第5話「ネオパーシヴァルという女」
「アイシア、おはよー」
「おはようさくら。寝癖立ってますよ」
「うにゃっ? これは跳ね毛だよ……余計な突っ込みはなしだからね」
のんびりとした朝の挨拶を交わしながら食堂に足を運ぶと、先客がいた。
優雅に紅茶を一口やり、二人に気がつくと挨拶代わりに片手をあげた。無駄のない紳士的な動作が様になっている。
「おはようジョージ、朝早いんですね」
「探求の徒としては当然のことだ。アイシア嬢も人を幸せにしたいのなら早起きは三文の得だぞ」
「さすがです! よーし、私も見習わないと!」
「っていうか……もしかして寝てない?」
「HAHAHA! さくら嬢の洞察力は大したものだな」
英国紳士から一瞬で豪気なアメリカ笑いにシフトするジョージ・デッカーだった。
「なんだ、感心して損しました」
「いや、そこは驚くところだと思うのだが」
がっかりだよアイシア嬢。
「ところでさくら、三文ってなんです?」
「どうしてボクに訊くのさ……いいけど。文っていうのは日本の江戸時代の通貨だよ。寛永通宝に一文銭と四文銭、文久永宝に四文銭、天保通宝に百文銭があってね……」
「そんな色々言われてもよく分かりません。通貨って、結局いくらくらいなんですか」
「三文だと、現在のお金に換算してだいたい六十円あたりかな」
「ふーん……じゃあ寝てるほうがマシですね」
「…………」
君と話してると馬鹿がうつりそうだよ――そんな言葉が喉まで出かかるのを必死にこらえ、さくらは話題を元に戻すべくジョージを見やった。
「徹夜作業だったんだね。そういえばマイちゃんは?」
「仕上げの調整があるとかでまだ部屋に閉じこもっているぞ。昼までには完成するそうだ」
「うわっ、魔法関係でマイちゃんがそこまで時間かけるなんて、いったい何を作ってるの」
「言ってしまいたいのはやまやまだが、完成してのお楽しみだと口止めされているのでな」
本当は言いたくて、というより自慢したくてたまらないのだろう。口がうずうずしている。
ちょっとつっつけばすぐにでも洩らしそうだが、一睡もせずに頑張っているマイトゥナのことを思って詮索しないことにした。どのみち昼になれば分かるだろう。
「ダメです、そんな無理したら体を壊しちゃいます! 私、休むように言いに行きます」
いきなり踵を返したアイシアを、さくらが間髪いれずに腕をつかんで引き止めた。
「なにするんですかさくら、離してくださいッ」
「ああもう、君は本当に……」
「マイトゥナだって人間なんですよ? 疲れ知らずのロボットじゃないんですから、無茶はよくありませんっ」
「おおそうだ。ロボットで思い出したが、昨日の<神の雷>のメンバー……ネオパーシヴァルと名乗っていた少女のことが分かったぞ」
ポンと手を打ったジョージの発言に、アイシアとさくらは「えっ」と声をそろえ、そのままバランスを崩して床に体をぶつけた。
「……驚いたよー、彼女がジョージの作ったアンドロイドだったなんて」
「かれこれ二十年ほど前になるかな。作った直後に放置したから、すっかり忘れていた」
容姿や思考、肉体感触まで寸分違わず普通の人間と変わりないロボット。
近年では日本の天枷研究所が世間一般に対して極秘でそれを完成させたのだが、ジョージは遡ること百数十年前にその偉業を成し遂げていた。当時は全自動式からくり人形という名称だった。
「でもどうしてそんなものを作ったんです?」
「うむ、それはだな……」
二十年前、ジョージは研究の都合で一時期イギリスに里帰りしていた。
しかし愛する妻と長期間も離れて暮らすのは肉体的にも精神的にも辛く、そこで肉体面だけでも楽になろうと、夜のお供に使える奉仕用のアンドロイドを制作することにした。ついでに身辺警護にも一役買うよう、戦闘能力も付け加えたというわけだ。
容姿は百数十年前に<神の雷>のメンバーにいた、パーシヴァルという少女の姿を思い出してモデルにしたのである。
「そっか、あの人間離れした身体速度と戦闘能力はそういうことだったんだね。納得はいったけど……でも、ジョージ」
「動機が不純です!」
さくらの言葉を継いで、アイシアがきっぱりと言い放つ。さくらは主に夜のお供の部分に関してだが、アイシアは単純に精神面のことで憤慨している。
「心外だな。私が心から愛しているのはマリアだけだ。真実の愛を捧げる相手がいる以上、他のレディを慰めようと何も問題はなかろう」
