第8話「さくらとアイシア」



 ハッピーマテリアルの試用テストで不慮の事故が起きてから数時間。

 空が群青色に移り変わった頃、マイトゥナが二度目の診断を済ませてさくらの部屋から出てきた。

「マイトゥナ、さくらはどうなんです?」

「もう普通に起きられるようになったから安心して。リンカーコアの回復も始まってるし、二週間もすれば魔力も全快するでしょ。やっぱり若いっていいわね〜」

 しみじみと腕組みするマイトゥナ。齢九百を数えるが、見た目が十代前半では言葉に違和感ありまくりである。

 そんな彼女と入れ替わるようにして、アイシアがさくらの部屋に足を踏み入れた。

「さくら、もういいんですか」

「アイシア? うん、大丈夫だよ」

 さくらはピンクのパジャマ姿でベッドに腰をかけていた。顔色もすっかりよくなっている。

「なんだそうですか。せっかく私が看病してあげようと思ったのに」

「それは御免蒙るよ……まあ、魔法はしばらく使えないけどね」

「せっかく染井吉野に対抗する力を手にしたのに、二週間も何もできないなんて情けないです」

「誰のせいだと思ってるのさ」

「うっ……そ、それは、さくらの対処が甘かったからじゃないですか! 自分の不注意を人のせいにするなんて、そんなのさくららしくありません!」

「ボクらしくって言われても……」

 アイシアの自分本位は今に始まったことではないが、病み上がり状態だと結構こたえる。

 とはいえ彼女の言うことにも一理あるため、面と向かって言い返すことはしない。

 数秒の静寂の後、アッシュブロンドの髪がさくらの隣に下りた。

「でも、さくらが無事でよかったです」

「……心配してくれて、ありがと」

 さくらの声音は、どこか嬉しそうだった。



 さくらの部屋を出て談話室に移動すると、ジョージが一人でくつろいでいた。

「あれ、マイトゥナは?」

「就寝するために自室へ戻ったぞ。相当眠そうにしていたからな」

 一睡もせずに完成させたデバイスをさくらに渡しに行き、そのあとでアイシアのために試用テスト。そこに加えてダウンしたさくらの検査ときたら疲労するのは無理もない。

「そのわりにジョージは平気なんですね」

「私は徹夜など慣れているからな。日常茶飯事だ」

 魔導と科学の探求に日夜勤しむジョージ。この辺の情熱には尊敬を覚えるアイシアであった。

「そういえば、ネオパーはまだ目を覚まさないんですか」

「ああ、気になって内部を少しチェックしてみたのだが、どうやら駆動部分に結構な破損が生じているようだ。さくら嬢は魔法攻撃を非殺傷設定にしたらしいが、ネオパーシヴァルの人工知能にはニューロ・コンピューターを使用したからな……ある程度ダメージがいったのだろう」

 ニューロとは神経組織のこと。遺伝子工学で生成された生態素子を使用し、脳の神経回路の模倣を試みるものである。高速な処理と学習機能を有するほか、心理精神面までも人間のそれに近いものが可能だと言われている。

「よく分かりませんけど、修理が必要なんですね」

 ジョージは「NON」と指先を左右に振った。

「自動修復機能が働いているから、さくら嬢の魔力が完治する頃には目を覚ます。酷使状態が続いていたなら話は別だったろうが、<神の雷>もメンテだけはちゃんと行なっているようだな」

 ネオパーシヴァルの構成部品は基本的に複製・代用不可だが、ジョージの残したデータにより最低限のメンテナンスは可能となっている。

 自動修復でも補えないほどの破損を受けない限りは修理の必要はないということだ。

「今のうちに言うことを聞くように改造することはできないんですか?」

「一度起動したマスター認識に手を加えようとすると暴走するようにしてある」

 もとはジョージが自分のために作ったものなのだから、当然の処置ともいえる。

「そうだ、今朝はさくらのせいで聞きそびれましたけど、奥さんそっくりのロボットを作ったんですよね。それはどうなったんです?」

「……さくら嬢の気遣いも台無しだな」

 流石に苦笑を隠せないが、その口調はどこか楽しげだ。ジョージも基本的に自分本位な人間なので、アイシアとは気が合うのかもしれない。

「私がマリアに似せて造ったマリアンは、色々とあって、我が孫のサイラスと恋仲になったのだ」

「そうなんだ……でも、ロボットなんですよね?」

「君の言う幸せには人間とアンドロイドの恋愛は含まれないかね?」

「そんなことありません! 幸せはみんなに等しく与えられるものです。幸せを分かち合うのに人とロボットの違いなんてありません!」

 声を張り上げるアイシア。自らのアイデンティティーに関わるだけに真剣だった。

「私が言いたかったのは、ジョージの造ったロボットの寿命はどれくらいなんですかということです。人間と比べて短すぎたり長すぎたりしたら……」

「後者だな。私が造り上げたものだから精巧さは完璧だ。定期的にメンテナンスすれば決して死――いや、壊れることはない」

「それじゃ……どうなったんですか」

 アイシアの繊細な双眸が談話室の明かりに反射してゆらめく。

 少し踏み入った質問でもはっきり口にできるのが彼女の長所なのか短所なのか、ジョージは一拍して深く息を吐いた。

「もう数十年前になるか……サイラスが天寿を全うしたその日、マリアンは自身の意志で機能を停止した。私は彼女の遺言どおりその全身を解体処分したよ。記憶と想いの詰まったメモリ部分は、サイラスの遺骸とともに今も墓の中で眠っているだろう」

