窓の外では相変わらず、瀧のような大雨が降り続いている。
「がぁー、だりぃなぁー」
そう言ってトレーナーの首元から手を突っ込み、背中をボリボリとかきむしる。
少し離れたテーブルの上に孫の手は置いてあるんだけど、あれを取るのすらめんどくさい。
「がぁー、ホンマだるいわ」
今朝起きてから35度目のだるいと言うつぶやき。
まぁ今朝って言っても、起きた時にはもう午後の2時を回ってたけどな。
「あーもう邪魔邪魔! そこどいてくれないと掃除が出来ないんだから!!」
「おっとっと」
突然部屋に一人の女が登場したことで、それまでのまったりとした空間が一変。
あーあ、またうるさいのが来たよ。
「全くもう。この天気でパトロールに行けないのをいいことに、すっかりだらけきってるんだから」
「何をそんなに苛立ってるんすかー、バタコさん。ひょっとして、アレの日?」
「ふざけたこと言ってないでさっさと出てけこの穀潰し!! やること無いなら厨房で老いぼれの手伝いでもしといたれや!!」
「ハイハイ」
両手を肩の高さまで上げて「やれやれ」と言うジェスチャー。
この人のヒステリーは今に始まったことじゃないので仕方が無い。
そう自分自身を納得させて、僕は厨房へと向かった。
あ、その前にとりあえず自己紹介だけでもしときましょうか。
僕の名前はアンパンマン。愛と勇気だけが友だちな寂しい男さ。
梅雨のある日。
あーそれはそうと最近、愛と勇気を藍と夕貴にわざと誤変換して、
「宮里藍と工藤夕貴が僕の友だちさ」なんてギャグを考えたのよ。
このネタをチーズに向かって初披露したんだけど、あの犬っころ、クスリとも反応しやがらねぇ。
まぁ所詮犬どもには僕のハイソなセンスは理解でけへんのでしょうね。
でもちょっとムカついたので、餌にイソジンとかいっぱい混ぜといてやったけど。
今頃犬小屋の中でのた打ち回ってるだろうな、ハハハハハ。
「ジャムおじさーん、何か手伝いましょうかー?」
厨房では、すっかり痩せ細ってしまったジャムおじさんが生地を麺棒で伸ばしていた。
「んー、そこのスープをかき混ぜといてくれるかな。いろいろ沈殿してしまうから」
「ういー」
言われたとおり、僕は冷蔵庫の横に置いてあるでかい鍋をかき混ぜる。
中にはどどめ色に輝くとんこつスープが。……いや、そんな色してたらマズイだろとんこつは。
「どうでもいいけどジャムおじさん、もうパン屋に戻る気は無いの?」
「ああ。今の時代パン屋じゃ儲からねぇ。これからはラーメンよ。横浜のラーメン博物館に進出できるクラスになればもう万々歳!!」
「そして店舗拡大、全国チェーン化、カップ麺として大ヒット……か。なればいいね」
「なればいいね、じゃない! 成せば成るんだ!!」
威勢良く叫ぶジャムおじさん。
おかげで唾が伸ばした生地の上に無数に降り注いでいるよ。
「でも実際『ジャムラーメン』は泣かず飛ばず今だ目処つかずで、おじさんも40キロ台まで痩せちゃったじゃない。それでもまだ続けるんすか?」
「男は死ぬまで夢追い人よ!! 理想を抱いて餓死こそ本望!!」
僕もうこの人が何言ってるのかよく分かんないや。
あーあ、テレビで年商100億とか言うラーメン屋のサクセスストーリーなんか放送するから、アホな視聴者が感化されちまうんだよ。
仕方が無いので年商1000億のパン屋の特集とか組んでくれんかなぁー、ホント。
それ見たらこの人の夢もサックリ乗り変わるのにさ。
「でもいい加減パンを作ってくれないと、僕、新しい顔が全く手に入んないじゃない」
「だから週に1個は焼いてやってるだろ? だからお前も一週間ぐらい顔保たせろ」
「はぁ」
