「魔法はな、矛盾そのものだ。少なくとも俺はそう思っている」

 森を歩いているのはたった二人の人間だった。

 片方は小さな少女で、やや薄汚れた服を着ていた。

 もう秋にもなるにも関わらずノースリーブであり、まだどれだけ暑いかが垣間見れる。

 事実、今年は雨が降らなくなったということもあって気温も高い。

 下はミニのスカートを穿いており、全体的にも露出度はやや高めである。

 だが本人が全く気にする様子がないのは、「幼いから」としか言い様がない。

 もう一人は青年だった。

 暑さなどお構いなしに黒いマントを羽織り、その下には軽い鎧が見え隠れしている。

 武器となるようなものは見えない。

 だが、風でマントが翻ったとき、マントの下から多くの武器が姿を見せた。

 小型拳銃が4丁に、無数のナイフ。

 首にある刻印から魔術師だと言うのは明確だが、魔術師にしては豊富な武器を持っていた。

 少女は青年の前を歩き、いや、青年が少女について行っているという表現が正確だろう。

 スキップをしながら歩く少女は、魔物の森を歩いているにはかなり無防備だ。

 だが青年の方は呆れた表情だが、神経だけは360度に向かっている。

「例えば炎が発生する魔法があるだろう? だが、炎が発生するなど、ありえない」

「そのありえないことをするのが魔法じゃないの?」

 少女は振り返る。

 青年に魔法に関して語って貰っているのは、純粋な少女の興味本位だ。

 だからこそ少女にとって、小難しい話でもなんとか話題についていっている。

「意味は同じだから、その二つは同じって言うのは……その、なんていうかなぁ」

「極論だ、と言いたいのか?」

「うん、それそれっ!」

 青年の答えに少女は嬉しそうに答えた。

 お前意味理解してないだろ、と言う突っ込みを青年は心の中で入れる。

 そのまま何事もなかったかのように、二人は森を歩いていく。

 森は静かなもので聞こえてくる音と言えば青年と少女の足音くらいなものだ。

 付近には誰もいない。

 珍しく魔物さえいない森。

 魔物がいない理由として最初に挙げられるのは、雨だと青年は推測する。

 雨が降らなくなった。

 雨が『降らなかった』ではない。

 文字通り、『降らなくなった』のである。

 町にいた時、青年はその理由を少女から聞いていた。

 少女の説明はこうだ。

 雨の魔術師が死んだ、と。

 もともとこの辺り一体は雨が降らない地域だったらしい。

 にも関わらず村が成り立っているのは雨を降らせる魔術師がいたのだそうだ。

 青年は思う。嘘だ、と。

 だが同時にこう思う。―――――面白い。それが本当ならば。

 何故なら、魔法は効果が及ぶ範囲が広ければ広いほど難しい。

 にも関わらず地域中に雨を降らせる魔法……。

 それが本当ならば限りなく、伝説級の魔術師に近い力を持つと言っても過言ではない。

「そういや雨の魔術師に、フェイルはあったことがあるのか?」

「ないよー。ずっとあの人、家に閉じこもってたから……誰もないんじゃないかなー」

「じゃあ次だ。雨の魔術師とやらは昔からいたんだよな? 何故今になって死んだんだ?」

 青年はふと疑問を抱き、少女に問いかける。

 魔術師になれば不老不死になれることもある。

 だが、その場合死ぬことはありえないはずだ。

「ただの寿命だっておとーさんが言ってた」

「何……? 寿命って……雨の魔術師は数千年という時を生きたんだろう?」

 少女の返した答えに青年は眉を顰める。

 雨を降っていたのは村ができた数千年間だ。

 その間、誰か雨を降らす者が居つづけていないとおかしい。

「聞いた話ではね、雨の魔術師が出る前は雨の巫女がいたって聞いてるよ」

 その前は魔術師だったかなー?

