それは万人に訪れる始まり


しかし、人によって違う始まり。


日によって違う始まり


そんな今日の朝は


昨日とは違う甘い朝


昨日とは違う暖かい朝










Catharsis

第十二編 変わった朝
(1月12日 火曜日 登校)










「起きて下さい、相沢さん」

声と共に肩が揺さぶられた。今日の目覚し時計はやけに親切だな……。
しかし、どれだけ親切な目覚し時計であろうと俺は眠りを邪魔する奴を許さん

「黙れ、目覚まし。俺はまだ寝るんだ」
「時間がありません。早く起きて下さい」
「黙れ」

と、スイッチを押した。

“バシッ”

もじゃもじゃとした感覚を俺の手のひらが感知した。
……まて、目覚し時計のスイッチに髪の毛なんて生えていたか?
つーか、何でこんなに有機的な目覚ましなんだ? 目覚ましって無機的じゃなかったか?
いや、生えている目覚し時計があるほうが恐ろしいな…。という事は。
俺は驚きの余り、勢いよく起き上がった。

「……御速水?」
「はい、そうです」

俺の傍で見下ろすように御速水が立っていた。無表情、無感情なその雰囲気を『怖い』と感じるのは…後ろめたさがあるからか?

「フライパンじゃないのか?」

前回は一撃必殺、フライパンの一撃だったからな…。

「そちらが所望でしたら、こんどお泊りの際は一撃で起こしてさしあげますが?」
「…いえ、謹んで辞退させていただきます」
「非常に残念です」
「そこまで残念がらないでください」

肩を落として残念がっている御速水はどうもフライパンで起こしたかったらしい。
さすがに頑丈じゃないんで…。

「ところで何でお前がここにいる」
「昨日、相沢さんが私の家に泊まったのですが…」
「そういえば……」

ついこの間、御速水の家に泊まって、昨日は午前中に家に帰ってまたここに泊まった…。

「…よく御速水の家に泊まってるな」
「そうですね。余り感心出来ない事だと思いますが?」

しかも、そうは言いながら泊める御速水もお人よしなんだろうな…。

「確かに…それより、さっき叩いたのって…」
「私の頭です」
「……」
「……」
「すいません」
「謝るくらいでしたら、早く起きてください。時間がありません」
「はい…」

俺は御速水の頭を叩いた、という非があるのでおとなしく彼女の言葉に従った。
食卓にはすでに朝食が並んでいた。
今朝の献立は……
昨日、食べたドライカレーの残り。焼きたてのパン。淹れたての熱いコーヒーの三種類です。
まずはパンにドライカレーをのせて、それを口に入れます。

「…朝から刺激的な味だな」
「おいしくなかったですか?」
「いや、ただ辛かったんだ」
「そこまでは面倒見切れません」

俺の前に座っていた御速水がそういった。
前に食事が置かれていないが…。
もしかしてこいつはもう学校に行く準備が出来ているのか?

「私の方は準備が出来ていますが」
「何! お前はエスパーか!」
「あなたの顔を見ているだけで分かります」
「……」
「……」
「…久しぶりの会話だな」
「そうですね」

五日ぶりに交わした会話だった。

「しかし、こうやってのんびりとしている暇はありません。これ以上、私の家にいると遅刻する恐れがあります」
「では、早急に……」

俺は急いで朝食を胃の中に収めていった。










「おい、名雪! 起こしに来てやったんだ! さっさと起きろ!!」

朝食を食べた後、大急ぎで水瀬家まで戻ってきた。
つい先ほど、顔と歯を洗い終わらせた。
さすがに御速水の家では無理だからな。

「うん、起きてるよぉ〜」

部屋に戻るついでに起こしたが、明らかに寝ぼけている口調であった。
しかし、そこまで構っている暇は無い。
俺は自分の部屋に戻ると、新しい制服に着替える。
ひんやりとするシャツがしゃきっと俺の気分を引き締める。
最初に秋子さんに朝食を断って置けばよかったな…と思いながら下に下りた。
そのとき、ちょうど秋子さんと出会った。

