風邪を引いた日
トントン……トントン……トントン……
台所から良い匂いが漂ってくる。匂いだけでも食欲がわいてくるようだ。
……ちょっと待て台所だと? なぜ? 誰が?
俺はうまく働かない体をおして台所に行ってみる。
「朋也起きたか。もうすぐお粥ができるからおとなしくしていろ」
俺は自分の目を疑ってしまった。次々と疑問が湧いてきたのでとりあえず今の状況を整理してみよう。
文章の基本は5W1Hだったな。
いつ?今日だ。
どこで?ウチの台所で。
誰が?智代が。
何を?食材を。
どうやって?調理具を使って。
何をしている?料理を作っている。
答え。智代が今台所で料理を作っている。
状況整理が終わったがまだ混乱している頭でとりあえず後で春原に一発いれておこうと決めた。
何故春原を殴るかって?もちろん春原だからだ。
「じっと見るな。照れるじゃないか」
智代が顔を赤らめてこっちを見ている。……勘違いをしているがなんか可愛いらしい。
「さあ、そこに座っていろ。おとなしくしていないと治るものも治らなくなるぞ」
俺は言われたとおりにお粥ができるのを待つことにする。いい匂いがしてきてうまそうだ。
「って違う。智代、何でおまえがまだこんなところにいるんだ?」
「何をそんなに驚いている。お前が風邪を引いているからお粥を作ってあげてるんじゃないか」
俺はあわてて聞いたが、智代は当然じゃないかと言わんばかりにこっちを見ている。
「待て。それは理由になっているのか?」
「理由にならないのか?」
「ならない」
「なんだ……そういうことか」
質問の意味を分かってくれたのだろうか。
「私の作った料理など食べたくなかったということだな。それは済まなかった。」
「いや、わざわざ作ってくれたことはありがたいぞ」
智代が悲しそうにするのを見てこっちが悪いことをしたような気がしてくるのですかさず言い返す。
むしろ料理なんか作れやしないのでかなりありがたいのである。
「なんだ、まぎらわしい。そういう時は素直に礼をいうものだぞ。おっとお前は素直になど言えんな」
何かバカにされているような気がする。バカは春原だけで十分だ。もう一発追加しておこう。
「さあできたぞ。熱いから気をつけて食べろ。」
とりあえずまた、ラグビー部の連中に処分してもらおう。そんなことを考えてできたことに気づかないでいたら、
「どうした、食べないのか。それとも私に冷ましてもらいたいのか」
なんてからかうように言われた。やられっぱなしなのでここは反撃してやろう。
「おう」
「なっ」
即答してやった。おーおー顔を真っ赤にして困ってる。よし、ここで追い討ちだ。
「できれば食べさせてくれ」
さらに困っているようだ。反撃には成功したな。まあこのあたりで許してやろう。
「まあじょ「と、朋也は病気だからし、仕方ないことではあるな」だけどな」
はい?ちょっと待て。いまこいつなんて言った?
「今日だけは特別だぞ。ほら口を開けろ」
あーん、と言いながられんげを口に近づけてくる。うん、やっぱり恥ずかしそうにしてるのがいいな……そうじゃない!
