軋む


体が


崩れる


意識が


何もかもが…










Catharsis

第二十編 軋む体とつながる心
(1月16日 土曜日 昼)










「……っ……」

急に体が軋む感覚。
これは…!
気づいた時、内側からかき回されるような、神経という神経が悲鳴をあげてきました。
様々な感覚が一瞬にして脳に到達。
情報処理の限界を超えて私に訴えかけてきました。
動かすたびに痛む体。

「…あっ…! …ぐぅっ……!」

何とか声を上げないようにしていますが、それもすぐに限界が来るでしょう。
まだ、考えられるだけの余裕が。しかし…
一瞬の空白の後、第二波が襲ってきました。
第一波よりもはるかに激しい痛み。

「ぐぅうあぁ!」

どこが痛いのか分からない。
胸? 頭? 足? 手?……
全て…。
痛くない場所などない。全身に痛みがありました。
神経を直接、手で引きちぎられていくような痛み。
体の中をかき回されるような痛み。
気が遠くなってきます。
なのに意識が落ちない。
気を失いそうになるのに痛みで意識が戻る。
それの繰り返し、激痛で意識が飛びそうになり、激痛で意識をつなぎとめる。
痛みのあまり、吐き気までしてきました。
胃の中のものを吐き出そうと体が反応しますが、私の理性が何とか吐く事を止めようとします。
ただ、理性がそこまで持ちません。すぐに激痛がそれを押し流していきます。
何も考えることが出来ず、本能のままに胃の中の物を吐き出します。
鼻にツンッと来るにおいがしますが、すぐにそんな臭いも消えました。
また感覚が痛みで支配されていきます。

「いぐうぅううぅ!! うああああぁ!!」

分かりません。
ただ痛みしか感じません。
今は痛みしか…
瞳に映っているのはただの赤
耳に聞こえるのは激しい耳鳴り
肌に感じるのは突き刺すような痛み
鼻に臭うのは血のような臭い
舌に感じるのは鉄錆のような味

「がっ! ゴホッ、ゴホッ、ガハッ! ぐぅううぅ!!」

何かねばっこい液体が口の中に広がり、外へ吐き出しました。
胃の中のものはすでに吐き出しきっています。
もはや、残っているのは胃酸だけでしょう。

「はぁ、はぁ、はぁ」

痛みが退いていきます。
痛みが広がるのも早いですが、退いていくのもすぐでした。
ほんの束の間の休息。
何とか起き上がって汚れた服だけでも着替えようと立ち上がりました。
痛みがまだ体に残っている気がしますが、それでも今のうちに動かないと…。
気力だけで起き上がっているようなものです。
相沢さんが退院したその日の夜から体に痛みが走るようになっていました。
そのため、今となってはどれぐらいの感覚で痛みがくるのか何となく分かります。
まだしばらくはこないでしょう。
私はそう思い、汗と自分の吐いたもので汚れた服を脱ぎます。
広範囲に赤い何かが付いていました。

「血も吐くようになりましたか…」

私は落ち着いた様子でそれを眺めていました。

“ズキッ”

小さな痛みが訪れました。先ほど大きな痛みが来る前に新しい服に着替えようとしたとき
(えっ?)
間隔が短すぎます。まだ、次のそれが来るには時間があるはずなのに…

「あっ、あぁ……あぁああぁぁあぁ!!」

体を抱きこむように手で強く抱きしめます。
それで痛みが軽減されるわけでもないのに……。
立っていられなくなりしゃがみこみ、そして倒れこみました、

「ぃぃ……ぐぅううぅうぅ!!」

内側から針で外へ突き破るような激痛。
床を暴れるように転がりますが何の効果もありません。

「あ、がっ、あ、ぐぁあぁぁあぁ!」

気を失いそうになるくらいの激痛。なのにその激痛が私の意識をつなぎとめます。
(お願いだから、意識をつながないで……)
気を失いたいのに……でも、手放させてくれない。

「御速水? いるか?」
(相沢さん?)

