自然誘導研究所、2Fの203号室。
そこが僕の研究室だった。
広々とした空間は僕のアパートの何倍も広くて、設置された水道や電子機器の数々は、もはや数えるのが鬱陶しくなるぐらいたくさんあった。
なのに、だ。
こんな広すぎるぐらいのスペースに、研究員はたった三人しか配属されないのは、もはや自然誘導化学ならではの現象と言っていいだろう。
僕と、教授と、もう一人。
無論、女性である。男ばかりの研究所など、絶対に入ろうなどとは思わない。
そして、僕が無謀にもこんな大規模な研究に志願した理由の一つ……いや、最大にして唯一の理由だ。
こんなことは口が裂けても言えないが、とにかく片思いというやつである。
だが、人生はままならぬもので……。
Rain 〜ちょっとだけ未来のお話〜
時代は常に変化する。
多種多様な技術が人々をにぎわせ、そして日常へと沈殿していく。
そんな時代にあって、僕は大学へと進んだ。
明確な目的も持たず、高校時代の延長として。
もしかしたら、それは運命と呼べる糸で結ばれていたのかもしれない。
もちろん確かめる術など持たないし、そもそも運命という存在すら疑っていたけれど。
僕が選んだのは、近くにある大きな街から電車で一時間半の大学。
広々とした敷地と、ガラス張りの近代的な建築物がミスマッチする場所。
『県立自然科学研究所付属大学』という。
なんともインパクトに欠ける名前だと、我ながら思う。
だが、僕が最も惹かれたのは、もちろん名前ではない。
就職率90%の高い水準と、生物化学(バイオテクノロジー)に次ぐ最新の研究が、ここで行われていたからだ。
かつて、雨を降らせようとした青年がいたという。
その技術は失われ、永遠に謎のままだ。
科学技術が人間の域を超えそうになったとき、自然を操るという学問が生まれた。
すなわち……自然誘導化学である。
『自然誘導化学研究誌』より、僕の記事を抜粋
6月20日。
今日のクラスアワーで、教授が「プロジェクト」の参加志願者を募っていた。
何でも、総予算4億円のビッグプロジェクトらしい。
4億円……宝くじに当たっても、到底手が届かない金額である。
国家規模で行われる実験は、面倒なものが多い。
総当りの実験を短時間でやらされたり、失敗した責任を一人で負わなければならない場合もある。
教授などは、自分の職を失わないために書類を書き換えたりするからだ。
それを誰もが知っている。
だから、誰も手を挙げない。
ややあって。
最前列に座っていた彼女が挙手する。
プロジェクトは最大十人まで、と教授は言っていた。
ここで手を挙げれば、彼女と一緒に研究が出来る。
しかし、ここで手を挙げれば、面倒な研究を毎日やらねばならなくなる。
しかも、もし一歩間違えれば破滅は免れない。
「――――!」
すぐ、脳内会議が開かれる。
即時決着。
僕の手が、音を立てて伸びた。
満場一致だった。
そしてそれが、僕の破滅への一本道となった。
以下、気温と湿度は定時の書き込みの12:00とする!
