「ちっ、これだから梅雨は!」


 土砂降りの中、文句を言いながら走り抜ける。

 すでに全身はびしょ濡れだが、だからといってこの格好のままでいるのは嫌だった。

 風邪を引いてしまいそうだし、何より服が身体に纏わり付いて気持ち悪かった。


 「ったく、さっきまでは晴れてたくせに!」


 まあ、文句を言っても事態が好転するはずも無く、元はといえば梅雨なのに傘を持ってくるのを忘れた俺が悪いのだが、文句を言わずにはいられなかった。

 空を見上げれば晴れていた空は見る影も無く、どんよりとした雲が空を覆っている。

 その雲を見ていると何か嫌なことが起こりそうで、そんなことは無いはずなのだが俺は走る速度をさらに上げた。


 「よし、ようやく到着!」


 ようやく家に辿り着くと、玄関のところにタオルが置いてあった。

 さすがは秋子さん、気が利いている。

 有難くそれで身体を拭きながら秋子さんにお礼と帰ってきた旨を伝えると、俺は階段を急いで駆け上がった。

 とにかく早く着替えたかった。

 部屋の前に到着。

 早く着替えようと扉を開けると――


 「……は?」


 部屋の中には頭に輪っかを乗せたどこか見覚えのある顔と――


 「あ、祐一君おかえり〜」


 変な鎌のようなものを持っているこれまた見覚えのある顔のやつが居た。


 「祐一さん、おかえりなさいっ」




















 天使さんと死神さんと




















 「……は?」


 その本来ならば有り得ない光景に一瞬思考が止まる。

 え〜と、これは何ですか?

 思考が一向に働いてくれない。

 しかし、俺とは逆に部屋の中の二人は落ち着いていた。


 「もぅ、違うよ、祐一君」

 「おかえりなさいって言われたらただいまって言わないと駄目ですよ?」

 「あ、ああ、うん……ただいま」


 何となく勢いに押されて言ってしまったが、これは本当に何だ?

 部屋のドアを開けたら部屋の中には変な二人組が居た。

 しかも何故か見知った顔のやつらが。

 ……ふむ、まさか――


 「あの扉はどこかへドアだったのか?」

 「何でそうなるの!?」

 「絶対違いますよ!」


 む、二人にユニゾンして否定されてしまった。

 まあ、さすがに違うか。

 ということは――


 「……俺って幻覚見るほど疲れてたのか?」

 「幻覚見てる、ってちゃんと声も聞こえてるでしょ!」

 「ふむ、ならば――俺って幻覚を感じるほど疲れてたのか?

  ……これでどうだ?」

 「っていうか、幻覚ならばこんなにはっきりと受け答えしませんよ!」


 なるほど、それもそうだ。

 となると残るは――


 「そうか、これは俺の夢だったのか」


 なるほど、それなら意味の分からない展開も納得がいく。

 基本的に夢ってのは意味不明のものだからな。

 見知った顔が出てきたのもそのせいだろう。


 「うぐぅ、祐一君がボクたちのことを認めてくれない……」

 「えぅ〜、どうしたら認めてくれるんでしょうか……」

 「……さて、夢の産物たちが何か言っているが、ここは関わらない方が良いだろう」

 「関わってよ!」

 「早く目覚めないと学校に遅れてしまうかもしれないからな」

 「今学校から帰ってきたんじゃないですか!」

 「さて、んじゃとっとと寝るか」


 何やら言ってるやつらは無視してベッドに潜り込む。

 目を閉じると心地よい疲れを感じる。

 走って帰ってきたのが良い感じになっているようだ。

 これならよく眠れそうだ……


 「って、夢から覚めるのに何で寝てるんですか!」

 「……む、そういわれればそうだな」

 「……もしかして祐一君、ボクたちのことからかってる?」

 「はっはっはっ、ようやく気づいたか」


 ベッドから身を起こし縁に腰掛ける。

 二人を見ると二人とも不満顔だった。

 まあ、そりゃそうか。


 「まあ、二人とも機嫌直せって」

 「……誰のせいだと思ってるんだよ、まったく」

 「むぅ、私たちはちゃんとした用事で来たというのに……」

 「悪かったって」


 二人はまだ機嫌を直して無いようだったが、構わず話を続けることにした。

 ちゃんとした用事ってのも気になったし。


 「で、確認するが――あゆと栞で間違いないよな?」

 「うん、そうだよ」

 「そうですよ」


 二人は俺の質問にあっさりと頷いた。

 まあ、これは誤魔化したりする意味も無いしな。


 「んじゃ、次の質問……用事ってなんだ?」


 それを聞くや否や二人は顔を見合わせた。

 ……さて、一体どんな用事なんだろうか。

 何となく予想出来るような気もするが。


 「う〜んと、そうだね、まあ、結局話さなくちゃいけないことだし」

 「はい……ですが、その前に私たちのことから説明しますね」


 二人のこと、か。

 確かにそれも気になることだな。

 もっとも、二人の姿から大体の想像は付くのだが。


 「じゃあ、まずはボクからね。

  ボクは、一応天使見習いをやってるんだ」

 「それで私ですが、一応死神見習いをやっています」

 「そうか」

 「……って、驚かないの?」

 「大体格好から予想が付いたからな」

 「まあ、確かにそうですね。

  頭に輪っかと鎌ですからね。

  というか、鎌の方はわざわざ用意したんですけどね」


 そう言うと、栞が持っていた鎌はまるで初めからそこに無かったかのように消え去った。

 ……演出のためにわざわざそんなもんまで準備したのか。

 まあ、栞らしいといえば栞らしいが。


 「まあ、全然驚いて無いってわけじゃないけどな」


 予想通りとはいえ、さすがに知ってるやつらが天使と死神って言われたら驚く。

 とはいえ、すでに死んでしまったはずの二人がここに居る時点で普通じゃない。

 だから、二人の正体がどうであれ、一番最初に驚いた後はそうでもなかった。


 「それで用事なんだけど……」

 「え〜と……まあ、回りくどく言っても仕方ないですから簡単に言いますね。

  ……相沢祐一さん。

  あなたは今日から二日以内に死ぬことが決まっています。

  それで、私たちは死んだ後のあなたの魂を回収、後にきちんとあの世へと導くためにここにやってきました」


 どこか事務的な口調で栞は説明した。

 ……俺が死ぬ、か。

 まあ、これも大体予想通り、か。

 二人がおそらく天使と死神だろうと予想した時から、何故俺のところに来たのかを考えればすぐに分かることだった。

 それでも、当然死ぬということを口に出されればショックだ。

 ……ショックのはずだ。

 でも。

 ――何か思ったよりも驚きなんかはなかったな。

 やっぱり実感が沸かないからだろうか?

 天使と死神から死を宣告されて、でも実感が沸かない。

 ……どうしたもんだろうなぁ。

 まあ、実感が沸かないのはどうしようもないのだが。

 しかし、二日以内、か。


 「二日以内ってことは、今日から二日のうちの何時死ぬかまでは分からないってことか?」

 「うん、そういうことになるね」

 「近日中に誰が死ぬかまでは分かるんですけど、さすがに詳しいことまでは分からないらしいんです」

 「……なるほどな」


 つまり、今この次の瞬間にでも死ぬかもしれないのか。

 ……考えてても碌なことになりそうにないし、考えない方が良さそうだな。


 「そういうことですので、私たちはこれから祐一さんに付いて回りますので、よろしくお願いします」

 「よろしくね!」

 「ああ、こちらこそ――出来ればよろしくされたくはないが、一応よろしく」


 ――こうして、天使と死神との奇妙な同居生活が始まったのだった。




















 天使と死神の少女たちと挨拶を交わしてから約二時間。

 その間に俺たちは二人がいなくなってからのお互いのことを話していた。

 まあ、とはいえ俺からは特に変わった話などはなかったのだが、二人の話は初めて聞くようなことも多く結構面白かった。

 普通天使や死神についての話を聞くことなんかないからなぁ。

 二人は今までずっと、あゆは天使の栞は死神の勉強をしていたらしい。

 一応今回のように下界(?)に来るのも初めてではないらしい。

 とはいっても、いつもは二人か三人ぐらいで来ていたらしいが。


 「ということは、一人で来るのは今回が初ってことか」

 「うん、そうだね。

  まあ、栞ちゃんと一緒だから結局一人じゃないわけだけど」

 「ああ、それなんだが」

 「うん?」

 「普通天使と死神って一緒に行動するものなのか?」

 「いえ、普通は別々ですよ?」

 「じゃあ、何で今回は一緒なんだ?」

 「え〜と、基本的には天使と死神は別々に行動するんだけど、たまに一緒に行動することもあるんだって」

 「それで、今回はそれのための練習とかそういう感じらしいです」

 「ボクたちもある程度のことは分かってきたし、相手も祐一君だからってことらしいけど」

 「……俺だから?」

 「ほら、相手が知り合いだと説明とかもしやすいじゃないですか」


 説明がしやすい、か。

 まあ、確かに全然知らない人にされるよりはマシだろうが……

 だけど、それは知り合いに死を宣告しに行くってことでもあるんだよな。

 それは辛いことのような気がするんだが。

 ……いや、知り合いの死を直接見取れ、魂を導けるってことでそっちのが良いのか?

