「ほら、サクサクと歩く! そんなんじゃ、いつまでたっても家に着かないでしょうが」
「う、うん……お姉ちゃん」
小降りの雨の中、私はお気に入りのピンクの傘をさしながら、小走りで姉の後を追う。
ブランド物の赤い傘を優雅にさしながら歩く姉は、一見普通に歩いているように見えるのだが、なぜか異様に進むのが速い。
もしかしたら、私が走っているのと変わらないかもしれない。
姉に比べればはるかに背の低い私は、水たまりを飛び越えることもできず、右へ左へとなんとか迂回しながら、必死に姉の後を追う。
しかし、その長い脚でヒョイヒョイと水たまりを跨いでいく姉との距離はまったく縮まらない。
ものすごく頑張ってるのに……むしろ差が広がっている気さえする。
これは私と姉の関係に近く思えて、なんだか切ない。
これだから雨は嫌いだ。
このような突然の雨の日には特にいい思い出がない。
なにか必ず良くないことが起こるのだ。
「遅い」
「うわーん! もうちょっとゆっくり歩いてよ!」
「無理! これ以上ゆっくり歩いたら亀になるわよ」
「そんなのならないよ」
さよなら、夢見る少女だった頃の私
週二回通っている塾の帰り、突然の雨に傘を持っていなかった私を迎えに来てくれたのは、六つ年の離れた姉だった。
恩知らずと思われても仕方ないと思うけど、正直私は塾の出口で姉を見たときは少しだけ落胆した。
言っちゃ悪い……とは微塵も思わないけど、私にとっては突然の小雨に濡れることより、姉が現れたほうが百倍迷惑であった。
「ああ、もうノロマね! そんな小さな水たまりくらい飛び越えなさいよ」
「無理だよ。失敗したらビショビショだよ」
「もうビショビショでしょうが」
姉は意地悪だからだ。
やはり雨の日はろくなことがない。
高校二年生になる姉は、欧米人のようなはっきりとした顔立ちの美人でスタイルも抜群。
県内で一番頭のいい高校で常にトップクラスの成績を維持している才色兼備の生徒会長様だ。
その上、外面もよく近所や学校では明るくて礼儀正しいお嬢さんで通っているし、男の人にも人気がある。
一昔前の少女漫画の、憧れのお姉さま役かなんかで登場しててもおかしくないくらいの”完璧超人”だ。
何でも完璧にできて、弱点がまるでない。
今だって、傘をさしながらも足元なんかずぶ濡れの私に対して……姉はまったく濡れていない。
上手に傘を使っているとかそういう次元ではなく、靴の先に水滴さえもついていない。
まるで姉に降りかかるはずの雨の全てが、完璧なる姉を汚すことなきようにと避けているようだ。
そうじゃないなら姉の分は全部、私に降り注いでるのではないかと、疑いたくなるくらいの違い。
ひょっとしたら、雨を高速で全て避けながら歩いているのではないかとも思える。
どうやったらそれが可能なのかは理解さえもできないが、何をやってもパーフェクトな私の姉なら……ありえないとも言い切れない。
……ごめんなさい。
さすがにそれはないか。
まあ、そう思わされるくらいに、すごい姉だと理解してほしい。
それに比べて小学五年生の私は、背も顔も成績も普通。
特技と言えるものもなく地味を絵に描いたような女の子で自分でいうのもなんだが普通だ。
胸だってペッタンコだ。
姉はまだ高校生のくせにEカップなのに。
いや、私の胸にはまだ未来がある。
……多分だけど。
それはともかく、もしも”全国普通な人選手権”とかがあったら、私はおそらく上位に食い込める。
少なくとも予選は楽勝でクリアできると思う。
何の自慢にもならないし、むしろ泣きたいが。
あ、やばい本当に泣きそう……これじゃ自爆だ。
雨の日は駄目だ……気持ちが滅入ってしまう。
話を変えよう。
ちなみに趣味は読書だ。
読書はいい、読書は。
私が読む物語の中では、いくら存在感の強い私の姉でも登場してはこない。
