止まない雨の降る地の下で
1.日曜日の風景
もしもロボットが心を持つことになったらどうなるのでしょうか? 昔の人達は様々な考えを持っていたそうです。便利になるとか、心の仕組みの研究になるとか、戦争の道具になるとか、仕事を取られてしまうとかetc. また当時は心を持たせることは非常に難しく考えられていて、それでも研究を続ける人もいれば、無理だろうと語る人も居たそうです。なので、それが可能となった時には世紀の発明などと騒がれると同時に、世界中を巻き込んでの大議論となったそうです。もしもこの発明が封印されていたら私は今ここにいないので、発明した人や封印に反対した人達には感謝するべきでしょうか?
そういうわけで心を持つロボットが生まれてから約150年。最初はやはりいろいろと問題もあったそうですが、現在はなかなか上手くいっているようです。かくいう私も池山家の人々に家族同然に扱って貰っていて、特に一人娘の春華とは近所でも有名なくらいに仲がいいのです。あまりに仲がいいので変な噂も立っているそうですが、変な噂とは何なのでしょうか? 春華に訊いても「リアナはなにも知らなくていいの」としか言わないのです。そんなことを言われても気になる物は気になるのですが……まぁ、春華がそういうのなら仕方ないです。そういえば、その後小さな声で「だって清純派じゃないとリハウスガールには……」とか聞こえましたけど、それと関係があるのでしょうか?
さて、今日は春華とお出掛けです。充電が終わったら着替えないといけません。
私の着る服ですが、7割は春華の手作りなんです。昔はお店で売っている服を着ていたのですが、いつからか……中学生くらいの時だったでしょうか? 春華が服作りに目覚めて以来、春華と私の服の大半は春華が作るようになりました。ちなみにご両親の服は作りません。お友達に頼まれることはあるみたいですけどね。だって、春華の作る服はロリータ服。大人は着るなと言うわけではないのですが、春華のお父様はもちろん、お母様もその手の服は着ない人なのです(結構似合いそうなんですけどね)。
春華の服作りの才能はその筋では話題らしく、春華の外見や着こなしと相まって読者デザイナー兼モデルとしてファッション誌に毎月登場しています。最近は話題の人として他の雑誌やTVにも時々出演しています。高校卒業まで1年を切って、春華の周りでは進路をどうするか悩む人も多いようなのですが、春華は既に服飾関係に進むことを決めているようです。とは言っても、具体的な方向はまだ少し悩んでいるみたいですけど……。
そういうわけで今日のお出掛けも雑誌の撮影です。私はお手伝い兼モデルとして同行です。私なんかがモデルをやっていいのでしょうか? と最初は思っていたのですが、「元々はリアナに似合う服が作りたくて始めたんだから」なんて言われては断るわけにもいきません。幸い評判もよく、私も春華が喜ぶ顔が見たくて進んで引き受けるようになりました。それに、自慢かも知れないですけど、春華の作る服って本当に私によく似合うんですよ。私のために作っているのだから当然かも知れないですけど、ロボットとは言え見た目も心も女の子な私、やっぱり可愛い服装とかが出来ると嬉しいのです。あぁ、私の外見をそういう風に作って下さった方にも感謝しないといけませんね。いくら心が乙女でもロリ服が似合わない外見だったら、私は一生苦しむことになったかも知れません(あれ? ボディの取り替えって出来たっけ?)。
「リアナ、行くよー」
「はーい」
充電も着替えも済み、私と春華は撮影スタジオに向かいます。2人の衣装ですが、春華は白地でボタンの並びに沿ってその両横に縦にギャザーが入っているブラウスに、革製の黒い鳥籠みたいなのが包むように付いてる黒いスカート(もちろんパニエで膨らませています)、レースオーバーニーと厚底のパンプスも黒で合わせています。一方私は黒のワンピースに白のフリルエプロン、白地のレースヘッドドレスとニーソに靴は黒のストラップシューズ。分かりやすく言えばメイド風の着こなしです。今回はショートストーリーと合わせるので、いろんな服を着るのではなく同じ服で何カットか取るそうです。そのせいかいつもより荷物も少な目です。
家から撮影スタジオまでは歩いてほぼ30分くらいです。間に街の名前が付いた大きな公園――春野田公園があって、野外撮影の時はそこに集合することもあります。今日はスタジオ撮影なのでそこまで行かないといけないのですけど。
雑誌では毎回、私達みたいなモデルの写真の他に公園や路上などを歩いているオシャレさん達の写真を載せているページもあります。撮影の日と場所が毎回載るので撮影の時は読者の人達が集まるのです。そして、私達の撮影の日は毎回路上撮影と同じ日になっています。撮影場所も必ず私達が通る場所なので、自然と読者の人達と交流することになります。今日は公園を抜けてすぐのメープルストリートで撮影だそうで、
「あ、春華さんにリアナさん、おはようございます」
「おはよー、もうこんなに集まってるんだ、みんな早いねー」
と、いつもながらのプチ交流会が始まりました。いえ、始まりましたと言うのは語弊がありますね。読者同士の交流会に混ざったという感じでしょうか。まぁ、そんな感じで少しの間立ち止まってお喋りしてから、10時少し前くらいにスタジオに着きました。
今日の撮影のコンセプトは「お城に住む少女と従者」だそうで、スタジオには模型のお城や森のセットなどが所狭しと並べられていました。前に春華がもらっていたお話を元に撮影は行われ、今回は比較的早めに撮影を終えることが出来ました。片付けのお手伝いが終わって倉庫からスタジオに戻ると、春華がスタジオや雑誌のスタッフと一緒にお昼を食べていました。ちょうどそういう時間ですしそれはいいのですけど、知らない若い男の人となにやら話をしているのが気になります。撮影の時にもいましたけどスタッフでも雑誌社の人でもないみたいですし……。スタジオの人に充電用のケーブルを出して貰いながら、春華の隣に腰掛けた私は尋ねました。
「ねぇ、この人は誰なの?」
「あ、リアナ、お疲れさまー。彼はね、今回のお話を書いてくれた古田さん」
なるほど、この人が今回のお話を書いたのですか。……って、ちょっと待って。今回のお話で、古田さんって言ったら、ぱっとしない見た目とお話の素敵さが一致しなくて少し意外でしたけど、ひょっとしてもしかして、あの古田先生?
古田永豊(えいほう)先生――最近文芸界など一部で人気になりつつある人で、必ずロリータの女の子が出てくることと、重めのテーマを扱いながらその全体を優しさが包んでいることがこの人の作品の特徴です。小説の評価も高く賞を取るのも間近とか言われてますし、私達乙女(と言わせて下さい)の間ではファッションの描写がど真ん中ストライプなので、あこがれの作家さんの1人だったりします(あ、これじゃ縞々だ……って私緊張してる?)。いや、でも、まさか、ねぇ?
「こんにちは、古田 永豊です」
ほら、やっぱり違う人……じゃないしっ!? えーっ、そんな、某先生みたくお洒落じゃないし(失礼だぞ私)、えっと、あの、サイン……じゃなくって、ああもう落ち着いてよ私っ。
「こ、こんにちは……です」
「あらら、リアナってば緊張してる?」
わーっ、私まともに話せてないよ。春華も余計なこと言わないでよぉ、恥ずかしいってばぁ。
「もっとおしゃれな人だと思いましたか?」
「あ、あの、えっと……」
しかも読まれてるよ。どうして? と言うか何で春華は普通に話してるの?
