今宵のチャンネル権争奪戦に勝利したのは栞であった
葉は走る。目的地は勿論、幻咬の住む『2人の学校』だ。
「あ…そーいや、あゆの奴はもしかして今日来てたんかな…?」
『そんなに急いで何処に向かわれるのですか…葉さん?』
「!」
突然、どこからともなく声が聞こえた。いや…違うな、上か。
「…マタムネ」
葉が見上げると、そこには優々と塀に腰掛けるマタムネが居た。
『小生の目が確かなら、「神木」に向かっているかの様に見えるのですが。』
「…気のせいだろ、多分。じゃな」
そう言い捨てて、再び前へと走り出す。
『…なりません』
…と思ったら、マタムネはいつの間にか葉の前に立ち塞がっていた。
「む」
『ついさっき、もう神木には近寄らないと自分で仰っていたでしょうに。』
「う…」
「あ! 飛行機雲!!」
『?』
デュクシ!『な…?』
突然空に向かって指を差したのに動揺し、うっかり後ろを向いたマタムネに小鬼を叩き付け、逃走。しょーもない程に古典的でバカバカしい方法だが、意外にも上手くいった。
「それいけ小鬼ストライク!」
適当な落ち葉が見当たらないので、そこは雪を代用する。尤も、6体程度でマタムネの足止めが務まるかどうかは怪しいが。
『待ちなさい葉さん!』
小鬼を蹴散らし、マタムネが葉へと疾駆する。
「くそ、流石に速ぇな…!」
全速力で走りながら、トラップ代わりに小鬼を配置。例え意味の薄い障害でも無いよりはいくらかマシだろう。
『そんな事をしても無駄ですよ、さっさと家にお戻りなさい』
マタムネは小鬼を相手にもせず、葉を追い詰めようと駆けてくる。
「くっ…!」
…そこへ。
「…堕つる北斗」
『…!?』
突然、無数の矢が瀑布の如く降り注いだ。
『…超・占事略決、巫門遁甲!!』
マタムネは即座に葉から離れ、雑踏をすり抜けるかの様に矢衾を掻い潜る。
『何者…?』
そして、矢を放った張本人を睨み据えた。
「猫又ですか…珍しい事もありますね」
マタムネの姿を確認し、じろりと睨み返す少女。
「…とら!」
少女がそう叫んだかと思うと…突如背後から飛び出した妖狐が、マタムネへと飛び掛かった。
『…なっ!?』
回避し切れず、弾き飛ばして間合いを開くマタムネ。そこを…
「火精・神祇の焔」
爆炎を纏った火矢が貫いた。
ドオォォー…ン!「大丈夫ですか?」
「あ、あぁ…」
「アレは私に任せて、早くここから離れて下さい。」
少女はそう言うと弓を仕舞い…背負っていた大きな槍を取り出し、構える。
「…誰だか知らんが、ありがとう!」
助けてくれた少女に礼を言い、一目散に走り抜ける。
『葉さん!』
「貴方の相手は私がします。ここから先へは行かせない」
追って来ようとしたマタムネの進路を少女が阻み、立ち塞がる。
『…!!』
少女の構える槍を見て、マタムネは仕方無くキセルを構えた。
「うぐぅ、葉くん遅いなぁ…」
その頃あゆは、『学校』の幹に背中を預けて一人ぽつんと座っていた。
「もう1時間は経ってるよぅ…」
「…もしかして、今日はお休み?」
「もうちょっとだけ、待とうかな…」
「しかたないや…今日はそろそろ帰ろ。」
お父さんが帰ってきた時、自分がいなかったらきっと心配するだろうから。
「…ふぅ。明日は会えるといいけどなぁ…」
すっくと立ち上がり、軽く伸びをして…ゆっくりと帰路を辿り始めた。
『獣の、槍…?』
『半年前に伝承者も見付かった。』
木乃の言葉を思い返しつつ、マタムネは少女に問う。
『…小生、猫又のマタムネと申す。其方の名は?』
『今は天野神社の娘さんが持ってる。』
「…神祇。天野美汐です」
天野…間違いない。あの槍こそが獣の槍だ…!
