あーした天気になぁーれっ
カラン、カランコロン
下駄の向きは……
立った、下駄が立ったわ!
雨でもないし、晴れでもない
じゃあ、明日は、
お天気雨
いや、下駄っていつの時代だよ、しかもなぜ口笛はなぜ遠くまで聞こえるの?
と、一人の男子学生が授業中に見ていた夢につっこみをいれた。いつの間にか休み時間になっていたようだ。
ふと目線を外へやると、土砂降りの雨。天気予報によるとバケツをひっくり返したようなものらしい。
ザーザーと降り続ける雨。余りの雨量にザーザー改めダーダーの擬音を進呈したいと思いつつ、背伸びをして目を覚ます。
ここは、そんな時に校庭へ出るような物好きが多くはない程度には平凡な学校だ。
そんな学校の一クラスを見渡すと、けだるい空気が流れていた。
が、彼は例外だ。場の空気をぶち壊すような明るい調子で隣の女子生徒に声をかける。
「うむ!今日はみんなゆーうつだね、蒼(あお)!」
蒼と呼ばれた少女は空気読めよとの訴えを全身で表現しつつ顔を上げる。
「ああ、憂鬱だ。おまえも空気読め」
全身で、もとい、ばっちり声で表現。だって全身使うのは面倒だろう、とばかりだ。
蒼はそんな少女である。常にローテンションでめんどくさがり。それはもう口を動かす量を減らすために女性口調を捨てたと噂されるくらい。ただ口が悪いだけだという説は横に置いておく。
そんな彼女に平然とハイテンションで挑んだ男子は話を続ける。
「そう、ゆーうつだ。ゆーうつなんだ、それが真実の姿だ。わかるかい、蒼?」
「よくわからんが、その前にせめて憂鬱の憂くらい漢字で書けるのだろうなと、妙に間延びしたセリフをはく陽二に切に問いたい」
その男子、陽二はあまり聡明なキャラではない。蒼曰く、あほの子。そして彼女とは正反対のハイテンションキャラ。だからといって決して女口調ではない。普段は。
ともかく、憎めない人柄であり、みなから好かれる人気者だ。
「ハハ、この稀代の天才と呼ばれた陽二サマに何たる愚問を」
「ほう?」
「優しいの"優”だろ?」
「おやすみ」
「あぁ、そんなまさに天寿をまっとうせんとする患者に対する医者の慈悲みたいな声をかけるなぁー、あ、しかも頭を撫でるなぁー」
「あーはいはい、陽二は憂鬱の半分が優しさでできていると思っているような能天気男だものな」
「イエーイ、ポジティブしんきーんぐ」
「ふぅ、そのぐっと突き出した親指をポッキリやったら幾分気分は晴れるだろうか、と真剣に思うよ」
「おやおや、するってーと蒼の心は今、もやもやかい?つまりアレだ。ゆーうつなんだね?しかもとっても?」
「私はね、お前との腐れ縁が高校2年になっても切れなかったときからずっと、とても憂鬱だよ」
そう、蒼と陽二はずっとずっと一緒だ。腐れ通り越して土に還ってもいいころだと蒼はたまに思う。
高校1年のときはクラスが違っていたのだが、2年になってまた一緒になった。小学校から数えて実に7度目。陰謀に違いない。
蒼はそんなことを考えつつ、陽二のリアクションが無いことに違和感を感じてそちらを見た。
すると、何かプルプルしていた。両の拳を握り、体を震わせている。
そして、
「コングラッチュレーション!」
「……」
……めでたがられた。なにかもう全身で祝福されている。
まるで理解できないが、蒼はとりあえず制裁にでることにしておく。
奥義、ぐーで殴る。
「ぶっ!痛いっ。殴ったね、親父にも……なふぁっ!いふぁっいふぁいって、ふねるのもひゃめて」
“ぐーで殴る”からのコンボ、“頬をつねる”の型に移行していた手に力を込め、蒼は思う。
陽二はあほなことを言い出したら止まらない。そしてそのまま暴走、蒼を巻き込んでぶっ飛んでいく。
10歳の誕生日は即ち成人の日であり、一人前の男になるため家を出るとか言い出したときはもう大変だった。
蒼を引き連れて町を出て山を登り遭難して野宿していつの間にか墓地に着いて揺れる人魂を眺めながら死を覚悟したがお花畑を垣間見つつお供えの饅頭を食って生き延びて翌日実は町内の寺だと判明して生還して蒼1人腹を下しながら大人たちに怒られたことは、いい思い出……では決してない。
それ以来、蒼は陽二の母親にそういう時は遠慮なく殴れと許可されている。殺しても可、だそうだ。
