___華音市、駅前商店街。
適当にぶらぶらと歩き回っていた葉は今、商店街の大通りを歩いていた。
「…完璧に迷ったなぁこれは。はは、駅から近いのか遠いのかすら全然判らん」
葉は溜息をつきながら、歩き続ける。
「商店街…って事は判るんだがなぁ」
苦笑しながら歩いていると、背中に衝撃を感じた…何かがぶつかったらしい。
「…ん?」
ふと後ろを振り向くと、同年代くらいの女の子が立っていた。
「…うぐぅ」
…泣いていた。鼻の辺りを赤くし、目には涙を溜めていた。
「………。」
目が、合った。
「…う……ぐっ…。」
マズい…と思った時には既に手遅れだった。
「えぐっ…うっ…」
目尻に溜まっていた涙が溢れ、ぼろぼろと零れ落ちる。
「…えぐっ…うぐぅ!」
しゃくりあげる様に泣き出してしまった少女と、その目前に立つ葉。
買い物帰りの人達が、何事かとこっちを振り返る。
「……えーと、その…」
どうやら、突然背中にぶつかって、そのまま泣き出したらしい…。
「…うぐぅ、えぐっ」
真っ赤になった目を擦りながら、泣きじゃくる少女。
(参ったな…。)
知らない間に、周囲に人垣ができ始めていた。
「すまんな、オイラはこれから『重甲ビーファイター』を観なきゃならんのだ…」
突如グレート・スピリッツからの使命を受けた(ような気がした)葉はハードボイルドな雰囲気を醸し出し、早々に別れを告げその場から立ち去ろうとした…が、何故か体が後ろに引っ張られている事に気付いた。
ふと背中を見ると…女の子が上着の裾をしっかりと握っているではないか。
「えぐぅっ…」
流石にこの状態から振り解いて逃げる訳にもいくまい…。
不覚。ここは『超力戦隊オーレンジャー』辺りにしておくべきだったかも知れない。
「んー…そうだな、とりあえず君の名前は?」
「…うっ…えぐっ」
答えずに泣きつづける少女を見て、一息付き…優しく言う。
「…オイラの名前は麻倉葉。君は?」
「う……ぐっ…」
か、会話が成り立たない…これでは困ってしまってワンワンワワンも良い所だ。
「…ぅ、うぐ…」
ごしごしと目を擦りながら…しかし片手はまだしっかりと上着を掴んでいらっしゃる。
「ぁ……う…っ」
…でも、何かを伝えようとしている事だけは何となく解った。
「…ぁ…ゆ…」
まだ声は震えていて良くは解らないが、漸く言葉らしい事を喋ってくれた。
「…あゆ、か?」
少女はこくん、と頷いた…と云う事はこの少女の名前は『あゆ』と言うのだろう。
「そっか、苗字は?」
「…あ…ゆ」
あんですと?
「み、苗字が『あゆ』なんか?」
「うぐぅ…違ぅ…」
あゆあゆ(仮)はふるふると首を横に振る。
「んー…もっかい訊くぞ。君の名前は?」
「…あゆ」
大分落ち着いてきたのか、今度は割とはっきりと聞き取れた。
「そっか…苗字は?」
「………。」
これは『My name is Ayu = Ayu』と主張している、と解釈して良いものだろうか?
「…あゆなのか?」
「えぐっ…ぅ…違う…」
一度泣き止みかけていた表情が再び歪む。
「と、とりあえず場所を移動しよう。な?」
周りで見ている人数が、テレフォンからオーディエンスに変化していた。
…良く聞くとひそひそと話声まで聞こえる。
こ、このままではオイラが悪者にされてしまう…って言うか傍目から見たらオイラがあゆあゆ(仮)を苛めている、という図式に見えてもおかしくはない…いや寧ろ、そうとしか見えない…か?
状況は非常に芳しくない。
「うぐぅ…ひどい…」
…って言ってるそばから直下型ボム投下!?
「………。」
そーっと顔を上げると、遠巻きに見ていた通行人までひそひそ話をしているのが判った。
芳しくないどころか最悪に近い…オイラが何をしたよ?