「異議あり異議あり異議あーりーっ! そんなのボクは認めないよッ!?」
「さくらの言うとおりです! 奥さんがいるのに浮気なんていけません!」
「浮気ではないというのに……見解の相違というのはかくも悩ましいものだ」
珍しく意見の合った少女二人の猛烈な抗議も、ジョージにはどこ吹く風。平然と受け流される。
「それはそうと、他に疑問があるのではないか?」
「はぐらかそうったって、そうは問屋が卸さないよ……って言いたいところだけど。じゃあ、なんでジョージの作ったアンドロイドが<神の雷>の手に渡ってるのか教えてよ」
「思いのほか早く研究が片付いてな、あれが完成した頃にはもうアメリカへ帰国できる状態になっていたのだ。私は一刻も早くマリアの元に戻りたくて戻りたくてッ!」
完成させたアンドロイドのことなどすっかり忘れて帰国。異端の研究をしていないか監視していた<神の雷>が、放置されていたそれを発見して押収したといったところらしい。
「それなら彼女を作ったのはジョージなんですから、命令して言い聞かせることはできないんですか?」
「残念ながら起動させるときにマスター認識がプログラムされるのだ」
つまり<神の雷>によって起動させられた以上、創造主であるジョージが何を言っても無駄ということになる。
「まあ私が一般に公開しない類のものを造るときは、ネジ一本にしろ他では真似できないオリジナルの部品を使うからな。決して代用が効かないゆえに、複製されているという事はないだろう」
「あんなのが量産可能だったら怖いよ」
素手で岩の塊を難なく砕く戦闘力。昼夜問わずの活動にも疲労せず、食事睡眠の必要もなく、稼動エネルギー以外の補給が一切要らない恐るべき人造兵団。想像するだけで背筋が寒くなってきそうだ。
「んー、でもアンドロイドだと分かったから対策も立てられるし……」
とりあえず戦闘面での心配はなくなったかな〜、と人差し指を唇に添えるさくらだった。
「それにしても……奥さんと離れて寂しいなら、どうして奥さんの容姿をモデルにしなかったんです?」
アイシアのごもっともな質問に、何故かジョージは表情を固くした。
「それは百数十年前に既に通った道だ」
どうやらとっくの昔に実践済みらしく、さくらとアイシアの額にジト汗が浮かぶ。
それにしては表情を固くする理由には結びつかず、さくらは軽く首をかしげた。
「WHAT? ジョージがそんな憂いのある顔するのって珍しいね」
「なに……孫のことを思い出して感傷に浸っていただけだ」
ジョージの孫ということは十九世紀末の人間になる。祖父のように若返りの秘術でも体得していない限りは故人でほぼ間違いないだろう。
それが感傷にどう繋がるのかは不明だが、さくらは無言で目を伏せた。
「アイシア、ちょっと朝の散歩に出かけようか」
「えっ、急にどうしたんですか、さくら?」
「いいからいいから。それじゃあジョージ、ボクたちはちょっと散歩に出かけてくるね」
昼までには帰ってくるからと笑顔で言い残し、さくらは眉をひそめるアイシアを強引に引っ張って食堂を後にした。
ジョージはそんな様子を腕組みして眺め、
「やれやれ、この私がレディに気を使わせてしまうとはな」
口元を弛ませながら溜息をひとつつくと、優雅にティーカップを手に取るのだった。
アイシアとさくらがマスケット通りに差しかかったとき、突如として周囲から人の姿が掻き消えた。魔法ではなく、教会関係の神聖術によるものだとさくらは察知した。
しかもご丁寧に、閉じ込めるタイプの広域結界である。
「今度は逃げられないわよ……昨日はよくもやってくれたわね!」
前方からローブを纏った少女が現れた。見覚えばっちりの姿だが、昨日と違う点は、長布を巻いた長さ一メートルほどの棒らしきものを背負っているところだろうか。
「あなたは確か……ネオパー!」
「ちょっと、人を頭の悪そうな名前に略さないでくれる!? 魔女の下僕の分際で」
「わ、私はさくらの下僕なんかじゃありませんっ! 友達です!」
「ちょうどよかった。君と話し合いたいんだけど、いいかな?」
頭の悪そうなやり取りは無視して一歩進み出るさくら。
ネオパーシヴァルは敵意を剥き出しにした怪訝な視線で迎えた。
「神聖なる我ら<神の雷>が、邪悪な魔女との話し合いに応じるとでも?」
