放課後、茜射す夕刻の体育倉庫前。
「で、話って何?」
「う、うん……」
俯いたまま恥ずかしそうに、前に組んだ手をもじもじとさせている少女。
「実は……私……入江くんのことが……」
「お、俺のことが……?」
これから来るだろう彼女のセリフを先読みして、俺の身体にも緊張が走る。
そりゃまぁ下駄箱にかわいらしい丸文字で、
『放課後、体育倉庫の前で待ってます』
なーんて手紙が入れられていれば、その後の甘酸っぱい展開は否応無しに期待してしまうものですがね。
「私、入江くんのことが……ずっと前から好きでしたっ!!」
「いずみちゃん……」
うん、期待通りのこの展開。
持てる勇気を振り絞って告白してくれた、目の前にいる美少女・いずみちゃん。
もう愛しくて堪りません。
そんな彼女を思わず抱きしめてしまう俺。
「い、入江くん!?」
「……俺も大好きだよ、いずみちゃん」
「―――!!」
俺の胸の中で、声にならない喜びをあげるいずみちゃん。
そして、二人の視線は交錯する。
「……」
そっと閉じられる彼女の瞳。
やはり緊張しているのか、眉間に若干しわが寄っているようにも見える。
「うっ……」
望んでいた展開ではあるが、いざ実際その場に置かれてみるとなると相当に緊張する。
でもそれは彼女だって同じ。早く安心させてあげないと……
「……」
ゆっくり近付く二人の唇、その距離は限りなくゼロになっていく。
あと3センチ、いや2センチ、そして1センチ……




ガコン
「ッ!!」
額に受けた冷たい衝撃で目を覚ます。
そこは見慣れたいつもの教室、どうやら座ったまま舟を漕いでいたようだ。
机の上にはビッシリと英文が詰まった問題用紙、それとは対照的に真っ白な解答用紙。

今日は日曜日。
朝から降り止まない雨が気分を更にブルーにさせる、全国模試真っ最中の日曜日。








夢でキス、キス? キス!!








教卓に座っている試験監督の先生が、チラッと腕時計を確認する。
「えー、残り30分な」
英語の試験は1時半までで、今の時刻がちょうど1時。
今からどう足掻いてもまともな点が取れる訳がない。
まぁ、開始10分で戦意を喪失したからどうでもいいんだけど。
そしてその後は夢の中へ。

それにしてもその夢……惜しかったなぁー
あと1センチでキスしてたのに、あークソ、ホントに惜しい。
相手の娘も相当に可愛い娘だったし、ファーストキスの相手として文句無し、いやむしろ相応しい相手だったのに。
……夢のキスをファーストキスだと認識するのかどうかは置いといて。

しかし……誰だったんだろう、あの娘?
『いずみちゃん』って夢の中の俺は呼んでいたけど、実際の知り合いにそんな名前の娘はいない。
それ以上に何で俺、彼女の名前が分かっていたんだろう?
それに夢の中ではしっかりと見えていた彼女の顔が、こう起きている状態だと霞がかかったようにぼんやりとしか思い出せない。
相当な美少女だったことは確かなんだけど……
「……」
ならばもう一度確認してみるまでよ。
再び夢の世界へ潜り込み、先程の続きをプレイしよう。
『いずみちゃん』の唇を奪うことが、模試より何より大事なことであるのは間違いないし。
「んしょ……」
今度は机に頭をぶつけるなんてヘマをしないように、あらかじめ机に突っ伏した状態で眠りに入る。
それではいざ行かん、夢の世界へ。
夢でキスキスキス、キスキスキス、どこへもどこまでも……








「……って」
放課後、真っ赤に燃え上がる体育倉庫、そして校舎。
「何でこんなバーニングな夢になってんだよぉー!!?」
しかし目の前にあるのは先程と同じ学校でも、夕日の赤ではなく炎の赤で染まった学校。
俺の望んだ甘酸っぱい展開は何処に!? そして愛しの彼女の姿は!?
「お、俺はこんな夢なんか望んじゃいねぇぇぇー!!」


「そんな自分の夢に対して文句言われても」
「え?」
声のする方を振り向く。そこには……
「い、いずみちゃーん!!」
いた。愛しのマイハニー・いずみちゃんの姿が。
「え、あ、ちょちょっと!!」
彼女を抱きしめようと飛び掛るが、その身をさっとかわされ、俺の両手は空を切る。
「な、何なんですかいきなり!!」
「何なんですかって、そりゃいずみちゃんと先程の夢の続きをしようと言うことじゃないか」
「さっきの続きって……」
明らかに怪訝な顔でこちらを見つめる彼女。
……さっきの夢は無かったことになっているのか?
「こんな状況下であの告白の続きをしろと? そんなムードもへったくれもない……」
否。これは先程の夢の続きだ。
舞台が燃え上がっていることと、目の前にいるいずみちゃんの言動がガラリと変わっていることを除いては。
「ムードがどうのこうの言ってる場合じゃないの! 行き場を失った俺の唇はどこに着陸すればいいのさ!?」
「……ムチャクチャ言うね、入江くん。夢の中だから別にいいけどさ」
「ああそうさ、夢だからこそこんな戯言が吐けるんだよ、そしてキスだって!!」
「ちょ、ちょっと!! だから抱きついてこないでって!!」
「うるさい!! 俺の夢なら俺の言うこと聞け!!」
先程の寸止めの無念を晴らすべく、ただひたすらに追いかけっこ。
しかしなかなか掴まってくれないいずみちゃん。俺の夢のくせに生意気な……


「もうっ、運良く見つけた明晰夢を見れる人間がこんなムチャクチャなヤツだなんてっ」
「……明晰夢?」
「そうよ、『これは夢なんだな』と夢の中で自覚できる夢で、ちょうど今あなたが見てるこの夢が明晰夢」
「た、確かに自覚できてるけど……」
突然出てきた専門的な単語に、彼女を追う手が一旦収まる。
確かに今、俺は夢の中にいることを自覚しているが、そのことをズバリと言い当てられた訳で。
どことなく彼女に対して不気味な物を感じた。
「じゃ、じゃあ……君は何なのさ?」
「私……『私』のこと? それとも『いずみちゃん』のこと?」
「え? いや……言ってる意味がよく分からないんですが」
「んーと、『私』は今こうしてあなたに夢を見せている張本人で、その夢の中であなたは『私』を『いずみちゃん』だと認識してるの」
「え? 何?」
更に訳が分からなくなる彼女の答え。
『俺がお前でお前が俺で』? いや、そういう話ではないのか。
「まぁ分からないならそれはそれでいいわ。そんなことより本題、実はこうしてあなたに夢を見せているのは、伝えたいことがあるからなのよ」
「伝えたい……こと?」
「そう。見てもらったら分かるように、この学校が燃えさかってるわよね」
のんびりと会話をしているようにも見えるが、そうこうしている間にも炎は着実に勢いを増している。
「実はこの光景、実際に起こってしまいかねないことなのよ」
「実際に起こる……って、この学校が火事になるってことか!?」
「そう。つまり今あなたが見ているこの夢は予知夢みたいなもの」
「よ、予知夢!?」
突如告げられた衝撃的な事実。
「そんなノストラダムス的な能力が俺に有ったのか……」
「いや、あなたが見てるんじゃなくて私が見せてる夢だから」
「……」
「で、あなたにはこの事態、つまり学校が火事になるのを食い止めて欲しいの」
「食い止めるって……どうやって?」
そう言うといずみちゃんは、急にしおらしくなって……そう、先程の夢で見せたあの口調でこう言った。