研究初日。
曇り・湿度61%・気温21℃
研究室に五十以上の化学薬品と、微粒子が入った薬ビンが百前後、運び込まれた。
いずれも環境に影響が出ないことを前提にしているため、劇薬の類は混ざっていない。
業者に確認を取り、全てが揃っていることを確認。
彼らが帰った後で、改めて思う。
研究室が、無駄に広い。
そのうち、教授にパネルか何かで個人スペースを作れないか尋ねてみよう。
今日は一日、薬ビンの整理だけで終わりそうだ。
二日目。
晴れ・湿度44%・気温25℃
整理が終わった。
今日から実験に入るようだ。
実験は、備え付けの機器に薬剤や微粒子をいれ、水蒸気の状態を逐一確かめるものだ。
人間が出来ることは少ない。
だからこそ、三人という人数で研究が進むわけだ。
いや、まぁ志願者が二人しかいなかったのは内緒だが。
……彼女と、何度か目が合ってしまった。
向こうはどう思っているのだろうか。不安だ。
三日目。
晴れ・湿度37%・気温25℃
大体要領が掴めて来た。
この調子で慣れていけば、一日に50前後のビンを消化できそうだ。
全て終えたとしても、今度は薬剤同士の調合や、微粒子を加えての実験があるけど。
果てしない実験になりそうだ。
そして、果てしない片思いになりそうだ。
四日目。
曇り・湿度50%・気温22℃
暢気な教授はとにかく、彼女はペースが早い。
おそらく、物事の本質だけを見抜いているのだろう。
……今日読んだ小説の受け売りだ。
彼女と会話する機会も減った。
哀しいことだ。
五日目。
雨・湿度76%・気温20℃
雨は嫌だ。じめじめするし、実験データが狂いやすい。
湿度が高すぎると、薬品の効果が薄くなりやすいからだ。
これは教授に言われたことだが、降雨効果の薬品や微粒子は、基本的に乾燥していなくてはならないらしい。
水の吸着力と、降雨効果とは別物だ……と言っていた。
彼女はしきりにうなづいていたが、僕はさっぱりだった。
六日目。
晴れ・湿度61%・気温23℃
海が恋しくなってきた。
焼け付くような砂浜!
青く光る海!
眩しいぐらいの水着!
……今日も研究室に篭りっぱなし。
いい加減、頭がおかしくなりそうだ。
七日目。
とりあえず、一次作業が終わった。
三人での作業は、一日あたり平均54、最高の日は71をこなした。
次は、二種類の対象物を混ぜる二次実験だ。
今度は混合させる手順があるので、ペースは格段に落ちるだろう。
面倒くさい。
八日目。
曇り・湿度59%・気温20℃
昨日の天気と湿度と気温を忘れた。
レポートにまとめる際に困る…。
後で新聞をチェックしておかなくては。
……昨日は彼女とお近づきになれた♪
薬品の混ぜ方が手順に沿っていなかったらしく、手取り足取りで……いや、大げさだが、何度も教えてもらった。
今日も教えてもらいたいが……流石に頭が悪い印象を与えてはいけないと思う。
自粛すべきだ。
九日目。
晴れ・湿度57%・気温27℃
本格的に暑くなってきた。
扇風機とエアコンの季節だ。
決して、蝉の季節なんかじゃない。
あんな虫が夏の風物詩でたまるか!
あと、風鈴も嫌いだ。
存在意義が分からない。
……さっき書いてる途中、彼女にパソコンを覗きこまれた。
危ない危ない。
僕が”一方的に好き”なことがばれてしまう。
あってはならないことだ。
うん、これからは気をつけなければ。
十日目。
晴れ・湿度44%・気温28℃
暑い……今日は長袖のシャツを選んでしまった。
僕の完全なミスである。情けない。
彼女に心配されたが、そこまで酷い顔をしていただろうか。
ちょっと鏡を見てみよう。
……無精ひげに汗だくだく人間は、流石に敬遠されるな。
そういえばさっき、彼女、ちょっと遠巻き僕と話していたな。
ああああああ!?ま、マジかぁぁぁぁ!?(心の叫び
十一日目。
ちょっと中断。
昼の時点で、降雨効果が疑われた二次実験があった。
昼飯そっちのけで突き詰めることになりそうだ。
よっしゃ!名誉挽回ぃぃぃ!!!
