〜前回のあらすじ〜

 ケンタッキーの前に安西先生が立っていた


―――Eternal Sphere A.D.1995――華音市水瀬家――12月29日(金) A.M.09:00―――


「ふあー…ん」

 …寒い。セットした筈の目覚まし時計は気が付けば全部止まっていた。

「お母さんが止めたのかな…?」

 見ると、お気に入りの目覚まし時計の針が止まっていた。

「あ…けろぴーのが電池切れだ…」

 名雪はそれに気付くと、電池を探し始めた。

「電池、電池…あれ?」

 …机の引き出しを開けた時、何かの手紙を見つけた。

「これは…あ、確か許婚がどうのって手紙…」

 ん…? この写真の男の子、つい最近見た気が…?

「えーと、この子いつ来るって言ってたっけ…。」

 12月27日、華音駅前。

「………。」

 名雪は恐る恐るカレンダーを見た。

 今日は香里と遊びに行った次の日だから…12月29日(金)。

「………!」

 写真のこの子…昨日駅前にいた、あの子だ。

「…い、急がなきゃ!」

 名雪は急いで支度をし、階段を駆け下りた。

「あらあら、そんなに急いでどこ行くの?」

「駅前!」

 名雪はそう言い残して、玄関から飛び出した。

「血相変えて飛び出してったけど…何かあったのかしら…?」

 一人残され、首を傾げる秋子さんだった。


―――Eternal Sphere A.D.1995――青森県華音市――12月29日(金) A.M.09:30―――


「…はぁっ、はぁっ!」

 駆ける。翔ける。早い。速い。名雪は商店街を全力で走り抜ける。

「まだ、待ってるのかな…」

 気温は極めて低く、コートの上でも肌寒い…こんな中で眠ったりしたら、一発で風邪を引くだろう。

「い、急がないと…!」

 走る。迸る。迅い。疾い。商店街を抜け、駅前へと躍り出る。

「………。」

 …そこには優雅にベンチに腰掛けるスノーマンが居た。

「マーマミーア!」

 意識はない…けど、息はしてる。眠っているだけみたいだ。多分。きっと。

「ど、どうしよう…」

 …その時、男の子が目を覚ました。

「…んん?」

 私に気付いた彼は、バリバリと音を立てながら体を起こした…。


 時を翔ける天使 第1部 華音ル・ヴォワール


 …何やらガサゴソと音がする。

「ど、どうしよう…」

 戸惑うような女の子の声が聞こえる。何かあったのだろうか?

「…んん?」

 ゆっくりと体を起こす。凍った服に張った氷の膜が、バリバリと音を立てて砕ける。
 ベンチからはみ出した釘が微妙にケツに刺さって痛いのだがそこはあえてスルーしておく。

「うう、寒いな…」

 ふと顔を上げると、視界を遮るようにして誰かが立っていた。

「あ…」

 ……女の子だ。左右に束ねた青い三つ編み。歳は自分とそう変わらない…

「雪、積もってるよ」

 ぽつり、と呟くと同時に白い息が吐き出された。

「ん…あぁ、ありがと」

 葉はそう答えて、頭上に乗った雪をはたいた。

「あの、麻倉…葉くんだよね?」

「そうだけど…あ、もしかして君が…?」

「……はい、遅れてごめんなさい…」

 この子が、ヨメなのか…。

「遅れて…って、もしかして今初めて来たんか?」

「うん…ごめん、あと1時間は早く来るつもりだったんだけど…」

 いや、仮に1時間早く来ていたとしても2日の遅刻に変わりはない。

「いいよ。我慢ならオイラの特技だし」

「やっぱり…寒い、よね?」

「おお、もう凍え死にそうだ…」

 既に、体中の感覚はない。

「はい、これ…」

 そう言って差し出した彼女の手には、メッコール(つめた〜い)が握られていた。

「……あ、ありがと…」

 折角なので受け取ると、冷え切って悴んだ手に段々と感覚が戻ってくる…え?

「な、なんで生暖かいんだ…?」

 メッコール(なまぬる〜い)に訂正。

「このままでは冷たかろうと思い、懐で温めておきました…」

 その優しい心遣いは嬉しいのだが、何かが決定的にズレている気がする。
 と言うかその前に、こいつは飲まないといけないモノなのか…?