「ちょっと待て、冗談。冗談だぞ智代」
「あ、そ、そうだよな。もちろんわかっていたぞ」
「本気にしちまったかと思ったぞ」
「お前が早く食べないのがわるいんじゃないか。ほら早く食べろ」
真っ赤になりながらお粥を渡してくる。ちょっともったいなかったな。
「私は別に構わなかったのにな」
「ん?何か言ったか?」
「いや、なんでもない。暖かいうちに食べろ」
何か言ったと思うんだけどな。まあせっかく作ってくれたことだしお粥を食べるか。
お、うまいなこれ。俺は食べながらこんなことになった原因を思い返していた。
ザーザーという音がする中俺は必死になって校舎に向かっている。
「くそっ、天気予報なんて見てないから傘なんか持ってないぞ」
家を出て少ししたらいきなり大雨が降ってきやがった。もちろん傘など持っていないから既にびしょぬれだ。
愚痴りながら走っても止むわけではないが言わずにはいられなかった。
「昨日春原が遅刻しないで来たせいだ」
原因を突き止めとめたので、俺は後でそいつを殴ることにする。
急いで教室に入るがすでに制服はびしょびしょだった。
「このままだと風邪引くかもな」
俺は上着を脱ごうとする。脱いでも意味はあまりなさそうだったが脱がないよりはましだろう。
それにしても家を出る前か学校についた後に降ればいいのに、登校の途中に降るなんてついてない。
「あれ、岡崎なんかすごい濡れてるね」
ちょうどいい。原因が来たのでうさを晴らさせてもらおう。
「おまえが原因の癖になにいってやがる」
「は?いったいなんのこ……うわああー」
この雨の原因に問答無用で罰を与えてやる。うん、良いことをした後は気持ちがいいものだ。
春原は倒れていて何かいいたげな顔をこっちに向けている。どうせこいつの言う事はたいした事ではないだろうが。
「いきなり何するんだよっ!」
「急に立ち上がるな。不気味だからな。それに言っただろう。おまえのせいで雨が降ってきたんだから当然のことだ」
「何かすごい理不尽じゃないか。そもそも僕が何をしたっていうのさ」
「昨日遅刻せずに学校に来た。それに今日も俺より早くいる」
「それって別に悪いことじゃないじゃないか。それなのに何で雨が降ったことが僕のせいになるんだよ」
「十分理由になる。普段では考えられないことをするからだ。それにおまえ理不尽なんて言葉知ってたんだな。ちょっと感心したぞ」
「まあね、その程度の言葉は知ってるさ」
なんか自慢げに言っている。コイツはこの程度の言葉すら知っているのが珍しいと暗に言っているのには気づいていないようだ。
そのあたりがこいつの扱いやすいところでもある。
「人間たまには珍しく、難しい言葉を知ってたりするからな」
「岡崎。もしかして僕のことバカにしてる?」
もしかしなくてもいつもバカにしているが。やっぱり扱いやすい。こいつなら怒ったとしても怖く無いしな。
「あんたたち学校に来たとたん何やってんの?」
「お、杏か。こいつが自分のせいで雨が降ったことを認めないんだ」
隣のクラスから杏がやってきたので状況を説明してみる。こいつなら俺の言うことをわかってくれるだろう。
「このヘタレ、また何かしたの?」
「ああ。昨日このヘタレが遅刻しなかったせいで雨が降ってきたのにそれを認めようとしないんだ」
「ああ、そういうことね。それはヘタレが悪いわね。あたしも一発殴っておこうかしら。少し濡れちゃったし」
「理解が早くて助かる」
やはり普段の春原を知っているのですぐ分かってくれた。それにこいつが春原をバカにするのは日課のようなものだし。
「あんたらなんかおかしくない?それにさっきからヘタレ、ヘタレってそれって僕のこと?」
「当たり前でしょ。ここに他にだれかいるっていうの?それともなに」
杏が春原に蔑むような目線を送る。分かってはいるけどこいつは絶対Sだ。
「あんたついに変なものまで見えるようになったの?」
「こいつはもともと見えてるだろう」
「それもそうね」
春原のことだからむしろそっちの住人との方が仲良くやっていけることだろう。それともそのせいでこいつはおかしいのか?