「と、とにかく場所を変えるぞ…」
「うぐぅ…」
あゆあゆ(仮)の手を引き、人垣を掻き分け、走り出した。
「ほら行くぞ、あゆあゆ(仮)」
「あゆあゆじゃないよぅ…」
反論しながらも、特に抵抗する事無く後ろに続いて走り出すあゆあゆ(仮)。
「うぐぅ…あゆあゆじゃないもん…」
…口に出してたらしい。
「どっちでもいいから、走るぞっ」
「どっちでも良くないよぅ〜」
そして、オイラとあゆあゆ(仮)は商店街の奥へと走った…いや、道知らんけども。
………。
暫く走り続け、人気のない辺りまで辿り着くと、葉は少女に向き直って訊ねた。
「で…一体何があったんだ、あゆ?」
「………。」
「おーい?」
「………。」
あゆあゆ(仮)はさっきから黙り込んだままで、全然喋ってくれない。
「なぁ、頼むから何か喋ってくれ…。」
「………。」
「おーい、あゆあゆ(仮)〜?」
「……あゆあゆじゃないもん」
「…何だ、普通に喋れるんじゃないか。」
葉はきょとん、とした顔で言う。
「………。」
あー…また黙り込んでしまった。さっきからずっとこの調子だ。
どうして泣いていたのかを訊ねても、返事もしてくれない…。
「………。」
ただ、じっと葉の顔を見つめているだけだった。
「……どうした?」
「………。」
「………。」
「………。」
……沈黙。
「……オイラはそろそろ行くぞ…?」
「………。」
「一応、落ち着いたみたいだし……もう大丈夫だよな?」
「………。」
「じゃあ…オイラは行くから…」
…くー、と音がした。
「………」
「…何だ、もしかして腹減ってるのか?」
「………。」
くー、と2度目の音がした。
「やっぱり、腹が減ってるんだろ。」
「………。」
あゆあゆ(仮)は答えない。
「そういう時は素直に頷く…まぁいいや、何か買ってきてやるからここで待ってな」
…そう言うと、少女はこくん、と頷いた。
「何がいい? この辺で買える物なら何でもいいぞ。」
「……ほんと…?」
…何か、久しぶりに声聞いたな。
「おお…っつってもあんまり高い物は無理だけどな」
「……じゃあ、たいやき…」
「たいやきか…解った、買ってくるから大人しく待ってろよ。」
「……まってる…」
「おし」
葉は満足そうに頷き、この場所を離れた。
「アナタにー女のー子―の鉄板の〜♪」
さーてたいやきは何処に売ってんのかな? コンビニには微妙に無ぇぜ!!
「…あ、あった。」
思ったより普通に屋台が見付かった。すげえな青森(?)。
「ヘイらっしゃい! 何にしましょう?」
「適当に握ってくれ」
「あいよ〜!」
おぉ、通じた! すげえな青森(?)。
葉は屋台でたいやきを2匹買い、少女の所へと戻った。
「………。」
少女はさっきの場所で大人しく待っていた。少し安心する。
「お、ちゃんと待ってたみたいだな。」
「まってろって言われたから…」
「感心感心」
葉はあゆあゆ(仮)の頭を撫ぜてやった。
「…やぁ」
あゆあゆ(仮)は恥ずかしそうに手から逃げた。
「……うぅ」
「あー…悪かった。せっかくだから一緒に食べよう?」
あゆあゆ(仮)に紙袋を手渡す。
「……あったかい…」
「こーゆーのは焼きたてが一番美味いからな」
葉は一匹のたいやきを引っ張り出し、自分で頬張った。
「……」
「ん、美味いぞ」
葉が食べているのを暫く見ていたあゆあゆ(仮)は、袋からたいやきを取り出した。
「………」
けれど、じーっと見ているだけで、なかなか口に運ぼうとはしない。
「…見てたって美味くねぇぞ?」
「……」
漸く、たいやきを口へと運んだ。
「…どうだ?」
「…しょっぱい」
しょっぱいとな!?