「…orz」

 …正直、気が滅入る。

「歩ける?」

「…ああ」

「じゃあ、行くよ。私についてきて。」

 名雪はそう言うと、葉を先導して自宅へと歩き出した。


―――Eternal Sphere A.D.1995――華音市水瀬家――12月29日(金) A.M.09:45―――


「ここが名雪の家…?」

「うん、そうだよ。」

 二階建ての、ごく普通の一軒家。屋根や庭の草木にはうっすらと雪が積もり、日の光を受けて輝いている。

「ただいまー…」

 名雪は玄関の扉を開け、葉を中へと導いた。

「お帰り…あら、その子は?」

 リビングに入ると、ソファーに座っていた女性が出迎えてくれた。

「麻倉葉です、これからよろしくお願いします。」

「はい、水瀬秋子です。こちらこそよろしく…葉君、でいいかしら?」

「はい、構いません。」

 秋子さん…恐らく名雪の母親だろう。のんびりとした印象の女性だ。

「アサクラ…麻倉…ちょっと名雪、いいかしら?」

「う、うん」

 …横に立っていた名雪の表情が固まった。

「……えーと…」

 名雪が秋子さんに別の部屋へと引き摺られて行ってしまった…。

「………。」

「………。」

 ……………。

 …2人が部屋から出てきた。

「うにゅ〜…」

 …どうやら大分絞られたらしい。ジュウシイ。怒鳴り声など全く聞こえなかったが。

「すみません…こちらの手違いで、たった今事情を把握しました。」

「は、はぁ…」

 …最初の反応で大体判ったが、秋子さんはオイラが来る事を知らなかったらしい。

「歓迎します。幸い部屋なら空いていますから、すぐに案内しますね。」

 そうして、葉は自分の部屋を1つ割り当てて貰った。

 ……………。
 ………。
 …。

「本当に、ごめんね…」

 名雪はまだ謝っている。オイラ自身も待ち合わせに大幅に遅刻していたのだから、別にそこまで気にする事でもないと思うのだが…死ぬほど寒かったけど。

「いいさ、遅刻したのはオイラも同じだ」

 それでも名雪は俯いたままだ。

「でも、2日間も…」

「いいって、今更言ったって時間は戻らんし。別に風邪も引いてないし。」

 それに…変に準備に気を遣われるよりは、こっちの方が気が楽だ。

「それは、そうだけど…」

「葉君、お電話です。」

 階段の下で電話していた秋子さんに呼びかけられた。多分相手はばあちゃんだろう…

「あ、はい」

 秋子さんにそう言われ、葉は受話器を受け取った。

「お電話替わりました…」

「おや、葉かい? 何だか色々トラブルがあったみたいだねぇ。」

「あー…ちょっとな。」

 …やっぱりばあちゃんか。

「それで、メシはちゃんと食ったのかい?」

「昨夜カブトムシ食べたよ」

「そうかい、ちゃんとメシは食えてたみたいだね」

「マタムネはそっちに居るのか?」

「あぁ、いるよ。葉も1回こっちに顔出しな。」

「そう言われても、ばあちゃん家がドコにあるのか判らん。」

「水瀬さんが知ってるさ。昼飯食べたら名雪と一緒においでな」

「分かった、そうするよ。」

「それじゃ、秋子さんと替わっとくれ。」

「あいよ」

 秋子さんに受話器を渡し、名雪のもとに戻る。

「…何だって?」

「名雪連れて遊びに来い、だって。名雪はウチのばあちゃん家わかるか?」

「うん、知ってるよ。後で案内してあげる。」

「ああ、よろしく頼む。」


―――Eternal Sphere A.D.1995――青森県華音市――12月29日(金) P.M.12:30―――


「それじゃ、行ってきまーす」

「2人共、気をつけて行くのよ?」

「は〜い」

 昼食の炒飯を食べ終え、ばあちゃん家に行くため外に出た。

「それで、どっちに行けばいいんだ?」

「えーと、こっちだよ」

 名雪に先導され、2人並んで雪道を歩いてゆく。
 商店街の入り口を横切り、公園の前を通り過ぎる。

「今の、結構広い公園だな…。」

「あの公園にはよく友達と一緒に遊びに行くんだよ。」

「ふーん…」

 公園の真ん中には噴水があり、隣には誰が作ったのか、大きな雪だるまが立っていた。

「…ん?」

 …あ、誰かと思えば作ってるのは昨日のあの女の子だ。隣に居るのがお姉ちゃんか?

