卵焼き。それは誰でも知ってるお弁当の定番だが、案外奥が深い。
 実際、本当においしい卵焼きを作れる人間がどれほどいるのだろう。それが弁当のおかずともなれば、さめてもおいしい卵焼きを作らなければならないのだ。その難易度ははるかに上昇するだろう。
 だが、そんな卵焼きを究極と言えるほどに、言えるほどに、言えるほどに……
「うますぎるっ!!」
「あははーっ、そんなことないですよー」
 朗らかな笑顔でやんわりと否定するが、どう考えてもそんなことないわけない。色とりどりのおかずが入った重箱が1つ、ご飯が敷き詰められた重箱が2つ。計3つの重箱からなるお弁当は今目の前にいる少女1人によって作られたものだという。
「…うむ、合格だ」
「ほえ、何にです?」
「俺のお嫁さんに」
 グッと親指を立てて、にこやかに笑う。白い歯を光らせて笑うこの笑顔は、通称祐ちゃんスマイルと呼ばれる俺の必殺技である。これが完璧なまでに決まったということは、彼女の視線は俺に釘付けのはずだ。
「あ、舞、ほっぺたにご飯粒付いてるよ〜」
「………」
 いいんだ、俺なんて。
 それにしても、友人というよりは姉妹みたいだな。2人の少女、川澄舞と倉田佐祐理は。





1月12日―――終わりから始まりへ―――





 そもそも彼女達はあった時から異質だった。
「よう、昨日あったよな」
 混んでいた学食での昼食を諦め、購買でパンを買って教室で食べようとしていた美坂チーム一同であったが、名雪の予想をはるかに超越したポケポケ具合によって俺1人だけが先に戻る途中の事だった。
 目の前にいたわけじゃないしすれ違ったわけでもない、ましてや話しかけられたなんてことは絶対にない。ただ、視界の端に移っただけだった。
 それでも、目ざとく見つけてしまった。見つけた瞬間に気づいてしまった。ああ、昨日の少女だ、と。
 知り合いと言えば知り合いだったが、名前さえ知らない相手である。話しかけるのはやめておこうかな、とも思った。でも、好奇心と感情が勝ったのか、知らず、声を掛けていた。 
「………」
 声を掛けられた事に気づいて、一度こちらを向く。が、俺にまったく興味ないとでも言うようにまたそっぽを向いた。
 連れないなぁ。わずかばかりであるが、ショックを受けていた自分に苦笑する。
「昨日は気づかなかったけど、3年生だったんだな。俺より年上だ」
 ケープのリボンの色を見ながら言う。
「………」
 これにも興味なし。俺って存在感がないのか、とも考えてしまう。それほどにこの少女は俺が眼中にないのだ。
「ああそうだ、訊きたかったことがあるんだった。…魔物ってなんなんだ?」
「………」
 いきなり核心に迫りすぎたのか、反応がない。もしかすると彼女なりに驚いているのかもしれないけど。
「剣はどうした」
「………」
 これも無視。それとも昨日のは俺の妄想だったのか。どちらにせよ反応が欲しい。
「昨夜、会ったよな?校舎で佇んでたろ、あの時あったのが俺だよ」
「………」
 わかってた、わかってたさ。ここで返事をもらえると、何故だか負けた気になったろう。それでも、いい加減泣きたくなってきた。
「とりあえず返事をしてくれないか。『はい』か『いいえ』で」
「………」
 反応がないのでわかったのかどうか知らないが、これで少しはましになる事を祈る。
「俺の事、覚えてるか?」
「…はい」
「いや、まんま『はい』じゃなあ。せっかくかわいいのに…そうだ、ツンデレっぽく『はい』なら『仕方なくだからねっ!!』で『いいえ』なら『そんなわけないでしょっ!!』にしてくれ」
「………」
 さすがにこれには顔を歪めるかと思っていたが、完全無視。もしかしてやるつもりだろうか………話題を変えてみよう。
「で、今は何をしてるんだ、昼飯は食ったのか?」
「…そんなわけないでしょ」
「………」
「………」
 互いに黙る。俺はあんな真顔で言われると萌えらんねえなあ、とかショックを受けていたが、少女はまるっきり興味が無いと言わんばかりに外を見ていた。
「えっと、学食行くか?」
「………」
 ようやく立ち直り、少女をランチに誘う。学校の学食と言うところがネックなのか、なかなかなびいてくれない。むう、祐ちゃんスマイルが通用しないとは。
「あー、なんだ―――」
 次の質問を投げかけようとした時。
「ごめーんっ」
 声が聞こえた。それもこちらに向けてだ。
 見ると、同じく上級生らしい女生徒があわただしく駆け寄ってくる所だった。なんとなく、普通の人とは違う感じがした。ただの勘だけど。
「舞、ごめんーっ」
「って、あれ?」
 その女生徒は俺の存在に気づいて驚いているようだった。
 しかし、その驚きは俺ほどではないだろう。目の前の無口女(舞と呼ばれていたが)に友達がいたのだ、平静を保ってはいるが内心ではかなり驚いている。
「えっと…お友達ですか、舞の?」
「夜明けのコーヒーを飲んだ仲だ」
「………」
 突っ込みはなし。
「ふぇー…」
「おい、否定しないからこの人信じちゃったよ」
「そんなわけないでしょ」
「まだそれを使ってたのかっ!!」
「あははーっ、舞その言葉面白いね」
 なんと言うかおおらかな人だな。俺だったら、名雪がもしこんな言葉を発していたら即行秋子さんに相談だな。一瞬で解決してくれる事だろう。
「…仕方なくだからね」
「もう、使わなくてもいいって」
 言わなければいつまでも使ってそうなので、使用を禁止してやる事にした。こんな言葉ばかりでは変人だと思われること間違い無しだからな。
「…そう」
「はぇー…で、どういうお知り合いなんですか?」
 気を取り直したようにして、女生徒が俺へ目を向ける。もう少しからかっても面白そうだが、それだと昼飯を食う時間がなくなる。手短に済ませることにした。
「昨夜、この校舎であったんだよ。その時の話をちょっと、な」
「それだけなんですか?」
「ああ、それだけだけど…」
 知らないのだろうか、彼女のあの姿を。
「じゃあ、一緒にご飯でも食べましょうか」
 脈絡がまったく分からない。そもそも、俺はちょっと知り合っただけの赤の他人だ。友人同士の食事にお邪魔できるほど仲良くない。
 しかし、ここで断ってよいものだろうか。女生徒ははっきり言って亜麻色でちょっとウェーブがかかった髪にミドリのリボンが妙に似合った美少女だったし、無口女は言うまでもない。これはチャンスなのではないだろうか。っていうかフラグ?
「じゃあお言葉に甘えちゃったりなんかして」
「はい、行きましょう」
「おう、行きましょう…って何処に?」
「屋上です」
 いい笑顔だった。俺の人生の中でも1,2を争ういい笑顔だった。
「そうか屋上か…ってなにぃ、屋上っ!!」
 言外に寒いだろという意味を含ませながらオーバーなリアクションを取る。具体的に言うなら、ヘッドスライディング気味に。
「あははーっ、屋上には出ませんよ。その扉の前、階段の踊り場です」
 