「……明日の昼休み、体育倉庫前に来て下さい」

ドキッ!!
上目遣いの姿勢から繰り出された萌えボイスは、ものの見事に己が心を撃ち抜いていた。
「そして……さっきの続きを……お願いします」
「さっきの続き……」
真っ赤になりながらつぶやく彼女。
気が付けば自然と手が伸びて、彼女の身体を抱きしめていた。
「入江くん……」
「いずみちゃん……」
そうそうこれこれ、俺が求めていたのはこの甘酸っぱい展開!!
内心身悶えしながらも、何とか平然を装って彼女を優しく抱きしめ続ける。
「明日の昼休み……今度は入江くんの方から、告白して欲しいな」
「……いいよ。つか明日と言わずに今この場で何度でも言ってあげるよ。いずみちゃん、君が好きだ、大好きだ」
「もう、入江くんったら」
俺の胸の中ではにかむいずみちゃん……
あー!! モウガマンデキナイ!!
「え、入江くん?」
「ゴメン、かわいすぎてもう我慢できないよいずみちゃん、今ここでキスしたい!!」
「……もう、ホントあわてんぼさんなんだから」
また先程のように拒絶されるかと思ったが、
「……いいよ」
「ホントに!?」
「……」
返事はこれで分かるでしょと言わんばかりに軽く目を閉じ、待ちの姿勢に入っているいずみちゃん。
「……」
あの時と同じ緊張感、そして高揚感。
バクバクする鼓動を抑えながら、前回と同様に唇の距離を詰めていく。
あと3センチ、2センチ、1センチ……




ジリリリリリリリリリ!!!
「!?」
突然鳴り響くベル音に思わず飛び起きる。
この音……火災報知器の非常ベルだ。にわかにざわつき始める教室内。
「お、落ち着きなさい、君たち」
そう言う試験監督の先生が一番慌てているように見えるが。
……まさか、先程の夢の通りに火災が!?

『先程の非常ベルは誤作動です。えー、先程の非常ベルは誤作動です』

スピーカーから聞こえてきたアナウンスに、一応にホッとした表情を見せる教室内。
そして一人、また一人と答案用紙とのにらめっこを再開させていく。
一方の俺はと言うと……
「……」
また寸止めかよ。
時計の針は1時24分。流石にもう今からは夢の中への没入はできない。
頭を抱えて絶望に暮れるポーズを取ったまま、残りの試験時間を何をするでもなく終わらせるのであった。








その日の夜は、いつもより早めに床に着いた。
もちろん理由は、昼間の夢をもう一度見るために。
しかしその夜の夢に『いずみちゃん』が姿を現すことは一度も無かった。
代わりに出てきたのは野犬の群れ。
その晩は一晩中、野犬に追い回される悪夢にうなされることとなった。
何この仕打ち。








翌月曜日、昨日の雨はすっかり上がって澄み切った青空が広がっている。
そんな青空を、頬杖をついて窓際の席から眺める俺。
2時間目は福田のじいさんによる古典の授業。
ありおりはべりいまそかり、眠気を誘う魔法の言葉。
昨晩はしっかり睡眠をとったはずなのに、それでも眠たくなっていく。
「ふわぁぁぁー」
思わず声をあげる大あくびをしてしまったが、教壇にいる福田のじいさんにはバレてないようだ。
あーもういいや、このまま寝ちまえ。3時間目は体育だし、そのための体力温存策よ。
そんな適当な理由をつけて俺は机に突っ伏し、眠りの世界へと落ちていくのであった。




「……ここは」
日もまだ高い昼休み、俺は体育倉庫の前に立っていた。
「ここ、前にも来たような……」
そりゃあ体育の授業では来る所だが、それ以外ではまず好き好んで近寄る場所ではない。
しかし、以前にもこの場所にやってきた記憶が無きにしも非ずだが……

「あ」
思い出した。いずみちゃん。
俺はこの体育倉庫の前で愛しのいずみちゃんに告白され、天にも昇る気分になってたんだ。
……夢の中で。
「そして二人は互いに身体を寄り添わせ、その唇もそっと接近していって……」

「結局寸止め」
「のわぁ!?」
目の前にいきなり現れたのは、愛しの唇の持ち主・いずみちゃん。
と言うことは……
「ようこそ、夢の続きへ」


「その反応はやっぱり私のこと忘れてたんだー。ま、普通は夢なんて忘れて当然なんだけどね」
「め、面目ない……」
今こうして眠りの世界に落ちてくるまで、俺、入江正則は彼女の存在をすっかり忘却していた。
まぁ模試中の居眠りで見た夢なんだから、彼女の言う通り忘れていて当然なのだろうが。
「と言うことはもちろん、あの約束も覚えてないんだよね?」
「あの約束……?」
「今日の昼休み、実際に体育倉庫前に来て欲しいなって話」
「ああ!!」
確かにそんな話もしたって記憶を、今この場で呼び起こされる。
「ふぅ、来てもらわないと困るんだからねホント。思い出してくれたのならいいけど」
「いやいや……」
何とも返事に困り、ひとつ頭を掻く。
「……それはそうと入江くん、こんなに授業中居眠りしまくってて大丈夫なの?」
「え?」
「いや、今こうして私が入江くんに逢えているのは、あなたが眠りの世界に落ちてきたからなんだけど。だから運良く私はあなたの夢の中に再度潜り込むことができた訳で……」
いろいろと彼女の話が続くが、今ひとつその内容が理解できない俺の脳。
夢で逢いましょう風味? え、じゃあいずみちゃんは夢の世界の住人?
……何がなんだか。