 ……まあ、それは俺が考えることじゃないか。

 二人とも色々考えた末に来たんだろうから。


 「……なるほどな。

  っと、そうそう、一つ聞きたいことがあったのを思い出したんだが」

 「何?」

 「二人ともどうやって天使や死神になったんだ?」

 「ああ、そういえば、そのことについてはまだ話していませんでしたね」

 「え〜とねぇ、ボクの場合はスカウトされたんだ」

 「スカウト?」

 「うん、迎えに来た天使の人からね」

 「私の場合も同じですね。

  何でも、死神になるのに相応しい魂を持ってるとかで」

 「ボクも同じようなこと言われたよ。

  迎えに行く人が、その人が天使や死神になるのに相応しい魂を持ってると思ったならばスカウトするらしいよ?」

 「へ〜、天使や死神とかはそうやってなるのか」

 「他にもなる方法はあるらしいですけど、基本的にはそうらしいですね」

 「拒否することも当然出来るんだよな?」

 「うん、出来るみたいだよ?」


 でも二人が天使や死神になってるってことは拒否しなかったってことか。

 ……二人はどうして天使や死神になろうと思ったんだろうか?

 そのことを聞こうと思ったのだが――


 「祐一、居る〜?」


 不意に部屋をノックされ、名雪に呼ばれた。


 「居るが、どうした?」

 「もうすぐご飯だって〜」

 「もうそんな時間か。

  分かった、すぐ行く」


 もう少し話したいことがあったのだが、まあそれは後で良いか。

 とりあえず飯だな。

 っと、その前に。


 「なあ、二人とも」

 「何?」

 「何ですか?」

 「二人って他の人には見えないのか?」


 さすがにいきなり死んだはずのあゆと栞が現れたら名雪や秋子さんは驚くだろうからな。

 一応確認しておく。


 「うん、祐一君以外の人には見えないはずだよ?」

 「中には、私たちの姿を見えてしまう特別な人もいるらしいですが、基本的には私たちが接触した人以外の人には見えないはずです」

 「……そうか。

  俺はこれから飯を食いに行くが、二人はどうする?

  ここで待ってるか?」

 「う〜ん、どうしようか?」

 「一応行っておいた方が良いんじゃないですかね?

  何時何が起こるか分かりませんし」

 「……そうだね、そうしようか」


 どうやら二人とも付いてくるらしい。

 まあ、それは別に構わないのだが――


 「付いてくるのは構わないが、あんまり喋るなよ?」

 「何で?」

 「私たちの姿が他の人には見えないように、声も聞こえませんよ?」

 「ああ、じゃあ、言い直そう。

  喋っても構わないが、俺が応えるのは期待するなよ?」


 そんなことをやったら、名雪たちから怪しい目で見られかねないからな。


 「うん、分かったよ」

 「分かりました」

 「さて、んじゃ行くか」


 二人を促すと、俺は部屋を後にした。




















 端的に言えば、失敗した。

 何を失敗したかというと、飯を食う前に部屋で交わした言葉のことだ。

 俺は二人に喋っても良いが、俺が応えるのは期待するなと言った。

 だが、やっぱり喋るなと言っておけばよかったと後悔しているのだ。

 何故ならば――


 「……やっぱりご飯に毒でも盛られるんじゃないですかね?」

 「昼食でそんなことをやったら集団毒殺が起こっちゃうけど、そんなことは聞いてないってことは朝か夜だよね?

  でも、そうなるとそれをやるのは名雪さんか秋子さん……

  さすがに無いんじゃないかな?」

 「やっぱり無理がありますか……」

 「う〜ん、もしかしたら」

 「何か思いついたんですか?」

 「うん、あのね――」


 とまあこんな感じで、二人が真面目に俺の死因についてを議論しているからだ。

 最初は普通に雑談をしていたのだが、やがてネタも尽きてきたのかこっちのが面白いと判断したのかは分からないが、とにかくこんな話をし始めたのだ。

 しかも、俺の真後ろで。

 即ち俺のすぐ傍で自分の死因について議論がなされているわけだが、非常に精神的によろしくない。

 本人たちは真面目に議論してるっぽいから尚更だ。

 目の前には名雪や秋子さんが居るから何かを言うこともできない。

 ――マジで失敗したなぁ。

 ……はぁ、仕方が無い。

 かくなる上は、飯をさっさと食べて二人を黙らせよう。

 基本的に俺は飯はゆっくり食べる方なので、それはそれで名雪たちに変に思われそうだが、突然後ろに向かって話し出したりするよりはマシだろう。

 これ以上この状況に耐えるという選択肢は元から無い。

 そう結論付けると、俺は目の前にあるものを急いで食べ始めた。

 一体どうしたのか、という視線を名雪たちは送ってくるが、今はそれどころではない。

 後ろではさらに議論がヒートアップしてきていた。

 そろそろ止めないと、何となく色々と拙いことになりそうな予感がする。

 三分ほどで一気に飯を食い終えると、ご馳走様と言うと同時に席を立つ。

 ちょっと用事を思い出したからと言い、速攻で部屋に戻る。

 暫くすると二人も俺のことに気づき部屋に戻ってきたので、そこで思いっきり説教をしてやった。

 俺の居るところで俺の死因を議論なんかするなっつーの。

 まったく。

 それにより二人は反省したのだが、今度は違う理由で俺がやばくなってきた。

 飯を急いで食べて、碌に休みもせずに急いで部屋まで戻ってきたからなぁ……

 即ち。

 ――腹が痛い。

 や、やばい、洒落にならん。


 「ど、どうしたの、祐一君!?」

 「顔が青いですよ!?」

 「い、いや、ちょっと無理をしたせいで腹が痛い……」

 「はっ!まさか、祐一君の死因はこれ!?」

 「だから、縁起でも無いことを言うんじゃねぇ!

  というか、そこまじゃ無いっつーの」


 とはいえ、腹が痛いことに変わりは無い。

 仕方が無いのでベッドに横になって休みことにした。

 ……もしかしたら、俺が死ぬ原因ってこいつらなんじゃ?

 ベッドに突っ伏しながら、俺はそんなことを考えていた。




















 「祐一さん、お風呂空きましたから、次どうぞ」

 「あ、はい、分かりました」


 結局あれからずっと部屋で休んでいた。

 まあ、あゆたちと話していたから退屈はしなかったが。

 腹の方は随分良くなっていた。

 さて、秋子さんがわざわざ言いに来てくれたことだし行くか。

 着替えを取り出し風呂場へと向かう。

 が。


 「って、お前らは何処まで付いてくるつもりだ!」

 「もちろん、お風呂の中までだよ」

 「だって、お風呂で溺れて死んでしまうかもしれないじゃないですかっ」

 「溺れるか!」

 「もしかしたら、突然地震がやってきて潰されちゃうかも」

 「地震が来てから言え!」

 「もしかしたら、風呂場で滑って頭を打って」

 「やるか!

  良いから出てけ!」


 何とか二人を追い出す。

 なんか、飯の時の議論のせいか、二人とも変に意識しだしたような気がするんだが……

 まったく、風呂ぐらいのんびりと入らせろっての。

 ……風呂から出て部屋に戻ってみると、何を考えているのか俺のベッドで寝ている二人が居た。


 「……何してんだ、お前らは?」

 「ほら、布団で窒息しちゃうかもしれないから、その時のために」

 「なるわけねぇだろうが!」

 「もしかしたら寝相が悪くてベッドから落ちて頭を打って」

 「どんだけ寝相が悪いんだ!