「まぁ私も最初はそう思いましたからねぇ」
「大抵の人はそう思いますよ。一応気を遣ってはいますけど元が元ですから」
あ、前に会ってたわけね。うん、少し落ち着いてきた。
「えっと、それで、古田先生はどうしてここに?」
「前からお二人の事は気になっていましたからね。このお仕事の依頼が来た時は凄く嬉しかったですよ」
「私も嬉しかったですよぉ。サイン交換なんてしちゃったし」
そんなことまでしていたのですか。まぁ、春華も古田先生のファンなので気持ちは分かりますけど、でも、ちょっと待って下さい。
「ねぇ春華、教えてくれても良かったんじゃない?」
「あ……言ってなかったっけ?」
「うん」
「あはは、ゴメンゴメン。でも、教えなくて良かったかもね、珍しい物見られたし」
「は、春華ってばぁ〜」
クスクスと笑う春華にすっかり遊ばれている私。その様子を見ている古田先生の表情はとても優しいものでした。外見は決していいとは言えないですが(だから失礼だぞ私)、悪い人ではなさそうと言うのが私の印象でした。
昼食後は、撮影が終わったので帰宅ついでに路上撮影を覗きに行きます。古田先生も一緒です……最初、先生は渋っていたのですけどね。自分でも容姿に自信が無いらしく、不安がっているのを春華が説得してこうして一緒に歩いています。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよー。私もついてますし」
いや、そういうことではない気がするのですが……。というか、仮にそっちが大丈夫でも古田先生って事で騒ぎに……あぁ、あの人達なら大丈夫ですね、路上撮影に来る人達はそこら辺はちゃんとわきまえてますから。私達や他の有名モデルさんと一緒に撮影する機会もありましたし、そうでなくてもある程度認知されるようになったとはいえまだまだ偏見などもある服装をしている以上は、そこら辺はきちんとしていないとファッションに失礼という意識がありますから。
さて、そろそろ撮影現場に……あら、なんだか怪しい人影があります。
「春華、どうする?」
「そうだねー、ちょっと注意しておく?」
「そうね」
ということで物陰の怪しい人影……というか、カメラ小僧ですね。その彼に声をかけます。
「何をしているのかな?」
春華の声にビクッとして振り返る彼。
「勝手に撮るのは良くないと思いますよ?」
振り返ったら間近にロリータの少女が二人も居て驚いたのでしょうか、思わず尻餅をつきつつ、私の注意に早口に返してきました。
「べ、別にいいだろ、撮られているんだし、それにそういう服って撮られるために着るって聞いてるしさ」
誰でしょうか、そんなでたらめ吹き込んだのは。まぁ、いいです。ここで分かって貰えばいいのですから。
「あのね、確かに撮られているけどあれは雑誌の撮影会で、撮られて雑誌に載ってもいいから撮られているの。見ず知らずに人に許可もなく撮られていいわけじゃないの。それに、私達も今日は撮影あったけど、普段からこういう服着ているしこれは私達の普段着でもあるの。だから撮られるために着ているわけじゃないの。わかるかな?」
「雑誌ってコスプレの?」
「じゃなくてファッション雑誌。ロリータはれっきとしたファッションだしブランドとかもちゃんとあるの。私みたいに自分で作る人もいるけどね」
「へぇ〜」
何か未だにコスプレと思われる事もあるんですよね、ロリータって。幸い彼は理解力のある人みたいで春華の説明に納得したみたいですけど。あ、でも一応
「無断撮影は肖像権の問題とかもありますからね、撮りたいなら許可をもらった方がいいですよ?」
「そうですね。すみませんでした」
これは言っておかないと。別の所でトラブル起こされても困りますし。
「あ、池山さん。何かありましたか?」
私達が何やらやりとりしているのを見て、撮影スタッフの1人がやってきました。
「隠れて写真撮ってる子がね。分かってくれたみたいだけど」
「そうですか。今後はこういう事はしないで下さいね」
「はい、ごめんなさい」
「それと、悪いですけどデータカードは没収させて貰いますね。隠し撮りしていた分を放置するわけにはいきませんから」
「わかりました」
彼は素直にデータカードをスタッフに渡しました。
「ありがとうございます。理解していただけたみたいですし、後で話し合って許可が貰えた分は現像してお渡ししますね。それまでこのお店で待っていて下さい」
こういった事はこれまでも数度あったのですが、理解を広げるのと悪い印象を残さないためにスタッフの指示に従って貰えた場合はこうする事にしています。近くのファーストフード店のクーポンを渡されて、彼はその方向へと歩いていきました。
「ところで、その方はどなたですか?」
スタッフの人が後ろでさっきまでのやりとりを見ていた先生のことを尋ねます。
「それは秘密です。聞いたらみんな驚きますよぉ」
いたずらっ子のような表情で答える春華。確かに古田先生と知ったらみんな驚くでしょうね。
「えぇーっ」
やっぱりみんな驚きました。隠し撮りの写真の出来に……いえ、冗談です。もちろん古田先生の登場にです。
「もっとおしゃれな人って……あ、ごめんなさい」
「でも先生みたいな男の人が出てくる話もありましたね」
「大丈夫ですよ、大抵の人はそう思うでしょうし。あ、気付きましたか? それは自分をモデルにしていたりするんですよ」
さっきまでは不安がってた先生ですが、人当たりの良さですっかり溶け込んでいます。先生の作品を読んでいる人が多いのも大きいみたいですけどね。
「でもいいなぁ、春華さんいろんな人と知り合いになれて」
「あはは、でもその分面倒な事とかも多いよー?」
「ところでどうして一緒に来たんですか?」
「あ、今回の撮影がね、古田さんのお話がベースになってるの」
「えーっ、すごいじゃないですか」
「私もビックリしましたよ」
「あれ、リアナさん知らなかったんですか?」
「そうなんですよ」
「私が言うの忘れてたからねー」
行きと違って今度はたっぷり時間があります。女の子同士でお喋りしたり古田先生が質問攻めにあったり、そんなこんなで日がだいぶ傾いた頃に解散となりました。
「それじゃまたねー」
「今度の雑誌楽しみにしてますね」
次の撮影は約1ヶ月後。時期が時期なので、来月はおそらく夏物を着る事になるでしょう。
2.ある平日の語らい
平日の春華は春野田高校に通っているので家にいません。その間に私が何をしているかというと、掃除・洗濯などの家事のお手伝いと春華への仕事の電話への対応、後は趣味を兼ねて本を読んだりインターネットで情報収集やゲームなどをしています。私達ロボットの大半が電動なので電気代がかかりそうに思うかも知れないですが、省エネ化や太陽電池の発電効率上昇及び普及などで電気代が下がっているため、さほど気にすることなく私達も活動する事が出来ます。ロボットとは言え心を持っている以上はストレスとかもありますから、趣味の時間はとても大切なのです。
さて、今日は春華にお買い物を頼まれています。買ってくる物は生地に糸に金具など、服作りに使用する物です。一言で生地や糸などと言ってもその種類は様々なのでこういった買い物は普段なら春華が自分で選ぶのですが、今回は特価セールを機によく使う物を買い込んで置くのが目的なので私1人で行く事になりました(それに平日だから春華の帰り待ってると夕方になっちゃうし)。まぁ私も春華に良くついて行ったりしてある程度の知識はありますし、いきつけのお店なのでお願いすれば必要な物を出して貰えたりもするのですが。
ミシン糸や手縫い糸、サテンやコットンなどの生地その他色々を買い込んだ後、休憩がてら春野田公園に行く事にしました。商店街から並木道へ抜け公園へ向かっていると、どこかで見たような人影が前を歩いていました。誰だろうなと思いながら、程なく信号待ちにあい、その男性の近くに立って信号が変わるのを待っていると、その人が私に声をかけてきました。
「あ、リアナさんじゃないですか」
「はい、そうですけど……って、古田先生?」
「こんにちは、今日は1人なんですか?」
「はい、春華は学校なので」
何という偶然なのでしょうか、こんな所で先生に会うなんて。
前回のお仕事以降、何度かご一緒する事もあり、最初は緊張していた私ですが最近はそれも無くなってきました。それでも、まさかこんな町中で会うとは思わなかったので普段より緊張してしまいます。
「あぁ、お買い物だったのですね」
「はい、今日は特価セールやるって聞いてましたので、この機会に少し買い込んでおこうと春華が」
「そういえばそんなことしてましたね、あのお店。……ということは、お買い物はもう終わったのですか」
「はい、ちょっと春野田公園に寄り道でもしようかと思ってましたけど」
さっきから「はい」ばかり言ってるよ私。おかしく見られてたりしないかな?
「そうですか。ちょうど私も公園に行こうと思っていた所なんですけど、もしよければご一緒してもよろしいですか?」
はぇ? 先生と一緒に公園へって、つまり2人でゆっくりお話とか、2人きりでのんびりと……って2人きり!?
「あ、はい、構いませんよ」
わーっ、どうしよう先生と2人きりとか初めてだよ。いつも春華と一緒だったし、うーっ、大丈夫かな私?
公園に着いた私達は、南西あたりに位置する広場のベンチに腰を下ろしました。私が携帯型ソーラーパネルを取り出し横に立てると、先生は持っていた袋からサンドイッチを2つほど取り出し、もそもそとほおばりました。……先生って、容姿とかはちょっとアレですけど(だから失礼だってば)、こう、動作とかは意外とかわいらしい感じを持っているんですよね。あぁ、でも人によってはおかしく見えたりもするかも知れないですね。そういえば、前に春華と一緒に昼食取りながらお話した時に、自分でも女の子みたいな所があるって言ってましたっけ。
「ところで、時間はまだ大丈夫なんですか?」
先生の食事が済み、時々その様子を横目で見ながらぼーっと景色を見ていた私は、その一声で意識を先生に戻しました。
「大丈夫ですよ、これと言った用事があるわけでもないですから」
とはいえ洗濯物の取り込みをしないといけないのでそれまでには帰らないといけないのですが、まだまだ時間はあるのでもうしばらく大丈夫でしょう。
「そうですか。いや〜、ちょっと煮詰まってしまいましてねぇ」
そういうと先生は溜息をつきました。創作の仕事も大変だと聞いていますし、私には分からないのですが産みの苦しみとはこういう物なのでしょうか?
「という事は気分転換ですか?」
「まぁ、そんなものです」
「大変なんですね」
「大変じゃない仕事なんて無いでしょうけどね。好きな仕事をできる分だけ幸せですよ、私は」
「あぁ、そういえば春華も同じようなこと言ってましたね」
「池山さんもですか。まぁこれだけいいモデルが居るなら作りがいもあるでしょうね」
「そ、そんな、褒めすぎですよ……」
「いやいや、可愛いじゃないですか。今日も似合ってますよ」
恋愛感情とまで行かなくても、あこがれの作家さんにそんなこと言われたら何度かご一緒していても照れてしまいます。確かに春華が私用に作ってくれているわけですから似合わないわけないんですけどね。ちなみに今日は胸飾りとレースの付いた白いブラウスと薄桃色のパニエ付きスカートに、白の厚底靴と同じく白のレース付ハイソックスといった、白を基調にした割とシンプルな着こなしです(それでもただのブラウスとスカートよりは数段かわいらしいんですけどね)。
「嬉しいですけど……面と向かって言われると恥ずかしいですよ」