『1つ聞きたい。其方はなにゆえ小生を狙う?』
「…知れたこと。巫女である私が人に害為す魔を祓うのは当然の事でしょう?」
…そうか、成程。彼女には小生が葉さんを襲っている風に見えたのか。
『よりによって何と間の悪い…』
軽く溜息を吐き、頭を抱える。
「問答は終わりです…行きますよ」
「火車…!」
後方に跳び退き離れた間合いを助走に用い、少女が追撃を放ってくる。
『くっ…!』
怒涛の如く繰り出される刺突の嵐を既の所で回避し、転と身体を翻す。
『超・占事略決、巫門御霊会!!』
「円月」
キセルを媒介に霊力を纏わせ、刀のオーバーソウルを形成し…叩き伏せんと振り下ろされる迫撃を、白刃を奔らせ弾き返した。
ガキィィー…ン!!「…今です、とら!」
「ふっ…!」
少女はその隙に後退し、魔槍を横薙ぎに振り払う。
『く…!』
…妖狐を打ち払った瞬間、即座に思い切り地に伏せる事で何とか攻撃をやり過ごした。
「…やりますね。」
『………。』
形勢は圧倒的に不利…だが、逃げるだけならどうにかなるか?
「…召雷」
少女は突然、槍の穂先を虚空へと掲げた。そして…
『!?』
青白い光が落ちてきたかと思うと、天から稲妻が降り注いだ。
『なっ…』
「しまっ…!」
「………。」
…取り逃がした。
『…追わねえのか?』
妖狐が少女に歩み寄り、問い掛ける。
「…流石にあの速さには追い着けません。それに…」
諦観じみた苦笑を浮かべ、少女…美汐は身を翻す。
「彼が逃げたのはさっきの子とは反対方向。危害を加えられる心配はないでしょう。」
『結局、最後まで槍の力を使わんかったな』
「…ええ。アレは危険過ぎます。成仏させるならともかく、いきなり魂を砕いてしまうのはちょっと…」
『…ふーん、そうかよ』
「私は、まだまだ未熟ですね…」
『僥倖…もしも使い手があの幼い少女でなかったら、今ごろ小生は…』
『そうだ、葉さん!』
『…不覚』
マタムネは肩を落とし、とぼとぼと旅館へと戻って行った。
葉は神木の所に辿り着き、幻咬から狐について教えて貰っていた。
「…そうなんか?」
『ああ、狐は基本的に雑食だからな。食べさせる物は犬と同じで問題なかろう。』
「ふむふむ…」
幻咬から聞いた事について逐一メモを取ってゆく。
『しかし、狐の子か…一応同族のよしみだ、礼を言っておこう。』
「いや、礼を言うのはこっちだ…それにそもそも子狐に怪我を負わせたのは人間なんだ。同族云々を言うんなら、むしろオイラは謝らなきゃいかん。」
そう言って俯き、神木に向かって頭を下げる。
『ふ…お前が気に病む様な事ではない。それを助けたのもまた人間に違いなかろう?』
「いや、それもそうだが…」
それでも、何か釈然としないものが心に残る。
『それでも納得が行かないようなら、納得が行くようにしっかりそいつの面倒を看てやれ。』
「…そうだな。あの子狐の傷はオイラがきっちり治してやらにゃならん」
『はは…そうだ、そういえば先程、昨日の娘が遊びに来ていたぞ?』
「あゆが?」
『うむ。入れ違いだな、つい今しがた帰って行った所だ』
…しまった。昨日学校だって決めたばかりなのに、初日から無断欠席しちまった…。
「…それで、何か言ってたか?」
『やはり最後は不機嫌だったな。また明日も来るらしいからちゃんと謝っておけ。』
「そっか、じゃあ悪い事したな…今から追いかけて間に合うと思うか?」
『無理だな、今から追うのでは遅すぎる。』
「…そうか。」
今更間に合わないと知り、がっくりとうな垂れる。
『そう気を落とすな。今日の事をきちんと説明すれば聞いて貰えるだろうよ。』
「…ん、明日会ったらちゃんと謝らんとな…」
そう言ってメモ帳を畳み、ポケットにしまった。
「んー…あ、そうだ。今日ばあちゃんからお前の話聞いたぞ。」
ふと、今日の昼の話を思い出す。
『ほう…にも関わらず何故また此処に現れた?』
幻咬は意外そうな口調で問い掛けてくる。
