「今日は降るな………」


 見上げた窓の向こうは、どんよりとした分厚い雲。

 今日は天気に恵まれた一日になるでしょう、とは今朝の天気予報。

 なんだよ、普通に降りそうじゃないか。やっぱり折り畳み傘を持ってきて正解だったな。

 天気予報なんかより自分の勘の方がよっぽど信用できる。

 みんなも空を見上げては、「俺、傘持ってきてねー!」とか「誰か傘貸してー!」とか言い合ってる。

 残ってる授業は後一つ。

 一時間もすればきっと土砂降りだろうな。折り畳みじゃ敵わないか。

 ドアを開けて入ってきた先生は、気力を削ぐ顔だった。

 思わず漏れる溜息。帰るのは10分遅れるな、と視線を空に移した。









    てんきよほう









 いつも通りに10分延長の授業。予想通りに土砂降りな雨。雨が酷くならないうちに、とみんなは足早に家路に就いた。

 このまま帰ろうとしても折り畳み傘じゃ勝ち目が無い。ならば少しでも勝率を上げよう、と学校で時間を潰す事にした。

 一人、宛ても無く薄暗い廊下を歩く。

 聞こえる音は、自身の足音と窓に叩きつけられる雨の音だけ。

 いつもなら聞こえるはずの掛け声も無い。

 この雨で部活だ、なんて言う方がおかしい。

 いつもは聞こえる喧騒が無い。それだけで、世界に一人取り残された気分になる。

 気付けば、いつもは近寄らない部室棟に来ていた。

 どうせする事も無いんだし、とそのまま進む。


「不審者見ーっけた!」


 ある部室の前を通り過ぎようとした時、不意に後ろから声を掛けられた。


「ここってば部室棟だよ? 今日はどこの部活もお休みなのにどうしてここにいるのかな?」

「別に。ただぶらぶらしてたらここに来ただけだ。」


 そう返事をしながら後ろに振り向く。


「えへへー。私と一緒だー。」


 そこに居たのは人懐っこい笑みを浮かべた一人の女生徒。

 セミロングの髪を大きなリボンでポニーテールにしているちょっぴり小柄な女の子。


「ねぇねぇ、キミも傘忘れちゃったの?」

「折り畳みならあるぞ。」

「じゃあどうして帰らないの?」

「走って帰るのも面倒だし、濡れるのも嫌だからな。雨が弱くなるのを待ってるんだ。」

「ものぐさ君だね。」

「余計なお世話だ。」


 彼女は悪びれた様子も無く「あははー」と笑っている。


「そう言うお前はどうしてここに居るんだ?」

「なんかね、今日はイイ事がある予感がするんだよねー。」

「それ、質問に答えてないから」

「あはは、バレた?」

「もうバレバレ。どうせ傘を忘れて置いてけぼりにされたんだろ?」

「へー、すごいね、キミ。どうしてわかったの?」

「さっき『キミも』って言っただろ? 隠すつもりならもう少し言葉に気を付けなくちゃな。」

「むぅー、それこそ余計なお世話だよっ!」


 怒ってぷいっ、とそっぽを向く彼女。

 怒って、とは言っても怖いというより可愛いんだけど。


「で、俺に声を掛けてきたって事は何か用があるんだろ?」

「あ、そうそう。今から暇? 暇だよね? と言う訳で私と一緒に時間潰さない? ってか決定ね。」


 一方的に宣告すると、満足そうに笑いかけてくる。

 正直な所、相手にするのが面倒なので帰ろうと思った。


「や、暇じゃないんで帰らせてもらいます。」

「雨が止むまで待ってるんじゃなかったっけ?」

「誰がそんな事を言ったんだ?」

「キミ。隠すつもりなら言葉に気をつけろ、って言ったのキミだよ?」

「俺は雨が弱まるまで待ってるって言っただけだ。弱くなった気がするからもう帰ろうと思ったんだ」

「うわっ、キミってば結構酷いんだね。こんな美少女の願いを聞き入れないなんて。」

「お前の方がひどいと思うぞ。人の都合も聞かないで勝手に決めるし。っていうか自分で美少女言うな。」

「え〜、都合ならさっき言ってたじゃん。」


 作戦その一、失敗。そして、俺のツッコミは見事にスルー。


「急用ができたかもしれないだろ。」

「連絡もなしに急用が出来るわけないじゃん。」


 作戦その二、失敗。


「……何か用事を思い出したかもしれないだろ。」

「その割にはこうやってのんびりお話してるし。」


 ……作戦その三、失敗。


「……………直感的にここにいたらやばいと感じたかもしれないし。」

「じゃあ一緒に逃げようよ。」


 ……………作戦その四、失敗。


「…………………虫の知らせが親父の危険を知らせてるんだ。」

「それって、今更行っても遅いんじゃない?」