「まぁ、それもそうですか」
それにこういうのは謙遜したい所なんですけど、あまり自分をおとしめると春華に失礼になってしまいます。
「あぁ、そうだ。ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
「何でしょうか?」
「ちょっと小説との関連で、ロボットの身体感覚とかを知りたいものですから」
「あぁ、そういうことなら……って、先生の家にも居るでしょうに」
「確かに居ますけど、こういうのは身内じゃない方がいいじゃないですか」
「それもそうですね」
「それに、私の知る限りではかなり感性豊かなほうですし、リアナさんって」
「あら、そうなんですか」
身内に訊くと普段の関係とかもありますからね。感性豊かなロボットは、少なくともこの街ではそう珍しくない存在だと思うのですが(私の知り合いにも割と居ますしね)、人間と同じ程度と考えればそう多いわけでもないのかも知れません。
「色々調べたり想像したりはしましたけど、やはり実際に訊いてみた方がよさそうですからね」
「そうですね。うーん……何を話せばいいですか?」
「えーと、疲れた時ってどういう感じなのかとか……ロボットでも疲れたりはするんですよね?」
「ええ、今みたいに充電で動いてる時は消耗しすぎると辛いですし、よく動かす部分は……物質的な疲労とでも言うのでしょうか、そういうのもありますね。他にも回路の過熱とかもありますし。ある程度の自己復元機能は持ってますけど、定期的なメンテナンスも必要ですからね」
「なるほど」
「お腹が空いたり筋肉痛や関節痛になったりするのと似たような感じかもしれないですね。故障も人間で言うところの怪我や病気と考えられますし」
「そういう風に例えると分かりやすいですね。あ、痛みの感覚ってどういう感じですか?」
「えーと……難しいですね、痛いものは痛いとしか言えないですし。逆に人間の場合を私達は分からないですからね。同じなのかどうか……。ある程度は共通していると思うんですけど……」
「そうですか。普段見ている限りでは同じような気もしますけどね」
「ただ、私達の場合はある程度意図的な制御が可能です。そうじゃないといざというときに無茶ができないですから」
「へぇ〜……まぁ、そこら辺の違いはあると言うことですか」
「ですね。作られている存在という側面もありますけど、単純に同程度の損傷に対する復元可能性なら人間より私達の方が上の場合が多いですから、そこら辺の融通はつけやすくなってますよ」
「あぁ、そういう面もありますよね……」
「あ、気にしなくても別に負い目とか感じてないですよ。作ってもらえなかったら春華や先生にも会えなかったわけですし」
ちょっと言い方が悪かったかも知れないですね。別に深い意味はなかったのですが。作られている存在というのは単純な事実ですし、その本来の目的とかを考えればある程度そういう面があるのも仕方ないでしょう。むしろ、それを双方乗り越えて今の関係があるわけですし。
「えーと、あと何がありますか?」
「そうですね……物を持ったりとかの感覚は同じような物ですか」
「それも正確には分かりませんけど、おそらく同じだと思いますよ。あまり違いがあると困りますし」
「それもそうですね」
「まぁ火傷や毒などには強いですね。センサーで危険性の察知は出来ますけど」
「なるほど……とりあえずはこんな所ですね」
「お役に立てましたか?」
「えぇ、それはもちろん。ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそお役に立てたようで何よりです」
「もしもまた知りたいことが出てきたら訊いてもいいですか?」
「いいですよ。私が力になれるなら嬉しいですし」
「ではもしそういうことがあったらお願いしますね」
「はい」
その後も先生と私はのんびりといろいろなお話をしました。先生の作品の事や春華の作る服の事、他にも普段の生活とかちょっとした昔話なんかを交えつつ、楽しい時間はあっという間に過ぎてゆきました。
「それにしても、お2人は本当に仲がいいですよね」
「まぁ春華と私の仲ですから」
「ちょっと訊きたいんですけど、池山さんのことどう思ってますか?」
日も大分傾き、そろそろ帰らないとなどと思っていたところで先生はこんな質問をしてきました。
「どうって、えーと……難しいですね。好きと言えば好きですけど、恋人みたいな感じではなくて、なんて言えば良いんでしょうね、無二の親友……というのも少し違う気もしますし、うーん……ごめんなさい、上手く言えなくて」
「いえいえ、いいですよ。ちょっと気になっただけですから」
「あ、世界で一番大切な人って感じかも知れないです」
「なるほど、確かにそんな感じありますね。見てるだけでほのぼのしてくるような感じもありますし」
「そう言って貰えると嬉しいです」
「本当に、良い関係ですよねぇ……」
そう言った先生の表情は、何故か少し憂いを伴っていました。それはほんの一瞬でしたが、私にはひどく印象に残りました。
「あの、先生……?」
「はい、何でしょう?」
「いえ、何か気になることでもあるのですか?」
「えっ? ……あ、いえ、ちょっとね。最近ちょっと険悪な状態の人の話を聞いたものですから、ついお2人みたいな関係ならなと思ってしまいまして」
お知り合いの方か誰かなのでしょうか? でも、あまり突っ込むのも良くないだろうと思ったのでとりあえず流すことにしました。
「さて、そろそろ洗濯物の取り込みとかもあるので」
「あぁ、もうそんな時間ですか。随分話し込んでしまいましたね」
「そうですね。でも楽しかったですよ」
「私も楽しかったですよ。また機会があれば2人でお話とかしましょうか」
「はい、喜んで」
「それでは、またお会いしましょう」
そう言って先生は帰っていきました。私もソーラーパネルを片付けてから家路につきました。
それにしても、先生とばったりあって、しかもこんなにお話しすることになるとは思っても見ませんでした。大丈夫だったかな? 変なところとかなかったかな、私。でも、楽しかったし大丈夫でしょう、うん。家に帰り洗濯物を取り込み、仕事もこなしつつ、帰ってきた春華におみやげ話をしたりと、とにもかくにも、この日は楽しい1日でした。
……ですが、別れる前に先生が一瞬見せた表情が、実はとてつもなく重大な意味を持っていたことを、この時の私は知るよしもなかったのでした。
3.瞳の届かない世界
私達の住む春野田市は、現在人間とロボットの関係がもっともよい都市として知られています。雑誌などに出ていることもあり私と春華の関係は有名ですが、私達以外にも家族や友達同然の関係――つまり、人間同士と変わらないような人間とロボットの関係は、この街では至る所で目にすることが出来ます。これは春野田市が「機械人権条例」なる制度をいち早く取り入れたことが大きいらしく、そのため国際機関による特別指定都市にも選ばれています。
この「機械人権条例」ですが、簡単にいうならば、ロボットも心を持った以上は自分の意志とかもあるわけですから人間と同じようにそれぞれの権利を保障しましょう、ロボットだからと理不尽に差別するのはやめましょうと言う条例です。元々ロボットは人間のために作られるという側面があるので人間と比べればある程度権利などを制限されるのはやむを得ないのですが(そのかわり人間へのサポートを苦痛と感じるようなロボットの意図的な製造は人間の都合だけでなく、条例で倫理的理由においても禁じられています)、それでも心を持つロボットを一個の存在として認め尊重するこの条例は人間とロボットの関係において非常に重要な役割を果たしています。
春野田市に住む人々は(人間・ロボット共に)常に市民証の携帯を義務づけられています。外国に行く時はもちろん、街から出る時にも市民証を提示しなければいけません。これは特別指定都市となり実質的に国と同格の扱いになっているのからですが、実際には春野田市を人間とロボットの共生の実験場として扱い、両者の対立の現場を市民が訪れることが出来ないようにするためだそうです。
なので私が……いえ、この街に住む人々が、この街のような共生関係が普遍的なものであると思っても仕方ないでしょう。両者の対立の情報は自力で集めない限り手に入らないですし、たとえ情報を手に入れられても体感していないことを想像するのは難しく、いずれはいがみ合うより私達のように手を取り合う方がいいと気付いて、私達のような関係になると楽観してしまうのです。そして情報が入らない故に、大半の人はこの街が一番良い関係だとしても、他の地域でもそれほど悪い関係ではないだろうと思ってしまいます。
ですから、春野田市から最も遠い街――そして両者の関係がもっとも悪い町を中心に両者が戦争状態に入り、そしてその影響が思いの外広範囲に及び、ついには春野田市にもそのニュースを流さざるを得なくなった時、この街の多くの人々が受けたショックは並大抵の物ではありませんでした。
「こんにちはー」
「こんにちは。とりあえず入ってください」
戦争のニュースが入ってまもなく、私達は古田先生に大事な話があると家に招かれました。居間に通されて私達は驚きました。そこには先客がいたのですが、その方が何と現春野田市長の土橋律子氏だったのです。以前、対談企画でご一緒してから時々お食事に呼ばれたりと親しくさせていただいているのですが、まさかこのような場所で会うとは思いませんでした。
「こんにちは。いつも息子がお世話になっているみたいね」
しかも先生が市長と親子だった事にさらに驚きましたし。
「いえ、こちらこそお世話になっています」
「そう。まぁこれからもよろしくね」
「は、はい……」
「まぁそんなに固くならなくても良いわよ。別にどうこうしようというわけじゃないし」
「わかりました」
いや、そう言われても、ねぇ……。
「それに2人はこの街にとっても大事な人なんだから。私よりもずっとこの街のためになってるわよ」
「え、そ、そんなことは……」
「2人が雑誌とかに出てるおかげで街の宣伝にもなってるし、人間とロボットの共存を広めることにもなっているのだから」
「そうですか。そうなっているなら私も嬉しいです。ね、リアナ?」
春華の問いかけに私はこくりと頷きました。
「まぁ、そんな2人だからこそ話したいことがあるのだけど……幸雄、まだ?」
「ちょっと待って下さい」
古田先生は私達を案内した後、奥の部屋でなにやら物音を立てていました。この家のお手伝いのロボット、メイファさんの入れた紅茶を2人が飲んでいると、まもなく先生はメイファさんと一緒にモニターとデータディスクを持って戻ってきました。
「さて、何から話せばよいのでしょうか……」
先生はいつになく憂いを帯びた……そう、まるであの時のような表情で切り出しました。
「まさか、この前の小説のように本当になってしまうなんて思いもよらなかったのですが、まぁ、それはいいでしょう。今回の事態は、実は150年ほど前にある人が予測していたのです」
戦争のニュースが流れる直前に先生が出した2つの最新作は、一方が人間とロボットが共存する小説、そしてもう一方は争い合う小説でした。そして今の状況は後者の小説と恐ろしいほどの一致を見せているのです(もっとも春野田市やその周辺に限れば前者の状況とほぼ一致するのですが)。それも驚きですがもっと大事なのはその後の発言です。150年前といえば心を持つロボットが生まれた年。その時に既に予測されていたとは、一体どういう事なのでしょうか?