「子狐の世話について聞きたかった。あと、声を聞きたかったのも少しある。」
その問いに対して、思った通りに返答した。
『…全く、緩い奴め。普通そんな話を聞いたら立ち寄らなくなるものだと思うが?』
「あぁ、ばあちゃん達にはもう2度と行くなって言われた。」
『だろうな。我もはっきり言って此処に来る事は勧めない。此処の瘴気の濃度は半端ではないのだ、折角の新しい友人に倒れられては困る。』
「なんだよー、それじゃお前さみしくなるぞ」
不服そうな顔で神木をじっと見つめる。
『はは…私が独りなのはいつもの事だ。』
事実、葉が来るより前に此処に人が訪れた事など今までなかったのだから。
「そうだ…幻咬、仲間になろう」
『…またいきなりだな。どうした?』
「お前には友達がいねぇ。それはオイラも変わらねえけど…」
葉は決心したように言う。
「お前はイイ奴だ、だからオイラと一緒に来い」
『…出られるものならとうに出ている。自力でどうにかなる様な封印ではないのだ。』
「だったらオイラが出してやる。今のオイラにそんな事ができる力はねえけど…いつか必ずお前を助けにここに来る。そん時は…」
『ふむ…そうか。別に構わんぞ。』
「な、本当か!?」
『当初の目的も今となってはどうでもいい…情熱が冷めるには充分過ぎる時間が経っているのだ、封印が解かれた所で今更やりたい事も無い。』
ならば友の手助けをしてやると言うのもまた一興というものだ。
「そんなにヒマだったのか…?」
『ああ、何一つやることがない』
長いと…そんな表現では陳腐過ぎる程の永い悠久の年月をただ孤独に過ごしてきた。
『しかし、もう我の力は殆ど残ってはおらん。全盛期と比べれば塵屑と変わらぬぞ?』
「? それがどうかしたのか?」
『…また異な事を。我の力が目的ではないのか?』
「別に? 強いとか弱いとか、そーゆーのは興味ねぇや。」
『何…?』
平然とそう言ってのける葉を前に、幻咬は唖然とした。
「オイラは仲間になろう、って言ったんだ。『持霊になれ』とは言ってない」
…確かに。だが、それでは…
『…それで君に一体何のメリットがある?』
助けた所で利点などない…後に追い回されるデメリットの方が遥かに大きい。
「何言ってんだ、『友達』だから助けるんだろ?」
『ふふ…気に入った。その時は、きっと君の力になろう。』
「あぁ、約束だ」
今ここに、我は友との契りを交わす___。
『さて、のんびりしていて良いのかね? 家で子狐が待っているぞ?』
「…そうだな、時間も遅いしそろそろ戻るよ。」
『あぁ、また明日…な』
「ああ、じゃあな!」
そう言って、葉は家へと駆けて行った。
「ただいまー」
玄関を開けると、そこには名雪が待っていた。
「遅いよ! ドコ行ってたの?」
「いや、狐の飼い方を教わってきた。」
そう言って、葉はポケットのメモを見せる。
「…ああ、なるほど。さっきの獣医さんのところか〜」
…何も言っていないのに勝手に納得しだした。あぁ、その手もあったか。
「それなら安心だよ」
名雪はホッとした様子でリビングへと戻っていく。
「まぁ、話をややこしくする必要はないか…」
そう結論を出し、洗面所へと向かった。
………。
手洗い・うがいを済ませ、リビングに戻る。
「すまんな名雪、心配かけて…」
「んーん、もういいよ。ちゃんと帰ってきたんだから」
「そっか、ありがとな…」
名雪に礼を言い、ふと周りを見渡す…秋子さんの姿が見当たらない。
「…あれ、秋子さんはどうした?」
「お母さんなら夕御飯の買い物に行ったよー」
「そうか」
確かに…言われてみれば、丁度そんな時間帯だ。
「あの狐は?」
「今私の部屋で寝てる。疲れてたんだよ、きっと。」
なるほど…だったら、無理に起こす事もないだろう。
「…なぁ、名雪」
「なに? 葉くん」
「許婚の話って、どう思う…?」
「どう、って?」
名雪は、不思議そうな顔で問い返してくる。
