私は過去を思い出さない


思い出したく無い


良い思い出は無い


人々は畏怖の念をこめて私を見る。


私は一人で遊んでいる。


一人は寂しい…


でも、一人なら無言の圧迫を受けなくて済む


でも、一人なら裏切られなくて済む。


でも…寂しい










Catharsis

第十六編 夢の意味と危険な残り香
(1月14日 木曜日 深夜〜昼食)










世界は黒く染まり、その黒にまだら模様を描いているのは空から降ってくる白い雪。
とある病院の病室の窓から翡憐は外を眺めていた。
現在の時刻は午前一時…。
相沢祐一が発見されてから、約五時間が経っていた。
彼は病院のベットで苦しそうに声を上げるでもなく、気持ち良さそうに眠っていた。
翡憐はそんな彼を横目で見つつまた、外を眺めた。雪は休むことも無く降り続き、
また地面を覆うつもりなのであろう。

「…ぅ……ん」
「…」

微かな唸り声。周りが余りの静かであるために、それが翡憐の耳に届いた。
それに反応して首を祐一の方に回した。
うっすらと目が開いた気がした。
もう目覚めたのかな?と思い、近づいて覗き込んだ。
それは“気がした”のではなく実際に開いた。

「ん……御速水……?」

状況把握が出来ていない目で捉えた、それの名を口にした。

「はい、御速水です。お目覚めですね」
「ああ、目が覚めたが…ここはどこだ?」
「病院です。公園で意識不明のところを救急車で運ばれてきたのです」
「俺が…? 一体……」

まだ、ボー、としているのか半分、浮ついた答えだった。
しかし、翡憐と会話をする事で少しずつだが、感覚を取り戻し始めたらしい。

「何か…夢を見てた気がする。とても大切な…」
「……」

翡憐は祐一の隣に椅子を持ってきてそこに座った。
顔色は見つかった時みたいに青白いものではなく、血色も戻っており、比較的に気分は
良好なのだろう。

「そういえば…お前、途中で何処に行ったんだ?」
「名雪さんに聞きました。私と帰ったそうですね」
「あ、ああ…ってどうしてそんなに他人事なんだ?」
「私は先輩と帰っていました。相沢さんとは帰っていません」
「……は?」
「もう一度、言いますが、私は相沢さん、あなたとは帰っていません」
「…なら、俺は誰と帰ったんだ? お前が誘ってきたんだろ?」
「いいえ、私が見たときにはすでに相沢さんは姿を消していました」
「……」
「ですから、私は相沢さんとは帰っていません」

祐一は考え込む。
確かにそうだ。自分が一緒に帰った人物は帰ってないと言っていて、自分は帰ったと思っている。
混乱するのは当然だろう。

「……一体、何だったんだ?」
「分かりません」
「……そうか…」

記憶を必死に手繰り寄せるように、自分の行動を思い返していました。
しかし、どうも思い出せる事は無意味な事だったようで…諦めたよう大きくため息を吐いた。

「ところで、何で御速水はここにいるんだ?」
「いてはいけませんか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが、秋子さんじゃないんだなぁ、って」
「秋子さんは名雪さんがいるので家のほうに居ます。それより、何も無いようなので安心しました」
「……」

それを言ってから、祐一は何か思い当たる事があったようだった。

「…俺を見つけたとき、誰か傍にいなかったか?」
「いえ、相沢さん一人だけでしたが、それがどうかしたのですか?」
「いや…それより、秋子さんは?」
「連絡はしてありますが、名雪さんがいるので家のほうにいます。私はそろそろ家に
 帰ります。秋子さんには帰るときに連絡を入れておきますから、ご心配なく」

立ち上がって翡憐は病室の入り口の方に向かいました。
ちょうど、ドアノブに手をかけたとき、祐一が後ろから声をかけました。

「……今、何時か分かるか?」
「午前一時です」

それだけを言うと、翡憐は病室を出て行った。










翡憐は暗い夜道を一人で歩いていました。
さすがに午前一時を過ぎれば誰も歩いておらず、家の明かりもほとんど消えていた。
今は雪もやんでおり、空には星が瞬いていた。

「私はどうすれば…」

翡憐は立ち止まると一人、空に向かって呟いた。
言葉は形無く消えていき、その代わりに白い吐息が空中に踊っていた。
普段の彼女にしては珍しく“何かしら”の感情が表情として出てきていたものの、
それに気づく者は傍にいなかった。