「その人は、実は私達の先祖……といっても150年前なら大昔ってわけじゃないけどね、先祖の土橋誠造さんっていう人なんだけど、当時ロボットに心を持たせるかどうかの大議論があったのは知っているわね?」
「はい」
「誠造さんはその時に反対派の論客の1人だったの。ただ、当時はほとんどの人が人間の視点だけで考えてたけれど、誠造さんは違ったの」
「誠造氏は当時の主立った論客の中で数少ない、ロボット側からの視点も取り入れた論を展開した人なのです。氏はロボットに心を持たせても人間側が心を持つ相手として付き合えるのか、心を持たせても便利な道具としてしか扱わない、奴隷みたいな扱いしかしないのであれば、耐えきれない苦痛を与えるだけになってしまうのではないかと言っていたのです」
「いずれは持たせるとしても、今の人間にはまだ早いのではないかと言っていたのね。人間同士でさえもいろんな差別問題があるのに大丈夫なのかと。そして、もし本当にそんなことになったらいずれ大きな不幸、つまり、今みたいな戦争が起きてしまうって言っていたのね。でも、当時の論の主流にはならなかったわ。一部の民間団体とかは同調していたみたいだけど、そう言った視点で考えられる人は少なかったの」
「議論の結果はお2人もご存知の通りです。ここにリアナさんやメイファがいるのが何よりの証拠ですね。そして、誠造氏の意見は世間からも最初はあまり重要視されませんでした。ですが、氏の意見を重要視した当時の春野田市長が氏や人権活動家などと一緒に機械人権条例を作り上げました」
「心を持つロボットが作られ始めた当初はやはり誠造さんの懸念通り、心を持ったロボットでも道具くらいにしか見られない人が多くて、彼も半分諦めてしまっていたのね。でも当時の春野田市長に会って、どうせ作られるなら共存出来るような世界にしようと考えたみたいなの。まもなく実際に問題が起こるようになって誠造さんの意見も重視されだして、条例に目をつけた国際人権機関が春野田市を特別指定都市にして共存のテストケースにしようと考えたの。元々この国の場合は漫画やアニメとかの影響で心を持つロボットとの関係が他の国ほど悪くなかったから、わりとすんなり条例も受け入れられて今に至るってわけね」
「とりあえずここまでで分からないこととかありますか?」
「えーっと……ちょっと待って下さいね」
春華がそう返事して、2人の息のあった説明を私達は整理しながら振り返りました。150年前の議論自体は知らない人はまずいないのですが、ここまで詳しく知っている人は少なくともこの街にはいないでしょう。学校でも習わなければ、私達にもその情報は与えられてないですから。おそらくそれを知ろうとすると当時の悪い状況に触れざるを得ないからそうなっているのでしょう。
「多分、大丈夫です」
「では続けますね」
「はい」
春華と先生の軽いやりとりの後に話は続きます。
「その後、春野田市の周辺都市から他の街へと条例も広まり、人間とロボットの良好な関係も広まっていきました。ですが、依然として心を持つロボットも道具としてしか見ない人達も存在し続けたのです。多くの街では共存関係が当たり前となっているので最近まではあまり表に出ることはなかったのですが、ここ2〜3年は少しずつですがそういう声が出てくるようになっていました」
「最近の不況の影響ですか?」
「それもありますね。他にも思考力の低下なども考えられるのですが」
私の質問に先生は不思議な答えを返してきました。近年は世界的な不況に見舞われていて、失業者が増えるとなればロボットに仕事が奪われたという人が出てきてもおかしくはないでしょう。春野田市内ではそういうことがないよう企業の過度の省力化は禁じられていますが、そういう制限がなければ利益効率をよくするため社員を減らしロボットを使用する事も考えられますし(しかしそんな事をしては、人件費は抑えられても富が偏って一般消費者の購買力が落ちるので結局減収になってしまうのではないかと思うのですけど、どうなんでしょうね?)。各国も春野田市と同じように省力化に制限を付けようとしてはいるのですが、利潤優先の経済団体がこぞって反対しているためなかなか上手く行かないようです。まぁ、これは納得出来るのですが後者は何なのでしょうか。
「でも、思考力や想像力は人間にとって非常に重要ですから、特にこの面はロボットになるべく頼らず自らを磨くようにするのが常識のはず……あ、ひょっとしてこの街だけなのですか?」
「そういうことです。他の街では楽だからとロボットに何かと依存する人も多いのです。そのため、そう言った本来なら人間の方が優れているはずの面までロボットに劣る人も出てきています」
「そのせいかどうかは知らないけど、春野田市は他の街に比べてクリエイティブな仕事をしている人とかも多いのよ。個性的な人も多いから他の街の人が戸惑うこともあるけどね」
それは思い当たることがあります。私達も時々他の街で撮影とかもしますからね。
「まぁ他にも要因は色々あるのですが、とにかくそう言った理由で思考力などが落ちてくると、物事を深く考えずに手っ取り早く分かりやすい答えを求めがちになります。それが今回はロボットに向いたようです」
「そして、一般の人々にそういう意識が出始めると、元々心を持ったロボットをあまり良く思っていない人達はこれを好機と思って反機械人権キャンペーンを始めたの。『ロボットは人間に従っていればいい』とかね。地域差はあるけど、最近そう言った意見が力を持ち始めていたのは確かね」
「……馬鹿みたい」
私も思ったことを春華が、それも聞いたことのないような冷たい声で呟いたので驚きました。確かに私達は人間のサポートのために作られているので、その対象(私なら池山家)に対するある程度の主従関係はあります。ですがそれは、例えば雇い主と家政婦のような関係であり主人と奴隷の関係ではありません。心を持つロボットを使いながら心を持つが故の自己主張や不確実性や調子の波などが嫌だというのであれば、最初から心を持たないロボットを使用すれば良いだけのことなのです。
「そう、馬鹿みたいな話ね。でも実際そう思っている人達がいるのも確かなの。心を持たせることを単に人間の気持ちが分かるようになって配慮してくれるとか、簡単な指示だけで動くようになってくれるとしか考えてない人達もいるから、そういう人達からすれば思い通りにならなければけしからんってなるのでしょうね」
そういう考え方もあるのですね。心はそんな単純な物ではないと思うのですが(と言うか後者は単に思考回路があれば十分じゃないですか)。でも、最初にロボットは人間に従う物という前提があれば、あるいはそういう考え方になるのかも知れないですね。
「さて、最近そういった感じで少しずつ関係が悪くなっていた時に、元々両者の関係が悪かったカウロスでついに事件が起こりました」
「カウロスは元々心を持つロボットを奴隷同然に扱っていたの。まさにさっきの話の人達が考えている通りの状況だったわけね。そして最近の不況でリストラを強化する一方で仕事とかは全部ロボット任せ、しかも少しでも気にくわないとすぐにそのロボットは解体なんて事をやってたわけ。その結果、仕事を無くした人はロボットのせいだと言い出す一方でロボット側も人間不信を募らせて、それがさらに悪循環するという構図だったのね。人権機関が入って救済策とかも取っていたけど、とてもじゃないけど手に負えない状況だって言っていたわ」
「まあ、それも全く無意味ではなかったのですけどね。そう言うわけでカウロスには利益追求を最優先してロボットを奴隷同然に扱う裕福なグループ、仕事を無くしてロボットを恨むグループ、人間不信を募らせたロボットのグループ、裕福なグループの傲慢が原因と考えて共存を考えるグループと、大まかに分けて4つのグループがあったわけですが、各グループ内でも過激派から穏健派まで分かれていて今回の戦争は過激派同士がぶつかった形で始まりました」
「最初はロボットのグループの発電工場占拠から始まったわ。裕福なグループは仕事を全部ロボット任せにしておきながら自分達は遊んだりしていたものだから、ロボット達が影で準備していたことに気付かなかったみたいなの。それによもやそんなことになるとは思っていなかったのもあるみたいね。当然裕福なグループはどうにかしようとしたし、仕事を無くした人達の中からもこのままではいずれロボットに支配されると考えた人達がロボットを襲い始めて、それで人間不信を深めたロボット達がさらに人間を襲うようになったの。しかも、共存派の中にも極端な考え方の人達がいて、共存しようとしない人達を攻撃しだしたのね。穏健派の人達はさすがに問題だと思って、とりあえず沈静化を図ろうとはしたけれども、過激派の人はそれさえも裏切りだと言って攻撃したわけ」
「そう言った流れでこの内戦は泥沼化しました。さらにこの内戦を見てそれ見たことかと、他の国でも心を持つロボットを快く思っていない人達も勢いづいて、中には武力行為に走る人達も出て来ました。同時に関係悪化のひどかった所ではロボット側も人間不信派に同調する人が出てきて、最初は内戦だったのがあちこちで同じような事件が多発しました。そしてそれがさらなる悪循環を招き、現在に至るわけです」
「歴史は繰り返すとはよく言ったものね……」
市長の呟きに、この場にいた全員が頷きました。ロボットがらみであるということを除けば、同じようなことは過去に幾度となくありました。そしてその結果どうなったかは言うまでもないでしょう。この世界は、同じ過ちを何度繰り返せば気が済むのでしょうか?
