少年は見ていた。ある空き地に佇む影を。

少女が立っている。降りしきる雨の中で、傘を差し、ぬかるむ大地を見つめながら。

何を思って少女はここにいるのだろうか。少年には分からない。

少女は俯く。何かを呟く。しかし少年には聞こえない。聞こえるのは傘に当たる雨粒の音だけだ。

そして、少女は少年の方を向きながら顔を上げた。その顔には憂いの表情が…




「あっれー!? 折原くんやっほー!」

「お前は何をしてるんだ柚木」



全く無かった。
















Shall we dance?










俺は今、何故か柚木と一緒に喫茶店の中に居る。

もしかしたら、茜がまた何か悩んでるんじゃないかって思って見てたんだが…柚木って分かった時点で逃げなかったのが俺の運の尽きだったな。

「でねでね、理由は教えてくれなかったけど、茜が毎日こうしてたって聞いてさ。この前一緒に出かけた時にやってもらったら、こっれがもー儚げなお嬢様っぽいのよ! それで、あたしも同じ事をしたら何か儚げに見えるかなって思って」

「まず内面をどうにかする事を考えろよ」

「あー、折原くんひっどーい! こう見えてもあたしお嬢様なんだよー!」

「こう見えてもって言ってる時点で自分で違うって認めてるんじゃないか?」

「……はっ! まさか、これが世に聞く誘導尋問!?」

「違う!」

相変わらずトップギアだ。まあ、こういうノリは嫌いじゃないが。

「……で、何で俺はお前とこうしてお茶してるんだろうな?」

放っておけば何処までも暴走して行きそうな気がしたので、とりあえず気になっていることを尋ねてみた。

「んー、あたしがお茶したかったから、かな?」

「さいですか……」

あっけらかんと返してきた柚木の言葉に、げんなりしながら答える。

「もー、何でそんな反応するかなぁ。せっかくこんな美少女と二人っきりでお茶してるって言うのにさっ」

頬を膨らませる柚木。自分で美少女って言うなよ。

「まぁ、お茶をしたかったって言うのも嘘じゃないけどね。いちおー他にも理由はあるよ?」

「どんな理由だ?」

それまでの勢いが一瞬止まる。

「あ…えっとね…」

珍しく言い淀む柚木。

「あの…明日ね、茜と映画を見に行く予定だったんだよ。けど、茜が熱出して寝込んじゃってさ。お見舞いに行ったら『済みませんけど明日は他に誰か誘って行って来て下さい』なんて言うし」

柚木が少し早口で言う。

「別の日に行けばいいだけの話なんじゃないのか?」

そう答えると、一瞬眉間に皺を寄せるが、すぐ元に戻り今度は視線が宙を舞う。

「それは…その…お父さんが会社で貰ってきた席指定のチケットだから、そういうわけにも行かないのよ」

言動が微妙におかしい気はするが、納得出来る理由だな。

「成る程。で、それが俺をここまで引きずってきた理由にどう繋がるんだ?」

映画の予定が潰れたのは分かったが、俺を喫茶店に連れ込む理由にはならないと思うんだが。

俺の言葉に大きくため息を吐き小さく呟く柚木。

「気を回すだけバカらしくなっちゃうなぁ…」

「何だって?」

小さくて聞こえなかったんだが。

「…何でもないよ。単刀直入に言うとね、一緒に映画を見に行きませんかって言ってるの」

「成る程……って待て、今なんと?」

「だーかーらー、茜の代わりに一緒に映画見に行こうって言ってるの」

「俺とか?」

「そう、折原くんと」

「誰が?」

「このしーこさんが」

「何をしに?」

「映画を見に」

「誰が?」

「折原くんが…って、無駄にループするの止めて。大して面白くもないから」

……大して面白くもない、か。ぐっすん。

「ま、そういう訳で、相手を探してる時にちょうど折原君が声をかけてきたからね。これはいいや、と」

「ふぅん……ま、話は分かったが。けど、別に一人で行っても良かったんじゃないのか?」

柚木の性格からして、一人じゃ映画館に行くのが恥ずかしいとか考えることもなさそうに思うんだが。

「あー、それは、さ……」

俺の質問に頬を赤らめ、柚木が口ごもる。

「どうした?」

「いや、その……映画って言うのがね、バリバリの恋愛モノで、さ。流石に女一人で行くのは寂しいなぁ、と。しかも全席指定の劇場だから、隣の席が空いてると変に勘ぐられそうな気がして」