「……でもいろいろ言ったけど、こうしてまた入江くんと逢えたことは純粋に嬉しいんだけどね」
「それは俺もだよ、いずみちゃん」
条件反射で対応。こういう所だけは脳の回転が早いのです。
「それじゃ、もう一度確認。今日の昼休みに……」
「体育倉庫前に行けばいいんだよね?」
「そう。だいたい12時半くらいに」
とここで、俺は肝心な質問を投げかけることにした。
「で、12時半に体育倉庫に行って、どうすればいいんだ?」
「え、あ、それは……」
一瞬考える表情を見せた後、途端に半歩下がってもじもじし始めるいずみちゃん。


「私も……そこに行きますから、そこで……昨日の、夢の続きをして欲しいんです」
「昨日の続き……って?」
「そ……その……告白とか……」
「え、ええっ!!?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまう俺。
あ、あの甘酸っぱい展開を実際に再現っすか。
「ほら、その……今はこうして夢の中でしか逢えない二人だけど、夢の外でも一緒になりたくて……」
「と、と言うことはその昼休みに体育倉庫に行けば、実際にいずみちゃんと逢えるってこと?」
「う、うん……」
「分かった行きます絶対行きます死んでも行きます是が非でも行きます!!」
そう高々と宣言する俺。これはホント世界が滅びようとも行かねばなるまい。
「あ、あと……実際の私は夢の中の私と違ってとっても恥ずかしがりやなんです」
「ん?」
「だからその……昨日みたいに、私から告白って言うことができないと思うんです」
「え、そうなの?」
「ハイ……。だけど入江くんが好きって気持ちは夢でも現実でも全く一緒。なので、入江くんの方から告白して……くれませんか?」
「お、俺の方から? わ……分かった」
突然の申し入れに少し戸惑ったが、まぁここは一世一代の大勝負。
入江正則、男を見せなければなりませんな。


「それじゃ……、昼休みを楽しみに待ってます」
ぶわんっ
「えっ?」
突如、足元の感覚が失われる。
慌てて下を見ると、そこに広がるのは漆黒の闇。
「ってうわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ポッカリ明いた大穴に、俺の身体は垂直に堕ちていく。
「待ってますからね〜」
はるか上空でいずみちゃんが手を振っている。
明らかに何かを企んでるような笑みを浮かべて。
「って何故、何故に俺落ちてるのぉぉぉぉー!!?」
ひゅぅぅーん




ドスン!!
「ひぎっ!!」
でん部から腰にかけて伝わる鈍い痛み。
「お、おい、大丈夫かね?」
福田のじいさん、そしてクラス中の視線が俺に集中している。
「え、えぇーっと……」
周りを見渡してやっと状況が理解できた。

俺、居眠りしながら椅子から落下したんだ。

数秒送れて爆笑の渦に包まれる教室内。
こっ恥ずかしさで真っ赤になりながら椅子を起こし、元の体勢に戻る。
「ギャハハハ、お前最高だわ!!」
「うるせぇ」
その時間は授業そっちのけで、皆から散々笑われながら過ぎていくのであった。








12時20分、4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「起立、礼」
委員長の号令と共に社交辞令な挨拶が終了し、教室は昼休みモードに突入する。
「……」
さて、例の体育倉庫の件だが……夢の中ではあんなに行く気満々だったのに、いざその時となると考え直してしまう。
そりゃそうだ、単なる夢のお告げをまともに信じる方がおかしい訳で。
ぐぅぅぅぅー。腹の虫が鳴る。空腹は妄想に勝る。
ま、昨日今日と変な夢を見たということで片付けておこう。

「おーい鈴木、飯食おうぜー」
いつものように友人が声をかける。が、
「あーちょっと用事があるんで今日は無理」
「用事?」
「何か臨時の委員会があるんだとよ。下手すりゃ昼抜き。ハァー、好き好んで引き受けたんじゃないんだけどなぁー」
「そりゃ災難だな」
「そりゃ災難だなって、お前も他人事じゃねぇだろ? 全部の委員会同時開催だし」
「マジでか!?」
突然知らされた衝撃的真実!! いやそんなに大げさに言う必要もないんだけどさ。
全部の委員会開催と言うことは、俺の所属する清掃委員会も開かれるのか……
「んじゃ、そういうことで。かぁーだりぃなぁー」
ぶつくさ文句を垂れ流しながら教室を出て行く学級委員長・鈴木。
同じように教室を出て行く生徒が多数。皆何らかの委員会に入っている面々だ。
「マジかよ……」
委員会……どうせ担当教師の話を延々と聞かされたり、適当に活動報告とかやったりするあの場か。
特に清掃委員なんか委員の出席率もいつも低いし、正直行くのタルいなぁ……
「……サボるか」
全く行く気がしない状態で行ったところで、話聞いても右から左へ抜けていくのは必至。
なら別に行かなくてもいいじゃんと言うヘタレ理論を展開して、早々と欠席を決意した。

となると昼の予定は全く無くなる訳で……
「……」
体育倉庫前で待ってます、か。
いや、決して100%信じてる訳じゃないからね。でもでも、まさかの事態があったりしたらアレだし。
まさかの事態……やべ、よだれ出てきた。




昨日の雨でできた水溜りが、グラウンドの隅で日の光を反射している。
そんな屋外にポツンと設置されたプレハブ小屋の体育倉庫。
ちょうど体育館の真裏なので、ここだけ日陰になっている。
腕時計の時刻表示は12時29分。
「……」
人が来る気配、皆無。
「まぁ、もうちょっと待ってみるか……」


12時36分。
「……」
ぐぅぅぅぅぅー
「……昼飯も食わずに何やってんだろな」


12時45分。
「……」
それでも待ち続けてかれこれ20分ちかく。しかしながら人っ子一人来やしねぇこの状況。
「……」
結局妄想か。
そりゃそうだよな、所詮夢は夢でそんな夢にまで見た夢のようなシチュエーションが夢の外で訪れるなんて。
そろそろ気付かなきゃな、期待したおいらがバカだったということに。
「……弁当5時間目にでも食うか」
諦めを付ける様に一言つぶやき、体育倉庫に背を向けた。




と、その時。
「あ」
俺の視界に飛び込んできた、こちらに向かってくる一人の女生徒の姿。
ショートカットに黄色い髪留め、メガネをかけたいかにも大人しそうな感じの小柄な女の子。
「……マジすか」
今の今まで夢で見たいずみちゃんの姿はぼんやりとしか思い出せなかったが、この瞬間はっきりと脳裏にその姿が思い出された。
目の前にいる彼女の姿、それは紛れも無くいずみちゃんの姿であった。
……いや、そんな簡単に結論付けていいのか、俺?
単に他人の空似って可能性も否定できんのだぞ、まだ結論付けるには危険すぎる気が……