玄関で相沢さんの声が聞こえた気が……
そう思った瞬間、また激痛が

「ぐうぅうぅぅ!! あああぁぁあぁ!!」
「御速水!!」

相沢さんの切羽詰った呼び声が聞こえました。










「今日も休みか…」

俺が学校に着いたとき、御速水の姿はなく、今日も休みであった。

「あら、今日も寂しそうね」
「ん、そうか?」
「まぁ、本人がそう思っていないのなら仕方ないけど」

確かに香里の言うとおり、気にはなっている。寂しいわけじゃないがな…。
何となく嫌な予感が昨日から抜けていない。
むしろ、今日になってより大きくなったような感じだ。

「そんなに気になるなら家の方に行ってみれば?」
「でも、何かあいつ、俺が近寄ることを嫌がっていたみたいだしな…」
「あら? 相沢君らしくないわね。あなたならそんなことも気にせず行きそうなのに」
「……」
「不安ならその目で確かめたらいかが?」
「…そうだな」

確かに香里の言うとおりだ。不安なら自分の目で確かめればいい。
それで嫌がられるなら、それが事実だし、受け入れなきゃいけないしな

「そろそろ授業が始まるわ」

香里が席に戻ると同時にチャイムが鳴った。
名雪は早々に夢の中で遊んでいるようだ。










「そんじゃ行きますか」
「どこへ行くの?」
「御速水の様子を見にな」
「うー、私も行く」
「お前はクラブじゃないのか?」
「うー」

放課後、俺は行くことを決めた。確かにいつまでも悩んでいるよりは行ったほうがいいだろう。
それに追い出されたらそれまでってことで。
俺はさっさと教室を後にした。
後ろで名雪がなにやら言っていたが、今はそれどころじゃない。
雪を踏みしめながら御速水の家の方へ向かっていった。
学校を出たときより、胸騒ぎがひどくなってる気がする。
ゆっくりとしていた足取りは気付けば速くなっていた。
(嫌な予感だけが大きくなるな…)
俺はゆっくりと歩いていられず、走り出した。
息が上がるが日ごろの訓練の賜物。結構、速いペースで走れた。

「何事も無けりゃいいんだがな」

御速水の住むマンションに着くと、預かったキーで共同玄関を開け、エレベーターに乗り込む。
数字が変わっていく
2…3…4…
ゆっくりと変わっていくそれがもどかしく感じるくらい気持ちが焦っていた。
御速水の住んでいる階数に着く。
扉が開くと同時に走る。

「何事も無いことを願うぞ」

俺はそうつぶやいてドアノブをひねった。
つっかかる。鍵はかかっているようだ。
俺は鍵を開けて、中に入る。
部屋に電気はついておらず、窓から入る午後の日差しが入り込んでいるだけだった。
少し鼻にツンッと来るにおいがする。
なんだ? この臭い? それに人がいる気配がする。

「御速水? いるか?」

返答は無いが…。リビングの方でうめき声みたいなものが聞こえた気がした。
いるのか?

「ぐうぅうぅぅ!! あああぁぁあぁ!!」
「御速水!!」

尋常じゃない叫び声。
俺は走り出す。リビングの扉を勢いよくとそこにいたのは…

「お、おい!」

下着姿のままで苦しんでいる御速水の姿だった。

「ぐうあぁあぁぁぁ!!」

普段の落ち着いている姿から考えられないくらいの声と顔だった。
激痛に耐えているようで、汗をびっしりとかいていた。
ど、どうすりゃ良い…。
えーと、まず、医者だな。救急車を呼んだほうが。

「だ……め…ぅぅううう!!」

俺が電話の方に向かおうとするところを御速水は裾を掴んで止めた。

「駄目、ってお前、そんだけ苦しんでんのに何を考えてるんだ!」
「ぐうああぁあぁ!!」

痛みのあまり、声を上げているが裾を掴んではなさない。
無理に蹴飛ばしていくわけにも行かないし…。

「だぁ!! もう、どうなっても俺は責任を取らんからな!」

俺は御速水の言い分に従った。普通に考えれば、どうやっても救急車に連絡すべきだったろう。
ただ、御速水がしないでくれ、と言ったそれに従ったほうが良いとなぜか思ったのだ。
とにかく、苦しみ暴れている御速水を寝室へと連れて行こうとした。
が、扉を開けた寝室からは異臭がしていた。
吐いたのだろうか。吐しゃ物のにおいがしている。

「…おいおい」

どうしろってんだ?
俺には何も出来んぞ?
寝かしつけようにもこれじゃ寝かしつけられんし…。
と、焦っていた俺だが…。何かおかしい。
ふと、気づくとあれほど苦しんでいた御速水が腕のおとなしくなっていた。