ジャムおじさんがラーメンに目覚めて以降、僕の新しい顔がほとんど焼きあがらなくなった。
おかげで下手にバイキンマンとは戦えないので町の平和は乱れる一方。
先月戦った時なんか顔に泥水かけられて、仕方が無いのでコンビニで買って来た市販の『アンパンマンパン』を顔にして戦ったんだから。
まぁそんな訳で、今日みたいにクソ天気が悪い日なんかは絶対外になんか出れねぇ。
替えの顔が用意してもらえないからなぁー
「あ、そろそろ時間だから留守番頼むな」
そう言って厨房を出て行くジャムおじさん。行き先は市内にある『ジャムラーメン駅前店』
アンパンマン号を売却して得た資金で立てた、駅前一等地にあるこの店舗。
だが味の評判が絶望的に悪く、大赤字店舗となっている。
「今日こそ俺のラーメンであの店を復活させるんだ」
「まぁ、頑張ってください」
正直バイトに作らせた方がよっぽど美味いもんが出来るんだけどなぁ。
と言う訳で出て行ってしまったジャムおじさん、そして家の中には僕1人。
ちなみにバタコさんは職安に行ったっぽい。テーブルの上には読みかけの求人情報誌。
そろそろこの家出て行くかもしれないな、うん。
ピンポーン
「ん?」
チャイムが鳴ったので応対してみると、玄関先には見慣れた男の姿があった。
「ひえぇー、全くこの雨堪ったもんじゃないぜ。あー頭が水染み込んで重い。タオル貸してくれ」
「まぁ構わんけど」
ずけずけと濡鼠状態で上がりこんできた、ラグビーボールみたいな頭をしてやがるこの男。
「あーあといつものようにカレー貰うからな」
「いつものようにって、たまには金払えよ」
戸棚からレトルトカレーを取り出し、それを温めもせずに開封してグビグビと飲み干す光景は、いつ見ても気持ちの悪いものであった。
カレーパンマン。無職。
以前は僕と一緒に町の平和を守るため戦ってたんだが、こいつもこの梅雨の時期は迂闊に外に出る訳にも行かず、僕同様期間限定ニートになっている。
「あーもうホント顔が濡れてきもちわりぃ。ジャムのオッサンはいないのか?」
「生憎だけどいないよ。駅前店に行ってる」
「またラーメンか……いい加減目を覚まして欲しいよなぁー」
「ホントホント」
カレー分を補充したカレーパンマンが、居間へと入ってくる。
畳の床にあぐらをかいて、テーブルの上にあったマンガ雑誌に手を伸ばす。
「……ってこれ先週号じゃんか。今週号無いの?」
「この天気で迂闊に外なんか出れないし」
「そりゃそうだけど、つかそんな天気の中わざわざやってきた俺はどうなるんだよ」
「よっぽどな暇人か単なるバカ?」
「やかましいわアホ!!」
とまぁいつもの如く駄弁っているパン二人。
その時だった。
どすん、どすん
「!?」
外から大きな振動と共に聞こえてきた鈍い音。
「地震か!?」
「いや、これは……」
二人して玄関を飛び出す。そこには……
「ハーヒフーヘホー!!」
「バイキンマン!!」
いつものように巨大マシンに乗ったバイキンマンの姿が。
「クッ、よりにもよってこんな雨に日に」
「しかもわざわざパン工場の近くまで……この野郎、いよいよ最終決着をつける気か!?」
戦闘体制に入る僕とカレーパンマン。
顔が濡れて気持ち悪いがもうそんなことは言ってられない状況。
「チッ、最後の勝負だ、バイキンマン!!」
が。
「……?」
一向に動く気配が無いバイキンマン。
「……どうしたんだあの野郎?」
「さぁ……」
そしてスピーカーから聞こえてきたのは……
「ひぐっ……何だってパン野郎に……ぐすっ」
すすり泣くバイキンマンの声。
そして、ゆっくりとコクピットから降りてくるので再び身構える。
「……いや、今日は別に殺りあう気は無いから。ちょっと、愚痴らせてくれや」