赤い顔をして、上目遣いで覗き込む柚木。柚木と二人で、恋愛映画……なんだ、この妙な照れくささは。

「……お前はそんな恋愛モノの映画に、俺を誘うのか?」

「だってさ、前から見たかったんだもん。それに凄い人気映画で、めったに席なんて取れないんだよ?」

「他の女友達にでも当たればいいだろう……」

「前日にいきなり言ったって、そんなに簡単につかまらないよ」

「そんなもんか?」

「いっつも暇してる折原君と一緒にしないでよね」

ぴしゃりと言い切られてしまった。そんなに俺はいつも暇を持て余しているように見えるんだろうか。

「だから一緒に行こーよぉ。あたしを助けると思ってぇ。ここ奢るからさぁ」

「あー、分かった分かった、行くから、だからその猫なで声をやめろ。鳥肌が立つ」

「むぅ、このしーこ様のプリティボイスに対して随分と失礼なことを言ってくれるじゃない」

「プリティボイスってなんだよ……」

「ま、いいや。承諾してくれてアリガトー」

「いいよいいよ。俺もタダで映画見れるんだし」

「それでもありがと。あと…」

柚木は俯くと、聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声で呟く。

「ごめんね……茜……」




「柚木?」

俯いてしまった柚木に声をかけてみる。

「あ、上映は12:30からだから、明日の12:10に映画館集合ね」

ガバっと起きる柚木。ちょっとビックリした。

「お、おお。そういえば、映画館は何処だ?」

「駅前のシネコンだよ。場所は知ってるよね?」

「あそこか」

最近出来た大型の複合映画館を思い浮かべる。判りやすい場所にあるし、特に問題はないな。

「そういえば、何ていう映画なんだ?」

肝心の映画のことに関して恋愛映画だということ以外何も聞いていないことに気づいて尋ねる。

「ん? ああ、『From the here, to the far away』って言うタイトルでね。不治の病で、もう余命幾許もないの男の子と、ちょっと変わっている無口な女の子の話」

「へぇ。てことは悲恋ものか」

「まあその辺は見てのお楽しみ、だよ」

「そっか」

「それでねそれでね、ヒロイン役の女優さんがすっごく綺麗な人でさー」

よほど楽しみにしていた映画だったのか、柚木が興奮した様子で映画に関する話題を次々と口にする。

目をキラキラさせながら話す柚木を見て、不覚にもちょっと可愛いと思ってしまったのは秘密だ。

「じゃ、そういうことで。明日はよろしくねっ。遅刻したらぶっ飛ばすよ?」

「おお、わかったわかった。だからその拳を引っ込めてくれ」

目が全く笑っていない柚木の笑顔が、無性に恐ろしかった。




翌日。昨日の雨が嘘の様な晴れ。天気予報を見て来るのは忘れたが、この様子なら大丈夫だろう。

散々脅されていたので、待ち合わせより心持ち早い時間に出てきた。

「あ、折原くーん、こっちこっちーっ!!」

俺に気づいた柚木が大声で叫び、手を振っている。辺りを歩く人々の視線が集中する。

「止めんか、恥ずかしいっ」

「気にしちゃ駄目だよー」

気にしてください、お願いだから。

「それにしても早かったねー」

「まぁ、遅れて文句言われるのも嫌だったしな。それにお前だって早いじゃないか」

「あはは、楽しみで待ちきれなくってさ。とりあえずここで突っ立っててもしょうがないから入ろうよ?」

「ま、それもそうだな」

柚木からチケットを受け取り、映画館に入る。売店で飲み物を買ってから、目的の映画が上映される劇場へと移動した。

恋愛映画、か。やれやれ、最後まで眠らずに見ていられるだろうか……。



「くぅーっ!」

映画館から出て、思い切り背伸びをする。椅子の座り心地は良かったが、やはり長時間座っていると少し疲れる。

「面白かったねー」

「確かに。話もよく作りこまれてたし、役者の演技も良かった。演出も上手かったし、何より曲が作品にマッチしてたな。恋愛映画で眠らずに最後まで見たのはこれが始めてかもしれん」