「お、おい、御速水?」
「……」
「……洒落になんねーぞ」

腕の中で動かなくなった御速水を抱いていると嫌な予感がしてくる。
背中につめたい汗が吹き出る。冗談であってくれよ…。
たしか脈で生きているかどうかが分かるんだったよな。
俺は御速水の手首を掴む。
“トックンッ、トックンッ”
命の活動は停止してなかったようだ…。

「あ、焦った……」

情けないが俺は腰が抜けたように床にへたり込んだ。
御速水はちゃんと抱きかかえてるぞ。

「布団が無理なら…」

少し放心状態にあったが御速水の存在を確認すると正気に戻った。
まずはソファーに御速水を寝かしつけると、来ていたコートを脱ぎ、その上にかけた。
これなら少しくらいの寒さを防げるだろう。
リビングを暖かくしたかったがエアコンのリモコンが見当たらない。
仕方ない。
エアコンのカバーを外すと中にスイッチがある。そこから点けるか。
さらに寝室に入り、御速水がいつも来ていたコートを引っ張り出してくるとそれも一緒に
上にかけた。
あとは…。
リビングの床に散乱していた服を拾い上げて洗濯機の中に放り込んだ。
吐しゃ物に混じって血が付いていたのが少し気になったが…。
何かの発作なのか、今は落ち着いているようだ。
とりあえず、俺に出来そうなことはしたし、落ち着くか。
キッチンに入り、何か飲み物でも…。
冷蔵庫らしきところを開けると、それはフードストッカーだった。

「お、インスタントコーヒー発見」

やかんも見つけ、湯が沸くのを待つだけっと

「くぅう…」
「ま、またか?」

うめき声が聞こえた。またか?
ソファーで眠っている御速水を覗き込んだ。少し苦しそうに顔をしかめていた。

「お、おい、御速水?」
「…っ…はい」
「大丈夫か?」
「…はい…今のところは…大丈夫です」

コートを胸に当てたままで起き上がった。
どうやら気分はいいようだな。顔色も大分マシだし…。

「さすがに焦ったぞ」
「すいません。ご心配をかけたようで…」
「いや、大丈夫なら良いんだ。病院に行った方が良いと思うぞ?」
「…大丈夫です。医者に見せたところで何も変わらないと思います」
「病気じゃないのか?」
「いずれ、相沢さんにお話します」

汗で張り付いた髪を御速水はかきあげた。
今はもう痛みも無いみたいだな。

「なぁ、いずれって事は俺はお前に話しかけても良いってことだよな」
「…相沢さんはどうやっても私と関わろうとしますから」
「そうか…」

心にのしかかっていた重荷が降りたようだった。
って

「お前、結局は俺に関わられることを拒絶してたのか?」
「はい」
「何のためらいもなく肯定っすか。俺が傷つけるようなことしたか?」
「個人的なことですから…」

さすが秋子さんの言うとおり…ただ、理由は聞きたいんだが…。

「御速水」
「すいません。いずれ言います」
「………」
「………」
「分かった。だが、絶対に言えよ。言わずにどっかに言ったりしたらずーっと付きまとうからな」
「分かりました。必ず言います」

まぁ、これで一応、仲直りってとこかな? やっぱこうじゃないとな

“ピーーーー”

「うぉ!」
「……お湯でも沸かしていたんですか?」
「いや、暖かい飲み物でも飲もうかと…」
「コーヒーでいいですか?」

と御速水は少しふらつきながら立ち上がって食器棚のほうへと歩いていった。
そこから二つのマグカップを引っ張り出してきた。

「お前、大丈夫か?」
「痛みの余韻は残っていますが動けないわけではありませんので大丈夫です」

キッチンへと入り、湯を注いで戻ってきた。
一つを俺に差し出すとソファーへ座った。

「座らないのですか?」
「あ、ああ」

普段の冷静で落ち着いた御速水に戻っていた。
ほっと安心する自分がいる中で、いたずら心も沸いてきた。

「……」
「何ですか? まじまじと眺めて」
「お前、そのコートの下、下着だよな」
「そうですが…なんですか? その目は」
「……露出狂……すいません。ごめんなさい。勘弁してください。二度といいません」
「二度目はありません」

いくらなんでも沸騰したてのお湯を頭からぶっ掛けられたくは無いよな。
しぶしぶ、といった感じでマグカップ投擲体勢から普通の姿勢に戻った。

「変わりませんね」
「いや、これが俺だから」
「分かっています。分かっているのですが……」

俯いてため息を吐いている。そんなに落ち込むことか?