 まるで昨日のご飯を思い出すように、少女がノンキに言う。

 青年にとっては、ありえない言葉に驚きを隠せない。

 地域全体に雨を降らせる魔術師と、巫女。

 そんな者が数千年の間、生まれては役割を交代し続けている。

 途切れることもなく、伝説級の魔術師が……。

「何があるんだ、その村は……」

 青年が呟く。

 聞いた話だと、外の人間に力を借りるのは初めてだそうだ。

 村はひっそりとした、今まで聞いたことのないような場所だ。

 そんな所に、ありえない異常を。

 『矛盾』を抱えた村がある。

 伝説級の力は、滅多に使える者がいないからこその伝説級だと言われるのだ。

 そう簡単に世代交代できるような力は伝説級とはいえない。

 青年は魔術師になって初めて、興味を抱いた。

 これから行く、その村に。

「そういえば、お前の名前を聞いてなかったな…」

「フェイル! 私はフェイルだよっ!」

 少女は嬉しそうに自分の名前を告げた。

 今まで村などを尋ねはしても、自分のことについては何も聞いてくれなかった青年。

 それが始めて、聞いてくれたのだ。

「おにーさんは?」

 少女は振り返り、笑顔で、今度は少女が名を尋ねる。

「……ダウトだ」

 しばらく考えた後、青年はそう告げる。

 村はすぐそこに、見えていた。




 雨の魔法




 季節は収穫祭を迎えようとする時期だった。

 だが収穫祭の準備は一向に進んでおらず、村人の様子もどこか力が抜けている感じだ。

 力の抜けた村人の一人が、ふと村の入り口へと目線を向けた時、二人の男女が視界に入った。

 少女と青年が仲のよさそうに話をしている。

「えーっとお、たしか帰ったら村長さんの所へ行くんだって」

「そういえば何故お前一人で来たんだ? 誰か付き添いはいなかったのか?」

 フェイルについて何も考えなかったが、少女には謎の多いとダウトは思う。

「いないよー」

 その返答に、ダウトはますます不信感が沸く。

 魔術師である自分の元にフェイルがやってきたのは遠く離れた町である。

 そこまで少女一人でやって来たというなら。

 ――それまで魔物がでなかったというのか?