「まあとりあえず、詳しいことはこのデータディスクに入ってるわ。リアナさんに渡すからコピーを取っておいてね。池山さんも見たければそこのモニターを使って良いから」
「分かりました」
私は渡されたデータを自分の中に取り込みました。150年分だけあってかなりの量で、容量は問題ないのですが数分かかり、その間は休憩となりました。
「春華、何か見ておきたいデータとかある?」
「そうだね。えーっと……」
データのコピーが終わり、モニターと接続した私は春華にそう尋ねました。春華は幾つかのデータを見た後、軽く溜息をつきました。
「私達って、こうして見ると守られた存在だったのね」
いち早く人間とロボットの関係を重視し良好な関係を築いてきた春野田市や、それをお手本に同じような道を辿ってきた街。私達が見てきたのはそういう街ばかりでした。しかし現実には、私達の知らない場所でそういった問題が起きていて、しかもそれが今や世界規模の問題となっているのです。ある種の理想的な状態に置かれていた春野田市の人々なら、私達でなくてもこの事実には驚くでしょう。
「さてと、ここからが本題なんだけど」
休憩が終わると市長がそう切り出しました。
「今、世界がどんどん悪い方向に進んでいるのは今までの話で分かったわね? このまま放っておくと世界規模の人間とロボットの戦争にまでなってしまう可能性が高くて、そうなってしまったらこの街もどうなるか分からないの。幸い、今ならまだ私達みたいに共存したいと考えてる人も沢山いるし、カウロスの共存派の人達からもお手紙が届いたりしているの。この街、春野田市では人間とロボットの素敵な関係を日常的に見ることが出来る。だからこそ、人間とロボットの関係がもっとも良い春野田市から、共存が出来るという事実とそのすばらしさを発信して、世界中で人間とロボットが手を取り合える未来を目指す必要があるの。2人なら分かってくれるよね?」
「はい」「もちろん」
春華と私がそう答えると、市長は一瞬笑顔になって、その後今日の中で一番真剣な顔になりました。
「そこでお2人に市長として、そして友人として、何より同じ未来を信じている人として、お願いがあります」
一旦息を飲み、急に敬語になった市長が続けました。
「人間とロボットの素敵な関係を伝えて両者が共存出来る未来を願う春野田市の代表、春野田市の国際親善大使になって貰えませんか?」
「えっ、私達がですか?」
「はい」
突然の依頼に春華が驚きの声を上げました。
「もちろん他の方にもお願いしますけど、他の街での人気もありますし、何より今のお2人の関係を考えればこれ以上の適任者はいないでしょう」
「そういうことなら、私は喜んでお受けしますけど……あれ、リアナ?」
「ちょっと待って下さい」
すぐに同意しない私に春華は疑問を持ったようでした。私も気持ちとしては春華と同じなのですが、しかし実際にやるかどうかとなると心配なことがありました。
「一応お受けしても良いとは思いますけど、平和な時期ならともかく今の状況を考えると危険を伴いますよね? 安全対策などはどうなるのですか?」
「必要な時にはちゃんと警備をつけます。それと国際人権機関のサポートも得られます。まあ、あまり危険な場所に行くようなことはないと思いますけど」
「そうですか……わかりました、お受けしましょう」
不安がぬぐい切れたわけではないですが、私達2人が適役なのは確かですし、それに両者の関係がさらに悪くなって春華とも別れなければいけなくなるのは絶対に嫌ですから。いざとなれば、私が春華を守ればいいのですし。
「ありがとう。2人ならそう言ってくれると思ったわ」
普段の言葉遣いに戻った市長はやわらかな笑顔でそう言いました。
後日、春野田公園で市長の方針演説と親善大使の発表が行われました。時期が時期だけあって今までになく厳しい警備の中でしたが、それでも終始荒れることなく式典は終わりました。親善大使に選ばれた人達には、私達の他にも世界的・全国的に有名なクリエイターやアーティスト・作家さんなどがいました。春華と親交のある人も多く(このあたりの春華の交流の広さは驚くものがあります)、式典の後に一緒に食事しながらこれからのことを話し合いました。そうそう、古田先生も大使に選ばれていました。ご先祖が共存のために力を尽くしたことや、最新の2作が内容は違えど共存を願うテーマだったからでしょう。
その翌週、スタジオでの春華デザインの夏物の撮影が終わり、色違いでおそろいのセーラーワンピース(春華がピンクで私が水色)に同色のリボンカチューシャ、ボーダーハイソックスにストラップシューズという格好でいつものように交流会をしていましたが、
「それにしても凄いですよねー」
「頑張って下さいね」
と、この時ばかりはファッションの話よりも親善大使の話で盛り上がりました。もちろん春華の服も評判良かったのですけどね。
4.望みの表と裏
最初に自分達は正しいと考え、それを基準にして物事を考える人達に、異なる考え方を受け入れて貰うのは困難を極めます。そういった人達を力で排除してしまうのは簡単ですが、その方法をとった時点で力を行使した側の理論に説得力がなくなってしまいます。本当に自分達の考えに自信があるのなら、力で押しつけなくても理解を求め続けられるのではないでしょうか? また、力は本来強大になればなるほどその扱いに繊細さが求められるのにもかかわらず、強大な力を持てば持つほどそれを失いやすいという性質を持っています。そして、それが新たな悲劇を招くという例は過去に何度もありました。時には力が必要なこともあるのでしょう。ですが、私達は出来る限り、僅かな可能性でもある限り、力での解決という手を取らないようにしないといけません。複雑な問題でも暴力に頼らないモデルを、未来のために作り上げる必要があるのです。
春野田市が平和共存を呼びかけた当初は、同じ平和共存派こそすぐに同調しましたが、共存派でも武闘派の人達や(共存と言いながら意見異なるからって排除してたら共存ではないじゃないですか、ねぇ)人間派やロボット派の人達にはほとんど相手にされませんでした。ですがねばり強く対話を続け、少しずつですが理解を広めていった結果、約半年で人間派とロボット派のそれぞれ最強硬派を除いて、とりあえずの停戦と対話による相互理解の推進の約束を取り付けることが出来ました。
私達も様々な活動を行いました。まず、親善大使にクリエイティブな仕事をする人が多かったこともあり、キャンペーンの一環としてコラボレート作品を作る話が持ち上がりました。世界でも指折りの文化芸術都市でもある特性を最大限生かそうというわけです。話し合いの結果、1本の映画を撮り、同時に原作本や作中で使われた衣装や小物など美術品の展示・販売などを行おうということになりました。もちろん内容は人間とロボットの関係について、そして主演は何と春華と私でした。撮影は夏休みの間に行われ、秋に世界公開されたこの作品は大きな反響を呼びました。作中で使われたロリータなお洋服にも沢山の注文があり、私達はお洋服と一緒に、メッセージカードや、お手紙が入っていた場合はその返事で、人間とロボットだって共存出来るよ、私達がそうしてるよと伝えました。他にもメディア出演などでの呼びかけや、中には各国を回るような人もいました。そう言った活動も功を奏したのかどうかまでは分かりませんが、私達が活動を始めて約1年が経った頃、春野田市で新たな国際法を作るための会議が行われることになりました。
「ついにここまできましたねー」
「そうですね」
国際会議まであと1週間と迫った日、私達は雑誌社のビルの一室で古田先生を含む3人でお話をしていました。部屋には先程まで打ち合わせが行われていたため、幾つかの服がサンプルとして並べられていています。ちなみにこれは全て春華のデザインで、春華は去年夏の映画で主演と衣装制作(ロリータ服系統)を担当した際、服の生産と販売元として新たにファッションブランドを立ち上げようとしていた雑誌社と契約を結び、そのまま新ブランド「peaceful fairy」のデザイナーに就任することになりました(モデルも続けています)。
「しかし、例の噂が気になりますね」
「あぁ、その件ですか。確かに問題ですけど、出来ることは限られていますからね」
私が口にした不安に先生はそう返しました。
一時は世界大戦の危機とも言われた状況でしたが、私達の呼びかけや過去の戦争の惨禍を繰り返してはいけないとの声も上がったことで、完全にとは言わないまでもほぼその危機は去ったと言えるでしょう。ですが、現在も一部の過激派は武力活動を続けているため、対話を呼びかけつつ攻撃された場合は反撃しているという状況です。
私が気になった噂というのは、その過激派が何らかの形で大量破壊兵器を入手した可能性があると言う話です。真偽のほどや詳細などは知らないのですが、もし本当だったら大変なことになります。そして、もし実際に所持していた場合、来週行われる国際会議が狙われるという事態は十分考えられます。
「調査具合はどうですか」
「相変わらずですね」
あくまで噂であることと、対話を呼びかけてはいるものの敵対関係と言うこともあって、相手側がないと言えばそれ以上どうしようもないという事情もあります。
「まあ、万が一の時の手もあると言えばあるのですけどね」
先生はそう言うと、時計を見てから立ち上がりました。
「さて、そろそろ会場に向かいましょうか。あまり遅くなっても何ですから」
「そうですね」「はい」
今日は各代表を迎える式典が午後から行われます。会議まで少し日がありますが、その間は他の代表との交流や春野田市の視察などに充てて貰うことになっています。私達も親善大使として参加しなければいけないので遅れるわけには行きません。もちろん服装はロリータで――春華はバーバリーチェックのジャケットと同じ柄で縁にレースの付いている王冠の刺繍が入ったネクタイ、これも同じ柄で3段レースの付いているスカートはドロワーズとパニエで膨らませて、白のレースハイソックスにコルク底の黒のシューズ、頭には黒のミニハットを乗せています。私は丸袖でレースとケープの付いた白いブラウスの上から、黒地でフロント部分にレースで縁取られた白いラインが入りその上にリボンが付いていて、スカート部分にも白いレースが付いたジャンパースカートを着て(もちろんスカート部分はパニエで膨らませて)、黒地で白いレース部分に黒いリボンの付いたハイソックスと同じく黒のストラップシューズ、頭には白いレースがあしらわれた黒のボンネット(後ろから被るスタイルの帽子)を被り、レースやリボンの付いたポシェットを肩からかけています。
「リアナ、どれくらいに着きそう?」
「えっと、20分前くらいかな」
「それくらいなら大丈夫でしょう」
念のため護衛の人に付いて貰いながら、それほど遠くはない会場へ徒歩で向かいました。
会場に着いた時には既に春野田市側の関係者は大体集まっていました。ですが代表側は予定していた人数の半分も来ていないようでした。そして、誰もがなにやら慌ただしく連絡を取り合っていました。
「あ、3人とも来たわね。ちょっとこっちに来てくれる?」
その様子に戸惑っていた私達を、市長が見つけて呼びに来ました。
「大変なことになったわ」
端末とモニターを繋いだメイファさんの前で市長がそう切り出しました。
「こっちの時間で13時に世界各地で人間派が穏健ロボット派を一斉に襲撃、ロボット派がこれに反撃したことから全面的な戦闘に突入したらしいの。14時過ぎには両者とも開戦宣言。名実共に戦争になってしまったわ」
「そんな……」
全く予想しなかった事態でした。今日の式典のあとに春野田市の姿を見てもらい、来週からの会議で新たな未来へ歩き出すのだと信じていましたから。
「律子さん、各代表からの返信です」
メイファさんがそう言ってモニターに一覧を表示します。市長は一通り目を通した後、顔をしかめて「最悪」と呟きました。
「どうしたのですか?」
「見て良いわよ。会議の名前で出したから関係者には見る権利あるし。むしろ見て。そして今何か起きているかを知ってちょうだい」
春華の問に早口で答えると、市長は電話で何かのやりとりを始めました。私達は言われた通り返信を見ていきました。返信の元となっているのは春野田国際会議の名で出した今回の事態に関する質問状です。そして返信の内容ですが……何と言えばいいのでしょう、言いようのない感覚に陥りました。戦闘自体へのロボット派の正当防衛という理論は分かります。ですが人間派の襲撃理由や双方の開戦理由、さらにこの会議自体などへのメッセージを見て、私はこの世界のことが分からなくなってしまいました。
内容を要約すると次の通りです。まず、双方とも戦力的な都合での停戦で対話の意思は一貫してありませんでした。そして開戦理由はある程度戦力が整ったことと、人間派は現状に耐えきれなかったそうです。つまり、私達との約束は単に時間稼ぎのための口実だったということです。そして、共存派に対しても自分達と同調しないのであれば敵と判断する、さらに双方とも核兵器を所持しており状況次第では使用をも辞さないとのことでした。会議に対してもはじめから参加するつもりはなく、むしろこの式典の日を開戦日とすることを裏で決めていたそうです。私達の考えに対しても幻想だとか甘いとか書かれていましたが、そこら辺は主観なので捨て置きます。しかも春野田市に対しては一定時間内に回答を要求、同調しなければ核攻撃という物までありました。
「ねぇ……」
返信を一通り見た後、最初に口を開いたのは春華でした。
「私達がやってきた事って、何だったのかな……」
「春華……」
「誰かに脅されたわけでも買収されたわけでもない、ただ争って欲しくないから、手を取り合って欲しいから、頑張ってきたのに、共存出来ることも示してきたのに、全部、無駄だったのかな……」
「そんなことはないですよ」
春華の絶望めいた言葉に先生が返しました。
「共存派になった人達も多いですし、少なくとも半年は争いを止めることが出来ました。このような事態になってしまったのは残念ですが、だからといってこれまでしてきたことが無駄だったなんて事はないはずですよ」
先生の言ったことは確かにその通りです。が、悲しい事に私も春華もこの状況から導き出される最も高い可能性に気付かないほど頭は悪くありませんでした。
「確かにそうです。けど、世界が滅んでしまったら何にもならないじゃないですか……」
「春華……まだそうなるって決まったわけじゃないわ。今は出来ることをしないと、ね?」
「うん……」
何とかなる可能性はかなり低いと言えました。それを分かった上でこう言ったのは、ひょっとしたら私自身を支えるためでもあったのかもしれません。
本来なら未来への入り口となるはずだった式典会場が、現状説明と対策に使われることになりました。結局の所、会場に来たのは春野田市関係者の他に共存派と穏健ロボット派のみでした。市長の説明の後対策会議に入りましたが、特に実のある議論が出来たわけではありませんでした。いえ、むしろ議論のしようがなかったという方が正しいのかも知れません。
人間派、ロボット派、そのどちらもが自分達に同調しない者は全て敵だと言っています。そして敵に対しては核攻撃も辞さないと言っています。返信内容から推測するに、おそらく双方とも聴く耳は持っていないでしょう。もしもこれが単に意見の食い違いで妥協出来る可能性もあるなら、あるいは解決法も見出せたかも知れません。しかし、妥協の可能性もなく、それ以前に同調がすなわち自らの存在否定に直結するような状況では、どちらかがいなくならない限り……いえ、共存派も含めて1つの派閥だけにならない限り、事態は収束しないでしょう。それだけでもどれだけの犠牲が出るか分からないですが、さらにその場合、自分達の希望を奪われた側が相手側を許すことが出来るでしょうか?