「まぁ、それがあなたなのでしょう」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもありません」

御速水は立ち上がると寝室へと姿を消そうとするが…

「お、おい?」
「何ですか?」
「どこへ行くんだ?」
「服を着てくるんです」
「……もう少しそのままで…」
「……」
「すいません。俺が悪かったです。俺が全面的に悪いんです。ですから、その重そうな
 置時計をどうか元の場所に戻してくださいまし」

御速水はそれを元の場所に戻すと、部屋に入っていった。「覗かないでください」とちゃんと俺に忠告してだが…。

「覗きたくなるのが男の心情なんだがな…」

たぶんここで覗いたら絶交だろうな…。我慢、我慢
しばし、一人。と、黒のストレートジーンズに黒のタートルネックのセーターを着た
御速水が姿を現した。

「……?」
「……」

足、なが!!

「相沢さん?」
「……」

腰、ほそ!!

「どうしました?」
「……」

胸、でか!!

「相沢さん? 大丈夫ですか?」
「……はっ!」
「どうしたんですか? ぼーっとしていましたが…」
「いや、黄金比?」
「は?」
「いや、三段活用?」
「…大丈夫ですか?」
「すまん。少しトリップしていた」
「そのようですね」

まさかここまで良いとは。前に着替えを覗いてしまった事があったが、あの時はそれほど
マジマジと眺められなかったが、今回は違う。
ついでについさっきも下着姿だったが、あわてていたので全く見ることができず…。
胸は大きいと知っていたが…。

「相沢さん。変なことを考えていませんか?」
「いや、考えていないぞ」
「……(くすっ)」
「えっ?」

わ、笑った?! は、初めてじゃないか? 御速水が笑ったの…?!
今まで、ほとんど表情を変えなかったが……。
お、驚きだ…。

「どうかしましたか?」
「い、いや、お前、今、笑ったよな?」
「私だって笑います。表に出すのが苦手なだけであって出来ないわけではありません」

まだ先ほどの余韻が残っているようでまだ柔らかい雰囲気が残っていた。
俺ってもしかして初物頂きって感じ?

「……また何か良からぬことを考えていますね」
「いや、特に考えてないぞ」

またいつものような無表情に戻ってしまったが、それでも纏っている雰囲気は柔らかいものであるのは分かった。
体の感覚はまだ完全に戻っていないらしく、体の感覚がはっきりと戻るまで二人でのんびりとした時間を過ごした。










「それより、夕食、どうする? うちで食うか?」

白い光が赤くなり始めたころ、御速水に俺はそう提案した。
一人でこの家に居さす事が不安に感じたからだ。

「うち、ということは水瀬さんの方でお世話になるか、という事ですか?」
「おお、そういうことだ」
「…そうですね。今は比較的安定していますし、お世話になります」
「そんじゃ、行くか」
「分かりました。少し待ってください。コートを取ってきます」
「おお」

御速水は自分の部屋に戻っていった。
俺もコートを着るか。
体が冷え切っていた御速水のためにコートを貸していたが、部屋に戻るときに脱いでいった。
ソファーに座り込んでいるコートを取り上げると身に着けた。

「おっ?」

まだ少しだけ温もりが残っていた。御速水の残り香のようだった。
それが俺の体に染み渡ってくる。

「……」

その温もりが御速水は生きていることを実感させてくれた。

「どうしました? 相沢さん」

気づけば用意が終わった御速水がそばに立っていた。
ちゃんといるな。生きてるな…。

「いや、何でもねーよ」

俺は御速水を連れて家を後にした。
秋子さんが準備してくれているであろう夕食に思いを馳せながら……。



俺はたぶん、御速水のことが好きなんだろう。
御速水はどう思っているか分からない。
ただ、俺はそばにいたいと思う。
それが俺の今の気持ち…。










気持ちは気持ち
現実は現実。
気持ちと現実。どちらが強いかな?