正直言って、意外だった。絶対に途中で寝てしまうと思っていたのだが、想像以上の出来に惹き込まれてしまい、視線はスクリーンに釘付けになっていた。クライマックス付近では本気で泣きそうになってしまった。……隣で見ていた柚木はマジで泣いていたようだが。

「主人公の男の子かっこよすぎだよぉ」

「うーん、自分の命があと僅かって時に、あんなふうに振舞えるってのはすごいよな」

「だよねっだよねっ!!」

「とりあえず柚木、礼を言っておく。お前のおかげでいいものが見れた」

「気にしなくていいよ、チケットを無駄にするのもなんだしね。それよりも、これからどうしよっか?」

「んー、流石にちょっと腹が減ったな。飯でも食いに行くか?」

「それは奢りかな?」

「ワリカンに決まってるだろう」

「…ま、いっか。それじゃ、そこでいいかな?」

「ん、おっけーだ」

さくっと話をまとめて、すぐ近くの喫茶店に入る。

「お帰りなさいませご主人様、奥様」

店に入るとメイド服を着た店員さんが迎えてくれた。そのまま席に案内される。

「ご注文はお決まりですか?」

「ランチセットってまだ大丈夫ですかね?」

「はい、ご注文いただけますよ」

「じゃ、俺はそれで、ドリンクはアイスコーヒーでお願いします。柚木はどうする?」

「んー、あたしはホットサンドに、アールグレイとモンブランのケーキセットで」

「お飲み物は何時お持ちしましょうか?」

「食後でいいよね?」

「ああ」

「食後でお願いします」

「かしこまりました。ではご注文を繰りかえさせて頂きます。ランチセットをドリンクはアイスコーヒーで。特製ホットサンドにモンブランとアールグレイのケーキセット。お飲み物は食後で。以上でよろしいですか?」