 それはありえない。

 現にここに来るまでの間、魔物は多く出現したというのに。

 ダウトはフェイルの誘導で村長の家へと向かう。

 フェイルの様子は、少なくともダウトから見れば極普通の少女だ。

 魔物など、対処のできようのない極普通の。

「この村がおかしいのか、それとも……」

 この少女がおかしいのか。

 ダウトは呟きを洩らしながら、考えをまとめる。

 後者はないように見える。

 特に変な様子も見せないし、何より普通の少女にしか見えないのだ。

 フェイルには魔術師特有の『違和感』を感じない。

 ではこの村がおかしいのか。

 ダウトは考える。

 『矛盾』に満ちたこの村に、一体何があるというのか。

 そう考えるうちにフェイルの足が、とある一軒の家の前で止まった。

「到着ーっ!」

 嬉しそうにはしゃぐフェイル。

 子供がお使いに成功したようなその少女は極普通の、年相応の笑顔だ。

 ダウトはフェイルの頭を撫でながら、労いの言葉を投げた。

「良かったな。これから村長と話をしてくるが……フェイルはどうする?」

「お外で待ってるよ! 皆のお手伝いもするのっ」

 目を細めながらフェイルは言う。

 疲れてるはずなのにな、とダウトは思うがフェイルはそんな様子を全く見せない。

 走っていくフェイルを見届けながら、ノックをしてからダウトは家に入った。

「フェイルの紹介でここに来たんだが……村長は貴方か?」

 目の前の老人にダウトは問う。

 家の中には老人が一人、感心したような驚いたような複雑な表情を向けている。

 ここが村長の家ならば、村長は間違いなくこの老人である。

 聞いたのは念のためだった。

「フェイル……最近おらんと思えば本当に行ったのか……」

 老人は呟きを洩らす。

 その言葉から推測するに、老人自身フェイルが一人で行った事が予想外のようであった。

 随分と責任感のない人間だ、と思う。

 目の前の老人は咳を一つして、ダウトへと視線を合わせた。

「遅れたのぅ。ワシがこの村の村長のネイルじゃ」 

「魔術師のダウトだ」

 村長が名を聞いて、一瞬驚きを見せた。

 そして村長はダウトへと疑いの言葉を投げかける。

「……それは真名かね? それとも、そう名乗るだけかな?」

「何故、疑う? 疑う道理などないだろう?」

「あるのじゃよ。我が子を失格《ダウト》などと名づける親はおらんじゃろうて」

 村長の言葉を軽く受け流すように、ダウトは一枚のガムを取り出す。

 町で売っている、樹液を固め多少味を調えただけの簡素な物だが町では人気商品の一つだ。

 しばらくガムを噛んだ所で、ダウトは再度村長へと視線を向ける。

 その表情はさきほどより幾分きつい表情だ。

「いるかもしれないぜ? ちなみに弟はサクセス、と名付けられたな」

「まさか、貴方は魔術師協会の―――」

「おっと、それ以上は言うなよ?」

 手早くマントの裏から短銃を取り出し、脅しを掛ける。

 ダウトの表情が、本気だと言っていた。

「分かったから銃を締まっておくれ。怖くてかなわんよ……」

 お手上げ、と言った様子で村長が言う。

 それを見てダウトは再び銃をマントの中へと締まった。

「だが珍しいのぅ。あそこが失敗した者を世に送り出すとは……」

 失敗は消されてもおかしくないのにの…、と付け加える。

 ダウトは怒気を含んだ目線を送り、村長は慌てて話を本題へと移した。

「ところで本題じゃが……フェイルからどこまで聞いておるかの?」

「雨を降らせてほしい、とだけだ。あと雨の魔術師やら巫女の話だな」

「十分じゃな。報酬は……成功した時に金貨20枚でどうじゃ?」

「成功するまでの飯や寝床の確保。そして雨の魔術師が住んでいた家を使わせてくれ」

「……家?」

 村長がダウトの条件に疑問を抱き、問い返す。

「ああ。さすがに見知らぬ地で資料なしでは雨の魔法の開発が厳しいんでな」

「そういうことならよかろう。商談成立、じゃな?」

「ああ」

 それだけ言うと、ダウトは用は済んだと言わんばかりに外へと足を向ける。

 村長は机から一つの鍵を取り出すとダウトへと投げた。

 ダウトは放射線状に舞う鍵を受け取り、扉を開ける。

「錠のパスは『KILLME』じゃよ。一番でかい屋敷だからすぐ分かるじゃろ」

「雨の魔術師とやらはセンスがねぇのか?」

 ダウトの罵倒して家を去る。

 村長は死者を罵倒するのは気が引けるのか、何も言わなかった。




 その頃、フェイルは孤児院に戻っていた。

 両親の死んだフェイルにとって、孤児院は唯一の帰る場所である。

 孤児院の前で、フェイルは一人悩んでいた。

 ここで悩むことはただ一つ。

 ……ここに帰ってきていいのだろうか、と。

 反対を押し切って、魔術師を呼びにここを出た自分が。

「あれ? もしかしてフェイルかなぁ?」

 フェイルの背後で、妙に間延びした声が聞こえた。

 その声にフェイルが振り向くと同時に、抱きつかれた。

 フェイルには分かっている。

 この声の正体が、孤児院でお世話になっている女性の物だと。

「おねーちゃん、苦しいよ……離して?」

 フェイルはやや力の入った抱擁に抗議を入れる。

 だが力が抜ける様子はない。

「だめですよう。離したらまたいなくなりますから」

 間延びした声が再び聞こえる。

 フェイルには懐かしい、そして苦しい抱擁に心が安らぐ。

 それとは別に、苦しい現状が変わる訳はなく。

 再びフェイルは抗議した。

「く、苦しいよ……」

「……心配したんですよう?」

 とたんに、今までとは質の違う声が返ってきた。

 真剣な声。それを言われると、フェイルは何も言い返せない。

 だけどフェイルには少し嬉しかった。

 心配してくれてたんだ、と。

 孤児院に入って1ヶ月ほどの自分を心配してくれた事実が、フェイルには嬉しい。

 なんだかんだで、両親が死んだ後さびしかったのだから。

「これが感動の再会ってやつだね、ライル!」

「この後二人はキスしてハッピーエンドがお約束だよな、ミーコ!」

 なんとも言えない雰囲気を、二人が独特のノリでぶち壊した。

 年はフェイルと同じほどの、幼い少年少女だ。

 誰とでも仲の良い二人で、フェイル自身も仲良くしてもらっていた二人である。

 フェイルが横を見ると、先ほどの女性は何故か気恥ずかしそうに顔を赤くしていた。

「もうどこにもいかないよね?」

 女性がフェイルに問う。

 フェイルは頷き、その返答に対して3人は素直に喜んだ。

 帰ってきてよかった……。

 フェイルはそう思わずにはいられなかった。




 ダウトが足を止める。

 目の前には視界を埋め尽くすように大きい屋敷が建っていた。

 これが……、そうか?