「あっ」
そんな彼女とパッと目が合う。
明らかに驚いたような表情をした後、恥ずかしそうに会釈をしてくるその反応……
これ、当たっちゃったんじゃないの?
「……い、いずみちゃん?」
思い切って声をかけてみた。
「え?」
「あ、いや、人違いだったらお気になさらずそのままスルーしちゃって下さいと言う訳で……いずみちゃん、ですか?」
「え……そ、そうですけど……」
「そう? ああ、そうなんですかいやいやこれまた失礼しました……って、ええぇー!!?」
素っ頓狂な絶叫をあげ、俺も彼女もお互い一歩後ずさる。
いや絶叫したのは俺だけで、彼女はそれに驚いて後退しただけだと思うが。
つか正解ってマジか!? この娘が……いずみちゃん?
「ホ、ホントにホントにホントにホントにいずみちゃん!?」
某サファリパークのCMよろしく強烈に問いかけるが、彼女の返答は先程と全く同じ。
「そ、そうですけど……」
そう俯き加減で恥ずかしそうに言いながら、胸元の自分の名札を指差す彼女。
そこには『和泉』の表記。
てっきり下の名前だと思っていたが、名字だったのか……
「そっかぁー、和泉ちゃんかぁー」
「え……えっと……」
夢の中で見たいずみちゃんも相当に素晴らしかったが、今目の前にいる和泉ちゃんはそれ以上にカワイイよ多分。
何と言うかメガネっ娘と言うのがポイント高いね。
それに今こうして俺に見つめられて恥ずかしそうに縮こまっている挙動、ものの見事にど真ん中ストライク。
俺の記憶が確かだとすると、夢の中では彼女、メガネはかけてなかったような気はするが。
ただ、彼女の顔、どこかで見たことあるような無いような。
いやもちろん夢の中では見てるんだが、それ以外にどこかで……


「そ、そんな見つめられると恥ずかしいですよ、入江先輩……」
「セ、センパイ!!?」
ずきゅーん!! っと心を打ち抜くその単語、『先輩』
彼女、後輩属性持ちかっ!?
いや属性とか関係無しに、彼女は俺の後輩なのか?
だったらどこかで接点があるはずだが、思い当たる節は……

とその時、ふと彼女が右手に所持しているノートの存在に気が付いた。
清掃委員会の人間なら誰しもが見たことがあるこのノート。
校内各場所の清掃用具の整備状態などを確認するための、その名も『清掃用具確認チェック表』
と言うことは彼女……ああ、どこかで見た顔だと思ったら清掃委員会で見たのか。
いやまぁしかしあの場では気付かなかったが、こんなにも自分好みの娘が偶然同じ委員会にいたとはねぇ……
「あ、あの……先輩がここにいるってことはもう、体育倉庫の確認は終わったんですか?」
「へ? あ、ああ、そういや今日アレか、月一恒例・用具確認の日か」
「そうですけど……」
少し怪訝そうな表情でこちらを見上げる和泉ちゃん。
一応話合わせておいた方が良さげかな。
「そうそう、俺が確認しておいた。見た感じ特に問題無かった無かった、うん」
「え……でも先輩、さっき委員会に来てましたっけ?」
「ハハ、ハハハハハ!! と、とりあえずノート借りるよー」
「あっ」
サボりの後ろめたさを誤魔化すかのように、彼女からチェック表を受け取る、いやむしろ奪い取る俺。
つかこんな娘がいるの知ってたらサボるなんて真似はしなかったんだが、まぁしゃーない。
とりあえず体育倉庫のページを開いて、各チェック項目をペンで埋めていく。


そんな状況の中、ふと先程の夢の話が思い出された。
確かに昼休みの体育倉庫前で待っていると、和泉ちゃんは現れた。
しかしその目的は委員会の仕事で、夢で見たような告白云々な話ではどうも無さそうだが……
「……入江先輩?」
急にペンが止まったのを不思議に思ったのか、和泉ちゃんが話しかけてきた。
「ん?」
顔を上げると予想よりかなり近いところに彼女の顔が。
「あわわっ!!」
そして目が合った瞬間、頬を赤らめながら慌てて後ろに引き下がる。
……このリアクション、あの夢信じちゃっていいかなぁ。

「……和泉ちゃん」
「は……はい?」
……いやいや所詮夢は夢、そんないきなり告白だなんてムチャクチャ過ぎるだろ俺。
でもそれは決して彼女が嫌だからじゃなくて、いやむしろ一目見た瞬間から赤い実はじけたと言うか惚れたのは事実な訳で。
だったら今すぐ伝えなきゃこの想い……いやいやだからそういう話じゃないんだって。
そんな具合で呼びかけたはいいものの、俺の心の中では相当な葛藤が繰り広げられていた。
「……どうか、しましたか?」
今の俺の状態が傍から見たらどう映っているかは分からないが、何やら心配そうにこちらを見つめてくる和泉ちゃん。
あーもうチクショー、若気の至りでも何でもいいさ、なるようになれ!!
「和泉ちゃん!!」
「ハ、ハイッ!?」
「君が好きです大好きですっ!! 俺と付き合ってくださいっ!!!」

……言っちまった。

ただ、言ってしまったものはもう仕方がない。
ねるとん方式よろしく頭を下げながら右手を彼女の方に差し出す。
OKならばこの手が彼女の柔肌で握り返される。それだけをただ一心に祈りながら彼女の返事を待つ。
そして返ってきた答えは……

「え……あ……そんな……、ゴ、ゴメンナサイ!!」
パタパタパタパタ……
顔を上げれば、校舎の方に全力疾走していく和泉ちゃんの後姿。

……行っちまった。

完全に勢いに任せて告白したものの、そんなものが受け入れられる訳も無く。
たかが夢を信じた結果がこれ、当たり前と言えばそりゃもう当たり前すぎる結末で。
「……どうしようもないバカだよな、俺」
それから果たして何分経ったか、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響くまで俺は、この場を一歩も動くことができなかった。








5時間目は小石川教頭による数学の授業。
教頭だけあって結構厳しい先生なので、午前中の古典の時間とはうって変わり、皆真剣モードで授業に臨んでいる。
そんな訳でもちろん居眠りしている人間なんか皆無。
さすがに俺もこの人の授業で眠りこけた経験は無いのだが、今日だけは違った。
……いや、昼休みはものの見事にホップステップ玉砕した訳で、現在はもう何もかもがどうでもいい心境。
そんな状態でまともに第一象限がどうだの接点tがどうだの聞いていられる筈が無く。
「……ぐぅ」
授業開始後5分もしないうちに、ふて寝の体勢に移るのであった。




