第2話「結成! 倫敦魔法探偵団」



 ある伝奇小説において、魔界都市と呼ばれる地は<新宿>の他、世界にあと三つあると記されている。

 ひとつ。アーカム。

 ひとつ。コダイ村。

 そして――ロンドン。




 イギリスと言えば伝統的に海賊の国である。大英博物館とは世界中から略奪してきたものと考えてよいくらいだ。

 それでは、この場所はどうなのか。二十四時間体制で厳重な警備に守られた区画。英国教会が誇る、とある組織の重要施設の一つ。

 幾つものブロックに分けられた無数の管理庫。そこに秘蔵されている物は、その全て、異端の徒から押収した魔術品ばかりであった。

 異変が起きた時刻は、午前零時をまわった深夜。見回りをしていた警備兵が視界の隅に何かを捉えた。通路の角を、トレンチコートに身を包んだ人影らしきものが通り過ぎた。

「怪しい奴め、止まれ!」

 制止の声に耳を傾けたのかは分からないが、トレンチコート姿が静止し、警備兵は手にした消音銃を構えた。油断なく一歩を踏んだ、その時である。

 何処からともなく風が吹いた。風が流れ込む場所ではないはずなのに。訝しむ間もなく警備兵は目を疑った。

 花びらが舞っていた。淡紅色をしたそれは桜だ。タイハクほどの白みはないが、イギリスには日本でポピュラーな桜も普通にある。季節的にも桜が咲いておかしくはない、イギリスの桜は二月半ばから咲き始めるのだから。

 だが、ここはどこだ。桜の花びらが舞うなど決してありえない場所ではないか。

 背後で何かがはためいた。警備兵が恐る恐る振り返ると、眼前に桜花乱舞が広がり、音の正体を認識するより早く、意識が急速に遠のいていった。



 駆けつけた組織メンバーの一人が目にしたのは、気を失って倒れている警備兵の山。迅速に魔力の痕跡を辿って外に出ると、闇夜に無数の桜が舞っていた。

 その中に仄白い輪郭が浮かび、夜風になびく黒マントが一際大きくはためいた――

 アイシアとさくらがテムズ川の橋で再会した日の、その夜であった。




 ホテル<ろんどん>は、ロンドン市内ウイッチゲイト・ストリート○番地にある。

 その客室の一つ、窓越しに注ぐ、柔らかな朝の日差しが閉じた瞼に差し込む。

 暖かい。いや、温かいと表現するべきか、どうやら陽光の温もりだけではなさそうだ。

 それが人間の体温であると感じたとき、芳乃さくらは目を開いて冷静に言った。

「マイちゃん、それ以上はストップだからね。OK?」

「さくらんぼは貞操が固いんだから。そんなに可愛いのに勿体無いわよー」

 シーツに潜り込んで身を寄せ付けていた少女が残念そうに離れる。緑に映えるツインテールが名残惜しそうにベッドの端を伝い落ちた。

「そういう問題じゃないよ。マイちゃんが性に奔放すぎるだけ」

 苦笑を浮かべてパジャマの衣擦れを直すさくら。彼女のパジャマは眼前の闖入者によって大いにはだけられていた。

「そりゃだって、あたしの魔力の源は人の愛のエネルギーだもん。どこかの聖天使風に言うならアモーレかしら」

「なんでもいいから君も衣服を正してくれる?」

「はいはい。あーあ、もう少しさくらんぼと肌を重ねたかったのに〜」

 悪びれた風もなく自身のはだけた胸元を正す少女。容姿はさくらと殆ど差のない幼児体型で、背丈もさして変わらない。

「ボクの貞操に手をつけようとして、誤解を招くような言い方しないでほしいなぁ。ああそうだ、アイシアにマイちゃんがどうやって魔力を補給しているのか訊かれて大変だったんだから。ちゃんと言いくるめておいてくれないと困るよ」

「そんなこと言われても、あたしはあなたに口止めされてるだけだし。どっちかっていうと、すっぱりさっぱり教えちゃって、個人的に丸め込みたいとこなんだけど」

「あの子に変なことしたら、ボクが承知しないからね」

 やや目を据わらせたさくらの直視を微妙に受け流し、ぱたぱたと手を振る。

「わかってるわよー、そんな本気にならないでよぉ」

「ボクが本気になっても魔法では君に敵わない。だから、心配なんだ」

「天才魔法少女、芳乃さくら嬢があたしを買い被ってくれるなんて光栄ね」

「茶化さないで。ボクは事実を口にしてるだけだよ……遥か九世紀近くを生きる大魔法使い、マイトゥナ」

「あーもう、わかった、わかったってば! 心配しなくてもアイシアには気持ちのイイことしないから、そんな言い方しないでよ〜」

 観念したように両手を合わせる少女――マイトゥナ。長い時を生きてきた魔法使いで、その魔力と魔法の腕はさくらも一目置くほどだが、見た目や態度からはそんな威厳は微塵も感じられない。正確には「感じさせない」のだとさくらは理解している。