さて、人の不幸をめでたがるなんて、また悪事を思いついている可能性が高い。
まぁなにはともあれ、むかついたからもう一捻り。
「いふぁい〜あ゛〜やめて〜うぅー」
泣いた。さすがに陽二がかわいそうになったので手を離した。
「あー痛かった」
「ふぅ、ではどうやって不幸をコングラされた、このやりきれない思いの丈をぶつけろと?」
「んーそうだな、アリの行列に小石を置いて邪魔をするとか、地面に小枝で『の』の字を書き続けるとか、あ、某ちゃんねるをひたすら荒らすのが流行?」
「で、凶器は大岩と丸太のどっちが好みだ?それとも回線で首を吊るのが流行りかい?」
「ゴメンナサイ。いやいや、というかね、蒼、君は最後まで人の話を聞きなさい?コングラでは終わらんのだよ」
「ほう、ならもう一度発言を許そう。せっかくだから私のセリフからやり直させてやる」
「わーい、蒼は太っ腹だね。そんじゃあ、アクション!」
陽二は心底楽しそうに腕を振るった。発言開始、ということだろう。
蒼は、いや太ってないから、うん、そのはず、だよな?とか関係ないことを思いつつ、言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。
「私は、お前が存在する限り、永遠に、ゆ、う、う、つ、だ」
「コングラッチュレーション、おれ!」
……なぜか自分を祝っている。おれ!がラテン系のオッレィ!に聞こえるくらい祝っている。
蒼は思う。ああ、これはあれだな、と。
「おやすみ」
「うあ、手のかかる赤ちゃんのおしめを換えた後で寝かしつけるような声をかけるなー」
「違うな。私はね、お前の発言に意味を持たせようとしたのさ」
「というと?」
「寝言は寝て言え」
「いやっほーう。蒼の吐く毒を華麗にスルーしつつもだんだん胸が痛んできたよ」
そういって胸を押さえた。その動作は演技がかっていたものの、冷や汗も浮かんでいて、どうやら本当に痛んでいる風だ。
そんな陽二を見ていると、蒼は、
……祝福したくなった。
「Congratulation! お前にも人並みの心があったんだな」
「あ、ごめんウソ。饅頭の食いすぎで胸焼けしてるだけ」
だがしかし即効で返されるのが陽二のクオリティー。わかっていたさ、と蒼。
「くっ、おのれ稀代の能天気め。の、前に饅頭だと?まさかまたお供えの拾い食ったのか?あれほど拾い食うなと言ったのに……あぁもう、お願いだから大学までには治して下さい」
「そこに饅頭があるからだ!」
「いや、食う理由は聞いてないから」
ちなみに、拾い食いで腹を壊すんじゃなくて胸焼けかよっ、とかいうつっこみはもはや時代遅れ。
陽二は鋼鉄の胃袋を持っている。否、おれの胃袋はブラックホール、らしい。
「でな、おれが祝いたいのはおれなわけ」
「なんなんだ、それは」
「雨といえばゆーうつ、それは分かるよな?」
「ああ、物語の情景描写に雨が出れば大抵暗い出来事の暗示だし、実際雨が降るとだるいしな」
「そう、雨とくれば憂鬱になるのが世界標準なんだ」
「いや、砂漠に雨が降れば歓喜だろうが……」
「でな、今まさにみんな憂鬱になってるわけだ」
「……」
「つまらないつっこみはスルーさ〜」
蒼はげんこつを準備した。
つっこまれないとそのうち「おれは人間をやめるぞ蒼〜」となりそうなヤツがよく言う。
「で?陽二君はどんな面白いお話をしてくれるのかな?」
「うん、しかしね、そんな雨でもおれはまったくゆーうつにならないんだ」
「うらやましい限りだな、能天気。あぁ、そうか、能天気ってのはきっとNO天気なんだ。晴れだろうが雨だろうが天気に関わらずずっとバカ」
「それでね」
「バカといわれてもさわやかにスルーできる陽二は世界平和の要かもしれないな」
「だからといっておれはゆーうつじゃないからおめでとう、ではないんだ。おれだって周りにあわせてゆーうつでいるべきじゅあないかい?でないと、そんなおれはいわば世界のバランスを崩している気がするんだ。いやはや、おれは歩く公害かい?」
「Yes, you are」
「だろう?だから俺の代わりにゆーうつになってくれる人が必要なんだ」