「……またか」
さすがに4回目とも同じ光景となると、即座に『あーこれ夢なんだなぁー』と分かるようになってくる。
目の前には先程の悲劇の舞台、体育倉庫。
そして、予想通り現れる一人の少女……
「……いずみちゃん」

「いやぁーありがと、ホントに助かったよー」
「何が助かっただコンチクショー、『体育倉庫前で待ってます』って言ったのに来なかったじゃねぇか!!」
「え、でもあなたの目の前には現れたじゃない、いずみちゃんが」
「違ぁーう!! あれは和泉ちゃんでアンタじゃないだろがぁー!!」
今目の前にいる『いずみちゃん』は、明らかにあの『和泉ちゃん』とは別人である。
見た目はメガネをかけていないこと以外全く変わらないのだが、どこか本能的に違うと認識している俺の脳。
そんな彼女を目の前に喚き散らす俺。
そりゃまぁ夢に対して何を言っても仕方の無いことだと分かってはいるが、それでも抗議せずにはいられない。
「出会って即座の真剣告白、そんな生き恥晒すような行為やらせやがって……どう責任とってくれるんだよぉ!!」
「いや、夢の話を信じたのは入江くんじゃない」
「信じさせたのはそっちだろうがぁー!!」
血涙を流すかの如き勢いでまくし立てる俺。
……傍から見たら相当に惨めなんだろうなぁ。
そんな惨めさが伝わったのか、ここまで何も悪びれた様子が無かったいずみちゃんが、少し真剣な顔になって謝罪してきた。
「……うん、確かに夢に潜り込んで入江くんを利用したのは紛れも無い事実。不快な思いをさせてしまってたら、ゴメンナサイ」
「え、あ……うん、分かってもらえたのならいいけどさ……」
そのあまりにも急激な対応の変わりっぷりに、少し拍子抜けした格好になる。
え、でも今俺を利用したとか言う話が出てきたような……
「でもこうするしか他が無かったの。そうじゃないと学校が火事に……」
「いや、俺の告白と火事との因果関係が全く分かんないんだが」
「……そのことも含めて、全てお話します」




「……と言う訳で、彼女が体育倉庫に入っていたら火事が起きてたの」
「……」
いずみちゃんから説明された、事の真相。
「……その話を全て信じろ、と?」
「信じる信じないは関係なしにこれは真実だから」
「んなアホな……」
にわかに信じがたいその“真実”、簡単に要約するとこうだ。
まず昨日降った雨により、この老朽化が進んでいる体育倉庫では雨漏りが発生。
垂れてきた水は屋根裏の電気配線部分に特に作用し、漏電が置きかねない状況になっていた。
しかしそのことは昨日が模試で部活動が休みだったこともあり、今の今まで誰にも気付かれていなかった。
そんな中『和泉ちゃん』が先程の昼休み、体育倉庫を訪れる。
用事は清掃用具の確認な訳だが、その際、薄暗い体育倉庫内を把握するために備え付けの電灯のスイッチを入れる。
しかしそのスイッチを入れてしまうと、屋根裏の配線に電気が通り、濡れた部分で一気に漏電。
飛び散る火花が老朽化した建物に燃え移り、一気に倉庫は大炎上。
「……その倉庫の火事が発端となり、学校全体が火の海と化す」
「そういうこと」
「って、んなトンデモ話が信じられるかぁー!!」
「だから入江くんが信じる信じないは関係なく、このことは紛れもない真実だから」
さっきからいずみちゃんは真実だと言う一点張り。
これがでっち上げにしても、そこまで確信持って言われたんじゃなぁ……


「……まぁ百歩譲ってその話が真実だったとして、何でそのことを知ってるんだ? つかそもそも、君は誰なんだ?」
「私? 確か前にも同じ質問された覚えがあるけど、それって『私』のこと? それとも『いずみちゃん』のこと?」
「いや……よくわかんねーけど」
「うーん、つまり入江くんが見てる『いずみちゃん』じゃなくて『私』そのものについて?」
「あ、ああ」
相変わらず何を言ってるのかよく分からなかったが、とりあえずうなづいておくことにする。
そして一呼吸おいた後、『いずみちゃん』は一言、こう答えた。

「『私』は、この学校そのものの意思」

「……はい?」
「うん、今実際に入江くんが居眠りしているこの学校が『私』。ある意味『私』の胸の中で眠っているみたいなものかな」
「いや、俺には今ひとつよく分からないんですが……」
この学校そのもの……胸の中で眠っている……? 
「うーん、どう説明したらいいものかなぁ……」
少し考える仕草を見せた後、『いずみちゃん』はこう続けた。
「いきなりこんなこと言ってもなかなか信じられないとは思うけど、あなたたち人間と同じように、世の中にある全ての『もの』は意思を持っているの」
「え、えーと、それは犬猫も人間と同じように心を持っているんだという愛護団体の主張みたいなものか?」
「いや、実際に持ってるから。そんな動物や人間同様、例えば筆箱に入っている鉛筆や消しゴム、そもそも筆箱自体も、入江くんと同じように意思があって感情も持っている」
「ふ、筆箱が……?」
「うん。彼らも『そんな強く押されたらすぐ芯が折れるだろバカヤロー』とか『俺の身体をちぎって投げるんじゃねぇ』とか思ってるんじゃないかなぁ」
いや、そんな愚痴だらけですか筆記用具たちの感情は。
「でも、そんな『もの』の言葉や感情は、同種の『もの』にしか理解ができない。これは、人間が人間の言葉しか理解できないのを考えてもらうとすぐ分かると思うけどね」
「……つまり、俺らは犬や猫の言葉を理解できないのと同じことか?」
「うん、同じこと。で『私』は、入江くんが今通っているこの学校の意思ってこと。ドゥーユーアンダースタン?」
「な、なんとなくは」
分かったような分からんような。


「でもその理屈から行くと、人間の俺と『学校』の君が何で今こうして会話できてるんだ?」
そんな俺の問いを、待ってましたと言わんばかりに人差し指をピンと立てて受け取る彼女。
「そ・れ・は、これがあなたの夢だからよ」
「……へ?」
「夢だから、本来形のない『私』の姿が入江くんの目には『いずみちゃん』として映り、こうしてコミュニケーションも取れる訳。まぁ、そういう風に仕組んだのは私自身なんだけどね」
「え、それはどういう意味で……?」
「これも前に言ったと思うけど、この夢は『私』があなたに見せてる夢なのよ。今現在、入江くん実際には教室で居眠りをしてるよね?」
「あ、ああ……」
「言い換えれば入江くんは今、学校である『私』の中で眠りこけている。そこに『私』の意識が介入して、この夢を見せてる」
「意識……介入……あーもう何かよくわかんねぇー!!」
次々と彼女の口から説明される夢だの私だのと言った話に、思考回路はショート寸前であった。
現国の点数低いし俺。そのくせ文系なんだけど。
「よく分かんないけど君はこの学校で俺にこの夢を見せてて、俺の前に『いずみちゃん』って娘の姿で登場してるってことか?」
「そういうこと」
「え、そうなの?」
話半分かと思っていた自分の理解が、合っていると言われてちょっとビックリ。
……この分なら何とか付いていけそうかしら?