  しかもそんなに寝相が悪いんならとっくの昔に死んでるわ!」

 「もしかしたら地震が」

 「地震はもう良い!

  っていうか、それならベッドに入ってる意味無いだろうが!」

 「むぅ……」

 「……はぁ」


 本当に二人とも何か変に意識してるよなぁ。

 一晩寝たら直れば良いのだが……

 と、そういえば――


 「二人って寝る必要あるのか?」

 「寝る必要?

  う〜ん、どうなんだろうね?」

 「必ずしも寝る必要は無いとは思いますが、一応寝てはいますね」

 「そうか……

  それじゃあ、やっぱり出なくていいや」

 「え?」

 「ベッドに居て良いって言ってるんだ」

 「本当ですか!?」

 「ああ……代わりに俺が床で寝る」

 「え!?」

 「それじゃあ祐一君が風邪引いちゃうよ!」

 「布団は無いが、毛布とかはあるから大丈夫だろう」

 「ですが!」

 「お前らを床に寝せるわけにはいかないだろ?」


 死神と天使とはいえ、二人は女の子だ。

 男として俺だけがベッドで寝るわけにはいかない。


 「……じゃあ、やっぱり三人で一緒に寝れば良いじゃないですか」

 「は?」

 「あ、それ良いね」

 「……いや、さすがにそれは拙いだろ」


 男一人に女の子二人で一緒のベッドに寝る。

 嫌だとは言わないが、それは色々と拙い。


 「私は平気ですよ?」

 「ボクも平気だよ?」

 「まあ、祐一さんが私たちと一緒だと変な気持ちになっちゃうって言うんなら別ですが」

 「……はぁ、分かったよ」


 二人にこう言われては断り続けるわけにはいかないだろう。

 しぶしぶながらベッドに向かう。


 「って、何でお前らは真ん中を空けるんだ?」


 折角端に寄ってなるべくくっ付かないようにしようと思ってたのに。


 「まあまあ、良いじゃないですか」

 「そうそう」

 「……はぁ」


 何を言っても無駄だと悟り観念して二人の間に入る。

 って。


 「やっぱり狭いな」

 「我慢してください、両手に花なんですから」

 「そうだよ、こんな美少女二人に囲われて」

 「……自分で美少女って言うか?」


 否定はしないが。

 というか、狭いせいで思ったよりもかなり二人の身体が密着してるんだが……

 ――ちょっとやばいかもしれない。

 こうなったらとっと寝てしまうのが一番だ。

 寝ればどんなことがあろうと関係ない。

 そう思い目を閉じようとすると――


 「……祐一さん、少し聞いても良いですか?」


 栞に話しかけられた。

 何のことかは分からなかったが、無視することもないと思い応える。


 「何だか分からんが良いぞ?」

 「ありがとうございます。

  ……祐一さんは、このままで良いんですか?」

 「……何がだ?」


 栞の質問は漠然としすぎていて意図が読めなかった。

 すると、栞も言葉が足りなかったと思ったのか、言い直した。


 「ええと……後二日以内に死んでしまうのに、このまま普通に過ごしてて良いんですか?」

 「ああ、そういうことか」


 確かに、普通は後二日以内に死んでしまうと分かったら自分の好き放題しようと思うのかもしれない。
 
 だが――


 「ああ、俺はこのままで良い」

 「……何故ですか?

  未練とかは無いんですか?」

 「……いや、そういうわけじゃない。

  多分、やり残してる事も未練も沢山あると思う」

 「じゃあ、何故?」

 「そうだなぁ……パッと思いつくもんが無いんだよ。

  やりたいことは何だって言われてもすぐに答える事は出来ない。

  それに、仮にそれをやったとしても他にやりたいことは山ほどあるわけだからな。

  そんなことに意味は無いと思うんだ」

 「だから、何もやらないんですか?」

 「いや、別に何もやってないわけじゃないさ。

  俺は、日常を送ってるんだ」

 「日常を?」

 「そう、普通にいつも通りに日常を送ること。

  それが、多分俺が一番やりたいことなんだと思うからな。

  ……日常を送れなかったお前らの分も、ってわけじゃないけどな」


 俺がそう言うと栞は黙ってしまった。

 と、そういえば、あゆはこの話題が出てからまったく喋ってないな。

 寝ているわけではなさそうだから、何か考え事でもしているんだろうか。

 ……七年以上も眠り続け、結局目覚めることなく逝ってしまったあゆ。

 何か思う事があるのかもしれないな。

 まあ、それは栞も一緒だろうが。


 「……ま、死ぬっていう実感がただ単に沸かないってのもあるんだろうがな。

  さて、もう寝ようぜ。

  俺は明日も学校があるんだからな」

 「……そうですね」

 「……そうだね」

 「じゃ、おやすみ」

 「はい、おやすみなさい」

 「うん、おやすみ」


 目を閉じて身体の力を抜くと、すぐに心地良い眠気が襲ってきた。

 抵抗する事も無くそれに身を委ねると、俺の意識は暗闇の中へと落ちていった。




















 ――最初に感じたのは違和感。

 何かと思って身体を動かそうとするも、身体はピクリとも動かなかった。

 ――ぬ、一体何が?

 何度か動かそうと試みてみたが、やはり一向に動く気配は無かった。

 が、代わりに何故動かないかの理由は分かったような気がした。

 目を開け右を見てみる。

 そこには――


 「ああ、やっぱりか」


 栞が居た。

 左側を見てみれば、そこにはあゆ。

 ――すっかり忘れてたな。

 だが、それだけなら問題は無かったのだが――


 「何でこいつらは俺に腕にくっ付いてるかな……」


 俺が感じた違和感と身体が動かない理由判明。

 しかし、判明したは良いがどうしたものか。

 首を後ろに反らすことで何とか見れた時計は、そろそろ短針が七を刺しそうだった。

 そろそろ起きないと目覚ましの大合唱を食らうことになる。

 それは色々な意味から回避したいところだが、それには二人を起こさなくてはいけない。

 が。


 「こんな顔して寝られてちゃ、起こすに起こせないよなぁ」


 二人はとても安らかな顔をして眠っていた。

 ……起こすのが躊躇われるほどに。 


 「まだ片方だけなら何とかなったかもしれないが……」


 試行錯誤――といってもそんなに出来ることは無かったが――するも一向に腕から二人が離れる気配は無し。

 しかも、死神と天使とはいえ二人が女の子なのは違い無い。

 つまり――

 動くと色々ヤバイ。

 というか、今の状態でも結構やばいのだが、動いてこれ以上状況を悪化させるわけにはいかない。

 ――さて、どうしたもんだろう。

 と、その時、不意にあゆが寝返りを打った為左手が空いた。

 よし、これなら!

 細心の注意を払い栞から手を引き抜く。

 多少危なかったが、何とか両手を解放することに成功。

 後はベッドから抜け出すだけだが……これも注意し無いといけないな。

 二人を起こさないように注意しながらベッドから抜け出す。

 ――よし、時間は……げ、やばっ!

 名雪の目覚ましが鳴るまで後数分しか残っていなかった。

 急いで名雪の部屋へと駆け込み全ての目覚ましを止める。

 ――ギリギリセーフ。


 「まったく、何で朝っぱらからこんなに疲れなきゃならんのだ」


 こうして、天使と死神の少女が来てから二日目の朝は、慌しく過ぎていったのだった。




















 「はぁ、相変わらず今日も朝から雨、か」


 通学路を一人で歩きながら愚痴る。

 まあ、梅雨だから仕方が無いのだが、それでもこんな天気が続いていると参ってくる。

 正直そろそろ太陽の姿を拝みたかった。

 今日は名雪は置いて俺一人で登校していた。

 今朝は俺が起こすのが少し遅れたせいもあるが、それ以上に名雪が起きてくるのが遅かったからである。

 あとで名雪に色々と言われるだろうが、この雨の中を全力疾走するよりはマシだろう。

 ちなみに、栞とあゆは今はいない。

 わざわざ苦労してまでベッドから出たんだし、特に起こす必要も無いと思ったのでそのまま家に置いてきた。

 まあ、必要があればそのうち追いかけてくるだろう。

 そんなことを考えながらのんびりと歩いていたのだが――


 「祐一君酷いよ〜!」

 「祐一さん酷いですっ!」


 不意に後ろからそんな声が聞こえてきた。

 ――そのうち来るだろうとは思っていたが、思ったより早かったな。

 後ろを振り返ってみれば、予想通り天使と死神の少女が走ってきていた。

 二人は、俺の傍に来るなり抗議を始める。


 「まったく、私たちを置いていくなんて人として不出来ですよ!?」

 「そこまで言うか!?