 ダウトは悩む。

 確かにでかい屋敷だと聞いていた。

 だが、それにしても。

「……10階はあるよな、これ」

 誰が建てたのだろうかとダウトはくだらないことを考える。

 ただの現実逃避に過ぎないが、それほど大きかった。

 雨の魔術師って儲かるのだろうかと本気で考え、下らない考えを捨てる。

 ……そもそもできるかわからないしな。

 ダウトは最初から成功するとは思ってはいない。

 そもそも、成功する為の努力もする気はない。

 だが、村を包み込む矛盾やフェイル。

 その他への興味が、ダウトを誘惑する。

「ま、成功したら儲け物ってことだな」

 そう自分に言い訳する。

 とりあえずダウトは屋敷へと入った。

 玄関を抜けると、屋敷の中はかなり広かった。

 恐らく、でかい外見の屋敷よりも中は広い。

 矛盾している。そんなはずがない。

 そう思ったところで、ダウトは否定する感情を否定した。

「……何を言ってるんだ、俺は。矛盾は魔法そのものだってのに」

 少しだけこの屋敷を、屋敷という『世界』を解析する。

 自分の用いる知識を、フルに活用して、そしてすぐに止めた。

 矛盾で埋め尽くされた結界。

 それがこの屋敷の、外見よりも中が広い屋敷の正体だった。

「永続型の矛盾……初めて見るな」

 世界は常に矛盾を修正する。

 矛盾である魔法もその例外ではなく、永続する矛盾などありえないはずだ。

 魔法は矛盾を生み出し、その後『世界』を改変して矛盾を隠蔽する。

 平行思考と高速思考、そして世界の解析能力。

 全てを持って初めて成功するのが魔法なのだ。

 平行思考は世界の解析の為の思考と矛盾をどう隠蔽するかを平行で考える為に。

 高速思考は『世界』が矛盾を消す前に行えるように、的確にすばやく行う為に。

 世界の解析はそもそも大前提で必須となる能力である。

「雨の魔術師、か。これほどの力を持ってすれば雨を降らせることも可能だろうな……」

 だが、雨を降らせる効果を持つ永続型の矛盾を作り出すことは不可能だったようだ。

 おそらく理由は地域が広すぎた、か。

 それに加え、永続型の矛盾を何個も作るのは不可能なようだ。

 ダウトは足を進める。

 奥の部屋へと突き進み、扉を開く。

 本がずらりと並んだ部屋がダウトを迎えた。

「図書館、というわけか」

 付近にあった本を一冊だけ手に取る。

 魔法に関する本だった。

 その隣は、矛盾に関する本。

 間違いなく、歴代の雨に関する魔術師と巫女が勉強する部屋だと確信した。

「驚いたな……魔法関連と矛盾関連の本の大部分は魔術師協会が抑えているというのに」

 それに加えて、全て絶版となった本ばかりだ。

 魔法を開発する環境はそろっている。

 あとはやる気の問題である。

「どうなんだろうな……」

 やる気は起こっていない。

 しばらく住んだ後できませんでした、と済ませるのもいい。

 逃げても大丈夫だ。

「……そういえば、フェイルはどうしてるだろう」

 ダウトは再び外へと足を向けた。

 屋敷を出て、とりあえず村長の家の方角へと舞い戻る。

 その途中で、見覚えのある少女が頬を膨らませて睨んでいた。

「遅いよー!」

 言うまでもなく、フェイルだった。

「悪いな、少々遅れた」

「うそつきー」

「だから悪かったって……」

 ダウトは言い訳しながらも、視線はフェイルの隣へと向いていた。

 そこにいるのは女性。

 さきほどフェイルを抱擁していた、女性だ。

「貴方がダウトさんですか?」

「あんたは?」

「この子のおねーさん、と覚えてくれたらいいわぁ」

 妙に間延びした声で言う。

 そういう口調なのだろうかと思うが、ダウトには挑発されているようで気に食わない。

 ――――大体、おねーさんなんて年じゃねぇだろ。

 ダウトはあえて口にせず、心の中で毒を吐いた。

「あ、そうだぁ。ちょっとこれもってくれます?」

 そう言って、黒い塊をダウトに投げかける。

 フェイルはきょとん、とした様子で二人を見ていた。

 ダウトは黒い塊を右手で受け止め――――、右手ごと地面に落ちた。

 体が一気に傾く。

「なっ……?!」

 見かけ以上に重い黒い塊。

 ダートは急いで、それを解析した。

 矛盾はすぐに理解した。

 持つ人間によって重さが変わるという矛盾だ。

 急いで解析し、それを修正する。

 それだけの事に、5分もの時間を要した。

 ダウトは立ち上がり、女性に問う。

「何者だ……!」

「だからこの子のおねーさんよう?」