「まず誤解は解いておきたいんだ。君の組織の管理庫から宝具を奪ったのはボクじゃない。ボクそっくりの姿をした別人だよ」
「そんな戯言、信じるとでも思っているの」
「信じる信じないはそっちの勝手だよ。ボクに君と敵対する気はない。ううん、むしろ協力できるはず」
「協力?」
思いがけない言葉に眉を寄せる少女へ、さくらはあくまで理路整然と続ける。
「そう、ボクたちも君の追っている魔女を捕まえようとしてるんだ。目的が同じなら、手を取り合った方が効率的だと思わないかな」
「そ……そんな甘言であたしを騙して罠に嵌めようとしたって……」
「だったら好きにすればいいさ。ボクは抵抗しない。気の済むまで調べたらどう?」
「さ、さくら!?」
「アイシアは黙ってて。さあ、どうするの、ネオパーシヴァル」
さくらの堂々とした態度と眼差しの前に、ネオパーシヴァルは初めて疑問を抱き始めた。
そして、暫くの沈黙の後に、ゆっくりと口を開いた。
「いいわ……ならあたしと勝負しなさい。あたしと戦って勝ったら信用してやるわ」
「うにゃっ、決闘?」
「そうよ。それとも怖気づいたかしら?」
「冗談言っちゃあいけないよ、望むところさ。その果し合い、受けたっ!」
威勢良く啖呵を切るさくら。ちょっぴり予想外の展開になったが、手っ取り早いうえに単純明快でいい。
そうと決まると、さくらは円形の防御結界でアイシアを包んだ。
「アイシア、そこから出ちゃ駄目だよ」
「私も手伝います!」
「ノンノンノン。一対一の決闘に余計な水をさしたら、ボク怒るからね」
ぴしゃっと釘を刺し、それ以上は聞く耳持たないとばかりに決闘の相手を振り返る。
ローブを脱ぎ捨てた体操服姿の少女が、メラメラと闘志を燃やして戦闘態勢に移行していた。棒状の長布は地面に下ろしている。
「いくわよ!」
そう言って地を蹴ろうとした身体が不自然な姿勢でピタリと止まった。いや、超スローモーションのごとく微かに動いているが、いくらもがこうにも自由にならない。
「こ、これはどういうこと!?」
「周囲に機械の動作を極端に遅くする魔法を展開させたの。この意味、分かるよね」
「! あなた、あたしがアンドロイドだってことを……」
「そういうこと。さあさあさあ、覚悟はいいかいっ」
魔法使いとはいえさくらは生身の人間である。強力な物理攻撃を一撃でもまともにくらったら、命がいくつあっても足りないだろう。
逆に言えば相手に接近を許さなければこちらのものだ。
「なめるなぁぁぁぁぁッ!!」
怒りの絶叫と同時にネオパーシヴァルの肉体が自由を得て、風のように間合いを詰める。
収束させていた攻撃魔法を咄嗟に中断したさくらが大きく跳びすさると、それまで彼女のいた場所を強烈な回し蹴りが空振りした。
「よく躱したわね」
「魔法耐性? さすがジョージの発明物だけど、相手にするとタチが悪いね……」
さくらが今の攻撃を躱せたのは、それでも魔法の効果が及んでいたからだ。そうでなければとても反応が間に合わなかっただろう。
「今度は外さないわよ!」
再び、風のごとく身を翻す。
次の瞬間、ネオパーシヴァルの姿はさくらの眼前にあった。
口元に浮かんだ勝利の笑み。しかし、さくらも同じように口元を綻ばせていた。
「なにっ!?」
愕然とした声を出したのはネオパーシヴァル。突如として発生した二つの光輪が、彼女の胴体と足を締め付けて中空に固定したのだ。
「トラップバインドだよ。ボクの懐に飛び込んでくるのは予測できたからね、仕掛けておいたんだ」
収束されたさくらの攻撃魔法――桜色の光球が放たれ、ネオパーシヴァルは数メートルは吹き飛んで地面に叩きつけられた。
「勝負あったね。ボクの勝ちってことでいいかな」
「すごいです、さくら!」
「まだよ!!」
アイシアのあげる歓喜の声を遮り、体操服姿の少女がよろよろと立ち上がる。
長布がはらりと解かれ、銀色の円筒が日の目にさらされた。白い歯をきらめかせて笑みを浮かべると、彼女は円筒の頭部についた開閉スイッチに指を当てた。
「これを持ってきて正解だったわ」
円筒は一種の箔と化してネオパーシヴァルを呑みこんだ。
アイシアはきょとんとまばたきしただけだが、さくらは唖然と目を見開いた。
「まさか、プライベート・トーチカ? ちょ……嘘だよね」
ふわりと地上三十センチに浮かんだ、銀色の円筒の偉容が、少女の目を圧倒した。