姉の存在を完全に忘れられる読書中が、私のもっとも心安らぐ時間だ。
現実逃避とも言うが。
まあ、このように私は、姉に対していつもコンプレックスを抱いている。
全てにおいて自分より優れている姉に、私は逆らうことができない。
「いいから飛び越えなさい! いや、いっそ飛び越えた後は……そうね、前回り受身で着地しなさい」
「そんなことしたら結局濡れちゃうよ! そしたら水たまりを飛び越えた意味がないよ!」
「それが面白いのよ。っていうか濡れなさい。ドブネズミのように!」
「意味が分からないよ!」
だからなのか、普段は猫かぶりまくりの姉は、私の前でだけ他には見せない、素の性悪な自分に戻って意地悪してくる。
「意味なんてなくてもいいのよ、私が面白いならね!」
「お姉ちゃんの馬鹿!」
「誰が馬鹿よ! オラァ!」
「キャー! 傘を回転させないでぇぇぇ! 水しぶきが飛んでくるよ!」
「それが目的よ」
「目に入った! 痛っ、意外と痛っ! なんか地味に嫌な攻撃だよ!」
「おー! 期待以上の成果ね」
このように私は日々苛められ蔑まれ弄ばれている。
いつだってそうなんだ。
お風呂上りに何時間もマッサージさせたり…
散らかしまくった自分の部屋を掃除させたり…
寝てる間に顔に落書きされたり…
いきなり胸やお尻をさわられたり…
女の子のくせに私にプロレス技をかけたり…
本当にやりたい放題である
この間なんて”ちょっと暇だから芸でもしろ”と言われた。
あまりにも腹が立ったので”あんたは何様なの!”と怒鳴りつけてやったら…
逆ギレされて今時コブラツイストでギブアップをとられた。
その時に姉に言われた台詞がまた腹が立つ。
「何様ですって? 決まってるでしょ……お姉様よ!」
……である。
マジでいつかぶちのめす! グーでぶちのめす! がぉー!
こんなふうに日々いじめらている私ではあるが、このままで終わるつもりはない。
努力して姉よりすごい女の人になって今度は私が姉をいじめてやる。
それが私の将来の夢であった。
これが意外と達成が困難な、ビッグな夢だと思うのだ。
姉はムカつくくらい何でもできるから。
我ながら陰険な夢だとは思うのだがその為には、どんな労力も惜しむつもりはない。
頭が良くないとダメなら勉強を毎日頑張る。
そしてお姉ちゃんと同じか、もっといい高校に入る。
そしたら有名な大学に入るため毎日遅くまで勉強してもいい。
ひたすらガリ勉しよう。
勉強のしすぎで視力とか落ちて、メガネッ子になるのも恐れはしない。
体が強くないとダメならいっぱい鍛える。
中学に入ったら運動部に入って筋トレでもなんでもやる。
どんなに辛くてもスポ魂漫画みたいに努力しよう。
滝に打たれたり、古タイヤ引きずって走り回ったり、竹刀を持った先輩とかに根性叩きなおされたりしてもいい。
美人でなくてはダメなら、お肌の手入れも怠らない。
スタイルを良くするために食生活にも気をつけるし、お化粧も詐欺みたいな大変身ができるように勉強してやる。
胸だって毎日牛乳のんでボインボインになってみせる。
とにかく賢く強く美しい、姉以上の”完璧超人”になるのだ。
もしその夢がかなったら、すぐギブアップが取れるプロレス技もおぼえておかなくては……
出きる限り痛そうな技がいい。
そして泣かす! 思いっきり泣け! 泣き叫べ! っていうかお願いしますから一回くらい私に泣かされてよ、姉。
これは野望だ……私にとっては世界征服の次くらいにおっきな野望だ。
私ってば夢見る少女だ。
相変わらずの雨の中、私の歩く速度にあわせもせずに、先を歩く姉の背を見ながら私は自虐的に笑った。
うっわ……後姿だけでも超美人だとわかる。
超えるのは……無理っぽいなぁ。
いや、あきらめない! 夢見る少女なんだ私は!