 見かけ騙しの実力に、ダウトは警戒心を高める。

「貴方、雨を降らせるんでしょう? だったらもっと力をあげないとだめよう?」

「……お前がやればいいんじゃないのか?」

 ダウトの尤もな意見に、女性は反応する。

 フェイルは何が起こったのか、理解しないままに状況を眺める。

「無理よう。私、もう矛盾を生み出す力ないもの」

 今のは過去の遺産なの、と女性は言う。

 ダウトはこの村の人間は化け物か……と心の中で呟いた。

 伝説級の魔術師が次々に生産される村。

 そして目の前の女性。

 後者はともかく、前者は異常とさえ言える。

「まあ、貴方を応援してるわよ、私。がんばってくださいよう?」

 そう言って女性は立ち去る。

 ダウトはその女性に向かって、賞賛の言葉を投げかけた。

「女の割にすげぇな、あんた」

「あら? 魔法はもともと女性のものよう?」

 振り向き、最後に女性はそう告げる。

 女性が去った後、フェイルはダウトに向かって口を開いた。

「ねぇ、あれってどういうこと?」

「あ、ああ。今の今まで忘れてたがな」

 男性は剣を持って戦場を駆け回り

 女性は矛盾を持って戦場を駆け回る――――

 それが最初の、魔術師の始まり。

 最初の魔術師は一瞬の幻影で惑わすだけの物だった。

 というのも矛盾は世界が消してしまうので、一瞬しか発動しなかったのだ。

 それは魔法とも言えない粗末なものだが、それでもその最初の魔術師がいなければ。

 いなければ、この世界に魔法はなかった。

 魔法の使えない、世界で一番最初の魔法使い。

 故に。故に賞賛と皮肉を持って彼女はこう呼ばれた。

 矛盾使い、と。

 そのことをフェイルに分かりやすく説明してやると感心した様子で言う。

「すごいすごい! ね、その人ってどんな人なの?」

「さぁな……昔の話だから誰もしらん」

 その時、村の鐘が夜を告げた。

 見れば辺りは暗くなっている。

「あ、そろそろ帰らないと……」

「家にか?」

「ううん、孤児院」

 しょんぼり、とした様子で言うフェイル。

「両親は……?」

「母親は私が生まれた時に死んだって。おとーさんは雨の魔術師とお出かけして死んだって聞いてる」

「そうか、聞いて悪かったな……」

 ダウトは同情の意味をこめて、つぶやく。

 フェイルは、気にしないでいいよと前置きして言う。

「……また、明日ね。おにーさん! 魔法、がんばって!」

「あ、ああ。また明日な」

 言ってから、しまったと思った。

 がんばる、ということは本気になるということだ。

 それなのに、同意のうなずきをしてしまった。

 本気になるのってだせぇじゃないか。

 本気になるのはアホらしい。

 そう思っていたのに。

 斜に構えていた方が楽で、かっこいいと思っていたのに。

 だが。

「たまには本気になるのも、悪くないか……」

 間違いなく、今本気になろうとしている。

 先ほどの女性の一件もある。

 この不可解な村もある。

 ……黙って引き下がっていられるか。

 ダウトはそう決意し、屋敷へと再び足を向けた。

 まずは図書での、情報収集を行う為に。




 あれから、三日経った日のことだ。

 フェイルはあれから、一日一時間だけダウトの元へ通っている。

 が、成果はなさそうである。

 少なくとも、フェイルの目にはそう映っていた。

「おにーさん……大丈夫かなぁ?」

 村の人の目が少し疑いの目を帯びているのを、フェイルは感じていた。

 疑いだとか、そういう具体的なことは分からない。

 ただ、感じている。

 子供は意外にも感性が強いのだろう。

 だから大丈夫かなあ、とつぶやいたのだ。

 何も分からないが、心配だけが先に現れる。

「大丈夫よ、フェイル!」

 その時、後ろから誰かの言葉が聞こえた。

 振り向くまでもなくフェイルには誰かすぐに分かった。

 ライルとミーコの二人だった。

「どんな悪人も純真無垢な子供の前には改心するもんだぜ、な、みーこ」

「そして全てはハッピーエンドなのよ、ね? ライルー!」

 二人はそう叫びながら、何事もなかったかのように通り過ぎていく。

 別れ際に手を振っていたので、フェイルも手を振って挨拶を返す。

 幸せそうでいいなぁ、とフェイルは思うがそれもすぐに打ち消す。

 孤児院にいる以上、あの二人だって不幸だったのだ。

 ただ、明るく振舞っているだけで。

「……うん、私も見習わないとだめだよねっ」

 多少無理にではあるが、笑顔を作って孤児院の玄関へ向かった。

