第11話「新世界の神」前編
In addition, is it Osaka
「できたあっ♪」
御納戸町の住宅街外れにある洋館の一室、魔術実験室に少女の歓声が上がった。
丸型にカットされた縞瑪瑙のブローチを指でつまみ、しげしげと眺めてダークブルーの瞳を感嘆に揺らすのは、洋館の主であるフヴィエズダ・ウビジュラである。
<夢の国>の凍てつく荒野から持ち帰った縞瑪瑙の原石を幾日もかけて様々な魔術加工を施し、ついに完成したのだ。
折しも紅葉の映える季節の中頃に差し掛かっていた。
「この出来映え……うふふ、丹念に手間をかけた甲斐があったわ」
天才が趣味嗜好に労力を費やすと、世のため人のためになるか、或いはろくなことにならないか、大別して二つのパターンに分けられるが、さて、結果はどうなるか。
「さっそく効力を確かめたいところだけど、誰で試そうかなあ」
まず自分で試すなどという思考は、彼女には当然存在しない。イレギュラーは大歓迎だが、あくまで自分は安全圏にいることが前提で、観察者として楽しむ道理である。
ブローチ片手に実験室を出て居間に足を運ぶと、だらしなくソファに座って煎餅をボリボリかじりながら、百インチの有機ELに映る萌えアニメをヌボ〜ッと見ているサイモンの姿が目に入った。
尻子玉をフィーバーで大放出してしまったかのような腑抜けた顔は、「僕にも魔法が使えたら何しようかな〜まずお金かな〜……いやダメダメ! そんな事したらアニメ美少女達に嫌われちゃうよ!」などと考えていそうで、まさにダメ人間の坩堝、こんなやつ一人世の中から消えたところで誰も文句は言わないだろうという選民思想主義に則って、普通なら「よし君に決めた!」となるのだが、
「サイモンくん、バイトから帰ってきてたんだ」
ヴィエが声をかけると、サイモンはリモコンの一時停止ボタンを押して振り向いた。
「ああ、いま録り溜めたアニメを消化しているところさ」
「そうなんだ。わたしこれからちょっと出かけてくるから」
「いってらっしゃい」
「いってきまーす」
そのまま玄関へと向かうヴィエ。
いかにマンガ、アニメ等に頭脳容量を使い過ぎで、社会人として必要な知識は足りてないフリーター青年といえど、彼女にとっては一緒にいるだけで幸せな気持ちになれる最愛の恋人に他ならず、危険性も起こりうる実験材料に使う気など毛頭ないのだった。
夕陽の照りつける街路を歩きながら、稀少魔術品の効果を誰で試そうか考えるヴィエ。
真っ先に浮かんだのは隆志やリアだが、どちらも術者であるし性格的な面を考慮しても大事になる可能性が高い。もっとも隆志だと意図を見抜かれ拒否されること請け合いだろうが。
なんにしてもレン高原の高純度の縞瑪瑙を用いた代物である、なるだけ害のなさそうな人間を選ぶべきだろう。
「なんやーヴィエちゃん、難しそうな顔してどないしたん?」
やんわりとした関西弁が頭上二十センチの高みから降ってきた。
顔を上げると、御納戸学園高等部の制服を着た女学生が、春風駘蕩な顔で眼を丸めていた。
リアのクラスメイトで友人の秋霜止こと明石焼きだ。
「あー、明石焼きさん、こんにちは」
「こんにちわー。ヴィエちゃんも学校の帰り?」
私服のヴィエが学校帰りのわけはない。今日は土曜だから初等部は授業が午前で終わりなのは分かっているだろうに、頭がゆるいのか天然というべきか、とにかくいつも平和そうな顔をしている。
――瞬く間にピンときた。
「あなたに決まり!」
「え、え、なに? いきなりなんやの〜?」
「明石焼きさん、プレゼントがあるの。よかったら受け取って!」
「え……ブローチ? なにこれ」
「純度の高い縞瑪瑙だよ。貴重品だから失くさないように」
「そんな貰ってもええん? それにそないなこといきなり言われても……」
「それじゃ、大事にしてねー♪」
返事も聞かず強引に手渡すと、ヴィエはパタパタと走り去っていった。
ぽつんと立ち尽くし、困った顔で手元のブローチに視線を落とす明石焼き。夕焼けを浴びて縞瑪瑙の表面が異彩を放っていた。
走り去るヴィエは、一度振り返ってほくそ笑んだ。
「一度所有させてしまえばこっちのもの。あとは効果が現れるのを待つだけね」