しかし、この塾の帰り道……そんな私の夢に大きな影響を与える事件が起きた。
だから雨の日は嫌いなんだ。
よくないジンクスに限って必ず守られる。
今夜は帰りの時間が、かなり遅くなっていた。
突然の雨のため、塾の出口で迎えを待っていた時間が長すぎたからだ。
だから、姉の提案で近道をしようと普段は暗くなってからは決して足を踏み入れない、人通りの少ない高速道路の高架下のトンネルに二人で入ってしまった。
今みたいな時間でも高速道路の上は車のエンジン音がうるさいのだろうが、このトンネルの中に入ってしまうと不思議なくらい静かで暗くて不気味だ。
ほんの30メートル程の短いトンネルだが、一秒も居たくない不気味さが漂っている。
なんかお化けでも出てきそうな、嫌な雰囲気である。
もしくは昔のドラマなんかで、悪者が待ち伏せとかをしてそうな感じだ。
そして、突然ナイフかなんかで襲いかかってくるんだ。
こわっ! マジこわっ!
そんな事を考えていたせいではないだろうが、嫌な事にトンネルには向こう側から歩いてくる人影があった。
気にもせずズンズンと突き進む姉とは対照的に、私はなんだかその人影がものすごく気になっていた。
とにかくはやくその人影とすれ違いたくて、わずかに歩く速度を速める。
ようやくその人影とすれ違おうかというその瞬間。
私達の目の前でなぜかその人影が立ち止まった。
反射的に私達も立ち止まってしまう。
「こんばんは」
そこで私たちに声を掛けてきたのは一人の知らないおじさんであった。
年は分からないが、声で中年だとわかった。
もうすぐ夏だというのに、灰色の帽子とロングコートを着込んでおり、顔にはサングラスとマスクとすばらしく怪しいおじさん。
「えへへへ、可愛いお嬢さんたち……」
可愛いと言われてここまで嬉しくなかったのも初めてだ。
だって、もし”全国怪しいおじさん選手権”とかがあったらベスト4くらいには入ってると思うくらい、おじさんは模範的に怪しかったから。
マスク越しにもはっきりとわかる荒い息遣いで、そのおじさんがコートに手を掛ける。
なんか、古いドラマでこういうシーン見たことあった。
だから、私はトンネルの入り口にあった”痴漢に注意”の看板を思い出し背筋を凍らせた。
「いいもの見せてあげるよ!」
予想した通りおじさんが前を開いたコートの中身は全裸だった。
おそらくおじさんの望み通りに、私達姉妹の視線は反射的におじさんの股間にある、自称”いいもの”の向けられる。
そこにあるものは、さすがに古いドラマでも見たことはなかった。
あまりの衝撃的な出来事に一瞬頭の中が真っ白になる。
自慢じゃないが、お父さん以外の人のを見るのはもちろん初めてだった。
小学五年生だし、一応清純派のつもりなんで。
こういう時ってやっぱり大声で叫ぶのがセオリーなんだろうか。
私も反射的にセオリー通りの行動にでそうにはなった。
しかし、このような状況の中でも私は悲鳴を上げるのを耐えた。
自分でも不思議だった。
正直かなり驚いたし、怖かったし、気持ち悪かったし。
でも、悲鳴を上げようとした瞬間に視界に入った姉の後ろ姿を見た時、なぜか一瞬にして恐怖が和らいだからだ。
いや、恐怖が消滅した。
別に姉がいたから安心したわけでも、助けを期待したわけでもない。
自分でも驚くくらいに冷静に姉の方を見ていた。
痴漢のおじさんは、とても怖かったけど、それ以上に痴漢に怯える姉、取り乱し悲鳴をあげる姉、普段は決して見ることのできない弱い姉を、今なら見ることができると思ったのだ。
それはとてもめずらしいものであり、私が一度くらいは見てみたいものでもあった。
この恐怖を忘れさせるだけの価値が、それにはあるのだ。