 遠い眼差し。アイシアの胸にもしんみりとした空気が充満した。

「……そんなわけだ。面白い話ではなくて悪いな」

「ううん、ジョージのことを見直しました。それに、なんだかひとつ勉強になった気がします」

「ふむ、そうか? これも私という天才の成せるサガか……HAHAHAHAHAHA!」

 それまでの雰囲気をぶち壊すかのような大爆笑を始めるジョージだったが、アイシアは気にも留めず明るい笑顔を見せていた。



「入るわよ、さくらんぼ……っと、電話してたの?」

 午後の陽光が差し込む室内。椅子に座ったさくらは、携帯電話を切ったところだった。

「うん、ボクのママにね。ちょっと訊きたい事があったから」

「ふうん……さしずめ、よっしーに関することだろうけど、まあいいわ」

 染井吉野のことらしい。いつの間にか妙な略称で呼んでいるマイトゥナだった。

「それで、あたしに何の用なの」

 昼食後、さくらはマイトゥナに自分の部屋へ来るように言っておいた。

 マイトゥナは昼前まで爆睡していた。そのため昼食は朝昼兼用になったが、快眠のおかげですっかり疲れも取れたようだ。

「さくらんぼがこっそりあたしを呼び出すなんて、期待しちゃってもいいのかしら?」

「ホールドアップ! そんな妖しい目でそれ以上近づかないで」

「あーん、つれないわねー。初めて会ったときは、ぎゅうーって抱きついてくれたのに」

「あれはスキンシップだよ。まさかそのあと押し倒されるなんて思わなかったし……ボクが抵抗しなかったら不埒な振る舞いに及んでたよね? あの時は本気で焦ったよ」

「やーねー、不埒な振る舞いだなんて。愛の行為って言ってほしいなあ。ま、残念だけどその様子じゃ違うみたいね。それで何?」

 あっけらかんと切り替えるマイトゥナに、さくらは苦笑を浮かべた。

「どうしてアイシアにもデバイスを作ったの」

「あ、やっぱりそのこと。それは、さくらんぼも分かってるんじゃない?」

「アイシアが染井吉野の力を中和したことだよね」

 染井吉野の繰り出した触手を、アイシアは不思議な力で浄化した。無我夢中だったようで、アイシア自身も何が起こったかは理解していない。

「それをさくらんぼから聞いたとき、もしかしたら重要な役割を果たすかもしれないって思ったのよ。有利になる可能性はひとつでも高く、その手段はひとつでも多く、最も効率的にいかないとね」

「でも……」

「アイシアのことが、心配?」

「そりゃ……いくらデバイスを持ったところで、付け焼刃じゃまともな戦闘なんてできやしない。危険な目にあう確率の方が高いし、足手まといになるだけだよ」

 険しい表情になるさくらを、マイトゥナは観察するように覗き込んで尋ねる。

「心配する理由はそれだけ?」

「えっ? 他になにが、あるっていうのさ」

「…………はぁーっ。さくらんぼがアイシアを想う気持ちの十分の一でいいから、それをあたしにも向けてほしいわよ」

 思いっきり嘆息してみせるマイトゥナ。

 さくらは微妙な戸惑いを顔に出しながら、心外だとでもいう風に眉を吊り上げた。

「マイちゃん、なにか勘違いしてるみたいだけど――」

「いいからいいから♪ それならもっとアイシアのこと信じてあげなくちゃ、ねっ」

 反論を笑って流され、負けを認めたように肩を落とす。

「わかったよ。それにアイシアはボクが守るって、昨日言ったばかりだしね」

 どこか気分の晴れた笑顔だった。



 それから約半月。

 さくらは染井吉野との遭遇や襲撃を警戒し、なるべく外出を控え、ホテル<ろんどん>内で静養に努めた。

 アイシアはマイトゥナ教導のもと、デバイス使用の魔法練習と訓練を重ねた。

 ジョージは研究の発想にふけったり、雑談に興じたり、ティータイムを優雅に過ごしたり。

 そして、さくらの魔力がほぼ回復しきった頃、ネオパーシヴァルが目を覚ました――



「大体の事情は分かったけど……」

 夜も更けた談話室で、体操着の少女がソファに座った面々をぐるりと見渡す。

 その視線は金髪ツインテールの前で静止した。

「もう一度だけ訊くわ。あなたは本当に、管理庫から宝具を奪った犯人じゃないのね?」

「君たちの神に誓って、ボクはそんなことはしていない」

 神に誓われたうえではっきりと断言され、ネオパーシヴァルの瞳から疑惑と敵意が急速に失われていった。

 なにより半月前の決闘で敗北していることが拍車をかけている。

「分かった……あなたの主張を認めるわ。あらぬ疑いをかけて悪かったわね」

「ううん、分かってもらえればいいんだ」

 さわやかに返すさくら。身の潔白が証明されて胸がすーっとなっていく。

 一方のネオパーシヴァルは、顔を引き締めたまま、再び全員に視線を戻す。

「勘違いしないでね、これはあくまでも敵の敵は味方というだけの一時的な共同戦線よ。我ら<神の雷>は神の教えに背く邪悪な異端を認めない。あなたたちも、少しでも怪しい真似をしたら覚悟してもらうから」