「それにしても随分とあの子に気を持つのね。さくらんぼとアイシアって、会ってまだ半年くらいしか経ってないんでしょ?」

「うん、まあね……色々あったんだよ」

「そっか、機会があったらそのうちあたしにも聞かせてね。それじゃ食堂で楽しい朝食といきましょ」

 明るくウインクして部屋のドアノブに手をかけるマイトゥナ。自分勝手なところがある割に不要な詮索はしない、そんな彼女の器量に口元を緩め、さくらはベッドから腰をあげた。



「――というわけで、その怪人の捜索と捕獲をお願いしたいのよ」

 マイトゥナが頼み事を明らかにしたのは、朝食を終えて食堂から彼女の部屋に移動し、くつろぎモードに入ったときであった。

 二週間ほど前からロンドンに謎の怪人が現れるようになった。それに気付いたのはマイトゥナだけであり、彼女の知る限り被害は出ていない。しかし大きな影響を及ぼす何らかの行動を起こしているのは間違いないので、それを掴むためにも捜索と捕獲をしてほしいというのが、さくらとジョージをアメリカから呼び寄せた理由だった。

「マイトゥナがそんな調査してたなんて全然知りませんでした」

「確証を持てなかったから、内緒でこっそり調べてたの」

 それ以前の問題としてアイシアに話そうものなら単独で動き出しかねない。

「で、あたし一人じゃ厄介だとわかってね、二人に助けを求めたってわけよ」

「一方的に呼びつけておいて、「助けを求めた」なんてどの口が言うのかな」

「しかし、マイちゃんが厄介と言うからには並の怪人ではなさそうだな」

「怪人に並や特盛があるのかはともかく、確かに穏やかな話じゃないね」

 マイトゥナの実力を知るだけに、さくらとジョージの表情が真剣味を佩びてきた。

 そこへ、クッキーをつまんでいたアイシアが勢いよく身を乗り出す。

「私も手伝います、手伝わせてください! 怪人赤マントだか懐刃サブラクだか知りませんけど、怪異を引き起こそうとするなんて許せません!」

「なんにせよ興味深い。よかろう、このジョージ・デッカーも協力してやるぞ」

「ありがと二人とも。それで、さくらんぼは?」

「…………まあ、他ならぬマイちゃんの頼みだし、別に構わないよ」

 期待に満ちた三つの双眸を向けられ、さくらは溜息をついて折れた。只事でなさそうなのは確かなのだ。

「さしずめボクたちは<倫敦魔法探偵団>っていったところかな」

「倫敦魔法探偵団!? もう少し、こう、想像の翼を羽ばたかせるような命名はないんですか?」

「それどこのヤン?」

「う……っ」

 さくらに突っ込まれて口ごもるアイシアだが、すぐに顔を紅潮させて癇癪を起こす。

「さ、さくらはずるい、意地悪です。いくら昨日私に突っ込まれたからって!」

「えっ、なになに、アイシアとさくらんぼはそういう仲だったの? あー、それで今朝は……いやーん、それならそうでマイちゃんもまぜてほしかったなぁ〜」

「だから誤解を招くような言い方は……」

「ほほう、百合の花園か。少女達よ、欲求不満なら、私が慰めてやってもいいぞ」

「マリアさんに言いつけるよ?」

 ツッコミ役が自分しかいないことに思わず天を仰ぐさくらだった。

 ちなみにマリアとはジョージの妻の名である。



「さてと、ホントのところはどうなのか、教えてくれるかなぁ。マイちゃん」

「あは、バレバレ?」

 アイシアとジョージが外出の仕度をしに各自の部屋へ戻ったあと、さくらは手早くマイトゥナの部屋に舞い戻った。詰問というよりは確認をするためだ。

「アイシアは単純だし、ジョージは探究心をくすぐればいいし、何より二人とも深く物を考えないから疑問を持たないけど」

「やっぱりさくらんぼは誤魔化せないわね〜」

「誤魔化すつもりもなかったくせに。あんなツッコミどころ満載の説明」

「いいじゃないの、それに概ね嘘は言ってないわよ」

「怪人とやらの正体は知っていると踏んでるんだけど。察するに」

 上手に嘘をつくには、嘘で塗り固めるより、できるだけ本当のことを並べて肝心な部分だけ嘘を混ぜるのが定石だ。さくらは、マイトゥナが彼女言うところの怪人の正体を知っていて、それを隠していると見ている。

「うーん……遭遇したら一目瞭然だから、そういうことで納得してよぉ」

「そこまで言いよどむなんて珍しいね。まあ、それなら別にいいんだけどさ……どうせどう訊いてもマイちゃんの答えやすいように誘導されたと思うし」

「あら、そういうのはさくらんぼの方が得意じゃない」

「む〜」

 眉をつり上げて唇を尖らせるさくら。彼女の話術が巧みなのは確かであるが、マイトゥナ相手だとどうにも相性が悪い。

「それよりも、アイシアが無茶しないようにフォローしてあげてね。本当は彼女には内緒にしておくつもりだったんだけど……ううん、言い訳はみっともないわね」

 本当に危険が及ばないように配慮するならそうできたはず。自分の怠慢に苦笑いを浮かべるマイトゥナへ、

「大丈夫だよ、マイちゃん」

 きっぱりと、強い口調で、引き締まった表情で、

「アイシアはボクが守る」

 そう、芳乃さくらが言った。