私は永遠とも思える数秒間姉の後姿を凝視していた。
しかし、姉の反応は私が期待していたものではなかった。
「ふふ…」
怯えるどころか姉は笑っていたのである。
それは、姉が私をいじめるとき見せる笑みと同じ、魔女のような”悪い笑み”であった。
ちっちゃい子とかが絶対見たら泣いたと思う。
っていうか、私は今まさに泣きそうになった。
パブロフの犬と同じだ……あの姉の笑顔をみると恐怖するように、私は仕込まれているのかもしれない。
姉はその凶悪な笑顔のまま、ゆっくりと傘をたたむと、なんの躊躇もなくおじさんに向かって歩いていく。
その視線はおじさんの股間のデンジャラスゾーンに一直線に向けられている。
花も恥らう女子高生のくせに、なんと堂々としていることか。
一体何が起こると予測しているのか、おじさんは一層興奮したように鼻息を荒くしていく。
おじさんの前に立ち止まった姉は、ゆっくりと右足をあげる。
姉の短いスカートから、女の私でもドキドキしてしまうような艶かしい太ももが見えた。
おじさんは咄嗟にサングラスを外して、血走った目で姉の生脚を凝視した。
「おじさん……いいもの見せてくれたお礼に。私がいい事してあげようか……」
「え……いい事?」
興奮MAXであろうおじさんが顔を紅潮させる。
おじさんが何を期待しているかは、お子ちゃまの私には具体的な想像はできないけど。
きっとエッチな期待をしているのだろう。
同時に姉が笑った。
今度見せたのは、少し……いや、かなり優しい微笑みだった。
普通の男の人ならドキッとしてしまいそうな素敵な笑顔。
おじさんもドキドキしているのか、目をカッと見開いている。
でも、おじさんを哀れに思った、私は知っているから……
あの笑顔がいかに曲者かを。
「ハッ!」
姉が吐き捨てるように笑った。
次の瞬間に私は痴漢のおじさん以上の恐怖を姉から感じ取り、体を硬直させた。
感じた! 姉からすさまじいまでの殺気を感じた!
そして、その直後姉は、私の予想を上回る衝撃的な行動に出たのだ。
「何がいいものよ、この粗チンが!」
痴漢のおじさんの股間を思いっきり蹴りつけたのである。
それも、華麗とはお世辞もいえない踏みつけるようなヤクザキックで。
いや、踏みつけると言うより、踏み砕くという表現が近いかも。
何か破裂したような音が当たりに響いた。
ひょっとしたら、私の体にはついてない何かが潰れた音だったのだろうか。
痴漢のおじさんは見てる私がトラウマになりそうな形相で断末魔のような悲鳴を上げ……
プライドと同時に破壊された股間を両手で押さえ前のめりに倒れこんだ。
「おねんねはまだ早いわよ!」
おじさんの膝が地面につく直前、姉が放ったアッパーカットがおじさんの顎を叩き上げ、無理やり立ち上がらせる。
一瞬、おじさんの首が曲がるはずがない角度まで曲がったように見えたのは……私の気のせいだろうか。
マジで、気のせいであって欲しいんですけど。
まあ、当然のごとく、私の願いなどおかまいなしに……
姉のラッシュが始まった。
「ホォォォ! アァタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ
タタタタタタタタタタタタッ!」
おじさんに倒れる隙さえもあたえないつもりだろうか、おじさんの顔面に目にも止まらない速さの鉄拳が連続に打ちこまれていく。
いや、目にも止まらないっていうか……
マジで拳が見えないんですけど。
姉の肩から先が消えてるようにしか見えない。
おじさんがクネクネと自分からダンスでも踊ってるように見える。
ありえねー。
どんな女子高生ですか、あなたは?