だからといって何もしないわけにはいかなかったので、とりあえず再度立場表明をして、以後の対応は各地域毎で取ることにしました。既に攻撃宣言をされているに等しい春野田市からは早急に離れる必要があり、自分達の団体の行動を決める必要もあるため、各代表は早めにこの街を離れ、周辺の街の人々にも避難してもらうことになりました。
「メイファ、着弾まで最短予測でどれくらい?」
「おおよそ25分というところですね」
代表の方々が会場を出た後は早急に春野田市の対応を決めなくてはいけません。今メイファさんが答えたのは核兵器を使用された場合の時間猶予です。両派共に春野田市に対して同調しない場合は核攻撃と言っているので、言葉通りならどのような声明を出しても核攻撃は行われることになります。おそらく市の宣言はギリギリまで伸ばすのでしょうけど、それでも残り約21時間しかありません。
「時間がないので市長権限で指示を出すことを許して下さい」
会場に来ていた大使や市職員・議会議員を集め、市役所の職員は一室に集めた上でモニター中継を繋げたところで市長がそう切り出しました。反論する人はいませんでした。というよりそんなことをしている場合ではありません。
「まず市民の避難です。緊急通信で避難準備をした上でこちらの指示に従うように伝えます。メイファ、お願いね。広報担当はデータ行ったら回って」
「はい」「わかりました」
メイファさんが素早く端末を操作しました。緊急通信は市内LANを通じて全家族にメールで届くと共に市内の各報道機関にも送られます。春野田市は街の特殊性保持(一部情報の遮断)のため、報道機関には市内に専用の中継局設置を義務づけていますから、各報道機関もすぐにこれを伝えます。市役所も届いたら広報車で知らせに回ります。さらにロボット同士のデータ通信も使用されるので、私にもその内容が届きます。市長が言った内容の他に状況説明や荷物や移動手段について、各地区毎のスケジュールなどがありました。
「避難先は後で伝えます。次に皆様ですが、それぞれの居住地区の移動先での統率役をお願いします。足りない地区は市職員を回します。必ず人間とロボットの組での行動をお願いします。ロボットの皆さんはメイファから通信用データを受け取って下さい」
そう言われた後に、メイファさんから専用通信のデータが送られてきました。
「最後に、これだけは皆様に確認を取る必要があります。春野田市はタイムリミットギリギリに受信内容の公開と市としての宣言を行います。そして、改めて平和共存派としての宣言をし、両派に再考を求めるつもりでいます。異議のある方は?」
手を挙げる人はいませんでした。もとより市の立場は常にこうでしたし、状況から考えても他の選択肢はないでしょう。
「では、これにて一度解散します。市の関係者は指示があるので残ること。大使の皆様は避難準備に入って下さい。以後の指示はメイファを通じて行います」
そう言って私達は帰されました。帰る際にロボットには黒くて細長いケースが渡されたのですが、妙に重いですしこれは一体何なのでしょうか? 緊急時以外は開けるなとのことですが……。
避難スケジュールは21時から運搬トラックが巡回開始、移動は24時スタートとなっています。避難先に基本的な生活用品は大体揃っているそうですが、持っていく物には特に制限はなく、私達はなるべく今と同じ生活を避難先でも出来るようにいろんな物を荷造りしました。
「春華、他には何かある?」
「うーん、後は大丈夫かなー」
現在部屋に残っているのはクローゼットに机にパソコン(データは全てコピー済み)、TVに電話機に本棚くらいで、大型家具類などがないため少な目ではありますが、さながらお引っ越しのような状態です。と言うより、おそらく戻ってこられないのでお引っ越しそのものとも言えるでしょうけど。
「あ、そうだ」
「ん、どうしたの?」
春華の疑問をよそに私は新品の高密度データディスクを取りだし、私自身の全システム・データをコピーして春華に預けました。あまり考えたくはないのですが、万が一に備えてのことです。
「リアナ、これって……」
「もしものためのバックアップよ。多分大丈夫とは思うけど念のためね」
「そっか……って、peaceful fairyのはどうしよう?」
「あ……」
急いでいたためかそっちのことはすっかり忘れていました。私は雑誌社の人に連絡を取りました。幸い私達が地区担当なのはすぐに連絡されていたため、代わりに荷造りをやってくれるそうです。とりあえず一通り全部運んでほしいという春華の伝言を伝えておきました。
携帯品を除く荷物は市のトラックが運んでいきました。そして23時半頃になって、緊急通信で各地区の移動先が指示されました。私達の地区は春野田公園の南東部に移動です。地区毎と言っても各地区平均1万人ほど住んでいるので(市の人口は10万人前後です)市職員の指示で何回かに分けて行われます。私達は向こうでの統率役をしなければならないのでスケジュールよりも少し早めに移動します(春華のご両親とは別行動になります)。
私達を迎えに来た警備ロボット達は、見た目では分かりませんが私の全く知らないタイプでした。メイファさんからの情報では避難先である春野田市の地下プラントで作られたらしいです。市の全住民を避難させることが出来る地下構造物なんてにわかには信じがたいのですが、今はそんなことを考えている場合ではありません。それよりも過激派の工作員が入り込んだという情報の方が今は心配です(そのせいか警備ロボットの中に大きな銃を持ってる人がいますし)。
公園に着いた私達はそのまま市職員に地下街(公園と直結)へと案内され、普段は関係者以外立ち入り禁止とされている階段を下るように言われました。言われた通りに春華が1歩踏み出した瞬間、何かが火薬で飛んでくる音がしました。一緒にいた警備ロボットが突然走り出し、そのうちの1人が銃を構えて発砲しました。高速で発射された弾丸は迫ってきていた何かに当たり、直後に爆発を起こしました。弾丸自体にそのような爆発力はなさそうなので飛んできた何かの火薬でしょう。爆発地点の天井と床にはわずかにですがひびが入り、直後に再び飛来音がし、同時に通路の影から戦闘タイプのロボットが飛び出して銃撃……いえ、砲撃をしてきました。私は階段に隠れてメイファさんに連絡を取りました。
「メイファさん、リアナです、戦闘型ロボットから攻撃を受けています」
「情報は受けています。援軍を向かわせていますので、申し訳ないのですがそれまでの間リアナさんも応戦して下さい」
「応戦ってどうやってですか? それと春華は?」
「春華さんは先に行って貰って下さい。渡したケースの中にライフルが入っているので応戦にはそれを使って下さい。使い方は開ければ分かります」
私はメイファさんの指示通り、戸惑っている春華を先に行かせた後で預かっていたケースを開けました。中に入っていたのはW200スナイパーライフル、20口径で専用の高速弾と電磁障害弾を使用出来る優れものです。って、私は何でこんな事を知っているのでしょう? 銃なんて撃ったことはおろか実物を見たことさえなかったのに。ですが、知らないはずの銃の名称から扱い方までもが銃を見た瞬間に何故か分かり、同時に周辺の味方のロボットとのデータリンクも行っていました。おそらく隠しデータか何かを仕込まれていたのでしょう。
共有情報からこちらが不利なことは瞬時に分かりました。こちら側3人(私を除く)がアサルトライフルなどの小火器、少しマシでも8.75mmガトリング砲(さっき言ってた大きな銃ね)しかないのに対し、向こうは30mmキャノン砲や小型ミサイルまで持っている上に30人ほどいるようです。出来ることなら逃げ出したいところですがそれでは春華が危険です。私は電障弾をセットしました。これなら一時的にですが相手の電子回路にダメージを与え無力化出来ます。服に穴も空くかもですが、さすがにこんな時にまで気を遣ってられません。乙女ならやってやれです。そう自分に言い聞かせて飛び出しざまに2発、30mmキャノンで砲撃を続けていた2人に撃ち込みました。自分でも驚くほど正確に命中させ、そのままもう2人も沈黙させます。残りのキャノン装備は26.25mmキャノンが2人に22mm速射砲が2人、電障弾を撃ち込んだ相手もいずれ復帰するでしょうが、それまでには援軍が来るはずです。4人で32人(電障弾撃った分引いても28人)を相手するなんてでたらめも良いところなのですが、どうやら相手が旧式なのもあってキャノンさえ黙らせればどうにかなるそうです(ミサイルは撃ち落とせるから良いとして白兵戦型6人に機関砲型12人を相手に出来るって……)。とにかく私がキャノンを黙らせないことにはどうにもなりません。幸いミサイルと30mm以外には射程外から撃てるので、少し下がってまず残りの2発で26.25mm、弾倉を交換して22mm速射砲も黙らせます。後は高速弾に換装して味方への援護です。電障弾はあと10発なので温存します。