「はい、お願いします」

「それでは少々お待ちください」

綺麗なお辞儀をして、店員さんが下がる。

「しかし、ホントにいい映画だったな……」

お冷で口を湿らせ、一息ついてから映画の話題を口にした。

「だよねぇ、折原くんも泣きそうになってたし」

「ぐっ…。な、泣いてた奴に言われたくはないな」

「ふっふーん、女の子はああいう時泣いたっておかしくないんだよーだ」

勝ち誇ったように柚木が言う。

「そういえばさ、映画の中で、舞踏会の話があったじゃない?」

「ああ、あったな」

「ぢつは私も踊れるんだ、ソシアルダンスってやつ。どう、凄いでしょ」

得意気な柚木。

「あー、はいはい、凄いねぇ」

「うわー、凄く投げやりな言い方ー」

付き合ってられん。しかし舞踏会か。そういや、この間のメールに……。

「舞踏会といえば、だな」

「ん?」

「転校した友達から、この間メールが来たんだよ。そこに書いてあったんだけど、今そいつが通ってる学園では、学校行事に舞踏会があるらしい」

「嘘っ」

「それが、どうやらマジらしい。しかも結構参加者居るそうだ。そいつも参加したって話だぞ」

「はぇー、凄い学校もあったもんだねぇ」

「全くだ」

数ヶ月前に北の街へと転校して行った友人を思い出す。…そういえば、アイツのテンションは柚木に通じるものがあったな。

「どしたの、変な顔して」

「いや、なんでもない」

奴や住井たちと一緒に馬鹿騒ぎしていたときのことを思い出しているうちに、表情に出ていたらしい。楽しいこと以上に厄介ごとが多かったからなぁ。

「お待たせいたしましたぁ、ランチセットと特製ホットサンドになりますぅ」

ちょうど話が途切れたタイミングで料理が運ばれてきた。……このウェイトレスさん、凄い胸だな。

「それではぁ、ごゆっくりどぉぞぉ」

ぺこりとお辞儀をして、店員さんは行ってしまった。

「折原くんのえっちー」

「な、なんだよ」

「今の店員さんのムネ、ずっと見てた」

柚木がジト目で睨んでいた。

「そ、そんなことはないぞ?」

「どーだか」

「おお、やっぱりここの料理は美味いなっ」

視線に耐え切れなくなって、料理に逃げる。

「これだから男って…」

柚木の視線にさらされ、なんともいえない居心地の悪さを感じながら、俺は料理を平らげた。いや、男なら誰だってそうなるだろう?

「はぁ……ところでさ」

ん?