それとも最近の乙女の必須技能かなんかですか、ソレは?
私にはまったく見えない連打が、止まるまで30秒くらいはかかっただろうか。
人間をグーで殴るとこんなに不快な音が聞こえるんだとか、私が考える余裕ができた頃。
「ホワチャァァァ!」
止めのつもりだろうか、ひと際高い叫び声と大振りの右の鉄拳が叩き込まれる。
久しぶりに見えたおじさんの顔は完全に知らない生き物みたいになっていた。
どうでもいいけど”アタタタ”とか”ホワチャァ”ってあんた何人だよ。
まあ、そのすばやい掛け声が、おそろしいくらいあんたの動きとリンクしてたからいいけど。
って、つっこむのはそこじゃないか。
それはともかく、ようやく、おじさんが倒れる事ができたのかと思った直前……
追い討ちで姉が放ったハイキックがおじさんの顔面を捉える。
容赦ねー。
まるでサーカーボールのようにおじさんが舞い上がる。
……わあ、人って飛ぶんだ。
人はありえない光景を目にすると意外ととぼけた事を考えるのかもしれない。
さっきまでの私がまさにそれだ。
随分と冷静にツッコミ入れた気もするし。
まあ、目の前の光景にまるで現実感がないから仕方ないでしょ?
高々と舞い上がったおじさんは、私の身長の三倍は高さがあるだろう天井に叩きつけられた後、ゆっくりと落下してくる。
それを軽々片手で受け止めると姉は、フンッと鼻を鳴らすとおじさんを地面に投げ捨てる。
「ハッ! ちょっとハードプレイすぎたかしら?」
姉は笑っていた。
動かなくなったおじさんの前で。
それはもう心底楽しそうに声をあげながらの高笑いだった。
どうでもいいけどこういうのを、”はーどぷれい”っていうのか……知らなかった。
っていうか、知りたくなかった。
私にはハードすぎて、とてもできそうにない。
「まあ、しかし、昨日の夜に見たカンフー映画の真似ができたんで、ちょっと楽しかったわ」
おいおい。
さっきまでの連続技は、昨夜にカンフー映画を見たからできるようになったとでも?
そんなもん関係あるか! あんたが持って生まれた特殊技能かなんかですよ!
っていうか、あんたが見た映画でも絶対ここまではしてないだろ!
もしもしてたら、確実にホラー映画に分類されるわ!
「なんだか気分がいいわ。アーハッハッハッハッハッハッ!」
血まみれに倒れるおじさんの側で楽しそうに笑う姉。
トンネルの中で、雨音を消し去るほど反響する姉の笑い声は、本当に悪魔のようであった。
もしくは殺人鬼かなにか。
怖っ!
すげー怖っ!
ようやくここに来て凄まじい程に私の恐怖を煽った。
いや、本当は自分が目の前の出来事に、ものすごく恐怖していた事をようやく理解したというべきか。
実を言うとこの時初めて……
ちょっとお漏らしをしていたことに気が付いたから。
現実逃避みたいに冷静にいられたのも、ここまでだったみたいで。
涙もぽろぽろと流れた。
雨が降っていて良かった。
涙はともかくお漏らしは、なんとかお姉ちゃんには誤魔化さないといけないから。
めずらしく、雨に感謝しよう。
それはともかく……
地面に潰れた蛙みたいにへばりつきながら、ピクピクと痙攣しているおじさんを見ながら思う。
絶対この姉と私は血繋がっていない。
っていうか、この人と同じ星の人間かさえも疑問だ。
きっと、この人は赤ん坊の頃に地球を滅亡させるために送り込まれた戦闘タイプの宇宙人とかだ。
満月を直視させたらきっと大猿かなんかに変身するね。
そしたら、きっとその日のうちに地球が滅びるよ、まちがいなく。
理性という名の心の鎖まで引き千切った姉には誰も勝てないでしょ、マジで。
その後のことははっきりと憶えてはいないが。
姉が、顔面から血やら泡やらを大量に吹きだしていた痴漢のおじさんの胸倉をつかみ、財布を没収し、お札を全部奪い取ったことと、持っていた私物から名前と家と会社を割り出し、警察に連絡しないかわりに、姉の銀行口座に決して少なくない金額のお金を振り込ませる事を、約束させていたことだけは憶えている。
明らかな過剰防衛なんかもしてるんだけど、死にかけのおじさんは何も言わずにコクコクと頷いていた。
そういえば、私達と今夜出会ったことは他言しないと誓わせたあと、一応携帯で救急車を呼んでいた気がする。
まあ、親切心など欠片もなく、金ヅルにこのまま野垂れ死にされたら困るからだろうけど。
今冷静に思い出してみたら……みなくても姉の行為も十分犯罪だ。
シュチェーションだけで考えると、痴漢のおじさんとどっちが悪いかはかなり微妙だが。
少なくともおじさんの方がかなり可哀想だと思う。
っていうか、全治何ヶ月なんだろう……いや、そもそも全治するのかな、あれは?