「どうしたの?」

 突然立ち止まった葉に気付き、名雪も歩みを止める。

「いや…何でもない、行こうか。」

 せっかく姉妹で仲良く遊んでるんだ、茶を濁す事もあるまい。

「?…うん」

 葉が促すと、名雪は首を傾げつつ、再び歩き始めた。


―――Eternal Sphere A.D.1995――安井旅館玄関――12月29日(金) P.M.13:00―――


「ごめんくださーい」

 そう言って中に入ると、ばあちゃんが出迎えてくれた。

「おや、いらっしゃい2人共。思ったより早かったじゃないか。」

「ばあちゃんは元気そうだな」

「ああ、変わりないよ。水瀬さんから聞いたが、葉は大丈夫だったのかい?」

「あぁ、特別風邪も引いてない。平気だよ。」

「すみません、私が…」

「あぁ…本人が気にしてないみたいだからいいんじゃないかい?」

「はぁ…」

「まぁいいから上がりな。そんなトコに突っ立ってたって寒いだろう?」

 ばあちゃんはそう言って中へと誘導した。

 ……………。
 ………。
 …。

「…って訳だ。」

 葉はこの2日間にあった事を木乃に説明した…幻咬の事は伏せたが。

「え…?」

 名雪は驚愕して目を見開いている。

「…お前、あの木の所へ行ったのかい」

「あー…やっぱりマズかったか?」

「いや…寧ろよくあそこまで辿り着けたものだと感心している位だよ」

「いや、『視』るまでは別に違和感は覚えなかったからな…。」

「…関係ないよ。あの場所に行ける事自体おかしいよ…」

 そう言う名雪の声は震えている。

「?…何でだ? あゆだって普通に着いたし…。」

「そのあゆって娘は普通じゃないよ…あそこに渦巻く瘴気の量は尋常じゃない。アタシや水瀬さんだってとても辿り着けやしないさ。」

 例え修験者の修行だろうと、あの場所だけは避けて通る。

「いや、その瘴気だって半分は雪に埋もれてたし…オイラが変なのか? マタムネ」

『正直言って、よく生きて帰って来れたものだと。』

 ここからでも感じ取れる凄まじい霊圧。一体どれ程のバケモノがそこに封じられているのかは判らないが…その渦中に飛び込むなどとんでもない。

「マタムネ。あんたはあそこに何が封じられてるのか知ってるかい?」

『存じません。ですが小生の勘が正しければ、恐らくは「幻咬」かと。』

「ふん…アタシも名前までは知らないが、あそこに封印されているのはまず間違いなく九尾の狐『白面の者』の本体だよ。その『幻咬』とやらは一体何なんだい?」

『いま仰った、九尾の狐…かつて会った事がある。傷付いていた所をあの御方に救われた霊獣。暫くの間飼われていたが、あの御方が亡くなった後にその姿を消した。』

 そう言うと、マタムネは葉が手首に巻いている鈴を一瞥した。

「…何で封印されたんだ?」

 幻咬の名が出た事に多少動揺しつつ、マタムネに問い掛ける。

『幻咬は…主の代わりに人と妖の全てを滅ぼそうとしたのですよ。』

「…どうしてそんな事を」

『そうですね…解り易く言えば、調整ですよ。』

「………。」

『植物を喰らうは草食動物。草食動物を喰らうは肉食動物。そして、その全てを喰らう獣は即ち人間…これが弱肉強食のヒエラルキーです。』

「…うん。」

『通常、こういった序列構造は上位に立つ者ほど絶対数が少なくなります。バランスを保つ為には最弱種が最少種ではうまく歯車が回らない。』

「ああ、その理屈は解る。」

 …つまり、早い話が食物連鎖か。

『そして、逆もまた然り。最強種が最多種になると下が絶滅してしまう。』

 最弱種こそ最多種に。最強種こそ最少種に。自然界のヒエラルキーは当然そうあるべきであり、それでこそ黄金率は守られる。でなければ、世界が狂っていると言う他無い。

『しかしそれに気が付く人間は少なく、気付いた者もその殆どが我が身可愛さにその事実を否定する。いつまで経っても変わらない』

 故に、狂ってしまった黄金率を正す存在が必要だ。狂ったモノは正すべき。歪んだモノには矯正を。不要なモノなら淘汰せよ。およそ頂点は1人でいい___。

「…なるほど、別に間違っちゃいない」

 人が一番。世界の頂点。法律に守られる権利を持つのは人間のみ。
 殺人は悪。家畜は屠れ。虫ケラを気分で殺したところで罪に問われる事など無い。
 金の為なら動物を殺して構わない。森を伐採し、山を削り、住処を奪って構わない。
 趣味や娯楽で獣を殲しても構わない。目障りな雑草など毟ってしまえ。
 しかし人間だけは殺してはならない。人間の命だけは尊いのだから___!

 愚かな。哀れな。それが過ちだと知っていて尚、誰も正そうとはしないのか。
 何処までも傲慢で度し難く、救い様が無い程に愚昧で低劣。それを本気で主張しているのなら、自分達が殺される側に回った所でまさか文句など言える筈もあるまい。

「………。」

『しかし彼は封じられました。彼と同じ九尾の狐…「静珠」の手によって。』

 彼の主張には、当然あらゆる妖が反発した。しかし相手は神獣であり、その力はあまりにも強大。八咫鴉や九尾の狐の力を以ってしても、彼を滅ぼすには至らなかった。

『本体がこの地にあるとは存じませんでしたが。』

 彼の力を奪い、封印可能なまでに痛めつけたのは妖ではなく、器物だった。
 彼は相手の『感情』を利用して己が力を増大させる。
 故に感情を持つヒトや妖では幻咬には対抗できない。
 『獣の槍』と呼ばれた器物は彼の体を貫き、千殺せんと襲い掛かった。
 その戦いで彼の尾は千切れ、その体は十の破片に分割された。
 それぞれの破片は別々の場所に封印を施され、本体は『獣の槍』と共に静珠の住まう地に封印された。

『キノさん。と言う事は「獣の槍」もこの地にあると?』

「あぁ、あるよ。半年程前に伝承者も見付かった。」

 …何?

『それでは…槍の封印は既に解かれた…?』

「そうだよ。今は天野神社の娘さんが持ってる。」

「獣の槍って何だ?」

 突然出てきた聞き慣れない単語に、疑問を投げる。

『かつて幻咬を封印可能な状態に至らしめた武器の名です。まさか封印が解かれていたとは思いませんでしたが。』

「その所為で伝承者候補だった者達が獣の槍を得ようと襲いに来る始末さ。おそらく今期の『星の災害』はその幻咬だろうからね…。」

「星の…災害?」

「この地球には500年に1度、世界規模の大災害が起こると言われている。G.S.の叡智を以ってそれに立ち向かい、回避する者こそが星の王…シャーマンキングなんだよ。」

「ああ、その災害が幻咬によるものなら、獣の槍を欲しがるのも道理か。」

 既に伝承者がいるんなら手に入れる意味は無いんじゃないかと思うが。

「その獣の槍って伝承者じゃなくても使えるの?」

「まさか、使えないよ。アレは人が槍を選ぶんじゃない、槍が人を選ぶのさ。」

「槍が…? まさか、意思でも持ってんのか?」

『さあ…? 小生は、アレは圧倒的な憎悪に囚われた人が肉体ごと凶器と化したモノだ、と記憶していますが。付喪神の類ではないと思いますよ。』

 妖を殲す為だけに作られた、使い手の精神を蝕むと謂われる呪いの武器。

「どうあれ、あの槍をちゃんと使いこなせる人間は今は1人しか確認されていない。その娘の歳はあんた達の1つ下、それも女の子だよ。」

「……オイラより小さいって、まだ子供じゃねえか…」

「それでも選ばれたんだから仕方ないさ。それにあの娘の除霊能力はあんた達よりも遥かに上だよ。」

「そりゃ、オイラは除霊自体ほとんど経験してないしなぁ…」

 出雲にも霊はたくさんいるが、悪霊の類は殆ど出ない。たくさん、と言ってもここの霊の量と比べればいないに等しい程度の数でしかない。勝手に成仏するし。
 そもそも葉が会った事があるのは葉の巫力に影響を受けた霊だけなので、霊力不足で狂った悪霊・デカダンスと呼ばれるものは過去に僅か数回しか見た事がないのだ。
 …人間の友達より、霊の友達の方が数十倍多いくらいなのだから。