「じゃ、じゃあ何で君は、俺にこんな夢を見せてるんだ?」
「『私』くらいの広大なモノとなると、自身に近い将来起こり得る危機が察知できるようになるのよ」
広大なモノ……学校は広大なモノの部類に入るんだろうか。
「で、さっきも言ったように、この学校は火災の危機に瀕していた。つまり『私』自身の危機だったのね」
「それが事前に察知した危機ってことか?」
「うん。で、これを回避するためにあなたにこの夢を見せた」
「……いや、その因果関係が理解できんのですけど」
「その火事の原因を思い出してもらえれば分かるんだけど」
ああ、さっきそんな話もしてたな。
「えーと……確か、和泉ちゃんが体育倉庫の電気をつけたらショートしてドカーンだっけ」
「いや、爆発はしないんだけど。で、それを回避するためには彼女に体育倉庫の電気のスイッチをつけさせなければいい。それで……」
……何か俺でも話が読めてきたぞ。
「一番手っ取り早いのは、彼女を体育倉庫に入れなければいいんだけど……」
「……うん、なるほど分かった分かりましたよ、それで君は俺の夢の中に『いずみちゃん』として現れ、いたいけな純情少年・入江正則を誘惑すべく思わせぶりなセリフを吐いて俺を体育倉庫前に行くように仕向け、そして現れた『和泉ちゃん』をドン引きさせて倉庫内侵入を阻止、はい見事学校の平和は守られましたよーってことか」
「い、いや、そんなドン引きさせろとまでは……」
「現にドン引きされて逃げられただろがチクショォー!!」
今まで溜まっていたものがついに爆発する。
「何だよ俺、ものの見事にうまいこと扱われたオモチャじゃねぇか!! そりゃ確かに学校の危機は救われたのかも知れんさ。でも捨て駒の如き俺自身は全然報われねぇじゃねぇか、どうしてくれるんだよ、謝罪と賠償求めるぞド畜生がぁー!!」
「そ、そんなオモチャとか捨て駒のつもりで扱ったんじゃなくて……」
「つか何で俺なんだよ、こんな役、他の奴でもできただろ? いやそもそもあの娘の夢の中に潜り込んで『体育倉庫に行くなー』って言えば済んだ話じゃねぇか!!」

「……うん、ホントそれができれば一番良かったし、あなたにもこんな迷惑かけずに済んだんだけどね……」
シュンとなり、うつむき加減で呟く『いずみちゃん』
あ……少し言い過ぎたかな。
「できれば一番良かったって……それはできなかったってことか?」
「……うん。『私』が介入できるのは、この学校で眠っている人の夢だけ。学校の外で寝ている人の夢には一切潜り込むことができないの」
言われてみれば確かに、俺が『いずみちゃん』の夢を見てるのは、今も含めて全部居眠り中だな。
どおりで昨日家で見た夢には出てきてくれなかったんだ。
「それで彼女はあの日学校で寝てなかったから、その夢に介入することができなかったの」
「……でもそれ、逆を言えば居眠りしてる奴の夢ならみんな潜り込めるってことだよな」
「う、うん、確かにそうだけど……?」
「じゃあ何で俺なんだ? あの模試の時間、俺以外に居眠りしてた奴いたぞ?」
日曜のあの時間、模試に嫌気が差して睡眠学習に移った人間は俺だけではない。
後ろの方の席で5〜6人、確実に机に突っ伏していた奴らがいたし。
「そうなんだけど、こう何度も何度も夢の中へ落ちてきてくれたのは入江くんぐらいだったし」
「あ、まぁそれは……」
今思えば俺、この二日間相当に居眠りしまくってんな。
んでその度に夢の旅へと誘われ……こう見えて実は受験生なんだけどね、俺。
余裕たっぷり? いやいや単に捨ててるだけ。
「それに加えて、その中で明晰夢を見てたのはあなただけだったの」
「明晰夢?」
何かだいぶ前に同じことを言われた気がしないでもない。
確か、夢を夢だと自認できる夢のことだっけ。
「え、その明晰夢を見てないとダメな理由なんてあるのか?」
「夢の中で夢を見ている当人が自由に行動・思案できるのが、明晰夢の何よりも大きな特徴」
「自由に行動……?」
「そう。これは夢なんだなーって分かっているからこそ、当人はその夢の中で自在に動け回れるの。現に今だってそうでしょ?」
「い、いや、そう言われても……」
何とも実感が沸かないトコロだが。
「それに普通の夢に比べて頭残りもいいしね。目が覚めた後でも比較的覚えてるでしょ、夢の内容を」
「ああ、それは確かに」
「だから夢の中で用件を伝えて、実際そのとおりに動いてもらうには明晰夢に働きかけるのが一番だったの」
「……何か分かったような分からんような理屈だが」


