第10話「決戦」
「わあぁっ!」
回避しきれず、攻撃を防いだ衝撃で吹き飛ぶさくら。これでもう何度目だろうか。
染井吉野と激しい空中戦を繰り広げて五分と経っていないが、劣勢は明らかだった。
防御魔法の上からでも強い衝撃を受けるというのに、三基のビットから撃ち出される魔力光線にも対応しないといけないのだからたまったものではない。
隙を見て誘導操作型の射撃魔法で応戦するものの、厄介なことに、ビット自体にも強固なバリアが発生していて、生半可な攻撃やバリアブレイクでは打ち崩す事ができない。
残る三基のビットは、一基がマイトゥナを、二基がアイシアを狙っていた。
マイトゥナにはサークルタイプの防御結界が張られているうえ、さらにジョージがガードを固めているので護りは鉄壁といえる。
逆にアイシアは二基のビットから執拗に狙われ、彼女自身ではとても対処できず、ネオパーシヴァルが護衛に回っている状況だ。
そもそも魔力ビットは、生成・維持だけでも高い魔力と技量を必要とするのに、それを六基も繰り出して完璧にコントロールするなど、染井吉野の高速思考や空間認識能力は桁外れであることを雄弁に物語っている。
さくらをベースに、その母の魔力も加味され、さらには<倫敦>の魔気と融合しているからこそ可能なのだ。
「芳乃さくら、いくら君でもボクの相手にはならないよ。カートリッジ付きデバイスを持ったところで変わりはないさ」
『イブニングスター』
「ん?」
『宵の明星イブニングスター。主が付けし名だ――見くびるな』
デバイスにそんな返され方をするとは思っていなかったのか、染井吉野が目を丸くする。
「イブニングスター……うん、一緒に頑張ろう!」
きりっとした表情で頷き、さくらは星の錫杖を掲げた。
スロットから飛び出す三個の薬莢。デバイスが戟のような形状に変化し、紺碧の魔力刃を形成した。
「ドーンモード――夜明けの戟」
それが、イブニングスターのフルドライブモードであった。
『参る!』
戟を構えたさくらが高速飛翔で手近なビットに突撃。流れるような動作で繰り出した戟の刃先は、板に穴を穿つ水滴のごとく、ビットをバリアごと貫通していた。
空中で一回転して位置調整を図り、次のビットを水平に薙いで両断した。
あっという間に二基のビットを撃破され、染井吉野は初めて余裕の表情を崩す。
「ブレイクや貫通系じゃない……かといって、力を一点集中させるタイプでもない。――そうか、構成結合そのものを突いているんだ!」
心を細くして全神経を集中させることで、通常は視えない、バリアやシールド、結界などの構成結合部分を認識できるようになり、戟の魔力刃でその分解を可能としてしまう――それがドーンモードの特徴であった。
大きな力や魔力を必要とせずに、防御魔法や補助魔法を霧消させることができるのだ。
「しょうがない……少し、本気になってあげるよ」
二基のビットを自分の周囲に戻し、再び三基を展開させる染井吉野。あと一基はアイシアたちの牽制だ。
一気に攻勢に出ようとするさくらだが、今度はビットも一定の距離を保ち、絶妙な間隔でヒットアンドアウェイを維持してくるため、思うようにはいかなくなった。
ふと気が付くと、染井吉野は距離を置いて魔法の詠唱を続けていた。時間的にかなり長い。
「なんなの、この詠唱……」
さくらの知らない魔法だ。
一拍置いて、マイトゥナが顔をハッとさせる。
「みんな、最高出力のシールドを多面体で形成! 急いで!!」
危機迫る声に、さくらとジョージは即座に多面体のシールドを自身に展開させた。魔法を使えないネオパーシヴァルは<神の雷>特製の神聖術具で代用したが、シールドタイプの防御魔法を多面体で形成できるほど高度な運用技術を習得していないアイシアは、やむなくバリアタイプの球面で自分を包んだ。