「私はそれなりに経験してるけど、送るより喚ぶ方が多いからなぁ…」

「そりゃ、水瀬は基本的にイタコだから…除霊の経験が少ないのも当然さね。」

 木乃はそう言うと、温くなったお茶を一気に飲み干した。

「…葉」

「なんだ?」

「あんた、もうあの場所には近付くんじゃないよ。」

「………。」

 尤もな意見だが、それは色々と困る。あゆの学校の件もあるし。

「私からもお願い…もうあそこには行かないで。」

「…わかった、行かんよ」

 そう言って、葉もお茶を飲み干した。

 ……………。
 ………。
 …。

「おや、もう帰るのかい? 」

「ああ、ちょっと街も見て行きたいからな。」

「あ、じゃあ私が案内するよ〜」

「…そうだね、気を付けて行っておいで」

「ん。秋子さんにもよろしく言っておくから」

「あいよ。またおいでな」

「はい、お邪魔しました。」

 …バタン。

 後に残された1人と1匹は、互いに無言のまま窓の外に目を向け、門から出て行く二人の背中を見送った。

「…マタムネ」

『はい?』

「葉のやつ、もうこれであの木に近付かなくなると思うかい?」

『…いえ、恐らくはまたあそこへ向かうかと。』

「…だろうね。あの子の護衛、頼めるかい?」

『勿論ですとも』

 そう言って、マタムネは姿を消した。

「…くれぐれも邪魔はするんじゃないよ」


―――Eternal Sphere A.D.1995――華音市・公園――12月29日(金) P.M.15:00―――


 …旅館を出てすぐに通り掛った公園は今、混沌の境地にあった。

「何だ、アレ…?」

 僅か2時間。いや、これに至る迄に掛かった時間はもっと少なかったであろう。だが…

「…えいっ!」

 それにしては、この事態は異常過ぎた。姉であろう少女の周りの雪は溶け、その周辺の路面は所々溶解している。溶解痕からしてそれが熱によるものだと想像は付く…が、それだけの熱量が一体どのようにして発生したと言うのか。

「危なっ!!」

 公園にもはや雪など無く、公園の中心に対峙しているのは2人の少女。原因こそ不明だが、姉妹喧嘩をしているのであろう事は見て取れた…問題は、その規模だ。

「このっ!!」

 妹らしき少女の周囲の地面が、青白く燃え盛っている。そしてその炎に触れた箇所から広がる様にして地表が凍ってゆく…今彼女を護っているのは巨大な冷気の火柱だ。

「当たったらどうするんですかー!」

 それに対し…姉らしき少女が投擲しているのは爛々と赤く煌く氷柱だった。射出された灼熱の円錐はアスファルトを容易に衝き砕き、大地を溶かしクレーターを穿っている。

「当てようとしてんのよー!」

 猛然たる彼女の攻撃は止まる事を知らず、公園諸共消し飛ばさんと言わんばかりの勢いで驟雨の如く撃ち出される。

「またやってるよ香里たち…」

「また!?」

 明らかに常軌を逸した人外同士の戦闘。互いが交わす言葉こそ可愛らしいものの、部外者が一歩踏み入れれば即座に巻き込まれ氷塊と化し、爆砕するであろう激戦。それが…また? これが日常茶飯事の出来事だとでも言うのか…信じられない。

「しょーがないなぁ…おーい、香里―!」

 名雪はそう叫ぶと、姉の方へと走り出した。

「!?」

 突然の闖入者に香里と呼ばれた少女が気付き、荒れ狂う暴風雨が止んだ。

「…あぁ、名雪」

「もう、こんな所で『水叉火』の能力使ったら危ないよー。大体何でケンカしてるの?」

「それは栞が…へぶあっ!?」

 話をしていた香里に向かって突如、高速で雪球が飛んで来た。

「おねーちゃんのあほー」

「この…よくも石入りで投げたわねー…」

 左側頭部に石礫の直撃を受け、額から血が滲む。

「うわ、頭から血が出てるよ香里…」

「うっさい」

 香里は怒り心頭、といった表情で妹を睥睨している。涙目だが。

「栞ちゃんも、そんな物投げたりしたら危ないでしょ!?」

「だっておねーちゃんがー」

 栞と呼ばれた女の子は、ぷーっと頬を膨らませそっぽを向いた。

「…アレが人妖ってやつか?」

『その通りです』

 葉が虚空に投げた疑問に、いつの間にか後を追けてきていたマタムネが答えた。

「おぉ、マタムネ」

『焦熱の氷柱と零下の火柱、恐らくは火車と雪女の…いや、姉妹と言う事はその混血か。そもそも火走りなどという希少能力、この千年、目にかけた事すら殆ど無いが…これはまた輪を掛けて珍しい』

