起ころうとしてるんだ?
真琴も調子を崩してるし、名雪はあれから部屋から出てこようとすらしてない。

「くそっ…」

イライラする。
自分がどんな状況にあるのか分からない。
これからどうなるかなんて分かるはずが無い。
……これを知っているのは…あゆか御速水だ。

「どっちでも良い…俺に教えてくれ。真実を」
『教えてあげようか?』
「!!」
『断片しか集められなかったけど、それでも推論を立てるには十分だよ』
「あゆ…お前って実は使えたんだな」
『祐一君…ストレートに言いすぎだよ』

頭にあゆの声が響いてきた。昨日、確かに頼んだんだが…。

「それで何が掴めたんだ?」
『うん、実はボクも含めて名雪さん、真琴ちゃんは七年前に舞さんは八年前に祐一君と出会ってるんだよ』
「何?」

名雪とあゆはともかく、真琴と舞とも出会ってたとは…

『それにもう一つ、御速水さんとも八年前に出会ってたんだよ』
「えっ?」

御速水も……ということは…。

「俺の記憶が無い時期の人間がみんな倒れているってことか?」
『うん、そうみたいだね』
「という事は俺が記憶を取り戻せば何かが分かるかもしれないという事か?」
『うん、ただね…祐一君の記憶だけど…また塞がったみたいなんだ』
「塞がったって…あゆが開けたんじゃないのか?」
『そうなんだけど…また閉じてるんだよ』
「……」

また閉じてる?それを閉じる事が出来たのは…御速水?

『祐一君?』
「御速水か?」
『御速水さんがどうかしたの?』
「いや、自分で記憶って閉じる事が出来るのか?」
『まぁ、出来ない事は無いけど、そんな短時間には出来ないよ。自分で閉じるって事は忘却する事だからそれまで時間がかかるでしょ?』
「……」

なら短時間で記憶を閉じる事が出来るのはあゆと御速水。
なぜ、閉じる必要性がある?

「……」

何か思い出されると困る事があるからか?
七年前のことを知っていて答えられるのはあゆ、御速水。この二人だけ…。

「…あゆ、俺の記憶は知らないんだよな?」
『うん、祐一君自身の記憶をボクは持ってないよ。ボクはボクが体験した事しか知らないから』
「ということは俺が体験した記憶を持っているのは俺だけ?」
『あとは可能性として御速水さんが持っているだけ』
「……」
『その部分だけ閉じるなんて芸当、見ないと分からないよ。だって、その部分限定で封じているんだからね』

そうだ。俺の記憶は七年、八年前の記憶が無い。しかし、それ以前の記憶はあるし、
それ以後の記憶もしっかりと思い出す事が出来る。
その二年の記憶だけがすっぽりしかも雪国で過ごした部分だけが抜け落ちているのだ。

「……」

これを偶然と言い切れるか?これを人為的でないと言い切れるか?

「……」

推論だ…。だが、理論としてはどこも破綻してないはず。
記憶を如何こうできるのは御速水とあゆだけ。
そしてあゆが触れた後、俺の記憶は少しだがよみがえろうとした。
しかし、御速水が触れてからはそれが無くなった。
……なら、封じたのは再び閉じたのは御速水?
…する必要性は?

『祐一君?』
「御速水だ…御速水が全部知ってるはずだ」
『どうして?』
「お前に記憶の扉を開けてもらってから、俺は思い出せそうだった。だが、今はそんな兆候が無い。
 御速水に触れられてから記憶が戻る兆候が見られなくなった」
『うーん、それなら確かにそうだね。でも、御速水さんと断言するには早すぎない』
「だから、本人に聞くんだ。一番、疑われていると分かれば隠している事も話すだろうしな」

隠し事が多すぎる。それも俺に関することばかりだ。
何で言わない。何で黙っている…。

「……」

なら聞き出せばいい…。
不意に内側から湧き上がってくる感覚に一瞬と惑った。ただ、それも真実を知ろうとする今の心境を止めるには弱すぎた。
そのときの俺の感覚は普段の俺じゃなかった。だが、俺はそれを受け入れる事に何の躊躇いも無かった。暴力的な衝動を抑える必要など無い。
今、必要なのは事実だ。理性的でスマートな解決方法じゃない。
それが当然なんだ。
部屋にある時計に目をやる。
時間は十時。普段なら学生である以上、学校に行っている時間であるが、今は休みだ。
世話焼きのあいつだから、そろそろ姿を現すだろう。
下に下りよう。

「あゆ…」
『何?祐一君』
「ありがとな」
『ううん、いいよ』

あゆが俺の頭から消えていった。
御速水…真実を教えてくれ…。










「相沢さん」

リビングでのんびりとしていた俺に声がかかった。
俺の予想よりも少し遅かった。

「よぉ…」
「少し元気になったようですね」
「ああ、目的が見つかったからな」
「えっ?」
「……御速水」

俺はソファーに沈めていた体を起こした。
少し怯えたような視線を向けるのは気のせいか?