「お前に非カタカナの英語を使った私が馬鹿だった。というか、何だ、そのトンデモ理論は?」
「ん、簡単さ。おれの分のゆーうつが世界に不足しているなら誰か代わりの人に背負ってもらえば良いってこと」
「ははーん……ワタクシ雨月蒼はとてもとても嫌な予感がしてまいりましたので、帰らせてください、というか私を解放しろ、こら、制服をつかむなっ」
蒼は逃げようと席を立ったが、すでに制服をつかまれていた。
陽二は目で語る。お見通しさ、と。
こうなったら蒼に逃げるすべは無い。むぅ、とつぶやきながら席に着いた。
「蒼は察しがいいなぁ。さっきのコングラはそういうことさ。蒼が2人分憂鬱ならおれは生ける公害化回避できるからね。それにあとちょいで4限だよ。ティーチャー北野は融通がきかないからサボると立たされちゃう」
「頼むからお前の身代わりはほかの誰かにしてくれ。あ、ほら、優等生の私が早引きしたら北野も脂ぎった禿げ頭を垂れて鬱になるかも。な?」
「ハハ、おれの代わりなんて平成夫婦マンザイの片割れである雨月蒼、君しかいないよ」
「へ、平成夫婦なんだって?馬鹿なことを言うな」
「えー。だってみんな言ってるよ?あ、おーい健史〜」
陽二は少し離れたところで呆けていた友人、島村健史に声をかけた。
彼はけだるく返す。
「何だー太陽」
「おれらの芸名は?」
「あー?平成夫婦漫才『太陽と雨』だろ。ってうわ!怒りのオーラがお前の背後から。あ、あんま雨を怒らせないようにな?じゃ、俺は逃げるように食前睡眠に入るから〜」
「あいあい、さんきゅー」
その背後からオーラを出していた蒼は、顔をぴくぴくさせながら陽二を睨んだ。
平成と漫才はまぁいい、だが夫婦はアレだろと。まさかそんな通り名がついていたとは思いもしなかった。
「……」
「な?いやぁ宣伝したかいがあったよ」
「ってお前の宣伝かい!くっ、その口二度と開かないようにしてやろう」
「ふむ、ならばおれはその開いた口、二度とふさがらないようにしてやろう」
「……いつものことだな、オイ」
「今のところ蒼のゆーうつ度は1.4人前くらいだから、がんばれ、あと0.6人前!」
「お前が自然法則歪めるくらい能天気だからその分私が憂鬱なのだと切に訴えたい」
「ほう?新説だね。ならばこうしよう、蒼がおれをゆーうつにできれば蒼の勝ち、逆に蒼がゆーうつになれば俺の勝ち」
「勘弁してください」
「じゃあ蒼、がんばってゆーうつになろうっ」
「まぢなのか?」
「うん、まぢ。神剣と書いてまぢと読むくらい」
「どこの神剣だよ」
「天皇さんちの草薙の剣」
「細かい設定をありがとう。おかげで憂鬱度は優に5人前だ。Mission Complete!」
「はいはい、じゃあ始めようか」
「オイ」
陽二はこの程度の制止など意に介さず、本腰を入れてきた。
少し考えた後、ビシッと人差し指を立てて腕を突き出し、言う。
「作戦その1、蒼の秘密をばらす。あんなこっとそんなこっといっぱいある〜けど〜♪」
「待て待て。それは憂鬱通り越してキレるぞ?私は」
「作戦その2、蒼の弁当箱を振ってぐちゃぐちゃにする」
「微妙なところでくるなぁ。でもやらせるわけないだろ、かばん死守」
かばんを胸に抱え、さっと包まる。体を斜め後方に向け、そこから覗き込むようにする。
さりげなく鞄をひらがなで言っているあたりも含めて、萌えだなぁ、などと陽二は思う。
が、容赦しない。
「あ、ごめん。もう取り出してある。備えあれば何とやら〜」
蒼の目の前でナプキンに包まれた弁当箱をぶらぶらと見せ付けた。
「なっ!?悪戯となるとどうしてそう手際がいいんだよっ!」
「よぉし、やるか」
「……」
奥義、ぐーで殴るU。もちろんコンボ入力済み。
ぼかっ、ならぬ、どかっ。
「イタッ!さっきより3割り増しでいふぁっふねふのもいふぁいっ」
「懲りたか?よし、大人しく投降しろ」
「ていっ」
「あっ」
気を抜いた、その時だった。
哀れ弁当箱は振られ、遠心力という悪魔に囚われた。
蒼は、にこりと笑った。
「甘いなぁ、蒼は。のどもと過ぎれば…べふっ!痛っおぉぉぉう、なんてスナップの効いたビンタだぁ」
「のどもと過ぎれば、か。良いことを言う」
そう、いいことを言った。それは、のど元を過ぎなければいいということだろう?