そう、人生万事塞翁が馬とはいえ、まさかあのような事態にまでなるなんて、この時の彼女には想像もつかなかったのです……たぶん。
一週間後。
御納戸町は徐々に不可解な出来事が浸透していた。
しかしそれをおかしいと認識していたのは一部の能力者たちのみで、異常の内容が内容だけにいまひとつ危機感を募れないでいた。
その現象とは。
脈絡もなく大阪や阪神の人気が出て街中で流行化している。
各所でたこ焼き屋や551の蓬莱に行列ができ、通天閣バッジ、食い倒れ人形キーホルダー、大阪城Tシャツといったわかりやすい大阪グッズや阪神グッズが売れまくり、巨人ファンも阪神ファンに鞍替えし、通行人の服装も白と黒の縦じまスタイルが増え、六甲卸しを歌いながら大阪名物パチパチパンチを披露したりする有様で、このままでは日本の首都が大阪となってしまいかねない勢いだった。
ついでに「あずまんが大王」が時期外れのブームを呈しており、春日歩こと大阪の人気だけがうなぎ上りだというのも奇妙な現象の一つに数えられる。
「まったく……街中どうしちゃったのかしら」
「ええことや。みんなやっと大阪の魅力に気がついたんや」
「いやどう考えてもおかしいでしょ」
すっかり大阪一色に染まった通りを歩く学校帰りのリアと明石焼き。
今日の授業でも社会の先生が現代の大阪について詳しく説明しだしたり、歴史の先生が大阪の誕生と発展を延々と語り、英語に至っては関西弁への翻訳が盛り込まれたりしたのを思い出し、さすがに頭が痛くなってきたリアは、ふと隣を歩く友人の胸元に眼が向いた。
「あんたそのブローチ、最近ずっと身につけてるわね」
「ん? あー……もらい物やねんけどな、なんやしらんけど、これを付けてるとええ気分になってくるねん。発想が湧き上がってくるゆうんか……なんでもできるんやないかっていうオーラが発散しそうな、そんな感じや」
「そんな感じって言われてもさっぱりだけど……それ誰にもらったのよ」
「一週間前にヴィエちゃんがくれたんや」
瞬間、電光の閃きが脳裏を貫いた。
そのまま一目散に駆け出したリアは、ただひとつのことを確信して思った。
――ヴィエの仕業だ。
「痛い痛い、リアさん耳ひっぱらないでー」
「うるさい! なにとんでもないことしでかしてるのよ、あんたはっ」
ヴィエの耳たぶをつねって怒りをあらわにするリアは、思わずめまいがしそうになってきて溜息をついた。
明石焼きが肌身離さず持っていたブローチはレン高原とやらの縞瑪瑙で、この世界においては所持している者の認識力と思考力を著しく拡大させ、その者の意思や性質に合った事象が周囲を侵食して変貌させていくのだという。
この世界とは異なる幻夢境という異世界の物理法則が所持者の頭脳を侵食して体をも蝕んでゆき、やがては世界全土が所持者の望む姿へと造り変えられていくらしい。
ゆえにレン高原の縞瑪瑙を覚醒世界で所持する者は、使用時以外は魔術による封印を施しておくのが常である。
「それで、この事態を収拾するにはどうすればいいの?」
「もう少しデータをとりたいんだけどなあ……面白そうだし――あいだだだっ」
さらに耳を強くひねられ、ヴィエが涙声を上げた。
「わ、わかったから手を放して。彼女から縞瑪瑙を取り上げれば解決するからー」
「最初からそう言いなさいよ。よし、じゃあ行くわよ」
「やっぱりわたしも?」
「当然でしょ」
「はーいはいはい、しょうがないなあ」
苦笑してリアの後に続くヴィエ。縞瑪瑙はどのみち回収するつもりだったので、リアが率先してやってくれるなら人任せにできる点で楽だ。
「ふっふっふ、よくここまで来たな、褒めてやろうー」
公園の噴水前に立つ明石焼きは、リアとヴィエを前にして棒読みで不適に笑った。
ちなみに呼び出されたのは明石焼きのほうなので、セリフとしては矛盾している。ただ単に言ってみたかっただけだろう。
「えーと、あのね明石焼き、あんたを呼んだのは……」
「このブローチは渡さへんでー」
出し抜けに会話の機先を制され、リアはうろたえた。
「今のあたしにはわかるんや。リアっちやヴィエちゃんが異能者っちゅうことも……見える、あたしには見える。明らかや、呆れるほどに明らかやー」