 感心したように唸るマタムネ。

「………。」

 先程までの争いを思い返す。

 突如香里の周囲が燃え上がり、ゆらり、と陽炎のような歪みが生じたかと思うと、背中を彩る後光のように何処からともなく煌々と紅く輝く閃光が躍り出た。

 それは円錐に似た、矢と言うより突撃槍に近い長大な灼熱の氷柱…占めて12本。
 それらが指すら触れることなく一斉に射出され、対象を貫き砕かんと殺到する。

 しかしそれらは全て、栞の身体まで届く事は無かった。

 彼女を守護する様にして青白く吹き上がる火柱は、侵入を試みる物その一切を微塵に削ぎ、消し飛ばす。
 圧倒的な破壊を、更なる破壊で断絶する。弾くのではなく削り取るその壁は、防ぐ為の盾とは言い難い。アレは最高の攻撃だからこそ、最高の防御手段と成っているのだ。

 火柱の周囲に燃え移った凍て付く炎は路面を覆い、世界を徐々に氷結させてゆく…。
 その冷炎と香里の纏う炎とが互いに侵食し合い、両者の均衡を保っていた。

「何か色々と間違ってるな…」

 全国で三箇所にしか存在しないとされる『人妖』…正直存在を疑っていた。しかし実際にその姿を目にしてしまった以上、最早疑念を懐く余地は無い。

『人妖とはそういうモノ…その上アレはその中でも更に突出した異端児です。小生ですら驚愕を禁じ得ない。』

「つーか、その辺を歩いてる子供が普通に人妖なんだな…」

 今まで暮らして来た所と、環境が違うにも程がある。
 常日頃から異端として多くの人々から忌み嫌われ、弾劾されてきた葉にとっては、そちらの衝撃の方が遥かに大きかった。

「おーい、葉くーん!」

「ん?」

 階段の下で、何やら名雪が手を振っている…あぁ、降りてこいって事か。

「…どうした?」

 階段を駆け下り、名雪の許へと走る。

「この娘、私の友達。美坂香里、って言うんだ」

「よろしく。あなたが名雪が言ってた麻倉葉? …何か思ったより普通ねぇ」

 ウェーブがかった長髪の少女、美坂香里は会うなりそんな事を言った。

「普通…か?」

 …地元では色々「鬼の子」だ「悪魔」だと言われ嫌悪されてきたものだが。

「えぇ、普通よ。もっとバケモノみたいなモノをイメージしてたから。」

 香里はそう言って苦笑した。

「『外』から来たって事は、私達みたいなのを見るのは初めて?」

「ああ、初めて見た。ケンカするといつもああなのか?」

「…まぁ、栞ならあの程度じゃケガしないって判ってるからね。」

「あの娘、栞って言うのか?」

 向こうで不貞腐れている女の子に視線を向けて言う。

「えぇ、そうよ。私の妹」

「…ちょっと様子見てくる」

 そう言って栞の許へと向かう。しゃがみ込んで一体何をしているかと思えば…

「な、何でアリの巣掘ってんだ…?」

「…そんな事言う人嫌いです」

 横目でじろりと睥睨される。うわ、取り付く島もねぇ。

「なぁ、どうしてケンカしてたんだ?」

「あ、それはですね、かくかくしかじかー」

「あぁ成程、そんな事があったのか…って解るかァ!!」

 本当に口で「かくかくしかじか」とか言われたって困る…と言うかこっち見ろ。

「大体あなたは誰…って、あ。昨日のお兄さんじゃないですか!」

 顔だけ振り向いた栞は感嘆の声を上げ、微笑を浮かべた。

「よ、昨日ぶり。昨日は名前を教え損ねちまったな。」

 そう言って、しゃがみ込んでいる栞に手を差し伸べる。

「オイラは麻倉葉だ。よろしくな、栞」

「うわ、いきなり呼び捨てですか」

「…ちゃん、付けた方がいいか?」

「いえ、別に栞でいいです。」

「…そうか。」

 栞は葉の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

「その様子だと、ちゃんと迎えの人と会えたみたいですね。」

「…いや、あの後更に1日待ったんだ…」

「あ、あはは…ま、まぁそんな事もありますよ!」

 たはは、と乾いた笑みを浮かべる栞。

「栞って、麻倉君と面識あるのかしら…?」

 仲睦まじい二人の様子を眺めながら、香里が不思議そうに呟く。

「ほら、昨日の昼間に駅前で栞ちゃんの絵のモデルになってたから…」

「…あぁ、あの子が麻倉君だったんだ。」

 昨日の様子を思い出した香里はそれで納得がいったらしく、視線を戻した。

「…何だ、そんな事でケンカしてたのか?」

「いけません?」

「いや、随分派手に戦り合ってたから、一体何事かと思った…」

「そうですか? いつもこんな感じですけど…怪我しない程度でやってますし。」

「さっきのは、どう見ても殲滅戦だったぞ…?」

 いつものこと、とケロリと言ってのける栞に自分の常識を疑い始める。

「そんな事ないですよ? さっきみたいなのは、お姉ちゃんは私にしか使いませんし。」

「…栞があんな盾張るからいけないんじゃない。」

 …いつの間にか香里が後ろに立っていた。

「あれだけ撃って1発も突破できなかったくせにー」

 それを見て、ニヤついた目で香里に一瞥をくれる栞。

「それ。栞、何で突然強くなってるの? 一昨日まではそんな事なかったのに…。」

「え? お姉ちゃんが手を抜いてたんじゃなかったの?」

 そう。今までこんな事は無かったのだ。香里が放つ矢は大抵、栞の障壁に削がれて大きさと勢いを失い、結果的に軽く小石を放った程度の攻撃になる。それが常だった。

 だが、今回は違った。投擲したモノ全て、1つとして障壁を突破できなかったのだ。

 それを不審に思った香里は今回、栞に直撃しないよう考慮しつつ、普段より強力な槍を撃っていた。しかし…それでも火柱の壁を越えられなかった。
 最初は単に、いつもより気合が入れて防御しているだけだろうと思っていたが…それで確信を得た。何故かは知らないが、栞は別人に近い程に強くなっている。