 また、ダウトの元へと向かう為に。

 もう4回目になる大きな屋敷への散歩。

 いつもと同じ、少し疑惑を含んだ視線を受けながらフェイルは歩いていた。

「フェイルちゃん」

 誰かに呼ばれて、フェイルは横を向く。

 そこにいたのは以前仲良くしてもらっていた八百屋のおばさんだった。

「あ、おばさん……こんばんはー!」

「こんばんは。……これから屋敷へ行くのかい?」

「うん!」

 元気よく頷くフェイルだが、おばさんの表情は暗くなる。

 どうしてだろうと思いながら頭を下げ、再び屋敷へと向かった。

 その時、後ろからおばさんの声がフェイルに届いた。

「気をつけなよ、フェイルちゃん。……最近物騒な計画があるからねぇ」

「え?」

 おばさんの声を聞いて、振り返った時には既におばさんはいなかった。

 いたのはおばさんの、そそくさと立ち去る後姿だ。

「どうしたんだろう……」

 フェイルの心配は強まる。

 が、フェイルは再び屋敷へと歩き出す。

 そこにあるのは無理のある笑顔が張り付いた少女の姿だった。




 屋敷の奥、図書の部屋でダウトはフェイルに声を掛けた。

「よう、遅かったな、フェイル」

「おにーさん、おまたせっ。調子はどう?」

「……ま、まずまずってとこだ」

 その返答から、子供なりに結果をフェイルは想像できた。

 やっぱり難しいのかなぁ、と思ったがフェイルは内心にとどめておく。

「そろそろ晩飯の時間だな……一緒に食うか?」

「やったっ!」

 フェイルは喜ぶ。

 実は言うと、フェイルがここにくる一番の理由はこれだった。

 フェイルには何故かは分からないが、ダウトの元へ届けられる料理は豪華だった。

 いや、豪華とは言えない。

 世間で見れば、その料理は極普通のものである。

 だが野菜の収穫もできないこの時期に、村にとってはその「普通」すら滅多にない。

 だから、普通の料理が食べられるここが、フェイルが最も好きな理由だ。

 子供はいつでも、どこでも、即物的なものである。

 ちなみに、フェイルにとってダウトに会いたいはその次あたりである。 

「そんなに嬉しいのか?」

 そんな事情を知らないダウトは純粋に疑問を抱く。

「うん。おにーさんと食べるご飯はおいしいもんっ!」

「そ、そうか……」

 フェイルの言葉に嘘はない。

 ただ誤解しやすいだけの発言なのである。

 実際、ダウトは何故か顔を赤くして照れている。

 そんなダウトを見て、フェイルの頭にはハテナが浮かんでいた。

(俺はロリコンじゃないぞただフェイルはここの飯の味が気に入っているだけだ)

 ダウトは暴走気味の思考を一時停止する。

 感情は否定しているが、それが期待の裏返しなのかは定かではない。

「そ、そろそろ飯も来るだろう。食卓へ着くか?」

「うん!」

 フェイルの頷きを確認してから、二人は食卓へと向かう。

 リビングへと向かうと、既に女性二人がご飯を用意している最中だった。

 ちょうど今終わったらしく、手前の女性が頭を下げる。

「……これで失礼します」

 続いて、後ろの女性も頭を下げ退室する。

 おそらく自宅へ帰るんだろうな、と思いながらダウトは二人を視線だけで見送る。

 食卓には、贅沢とまでは言わないまでもそれなりの料理が並んでいる。

「うわぁ……やっぱりここの料理、おいしそーだよね!」

 フェイルが嬉々とした声で言う。

 その目は今にも食べようと言いそうなまでに輝いている。

 実際、いろいろと気を使っている為か料理は多くフェイルの分まで十分あった。

 おそらくこちらの機嫌を損ねない為か…、と邪推する。

「それではいただきます、だな」

「いただきまーすっ」

 言った直後、既にフェイルは手を伸ばしていた。

 その時、フェイルの頭に、一途の不安が過ぎった。

 ほんの今まで、忘れていた不安――――。

(あ、孤児院に連絡忘れちゃった……)

 フェイルが孤児院に帰った後の説教は、今までで最長だったことを追記しておく。




 うぅ、お尻が痛い……。

 寝ぼけ眼を手で擦りながら、ぼーっとフェイルは窓を見つめていた。

 空を見る。

 今にも雨の降りそうな曇り空なのに、雨は一向に降る様子を見せない。

 いつも通りの、空だった。

 窓から見える風景もいつも通りで――――はなかった。

 寝ぼけを覚ましてみれば、今日は随分と騒がしい。

「……?」

 着替えを済ませて、一階へ降りる。

 誰も、いなかった。

(――――……最近物騒な計画があるからねぇ)