  っていうか、それはお前のセリフじゃねぇだろ!」

 「まったくだよ、そんな酷な事は無いよ!」

 「それも良い過ぎじゃないか――ってお前もか!」


 と、こんなことをしていては学校に遅れてしまう。

 折角名雪を置いてきてまで早く来たのに、それでは名雪に合わせる顔が無い。


 「まあ、とりあえず話は歩きながらだ」

 「それでもそうですね」

 「そうだね」


 学校へ向かいながら二人と話す。

 とはいえ、さすがに周りの目があるから俺は小声で話さなくてはいけないのだが。

 しばらくはそのまま歩いていたのだが、ふとあることに気づいた。

 そういえば――


 「二人って傘差して無いけど濡れてないよな?」

 「ええ、私たちには肉体はありませんからね」

 「でも、俺には触れるし、ベッドにも潜ってたよな?」

 「え〜とねぇ、ボクたちは自分の意思で触れるものを選ぶことが出来るんだよ。

  自分に触れても良いって思えば何でも触れれるし、逆に触れちゃ駄目って思えばどんなものでも触れることは出来ないんだよ」

 「つまり、俺が触れるのはお前らが俺が触っても良いって思ってるってことで、ベッドも同様だと。

  で、雨は良いって思ってないから通り抜けてるってことか?」

 「そういうことですね」

 「なるほどなぁ」


 そりゃ結構便利だな。

 今みたいに雨に日にわざわざ傘を差さなくても良いってことだし。

 まあ、だからといって天使や死神に進んでなりたいとは思わないが。


 「ところで今のでふと思ったんだが」

 「何?」

 「……あゆ、お前天使になってから頭が良くなってないか?

  あれか?

  天使になると頭も良くなるのか?」

 「ボクは元からこうだよ!」

 「そんなバカな!?」

 「何でそんなに驚いてるのさ!?」

 「だって……なぁ?」

 「いえ、私に同意を求められても困るんですけど……」

 「栞ちゃん、栞ちゃんはボクの見方だよね!?」

 「いえ、その……あはははは」

 「ほら、あゆ、栞が困ってるだろ?」

 「栞ちゃんまで!?」

 「まあ、事実だから仕方が無いな」

 「うぐぅ……二人してボクをバカにするよぉ」

 「それは違うぞ、あゆ。

  バカにしてるんじゃない。

  バカだと思ってるんだ」

 「どっちも大して変わらない、ってかもっと酷くなってるよ!?」


 こんな感じで、俺は登校の道のりを楽しく過ごすことが出来た。

 まあ、途中からは声の大きさを気にしなくなっていたので周りからの視線が痛いものになっていたような気もするが、多分気のせいだろう。

 気のせい、だろう。

 気のせい、だといいなぁ。

 気のせい、じゃないよなぁ、やっぱり。

 ……はぁ。

 次からはちゃんと周りのことを忘れないようにしようと思う俺だった。




















 学校に来てからの二人は静かだった。

 栞は初めから静かで、あゆは授業前は結構話していたのだが、授業が始めると途端に静かになっていた。

 というか――寝ていた。

 ――こんなのが天使で大丈夫なのか?