 …………………作戦その五、失敗。

 どうあっても俺を解放する気はないらしい。やはりここは………


「ダッシュで逃げようなんて思ってもやっちゃダメだから。」


 ………………………万策尽きました。


「決まりだねっ! 私と一緒に暇潰し〜♪」


 チクショウ……… その笑顔が恨めしい………


「ほらほら、落ち込んでないでさっさと行こうよ。」

「誰の所為で落ち込んでると思ってんだよ………」

「え? そんな事、私が知ってるわけないじゃん。」

「お前の所為だよ………… それぐらい気付け、阿呆。」

「むぅー、私アホじゃないよ! むしろ鋭い方だよっ!」


 ………ふぅ、もう諦めてこいつに付き合ってやるか。


「ま、落ち込んでても何もいい事は無いよな。」

「そうそう、落ち込む暇があったら行動しろ、ってね。」

「確かにそうだけど、お前が言うと全っ然ありがたく感じられないから。」

「えー、どうしてー?」

「俺の落ち込んだ原因がお前だから。」

「そっ、そんなぁ〜……」


 彼女はそのままふらふらと壁にもたれかかる。


「や、大袈裟すぎだから、そのリアクション。」

「迫真の演技にケチつけないでよー。」

「どこにその演技を見る観衆がいるんだ?」

「ここ。」


 …………


「あ〜、雨が酷くなってんなぁ………」

「ロコツに無視しないでよぉ〜………」

「で、何をして暇を潰すんだ?」

「無かった事にしないでよぉ〜……」

「じゃあ俺にどうしろと?」

「ツッコミプリーズ。」


 ………本当に変な奴と関わってしまった様だ。


「沈黙は金、雄弁は銀………」

「え? 何か言った?」

「ちょっとしたありがたい御言葉をな………」

「それってツッコミ?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。」

「結構いい加減だね。」

「これでいいだろ? いい加減に何をして暇を潰すつもりなのか教えてくれ。」

「も〜、せっかち君なんだから………」

「こっちも善意で一緒に居てやってるんだ。嫌なら俺は帰るぞ。」

「わっ! 待って、教えるから! 今すぐ教えるから〜!」


 帰ろうと踵を返した俺に必死に縋り付いてくる。

 慎ましい感触が背中越しに感じられる。関係ないけど。

 無理矢理引き剥がすのも気が引けるな………


「内容次第だ。あまりに下らなかったりしたらすぐ帰るからな。」

「ありがと! やっぱいい人だね!」

「…………いい加減に離れてくれないか?」

「あ、ごめんね。」


 背中越しの温もりが離れていく。

 ………名残惜しくなんか無い。絶対。


「………なんかヘンな事考えてない?」

「…………いや、何も?」

「ホントかなぁ?」


 さっきまでの笑顔は何処へやら。今度は俺をジト目で睨んできた。

 こういう時はさっさと話題を変えるに限る。


「で、何をするつもりなんだ?」

「そうだった! じゃ、早く行こうよ!」

「ここじゃ駄目なのか?」

「ここには何も無いじゃん。ま、何があるかは着いてからのお楽しみ〜♪」


 何をするつもりかは分からないけど、一度了承した以上、ついて行くしかなかった。











「で、ここは何処だ?」

「演劇部の部室。」

「鍵はあるのか?」

「ここにあるよ。」

「で、お前は演劇部員か?」

「違うよ。」

「鍵はどうやって手に入れた?」

「ちょっと警備員室から。」

「俺に向けて放った第一声は?」

「不審者見ーっけた!」

「………一言だけ言ってもいいか?」

「ん、何?」

「お前の方がよっぽど不審者だろうが!」

「そうかな? すぐに返すから別にいいじゃん。」

「阿呆か! 勝手に持ち出した時点でアウトだ!」

「うぅ〜…… そんなにどなる事ないじゃん……」


 はぁ…… 頭が痛くなってきた………


「………で、目的は何だ?」

「傘かなんか無いかな〜、って思って。」

「雨具は園芸部だと思うが………」

「もしかしたら小道具とか衣装とかにあるかもしれないじゃん。」

「大体許可は貰ってるのか?」

「後でちゃんと言っておくから大丈夫。」

「どこが大丈夫なんだよ…………」

「細かい事は気にしないの。ほら、早く早く〜。」


 ………ようやく判った。こいつを相手にしてはツッコミが如何に無力かという事が。


「……で、傘を使って何をするんだ?」

「何って………屋上に行くんだけど。」


 ……ん〜、耳がおかしくなったかな?