 昨日の、おばさんの言葉が脳裏に過ぎる。

 何か、騒ぎがあるとすれば……。

 フェイルはすぐ、思いついた。

「おにーさんかな……?」

 すぐに孤児院を飛び出し、フェイルは屋敷へと走り去った。

 数分走った後、屋敷が見えてフェイルは足を止めた。

 屋敷には人が集まって、何か騒いでいる。


「ただ飯喰らいが……!」

「今の今まで何をノウノウとしてやがるんだ!」

「おせーんだよ、早くしろよ魔術師さんよ!」


 罵詈雑言の声が屋敷に向かって発せられる。

 ついに、村の人間の我慢の限界だった。

 ただでさえ貴重な食料を消費され、その上何の動きもないのだ。

 たかが三日なのだが、それほどこの村は切羽が詰まっている。

「おにーさん……!」

 フェイルは慌てて、屋敷へと向かった。

 人と人の間を潜り抜け、石の投げ込まれていて危険な状況の屋敷へ。

 扉を開く際に、後ろ頭に石が当たった。

 だが構っている様子など、ない。

「……フェイル、か」

「大丈夫、なの?」

 フェイルが心配そうに言う。

 だがダウトの表情はさえない。

「やばいな……。何かが足りないんだ」

「足り、ない? 何が?」

 ダウトは少し考え、そして思い切ったようにフェイルに問いかける。

 魔術師の意地とか、プライドなんてものを捨てて。

「矛盾だ……ここに雨が降ることによって起こる、矛盾が」

 準備はほとんど揃っていた。

 だが、一つだけ矛盾を消しきれない。

 見せ掛けの整合性を持って、矛盾を隠蔽しないと『魔法』には昇華しない。

 魔法に昇華しきれなかった矛盾は世界に消されるのみなのだ。

 だが、見せ掛けの整合性を用意するのも単純ではない。

 まだ足りない矛盾の正体が分からない限り、見せ掛けの整合性など用意のしようがない。

「……」

 ダウトは頭を悩ませる。

 だが、答えは意外なところから発せられた。

「雨が降ること、じゃない?」

「な、に?」

 ダウトはその答えを否定する。

 炎を生み出す時、炎を生み出すこと自体を矛盾と言ってしまえばどうなるか。

 その場合は、炎を生み出す為に炎を否定してしまうことになる。

 魔法が成り立たなくなるのだ。

「だってね、ここ……『雨が降らない』地域だから」

「!」

 ダウトはさきほどの、例外を思い出した。

 炎を水中で出す場合、だ。

 炎が水中で出したい場合、なしえない状況を作りたいとき。

 どうすればいいのか。

「……そうか!」

 簡単だ。

 水中に炎を出したければ、炎を出せばいい。

 ただし、炎そのものでもなく、あくまでも炎のようなものだと言い張るのだ。

 今回も同じことだ。

 雨が降るのが無理ならば、水滴が天から落ちてくるだけだと言い張るだけでいい。

 そんな言い回しが、戯言、屁理屈などの誤魔化しが世界への矛盾の隠蔽となる。

 ダウトはすぐさま、魔法の準備に取り掛かる。

 『雨を降らせる』という矛盾を生み出し、世界から矛盾を隠蔽する。

 後は世界との勝負だ。

 地域全体を、“世界の修正力”から守る為に。

 ダウトは高速思考と平行思考をフルに起動した。

「――――」

 とりあえず、2〜3分でいい。

 雨を降らせることを、証明しないと。

 ダウトはそれだけに、専念する。

「がん、ばって……」

 その傍らで。

 フェイルは気が遠くなるのを感じながら、一心に祈り、倒れた。

 祈ることはただ一つ。

 ――――――雨よ、降り続けろ










 雨の魔法は成功した。

 あの後、一ヶ月の間、雨を降らせたり降らせなかったりを繰り返した。

 そして魔術師としての任務を終え、ダウトは町へと足を向けた。

 あの後、倒れていたフェイルを診療所へと運んだのはダウトだった。

 石に当たり、しかも当たり所が悪かったらしく今も意識は戻っていない。

「最後に別れを言いたかったんだがな……」

 ダウトはつぶやく。

 心残りは、それだけだ。

 村を出てから森に差し掛かった時、ダウトは振り返って睨みつけた。

「出てこいよ、さっきから追跡してきているのは分かってるんだ」

 そう叫んだ後、男が木から身を乗り出した。

 男はダウトと同じく魔術師のマントを羽織っている。

「……ほう、よく気づいたね」

「あんただろう、雨の魔術師とやらは。それにもしかしたら……フェイルの父親も」

「何のことか分からないな。その両者は死んでいるだろう?」

 目の前の魔術師はとぼけ続ける。