「あんたらさっきから人をいじめて楽しいの!?」
「「わりと」」
「そうスか……あんたら鬼っスね……」
春原が落ち込んでいるがまあいつものことなのでどうでもいい。
春原が悪いと決まったところでいったん着たままになっていた上着を脱ぐことにした。
春原のことより濡れた服をどうするかの方がよっぽど重要だ。
「うわっ、すごい濡れてるじゃない。着替えたほうがいいわよ」
「着替えなんて学校にあるわけないだろ」
あるわけないに決まっているが確かにこのままずっといるのはさすがにつらそうだ。
「体操服とかならありそうじゃない。まあバカは風邪引かないっていうけど気をつけなさいよ」
「余計なお世話だ」
憎まれぐちを叩きながら杏は自分の教室の帰っていった。まああいつなりの心配なのだろう。
「はっくしゅん」
やっぱり濡れたままの服でいることは結構きつかったようだ。少し寒気がする。
きーん、こーん、かーん、ごーん
昼休みのチャイムが鳴るがいまいち調子が出てこない。むしろ悪くなっている。やっぱり濡れたままでいることはよくなかったんだろうか。
もう一発くらい春原を殴ってやろうかと思ったが気力が湧かないのでやめておく。
「岡崎。僕は学食に行くけどどうする?おまえは調子が悪そうだけど」
元凶が何を言うか。
「今おまえと学食に行ったら余計に食欲がなくなる」
「ふーん、まあ無理はするなよ」
「おまえに言われなくてもわかってる」
春原は学食に向かっていく。調子が悪いのに混んでる学食に行ったら倒れてしまいそうだ。食欲もないしここは大人しく寝るとしよう。
まさに眠りにつこうとした時に頭の上から声が降ってくる。
「今日は朋也一人なのか」
「智代。なんでおまえがここにいる」
なぜか学年の違う智代がここにいる。まあこいつはそんなことを気にしないだろうが。
「春原が一人で学食に行くのをみたから朋也に何かあったかと思ったんだ」
「いつも春原といるわけじゃないだろ」
「それもそうだな」
智代が笑いながら言う。
それにしてもクラスに二人で浮いているのはわかっているが常に春原と二人セットで考えられているかもしれないのか。
そう思うと嫌な気がしてくる。
「朋也、昼食は食べないのか。食事を抜くのはよくないぞ」
「食べる気がしない」
「体調でも悪いのか、顔色もよくない。熱でもあるのか?」
そういって智代は顔を近づけてくる。まさかこんな教室のど真ん中で?口づけですか?接吻ですか?それはまずいでせう。
待てよ?
智代はそんなことしないか。ならば頭突きか?今のうちに止めを刺す気なのか?こちらの方がありそうだ。俺はすかさず智代から離れる。
「何をする気だ。俺に恨みでもあるのか」
「何を勘違いしている。風邪を引いているようなので熱を測ろうとしただけだ」
あきれたように言ってくる。でも公衆の面前でするのは勘弁してほしい。周りから好奇の視線をすごく感じる。見物料とるぞコラ。
「それなら手で測ればいいだろ。おでこでやる必要はないぞ」
「ふう、わがままだな。なら手で測ってやろう」
もともとこっちから頼んだわけではないのにいつのまにかこっちが悪いことのようにされている。
周りの目をもう少し気にするようになってほしいものだ。
今度は手を額に当ててくる。智代の手がひんやりとして気持ちがいい。
「やっぱり熱があるようだ。ぬれたままでいるからだぞ。帰って寝たほうがいい」
「帰れるわけ無いだろ。傘が無いんだから」
傘があればとっくに帰って寝ている。体調が悪いのに学校にいるほど俺はまじめじゃない。
「仕方ない。私が送ってやる。まったくいつまでたっても子供だな」
なんか言い方がむかつくが帰って寝れるほうがましなので何も言わないことにする。
でもどうやって帰るんだろうか?俺は傘を持っていないから誰かから借りろとでも言うのだろうか。
置き傘でもあって2つ持っているなら問題ないが。……まさか?!
ここで俺はある一つの可能性に思い当たりおずおずと、むしろ希望をこめて尋ねてみる。
「まさか一緒の傘に入れとはいわないよな」
「私は傘を一つしか持っていないからな。同然そうするしかないだろう」
当たった。当たってしまった。これは俗に言う相合傘ですか?