さくらたちが防御魔法を発動させたのとほぼ同時に、染井吉野が詠唱を終えた。
「恐るべき「無名の霧」をその身に浴びよ――ゲート・オブ・シルバー!」
次の瞬間、周囲一帯が、正四角形の線だけで構成された宇宙的空間と化し、さくらたちを漆黒の霧が包み込んだ。マイトゥナを除く全員から、たちまち苦鳴があがる。
ゲート・オブ・シルバー。術者の半径数キロを異次元空間へと切り離し、擬似的な「無名の霧」を発生させ、任意の全対象を攻撃可能という、非常に高度な広域攻撃魔法。
発動すれば回避や転移は不可能で、防御の上からでも肉体と精神に相当なダメージを与える。擬似ゆえに、本物の「無名の霧」には遠く及ばないが、それでも威力は十分だ。
唯一、防御結界だけは通せないが、結界破壊の効果があり、マイトゥナを包んでいた防御結界は消滅していた。
周囲が桜舞うアリシス公園内に戻ると、さくらは一旦距離を取って染井吉野から離れた。
簡易治癒魔法を自らに施しながら、地上を確認すると、他の皆も深手は負っていないようだ。ジョージは新たな防御結界をマイトゥナに展開させている。
「アイシア、大丈夫?」
「なんとか……」
痛みに顔をしかめてはいるが大丈夫そうだ。
アイシアだけバリアタイプの魔法で防御効果が薄いことが不安だったのだが、何故か一番ダメージが少なそうな感じであるのが気になった。
そこへ、黒い光の輪が発生し、さくらはがっちりと身体を締め上げられた。
「バインド! あんな遠くから!?」
アウトレンジ近い距離からバインドが届くとは思わず、完全に不意を突かれた格好だ。
染井吉野の手から魔力が収束されるのを感知して、さくらは必死にもがくが、バインドの破壊よりも攻撃が届くほうが早いのは明らかだった。
援護防御を行なおうとするジョージたちを阻むように、ビットが妨害をかける。
染井吉野が淡紅色の破壊光線を放出した。オートガードでは防ぎきれないだろうから、直撃ダメージは覚悟するしかない。
「さくらーーーーッ!!」
たまらず叫ぶアイシア。無情にも砲撃魔法はさくらを飲み込んで通過した。
「…………えっ」
目を丸くしたのはさくらだ。
球面バリアに包まれた彼女は、それなりの衝撃を受けたものの、軽傷であった。
「プロテクションで防ぐことができた? なんで……あっ、まさか!」
瞬間的に思い至った視線の先は、きょとんとしている見習い魔法使いの少女。
思わず舌打ちして、染井吉野がミドルレンジへと距離を詰める。
「アイシア、ボクを護るイメージを強く念じて!」
「えっ、あの、えーと、はい!」
慌てながらも言われたとおりにするアイシアを尻目に、さくらは防御魔法を展開させた。
飛来した淡紅色の光球三つが全てシールドに弾かれる。――衝撃は殆どなかった。
「やっぱり! アイシアは染井吉野の増幅魔力を打ち消すことができるんだ」
「え、ええっ? それってどういう……」
「半年前、君は初音島で魔法の桜を咲かせ、そして、枯らせたよね。桜の樹と想いを通わせた君は、魔法の桜を介した魔力に対する浄化作用を起こせるんだ。つまり、<倫敦>の魔気で上乗せされた染井吉野の攻撃威力を、その分だけ軽減させられるってこと」
ゲート・オブ・シルバーを受けたとき、アイシアが最も軽傷で済んだ理由が分かった。そして、他の皆も誰一人として深手を負わなかったのは、浄化の余波によるものだろう。
ビットがアイシアに攻撃を仕掛けるが、ネオパーシヴァルがしっかりとガードする。
「アイシア、そのままボクのサポートをお願い! デバイスを通せば、そこからでも浄化が届くから」
「……任せてください!」