 強い語調で言い放たれ、アイシアとジョージは今にも反論しかねない憮然たる面持ちになったが、ひとまず黙ったままだ。マイトゥナがうまくなだめていたのもある。

 内心ホッと胸を撫で下ろすさくらだった。

「ひとつ知りたいんだけど、奪われた宝具って何なの? それくらいは教えてくれたっていいよね。こっちだって情報を提供したんだからさ」

「そうね……一時的とはいえ共闘するわけだし、教えてやってもいいわ」

 基本的には生真面目なのだろう、黙考してギブアンドテイクに応じてくれた。

「といっても、その宝具を持っていた魔導師は押収の際に自害しちゃったみたいだから、詳細はよく分からないのよね。宝具鑑定にかけてみた結果だと、どうも人々の強い想いや願いを集める性質のものらしいわ」

 それを聞いた瞬間、さくらとアイシアだけが電流が走ったかのように表情を固くした。



 湯気の立ち込めるバスルームで、二人の少女が湯船に浸かっていた。

 浮かない顔をしているアイシアをさくらが半ば強引に自分の部屋に引っ張ってきて、そのままなし崩し的にお風呂と相成ったわけだ。

 さくらは下ろした長い髪を頭の後ろで一纏めにくくっている。

「さくら……ネオパーの言っていた宝具って、もしかして」

「言いたいことは分かるけど、必要以上に気を揉んだって仕方ないよ」

「でも、さくらは気にならな――ぶわぁっ!」

 声を荒げようとしたアイシアの顔面に、さくらが両手ですくったお湯がかかった。

「なにするんですか!」

「お風呂場で気分が滅入るような話題は禁止。OK?」

「…………おかえしですっ!」

「わぶっ! この〜、やったなーっ」

 偉そうに人差し指を立てたところへ反撃され、負けじとやり返すさくら。

 何度目かの応酬のあと、二人はずぶ濡れになった顔を見合わせて、笑った。

「そういえば、髪を下ろしたさくらを見るのは初めてのような気がします」

 お湯かけ合戦ではしゃぎすぎたか、後頭部に纏めた髪はすっかり解けて湯に浸かっていた。

「そだっけ? まあボクもアイシアと一緒にお風呂に入るのは初めてだけど」

 半年前、二年ぶりに初音島に帰った日に、音夢とお風呂に入ったことを思い出す。

 ふと思考を中断させると、アイシアが目をしっかり開いて顔を覗き込んできていた。

「な、なに。ボクの顔に何かついてる?」

「……こうして見ると、さくらって綺麗ですね」

 思いがけない言葉に、さくらは浴室の壁に頭をぶつけて涙目になった。

「わっ、大丈夫ですか!?」

「あいたた……君がおかしなこと言うからだよ」

「私は思ったことをハッキリ口にしただけです」

 アイシアの言うこともあながち冗談ではない。金髪碧眼で均整のとれた小さな容姿は、黙っていれば愛らしいフランス人形のような可憐さを感じさせる。

 数年前に初音島の風見学園に転入した初日は、彼女目当ての人だかりができたほどだ。

 しかし、一方のアイシアも亜麻色の髪に紅玉の瞳をもつ北欧美少女である。澄ましていれば平均点以上の容姿といっても過言ではない。

 純粋な双眸の直視を受け、さくらは不覚にも胸がどきっとなった。以前のマイトゥナとのやり取りを思い出し、湯気で火照った顔に余計赤みが差す。

「どうしたんですかさくら、顔が真っ赤ですよ」

「な、なんでもないよ……あまり顔を近づけないで」

 湯船に顔を半分埋めるさくらに、アイシアはきょとんと首をかしげた。

 この後、ついでだから一緒に寝ませんかと提案され、全力で拒否するさくらだった。



 早朝のロンドンに、桜が舞っていた。

 深い霧に覆われたアリシス公園の広場に一人佇む、黒マントの少女。

 ベンチに腰を下ろすのは、黒猫のぬいぐるみのような顔をした、トレンチコートの男。

 立ち込める朝靄。舞い散る桜の花びら。静寂に包まれた世界。

 芳乃さくらと全く同じ顔が、薄い冷笑を浮かべる。

「もうすぐだよ……もうすぐ、ボクの望みが叶う。誰にも邪魔はさせない。止められないんだ……ボクの胸に燈る、身を焦がすようなこの想いは」

 少女――染井吉野の背後で、ひときわ大きな桜の樹が、狂ったように淡紅色の花を咲き誇らせていた。