 そんなわけで現在、亜麻色の髪の少女―倉田佐祐理さんのお弁当に舌鼓を打ってるわけだが、なんかなぁ。
 たいしたことではないのだが、この2人が友人だと言う事に若干違和感を覚える。どちらかと言えば、姉と妹だった。どっちが姉かと言われれば…いや、あえて何も言うまい。
 ただ、お互いにお互いを必要としていることだけは理解できた。だが、うらやましいとは少しも思わなかった。
 でも、この2人の事をもっと知りたいと思った。

「ふぇ?」
「だから、佐祐理さんと舞の馴れ初めですよ」
 もっと知りたいと思ってしまったからには遠慮はしない。とことん聞き出してやる。
「あははーっ、馴れ初めですかー」
「そ、いくら佐祐理さんでもいきなり話しかけないだろ。だって、舞はどう考えても昔から無口だろ」
 もし、いきなり話しかけたのならすごい会話になりそうだ。
『あははー』
『………』
『あははー』
『………』
『あははー』
『………』
 嫌すぎるぞその会話は。そもそも会話ですらない、それではいくら佐祐理さんとて、友人になろうとはしないだろう。
「あははーっ、佐祐理が舞と初めて会ったのは山犬のおかげですかねー」
「は?」
 意味が分からん。山犬が舞と佐祐理さんの仲人でも買って出たのだろうか。
「…犬さんがお腹をすかせてた」
 疑問符を乱発させる俺に舞が補足をするが、余計分からん。なんて説明が下手なんだ。
「この辺りでは冬になると餌がなくて山犬が降りてくるんです。それで、お腹がすいて気が立ってる山犬を舞が―――」
「倒して佐祐理さんを守ったのか?」
「あははーっ、違いますよ」
 なんだ、違うのか。てっきり『…私は山犬を狩る者だから』とか言って剣を振り回したのかと思った。
「舞は山犬を片手で抑えて、大人しくさせてから餌をあげようとしたんです」
「ほう、餌をねえ」
 なるほど、そらいいヤツだと佐祐理さんが思うのも頷ける。
「でも、餌が無くって―――」
「ああ、それで佐祐理さんが餌をあげたのか」
 納得がいった。今の説明では佐祐理さんの出番がまるで無かったからだ。
「いえ、餌が無かった舞は自分の手をそのまま差し出したんです」
「はあ?何考えてんだお前」
 思わず舞を見る。
 しかし本人は少しも気にせず食事を続けていた。
「あのなあ、いくらなんでも手を差し出すってなあ。食われたらどうするんだよ」
「…犬さん困ってた」
 それだけの理由で自分の手を犠牲にしたのか。バカそうだと思っていたがここまでとは、さすがに恐れ入った。
「それで佐祐理がお弁当を持っていったんです。手よりもこっちのほうがいいよって」
 その光景が目に浮かぶ。山犬の頭をなでる舞とその舞を優しい目で見る佐祐理さん。
「そうか、舞にはいいところがたくさんあるんだな」
「はいっ」
 俺の言葉に頷く佐祐理さんの目が印象的だった。