 つい心配になってしまう。

 まあ、俺が心配してもどうにもならないんだが。

 だが、俺は一つ言いたい。

 寝るのは構わないんだが……俺の机で寝るなと。

 一応俺のことも考えてくれているのか、シャーペンとかは身体を通過するので字を書くことは出来るのだが、出来ればやりたくなかった。

 何となくいい気はしないし、何よりも。

 ――ノートが見えん。

 根本的にあゆの身体が邪魔だった。

 幾らシャーペンが通り抜けても、ノートが見えなくてはマトモに字を書くことなど出来ない。

 変なところに気を使うぐらいなら最初から別のところで寝ろと言いたかった。

 そんなわけで授業に集中など――最初から出来ないような気もするが――出来ていなかった。

 まあ、今はそれよりも気になることがあるから良いのだが。

 それは――栞のことだった。

 あゆが寝てからは一言も喋っていない。

 ただボーっと窓の外を眺めながら、時折ある場所を見ているだけだった。

 もっとも、原因は分かっているのだが。

 それは、時折栞が眺める場所。

 といよりも、その場所に居る人物。

 つまり。

 ――美坂香里。

 栞の姉であった人物。

 今年も美坂チームは全員が同じクラスだったため、当然香里も同じクラスだった。

 自分の姉だった人が同じ空間に居るともなれば、色々なことを考えてしまうのも仕方の無いことだろう。

 本来ならばもう会えない筈だった人。

 その人が目の前に居る。

 でも、話すことは出来ない。

 やらないのではなく、出来ない、らしい。

 当然栞の悩んでいることには気づいていたので、前の休み時間に少し聞いてみたのだが――


 『死神は、対象以外の人物に姿を見せたり話したりすることは禁じられているんですよ。

  ですが、もう二度と会えないと思っていたお姉ちゃんに、一方的ではありますが会えたんですから喜ばないと』


 そう言って、栞は悲しそうに微笑んだ。

 俺に出来ることなら何でもしてやりたかった。

 栞にそんな顔はさせたくなかった。

 でも、俺には何も出来なかった。

 栞が望んでいるのなら別だが、栞は香里と話したりすることを望んではいなかった。

 本心では望んではいるのだろうが、それを口に出して言わなければそれは唯の要らぬお節介にしかならない。

 栞は栞なりに、香里に対してケリをつけようとしている。

 それを俺が邪魔することは許されない。

 だから、俺に出来ることは何も無かった。

 唯、栞が出来るだけ早く香里のことに関して心の整理をつけられるようにと、祈ることしか出来なかった。




















 ――特に何事も無いまま、今日という日が終わろうとしていた。

 結局あの後栞が元に戻ることは無かった。

 何となく俺もあゆも口数が減ってしまい、学校から帰ってきてからはボーっとして過ごした。

 というか、途中からはあゆも何事かを考え出したかのようで、俺は一人手持ち無沙汰なだけだったのだが。

 そして、今日も昨日と同じように三人で川の字になって寝ている。

 ――そういえば、こうして寝るのも今日が最後か。

 明日は俺が死んでしまう日なんだから。

 だが、不思議なことに死ぬということに関しては特になんとも思わなかった。

 昨日の夜にも言ったように、未練や後悔が無いはずがない。

 死が怖くないはずもない。

 しかし、今は何とも思わなかった。

 それは、死んだはずの二人がこうして元気にやっているということが分かったからなのか。

 それとも別の何かが原因なのかは分からないが、今はただ。

 ただ――三人でこうして寝れることはもう無いということの方が残念だった。

 と、そんなことを考えていると――


 「祐一さん、あゆさん、ごめんなさい」


 不意に栞が謝ってきた。

 突然のことに驚くも、とりあえず訳を聞いてみる。


 「ごめんなさいって……一体何が?」


 あゆも何のことか分からないという顔をしていた。


 「私は死神なのに、今日は自分のことしか考えていませんでした」

 「ああ、何だそんなことか。

  別にいいさ、気にしてない」

 「そうだよ。

  それに、それを言ったらボクも同じだし」

 「ですが」

 「俺たちが良いって言ってるんだから、良いんだよ」


 今は死神とはいえ、ほんの少し前までは栞も普通の人間の少女だったのだ。

 悩むのは当然だろう。

 仕方の無いことだと思う。

 それはあゆに関しても同じことが言える。


 「そんなことより、ゆっくり休んどけよ。

  明日は多分大変なことになるんだろうから」

 「……そういえば、そうでしたね」

 「……そっか、こうして三人で居られるのも明日までなんだね……」


 三人とも、何となくそれ以上の言葉が紡げなかった。

 これ以上話すと、何か良くないことを言ってしまいそうだったから。

 それは、三人にとって好ましくないことだろうから。

 ――これから別れる三人にとっては。 

 何となく、何をするでも言うでもなく、俺たちはそのままボーっとしていた。

 三人で身を寄せ合い、互いの体温を感じながら。

 ――そうしている内に、いつの間にか俺は眠ってしまっていた。




















 「祐一君、朝だよー!」

 「祐一さん、起きましょうよー!」


 耳元での大音声に強制的に意識を目覚めさせられる。

 というか、耳が痛い。

 耳元でやられた分、あの目覚ましの大合唱よりも威力がでかい気がする。


 「……二人とも五月蝿い。

  近所迷惑……にはならんだろうが、俺にはかなり迷惑だ。

  今日は日曜なんだからゆっくり寝かせてくれ」

 「えー、そう言わずに起きようよー」

 「そうですよっ、今日はこんなに良い天気なんですよっ」

 「……良い天気?」


 その言葉に反応し目を開けてみる。

 視線を横にずらせば、いつの間にかカーテンが開けられ外が見渡せるようになっていた。

 窓から入ってくる陽光。

 視線を上に上げてみれば、確かに空は蒼く晴れ渡っていた。

 ――青空を見るのはかなり久しぶりだな。

 今の時期は梅雨だから仕方が無いのだが、やはり晴れの空を眺めるのは気分が良い。

 ――って、すっかり目が覚めちゃったな。

 本当はもう少し寝ていたかったのだが……

 まあ、覚めてしまったものは仕方が無い。

 二人の声に応えるってわけではないが、起きるとするか。


 「ん〜〜〜っと」


 上半身を起こして身体を伸ばす。

 眠気はまだ少し残っているが、疲れは十分に取れているようだ。


 「で、俺をわざわざこんな時間に起こした理由は何だ?」


 時計を見てみれば、短針がまだ七を過ぎたばかり。

 本来ならば日曜のこんな時間に起きようなどとは思いもしないような時間だった。

 が、起きてしまったものは仕方が無い。

 特に用があるわけでもないが、二人は俺に何か用があるようだったしそれに付き合ってやるとするかな。


 「はい、あのですね――」




















 空を見上げれば、そこにあるのは蒼い空と輝く太陽。

 雲は一欠けらすらない。

 空は今までの鬱憤を晴らすかの如く、綺麗に晴れ渡っていた。

 まだ朝だというのに少し暑い。

 ……今日は暑くなりそうだ。


 「……さて」


 そこまで考えると、視線を下に下ろし目の前に立っている物を見る。

 見覚えのある物。

 昨日も見たもの。

 というか、休日を除く全ての日に見ているもの。

 即ち――学校。

 その校門前に俺たちは立っていた。

 しかも、大体いつも学校に登校するぐらいの時間に。

 着ている服こそ私服だが、休日のこんな時間に学校の前に立っているなんて不思議な気分だ。

 何故こんなところに俺たちが居るのか……

 事の発端は朝の栞の発言から始まった。


 『天気が良いから出かけましょうっ』


 唐突だったし、何より行き先なども何もなし。

 ただ、凄い久しぶりに晴れたから出かけたい。

 それだけだった。

 朝早くに二人とも目が覚めてしまい、何気なく外を眺めてみれば空は晴れていた。

 じゃあどうせだから出掛けよう。

 そうしよう。

 そんな感じで決まったらしい。

 少しは俺の意見も聞けって感じだが、別にその意見自体には不満は無かったので素直に出掛けることにした。

 だが、肝心の行き先が決まっていない。

 俺は特に今更行きたい場所とかは無かったので、二人に決めてもらうことにした。

 そして、今俺たちはここに居る。


 「……なあ、一つ聞いても良いか?」

 「何ですか?」

 「何で今更学校なんだ?