いくら性能差があるとはいえ何かを守りながら戦うのは難しいものです。今回の場合、私が破壊されるわけにはいかないらしく、私を狙う敵を最優先で攻撃しているため3人へのダメージは少しずつですがかさんでゆきました。私も普段では有り得ないような駆動で回避していますが全くの無傷ではありません。なんとか9人ほど無力化したものの、そろそろ味方も限界でホントに大丈夫なの? と思ったところでようやく援軍が来てくれました。10mmリニアキャノン装備の戦闘型ロボットなんて物騒な物をどうやって用意したのかはともかくとして、瞬く間に相手は無力化されました。
「とりあえずこれで全部か……そうか。新たな侵入者がいるかも知れないから警戒は続けてくれ」
援軍を指揮していた人が電話で話すのを横で聞きながら、私はライフルから弾倉を外しケースにしまいました。って、あれ? 私は一体何をしたの? 確か攻撃をされて春華に先に行って貰って、銃を出して相手を撃って……傷つけた? 何て事をしてしまったのでしょうか私は。あくまで無力化であり殺人ではないとはいえ、呼びかけもせずにいきなり銃で撃ったなんて……。
「さぁ、行きますよ……あれ、どうかしましたか?」
「あの、私、あの人達を傷つけてしまったんですよね? 正当防衛とは言え呼びかけもせずに……」
戦闘が収まったと聞いたのか案内役の人が迎えに来ましたが、私は自分のしたことのショックに立ち上がることが出来ませんでした。
「あぁ、それなら大丈夫ですよ。あれは心を持たないロボットですから」
「そうだとしても、確認を取らなかったんですよ?」
「もし判明していなければ防御射撃しながら呼びかけています。おそらくデータリンクの時に無力化対象としての認識が一緒に送られたのでしょう」
「そう、ですか」
「リアナさんが気にする必要はないですよ、あくまでこちら側が指示したことでもありますし。それより早く行きましょう、池山さんが待っています」
「わかりました」
そう言われ、私は何とか立ち上がりました。私を守って下さった3人はダメージが大きく応急処置を受けて運ばれていましたが、そのおかげなのか私は服と体の表面に傷を負った程度で済んでいます。スカートはパニエで膨らませていたためか弾痕が多めですが、逆にそれが私自身への直撃を減らしていたのかも知れません。その代わり結構無茶な駆動をしたので、状況が落ち着いたらすぐにメンテナンスを受ける必要がありそうです。
「それだけ傷ついてもなお相手を思えるだけ、凄いですよ」
「そうですか」
そんな感じで励まされたり、先程出て来た疑問を聞いてもらったりしながら、私達は通路の奥へと向かいました。
「リアナ、大丈夫なの?」
「ちょっと無茶な動きはしたけど、とりあえずは大丈夫よ」
「そう、よかった……」
春華達と合流した私達は、エレベーターで地下プラントへと向かいました。エレベーターと言ってもジェット機を運べそうなくらい大きくて、7人しかいないので無駄に広く感じてしまいます。
プラントにある研究所では地底での環境調整から生物遺伝情報の保存や絶滅生物の再現など、さまざまな研究が行われていました。先程の味方戦闘ロボットも秘密裏に作られていたそうです(地下プラントに避難するような状況なら護衛もいるだろうと言うことらしいです)。そして、生活環境技術に関しては完全に地上から隔離された状態でも暮らせるくらいになっているそうです。
「でも、服がこんなのになっちゃった。ごめんね」
「いいよぉリアナが無事なら」
「むしろ服に守られたかも知れないんだけどね」
「えーっ、そんなことないよぉ」
「だって、服でシルエットが膨らむ分私自身への狙いは甘くなるじゃない」
「そう言われればそうかも……」
先程言ったスカートだけではなく、頭のボンネットやブラウスの袖口のレースなどカジュアルな服装などと比べれば装飾過多とも言える服装な分、シルエットが膨らみ、目立つ見た目の割に被弾率を下げていたかも知れません。正確に身体の中心とか狙われると意味無いですがシルエットを適当に狙う分には効果はあるでしょう。まぁ、軍事分野には詳しくないので、実は全く意味がなかったのかも知れないですが。それにしても、厚底のストラップシューズでよくあんなに動きましたね、私。そんな話をしていると、まもなくエレベーターが止まり大きな扉が開きました。
5.空が揺れた日
春野田市の地下プラントは、元々市の地下にあった空洞に地底生活の可能性を探るために作られた研究施設でした。それが春野田市民全員を収容出来るような巨大地下施設になったのは、土橋誠造氏の提言がきっかけだったそうです。誠造氏はもしも人間とロボットが戦争に突入した場合、ロボット側が地球の汚染などを全く無視して戦いを進める可能性があると言っていたそうです。そうなった場合、地上はロボット以外生息出来ない環境になり、生き残るにはそれ以外の場所へと生活圏を移す必要が出て来ます。当時はまだ世界的に両者の関係が良くなかったため、実際にそうなってしまう危険性もあったそうです。そこで当時の春野田市長は、地下研究施設を秘密裏に拡充し巨大なシェルター兼実験場とすることにしたそうです。幸いにもその後は両者の関係が良くなっていったために、実際にそのような危機が訪れることはありませんでした。ですが万が一のことを考えれば存続しておいた方がいいという事になり、地下プラントは一部の関係者を除いて知られることのないまま存続し、そして今日という日を迎えることになりました。
プラントに出た時、最初春華は地下に移動してきたことに気がついていないようでした。エレベーターから降りて来た時と同じように地下通路を通り、地下街から公園に出るまで、ちょうど来る時と同じ道を逆に辿るような感じだったからです。私はセンサーで現在位置の確認などが出来ますし、戦闘を繰り広げたはずの場所に何の痕跡もなかったので、地上ではないことは分かっていましたけどね。ですが、私も公園に出た時には驚きました。目の前には地上とほぼ変わらない春野田市の風景があったのです。
「あれ?」
春華が疑問の声を上げるのも無理ありません。それくらい、地上とそっくりでしたから。
「春華、見た感じは地上と変わらないけど地下150mだよ、ここ」
「へぇ〜……」
「あの、いいですか?」
そう言えば感心している場合ではありませんでした。急いで到着したとの連絡を地下研究所に入れて、市職員の方に返事をしました。
「あっ、はい」
「見ての通りこのプラントは春野田市と全く同じ構造をしています。街の人には誘導の際にも説明しますが、皆様には地上での住所と同じ家に入って貰います。池山さんは公園に出て来た人の誘導をお願いします。その際なるべく小地区単位での行動をして貰うよう指示して下さい。リアナさんには家に着いた際の信号が届くようになってますから、それを使っての世帯確認を行って下さい。地上との連絡は研究所を通せば可能です。もし何かあった場合はすぐに研究所に連絡を取って下さい。何か質問はありますか?」
市職員の人が今後の手順を説明してくれました。そんなに難しいことはなさそうですね。事件とかが起こらなければ、ですが。
「大丈夫ですね」
「特にないですよ」
「では、私達は戻りますので、よろしくお願いしますね」
「分かりました」
そういって市職員のお2人は地下街に戻って行きました。
「……って、そういえば研究所との連絡は取れるの?」
「大丈夫、メイファさんから教えて貰ってるから。さっき到着の連絡も入れたし」
「そっか」
とりあえず町の人達が来るまではしばらく2人きりです。トラックの走る音はしているので荷物を運んでいる人はいるのでしょうけど、少なくとも間近には誰も居ないはずです。
「それにしても、スカート穴だらけだねー」
「そうね……あれだけ相手にしてこの程度で済んでいるのもある意味奇跡だけど」
「肩とか、こうしてみると結構痛そうだね」
「うーん、とりあえずは大丈夫かな」
「リアナ、ありがとね……」
だからでしょうか、そんな会話のあと、何と春華に抱きしめられてしまいました。
「いいよ、春華が無事で済んだなら私も嬉しいし……」
そう言って私も抱き返します。こんな姿誰かに見られたら恥ずかしいのですが、トラックは家とかしか回らないはずですし、各地区担当の人は持ち場を離れられないですし、エレベーターの所要時間考えればまだ街の人も来ないですし、だから、きっと、だいじょう「あのぉ」ぶぅっ!?