十二日目。
曇り・湿度61%・気温24℃
昨日の混合物を一旦保留した。
まだ薬品の組み合わせは1割程度しか終わっていない。
除外される組み合わせも多いが、その分全体が膨大だから。
流石に三次までやるつもりは無いだろうが、せめて二次は終わらせておきたいのだろう。
実地実験まで、何週間かかることやら…。
十三日目。
晴れ・湿度47%・気温26℃
疑わしき混合物が三件。
全て保留しておいた。
方針として、疑わしきは保留、それ以外をさっさと実験してしまおうという作戦だ。
残りは8割と少し。
ああ、憂鬱だ……。
十四日目。
たまの休日である。
彼女を誘ったら、条件付でOKが出た。
デートできるなら……と思ったら、どうやら違うらしい。
朝から原付で市内を走り回る羽目に。
散々あっちへこっちへ駆けずり回って、買ったのは他愛もない日用品だった。
そんな安いもの買わなくても、僕が……!!!と言ってしまいそうだった。
こらこら、それじゃばれてしまうだろう。
馬鹿だな、僕も。
十五日目。
雨・湿度70%・気温23℃
二次実験を一度中断するらしい。
これまでに反応を示した疑わしき物資は、合計九ある。
ここから近くにある「乾燥地帯」に各物質を惜しげもなく撒き散らし、あわよくば雨を降らせようという計画だ。
撒き散らすのは空中での作業なので、高度8千mまで飛行機で飛んでいく。
計画自体は、飛行船から薬品を撒き散らして天候を左右する案が有力らしいので、そういった研究内容になっている。
雨が降ったあと、立ち木が枯れていたり、銅像が溶けていたりするのだろうか。
ああ、怖い怖い。
十七日目。
雨・湿度79%・気温21℃
昨日の薬品を撒き散らした結果は、失敗に終わった。
幾つかの地域で、流れてきた雨雲と合流してしまった部分があるからだ。
気象予報図では、風の強さを誤算していた。
なんともはや、役に立たない予報である。
十八日目。
晴れ・湿度67%・気温25℃
彼女と少し話していた。
彼女はパソコンが得意らしい。
人よりも細かい部分までカスタマイズできるとか、何とか。
僕には縁のない話だが、調子の悪いこのノートパソコンを見てもらうことにした。
もちろん、危険な画像や、この日記のような見られて困るものは、外部機器に移動した。
明日の朝が楽しみだ。
十九日目。
晴れ・湿度68%・気温27℃
パソコンが帰ってきた。
速くなっていた。驚きだ。
彼女曰く、クリーンアップや最適化をするべきらしい。
パソコンは分からない。
家庭用ゲームならいくらでも話せるのだが。
あ、そうそう。あと、女優の話も得意だった。
もちろん日本人だ。叫ぶ女優ばかりだが。
二十日目。
晴れ・湿度61%・気温29℃
教授の受け持っている授業の一環として、薬品の合成と作業の一部を手伝ってもらえることになった。
今日の午後3時から、5時まで約二時間やってくれるらしい。
合計40人というから、かなりはかどるだろう。
自分の手でやらない分不安だが、忙しさが短縮されるなら願ってもないことだ。
さて、頑張ろうではないか!!!
二十一日目。
晴れ・湿度58%・気温30℃
ついに30℃を突破してきたか。むむっ!暑いぞ。
昨日の実験の手伝いで、多少荒れた部分はあったものの、実験自体は8割ほど終わった。
残っているのは重要でない部分ばかりだし、システム的に見ても、万が一あるかもしれない、程度のことだ。
理論自体は既に教授が打ち立ててあったから、確認作業になるってこと。
さ、流していきますか?
二十二日目。
曇り・湿度55%・気温27℃
研究が終わりに近づいてきた。
つまりそれは、彼女との永遠の別れを意味する。
……いやだ。
冗談でも、そうなりそうでいやだ。
さ、彼女とやれるのも一週間ぐらいだろう。
がんばらねばっ!
二十三日目。
晴れ・湿度58%・気温30℃
今日の朝、何故か彼女と口げんかになった。
多分些細なことだったと思うのだが…。
気が立っているのだろう。
もしかしたら、女性特有のアレかもしれない。
ふむ、そう考えておきたい。
嫌われることが無いことを祈る。
がんばれ、僕。
二十四日目。
曇り・湿度50%・気温31℃
彼女に平手打ちされた。
僕、何か悪いことした?