 だが、その反応でダウトは確信した。

 間違い、ない。

「とぼけるな。生きているが、死んでいる。そんな矛盾は魔術師の専売特許だろう」

「その雨の魔術師が生きている根拠はなんだね?」

 続けて、魔術師は問いかけてくる。

 ダウトは慎重に言葉を選びながら、解答する。

「雨が降った。それが根拠だ。……いっておくが、俺に雨を降らせるだけの実力はないぞ」

 根拠はこれだった。

 雨を降らせるにはそもそも伝説級の力が必要で。

 ダウト自身には、そんな巨大な力はないのだ。

「あんた、不老不死だな? 今まで、初代からずっとあんたが影で支えてたんじゃないのか?」

 そう考えれば、全てが納得できる。

 伝説級の力を持つ人間はそんなに多くは現れない。

 最初から一人だったのだ、伝説級の力を持つ人間は。

 今までの雨の魔術師と雨の巫女は、偽りの者だった。

 本当はただ、全てこいつが影で雨を降らせて手柄を譲っていただけだ。

「……いいだろう。それは認めよう。だが」

 だが、と魔術師は前置きする。

 言おうとしていることはダウトはすぐに理解し、先手を打った。

「ま、フェイルの父親は証拠はない。ただ、勘だ。否定するならかまわんが?」

「まいったな……そんなこと言われると否定でいないだろう」

 魔術師の言葉に、思わずダウトは問いかけた。

 何故、と。

「何故って当たり前だろう? 娘を否定する父親など存在しない」

「町で俺と出会うまでフェイルを守ったのはお前か……。では何故、死んだなどとでまかせを?」

 そのダウトの問いに、魔術師は自分の胸を指し示した。

 ごほん、と咳を一つして、口を開く。

「不治の病、と言ったら信じるかね?」

「不老不死が、か?」

「不老不死など存在しない。かの不老不死となった伝説の王でさえ、狂気の末自害したのだ」

 不老不死などいつか壊れる、と魔術師は言う。

 過去数千年間生きた『雨の魔術師』が、不治の病で死ぬ。

 冗談のようで信じられない話だった。

「……でも、自然死するまで待ってもよかったはずだ」

 つい、ダウトは疑問を魔術師にぶつけた。

「いや、村には早めに新たな、真の『雨の魔術師』を探してもらわねばならなかった」

「その為に、早く雨の魔術師には死んでもらう必要があったわけか」

「ああ。つい最近までの雨の魔術師は最初からいなかったからね。都合もよかったのさ」

 良い代役が見つからなかったんだ、と魔術師は付け加える。

「……で、今回の代役は俺というわけだ。……フェイルのためか?」

「ああ。それと、お願いがある」

「雨の魔術師を受け継げ、というならお断りだ。メリットがない」

 ダウトは魔術師の言葉を先読みして答えた。

 魔術師は苦笑しながらも、言葉を紡ぐ。

「そうか? 失格《ダウト》の名を持つ貴方には十分なメリットだと思うが?

 協会は失敗した者は消去する。ましてや世に送り出すなどありえないはずだ」

「……」

 魔術師の言葉に、ダウトは言葉を失った。

 ダウトの心に、疑問がわく。

 何故、そこまで知っているのか。

「これでも前調べはしてあるんだ。……追われているんだろう? あの、協会に」

「それと今回のメリットにどう関係があるんだ?」

 聞きたくもない説明に、ダウトは話を急がせる。

「おおありさ。雨の魔術師を継げば、間違いなく村は貴方を協会から匿う。

 何故なら、雨の魔術師は村の生命線とでもいうべき存在だ」

「確かにいい提案だが………俺に、雨の魔術師は継げない。実力が足りないのだからな」

「それすら、私にとっては問題ない。私の力をそのまま、貴方に受け継がせよう」

 ダウトは唾を飲む。

 伝説級の力を、受け継ぐ?

 それができるならば、さらに村で匿ってもらえるならば。

 それほど美味しい条件はないのだから。

「……商談成立だ」

 ダウトは頷く。

「よかったよ。――――村にとっても、フェイルにとっても」

「最初からそっちが目的か、親馬鹿め」

「娘が愛しくない親などいないよ。寂しそうなフェイルを放ってはおけん」

 そろそろフェイルが目を覚ます頃だ、と魔術師は予見する。

 ダウトは魔術師がどこまで力を持つのか興味を持つが、すぐに興味を押さえつけた。

 焦らなくても、すぐに自分の物となる。

 ダウトは空を見た。

 これからはこの空で、


 ――――――自分が雨を降らせるんだ。

 ドキドキ感はとまらない。

 失格、と名付けられ数十年、不幸ばかりだった自分に。

 ようやく幸せが訪れた――――。