「うそつき」
 2人に『また明日踊り場で』と言って教室に戻ると、名雪が拗ねていた。
「待っててくれるっていった」
 そういや、教室で待ってるから一緒に食おうと約束したっけな。
「わりいわりい、知り合いに会ってな。話が弾んだんだ」
「知り合い?」
 名雪の驚いた顔の意味はだいたい想像がつく。転校してきたばかりの俺に知り合いがいることに対してだろう。
「ああ、知り合いだよ。俺の大事な親友だよ」
「ふーん」
 名雪はそれ以上追求してこなかった、知り合いの事に関しては。約束をたがえた事に関してはイチゴサンデーをおごらされる羽目になったが。


 夕食後、まったりと過ごしていた俺は時計を見ると、コートを羽織って一階に降りた。
「出かけてくる」
 リビングに顔を出し、そこにいた名雪に声をかける。
「え?どこに?」
「学校」
「また忘れ物?」
「ああ、ずっと昔のな」
「???」
 名雪は意味が分からないといった様子だったが、かまわずドアを閉めて家を後にした。


 舞は今日もあの場所にいる。
 確信があった、絶対的な確信が。今夜もあの場所にいて、ずっと守り続けてるのだ、魔物から。
 夜の校舎は相変わらず独特の雰囲気を醸し出していた。
 普段にぎやかな場所だからギャップでそういう気がするってだけだろうけど。
 昇降口で自分の上履きに履き替え、廊下を歩いていく。
 いた、舞だ。
 新校舎の1階。窓から指す月明かりを足下に受け、立っていた。
 昨夜と変わらず剣を携えている。
 俺も剣でも持ってくれば、ここで決闘の約束でもしてたみたいになるのだが、残念ながら俺が持っているのはただのコンビニ袋だ。
「ほいよ、差し入れ。コンビニのおにぎりだけど」
「………」
「腹減ってないか」
「…少し」
「そうか、なら食え」
 俺は取り出して差し出す。
「………」
「どうした?」
「………」
 じっとおにぎりを見つめる。
「剥いて」
 ああ、剣を手放すわけにはいかにと言う事か。
「でも、鞘があるだろ普通」
「さぁ…」
「買ったときについてこなかったのか」
「さぁ…」
「つーかそれ、絶対安物だって」
「さぁ…」
 しかし、舞の持つ剣が本物である事は間違いない。刃こぼれも多そうなので、切れ味があるのかは定かではないが、それでも殺傷能力のある真剣である事に間違いは無い。
 どっちにしろ少女の持つもんじゃねえな。
「ほらよ」
 のりに巻かれたおにぎりを手渡す。
「………」
 今度は『食べさせて』とでも言うのかとドキドキしていたが、空いたほうの手で受け取った。少し残念だ。
 ぱりぱり
 食べるたびに所帯じみた音がする。幻想的な世界だと思えていたこの空間が、ひどくシュールなものに見えるから不思議だ。
「おにぎり恐るべしっ!!」
「………」
 当の本人は気にせず食べ続けていた。少しはさっきの言動に突っ込みを入れて欲しいものだ。
「今日も現れるのか、あれは」
 昼間は佐祐理さんがいたので訊けなかった事を訊いてみる。
 …もぐもぐ。
 答える気が無いのか、食べるのに精一杯なのか、返答はなし。
 どちらにせよ、食べ終わるまで話せないのだから少し待つか。
 ………。
 …ミシッ。
 音がした。
 昨日までの俺なら完全に聞き逃していたであろう、音。
 相変わらず気配は無い。
「おい、舞…」
 すっとおにぎりが差し出された。
「…持ってて」
「ああ、わかったよ」
 受け取ってやると舞は音のほうに駆け出した。
 ―――ザキッ
 剣を振りぬいた。
「おおう、すげえな」
 まったく、女子高生の身体能力とはとても思えないな。
 ―――ミリッ
 天上から音がした。
 俺のほうに移動してきたのかと思ったが、舞はまだ剣を振り続けている。
 複数体いるってことか。
 ―――ダンッ
 床に衝撃、降りてきた。
 見えない、気配が無いヤツと戦った事なんか無い俺は、どうしたらいいのかも分からずとりあえず避けた。
 ―――パリーッン
「あっぶねー」
 避けた途端、後ろにあった窓ガラスが割れる。
 だが、避けるだけなら何とかなりそうだ。
「よっ」
 避ける。
「ほっ」
 避ける。
「ちょいやー」
 避ける。
 気配が無い相手では避けるのはかなり困難だと思ったが、完全に避ける事を考えなければそう難しくなかった。
 要は、当たった瞬間によければいい。魔物に手があるのかどうか知らないが、触れた瞬間に体をひねる。ただひたすらにそれを繰り返してやればいい。
「あらよっと」
 おにぎりを持ったまま、また避ける。
 ―――シュッ
 いつのまにか戻ってきた舞が何も無い空間を切り裂いた。
「………」
 そのまま動かない舞。
「…やったのか?」
 気配が分からないと言う事は、その生死もまったく分からない。
「…逃げられた」
「そうか…」
 あからさまに意気消沈する。頑張ってよけたのだ、一体くらい倒して欲しかった。
「でも、2体とも手負いにできた」
「そうかっ!!」
 何よりの情報だった。俺も頑張った甲斐があると言うものだ。
 スッと舞の手が差し出される。
 なんとなく用件は分かったので手に持っていたおにぎりを渡す。
「ったく、もっと喜べよな」
「………」
「ま、いいさ。この調子で何とかしようぜ」
 俺はじゃあな、と言うとそのまま背を向けた。このまま残っても良かったが、行く所ができた。
「夜中でも営業してんのかな」
 やってなければ行くだけ無駄なのだが、なんとなくやってそうな気がしたので商店街へ足を向けた。