「でも、結局学校である君は『和泉ちゃん』を体育倉庫に入れるのを阻止するため、俺にあんな告白させたんだろ?」
「……」
無言でうなづく『いずみちゃん』、結局そこは否定しないのね。
「ハァ……、夢の中の愛だの恋だのを本気で信じた俺がバカだったってことか」
「ゴメンナサイ……」
「……ふぅ」
何かこう、さっきみたいにドカーンと怒鳴ってやろうかと思ったのだが、あまりにも彼女の反応がしょぼくれてしまっているので、そんな勢いもすっかり萎え。
自然とため息まじりの諦めに近いセリフが口から出てくるようになる。
「つか他に方法無かったのかよ。それなら最初から普通に『あの娘が体育倉庫に行くのを止めてくれ』って言えば済むことじゃないのか?」
「……いや、最初私もそう考えたんだけど、それだと何とも味気ないと言うかドラマチックでないと言うか」
「お前それ絶対狙ってやっただろ!!」
前言撤回。コイツどうしようもない小悪魔だ。
「そんな小悪魔だ何て人聞きの悪い。むしろ恋のキューピッドと呼んで欲しいな」
「何勝手に人の心読んでるんすかぁー!?」
突如態度もしょぼくれモードから一転、今までの夢で見てきたような元の雰囲気に戻っている彼女。
真相を告げていた時のしおらしさはホントどこへ行ったのやら。
「いやいやホントにキューピッドだよ、私。あの娘、入江くんに気があるし」
「ハァ!? 何を寝ぼけたことをぬかしてやがりますかこの人は、あの反応のどこを見たら俺に気があるなんて結論に至るんだよ!!」
「でも和泉ちゃんだっけ、彼女の感情もこっそり読んだんだけど、確かにあなたのことが気になってるようだったよ? だからこうして私は『いずみちゃん』となり、あの娘の想いを代弁してあげたんだから」
「だったら何で俺が告白して『ゴメンナサイ!!』って叫んで逃げられんだよ!?」
「いやそれは前にも言ったけど、彼女実際はとても恥ずかしがりやなのよ。だからいきなりの告白でビックリしちゃったんだと思う」
「んなアホな……」
そりゃ最大限好意的に受け取ればそういう風に考えることもできん訳ではないが。
しかしいくらなんでも無理がありすぎるだろ……
「ま、さっきはあんな結果に終わっちゃった訳だけど、きっとうまく行くって。ね?」
「……何かもう怒鳴るのも疲れた」




「でもどの道あなたを利用しちゃったのは事実、何かの形でお詫びはしとかないといけないよね」
「……え?」
「それに結果として火事も防いでくれたんだし、お礼も兼ねて……入江くん、何か要望ある?」
「よ、要望?」
「そう。一応何かの形で返しておかないとこっちも気が済まないし」
そんな要望っていきなり話振られても、パッと出てくるものなんて……、あるよ。
ほぼ即答に近い形で俺の口から発せられた要望は……

「ならキスさせて」

「え?」
「ここまで2回は全部寸止めのところでいろいろ邪魔が入ったりして、結局夢の中とは言えどキスできずじまいだからさ」
「え、それはいいんだけど……そんなのでいいの? もうちょっと他の要望でも聞くけど……?」
「いや、キスで。そもそもそれを求めて居眠りしてきた訳だし、三度目の正直と言うことで、いい加減その唇を奪わせろ」
「え、あ、うん……」
いささか戸惑い気味ないずみちゃん。
そりゃそうだろ、こんな要望出されるとは思ってもいなかったんだろうから。
「あーあと、できればあのシチュエーションで」
「あのシチュエーション?」
「だからアレ、例の告白シーンの続きってこと!!」
ただ無粋にブチューってしたって何の感慨もありゃしない。
何よりムードが大事な訳で、そのためにはあの甘酸っぱい展開よもう一度。
「わ、分かった……」
どうも納得しきってない感じではあるが、軽く一息、間を置いて一言。

「私……入江くんが……ずっと前から好きでしたっ!!」

「いずみちゃん……」
一応感情を入れてくれてはいるが、所詮芝居なのは見え見え。
だけど大切なのはムードなのです、この際フィクション・ノンフィクションは気にしてられんのです!
そして何より、キスすることが至上命題なのです!!
ガバッ
「……俺も大好きだよ、いずみちゃん」
抱きしめられた俺の胸の中で、二人の視線が交錯する。
「……」
そっと閉じられる彼女の瞳。
何か覚悟を決めたって感じの閉じ方で、だいぶ眉間にもしわが寄っている。
まぁその辺の小さなことは目をつぶろう。
「……」
そして近付く二人の唇、今度こそその距離をゼロにして正面衝突を迎えるために。
あと3センチ、2センチ、1センチ……




ぶちゅー

唇に触れる平べったい感触。
「……そんな接吻するほど問題集が大好きか、入江」
「……へ?」
目を開けるとそこは……当然ながら5時間目・数学真っ最中の教室。
で何故か俺の机の真ん前には、担当教師の小石川。
こめかみがプルプル振るえており、明らかに苛立っておられる様子である。
「よくもまぁ私の授業で堂々といびきまでかく居眠りができたもんだ。そしてお目覚めは人様の問題集にぶちゅー、か。よっぽどいい夢でも見てたんだろうな」
その手にはうっすらキスマークが付いた教員用の数学問題集。
え、俺がキスしたのって……アレ?
と言うことは……

「結局寸止めかよぉチクショー!!」
「な、何が寸止めか知らんがバカモノぉ!! 廊下に立っとけぇ!!!」

三度目の正直も実ることなく。
一人廊下にぽつーんと佇ながら、浮世の非情さを嘆いてるうちに過ぎていく午後の授業であった。








放課後。
「……ん?」
帰り支度をしていると、机の中にあるものが入っていることに気が付いた。
『清掃用具確認チェック表』
あぁそういや昼休み、俺がこれ持ったままで和泉ちゃん、脱兎の如く駆け出してったんだよな。
チッ、極力思い出さないようにしてたのに。
ページをめくると、どうもまだ体育館前やグラウンド西側など、外回りのチェックは行われていないようで。
「……体育倉庫が終わった後、行くつもりだったんだろうな」
それを考えると、何か悪いことしたなって気になってくる。
いや、そんなこと考える以前に多分悪いことしてんだろうけど。
「……」
せめてもの罪滅ぼしって訳じゃないけど、残りのチェックやっておいてあげるか。
そもそも俺、清掃委員だし。




教室に荷物一式置いたまま、校舎の外に出る。
一番近いのは体育館前か、そう思い足をそちらの方へ向けようとする……が。
体育館に行くにはどうしても、あそこを通らなきゃいけないんだよなぁ。
3時間前の玉砕の舞台、体育倉庫前。
「……」
まぁ、今更何を考えてもどうしようもないし。
軽く息を吸い込んでから、やや早歩きで体育館を目指し歩を進めた。

その道中。
「……ん?」
体育倉庫前に、校内では見かけない軽トラックが一台停まっていた。
荷台には何やら機械っぽいものがいろいろ置いてある。何かの業者の車か?
「あれ、入江?」
「え?」
背後から声をかけられ、振り返るとそこには鈴木の姿があった。
「お前こんなトコで何やってんだ?」
「ん、あー……ちょっと委員会の仕事」
そう言って手に持ったチェック表をちらつかせる。
「そういうお前こそ何やって……んだって、普通に部活だよな」
ユニフォーム姿の鈴木を見れば、誰でも部活動中だってことはすぐに分かる。
ちなみにサッカー部ね。
「でも何で部活中なのに、グラウンドじゃなくてこんな所にいるんだ?」
「グラウンドに白線引くヤツ取りに来たんだよ。あのこうやってゴロゴローってするアレ」
「ああ、アレか」
お互い分かってはいるものの名前が出てこないのでアレ呼ばわり。
「だけど今工事してるみたいで体育倉庫の中入れないんだよ。どうすっかなぁ……」
「え、工事?」
「何でも電灯のトコロが漏電起こしてて、火花で軽く屋根が焦げたらしいな。それで急遽業者呼んで配線工事。ほらそこ車停まってるだろ?」
「ろ、漏電って……」
フラッシュバックされる先程の居眠り中の夢。
そんな、あの火事になるって話、まさかホントだったのか……?