「…相沢さん」

それは迷った子供が母親を探しているときのような寂しげな声。

それは途方にくれて、愛しい者の名前を呼ぶ声。

翡憐は一人で戦わなければいけなかった。
頼ってはいけないわけではないし、頼る人がいないわけではないのだ。
その人に頼れば間違いなく、力になってくれる。それは分かっているのだ。
しかし、その人に頼ってはいけない。
頼れば余計に自分が苦しくなり、さらに悩む事になる。
今、起きている事に関して共に戦い、歩む事は出来る。ただ、今の起きている事が
解決してしまえば、その共に歩んだ事が問題となるのだ。

「私はどうすれば…」

二度目の言葉。
先ほどと同じように言葉は形無く消えていき、白い吐息だけが空中に踊った。
しかし、一度目とは違い感情はこもっておらず、普段の口調に戻っていた。
自分で考え、それを口に出すことにより、気持ちを整理して感情を抑えることが出来たのだろう。
迷いが吹っ切れたのか。翡憐は正面を向くといつもと同じ表情で道を歩き始めた。










「相沢祐一は今日、休みだな」

(やはり…)

私は心の中でそう思い、意識を全く別の方に向けました。いつもは真面目に授業を受けているのですが、今日は受ける気がありません。
相沢さんがいないからなのでしょうか…。
それよりも、今は昨日の相沢さんの事と月宮さんのことについて、一旦、整理をしないと。
私は自分が持っている情報を整理しはじめました。
まず、相沢さんと月宮あゆさんの関係は七年前にある。
次に、月宮あゆさんは何かしらの力を持っているということ。
最後に、月宮あゆさんは相沢さんを狙っているという事。
以上の三つしか分かっていません。

「先生、すいません。気分が悪いので保健室に行っても構いませんか?」
「お、ああ、大丈夫か? 行って来い」
「すいません」

私は適当なことをいって、教室を抜け出しました。
別に授業を受けなくても、困る事はありませんし、それに実害は出ませんから…。
むしろ出ないほうが…。
私は廊下の先に一人の少女を見つけました。

ダッフルコートに身を包み、背中に羽リュックを背負った少女。

私が初めてであった商店街の目つきとは全く違ったものでした。

鋭利な刃物のような鋭い目つき。その奥に秘められている感情は負のもの。

見ているだけで気分が悪くなってしまいそうなほど強烈なものでした。

「見つけた」
「だからなんですか?」
「祐一君が欲しいんだけど…君は邪魔になりそうなんだ」
「……」

月宮あゆさんの右腕が私に向けられました。
右の手のひらの中央部分が歪んで見えたかと思うと、バスケットボールぐらいまで大きくなり、私に襲い掛かってきました。
左足を軸に体を後ろにひねることで難なくかわしました。毛の先が二、三本飛ばされましたが大して問題はありません。
彼女は再び、歪みを発生させると放ちました。地面を蹴り、天井近くまで飛び上がるとその足元を歪みが通り抜けました。
そのときにはもう一発の発射体勢が整っていました。
次に腕で天井をはじき、強引に着地。と先ほどまで居たところを通り過ぎていきました。
間もつくことなく私は右後方に跳躍。
また、先ほどいたところを歪みが通り過ぎていきました。
すると、次は回避されるのが厄介になったのでしょう。廊下を覆うぐらいの歪みが襲い掛かってきました。
無茶がお好きなようで…。
私は一羽の蝶が私の前に現れると、赤い閃光を放ってその歪みを相殺しました。

「…やっぱりね」
「何がですか?」
「こっちの話。ボクはこれくらいにしてもう立ち去るよ。あいさつはこれまでだよ」
「挨拶など結構です」
「一応、礼儀はあるつもりだから…」

そう言うと月宮さんは姿を消しました。
思った以上に体力を持っていかれたようです。
ゆっくりと寝て、状況を落ち着いて判断すべきでしょう。今の頭では全く整理できないでしょうから…。
私は熱を測って、熱が無いと診断されましたが、倦怠感がある、と言う理由でベットに休むと
すぐに眠りについてしまいました。夢は…全く見ませんでした。










彼女のそれは多分、嫉妬。
それに気づいているかな?
女の嫉妬は怖いと言うよ。