 昨日見つけることが出来なかったソレはわりとあっさり見つかった。
「しっかし、相変わらず胡散臭さ大爆発だな」
 看板といい、店の中が見えないようになってるマジックミラーといいわけが分からなかったが、一番不明なのは『Un altro mondo』というこの店のネーミングだった。
「つーか、何語よ」
 英語ではないと思う。自信ないけど、英語なら40点分くらいはわかる。
 ―――キィ
 ドアが軋む音がした。
「いらっしゃい」
 声と同時に誰もいなかったはずの場所にフードをかぶった老人が現れる。
「よ、まだくたばってなかったか」
「ん?…おお、誰かと思えばボウズか」
 断言してもいい。懐かしいとか言ってるが、俺のことなど会うまで気にも留めてなかっただろう。。昔から俺がこの老人が好きになれない理由の一つだ。
「久しぶりに来て悪いんだけどさ、調べて欲しい事があるんだ」
 居心地が悪いのでさっさと本題に入って済ませようとする。
「なんじゃ、7年ぶりじゃというのに。ウラドの譲ちゃんに連れられておった時は、もうちょっと可愛げがあったぞ」
「るっせえ」
 しわくちゃな顔をさらに歪めて笑う老人に嫌悪感を隠そうともせず話す。
 だが、このじじいはまったく気になどしていない。むしろ、嫌悪感を抱かせて喜んでいるような性質だ。人の不幸は蜜の味だそうだ。
「で、何を調べて欲しいんじゃ」
「ああ、川澄舞。俺が今通っている学校にいる少女なんだけど、この少女について調べて欲しい。あとは、魔物についてだ」
「魔物じゃと?」
 黙って聞いていたじじいは訝しげに聞き返してきた。まあ、そうだろう。魔物について教えてくれなんて俺が言い出したのだ、頭がおかしくなったのかとでも言いたいのだろう。
 だが、俺はいたって本気だ。
「ああ、特別な魔物でな、気配と姿がまったく無い」
「…ほう」
「興味出てきたろ?ま、頼むわ。礼なら弾むぜ」
「よいよい、この度の依頼は少々面白くなりそうじゃ。礼などいらんわい」
 ち、これが一番厄介だ。じじいが介入してくると余計な事にならねえ。
 そう思いつつも、今はじじい以外に頼れるやつもいないので渋々依頼した。
「任せておけ。それじゃ…明日の夜8時にここに来い」
「8時!?」
 それは困る。その時間帯は舞と会う時間なのだから。
「なんじゃ、何ぞ都合でもあるのか?」
「ん、あ、いや。無いと言えば無いけど」
「それじゃ、8時に来い」
「わーったよ」
 釈然としなかったが、俺がこのじじいをしっかりと見張っていれば舞に何かすることもできないわけだし、いいかと考えてしまった。
「気をつけるんじゃぞ」  

 それが、

 呪いだと、

 知りもせずに。