「みぎゃっ!?」
「はわっ!?」
突然声を、しかも誰も来ないと思って立ったまま抱き合っている状態でかけられたものですから、そりゃあ凄い驚きようです。思わず2人して変な声を上げてしまいました。ちなみに前者が春華で後者が私。慌てて体を離して声をした方を見ると男の人が立っていました。
「え、えーっとぉ、どなた、でしょうか」
えーい、落ち着け私、静まれ心臓(って、私ロボットだから心臓無いじゃん)。
「あ、研究所からお手伝いに行けって言われて来たんですけど……」
「あ、そうなのですか」
何とか平静を取り戻して対応します。というか、春華も早く落ち着いてよ。
「んー……では、とりあえず誘導のお手伝いをお願い出来ますか?」
「わかりました」
「ではそういうことで……春華、ねぇちょっと落ちついてってば」
「あ、え、えっと、な、なにかな?」
なんだかいつぞやと立場が逆な気がしてきました。
「とりあえず誘導の方が大変そうだからお手伝いお願いしたよ」
「そ、そう、ありがと」
「あーもう、とりあえず深呼吸でもしてみたら? ほら吸って」
「すぅ〜っ」
「吐いて」
「リアナ、私そんなはしたないこと出来ないよ」
「はい?」
「乙女が、そ、そんな、人前で、胃の……」
「そんな意味じゃなーいっ」
乙女にそんなこと最後まで言わせるものですか。しかし困りました、春華ってば本気で混乱してます。
「そうじゃなくて息を吐くの」
「ほうき無いよ?」
「それでもないってば」
「足入らないよ」
「それも違う……」
ホントにどうしたものでしょう? 春華は一向にまともに取り合って……あれ? このパターンってひょっとして……。
「春華」
「何かな?」
「遊ばれてる?」
「うん」
「……泣いて良い?」
「良いけどあの人困るよ?」
「じゃあ抱きつく」
「わぁっ、ゴメン」
もぉ、そんな方法で落ち着きを取り戻さないでよ……。
「だ、だって、深呼吸で吸ってって言われて思いついちゃったからつい……」
憔悴しきったような仕草を取った私に春華は慌ててフォローを入れました。いえ、だからってこんな所で漫才やらなくてもいいと思うんですけど。
「えーっと……あ、怪我とかは大丈夫なのですか?」
「表面だけなので特に支障はないですよ」
「そうですか」
目の前の状況に圧倒されたのか戸惑っていた男の人は、とりあえず私の状態を訊くことにしたようです。ちょうど良いのでついでに準備をしてしまいましょう。
「あ、誘導の内容ってご存知ですか?」
「いえ」
「では説明しておかないといけませんね」
そう言って私と春華は誘導についての説明をして、一通りの確認が終わったところでちょうど町の人達が地下街から出て来ました。
その後、街の人の避難は順調に進みました。時折はぐれてしまい迷子になる人もでましたが、私が家に連絡を取ったりお手伝いに来て下さった男の人にお任せしたりで、5時間ほどで私達の担当地区の移動は終了しました。最終確認を取ったあとメイファさんと連絡を取り、帰宅許可を貰って家に帰った時にはすっかり外が明るくなっていました(昼夜も再現されているのですね)。
「疲れたねー」
「そうね」
ほぼ徹夜だったこともあり、春華は相当疲れているでしょう。私も長時間活動した上に無茶もしましたので回路を休ませる必要があります。それに午後から大事な会議がありますし。
「それじゃ、おやすみ〜」
「おやすみ」
届けられた荷物からパジャマだけ取り出し、私達は眠りに就きました。
目を覚ました時にはすっかり日が高くなっていました。時間はお昼少し前、起きて最初にしたことはやはりお洋服をクローゼットに入れることでした。その他の雑貨類は後回しに出来ますが、これだけは済ませないとお洋服選びが大変です。
春華が昼食を取ったあと、私達は研究所へと向かいました。春野田市の親善大使や市議員が集まって、市の立場表明文案の最終調整を行うためです。
集まった私達に対し、メイファさんから市長の文案が送られてきました。その出来はかなりよかったのですが、大勢の目で見ると気付く部分もあり、幾つかの修正が為されました。
修正が終わる頃には立場表明の5分前となっていました。私達はそのまま、地上の情報を唯一受信出来る研究所で立場表明の中継を見ることにしました。カメラと音声の担当はプラント直属のロボット、表明場所は国際会議のために用意されていた会場です。春野田市の立場表明があるという話は既にニュースで流れ全世界が注目しているはずです。そしてまさに宣告された制限時間ギリギリのタイミングで、メイファさんを伴った市長による立場表明が始まりました。
「昨日、人間派とロボット派が戦争に突入したことは、皆様もご存知だと思います。私は春野田市で予定されていた国際会議の名で、会議に参加しなかった両派の各団体に質問状を出しました。その返答は、両派とも『自分達と同調しない者は全て敵である』でした。そして、私達は同時に恐ろしいことを知りました。それは、両派共に各兵器を所持しているということです。さらに両派の数団体から春野田市に対し、自分達と同調しなければ核攻撃をするとの宣告も受けました。核攻撃の宣告をした団体は、その団体同士の核戦争を防ぐため伏せておきます。ですが、このような状況が続くならいずれそうなるでしょう。その事が分からないほど皆様は愚かではないと思っています。むしろ未来を考えることが出来る賢明な方々だと信じて、春野田市の立場を表明します。私達は、人間とロボットの共存を実践・推奨してきた街として、改めて両者に戦闘停止と対話の再開を求めます。そして、私達の言葉を耳に入れずこの戦争を続け、この星に破滅を招く事の無きよう願います」
これが全文です。穏健ロボット派が会議に参加していたことや不必要に刺激しないこと、なおかつ事態の深刻さに気付いて貰う事を考慮しこのようになりました。
世界は、両派は、一体どのような反応をするのでしょうか? 何を今さらと戦争を続けるのか、立ち止まってくれるのか、たとえ春野田市に核が落とされたとしても、それが一部の過激派だけで、多くの人々が危険性に気付いて未来へ向かってくれればいいのですが、場合によっては強硬派が暴走と言うことも考えられますし。ともかく、まずは反応待ちですね。
反応は、しかし、色よいものではありませんでした。まず、両過激派から核攻撃宣言がなされ、直後に長距離ミサイルの発射が確認されました。続いて、両派それぞれの連合代表(いつの間に連合なんて出来たのでしょうか?)からも攻撃宣言が為されましたが、既に複数の核弾頭が迫っているのでほとんど意味はないでしょう(あるいは追認行為でしょうか?)。
市長とメイファさんがプラントに入ったのを確認して、地下プラントは地上からほぼ完全に隔離されました。これからしばらく、私達は地上へ戻ることはおろか一切の連絡なども出来なくなります(情報だけは研究所の地上探査隊から間接的に入手可能ですが)。そして数分後、遥か上の大地に轟音が響き、この日の空は夜になるまで、何度も揺れたのでした。
6.青空を求めて
心を持つというのは、一体どういう事なのでしょうか?
心を持つということは素晴らしいことです。それは多くの人が認め、疑わないことでしょう。ですが、もし心を持つことが苦痛にしかならなかったとしたら一体どうすればよいのでしょうか?
ロボットは人間のために作られます。それは心を持っているかどうかに関わらずあてはまります。ですが心を持つということは、自らの意思を持ち行動するようになるということでもあります。それ故に人間の心理状態に配慮することも出来ますが、自らがやりたいことなども出てくるようになります。人間の行動に心がどのような影響を及ぼしているかを考えれば、心を持たせることがどのような意味を持つのかにも気付くことが出来たでしょう。
土橋誠造氏はそれに気付いていたからこそ警告をしました。ですが、多くの人は「心を持たせる」ことよりも「ロボットである」事を重視しました。故に心を持つロボットが生まれた時、「心を持つ相手」として接することが出来なかったのです。
人間派は、ロボットが心を持っても変わることが出来ませんでした。あくまでロボットを道具としてしか扱わず、便利と言うだけで心を持たせ、しかしそれを認めないと言う矛盾した行為によりロボット達の不満を募らせてゆきました。
ロボット派は心を持っているにもかかわらずそれを認めて貰えないことを苦しみ、人間がいなければ自分達は自由になると考え人間を滅ぼそうとしました。
人間派は、所詮はロボットだから電源を落としてしまえばいいと考えていたそうです。心を持っていることを都合良く解釈し、命を脅せば最後は従うだろうと考えていたそうです。
ロボット派は、あくまで自分達の自由を求めていました。それ故に、穏健派の人達は私達共存派に同調し、手を取り合う道を選びました。ですが、人間を滅ぼすことこそ自分達が幸せになる方法と固く信じる人達は、共存派の意見を受け入れることはありませんでした。
誰かの何かが間違っていたと言うのは簡単です。ですが、その自分が間違っていないという保証があるのでしょうか? この世界には、いろんな考えの人がいます。その様々な考えを正しいと間違いに分けるだけで、手を取り合えるようになるとは、私には思えないのです。ならば、一体どうすればいいのでしょうか?
相手を一個の存在として認め、お互い尊重すること――たったそれだけのことを世界中の人が行っていれば、あるいは全く違う未来になったのかもしれません。ですが、現実はそうはなりませんでした。自ら生み出したものに滅ぼされる存在と、自らを生み出したものに滅ぼされる存在、まるで喜劇のようなこの終幕は、しかし、余りにも大きな犠牲を伴ったのです。
春野田市に核が落ちた後の地上の様子は、プラントの専属ロボット達が集めています。あの後の地上は悲惨でした。戦争は核戦争へと発展し、最終的にはロボット側が人間を全滅させるために地球を核汚染する作戦を実行し、全滅を悟った人間側はロボット側も全滅させようと全土を核攻撃しました。その結果、地上は高濃度の放射能に汚染され、動植物もほぼ死滅したそうです(水中も死の灰の影響で生物がほぼ死滅したそうです)。ロボットも電源プラントが破壊され、物資の枯渇もあってほぼ全滅したそうです。それを最後に電波が途絶えたため、以降は春野田市周辺の様子しか分からなくなりました。現在、地上に太陽が昇ることはなく、黒い雨が延々と降り続いているそうです。
私はあの後、黒いケースを返却し、代わりにレプリカの銃を持たされ戦闘時の服で写真を撮られてからメンテナンスを受けました。なんでも一連の事件を風化させないように展示するそうです(もちろん私や池山家の許可は得ています)。写真だけでなく、実際にあの日着ていた服も等身大に再現されたドールに着せて展示するそうです。また、毎年あの日を記念日として式典が行われることとなりました。もちろん、親善大使となった人達との交流は、似た業種の人が多いこともありその後も続いています。
私達は、大使の仕事がほぼ無くなったこと以外は地上と変わらない生活を送っています。peaceful fairyの業績は割と順調で、近々同系列のブランドが集まってのイベントもあるので今日も準備に追われています。古田先生は近々新作を出すそうで、土橋市長は今日もメイファさんと市長のお仕事をしています。
「んーっ、やっぱ外はいいなぁ」
昼食を済ませた後、私達は気分転換を兼ねて公園のベンチでひと休みすることにしました。ここ数日はイベントの打ち合わせとかで特に忙しいのでたまの息抜きは本当に大事です。
「今日もいい天気だねー」
「そうね」
プラントに来てから、私達は空を眺めることが多くなりました。意外なことに地下でも季節や天気があるので(地上の再現と水循環のためだそうです)、秋の時期のここ数日の晴天はやはり嬉しいものでした。
「早く本物が見たいなぁ……」
「そうね……」
あれから半年弱経った今でも黒い雨は降り続いているそうで、毎日配信される地上の写真もほとんど同じものばかりでした。なるべく早く地上に戻れる方がよいと言うことで、現在研究所では地上の放射能を除去する方法を研究しているそうです。それがいつになるかは分からないのですが、きっとそう遠くないうちにその日はやってくるでしょう。これだけの人数の生活を維持出来たりと、技術力は凄いですから。
「大丈夫だよ春華、近いうちにきっと、ね」
「そっか、そうだよね」
そう、私達は信じています。お互いのことを、この街の人を、いつか地上に出られることを。
「あっ、春華大変、これ見て」
「え、どうしたの? ……わ、これって」
そして、未来を――共存への期待を裏切られ、夢を語れなくなった人達が春野田市にも少なからず居たのですが、その人達に冷たいことを言われても、私達がこうしていることが何よりの可能性ですから。これまでもそうやって生きていたように、これからもそうやって生きていくつもりです。誰かが未来に夢を持ち続ける限り、希望が消えることはないのです。
「太陽の」「光だ……」
研究所から緊急で届いた地上の写真、その僅かな太陽の光に、だから、私はそっと祈りました。
――いつかあの黒い雨が止み、地上に戻ることが出来たなら
今度こそ、人間とロボットが共存出来る世界に――