 今まで手を抜いていた…なんて事は有り得ない。一昨日栞は半ばマジ切れ状態だった。
 …理由は、うっかり栞の分のバニラヨーグルトを食べちゃったから、だったが。

「って、一昨日もやったのか…」

「うん、この2人はしょっちゅうケンカしてるよ…仲は良いくせに。」

 名雪がはぁ、と溜息を吐く。様子から察するに、どうやら名雪は普段から2人の仲裁役らしい。

「名雪も大変だな…」

「あはは…もう慣れたよ」

 軽く目を逸らしながらそう言う名雪の表情は、半ば諦観じみた苦笑いだった。

「じゃあ、巫力が上がった理由は栞にも判らないんだ…」

「うん…さっぱり。」

 そう答える栞の相好は取分け嘯いている風には見えない…恐らく、本当に心当たりが無いのだろう。

『………。』

 その様子を、マタムネは沈痛な面持ちで見下ろしていた。

『馬鹿な、「種」の巫力は生きた人妖にまで影響を及ぼすものではない筈…。』

 マタムネは少女を『視』た瞬間、すぐに解った。

 あの少女の精神は、明らかに葉の巫力に侵蝕されている。
 通常、生きている人間が葉の巫力を浴びたところで巫力が上昇したりはしない。
 それは人妖とて例外ではない。現に、その姉である美坂香里という少女は、葉の隣にいながら何ら影響を受けていない。ならば、何故妹の方だけ…いや待て。

 例外が、ある。人妖如何に関わらず、霊体と肉体との間に差異が生じている状態ならば少なからず巫力の影響は受ける…だが、そんな事は瀕死の重傷を負いでもしない限り起こり有り得ない話だ。若しくは、生まれつき…

『!』

 何かを思い付いたマタムネは、再度少女をじっくりと『視』た。そして、そこを軸に葉と出会うより過去へとゆっくりと遡る。

『…成程、やはり先天的なものでしたか。霊体が究竟なモノであるのに対して、肉体が病弱では均衡が保たれる筈もない。ズレが生じるのも当然の結果か』

 しかし、これは問題だ。一度葉の巫力による侵蝕を受けてしまった以上、肉体と精神との繋がりは乖離する一方…このままでは、いずれ彼女は間違いなく死に至る。
 更に厄介な事に、この場合…対処法がない。病魔に蝕まれて死ぬ、というのなら話は判る。衰弱して死ぬ、というのなら理解できる。症状に応じて対策も立てられる。
 だが…「元気過ぎて死ぬ」というのは理解の範疇にない。体は至って健康そのもの。精神も何ら問題なく安定している。だから死ぬ。…これは明らかに矛盾している。

『しかし…このまま行くと、あと10年持つかどうか…』

 肉体と精神との結びつきの間に生じた、ごく僅かな、小さな綻び。
 それが段々と広がっていき…やがては、その全身を蝕む。
 痛みを伴う事は…恐らく無い。しかし、間違いなく永くは生きられない。
 そして…気が付けば死んでいる。そんな儚い未来が誰知らぬ間に決定されてしまった。

『オイラの傍にいると、みんな不幸になる…』

『…ッ!』

 それは、かつて麻倉葉が最愛の従姉を失い、心を閉ざした際に呟いた台詞。
 直接聞いた訳ではない。葉の事を知ろうと、心を『視』た際に流れてきた記憶だ。
 この世で唯一、心を許せた人物。麻倉葉にとって誰よりも大切だった相手。

『鬼の子が…!』

『葉はハオを倒す為の…唯一の希望なのだ』

 無価値なモノ、道具としか見られなかった葉に、生きる価値を見出してくれたヒト。

『せっかく持って生まれた才能なんだから、頑張って活かせるようになって欲しいな。』

 麻倉葉が疎んでいた自身の能力を…初めて必要だと言ってくれた女性。
 しかし…彼女はその能力が原因で命を落としてしまった。
 その時負った葉の心の傷は未だ癒えてはいない。それは明白だった。
 …今もなお、彼は誰に対しても決して本当に心を開こうとはしないのだから。

『葉さんはまた、悲劇を繰り返す事になるのですか…?』

 麻倉葉と出会った、ただそれだけで1人の女の子が命を落とす。
 たまたま彼の出会った相手があの女の子でさえなければ、偶然彼女の出会った相手がこの男の子でさえなければ、決してこんな事には…。

「それじゃ、私たちはそろそろ帰るわね。」

「あ、うん。また今度ね。」

 そう言葉を交わし、香里は栞の先を歩いてゆく。

「葉さん…」

 栞はふと立ち止まると、葉へと振り向いた。

「ん…どうした?」

「また今度、私の絵のモデルになって貰ってもいいですか?」

 ほんの少しの間が空いて…

「…ああ、いいぞ。」

 葉は、その注文を笑顔で快諾した。

「ほら、早く行きましょ、栞」

 公園の入口に、催促するように立つ香里。

「え? あ、待ってよお姉ちゃーん!」

 栞は葉達に一礼し、スカートを翻してぱたた、と駆けて行った。

「………。」

「じゃ、私達もそろそろ行こっか?」

「…だな。」

 切り取ったように雪のない公園を尻目に、葉達もまた、公園を離れた。
 …さっきまで入口に立っていた筈のマタムネの姿は、忽然と消えていた。


―――Eternal Sphere A.D.1995――華音市・街路――12月29日(金) P.M.15:30―――


 淡雪の舞う街道を、名雪と2人並んで歩いてゆく。
 住宅街を抜け、商店街を通り過ぎ、しばらく河川の脇道を歩いていると…

「…名雪、アレ何かわかるか?」

「アレ…? あ、何だろう?」

 前方に小さく横たわっている物体。その周辺が赤く染まっているのを見て…

「!」

 嫌な予感が過ぎった葉は即座にそれの許へと駆け出した。

「葉くん!?」

 突然走り出した葉を慌てて追いかける名雪…

「これ、子狐だね…怪我してるみたい…」

 …名雪の方が足が速いので、すぐに追い抜かれてしまった。なんか悲しいぞ?