二十五日目。
雨・湿度76%・気温27℃
教授に怒られた。
ショックなことが重なる。
確かにたるんでいたし、投げやりになっていた。
けど、もう無理―――
二十六日目。
曇り・湿度61%・気温27℃
朝、彼女が謝ってくれた。
この前の平手打ちは誤解だったらしい。
けど、やっぱり気まずいかも。
二十七日目。
晴れ・湿度59%・気温28℃
実験も、明日ぐらいには終わる。
そういえば、二十五日目の日記に天気湿度気温を書き忘れたと思ったんだけど、書いてあるね。
なんでだろ。
書いた覚えないのに、書いてたのかなぁ?
不思議だ。
二十八日。
曇り・湿度51%・気温26℃
実験が残り10を切った。
これまでに残った疑わしき薬品類は18。
二回の頒布で全てを終えることが出来る。
彼女と別れるのはさびしいが、仕方ないことだ。
そうだ。今日、ウィルスが沢山出てきた。
合計で十以上。びっくり。
最近は忙しくて、友達に聞いた危ないサイトには近づかなかったのに。
なんでだろ。
また、不思議だ。
二十九日。
晴れ・湿度49%・気温33℃
今までに一番暑い日。実験には好都合だ。
雲も近くにない。一番近いのは、遠い海の上で漂う積乱雲だけだ。
彼女と教授と、三人のドライブ。
飛行場までは、二時間ぐらい。楽しくなるといいな。
三十日。
晴れ・湿度55%・気温31℃
雨は降らなかった。
雲の発生具合から見ても、雨は降らないだろう。
三人とも、落ち込んだ表情で、それでも残りの8のビンに全てを託していた。
三十一日。
晴れ・湿度56%・気温32℃
日を置いて、明日あたりにもう一度飛ぶらしい。
……最後のチャンスだ。
三十二日目。
晴れ・湿度61%・気温32℃
再び、飛行場へ。
最後のチャンス。
……7月、21日。
……7月、22日。
雨は、降らなかった。
僕は責任を取らされて無期退学。
うちの大学は、そういった面でかなりシビアだったから。
けれど、後悔はしていない。
彼女と過ごした時間と――何より、楽しかった実験の時間が、僕の糧となるから。
最後に飛んだとき。
薬品を頒布した後、彼女は僕を見た。
教授が見ていない隙に、よろけた弾みで僕に体を預ける。
思わず、身じろぎする僕。
彼女は、微笑んで―――
僕の頬に、優しくキスを……。
彼女の行為に、どれだけの意味があったのか、僕は知らない。
もしかしたら、別れを惜しむだけの西洋的な挨拶だったかもしれないし、万が一にも、僕を好きだったというメッセージだったかもしれない。
もう、永遠に分からないことだ。
僕と彼女は、もう会うこともないだろうから。
……今日は、7月23日だ。
学校を退学になってから、たった一日しか経っていない。
大学へ進むほどの頭脳も今は無いし、鍛える気力もない。
就職……。
どこへ行けばいいのだろうか。
とりあえず、職を探さないことにはダメだ。
僕は、パソコンのスイッチを押す。
ゆっくりと立ち上がるOS。
少しだけ体感速度が速くなった起動は、彼女のことを連想させた。
ちょっとだけ、さびしくなる。
……あれ?
デスクトップに、見慣れないファイルがある。
昨日まで無かったものだ。
ウィルスだろうか、はたまた置き忘れたファイルだろうか?