  学校なら昨日も来ただろ?」

 「……そうですね、確かに昨日も来ました。

  ですが、昨日はどちらかといえば祐一さんがここに来たから来たというだけでしたから。

  自分の意思でここに来てみたかったんですよ。

  それに、少し思うところもありますし……」

 「……そうか」


 学校を眺めながらどこか寂しげな表情で話す栞。

 その目に映っているのは何なのだろう。

 嘗て描いていた、香里と一緒にここに通ういう夢か――

 一週間だけとはいえそれが叶った頃の思い出か――

 それとも別の何かか――

 ……何にしろ学校を通して別の何かを見ているのだということは分かった。


 「……さて、じゃあ中に入るか。

  とはいえ、さすがに校舎には入れないけどな」

 「別に構わないですよ。

  私が行きたい場所は一箇所だけですから」


 栞の行きたいという場所。

 そこへと向けて歩き出す。

 とはいえ、すでに校門前にいるのでそんなに遠くない。

 その場所にはすぐに到着した。

 そこは――


 「……やっぱりあの頃とは違いますね」

 「まあ、そりゃな。

  雪も積もってないしな」


 中庭だった。


 「そういえば、ここだったな」

 「え?」

 「栞と再会したのは」

 「……そうでしたね」

 「へ〜、そうだったんだ〜」

 「あの次の日にな。

  雪が降ってる中で立ってる変わった奴が居ると思ったら、それが栞だったというわけだ。

  あの時は本当に驚いたぞ?」

 「……ごめんなさい。

  ですが」

 「……あの時は香里を見てたんだよな?」

 「はい。

  ……いつか、気づいてくれるかもしれないと思って」


 そう言いながら、栞は校舎を見上げる。

 あの日のように立ったまま、ある教室を眺めていた。

 そこにはすでに香里は居ない。

 休日だからということもあるが、そもそも学校に香里が来てるときにもそこには居ない。

 学年が上がったから教室が変わってるのだから。

 当然、栞もそれは知っている。

 昨日栞はその教室に居たのだから。

 でも、重要なのはそこではないようだ。

 ジッとその教室を見つめている。

 しばらくはそのまま見つめていたのだが、不意に瞳を閉じる。

 そのまま数分ぐらい経っただろうか、やがて一つだけ頷くと俺たちの方を向いた。

 その顔は、どこかさっぱりとした様子だった。


 「それじゃあ次に行きましょうか」

 「もう良いのか?」

 「はい、もう十分です」

 「そうか……

  じゃ、次は――」




















 「さすがに中庭よりもこっちの方が変化してますね」

 「まあ、そりゃそうだろうな」

 「うん、あの時とは全然景色が違うね〜」


 あの頃の景色を思い出す。

 その場を支配していた色は白。

 全てを等しくなかったことにしてしまいそうな、そんな白だった。

 しかし、今辺りを支配しているのは緑。

 生命の息吹を感じる緑。

 本当に変わったと、そう思った。


 「……ここが栞と初めに会った場所か」

 「感慨深いものがありますねっ」

 「……まあ、否定はしないが」


 栞と初めて会った場所。

 即ちあの並木道へと、俺たちは来ていた。


 「ついでに言えば、あゆと本当の意味での再会をした場所でもあるんだがな」

 「ついでなんて酷いよ!」

 「はっはっはっ、半分ぐらいは冗談だから気にするな」

 「残り半分は!?」

 「だから気にするな」

 「気になるよ!」


 そんなことを話しながらも並木道を進んでいく。

 と。


 「大体ここら辺だったか?」

 「そうですね、多分ここら辺だったと思いますね」

 「ということは……あの辺があゆが世界新を達成したところか。

  記念場所に来れて良かったな、あゆ」

 「そっちは全然嬉しくないよ!」

 「世界新、ですか?」

 「ああ、あゆが『感動の再会シーンで木に頭をぶつけた』という世界で初の試みを達成したところんだ」

 「したくてしたんじゃないよ!」

 「……それだけで大体何があったのかが想像できますね」


 苦笑する栞。

 と、その時ふと頭にある疑問が浮かんだ。


 「なあ、栞」

 「何ですか?」

 「……今でもここで俺たちと出会えて良かったって思ってるか?」


 ここで俺たちと出会わなければ自殺していたかもしれない栞。

 結果的に俺たちがそれを止めたことになるが、それは果たして良いことだったのか。

 今更聞いてどうにかなるものでもないが、何となく聞いておきたかった。

 しかし――


 「はい、良かったと思ってますよ」


 栞は何の迷いも見せることなく言い切った。


 「確かに辛いことや悲しいこともありましたけど、楽しいことや嬉しいことも沢山ありましたから。

  祐一さんと楽しくお喋り出来たり、お姉ちゃんにまた妹って認めてもらえたり。

  だから、今でもお二人には感謝してるんですよ?」

 「……そうか」

 「な、なんか照れちゃうね?」


 あゆも言ってるように少し照れくさかったが、それ以上に嬉しかった。

 栞に対して何か出来ていたということがわかったから。


 「それに」

 「ん?」

 「それに、そうじゃなかったら、今こうして三人で居ることなんて出来ませんでしたから」


 死神になってしまいましたけどね、と付け加えて栞は笑った。


 「……そうだな」

 「うん、そうだね!」


 つられるように、俺たちも笑っていた。




















 「商店街、か」


 次に来たのは商店街。

 前二つの場所は栞の希望だったが、今度はあゆの希望だった。


 「うん、ボクたちが初めて会って、そして再会した場所だからね」

 「初めはあゆだってことを気づきもしなかったけどな」

 「まあ、七年振りだったから仕方無いよ」


 あゆと初めて会った場所。

 七年振りに再会した場所。

 その後も、あゆと会う場所といえばここだった。

 そして。

 ――最後にあゆと会った場所もここだった。

 探し物が見つかったと、そう言われて別れてから一週間後のことだった。

 七年間眠り続けた、月宮あゆという名の少女が亡くなったことを聞いたのは。

 ……当然初めは色々と信じられなかったが。

 と、そういえば。


 「なあ、あゆ」

 「何?」


 ふと聞きたいことがあったのを思い出したのだが……

 一瞬逡巡する。

 本当に聞いても良い事なのかどうか。


 「……結局探し物って何だったんだ?」


 ――聞くことを選んだ。


 「え?」

 「ああ、いや、別に言いたくなけりゃ言わなくても良い。

  ただ、気になってただけだから」

 「……大切な人から貰った、とても大切な物」

 「大切な物?」

 「うん、とても大切な……ボクの宝物。

  どこにでもあるような、他の人から見れば大したこと無い物なのかもしれないけど、ボクにしてみれば他の何物にも変えがたいような、そんなもの」

 「そうか……でも、見つかったんだよな?」

 「うん、祐一君にも言った通り、ちゃんと見つかったよ」

 「……なら、良かったな」

 「……うん」


 さっきから、時折頭に何かの映像が過ぎる。

 だが、それは霞が掛かったようにはっきりとは見えない。

 同時に感じる、違和感。

 本来あるべき場所に在るはずのモノが無いような、何ともいえない違和感。

 そして――あゆの顔に映っている悲しみ。

 それは気のせいなのかもしれないが、少なくとも俺にはそう見えた。

 同時に栞の顔も心なしか歪んでいるようにも見える。

 あゆはもちろんのこと、栞も全部知っているのだろうか?

 ――俺は、七年前以前の抜けていた記憶を大体のところ思い出している。

 だが、所々どうしても思い出せない部分があった。

 その中の一つ。

 あゆと出会い、遊んだ記憶はあるのに――最後に別れた記憶が無かった。

 遊んだ部分も、不自然な所は無いはずなのだが、どこか抜け落ちているモノがあるような気もする。

 あゆの宝物とは、それらと何か関係があるのではないか。

 漠然とだが、何となくそう感じていた。

 聞いてみたいと思う。

 が、二人の顔を見ていると聞くのは憚れる。

 聞いてみたいが聞けない。

 ジレンマが俺を襲う。

 と。


 「そういえば、タイヤキの屋台はもう出てないのかなぁ?」


 そんな俺の考えを見抜いたように、不意にあゆが話題を転換した。

 この話はもうお終い。

 暗にそう語っているようで、俺は聞くことを諦めた。

 軽く頭を振って思考を切り替える。

 いつまでも引きずってちゃ二人に悪いからな。


 「さすがにこの時期になってまではやってないだろうな」

 「そっか……残念」


 そう言うあゆの顔は本当に残念そうだった。

 っていうか――


 「タイヤキが売ってたらどうするつもりだったんだ?」

 「え、勿論食べるよ?

  決まってるじゃない」

 「……色々と言いたいことはあるんだが、とりあえず金はどうするつもりだったんだ?」

 「勿論祐一君の奢りだよ!」

 「祐一さん、私にもバニラアイス奢ってくださいっ」

 「奢るか!

  っていうか、天使と死神が迎えに来た人間に集ってるんじゃねぇ!」


 そんなことを言い合いながらも、俺は気づいていた。

 気づいてしまっていた。

 いつも通りに振舞おうとしながらも、時折見せる表情に――微かに翳が掛かっているのを。




















 「本当に、ここまでで良いのか?」


 俺たちはあゆの希望である森の前に居た。

 といっても、本当にあゆが希望したのは森の中のある場所だったのだが。


 「うん、ここらから先はボク一人で行きたいんだ」

 「そうか……」


 それが何なのかは分からないが、何か大事な場所なのだということだけはあゆの雰囲気から分かった。


 「じゃあ、行ってくるね」

 「ああ、時間は気にしないで良いから、気が済むまでゆっくりしてこい」

 「あゆさん……行ってらっしゃい」

 「うん……それじゃ」


 あゆは森の中へと入っていった。

 それを神妙な顔つきで見送る栞。

 栞はあゆの行き場所を知っているようだ。

 聞きたくないわけではないが、言わないということは言いたくないということだと思うので聞かないことにした。

 あゆが居なくなると急に場は静かになり、何となく手持ち無沙汰になってしまった。

 栞は何か思うところでもあるのか、黙ったままだ。

 俺も特に話すことは思い浮かばなかったので、何とはなしにボーっと森を眺めていた。

 そうしているうちにふと気付く。

 ――俺、ここを知ってる?

 こういうのを既知感というのだろうか?

 霞が掛かった記憶にある光景とどこか重なるような気がする。

 この中で誰かと遊んだような気が。

 ――ズキッ


 「っ!?」


 頭痛。

 痛みはすぐに引いていったが、同時にさっきまでの映像も消えてしまった。

 と、その時――


 「この森の中にある場所はですね」


 不意に栞が話し出した。

 それは、話しかけるというよりは独り言に近いような感じだった。

 同時に誰かに教え諭すような響きも含まれていたような気がする。

 俺は黙って聞く。


 「あゆさんがある人と遊んだ場所なんだそうです。

  そして――あゆさんが七年もの間眠ることになってしまった原因の場所」


 何かが思い出せそうな気がした。

 だが、それはあと一歩のところで食い止められていた。

 心が、思い出すのを嫌がっているかのように。


 「今回ここに来た理由を聞かされてはいませんが……多分、決別なんだと思います。

  私と同じように」


 決別。

 それは、何に対しての決別なのか。

 色々と想像することは出来るが……結局本人にしか分からないことだ。

 意味も無い。


 「ただ……今のままでは本当に決別することは出来ないとは思いますけど」


 最後にポツリとそれだけを言い、栞は口を閉ざした。

 栞の言いたいことは何となく分かったが、俺にはどうしたらいいのか分からなかった。




















 「二人とも、もう行きたいところは無いか?」


 あゆが帰ってきて暫く経ってから、俺は二人にそう尋ねた。

 おそらくもう無いだろうことは分かっていたが、念のためだ。


 「私はもう無いですね」

 「ボクももう無いかな?」

 「んじゃそろそろ帰るか。

  もう日も沈みそうだし」


 三人揃って夕陽に照らされた町を歩く。

 一日中歩き回っていたため結構疲れたが、大して気にならなかった。

 疲れはあったが、それ以上に三人で歩き回るのは楽しかった。

 ――そういえば、こうやって町を歩き回るのはかなり久しぶりだな。

 記憶を辿ってみても、思い出せる限りで歩き回ったのは冬以来だ。

 ――色々なことを思い出してしまうから無意識のうちに避けてたのかもしれないな。

 そんなことを考えながら黙々と道を歩く。

 ……三人ともさっきからほとんど言葉を発していなかった。

 理由の一つは、さっきまでのことだろう。

 考えても埒が明かなかったから今では考えないようにしていたが、それでもどこかで気にしていた。

 だが、それもあるにはあるが、どちらかといえばこちらが主な原因であるだろう。

 それは。

 ――あゆたちが現れてから、正確なところは分からないが少なくとも二日以内に俺が死ぬことは確定していた。

 あの日から二日後。

 即ち、今日。

 そして――あと数時間で今日も終わる。

 要するに、これから先はいつ俺が死んでもおかしくないということ。

 今までもそうだったが、これからはその可能性がかなり高くなる。

 しかも今は家への帰り道。

 帰ってしまえば当然事故などに遭う可能性は低くなる。

 つまり、この歩いている間に何かが起こる可能性が一番高い。

 二人ともそれを分かり、そして俺もそれに気づいているから会話が続かない。

 さすがにこんな時まで軽口を叩けるほど神経が太くは無い。

 二人は俯きながら歩き、俺は空を見上げながら歩いていた。

 空は橙と黒とが混ざり合い、逢う魔が刻という名に相応しい不気味な色に染まっていた。

 ――人が死んでもおかしくないような感じだな。

 何となくそんなことを考えていた。

 たまに二人の顔を覗いてみるが、夕陽を浴びた顔は必要以上に不安そうに見せていた。

 そんな顔を見ていると、本当に人の魂をきちんと導けるのかとか要らぬ心配もしてしまう。

 ――これから導かれる奴に心配されちゃ世話無いな。

 つい苦笑が浮かぶ。

 もう一度空を見上げると、黒く染まっている部分に星が瞬き始めているのに気づいた。

 ――そういえば、星を見るのも久しぶりだな。

 最近夜に空を見ることなんか無かったし、何より最近はずっと雨だったからな。

 そんなことを考えていると、不意に何かの音が聞こえてきた。

 これは。

 ――珍しいな、この道を車が走るなんて。

 別に裏道というわけでもないが、大通りというわけでもないのであまり車は通らなかった。

 というか、そもそもこの町ではほとんど車を見かけないような気がする。

 しかも、音が大きい。

 ――トラック、か?

