休日前の午後


食卓を彩る美しい食事


一人の客人を迎えてもてなす食事


生活観溢れる料理に


舌鼓を打って味わう











Catharsis

第四編 水瀬家の食卓
(1月8日 金曜日 昼食)











「なぜ、私はここにいるのでしょうか…」
「俺に聞かれても困るんだがな…」
「なぜ、あなたはここにいるのですか?」
「俺はここに住んでいるからな」

現在、俺と御速水は水瀬家のリビングで、のんびりと昼間のワイドショーを見ていた。
俺はしっかりと見ているのではなく、BGM代わりとしていたのだが。

「同棲ですか?」
「秋子さんもいるのでその表現は適切で無いのでは?」
「私の口調を真似ないで頂きたいですね」
「そんな冷たくしないでくれよ?」

せっかく、昼なんだからもっとホットな視線で行こうぜ…
寒いのは夜だけで十分さ。

「相沢祐一さんが何もしなければ、冷たくはしません」
「俺が何もしなくなるはずが無いだろ!」
「自慢げに言わないでください」
「自慢をしているんだ」
「することですか?」
「俺の特技だ」
「そんな特技はなくしてください」
「えー」
「……」

心底、残念そうな俺の抵抗に、御速水の視線が突き刺さる。
視線って結構鋭いんだな…。
なんて考えていると次は冷たさまで混じってくる。

「御速水さん。落ち着きましょう」
「十二分に落ち着いています」

…用法を間違えた。確かに落ち着いていている。これ以上なく落ち着いている

「御速水さん。あわてましょう」
「意味が分かりません」

……確かに意味が分からん。自分で言っといてなんだが…。

「…御速水さん。熱視線に変えてください」
「何故、相沢祐一さんに熱視線を送らなければいけないのですか?」
「冷たい視線で体が冷えたから」
「暖房器具にお世話になってください」

切れ味のある返し技に俺の口は封じられた。
くそ、御速水のカウンターがこうも的確に決まるとは…。
冷たい視線を普通の視線に戻して御速水はテレビを眺めていた。
昼間のワイドショー。
主婦の必須といえる番組であろう。というか俺はそう思っている。
それを真剣なまなざしで見てる御速水は主婦か?

「……」

やめておこう。これ以上、何かを考えれば俺自身の命が何個あっても足りない。
あまりの暇にする事がない。
手伝いも拒否されそうだし…。
寝るか。
まぶたを閉じると、外から入ってくる太陽の日差しで黒くなるはずの光景が白く見えた。










世界はここにある。
そう、ここにある世界の中に自分は居る。
しかし、それをどうやって証明できる?
これがもしかしたら夢かもしれない。
もしかしたら、これは何かの作り物かもしれない。
子供の絵物語かもしれないその事に何故、疑問を抱かない?


安心したいから…


そうだ。
疑えば、現在の自分が置かれている事に不安を感じる。
人間はもろい。
不安定になればすぐに崩れる。
少しでも現在の安定が崩れると不安に押しつぶされそうになる。
だからこそ、不安定になることを恐れ、
考えることをやめる。
本質を知ろうとせず、見せ掛けの安定にしがみつく。


そう…それの何処がいけない?


良いのか?
この世界で起きた事が夢だと知ったとき、お前は落胆しないか?
いい夢を見ても、起きれば悲しい現実が待っているかもしれない。
それでなお、お前は夢を見続けるのか?
甘さの後の苦さは一際、苦いと感じる。
お前のこの甘い夢のあとに苦い現実が待っているかもしれないのだ。
覚悟をしていれば少しはマシになるかも知れない。


…お前が誰か知らないし、誰でも良い。
俺は俺だ。それ以上でもそれ以下でもない。
俺はここに居る。例え、この世界が夢だろうと、創られていようと俺は俺だ。
考え、感じている。
それが分かっている。だから、俺はここに居る。


……そうか…。
そこまで分かっているなら良い。
お前がお前であることを自覚しているのならば、それで良い。
自分を失うな。
もし、夢の世界でも創られた世界でも自分が大切だと思った事は大切にしろ。
それはお前を作っている大切な要素だ。
要素を失えば、お前はお前で無くなる。
もし、要素を失ってもなお、お前がお前でいるのならば、それはまだお前を作っている。
記憶になくとも、お前の中に要素が刻まれている証拠だ。
思い出す事は可能だ。










「祐一、御速水さん」
どこかで呼ぶ声が聞こえる。
どことなく間延びしたこの声は…名雪か?

「祐一、ご飯が出来たよ」

声が近づいてくる。くそ…眠いんだ。寝かせてくれ

“バシッ”

「……」

頭にかすかな衝撃を受けて、目を開ける。青い髪が目に入ってきた。

「名雪か…寝かせてくれ」
「駄目だよ〜ご飯が冷めるよ〜」

秋子さんの料理が冷める…。
多分、これで食卓にいかなかった場合、秋子さん自身が起こしに来るだろう。

「起きます」

何となく嫌な予感が俺の背筋を駆け抜けた。
食卓へ向かうと、すでに御速水が座って目の前の出来立て料理を眺めていた。

「……」

手をひざの上において、眺めているその姿。
何か…お預けをくらった犬みたいに見えるのは俺だけか?