「え?」
ボソボソっと呟く悪役の姿に戸惑いを隠せない我々。
「一応土産で酒も持ってきたんだ。たまには一緒に飲むのも乙だろ?」
「え……いや……、どうする?」
「どうするって……まぁ別にいいんじゃねぇの? 酒も持ってきたって言うくらいだし」
「そうか」
快諾するカレーパンマンに追随する形で、僕はバイキンマンをパン工場の中へと招き入れた。
外を降る雨は一向に止む気配を見せない。
ちゃぶ台を囲んで、昼真っから芋焼酎をかっ喰らう男が三人。
「……で、どこに行ったのか完全に行方知れずな訳か」
「ああ……元々食パンマンの野郎がどこに住んでるか自体知らなかったしな」
「あ、言われてみれば俺たちも知らんな。なぁアンパンマン?」
「んだんだ」
バイキンマンの話を簡単に要約すると、こうだ。
ドキンちゃんが食パンマンと駆け落ちした。以上。
「うおおお、帰って来いよドキンちゃーん!!」
号泣しているバイキンマン。コイツ、泣き上戸だったんだ。
「まぁ男女の仲はどうしょーもないさ。ま、俺達も何か情報掴んだら連絡はしてあげるが」
「しかし食パンのヤツもいよいよやりやがったかぁー、うん」
同じパン仲間である僕達二人も、正直食パンマンとは関わりは薄かった。
まぁアイツ気障なところがあるし、あんまり友だちにしたくないタイプだったしなぁー
「つか食パンのヤツ、カバオくんのお袋さんともどうのこうのって言ってなかったか?」
「何ィ!?」
カレーの発言に食いつくバイキンマン。
「ヤロォ、やはり女ったらしか……ますます許せねぇド畜生めがぁー!!」
「まぁまぁ抑えて抑えて」
しかしカバオくんのお袋さんか……、ああそう言えば。
「これ本人が言ってたけどさ、どうのこうのと言うか身体だけの関係らしいよ?」
「何ィィィ!!!?」
再び激昂モードのバイキンマン。
「うん。やっぱ野生動物は違うわぁ……なんて恍惚の表情で呟かれた日には、あいつの趣味を疑ったりしたがな」
「そんなゲス野郎に俺のドキンちゃんが犯されるというのか!? 許せねぇ、殺す、ぶっ殺す!!!」
「お、おいどこ行くんだよ」
途端居間を飛び出していくバイキンマン。
居間どころか、パン工場自体を飛び出していく。
「ちょっとバイキンマン、おめぇまだ酒が抜けてねぇだろ?」
「んなこた構ってられるか!! 一刻も早くドキンちゃんを救出せねば!! 待ってろマイハニー!!」
ブォォォォォーン
UFOを飲酒運転で動かして、バイキンマンは去っていった。
「あーあ、あいつそーとー飲んでただろ。絶対事故るぞ」
「……と言ってる間にほら」
数キロ離れた山肌で、煙が上がっている。
そしてかすかに聞こえてきた『バイバイキーン』の叫び声。
「ぶつかりやがったな、あいつ」
「まぁあの程度では死にはしないだろうけど」
「つかお前酷いな、そんなカバオくんのおふくろさんの話でっち上げるなんて」
「あ、バレてた? いやバイキンマンがどういう反応するかなーって気になってね」
「ハハハハ、お前最高だよハハハハ!!」
「とりあえず残していった酒処理するか」
「おうよ!!」
そして二人の酒盛りはもうしばらく続くのであった。
「……それじゃあな。ゲフッ」
「ああ……」
夕方になって雨が上がり、吐きそうになりながらもカレーパンマンがパン工場を後にする。
結局あの後キッチンからバタコさんの隠し持っていた酒を引っ張り出して、飲みに飲み倒した僕ら二人。
居間にはすっかりアルコール臭が充満していた。
あたりに転がる酒のビン。
片付けねぇとバタコさんに殺されるな……
仕方なく起き上がり、もそもそと後処理に取り掛かる。
「ただいまー」
ビクン!!