「誰と誰が一緒に入るんだ?」
「ふう。私とおまえ以外にだれが入るんだ?それとも熱でおかしくなったのか」
失礼な。
「他のヤツから借りればいいだろ」
「借りた相手が今度は濡れることになる。おとなしく入っておけ。それとも……私と一緒はいやなのか」
いえ、そんなことはないです。だからそんな寂しそうな顔はするなって。
「わかったよ。一緒に帰ればいいんだろ」
「うん。最初から素直にそう言っておけ」
そんな感じで智代と帰ることになったのだが、
「もっと体を近づけたらどうだ。離れるとまた濡れてしまう」
「そしたらおまえが濡れるだろ。俺はもう一回濡れたんだしかまわないぞ」
精神力を余計に使って体調が悪化しそうだ。
それに、また濡れても家に帰れば着替えもあるし、智代が濡れるよりはいいだろう。
さすがにぴったり寄り添って歩くことは勘弁してほしい。見てるやつはいないだろうが。
「私のことをかばってくれてるのか。うれしいぞ。ただな、それと自分が濡れていいのとはまた別だ」
そういって腕をぐいと引き寄せてくる。智代と体が密着する。腕を密着されたせいで胸に腕があたってしまっている。
うれしいが放させたほうがいいだろう。後で春原のように空を飛ぶ羽目になるのはゴメンだ。
「智代。当たってる」
「ん?どうした。何が当たってるんだ?」
「腕のところをよく見てみろ」
智代が自分の腕をみる。お、顔が真っ赤になった。胸に腕が当たっていることに気づいたのだろう。
この感触は捨てがたいが珍しい表情を見れたのでよしとしよう。
「何をするんだっ!」
智代が腕を放して叫ぶ。しかしこれは俺のせいではないことはたしかだ。
「まったく……おまえと言うやつは相変わらずスケベだな……」
「それはそっちが腕をひぱってくるからだろ。俺のせいじゃない」
「なんだ、まるで私が自分から胸を触らせたような言い方じゃないか」
いや、実際に智代から胸に押し付けてきたんだが。
「まあ、くっつきすぎるのはよくないってことだ。これでわかっただろ」
これでこんな密着して歩かなくてもよくなるだろう。そんな風に思っていたら、
「私が腕を引っ張るから当たってしまうんだ。当たらないように朋也から体をよせればいい」
なんて言われた。自分から密着しに行くなんて余計に恥ずかしい。
こうなったらさっさと帰ってしまおう。家に着けばくっつく必要も無くなる。
「ほらっ、さっさと行くぞ。こんなとこでじっとしていたら余計悪くなる」
「待て朋也。濡れても悪くなってしまうぞ」
智代がもっともな事を言ってくるがさっさと走って行く。
「ふう、これでは私がついてきた意味が無いじゃないか。困ったやつだ」
智代が追いかけてくる。とりあえず相合傘なんて恥ずかしいまねはしなくて済みそうだ。
……こんな体調が悪い時に走ることはかなりつらいものがあるが。
案の定、家に着いたときにはさらに体調は悪くなっていた。
頭がふらふらしてきたのですぐ眠ることにする。せっかく智代が送ってくれたがもう帰ってもらおう。
「智代、もう家についたし帰ってもくれていいぞ」
「朋也ひとりだと心配だからな。しばらく様子を見ている」
内心ではさっさと帰ってもらいたかったがこれまでの様子からいくと言っても無駄だろう。
俺も早く寝ないとまずそうなので、いっそやりたいようにさせることにした。
「わかった。俺はしばらく寝てる」
「ああ、わかった」
智代がうれしそうにうなずく。(余計なお世話だが)こっちが迷惑をかけているのになぜうれしそうなんだろう。
そんなことを思ったが俺は睡魔に負けてすぐ眠ってしまった。
そして今に至るわけだ。
俺が料理なんかしないので智代はお粥をわざわざ作ってくれたわけだ。
「智代」
「どうした。朋也」
「お粥うまいぞ。ありがとな」
実際味はよかったことだし、素直に礼を言うことにした。
智代は礼を言うなどと思ってなかったのか一瞬びっくりしたようだが、すぐにうれしそうな顔をする。
「ふふっ、朋也が礼を言うなんて明日も雨が降るぞ」
やっぱり失礼な。ここは再び反撃しよう。
「でも明日も雨が降ったら、また智代にお粥を作ってもらおうかな」
「まずは風邪を治すようにしろ」
智代はあきれたように言う。まあそれが当然の反応だろう。ちょっと残念ではある。
「でも……」
今度はまたうれしそうな顔に変わる。
「私でよければいつでも作ってやるぞ」
智代の顔は仕方なしと言うう表情ではなく、むしろやりたいという表情だった。
その……俺も智代に看病してもらうのもお粥を作ってくれるのもうれしいしな。
「ああ、頼むぞ」
「ああ、まかせろ」
智代は本当に楽しそうな笑顔で答えた。
それから風邪を引いた日は以前よりも楽しい日になった。