「名雪は不満じゃないのか? 自分の好きな相手を選べないんだぞ?」
「葉くんは、私の事が嫌いなの?」
「いや、別にそういう訳じゃないが…」
「私も葉くんの事は嫌いじゃないよ。」
…やっぱり、認識は同じくらいだろう。好きとまでは行かないが、決して嫌いではない。
「それに…」
「ん?」
「この寒い中、私の事を2日間も待っててくれる人なんて、葉くんくらいだよ?」
「別に恩に着るような話でもないんだが…」
「私は、待っててくれてうれしかったよ」
それでも、名雪にとっては待っていてくれた事に変わりはないのだろう。
「…本当はね、葉くんはもっと怖い人だと思ってたんだ。」
「怖い?」
意外な事を知り、素直に驚いた。
「だって、『麻倉』の家の子だっていうんだもん。お母さんから一応写真は貰ってたけど、それでも…ね。」
『麻倉』という名前が持つ影響力。恐らく日本のまともな霊媒師なら聞いた事のない人間はいないであろう、大きな力を持った家系。
「そういえば、昼間の子もそんな事言ってたなぁ…」
やはり名雪も怖かったのだろう。最初に顔を見た際に彼が葉だと気が付かなかったのは、そういった先入観が邪魔をしていたからなのかもしれない。
「イメージと違ってガッカリしたか?」
「ううん、全然。葉くんが優しい人でよかった」
ホッとしたように息を吐き、名雪は軽く微笑みを浮かべた。
「…そうか?」
「狐さんを助けようとしてた葉くん、すごく優しかったよ」
「そうか…?」
別に、した事は普通だったと思うんだが。ギャップが激しかっただけではないだろうか?
「狐を助けようと必死になってたのは名雪も同じだろ?」
「…うん。そうだね」
「普通だよ、別にオイラが特別な事した訳じゃない。手当てしたのだって獣医さんだ」
「でも…葉くんが助けようとしなかったら、あの子はきっと助からなかったんだよ?」
「そりゃそうだけど…名雪1人ならもっと早く助けてあげられたんじゃないか?」
名雪の方がオイラよりずっと足が速い。それは今日の件でよく分かった。
「…ううん、私1人だったら助けなかったかもしれない…」
「え…?」
意外だった。真っ先に助けに行きそうなイメージを持っていたんだが…
「…私ね、動物アレルギーなんだ。」
「アレルギー…?」
「うん。動物に近付いただけでくしゃみや鼻水が止まらなくなるんだよ…」
「…じゃあ、動物は嫌いなんか?」
「ううん、ネコさんは大好きだよ」
…不憫な。猫好きなのに猫に触れられないとは…。
「…前にね、その発作が原因で倒れて入院した事があるんだ…」
「入院…?」
数年前、学校からの帰り道。
しかし、その日はいつもと様子が違った。
ただ、この時はその症状がいつもよりも重かった。
「……そうか、そういう事があったのか…。」
「うん…」
とはいえ、今でも猫にだけはにゃがにゃが寄っていくのであまり成長していなかったりもする。
「だから、やっぱりあの子が助かったのは葉くんのお蔭なんだよ。」
「…そうでもない。オイラ1人じゃ獣医さんの所に辿り着けなかったからな」
動物病院への道を教えてくれたのは名雪だ。
「あ、そうか」
「だからどっちが良いって話じゃない、オイラ達が2人でいたから助かったんよ。」
「…そうだね、両方とも良かったんだ」
「ただいまー」
「あ、お母さんおかえりなさーい」
…などと話をしているうちに、秋子さんが帰ってきた。
「おかえりなさい、秋子さん」
「あら、葉君も帰ってきてたの。それじゃ夕御飯の支度をしますね。」
「今夜のメニューは?」
「茄子きのこカレーよ」
「型月!!」
「いやイミわからん」
おーい、今は1995年だぞ?
「らっきょは?」
「もちろんあるわよ」
「ブラッドヒートォ!!」
「だからまだ1995年だっつってんだろーがァーーーー!!」
…その後夕飯を美味しく戴き、葉が水瀬家に来た最初の1日が終わったのだった。