 益々珍しいな。

 一瞬、このトラックに轢かれて死ぬのかと冗談交じりに考えたが。

 ――ちゃんと歩道を歩いているしそれは無いだろう。

 まあ、運転手が居眠り運転でもしているのなら別かもしれないが、さすがにな。

 音が近付いてくる。

 一応警戒だけはしておくかと思った瞬間、気が付いた。

 俺はさっき歩道を歩いていると思った。

 それは間違いない。

 隣を見てみる。

 栞が居る。

 栞も歩道を歩いている。

 だが。

 ――この歩道はそもそもそんなに広くない。

 というか、狭い。

 ギリギリ二人がすれ違えるぐらいだ。

 ……俺は栞とあゆの間を歩いていた。

 つまり。

 ――あゆは歩道では無く車道を歩いている。

 さらに、俺たちは左側の歩道を歩いている。

 そして。

 ――音は後ろから近付いてきている。

 ということは。

 ――あゆ!

 隣をすぐに見るが、すでにその時には視界の端に近付いてきているトラックを捉えていた。

 俯いて何かを考えていることに集中しているのか、あゆはトラックの事に気づいている様子はなかった。

 声を掛ける?

 駄目だ、それでは遅い。

 あゆを突き飛ばす?

 それも駄目だ。

 いつの間にか離れて歩いていたらしく、手を伸ばしても届きそうには無い。

 ――駄目なのか?

 その瞬間頭に過ぎった光景。

 木から落ちるあゆ。

 何も出来ない俺。

 ――紅い、雪。

 次に気づいた時には勝手に身体が動いていた。

 走る。

 トラックはもうすぐそこ。

 手を伸ばす。

 届かない。

 クラクション。

 駄目なのか?

 周りがスローモーションに感じる。

 動かない、身体。

 届かない、手。

 ――また、なのか?

 っ!?

 瞬間、何かが弾けたような音を聞いた。

 同時に視界も思考も全てが真っ白に染まる。

 強烈な衝撃。

 遅れて聞こえるブレーキ音。

 浮遊感。

 そして、二人の少女の悲鳴と――手に残った感触。

 白しか存在しない世界でそれだけを感じた。

 しかし、それは一瞬のことで、すぐに世界は灰色へと変化していった。

 少しだけ意識も戻る。

 ほとんど見えない視界に二つの影が映る。

 顔など全然分からなかったが、あゆと栞だと分かった。

 ――良かった、無事か。

 今度は間に合った。

 そのことに安堵すると、今度は完全に視界が黒く染まった。

 ――こりゃ、やばいな。

 視界もそうだが、すでに身体の感覚がまったく無い。

 まあ、痛みを感じないのは助かったが。

 やれやれ、本当にトラックに轢かれて、かよ。

 まあ、それでもあゆを助けられたんだから良いか。

 だが。


 「ボクなら大丈夫だったのに!」

 「そうですよ、私たちは自分の意思で触れられるものを選べるって言ったじゃないですか!」



 耳もマトモに機能していないはずなのに、何故だかその声ははっきりと聞こえた。

 ……ああ、そういえばそうだったな。

 そのことをすっかり忘れてたことに気づいた。

 ――これ、死因はどうなるんだろう?

 自分のことのはずなのに、どこか他人事のようにそんなことを考える。 

 天使見習いを助けての死亡。

 しかし、その天使見習いは本来傷すらも負う予定ではなかった、ってとこか?

 ……はは、まったくもって締まらない理由だな。

 しかも、何かどっかで聞いたとこある理由のような気がするぞ?

 自分がそんな理由で死ぬなんて思いもしなかったなぁ。

 って、こんな時に俺は何を考えてるんだか。

 つい苦笑する。

 ……でも、まあ良いか。

 大丈夫だったとしても、二度もあゆを見捨てるなんて御免だからな。

 そんな後悔を背負って生きるぐらいなら、こんな死に方の方が何倍もマシだ。

 胸を張って死んでやるさ。

 っと、こりゃ本格的にやばいな。

 意識が朦朧としてきた。

 ……もう死ぬな、こりゃ。

 二人の悲しげに歪む顔。

 そんなものが見えた気がして。

 ――ちっ、二人にそんな顔はさせたくなかったのにな。

 意識が消える直前に、そんなことを思った。




















 気づいた時には闇の中で一人佇んでいた。

 ――何処だ、これは?

 朦朧とする頭で考え、車に轢かれたことを思い出した。

 ――俺は死んだのか?

 ……ということは、これがあの世か?

 それとも、これから連れてかれるところか?

 ……個人的には是非とも後者であって欲しいのだが。

 こんなところがあの世だったら詰まらなくて死んでしまいそうだ。

 ……いやまあ、その時点ですでに死んでるわけだが。

 と、そんなことを考えていると突然声が聞こえてきた。


 「いいえ、そのどっちでも無いですよ」

 「これは、祐一君の夢の中だよ」


 聞き覚えのある声。

 というか、さっきまで聞いていた声。

 ――あゆと栞?


 「はい、そうです」


 栞がそう応えると、目の前に二人が現れた。


 「やっぱり姿が見えてた方が良いだろうからね」


 あゆが応える。

 ――っていうか、さっきから声は出してないはずなんだが?


 「さっきも言ったとおり、ココは祐一さんの夢の中ですからね」

 「考えたことがボクたちに直接伝わっちゃうんだよ」


 そりゃ、便利なんだが不便なんだか。


 「そうですね」


 んで、これが俺の夢ってどういうことだ?

 俺は死んだんじゃ無いのか?


 「ううん、ちゃんと生きてるよ?」


 トラックに轢かれたのにか?

 しかも思いっきりだぞ?

 運転手には俺が突然飛び出したように見えたはずだから、ブレーキなんかほとんどかかってないはずだし。


 「確かに死ぬ寸前ではあったんですが、私たちが治したんですよ」

 「見習いとはいえ、天使と死神だからそのぐらいは出来るんだよ」


 治した?

 何で?

 俺は死ぬはずだったんだろ?

 勝手にそんなことしていいのか?


 「ええと、それがですね……」

 「……実は、勘違いだったんだ」


 ……は?

 勘違い?


 「はい、確かに相沢祐一さんは死ぬ予定だったんですが……」

 「それは祐一君じゃなくて、別の相沢祐一君だったんだよ」

 「つまり、同姓同名の別人だったんです……」

 「しかも、歳も同じで……」


 ……もう、何て言うか、怒る気力も無くなったな。


 「……すいません」

 「……うぐぅ」


 ……まあ、良いが。

 で、何でそれと俺の傷を治すことが繋がるんだ?

 お前らのことを詳しく知ってるわけじゃないが、何となくお前たちが俺の傷を治すちゃうのは駄目なような気がするんだが?

 しかも、死ぬような傷だったわけだし。


 「それはですね……本来、祐一さんは死ぬ予定では無かったということは、私たちが祐一さんの前に現れることは無かったということです」

 「つまり、ボクを庇うってこと自体が起こるはずが無かったんだよ」

 「でも、実際は起こってしまった」

 「その結果、祐一さんは死ぬんでしまうほどの傷を負うことになってしまった」

 「それは、ボクたちが人の死に干渉してしまったということになってしまう」

 「私たちは人の生き死にに関わってはいけないという掟がありますから、今回のはそれに違反してしまうんですね」


 だから俺の傷を治したってことか?

