調和の取れた旋律
自分の中を流れる旋律は正しいリズムで刻まれていた。
しかし、気づけばそれは乱れている
一体、何が原因で
もとに戻す手段は?
Catharsis
第十七編 乱れた旋律
(1月14日 木曜日 授業中〜夜)
「ほら、そろそろマズイと思うよ、御速水君」
私は頭から聞こえる声に手繰り寄せられ、深い闇から戻ってきました。
うっすらと目を開けると光が入ってきました。
少し眠りすぎたようです。
「どれくらい、眠っていましたか?」
「二時間ほどだよ。今は四時間目の途中じゃないかな?」
「分かりました。そろそろ教室に戻ります。気分も良くなりましたから」
「そうだね。顔色も良くなったみたいだし…」
そういって先生は何やら紙を取りに行きました。
眠ると少しばかり体が軽くなったようです。体力が回復した証拠でしょう。
月宮さんとの一瞬の攻防にも体力を半分以上、使うほどに強力な一撃でした。
身体に全く傷跡が無いというのは正直、偶然と言っても過言ではないほどでした。
「危険…ですね」
「はい?」
「いえ、何でもありません。先生、お世話になりました」
「いやいや、これが仕事だからね。それじゃ、気をつけて」
私は紙を受け取って保健室を後にすると、そのまま授業が行われている教室に向かいました。
その授業は先生の言っている事がほとんど頭に入ってこないで、時間を過ごしました。
昼休み。
私はほとんど無気力な状態で屋上へ向かいました。
空腹に動かされて屋上に向かっているような感じでした。
ただ、ご飯を食べようとたかりに行くような気がします。
「先輩に失礼かもしれませんね」
舞さんは私を受け入れるのかどうかという疑問はありましたが、食欲の方が私を動かしました。
「あ、翡憐さん。こんにちは」
「…翡憐」
「舞さんに佐祐理さん。こんにちは」
私は広げられたブルーシートの片隅に腰を下ろしました。
佐祐理さんはお弁当のふたに私のための料理を取ると渡してくれました。
お礼を言って受け取ると私は一口、それを口に入れました。
舞さんは特に私に対して警戒もしていないようでも普通の友人として受け入れているようで、
何も言ってきませんでした。
取ってもらった料理を食べていると視線を感じます。
舞さんがじっと私を見つめていました。
「どうしました?」
やはり警戒心が抜けていなかったのしょうか?
「たこさんウィンナー」
「……?」
私の勘違いでしたか…しかし、たこさんウィンナー…?
私は自分のふたの上に乗っている料理を見ると、確かにあります。
「舞、十分食べたでしょう?」
「……」
どうやら、お気に入りのようでそれが欲しいと言っているのでしょう。
佐祐理さんの言葉からも推測して、多分、ほとんどが彼女の胃袋に消えたのでしょう。
「どうぞ」
「……(パク)」
「……」
「あははー、舞と翡憐さんって仲が良いんだねー」
「……みまみま」
「……」
箸で彼女のふたに乗せようとしたのですが、まさか直接、食べるとは…。
やはり、どこか感覚が違います。
私が驚いていると、私にだけ聞こえる声で話しかけてきました。
「翡憐…力が減ってる」
「えっ?」
先ほどの子供っぽさが残る雰囲気ではなく、凛とした雰囲気を纏った舞さんが私を見つめていました。
「舞? どうかしたの?」
「……」
舞さんは的確に私の状態を見抜いていました。月宮さんとのあの攻防での減少した体力は
今でも完全に戻ったわけではありませんでした。
「大丈夫です」
「……分かった」
二人の会話を佐祐理さんは不安げでまた不思議な目で見ていた。
放課後。
私は一人で帰っていました。五、六時間目の授業もほとんど受けていない状態で過ごしていました。
今日の私は少しおかしい気がします。
相沢さんがいないだけでどこか、抜けてしまった感覚があります。
全て埋まっていたはずの心。
完成されたパズルのはずなのに、なぜかピースが抜け落ちている。
「…相沢さん…」
この人の名前を呟くとピースが埋まる。
そう、私は相沢さんを欲している。
気づけば私の中に入ってきて、そして私の大半を占める人。
でも、それは許されないこと。いえ、許されないも何もありえないはずの事。
彼が見るべき存在はこの物語のヒロインとなる人。
彼を見つめるべき存在はこの物語のヒロインとなる人。
私はこの物語のヒロインでは無い。
だから私は彼を見てはいけないし、彼は私を見てはいけない。
見るべき人物を間違ってはいけない。そうすれば物語は終焉を迎えられない。
いや、迎えられたとしてもそれは間違った終焉。
間違いは無い。物語は決まった終焉しか迎えられない。
間違った終焉は、終焉とは呼ばず、それはただの空騒ぎ。
「相沢さんは私を見ていない。見るべき人ではない」
「よぉ、御速水」
独り言を呟いた瞬間、後ろから声がかかりました。そこにいたのは…。
「相沢さん。どうしてここにいるのですか?」
「いや、少し散歩。病院も大したことが無いって退院できたし、散歩に行ってくることを
秋子さんに行ったら、いってらっしゃいって言われてな」
「…大丈夫なら何よりです。それより名雪さんに無事を連絡したらどうですか?