「もう一回言ってくれないか? よく聞こえなかったみたいなんだけど。」

「傘持って屋上に行くんだよ。」


 ………


「えっと……聞き間違いじゃなければ屋上に行くって聞こえたんだけど。」

「うん、あそこが一番眺めがいいからね。」

「ったく……どうして雨だって言うのに屋上なんかに行くんだよ………」

「もうすぐイイ物が見れそうな予感がするんだよね〜。」

「また予感か…… それは信用できるのか?」

「とーぜん! このために今日は残ったようなもんだしね。」

「その自信は何処から沸いて来るんだよ………」

「その辺から。」


 要は根拠無し、と言う訳だな。


「……さっさと傘見つけて行くぞ。」

「そんなに急がなくても大丈夫だって。」

「お前に付き合うのも疲れた。一刻も早く開放されたい、という願望の表れだ。」

「むぅ…… ちょっと納得いかないけど傘を早く見つけるのには賛成だね。」

「話がまとまった所でさっさと傘探すぞ。」

「探し物は何ですか〜♪って感じ?」

「ふざけてないでさっさと探せ。」

「ツッコミに愛が感じられないからボツ。」

「真面目さが感じられないから帰る。」

「ああっ、ゴメン! ちゃんと探すから帰らないで!」


 今のでこいつからのアドバンテージの取り方がわかった。だからどうした、って感じだが。


「傘あったよ〜。2本も。」

「1本は返しておけ。」

「なんで? キミの分はどうするの?」

「折り畳みがあるって言っただろ。さりげなく俺を共犯にしようとするな。」

「ぎくっ!」

「口で言うな、口で。」

「ぎっくぅっ!」


 もう本っ当に帰りたい………


「うぅ〜……今度はスルーだよぅ………」












「で、屋上に来たわけだが………」

「誰に向かって説明してるの?」

「独り言も呟きたくなるだろ…………」


 屋上に来ても雨は相変わらず降っている訳で。もう憂鬱どころじゃない。


「本当に物好きだよな、お前。雨が降ってるのに屋上に出たがるなんて。」

「ん〜? そうかな?」

「そうだよ。普通は出来るだけ濡れない様にするものだろ?」

「ん、そうかもね。でも、それじゃあ見れるものも見れなくなっちゃうでしょ?」

「で、お前は今、その『見れるもの』とやらの為に屋上に出ている訳だ。」

「そういう事。ねぇ、一緒に見ない?」

「嫌だ。俺はここから出ない。」


 ちなみに俺はドアの傍に立っている。


「ん〜……… ま、いっか。そこからでも見れそうだしね。」

「別に俺はそんな物を見る気はないぞ?」

「いいよ。そこに居るだけで。」

「そんなもんなのか?」

「そんなもんなの。」

「………変な奴だな、お前。」

「私、変じゃないよ? ヘンなのはキミの方だよ。」

「初対面の相手を不審者呼ばわりしたり、警備員室から鍵を盗ってきたりする奴の何処が変じゃないんだ?」

「さぁ? しいて言うなら全体的に?」

「………ああ、そうですね。お前は変じゃない。ええ、変じゃありませんとも。」

「半分ぐらいバカにしてるでしょ。」

「当たり前だ。馬鹿にしない方がどうかしてる。」


 やれやれ、と肩を竦めながら溜息を一つ。

 そのまま空を見上げて………


「あれ? 晴れてる………?」


 いや、雨粒が地面に落ちる音は止んでいない。

 ならばこれは………


「きつねの嫁入り、か。」

「ね? いい景色でしょ?」


 清清しいほどの夕焼け。

 そして目の前の少女は鮮やかな赤を背負う。

 雨がそれらの境界を曖昧にする。

 その光景に目を奪われて、思わず一歩踏み出した。


「あれ? 濡れるのイヤなんじゃなかったの?」

「いいんだよ。今は雨に濡れてもいい気分なんだ。」

「今まで雨宿りしてた意味がなくなっちゃったね。」

「そんな事よりも……ほらよっ。」


 彼女に鞄から取り出したものを投げ渡す。


「わっ、とっ、ふぅ………ってコレ傘じゃん?! いいの?」

「盗った傘で帰るつもりか?」

「それは………」

「あとこれ。鑑賞料な。」


 小銭を放り投げてくるりとUターンをする。


「わわっ! そんな細かいの投げないでよ! ていうかお金なんか受け取れないって!」

「だったら今度返しに来い。」

「じゃあ名前教えてよ!」

「それは今度会えたときのお楽しみだ。」

「名前わかんないと探しようがないんだけど!」

「大丈夫だって。その為にそれやったんだから。」

「それって………5円玉?」

「御縁がありますように、ってな。じゃ、そういう事で。」


 背中越しに片手を振ってさっさと階段を下りる。

 時々こういう風に振り回されるのもいいか。







「今のは私に対する愛の告白と受け取って良いんだね〜!」

「そんな事は断じてありえないから安心しろ!」


 階段の上から響いてくる声に条件反射で反応してしまった。


「いじわる〜!」


 ………ま、いいか。こんな日があっても。


                    てんきよほう 終