十日以上前に起きた不思議な現象と、彼女に貸したノートパソコンの繋がりが閃く。
「わはは!そんなこと……!」
笑い飛ばす。
そうじゃなきゃ、やってけない。
万が一なんて、一万回のうちに一回しかありえないから万が一なのだ。
千でも百でもない。
人間が生きているうちに、一万回のチャンスなんて転がっているのか不思議なくらいだから。
「?」
思考の海に沈んでいる間に、スクリーセーバーが流れ出した。
いつものロゴ画面じゃなく、文字が流れてくるやつになっていた。
これは、もうイタズラと確定したのではないだろうか。
もしこれが彼女ならたちの悪いイタズラだと笑ってやろう。
もし……別人なら。
今の僕なら、バットか包丁持参で殴りこむかもしれない。
「笑えないな、ほんとに」
そうこうしているうちに、台詞が流れ出す。
『貴方の運命の女性は、ズバリ!香奈さんです!』
……目が、点になった。
きっと、あれだ。
僕は夢を見ているんだ。
だって、こんないんちきくさい台詞、今どきどこの占い師が言うだろうか。
きっと、カスタードクリームよりも甘ったるい少女漫画でも言わないだろう。
『今日のラッキープレースは、研究室でーす!』
夢だ、これはきっと夢なんだ。
今から研究室へ行っても、いいことなんて一つもない。
だから……
『香奈さんが、待っていますよ?行ってあげては?』
なにやら、妄想の産物としか思えないような台詞である。
だが、少しだけ……都合の良い妄想が、頭の中で浮かんできた。
少しずつ、それは僕の脳を侵食し、やがて正常な思考を奪っていった。
研究所へ、行ってみよう。
笑いものになっても、構わない。
もし……万が一、香奈さんが待っているなら、僕は行かなきゃならないからだ。
パパパパーン!!!
教授と香奈さん、たった二人だけの歓迎で……それで、何故か手にはクラッカーを持っていた。
扉を開けた瞬間に銃で撃たれたみたいなものだ。
びっくりして、しばらく動けなかった。
「雨が、降ったのよ!」
正常な思考は、今のところ持ち合わせていない。
とりあえず、平静を保とうと努力した。
「お〜、それは良かった」
「君。つまり、成功したということなんだが、実感が沸いてないのかね?」
「責任逃れした責任者が何を言うか」
「ぐむぅ」
どうやら図星だったらしい。
それきり黙ってしまった。いい気味だ。
「で……?」
「貴方の退学も取り消し、単位も認定、大プロジェクト成功の責任者なのよ!」
彼女が興奮した口調でまくし立てるが、本当に実感は無かった。
「あー、えーと…なんで僕が責任者?」
「こ、こほん!気にするでない若者よ。手柄は若いもんにやるもんじゃ」
「責任逃れした責任者は黙ってろ」
「……」
ぐうの音もでないほど図星だったらしい。
渋い顔で、とても悔しそうだった。
へん、ざまあみろだ。
「それで……一つ貴方に謝ることがあるの」
深刻な表情で、彼女は切り出した。
こんな場合の時と雰囲気と場じゃ無いと思ったが、まぁどうでもよかった。
とりあえず、居場所が無くならなかっただけのことだったから。
彼女と離れるなら、学校にいてもいなくても、同じことだ……。
「貴方の日記、見てたの!ごめんなさい!」
「?」
「えーっとね……最初は出来心だったんだけど!ついつい……(^^;」
それは、つまり……?
「トロイ型ウィルスが手元にあったからそれを利用して、駆除される前に遠隔操作用のプログラムを組み込んだの」
つまり……。
つまり……。
「平手打ちは日記を読んでつい……あと、天気の書き足しは私の仕業♪」
頭が、壊れそうだった。
日記を見られた。
それは、最終的に告白と同義であると、僕は知っていた。
返事が、怖かった。ただ、それだけなのに。
僕の手は震えていた。
「それで」
彼女は俯いたまま、僕の手をとった。
彼女の手は、暖かかった。
「これから、よろしくねっ、かーれしっ!」
正常な思考は、どこかに忘れてきてしまった。
これは夢なんだろう。きっと。
だって、教授がどこにもいなくなっていた。
けれど、そうでもいい。ずっと覚めない夢なら―――
「おはよう。起きた?」
「夢落ちかよっ!」
思わず突っ込んだ。
寝起きは悪くないほうである。
振り上げた手をどうすることもできなくて、頭を掻いた。
「うふふっ、どんな夢を見てたのかなー?」
「あー、君の得意なハッキングじゃ僕の脳内は見れない罠」
「そうよねぇ……」
彼女は僕にもたれかかってくる――
「話してくれないの?」
「うぅぅ……」
どうやら、勝てそうにない。
「香奈、頼むから上目遣いはやめて……」
退屈できない日々は、ずっと続きそうだ。