「それは…涙の味だな」
「…でも、おいしい」
「…そうか、良かった。」
2人ははぐはぐとたいやきを食べる。
「んで、何で泣いてたんだ?」
再びそう訊ねたら、少女の表情が曇った。
「…いや、やっぱりいいや。」
「?」
「話したくない事なら、今は聞かん。」
「……」
そう言うと、2人は再び食べ始める事にした。
………。
「ごちそうさまでした」
くしゃっと紙袋を丸め、ゴミ箱に放り込んだ。
「……」
横を見ると、あゆも既に食べ終わっていた。
「じゃ、オイラはそろそろ行くからな。」
「……」
「じゃあな、あゆあゆ(仮)」
「……まって」
突然、上着を掴まれた。
「…どうした?」
「ボク、あゆあゆじゃないもん」
「そうか」
「うん」
「じゃあ、オイラは行くから」
「……」
「………。」
「……」
「あの、離してくれんと歩けないんだが…」
「…また、たいやき食べたい」
突然そう言われ、葉はきょとん、という顔をした。
「…そんなに気に入ったんか?」
こくっと頷く。
「じゃ、また今度一緒に食うか?」
「…うん」
「…じゃ、明日の同じ時間に、駅前で待ってるから」
「……やくそく」
「ああ、約束だ」
「…ゆびきり」
あゆは指を差し出した。
「指切り、か…懐かしいな」
最後に指切りをしたのは…4年くらい前か…。
「わかった、いいぞ」
差し出された小指に自分の小指を絡める。
「ゆーびきーりげーんまーん」
「ウソついたら針千本ヤ〜バス、」
「指切ったっ」
指を解くとあゆは走り出し、振り向いて言った。
「…あの…ばいばい」
「ああ、また明日な」
そうしてあゆを見送った後で、葉はハッと気が付いた。
「…道聞いときゃ良かった…。」
後悔先に立たず。大体ここに来るまでに4時間近く迷いっ放しなのだ。
「さっきは隣の駅まで行っちまったしなぁ…」
電車の音を便りに歩き続け、線路に沿って歩いていたら別の駅。
さんざん待って乗った電車は逆方向。
挙げ句、戻って降りた駅は『華音駅』じゃなくて『華曾駅』。
待つのがかったるいので歩き始めたら迷うわ迷うわ。
足は痛いし、手は悴むし、変な子に絡まれて走り回るハメになるし…現在進行形で寒いし。
…ちっともいいことない!
「うぅ、今日は厄日に違いねぇ…」
さっさと嫁に会って家でのんびりしたい…。
「ん?」
…おぉ、漸く華音駅っぽいモノを発見した!!
「つ、疲れた……。」
葉は荷物を置き、ゆっくりとベンチに腰を下ろす。
「ヨメは…いねぇな…。」
誰がヨメなのかは判らんが、それっぽい女の子は一人も居なかった。
「……もう帰っちまったんかなぁ…。」
…マタムネと別れてから4時間も経ってるのだ。有り得ない話ではない。
「小銭が使える電話もねぇ、テレカもねぇ、電話番号も判らねぇ…」
自宅の番号は判るし、テレカを買える金もあるが…疲労で頭が回らない。
大体今の所持金は、ヨメの家に世話になるから、と家主の人に渡す分と、買って帰るお土産の分…あとは食費の2000円(残600円)と小遣いが1500円(残1260円)。
使えるのはあと1860円か。
「テレビもねぇ、ラジオもねぇ、車もそんなに走ってねぇ…」
…いや、それはあるが?
「あー…もう、眠い…」
寝るな! 寝たら死ぬぞ!!
「あははー…真琴お姉ちゃんが手を振ってるよ……。」
逝くな! 逝っちゃ駄目だ!!
「……てn」
文字を変換する気力も残っていないというのか!?
「かー…」
……葉はそのまま寝息を立てて、眠り始めた…。
一方その頃ヨメはというと。
「うにゅ〜」
コタツに入ってミカンを摘みながら、『新世紀エヴァンゲリオン』を観ていた。
ちなみに、許婚の件で電話をとったのは名雪であり、秋子さんではない。しかも、名雪はお母さんにその旨を伝えるのを忘れてしまっていた…故に秋子さんは、今日家に葉が来る予定である事を知らない。
「そろそろ晩御飯の支度を始めなくっちゃ」
更に名雪は今日、家から一歩も出ていない。許婚の話は一応覚えていたが、それがいつの話なのかは素で忘れていた。
「今日のおかずは何がいいかしら…」
葉明も木乃も確認の電話を入れるでもなく、向こうから電話がかかって来ない事に関して特に疑問を抱いてもいなかったのだから困ったものだ。
「名雪、夕御飯のおかずは何が良い?」
「オオグンタマのエヒフ」
「了承」
…誰も葉の存在に気付く事なく、普通に一日を過ごしていた。
「それじゃ、材料買って来て貰える?」
「ええ〜〜!? いいよ」
名雪はお金を貰い、スーパーへと向かった…。
……………。
………。
…。
「ただいま〜」
…普通に帰って来た!!
「お帰り…あら?」
「お母さーん…」
「あらあら」
「オオグンタマ売り切れだった〜」
「じゃあ今日は若鶏のエヒフにしましょうか。」
…結局、誰も葉の存在に気付く事なく一日が終わってしまったのだった。