お、う、ふ、く、び、ん、た。それは死のエンドレス。
「いたっいたっいたっいたっもうやめっあべしっ!」
「飲み込まずにずっと味わっておくれ」
「いたぅいたっいったんもめっいた!いい、きゃ、きゃんべんしてくだしゃい」
蒼は、さすがに陽二がかわいそうになったから、では無く、手が痛くなったからやめた。
お前を殴った父さんも痛いんだぞっとはよく言ったものだ。ビバ自分中心。
「……はぁ、まぁ一度振ったくらいなら大丈夫だろう」
「そうそう、いつも蒼の弁当はぎっちり詰まっているからねっ」
「どれ……」
蒼は包みを解き、弁当箱を開けた。
中身は、きれいだった。
「お、あーそういえば。ふむ、よかったね、まったく崩れてない。それどころか一点の曇りのない一糸乱れぬ状態」
「そうだな、とてもきれいな状態だ」
「うんうん、米粒ひとつ残らずきれいに食われきってる。とっても美味しかったんだろうね、うん、特に和風ハンバーグは絶品だった」
「だろう?ちょっと楽しみだったんだ。なぁ、陽二、犯人はどのようなむごたらしい最期を遂げるべきだと思う?」
「そうだなーおかわりを食わせてやるとか?」
「よーし、ママ思いっきり往復ビンタ食らわせてやるぞぉ」
「ひゃっほう、蒼が壊れた。っていうかアレですか?おれ命の危機?」
「そこに直れ」
「ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ以下壊れたテープレコーダーのようにリピート」
「自分でリピート言うなっ」
ガッ。黄金の左ストレート。
「ひでぶ!ぬるぽとはいってないのにぃ」
「さっきからリアクションに余裕が見られるのは気のせいか?」
「なに、『あべし』や『ひでぶ』が自然と出るよう訓練をつんでいるだけさ」
「はぁ、そうかい。でも、まぁ……認めたくはないがこんなこと日常茶飯事だなぁ」
よく考え、なくともいつも通りだ。いつも通り陽二はボケ、蒼がつっこむ。
そう思って、蒼は力を抜く。が、元からあまり入っていないあたり、体はこの日常を受け入れているようだ。
「そうそう、つい2日前にもおれが蒼の唐揚げ半分いただいたし」
「オイ。通りで少ないと思ったらなるほど、へぇ」
「たわば!」
「まだ殴ってないっ」
「はは、じゃあ次の作戦ね」
「待て。私の昼飯をど、う、す、ん、だ」
「それは例のごとく、ボクの顔をお食べよ」
「いただきます」
蒼は間髪いれずに陽二の頬にかぶりついた。
そのまま租借する。むにゅむにゅと、良い感触が脳を刺激する。
「う、あ」
「おいしいよ、陽二」
「あぁ……って、イタッいやそれ口じゃないし、さりげなくキッスを狙ったおれの気持ちをくみ、イタッ」
「私の手のカバオ君は食いしん坊なんだ」
手で作った口をパクパクさせながら蒼は古典ギャグを締めた。
陽二は降参のポーズをして言う。
「ばいばいきーんってことで、しょうがない、おれの弁当をお食べ」
「お食べ?」
「いえ、召し上がりになられてくださいませ蒼様サマ」
「よろしい」
「うん、陽二母の料理はいつも最高からな、昼休みが楽しみだ」
「仕方ない、パンでも買ってこよぅ」
「まだ食うのかい」
「だって3限の間に食ったわけだから、昼にはもうぺっこぺこさぁ」
そこで、蒼はふと思う。
「なぁなぁ、お前もしかして親からパン代もらってないか?」
「うん?もらってるけど何で?」
「私は最近、かあ様の作る弁当がお前好みの内容になっている気がしてならない。そんでもって陽二母の弁当もまた私好みになっている気がしてならない」
「ふむ、するってーと?」
「予定調和」
「クラシックレコードかっ」
「それを言うならアカシック。はぁ、鬱3人前追加したいくらいの腐れ縁っぷりだな」
「前世からの付き合いだからなっ」
「幼稚園な。陽二君は電波を発信しないように」
「あいさー」
「まったく……ふふ」
蒼は小さく、でも優しく笑った。
腐れ縁もここまでくると悪くない。いや、腐れ縁はもう土に還っているのかもしれない。
そして、新しい芽が出てきている。そう、思った。
「んー?蒼、今もしかして笑った?」
「ふん、鼻でな」
「おいおい困るよキミィ、ゆーうつ度が下がってるよ」
「鰻登りだよ」
「いやいや、もうせいぜい1.2人前ってとこだね。おかしいなぁ」
「……夫婦だからな」
「え?」
「なぁ、陽二。雨空でもさ、日が差したらどうなると思う?」
「あー晴れになる?」
「そういうことだろ、太田陽二」
「ああ、そうなっちゃうのか、雨月蒼」
「ふん」
「ははー」
「うむ、きれいにまとまったところで廊下に立ってろ。水入りバケツ持ちでな!」
「「え?」」
残念ながら、雨空に太陽が差してもひたすら陽気な晴れにはならない。
それは、お天気雨。
それは微妙で愉快な素敵な天気。