「…相沢さん?」

俺が一歩近づく、すると御速水は一歩後退った。俺の背後に入り口がある。
逃げ道は無い。
御速水はどうも俺の雰囲気を察したらしい。随分と優れた感覚じゃないか。

「……」
「……」

後退りする事が出来なくなった御速水は壁に背をつけて俺を見つめた。

「御速水」
「相沢さん」
「…教えてくれ。お前は何を知っている」

一歩、近づく。

「相沢さんが知っている事と同じ事、そう前に言ったはずです」
「俺の過去を知っているんじゃないのか?」

更に近づく。
御速水に逃げ道は無い。

「私は知りません。相沢さんの記憶など」
「なら、何故、二年間だけ俺の記憶を封じる事が出来た?」
「……」
「なぜ、俺がこの事件の鍵だと知ってる」
「……」

御速水の首に手をかけた。
驚く事もせず、ただ無表情で涼しい瞳が俺を見つめる。

「答えろ」
「……」

力をこめる。
柔らかいな…。
そう思いながら細い首筋に指が食い込む。

「……」

目が少し細くなる。

「お前が居なくなれば、名雪たちも助かるかもな」
「……」

相変わらずの瞳で俺を見つめる。

「……」
「……」

顔が苦しみでゆがむ。俺の手を御速水の手が掴む。
非力だな…。
壁に押し込みながらさらに力をこめる。

「……ぅ…」
「答えろ、御速水」

目が泳ぎ、視点の合わない瞳で俺を見つめる。
しゃべらないなら、死んでくれ。
それで名雪たちが助かるんなら、俺は喜んで殺人者になってやるよ。

「……」
「……」

俺の腕を掴む力が弱くなってきた。
もうそろそろだな…。

「な!何やってんだ!相沢!!」

俺は振り返る。北川が驚いた表情で見ていた。
力が抜けて御速水の腕が落ちるのが分かった。

「別に……」

冷たい、ってこういうことを言うんだろうな。
正面を向き直って、御速水の顔を見た瞬間、
後ろから腕をつかまれ、強引に腕を開放させられた。
ドサッと人の崩れる音。御速水が床に倒れこんだ。

「おまえ!御速水さんを殺すつもりか!」
「お前には関係ないだろ?」
「なっ!」
「お前には関係ないだろ」
「人殺しをしている現場に出くわして止めないわけにはいかないだろ!!」
「うるさいな」

北川から目を逸らした。と後ろで咳き込む音が聞こえた。
どうやら運よく目を覚ましたらしい。
あのまま死ねばよかったのにな…。
壁を支えにして立ち上がる御速水の姿を、俺は特に何も沸きあがってこない心で見つめた。

「……」
「生きてたとはな」
「御速水さん!」

北川が支えに向かう。
どうでも良い。こいつが原因だ。
それが分かっているならいずれけりをつければいい。

「……」

北川に支えられながら涼しげな瞳が俺を射抜いた。

「…何だ?」
「……別に…」
「さっさと失せろ」
「おい!相沢!」

俺に掴みかかろうとしている北川を御速水が引き止めた。

「良いのです」
「でも…」
「さっさと帰れ」
「相沢…お前…」

北川は俺に何か文句があるんだろうが、御速水はここにいても何にもならないと分かっているようで、
何も言わずに出て行った。利口だな。
妙にさめた気持ちで出て行く二人を見送った。










「ここで大丈夫です」
「そ、そうっすか?」
「ありがとうございます」

一時的とはいえ酸素が完全に途絶えたので、体はまだ酸素をほしがっていました。
気分も吐き気を催しながらも理性がそれを食い止め、口の中で苦い味が広がるだけでとどまっていました。

「相沢…どうしたんだろうな?」
「…人は何かにすがらないと生きていけません」
「ん?」
「いま、あの人にとって周りが大きく変わろうとしているんです。秋子さんは入院中ですし、
 三年の舞さんもまたあの人と知り合いでしたが今、入院中です。水瀬名雪さんは今も部屋に閉じこもったままと聞いています」
「……」
「誰かの所為にして誰かを恨みでもしないと自分を保持できないのでしょう」
「だからって…」
「それであの人が少しでも楽になるのなら構いません」
「…相沢もこんなに思ってくれてる奴にひどい事するとはな」
「そうですね。元に戻ったら何かしてもらわないと割に合いませんね」
「…ああ、そうしてやったら良いんだよ。それじゃ、気をつけて」
「はい、ありがとうございました」

私とは反対方向に走っていく北川潤さんの姿を見送ってから、家に向けて歩き出しました。
どうやら、月宮あゆさんが相沢さんを内に取り込んだのでしょう。

「相沢さん。もう一度、自分を取り戻してください」

この呟きが届くとは思っていません。
ただ、元の相沢さんに戻ってくる事を願っています。
どうか…自分を取り戻してください。










祈り。
“祈”の斤はすれすれに近づくと言う意味。
“祈”の示は祭壇という意味。
すなわち、目指すところに近づけるように神に願う事。
彼女が目指すところに近づけますように……。