「ほら、祐一、早く」

気づけば名雪まで席に座ってるし…。
俺だけテーブルの前に立っているって…変な子?

「相沢祐一さん。何をぼーっとしているのですか?」
「…いや、ちょっとな」
「祐一さん、席についてください」
「……はい」

さっさと席に着くと…

「「「いただきます」」」

芳しい昼食の香りが俺の鼻をくすぐる。
スパゲッティーの上にかかっているスープが香りの元だろう。
俺と御速水はすでに食べ始めている水瀬家二人に見習って食べ始めた。

「…おいしいです」
「それは良かったです」

御速水は素直に感想を述べていた。確かに秋子さんの料理はすごい。
多分…どんな料理を注文しても出てきそうだ。

「うん、確かにおいしいですよ。秋子さん」
「ありがとうございます。祐一さん」
「麺も腰があって良いゆで方です」
「がんばって練った甲斐があります」

……えっ…?

「…秋子さん。今、なんて言いました?」
「はい? がんばって練った甲斐があったと言ったのですか?」
「えーと、何を練ったんですか?」
「麺ですよ」
「……」
「……」

麺を口に入れようとした姿のまま、御速水の動きが停止した。

「お母さんってすごいんだよー」

名雪の自慢げな声だけが食卓に響いた。照れている秋子さんもそこにいるが…。
この家では俺たちの常識は通用しないのか?

「…御速水…大丈夫か」
「はい……」

しばらく、機能停止していた御速水が活動を始めた。

「ここでは常識が通用しにくいようです」

俺と同じことを考えたという事はこいつもまた常識人であったということか…。
良かったぞ…。北国の人間は全員、秋子さんみたいじゃなくて…。
さすがに自分だけ常識人ではなかったたら本気でどうしようかと思ったぞ。
不思議さ溢れる食卓で常識人である御速水がいなかったらどうしようか…。

「秋子さん、今度、麺の打ち方を教えてください」
「ええ、良いですよ」

前言撤回。
常識が通用しない人間を大量生産する事になるのか…。
しかも、了承の秋子さん。
……母さん、俺はくじけそうです。
待てよ…。母さんと秋子さんは血が繋がっている。
俺もそのうち覚醒するのか?
不思議空気を撒き散らす存在として俺はこの家に住み着く事になるのか!

「祐一さん」
「は、はい!」
「どんどん食べてくださいね。まだありますから」
「は、はい」

背中につめたい汗が伝った。一瞬、心のうちが読まれたのかと思ったぞ。
有り得ないと一蹴できないあたりが怖い水瀬家であり、秋子さんである。










食事が終わると、そのまま、お茶が出されてくる。
ただ、そのお茶も疑惑の一つになっているんだが…。
隣の御速水も先ほどの麺の事もあり、入れられたお茶をマジマジと眺めていた。
名雪はすでにお茶を楽しんでいるが、俺たちはこの疑問を解かねばならない。
そう、このお茶も何か常識が通用しない部分があるのではないかと…。
そして、行き着いた考えがお茶の葉だ。
このお茶の葉ももしかしたら自家製かも知れないということである。
御速水もこの疑問に行き着いたようだ。
アイコンタクトで俺に語りかけてきた。

(相沢祐一さん、先にどうぞ)
(お前が先だ)
(日本の社会は男性優位です)
(最近はレディーファーストが主流だ)
(伝統を重んじて相沢祐一さん)
(俺は先駆者だ。御速水、頼んだぞ)

しばらく、無言で見つめあった。が、先に御速水が折れた。
湯気が立ち、お茶の独特な香りが誘う。
御速水は意を決した様に一口、飲んだ。

「秋子さん」

勇気があるぞ、御速水。

「はい、何ですか?」
「このお茶の葉は自家栽培ですか?」

本来なら、一般社会において可能性が一番低い質問のはずだが、ここではそうならない。
その規則性を御速水が気づかないはずがない。

「ええ、合いませんでしたか?」

ああー、可能性としての一番低い、それが当たってしまった…。
御速水もショックが大きかったらしい。

「い、いえ…おいしいです…」
「そうですか。良かったです。もし、良かったらいくらか持って帰りませんか?」
「あ、ありがとうございます」

あの御速水がどもった。
確かに一般人の鏡のような御速水に、秋子さんのように規格外の人物の発言はダメージが大きかったかもしれない。
俺も目の前に置かれている常識の通じないお茶を一口飲んだ。
これでおいしいのだから、一体、どうなっているのか疑問で仕方ない。
食卓から庭が見える。
どこかに生えているのか?

「祐一さん」
「は、はい」

思わず、身が固くなる。御速水も同様で湯飲みを少し傾けたまま止まっていた。

「見えませんよ」
「はい……」

何を言わんとしているかなどすぐに察しがつく。
これ以上の追求は自分の身に何か起こりそうで恐ろしかった。
多分、突き止めないほうが良いのだろう。

「良い判断です」
「……」
「……」

御速水も俺も黙らざるをえない。
世界にはまだまだ知らないことがたくさんありそうだ…。










知識を得るには限界がある。
ここに限界が見えたり……。