「ま、仕方ないから体育の授業みたいに足でライン引くか。んじゃ、しっかり働けよ清掃委員」
グラウンドに小走りで帰っていく鈴木。
しかし俺の目はそちらを向くことなく、がたごと工事が行われている体育倉庫に釘付けになっていた。




グラウンド南端にある清掃用具置き場。
最後の項目にチェックを入れ、これで外回りの確認は全て完了でございます。
「……」
あの後しばらく工事の様子を眺めていたのだが、だから特に何かになる訳もなく、適当なところで見切りをつけ確認作業を再開。
しかし思いの他倉庫前で時間を浪費してしまったのか、気付けばすっかり西の空が紅く染まっていた。
「よし、後はチェック表を返しに行くだけ」
職員室にいる清掃委員担当の先生にノートを押し付ければミッション・コンプリート。
……いや、昼の委員会サボった件で何か言われるかも知れないから、机の上に放置してくるだけにしよう。
「とりあえず担当が不在であることを祈るか……」

グラウンドにいる生徒の数もだいぶ少なくなってきた。
さっきまで試合っぽいことをしていたサッカー部の鈴木らも、いつの間にかいなくなってるし。
「ひょっとして俺が、教室出るの一番最後なるかもなぁ」
だったら教室の鍵を閉めなきゃいけないからめんどくせぇなぁー
そんな事を考えながら、元来た道を引き返していく俺。
グラウンド南、グラウンド西、プール横、体育館前。
どこも全く不備は無し。これならわざわざ巡回する必要も無かったな、正直なところ。


やがて先程まで配電工事が行われていた、体育倉庫前へと差し掛かった。
業者は既に撤収しており、閑散とした空気が流れている。
「……」
自然とそこで足が止まり、もう一度体育倉庫を見上げる。
夕日に照らされうっすら赤い屋根・外壁、これがホントは炎の赤になっていた……
「……まさかな」
んなバカなことは無いさ、所詮は夢の中の話。
そう頭を振って結論付けし、さっさと職員室へ向かおうと右向け右したその時。

「あ」

そこには夢、そして昼休み同様、彼女の姿があった。
「い……和泉…ちゃん?」


「ハァ……ハァ……、先輩……ここに居たんですか……」
動き回っていたんだろうか、彼女の額にうっすらと汗が光る。
「……さ、捜してたんですからね」
「え?」
捜してたって……俺を?
「その……チェック表渡したままだったから……」
「あ、ああ……」
そりゃそうだわな。捜してたのは俺じゃなくてチェック表。
ちょっと期待した自分がこっ恥ずかしくなってくる。
「まだ確認終わってないところが残ってましたから……」
「ん、ああそれは大丈夫。ほら」
そう言って彼女にチェック表を手渡す。
「あ……、あれ?」
「まぁ一応委員だしな、残りは俺がチェックしておいた」
「入江先輩が?」
「んだ。……あー大丈夫大丈夫、ちゃんと全部この目で見てきた。適当にチェック書いてる訳じゃないからさ」
「え、いやいや!! そんなこと言おうとしてるんじゃ……」
「ハハハ、気にしなくていいよ。それじゃ、先生に返すのはお願いするね」
軽く作り笑いを浮かべたまま、片手を上げ和泉ちゃんに背を向ける俺。
……一刻も早く彼女の前から消え去りたい。その一心だった。
「せ、先輩……?」
「……君は昼休み何も無かった誰にも出会わなかった。全て忘れてもらって構わないから」
「え……?」
「そんじゃ、さよならバイバイまたいつか」
終始彼女の顔を見ることなく、努めて明るい口調でセリフをつむぐ。
情けなさとこっ恥ずかしさに満ち満ちたこんな表情見せられんからね、ホント。
それに、これ以上彼女の顔も見ていたくない。
昼休みのこと、それに夢の出来事まで思い出してしまいそうだから。
さ、教室戻って荷物を取って、おうちに帰ろうシチューを食べよう。
そしてそのまま寝込んでやろう。よーしパパ明日はズル休みしちゃうぞー


「ま、待ってください!!」
「え?」
そんな俺の歩みを止める、彼女からの呼びかけ。
「忘れろって言われても……忘れられませんよ、あんなこと……」
その声は微かに震えている。
恐る恐る振り返るが、和泉ちゃんの表情はうつむき加減になっているので分からない。
まさか……泣いてる!?
「ゴ、ゴゴゴゴ、ゴメンナサイゴメンナサイ!! やっぱマズかったよね、ね!? いきなりあんなこと言われてね、ホントゴメンマジゴメン!!」
慌てて彼女の方へ走り寄り、必至に頭を下げる俺。
彼女、こんな思い詰めてたなんて……、自己嫌悪で死にたくなる。
「ゴメン、本当にゴメンッ!!!」
「……でもやっぱり忘れられませんよ、あんな嬉しいこと」
「うん、ホントゴメンそっちの気も考えないで……って、え?」
う、嬉しい……こと?
「だ、だけど、あの時はいきなりだったから気が動転しちゃって……に、逃げ出しちゃったりして私の方こそゴメンナサイッ!!」
そして今度は逆に、彼女が俺に対して頭を下げてくる。
「え、あ、あの……?」
何が何やら分からない。更に彼女は続ける。
「逃げ出してできなかった返事、させてもらうために……先輩を捜してたんです」
「へ、返事……?」




そして一呼吸おいた後。
「実は……私も……入江先輩のことが……」
……え? あの、この展開って、俺が夢の中でひたすら追い求めていた……


「私、入江先輩のことが……ずっと前から好きでしたっ!!」








繋がれた手、閉じられた瞳。
地面に長く伸びる影が、影絵の如く交差する。
4度目にしてついに、二人の唇の距離は0センチに到達した。


茜射す夕刻の体育倉庫前。