「…名雪、この辺りに獣医さんっているか?」

「動物病院…うん、あるよ。ここからそんなに離れてない!」

「よし、案内してくれ!」

 傷付いた子狐を抱え、葉は極力揺らさないように気を付けつつ走る。

 ……………。
 ………。
 …。

「…恐らく、交通事故だろうね…でもこの容態なら、充分助かるよ。」

「そうですか、良かった…。」

「よろしくお願いします。」

 ふぅ、と一息吐く。…良かった、間に合って。

「…?」

 安心している2人を余所に、獣医さんは訝しげに子狐の身体を見つめていた。
 通常ならば致命傷に近い筈の怪我が…もう、殆ど塞がりかけている。
 骨が折れているようでもない…違う意味で手の施し様がない位だ。

「これは、一体…?」

 …とりあえず、この子の場合は変に手を加えるよりも自然治癒に任せた方が良い。
 そう判断した獣医は治療を応急処置の血止め程度に留め、軽く包帯を巻いた。

「あの子、大丈夫かな…」

「獣医さんが言ってたんだから、大丈夫じゃないか?」

 …しばらくして、治療室の扉が開いた。

「ほら、恐らくこのまま安静にしていればじきに快復する筈だ。」

「あ、ありがとうございました!」

「はい、気を付けて帰りなさい。」

「? あの、お金は…」

 その問いを受け、獣医は困ったような笑みを浮かべた。

「…いや、要らないよ。何せ私にできる事は何も無かったんだからね。」

「…?」

 不可解な言葉に疑問を抱いた葉だったが…素直に好意を受ける事にした。

「…ありがとうございます。」

「はい、お大事に。」

 そうして、2人は病院から出て行った。

「…やれやれ、やはり私もまだまだ勉強が必要だな。」

 2人を見送り、ぽりぽりと頭を掻きながら獣医は部屋へと戻っていった。


―――Eternal Sphere A.D.1995――華音市水瀬家――12月29日(金) P.M.16:00―――


 葉と名雪は子狐を抱え、水瀬家の玄関に辿り着いた。

「秋子さん、了承くれるかなぁ…」

「多分大丈夫だとは思うけど…」

 基本的に秋子さんは大抵の事はすぐに了承してくれる人だ。
 それは名雪が1番良く知っている。が、今まで生き物を飼った事は1度も無い。
 加えて、名雪は極度の猫アレルギーなのだ。
 狐はイヌ科の動物だし、別段発作は起きていないから大丈夫…とは一概には言えない。
 これが原因で名雪の体調が崩れる可能性だって大いにある。

「とりあえず、聞くだけ聞いてみようよ。」

「…そうだな。聞いてみるか。」

 2人はそう決断を下し、玄関の扉を開け秋子さんの許へと向かうことにした。

「あら、おかえりなさい2人共。」

 秋子さんはそう言って、階段から降りてきた。どうやら部屋を片付けていたらしい…あぁ、そうか。そういえば普通この時期はどの家も大掃除の真っ最中だ。

「ただいま、お母さん」

「ただいま…あの、秋子さん。1つ相談したい事があるんですけど…」

 葉はおずおずと話を切り出す。秋子さんは葉の抱えている生き物を見ると、指を軽く顎に当て…

「…そうね、まずは手を洗ってらっしゃい。話は向こうで聞くわ。」

 と言った。

 ………。

「……ダメかもしれない…」

 手を洗いながら名雪はそんな事を言う。

「?…なんでだ?」

 名雪の唐突な呟きに、葉は不思議そうに訊ねる。

「そっか、葉くんは知らないんだよね…」

 秋子さんが頼み事を引き受ける時は、基本『1秒了承』なのだ。
 1秒で決着が付かない時は、大抵長期戦の末に結局言い包められて敗北する。
 …まぁ、1秒却下でなかっただけ、まだ望みはある方なのかもしれないけれど。

 ………。

 洗面所を済ませ、秋子さんの許へと向かう。
 部屋に入ると、秋子さんはお茶を淹れている最中だった。
 秋子さんは2人の姿を認めると、快活な笑みを浮かべて椅子の方へと促した。

「それで、お話というのは…その狐さんの事かしら?」

 ソファに横たえている子狐を一瞥し、秋子さんは問う。

「…はい。」

 葉は子狐を拾った経緯と、動物病院に運び込んだ事、そして怪我が治るまでの間ここに住まわせてやって欲しいとの旨等を含めた、一部始終を秋子さんに説明した。

「…そう。」

 事の顛末を聞き…幾許かの間を置いた後、秋子さんは真剣な顔で問い掛ける。

「それで、ちゃんとこの子の面倒を見られるの? 相手は生き物なのよ?」

「うん!」

 秋子さんの問いかけに、2人は自信を持ってそう返答した。

「怪我が治ったら一緒に散歩だって行くし、世話はみんな2人でやるから…」

「…ううん、そんなに簡単に答えを出していい話じゃないわ。『生き物を飼う』っていう事がどういう事なのか…もう1度、自分達で良く考えなさい。」

 …秋子さんには、何か思う所があったらしい。その言葉の意味する所は『肯定』ではなく…かと言って『否定』という訳でもない。
 結果がどうあれ、決して後悔する事の無いような答えを。また、この子狐が満足できるような答えを。自分達で考え、自分達で決めなさい…そういう事だ。