「あら、祐一さん。朝食の準備が出来ていますが?」
「あ、すいません。御速水の家で食べてきたので…」
「そうですか…。それより、御速水さんはどちらに?」
「え、外にいますけど…」
「祐一さん。女の子と外で待たせてはいけませんよ。中に入れてあげてください」
「は、はい、分かりました」

俺は秋子さんに言われて、御速水を呼びに外へ出た。
家の中の暖気から外の寒気に触れると、急激に体の熱が奪われた。
体の細胞が伸縮する、思わず目も閉じた。
再びまぶたを開けた瞬間……

視界が反転する。
空の色も雪の色を失う。
音も消え、無音の世界に佇む。
色も音もその概念が消失し、色覚能力も聴覚もその意味を成さなくなる。
色彩を失ったモノクロの情景……。
音が消えた無音の世界……。
雪国の寒空の下に一人佇む少女の後ろ姿
その後ろ姿に見覚えは無いはず……
なのに、どこかで懐かしさを感じる自分がいる。

“サクラノ木ノ下デ一人佇ム少女”

頭に直接伝わってくる音。
いや、脳に描かれる文字…。

「…桜……」

声に反応して肩が驚いて跳ねた。

“少女ハ切ナゲナ瞳デ見ツメル”

記憶が俺の中で暴れる。
これは俺のものだ。

「……誰が?」

ゆっくりと体がこちらに振り向く。

“少女ガ呟イタ”

そう、この後の台詞を俺は聞いている。
もう少しで顔が見える…
見せてくれ……
俺は手を伸ばす。
見えそうで、見えない位置で少女は止まった。

「誰だ…?」


「相沢さん。どうかしましたか?」

モノクロだった視界が急に元に戻る。
外の喧騒も耳に入ってきた。
無音の世界はここになく、色彩欠けるモノクロの世界もここに無かった。

「あ、いや…何でもない」
「そうですか…それより、何か私に用事でもあるのですか?」
「いや、寒いから家に入らないか、って誘いに来たんだが…」
「そうですね。では、お邪魔します」

コートの裾をはためかしてこちらに歩いてくる。
俺が御速水を連れて家の中に入ろうと、先導して扉を開けようとしたとき

『祐一待ってよぉ〜』

“ガゴンッ!!”

「ぐぎゃ!!」

……顔面に扉がぶつかった。しかもかなりの勢いだ。
一切、スピードも威力も落とさなかった名雪の一撃。
このダメージは深刻だ。

「「……」」

二人黙ってないで助けるということはしないのか?

「私の所為かな…?」
「はい、九割以上の確立でそうだと思います」
「じゃ、残りの一割は祐一の所為なの?」
「はい、相沢さんの不注意というところです」
「おい、不注意は無いだろ。あれは絶対、俺の所為は無いはずだ」

頭が痛む。でこがへこんでない事を願うぞ。

「ええ、九割方名雪さんの所為です。それより時間のほうが…」
「そうだ! 時間が無いんだ! おい、俺の鞄は!」
「い、家の中じゃないの?」

思えば、服を着替えたときに置きっぱなししてた。
俺はダッシュで家に戻ると、鞄を掻っ攫い急いで御速水達の方へ向かったが、
声も掛けないまま通りすぎ学校の方へ走り始めた。
せっかく、スピードが乗っているんだ。それに陸上部に問題などないだろう。
御速水はどうかしらないが…。
後ろから「待ってよぉ〜」とか言う声が聞こえたが無視して走った。
しかし……

「……何で俺が一番遅いんだ?」
「知りません。ただ体力がないだけなのでは?」
「…お前はあったんだな」
「みたいですね」

結局、一番は名雪。二番は御速水。最後に俺の順番で着いた。
俺は…鍛えていたと思っていたんだが…。
御速水って実は運動神経が良いほうなのか?もちろん、最後だからといって遅刻したわけじゃない。
ぎりぎり間に合ったみたいだ。
今日も朝からしんどいが授業が始まった。










今日の朝はちょっと違った。
彼はどう感じているかな?
甘い?苦い?
暖かい?冷たい?