 それはそれで干渉してしまってる気がするんだがな。


 「それはそうなんだけど……」

 「今回は仕方ないということで何とかしてみるつもりです」


 ……大丈夫なのか?


 「大丈夫だって!」


 あゆは元気よく返事をしたが、やはり不安だった。


 「大丈夫ですって」


 栞にも言われてしまったので、不安ではあったが納得するしかなかった。

 まあ、ここら辺も二人には通じてしまっているのだろうが。


 「……さて、それではそろそろお別れです」


 ……そうか。

 二人の姿が段々と薄れてきた。

 言われなくても、居なくなるんだということが一目で理解できた。


 「次に会うときは、祐一さんが死ぬ時ですね」

 「何時になるか分からないけどね」


 ……何か、嫌な言い方だな。

 まあ、実際そうなんだろうが。

 でも、今度も二人が来るとは限らないじゃないのか?


 「大丈夫です……無理やりにでも来ますから!」

 「そうそう!」


 ……全然大丈夫じゃ無いと思うんだが。

 ……まあ、楽しみに――ってのも変な気がするが、楽しみに待ってるよ。


 「はい、楽しみに待っててくださいね」

 「それじゃあ」


 そして、二人は一度だけ息を付くと――


 「今ではない何時か」

 「ここじゃない何処かで」

 「「またお会いしましょう(会おうね!)」


 微笑みながら、そう言った。

 ああ――またな。

 二人の姿が薄れていく。

 手を振り顔は笑顔なのだが、どこか無理をしているような顔でもあった。

 でも、それは気のせいだということにしておく。

 目尻に光るものが見えるような気がするのも、全部気のせいだ。

 二人が笑顔で別れようとしているのだから、そんなことは心の奥底に閉じ込めておくべきだと思った。

 だから、俺も笑顔で別れる。

 また、会えるのだから。

 そして、消える直前――


 「祐一君、助けてくれてありがとうね」


 二人の姿が完全に消える。


 「――二人とも、またな」


 最後にもう一度だけ、口に出して言ってみる。

 その言葉もすぐに闇に同化して消えてしまったが。

 ……あゆの言葉が耳に残っていた。

 やっぱり助けてよかったと。

 そう思った。

 しばらくは二人が居た場所をジッと眺めていたのだが、やがて浮遊感のようなものを感じる。

 上へと上昇していっているような感じ。

 目が覚めるんだと気づいた時には、視界の全てを光が覆っていた。
 
 ――白。




















 「祐一、本当にもう大丈夫なの?」

 「大丈夫だって。

  検査でも問題無いって言われたし」


 ――あの日からすでに三日が経過していた。

 昨日退院し、今日は事故後初となる登校だ。

 本当はすぐにでも退院出来たのだが、検査やら何やらで結局昨日の夕方になってしまった。


 「もう、本当に心配したんだからね」

 「悪かったって」

 「……でも、何で急に飛び出したりしたの?」

 「……まあ、ちょっとな」

 「……ふ〜ん」


 それ以上名雪は聞いてこなかった。

 結構勘の鋭い名雪のことだから何かを感じたのかもしれない。

 あの事故のことは俺が突然道路に飛び出したということになっていた。

 まあ、運転手にはあゆの姿は見えなかったのだから当然だが。

 怪我も何も無かったことには医者も運転手の人もびっくりしていた。

 しかし、事情を話すわけにもいかないので身体が丈夫だということにして誤魔化した。

 絶対それで大丈夫なわけはないのだが、それ以外に説明も付かないので医者は納得したようだった。


 「それにしても、結局電話してくれたのは誰だったんだろうね?」

 「……さぁな」


 実は、運転手の人は事故が起こった時には気が動転していて、救急車を呼んだりすることが出来なかったそうだ。

 でも、救急車はちゃんと来た。

 後で警察に聞いてみたのだが、電話をしてきたのは声からして女の子のようだった、だそうだ。

 ――まったく、その時にはまだ勘違いしてたってことに気づいてなかっただろうに。

 そんなお人よしで天使と死神は続けられるのかつい心配になってしまう。

 まあでも、たまにはそんな天使と死神が居ても良いだろう。

 そんな風にも思う。

 その後は名雪と雑談をしながら学校に向かった。

 教室に入ると、一番に北川が寄ってきた。


 「よう相沢、生きてたのか」

 「……北川、それは洒落になってないぞ」


 実際本気で死ぬところだったし。


 「それに、お前とは昨日もあっただろうが」

 「ふむ、そういえばそうだったな」


 北川は相変わらずだった。

 北川とそんなことを話していると、香里が近付いてきた。


 「でも、本当に無事で良かったわね」

 「おお香里、心配してくれたのか?」

 「当たり前でしょ」

 「ふっ、なるほど、香里は俺にホの字のようだな」

 「え、そうだったの?」

 「名雪、そこで信じないの」

 「そうだぞ、美坂は俺にホの字なんだからな!」

 「何!?

  貴様、俺のライバルか!」

 「ふ、知らなかったのか?

  俺とお前とは強敵と書いてともと呼ぶ関係だったんだぜ?」

 「くっ、そうだったのか!

  これが三角関係というやつか!」

 「ね〜、私はどこに入るの〜?」

 「……はぁ、本当にあなたたちはいつも通りね」


 香里が呆れながら溜息を吐く。

 確かにいつも通りだった。

 そのはずだった。

 だが、何故だろうか?

 こんなにも。

 ――胸にポッカリと穴が開いたような気持ちになるのは……

 その後は本当にいつも通りだった。

 いつも通り授業を受けていつも通り北川とバカをやったりして。

 ……でも、どこか上の空だった。

 そして、放課後。

 挨拶もそこそこに早々に教室を出る。

 その後は適当に歩き回った。

 学校・商店街・並木道・通学路。

 一通り回ってから家へと帰ってきた。

 部屋の前で佇む。

 ……何処を通っても、もう隣から声が聞こえることは無かった。

 まあ、二人がいないのだから当然なのだが。

 それでも、寂しさを感じてしまうのは何故なのだろうか。

 ほんの一週間前まではこれが普通だったのに。

 たった三日間の出来事でしかなかったのに。

 家に帰れば名雪や秋子さんが居る。

 学校に行けば香里や北川が居る。

 クラスメートのみんなが居る。

 なのに。

 ――何か物足りない。

 ……でも。

 ――こっちに慣れないといけないんだよな。

 二人もそんなことは望んでいないだろうから。

 それに、二人とはもう二度と会えないというわけではない。

 ……まあ、俺が死ぬ時になってしまうわけだが。

 それでも、また会えることに違いは無い。

 だから。

 ――次に会う時には、胸を張ってもう悔いなんか無いと言えるように、これから頑張っていこう。

 そう心に誓いながら、俺は部屋の扉に手を掛ける。

 今回の出来事の始まりはこの部屋からだった。

 だから、次に進むためにもこの部屋から。

 そんなことを考えながら、俺は扉を開けた。

 ――また、今度は本当に俺が死ぬ時にな。

 ――あゆ。

 ――栞。








































 そんなことを考えながら部屋に入ったはずなのに――


 「あ、祐一君おかえり〜」

 「祐一さん、おかえりなさいっ」


 何故か部屋には天使さんと死神さんが居られました。

 しかも、何故か将棋をやっていた。


 「……お前ら帰ったんじゃなかったのか?」

 「それがねぇ、聞いてよぉ」

 「実は、祐一さんを同姓同名の人と間違えたせいで謹慎処分を言い渡されてしまいまして」

 「本来は自宅謹慎なんだけどボクたち見習いだからまだ自宅を貰えて無いんだよ」

 「それで、仕方が無いからここでお世話になろうということになりまして」

 「何がどう仕方が無いんだ?」

 「そういうわけだから、これからまた暫くの間よろしくお願いします!」

 「いや、だから」

 「お願いしますねっ」


 ……文句を言ってやろうかとも思ったが、無駄っぽかったので代わりに窓から空を見上げた。

 抜けるように蒼く高い空。

 雲は白い。


 「……そういえば、何で将棋なんかやってるんだ?」

 「ほら、何となく格好良さそうじゃないですか」

 「……はぁ」


 ――季節は夏。

 梅雨が終わろうとも賑やかな生活はまだまだ終わりそうにないようだ。




















 「ねぇ、祐一君?

  やっぱり囲碁の方が格好良かったかな?」

 「知るか!」