「ここ、折原くんの奢りだよね?」

……ハイ、奢らせていただきます。




喫茶店を出て、二人で歩く。

「全く、信じられないよねー。目の前にこんな可愛い女の子がいるって言うのに、ウェイトレスさんの胸に見とれるなんてさー」

「見とれてないって」

「口ではなんとでも言えるよねー」

未だ機嫌の直らない様子で先を歩く柚木に、ぐちぐちと文句を言われていた。

「だー、いい加減に機嫌を直せよ」

「ふんっ、だ」

「あー、今度山葉堂のワッフル奢るからさ」

「絶対だよ?」

「ああ」

「練乳蜂蜜ワッフルは不可だからね?」

「わかってる」

「じゃ、許してあげましょ」

そう言ってくるりと振り向いた柚木は、にっこりと笑っていた。

「てめぇ、謀ったなっ!?」

「さー、何のことでしょう?」

「チクショウ」

どうやら柚木に一杯食わされたらしい。俺の目の前で、ニヤニヤ笑っている柚木を見て悟る。

「ま、これで綺麗さっぱり水に流してあげるよ」

「そりゃどーも」

「あははっ」

やっぱり、何だかんだ言って柚木と一緒に遊ぶのは楽しい。結局この日は夜まで夕方まで遊び続けてしまった。明日も柚木と遊ぶ約束したし、今週末は充実してるな。








夜――。

「そういえば…」

茜、風邪ひいてるって話だよな。大丈夫なんだろうか? ちょっと電話してみよう。

辛そうなら直ぐ切るか…と考えながら誰かが電話に出るのを待つ。

ガチャリ。

「はい、里村です」

少しかすれた声。

「折原と申しますが、茜さんいらっしゃいますか?」

少しの間があった後。

「浩平? どうしたんですか?」

「ああ、茜だったのか。いや、柚木から、茜が風邪ひいて寝込んでるって聞いて、ちょっと気になってな」

「大丈夫ですよ。もう熱も下がりましたし」

「そりゃ良かった。それにしても、惜しかったな」

「惜しかった…何がですか?」

何のことか分からない、と茜。

「ああ、映画の事だよ。今日柚木と行く筈だったんだろ? いやー、あれ良い映画だったぞ?」

「……映画、ですか?」

「言い方は悪いけど、茜が風邪で行けなかったおかげだな」

「………」

声が途切れる。

「茜、大丈夫か?」

心配になって声をかける。

「あ、はい。大丈夫です。…詩子、私の事をダシにしましたね」

「ん? 何だって?」

「いえ、何でも無いです。映画、良かったですね」

「おう。おっと、あまり長話も何だから、そろそろ切るな」

「はい。ああ、今度会った時、詩子に伝言頼めますか?」

「ん?」

「『貸し1つですから』って伝えておいてください」

「…何だそりゃ。まあいいや、伝えておく。明日も出かけるし。お見舞いに、山葉堂のワッフル買って行くよ」

「嬉しいです。明日も楽しんできてくださいね。それでは」

「ああ、茜もお大事に」





















今日も晴れ。夏独特の、蒸す暑さが不快感を煽る。しかし、それがちっとも辛く感じないのは。

「おーりはーらくーん」

前を歩くあいつのおかげだろうか。

昨日の茜との会話を伝えると、しばらく凹んでいたが、今はもうそんな様子も無い。まあ、開き直っただけにも見えるけど。

昼食を食べ、柚木の希望で商店街を冷やかす。

「次は向こうへ行ってみよっ」

「…はぁ」

「何よその溜息はー。若くないぞ折原くん」

「悪かったな」

「あははっ」

柚木の笑い声が響く。

ポツリ。

「ん?」

不意に頬に感じた冷たさに、天を仰いだ。

ポツリ、ポツリ。

「あれ……雨?」

ザァーーーー。

「うわ、降り出したっ」

「お、折原くんっ、あそこ! あそこで雨宿りしよう!」

柚木が指差した先に向かって、二人で走る。

「ふぅー、参ったね」

「全くだ」

『定休日』の札がかかった店の軒下に駆け込み、溜め息をつく。

「夕立、かな?」

「多分そうだろ。あれだけ晴れてたんだしな」

「んじゃ、しばらくここでこうしてれば止むよね?」

「だな」

何はともあれ、雨が止むまでこの場で待つことに決めた。

その時だった。トラックが車道を猛スピードで通り、一瞬後。

バシャッ!

と、俺と柚木、二人ともびしょぬれになってしまった。雨宿りしていようと関係ない。

「…んのクソトラック! 会社覚えたけんのー! 往生せいや!」

「折原くん折原くん、意味分かんないよ」

「…あー…ちきしょう。だから雨はあまり好きじゃないんだ」

「そう? あたしは好きだよ。相合傘とか、一緒に雨宿りとか、晴れの日じゃ出来ない事もあるもん。まあ、今日はこんな事になっちゃったけどさ」

柚木は一旦目を閉じ、どこかで聞き覚えのあるフレーズを口ずさむと、目を開けて。

「ね、折原くん、ここまで濡れちゃったら雨宿りも意味無いしさ、いっそ雨に濡れながら帰らない? きっと楽しいよ」

これだって、雨の日にしか出来ない事だよ? と柚木。

「ほーらー」

軒先から飛び出し、俺の手を引っ張る柚木。つられて歩道へ飛び出す俺。

柚木の足音が、トントントンとリズムを奏でる。俺はさしずめダンスの相手。不恰好に付いていく。

柚木は回る、くるくると。雨を顔に受け、両手を広げ、愛しい物を受け入れるように。
スカートをなびかせ、顔に纏わりつく髪の毛を払おうともせず、ただただ楽しくて仕方ないように。

雨足はますます強くなる。けれど、そんな事は関係ない。彼女はずっと踊るだけ。舞台は道、観客は空、雨は拍手の音。

どんどん先に進む柚木に追いつこうと足を速める。俺の足音が聞こえたのか、柚木は振り返る。その顔に浮かぶのは笑顔。溢れる喜びを、湧き出る楽しさを、ダンスで表現してもなお足りないと言わんばかりの輝く笑顔。

「ね、折原くんっ」

そこで思い出す。さっき柚木が口ずさんだフレーズを。あれは古い映画のワンシーン。主人公が、雨の中で踊りながら口ずさんだ歌だ。確か主人公は、想いが通じた事が嬉しくて、雨に濡れる事さえも楽しくて。

「楽しいよね!」

その笑顔が、何の裏付けによってもたらされているのか分からない程、俺は鈍感じゃないつもりだ。俺もつられて笑顔になって、どうしようもなく踊りたくなっている事を考えると、多分俺も同じ気持ちだからなんだろう。