ゆったりとした関西弁をうわずらせる明石焼きの胸元で、異界の縞瑪瑙が不気味なまでに発光していた。
「ありゃ、もうだいぶ侵食されてるみたい。リアさん、早く何とかしないとまずいことになるわよ?」
「あんたの責任でしょーが! くそっ、冗談じゃないわよ……てゆーか明石焼き! あんたいったい何がしたいのよ!?」
「ええやろ、リアっちには話しといたるわ」
フフフという擬音が浮かびそうな物言い。サイモンさんが悪役の真似をしたらたぶんこんな感じなんだろうなと、リアはどうでもいいことを思った。
「あたしの成すこと、それは人類大阪計画。――全世界を大阪化するんや」
「は?」
呆気にとられるリア。こいつはなにをいっているのだろうか。
「水、食べ物、空気……人が生きていくためにはいろんなものが必要や。ほんならやー、あとひとつくらい増えたってええやん? 世界は大阪のもとに統一され、大阪魂に昇華される。すべての人間が大阪人になれば地球上から争いはなくなるー」
いやそのりくつはおかしい。
そんな突っ込みもあまりの荒唐無稽さに引っ込む、なんという思想、なんという壮大さか。
「なんだか面白そうねえ――むぎゅぅぅぅっ」
愉快そうに感心するヴィエだが、リアにほっぺをつねられて涙目。
「それで、その後あんたはどうなるの」
「あたしは大阪新世界で、大阪化した地上の秩序となる」
新世界とは大阪市浪速区恵美須東一丁目から三丁目にある歓楽街のことを指し、界隈に通天閣やジャンジャン横丁があることで知られる一種独特の領域で、明石焼きの生まれ育った場所でもある。
いまや地球皇帝にも匹敵する物々しさを備えた――ように見える明石焼きが、大仰な仕草で、両手をゆっくりと天に伸ばした。
「あたしは新世界の神になる!」
大胆不敵、傲岸不遜、電光石火の発言に、リアは無言でスカートのポケットから一枚の護符を取り出した。紙片が水平に飛翔し、まだ自分に酔っている明石焼きの額に張り付く。
「被甲護身!」
対象にかかった術や憑依などを討ち払って正気に戻す効果がある――はずだったが、一瞬で護符がぼうっと炎上消滅して、明石焼きがにやりと笑んだではないか。
「無駄だってばリアさん。幻夢境の物理法則に浸食されてる彼女を元に戻すには、あの縞瑪瑙を直接奪い取るしかないわよ」
「だったら――オン・キリウン・キャクウン ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン!」
「あうっ!?」
キンと空気が張り詰め、明石焼きの体が見えない何かに束縛される。不動金縛りの術だ。
これは効果があったようで、不自然なポーズで彫像のように固まった自称新世界の神が、必死に全身を動かそうと苦悶の表情を浮かべている。
いまのうちとばかりに明石焼きへ疾走するリア。
その直後。
「まだや……まだ終われへん!」
忌まわしきレン高原の縞瑪瑙がまばゆいばかりの閃光を迸らせ、その所持者を中心とした半径の空間が軋んだかとみるや、とてつもない波動となって拡散したのだ。
彼女の周囲にあったものはみな吹き飛び、リアとヴィエも公園外の壁に叩きつけられた。
そして見よ、圧倒的な存在感を伴って膨れ上がる魁偉なオーラと、瞬く間に街を覆い尽くす異質な空間。
腰をさすりながら顔を上げたリアの眼に映った「もの」は――
「あたしは新世界の神……ゴッド・明石焼きなりー」
四頭身にディフォルメされた、両目が白抜き眼の微妙にファンシーな少女の姿は、全長二百メートルの巨体でそびえ立ち、そのシュールな偉容から重低音の声を街全体に響かせた。
なんの冗談かと唖然とするしかない光景に、ゴッド・神取みたいに不気味じゃないだけましかなと、半ば現実逃避でとりとめもないことを思うリアだった。
「あーあ、とうとう体まで変容しちゃったか……仕方ない、一旦離脱ね」
淡々とつぶやき、ヴィエはナイトゴーントを呼んだ。空間から現れた一匹の夜鬼が召喚者を背中に乗せると、やや放心気味のリアの肩を掴んで上昇し、音もなく漆黒の翼を羽ばたかせてその場を飛び去っていった。