一瞬バタコさんが帰ってきたかと戦慄が走ったが、玄関先にいたのはいい感じに出来上がっているジャムおじさんだった。
「あれ、おじさん飲んでる?」
「ういー。いやいやちょうどラオウ様でウハウハ、その足で昼真っから飲み歩きよハハハハハ」
コイツ、店見に行くと言っておきながらスロットしてたな。
んで昼間から飲んだくれて……行動パターンが僕と全く一緒だよ。何か死にたい。
「ぐがー」
「って寝るなクソジジイ!!」
「ぐがー」
ダメだ、完全に寝てやがる。
いやでも、これはこれで好都合かもしれない。
僕はジャムおじさんを抱え挙げ、いまだ片付けが進んでない居間に連れて行った。
そして適当に放置。
「これでバタコさんが帰ってきても、飲んだのはこのジジイだと勘違いしてくれるさ」
我ながらナイスアイデア。ただそれまでに僕も酔いを覚まさないとな。
「……」
雨も止んだことだし、ちょっと散歩にでも出かけるか。
のそのそと森の中を歩く。
いつもならマントで快適に空を飛ぶのだが、この歩いてるだけで足元がふらつく状態で飛んだらもうどうなることか。
先程のバイキンマンを笑うに笑えない状態になること間違いなし。
なので健康的にウォーキングと言うわけだ。
「ハァー、湿気てて気分悪ぃなぁー」
雨は止んだものの空気は十二分に湿っているため、顔も心持ち重く感じる。
それが酔いの頭痛と相俟って、いい感じに吐き気を醸し出してくれるよクソー
つかバイキンマンが持ってきたあの酒、絶対安酒だよ合成酒だよ。
まぁ量はガバガバ飲めたけどさ。正直酔い方が酷いし。うぷ。
「うわぁーん!!」
「んあ?」
しばらく進むと、前方から聞きなれた情けない泣き声が聞こえてきた。
「おなか空いたよぉー」
うん、予想通り森の中でカバオくんが腹が減ったとわめいている。
「……いい加減学習しようや自分」
「あ、アンパンマン!!」
そして僕の顔を見るなり目を輝かせてよだれを垂れ流す。
「……いつまでも人に頼ってたんじゃまともな大人になれないぞ」
「おなかが空いたよ、顔ちょーだい」
「テメェ人の話は完全無視か」
「うわぁーん、おなかが空いたよぉー」
「……」
ダメだ、コイツ絶望的にどうしようもない。
まぁいつまでも泣き叫ばれるのもやかましいだけだし、仕方が無いのでいつものように顔をちぎって与えることにした。
「ほらよ」
「うわーいありがもぐもぐ」
お礼の言葉も半分で即食すカバオくん。
もう「くん」付けするのやめようかな、コイツ。
「ムシャムシャ……ん?」
「ん、どうした?」
「何か湿気てて酒臭くて不味いよ。もっとうまい顔ちょーだいアンパンマン」
「アーンパーンチ!!」
バゴォーン
何のためらいも無くカバオに拳をお見舞いしてやる。
面白いくらい遠くへと吹っ飛んでいくカバオ。
これでしばらくは固形物が喉に通らない生活を送ることを余儀なくされるだろう。
「さ、軽く運動もしたことだし帰るか」
くるりとその場で回れ右、一路パン工場へと向かうのであった。
パン工場に近付いてきたが、家に明かりが灯っていない。
「まだバタコさん帰ってないのか?」
とりあえず玄関に近付いてみる。
と、庭先に何かが転がっている事に気が付いた。
全身に殴られた跡があるジャムおじさん。
ああ、あの後バタコさん一応帰ってきて、飲んだくれているおじさん見つけてボコスカにしちまったんだろう。
とりあえずいびきをかいてるので命に別状はないと思う。ま、放置してみるか。
で、電気が消えているということはまた出て行ったんだろう、バタコさん。
もう今夜は帰ってこないな。何となくそう思った。
天気予報・明日は晴れ。
いい加減僕も出て行くことを考えた方がいいかもしれないな。
完