俺は無言で追いつくと、柚木の手を取る。少し驚いた表情の柚木を可愛いなと思いながら、俺も精一杯の笑顔を作る。

「ああ、踊り出したいくらいに楽しいな」

一緒に居られる楽しさと、共に居られる嬉しさと。そして君への気持ちをこめて、想いのままに、ダンスを踊る。

「そして、出来るなら柚木と一緒に、踊っていきたいな」

伝わるだろうか? かなり不器用で、何も考えてないようなセリフだけど、舞台は整っていたと思うから、台本なんかは無視をして。

「お…りはらくん?」

少し赤い顔をした柚木。多分、俺の言ってる意味が何となく分かったのだろう。ならばそろそろフィナーレだ。繋いだ手を一旦離し、リズムを取りつつ後ろへ下がる。

二人が手を出せば触れ合える距離で、俺は半身を引いて右手を差し出す。出来る限りのカッコをつけて、これからずっと覚えていてもらえるように。

「これから一生傍に居て、ずっと一緒に踊ってもらえますか?」

真っ赤に染まった顔で、おずおずと俺の手を取る柚木。

今回の舞台はこれで一時終幕。だけど、ここから二人での舞台が始まっていく。







「あ、晴れて来たね」

雨が止むと、真っ赤な空が見えた。

「雨の日には命の水を蓄えて、晴れの日がその命を育む……」

「ん?」

紅に染まった空を見上げながら、柚木がぽつりと言った。

「それは、人間も同じ。冷たい悲しみの涙は決して絶望じゃない。それは、必ずいつか来る、温かい笑顔を育てている、か……」

「なんだ、それ?」

どこか遠い場所を見つめながら呟く柚木に、尋ねる。

「ん……私の中学の時の社会の先生が言った言葉でね。雨上がりの空見てたら、ふっと思い出したの」

懐かしい想い出を、穏やかな顔で語る柚木。

普段は見せない、その様子がとても新鮮で。

柔らかく微笑むその顔が、とても綺麗で。

「おー、夕焼けじゃあ…」

俺はそう言って、柚木から目を逸らし、紅い夕日へと視線を向けた。

きっと上気して赤くなっているだろう頬の色を、夕日の紅が誤魔化してくれていると信じながら。

「折原くん、何キャラよそれ…」

どうやら俺がテレているのは気づかれなかったらしい。呆れた様子で柚木が尋ねてくる。だから俺は、いつも通りにおどけて言った。

「大災害で生き残ったが世を儚んで飛び降りようと思ってビルの屋上に上ったら綺麗な夕焼けを見て世界はまだ捨てたもんじゃないって思い直す爺さんの役」

「長っ! しかも設定が暗い!」

「文句ばかり言うなら柚木も何かやれー」

「あんたは酔っ払いか…んーと…それじゃ…」

柚木は俺にしな垂れかかってくると。

「あなたと一緒なら、あたしはどこでだって生きて行こうと思いますよ…」

その言葉にどぎまぎしてしまう俺。

「そ、それは何の役だ?」

柚木はくすっと笑う。

「そのお爺さんと一生添い遂げるお婆さんの役」

柚木は小走りで俺の太陽の間に入る。そして振り向いた。

「そうなれる様にって願いをこめて…ね」

「……」

その顔は、とても大人っぽく見え、まるで彼女じゃないように見えて言葉を失ってしまう。けれど。





「あー! 折原くん後ろ見て! 虹だよ虹!」

隣に来た彼女はやっぱりいつもの彼女で。

「ん? おお…すっげぇ…はっきり見える…」

「これも雨がくれるプレゼントだよね」

「ああ、そうだな」

手を繋いで。

「子供の頃、あの虹まで行きたいとか思わなかった?」

「ま、一度は考えるよな。実際、行ける訳無いんだけど」

俺の顔を覗き込む。

「でも…さ、いつか行けたら良いよね」

「…そうだな。魔法使いにでも頼むか?」

俺の大好きな笑顔で。

「ま、折原くんたら少女趣味ですこと」

「お前に合わせたんだろうが!」

いつもの様な話をしながら。

「まあまあ、怒らない怒らない」

「…ったく」

ずっとずっと一緒に。

「それじゃ行こっか」

「ああ」

そして、いつかは。











あの虹の彼方までも。