喜色満面で返事するアイシア。さくらに頼られたのが、とても嬉しかった。
桜の雨が降りしきる上空で、激しい空中戦が繰り広げられる。
形勢は持ち直した。五分と五分、とまではいかないが、四分六分にはなったといえる。
アイシアの能力で染井吉野が放つ魔法の威力が軽減されるのもそうだが、それにより、防御したときの衝撃を殆ど受けなくなったのが大きい。
攻撃を防いだときの硬直時間によって、それだけ有利不利の差が開くことになるからだ。
「やっぱり彼女は厄介だね……それなら」
染井吉野が両目を閉じ、一転して回避に専念を始めた。
眉を寄せるさくらは、怪訝と様子を見ていたが、ハッとして地上に視線を移した。
アイシアの前方で一基のビットが真後ろを向いて停止していた。そこに取り付けられたレンズ状の模様が、突如として、淡い青光を発したのだ。
「ビットを介しての魔眼!?」
さくらが、しまった、という顔で驚く。
すかさずネオパーシヴァルが動くが、それを見越して移動していた三基のビットから、集中砲火を浴びて吹き飛ばされてしまう。
――アイシアは闇の中にいた。
闇の中で、さくらや音夢、純一といった、初音島で知り合った友人たちに取り囲まれた。
桜の樹を復活させて引き起こした事件のことを、淡々と責められた。
ちくりと胸が痛んだが、これは現実じゃないと突っぱね、意思を強めた。
闇は崩れた。
さくらが血まみれで横たわっていた。
魔眼を破るのが遅かったからだ。自分のせいだ。期待に応えられなかった。
弱々しく、さくらが首を左右に振って微笑みかけ、そして、力尽きた。
愕然として気が遠くなった。
頭上から染井吉野の嘲笑が降り注いだ――
「アイシア!」
魔眼を介していたビットを両断して、さくらが地上に下りたとき、アイシアの双眸は、既に光点を失っていた。
アイシアが無表情に人差し指を掲げると、周囲に十数個もの光弾が浮かんだ。
「ハッピートリガー・ファランクスシフト――――ファイア!!」
人差し指を正面に下ろすと同時に、展開された光弾が一斉に高速飛翔した。
さくらは慌てて回避と迎撃に移る。一発でも食らったらおしまいだ。
一度に複数のハッピートリガーを発生させ、ホーミングつきで一斉射撃するという、ハッピートリガーの上位魔法。アイシアの技量ではとても扱えないのだが、染井吉野に操られた彼女にはそれが可能だった。
「みんな、大丈夫? ――あ」
一撃必殺の嵐を何とか凌いださくらが、後ろを振り返り、呆けたように口を開けた。
ジョージとネオパーシヴァルは無事だった。後者は魔力を持たないので当然ではあるが。
「すまん、とても護りきれなかった……」
ジョージの言葉が全てを物語っていた。
リンカーコアを失ったマイトゥナが、仰向けに昏倒している。
光弾の大半は彼女を狙っていたのだ。
「そんな……うぁっ!」
瞬く間に魔法の桜による魔力重圧がかかり、さくらは強烈な負荷を受けて片膝をついた。ジョージとネオパーシヴァルも同様だ。
「詰んだね」
三基のビットを従えて中空に静止する染井吉野。ゆっくりと勝利の冷笑を浮かべた。
と、そのとき。
桜の樹の遥か上空に何かが出現した。大人数人分の大きさはある、輪郭のぼやけた球体。
「きた……きた……きたぁーーーーーーーッ!!!」
染井吉野の笑みが、限界まで歓喜に引きつった。
さくらが目を見開いて空を見上げる。
「あれは……まさか……じゃあ、魔法の桜を咲かせたのは……あれが目的だったんだ」
「そのとおり。あれが、ボクの望みを実現してくれるものだよ」
「魔法の桜が生み出した窮極の副産物。――何でも願いを叶えてくれる銀の珠」
天の一角に躍り出た銀色の球体は、その鏡面を燦然と陽光にきらめかせた。