心配していると思いますよ」
「大丈夫だって、一緒の家に住んでるんだから、後で会えるって」
「そうですか」
私はこの人を見ている。
そしてこの人は私を見ている。
これがただのおせっかいなら良いのに……。
「何か今日のお前、やけに俺に冷たくないか?」
「気のせいでしょう。では、私はこれで失礼します」
私は相沢さんにそういってその場を後にしようと思ったとき、相沢さんに手首をつかまれました。
普段の彼には感じられない真面目な空気。
「何でしょう?」
私は振り向かず、前を見たまま聞きました。
もし、顔を見たら本音が出るかもしれません。
「…何か俺が悪いことをしたか?」
「いえ、何もしていません?」
「俺が拒絶されているような気がするんだが?」
「気のせいでしょう」
「それはさっき聞いた」
「ならばそれが答えです」
「…分かった。お前がそういうならそうなんだろう。俺の勘違いだな。悪い」
「いえ、分かって頂いたのならその手を離していただけませんか?」
相沢さんは『あっ、悪い』といって私の手を離しました。
私はそのあと相沢さんに挨拶を済ませると家に帰りました。
ただ、部屋に戻ると何ともいえない気持ちになりました。
奥底でモゾモゾと何かが動くような感覚。
胸の奥から訴えかけてくる何かの衝動。
苦しさを感じるそれは私にとって未知の感覚でした。
「一体…」
『それは君が祐一君のことが好きなんだよ』
独り言を呟いたはずが、なぜか返答がありました。それも自分しかいない空間から…。
「誰です」
辺りを見渡しましたが、声の主らしき人はいません。となると、これは…。
「月宮あゆさんですね」
『そうだよ』
「何か御用ですか?」
落ち着いた声で返しました。
相沢さんといい、月宮あゆさんといい、どうして私に構うのでしょうかね。
『うん、祐一君についてね。祐一君は少しずつ思い出しているよ。過去をね』
「…だから、何ですか?」
『分からないかな?』
「……別に七年前のことだけでしたら関係ありませんが?」
『それだけで済むと思う?』
不敵な笑みを浮べているようなイメージが私の中に入ってきました。
人を不愉快にさせるのが得意なようですね。
「相沢さん自身でもあなたでも“あれ”を思い出させる事は不可能です」
『言い切ってるね』
「どれだけ誘導しても関連性がなければ不可能です」
『繋がりが無いんだ』
「ええ、だからこれだけの事を言っても私には痛くもかゆくもありません」
『まぁ、良いよ。でも、七年前の事は良いのかな?』
「別に構いません。それに関して私は望んでいることですから」
『お互いなんだね。お互いが求めているんだね。祐一君の記憶を…』
「……」
『ボクは祐一君にボクの事を思い出して、苦しんでもらわないと…』
「…なぜ相沢さんを苦しめるのですか?」
『言う必要の無いこと。それじゃ、君も頑張ってね』
また、一人の部屋。
私以外の存在が無いその空間で私はたたずんでいました。
「私はどうすれば…」
迷いを持ったまま私はまたその言葉を放ちました。
せっかく、けじめをつけたと思っていた感覚がまた迷い始めました。
困惑に満ちたその言葉は虚空に消えて、ただあとに残るは悲しい思いだけでした。
崩れた旋律。
元に戻すならメトロノームがあるとすぐ直る。
でも、どこにあるのかな?
そのメトロノームは…。