しないよねー。
おじさんの体にも心にも、取り返しのつかない傷が多数残るだろう。
まあ、少なくともどっちが、大物の悪党かといえば絶対うちの姉の方だ。
今さらいうまでもないけどね。
格が違いすぎる。
まあ、戦闘タイプの宇宙人だしね。
ああ、でもこの姉を世間の人々は頭脳明晰、運動神経抜群、人望も厚い純情可憐な完璧お嬢様だと思っているわけだから……
姉は究極の戦闘能力だけではなく高度な政治手腕も持っていることになる。
最強の……いや、最凶の生き物だ。
姉の学校とかには、”俺がこの人を守ってやりたい!”とか本気で思って憧れたりしてる男の人がいっぱいいるんだろうな。
哀れだ……っていうかむしろ笑えるわ。
完全にアホですよ、そいつら。
で、とりあえず姉よ。
将来は悪の組織の女幹部にでもなるといい、っていうかなれ!
進路希望を聞かれたら、そう答えろ! 胸を張って答えていいよ、絶対天職だから!
しかし、姉が本当に悪の組織の幹部とかになったら、世界征服とか楽々やり遂げそうだ。
……いや、悪の組織に就職しなくても、OLとかの仕事の片手間とかに十分やり遂げそう。
明日からの連休はすることないから、暇つぶしに世界征服でもするかなー……的なノリとかで。
私達の未来は明るくないなぁ。
そういえば、ひとつ思い出したことがある。
とても残念な事だ。
私は姉よりもすごい女の人になるという夢をあきらめた。
そんなもん色々な意味で絶対無理だし。
そもそも私がどんなすごい人になっても、この人をいじめる勇気などないし。
正面対決すらも無理! 思いっきり背中見せながらでもいいから、全力で逃げるっての。
私みたいな平均的な地球人が、逆立ちしたって勝てる相手じゃない。
ああ、こうやって現実という壁にぶつかりながら人は大人になっていくんだな…
少なくても現実は見れるようになったと思う、とても残念なことに。
読書はもうやめよう。
物語の世界に現実逃避しても仕方がない。
きちんと現実を見つめるようにした方がいい。
所詮、姉からは逃げ切れないだろうから。
せめて被害を最小に食い止めながら生き延びる術を身につけないと。
何気なく窓から空を見上げると星空が見えた。
私にとって悪いジンクスを持つ雨はもう止んだようだ。
いや、代わりに私の心の中に振り続けるようになっただけか。
姉が存在する限り振り続く心の雨。
まあ、この心の雨は私が少し現実を見れるようになった証だ。
夢も希望もない証だが。
現実を見るのは大切よね。
「さよなら、夢見る少女だった頃の私」
……と自分の中でだけはキレイにまとめておくことにした。
って、これが小学生の台詞か!
切なすぎるわ!
あ、やばいまた涙が出てきた……
うわーん! やっぱり諦めてたまるかチクショー!