「もし葉君がこの子狐だったとして…あぁ、この人にだったら飼われてもいいな、って…そう思える人になれる自信はある?」

 ある、とただ一言。そう答えるのは簡単だ。でも…本当にそう言えるだろうか? 自分はほんの数日でここから帰らなければならない。なら自分が帰った後…この子はどうなる? 名雪が面倒を看てくれるから大丈夫だ、とかそういう問題じゃない。

「………。」

 了承か却下。それ以外の回答を想定していなかった2人は共に俯き黙考する。

「…時間ならあるから、どうすればいいかはきちんと2人で相談しなさい。」

 そう言って立ち上がると、秋子さんは子狐をチラリと一瞥し、リビングを離れた。

「…どうする?」

「どうしようか…」

 名雪もこう返されるとは思っていなかったらしい。

 子狐の事は、助けたい。でもその思いが報われるとは限らない。

 もしかしたら、自分が助けた所為でこの子は野に帰れなくなるかもしれない。
 だからと言ってこのまま野に帰したら死んでしまうかも判らない。

 助けなかったらどうなるか。助けた後にどうなるか…予測が付かないだけに不安は募る。

 こうなるのなら、まだ即座に峻拒された方が幾分か気が楽だった…。
 …いや、それは甘えか。秋子さんがあえて道を示さずに自分達に答えを選ばせたのは、生き物の『命』を左右する話に言い逃れできる道を作りたくなかったからだろう。

「………。」

 名雪はじっと子狐を見つめている。

「ねぇ、葉くん…私、この子を助けてあげたいよ…」

「…あぁ。その気持ちはオイラも同じだ」

 …傷付いた狐を助けたい。でも、助けるってのは…一体どういった事を指す?

 負っている傷を癒す事? 今すぐ本来の居場所に帰すこと? ここで一緒に暮らす事?
 ただ今を生き長らえさせてやればそれで良いと、そういう事なのか?

 …きっと違う。そんな答えで良いのなら、「了承」の一言で話が付いていた筈だ。

 生き物である以上、必ずいつかは死ぬことになる。それが遅いか早いかの違いでしかない。
 大切なのは、納得の行く生を謳歌できたかどうか。ここに置く事と野に帰す事。生きていられる時間の長さに関係無く…子狐にとって幸せなのは一体どちらだろうか。

「なぁ、お前はどっちがいい…?」

 横たわる子狐に向かって何となく問い掛ける。無論、答えなど返っては来ない。

「怪我が治るまでここに置く…それじゃダメかな? 治ったらちゃんと山に戻しに行って、その後どちらを選ぶかはあの子自身に決めてもらえば…」

「…そうか」

 人と動物…言葉が通じない以上、自分達は子狐の意を酌む事はできない。だったら、行動で示して貰えば良い。怪我はここで癒してやり、その後山に帰しに行き…野に戻るか、自分達に付いてくるかは子狐に任せる…。

「そう…だな、そうすっか」

「…うん、私はそれが1番いいと思う」

 もしここで助けた事が原因でこの子が山に戻れなくなってしまったなら、責任持って私がここで育ててあげよう。

「…じゃ、もう1回秋子さんに話してみるか?」

「うん!」

 名雪は部屋を出ると、ぱたぱたと階段を上っていった。

「………。」

 ふと子狐の方に目をやると、何やらキョロキョロと落ち着き無く辺りを見回している。

「ん、どうした?」

 葉が子狐の傍まで寄ると、動いていた視線は葉の腕の辺りでピタリと止まった。

「?」

 何か付いてるか…と見ようとした時、ちりん、と鈴の音が響いた。

「…あぁ、これか?」

 葉は子狐の前で鈴を軽く揺らす。

「?」

 子狐は恐る恐る前足を伸ばし、その鈴をペシペシとはたく。その度に鈴は弾かれて、チリンチリンと音が鳴る。

「!」

 …どうやら甚く子狐のお気に召したらしい。徐々に前足の動きが激しくなり、段々はたくと言うより往復ビンタに近くなってきた。

「…何してるの?」

 そんな事をしている間に、名雪が戻ってきた。

「いや、ちょっとこいつと遊んでた。それで、秋子さんは?」

「それがきちんと考えた結果出た答えなら別に構わない、って。」

「…そうか。」

 秋子さんの了承は取れた。あとはどうやって面倒を見るか、だが…やはり狐の事を知りたいのなら、狐自身に聞いてみるのが1番早いだろう。

「…悪い、ちょっと出かけてくる」

「えっ?」

 そう名雪に言い残し、葉は玄関から飛び出していった。

「……ドコに行くかくらい、言っていってよ…」

 ぽつんと取り残され、呆然とする名雪だった。


   第4話・あとがき

SHA「ネット繋いでないのにサイト作ったぜ! SHAです。」
栞「…とりあえずKanon1000回やり直せ厨野郎ー」
SHA「マスター! あんまりです!」
栞「展開の悉くが本編と違います…頭冷やしましょうか?」
SHA「すんませんっしたァァァ!!」
栞「エターナルフォースブリザード!」
SHA「ぎゃあぁあああああ相手は死ぬ!」
栞「次回は『歓迎』の後編です。おたのしみにー。」
SHA「わ、私の台詞がぁ…ガクリ」