「前編」
セミロングの髪をした二人の少女――清浦刹那と西園寺世界は、隣り合ってベッドに腰をかけていた。
「それで、相談ってなに?」
と切り出したのは、明朗そうな世界である。
「うん。――まこちゃんのことなんだけど」
と返事したのは、表情や感情の変化がやや乏しそうに見える刹那。頭の大きなリボンが可愛らしく、世界よりも幼く映る容姿だが、二人は共に榊野学園に通う一年生で親友の仲だ。
刹那の「まこちゃん」という言葉に、世界は一瞬びくりとした態度を見せた。
「誠……じゃない、伊藤がどうかした?」
「別に誠でいいけど」
「や、やだなあ、私はもとから伊藤って呼んでたよ? あ、あははは……」
冷や汗。引きつった笑い。なるべくその話題には触れたくなかった。
伊藤誠とは、二人のクラスメイトである男のことであり、今は刹那の恋人なのだ。
ちらりと刹那の顔を窺うと、表面上はさして気に留めた風もなさそうだった。
「なんでもいい。まこちゃんのことだけど、あのとき、私、連れて行ったよね」
「う、ううう、うん」
あのとき――それだけで世界の顔から滝のような汗が溢れ出す。
もしかしたら、刹那は、相談とかこつけて自分を責め立てようとしているのではないか。
不安と緊張で心臓がバクバク悲鳴を発する。
「あのあと、私の家に連れ帰って……」
「連れ帰って?」
「――鞭でしばいた」
瞬間、世界はベッドの端まで移動していた。
「なぜ離れる」
「いや、普通離れるでしょ」
神様にお祈りして部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOKという状態だ。
おそるおそる、中間くらいまで位置を戻し、
「じゃ、あの日から数日間くらい、伊藤に連絡がつかなかったのって……」
「三日ほど家に監禁して、戒めてたから。まこちゃんのお母さんには、私のお母さんがうまく取り繕ってくれた」
「うっわぁ……」
「世界、身体ふるえてる」
「そりゃふるえるわよっ」
総毛立つというのはこのことか。今すぐにでも逃げ出したい気分の世界だが、ここは自分の家である。
そんな世界をよそに、刹那は軽く目を伏せて沈んだ表情を見せた。
「私だってそんなことしたくなかったし、するのも初めてだった」
「……えっと、伊藤を、む、鞭でしばいたこと?」
「うん。まこちゃんが情欲に流されないように戒めるため」
「で、でも、そこまでしなくてもよかったんじゃ」
「……誰のせい?」
「私かも――私でした!」
そそくさとベッドから降りて刹那の前で土下座。全面的に自分が悪いため、何も言い返せない。
顔を上げた世界を、刹那はジト目で睨んだ。
「もし今度あんなことがあったら、いくら世界とおばさんでも絶対許さない」
「わ、わわ、わかってるって! お母さんも、伊藤が刹那の恋人だって知ったから、諦めるって言ってたし」
「本当に反省してる? 瞬さんとの誤解を解いてまこちゃんと仲直りするためにパリから帰ってきたのに、世界の家に行って、あの惨状を見たときの私の気持ち、どんなだったか」
「だから、あれは、つい魔が差しちゃったの! もう二度としないからっ」
「……わかった」
両手を合わせて平謝りする世界に、刹那は溜息をついて折れた。なんだかんだいっても友達思いなのである。
常に自分の気持ちを抑えてしまう、そんな彼女が唯一自己主張したのが、「せっちゃん」という愛称と、そして、伊藤誠という一人の男への想いだった。
「それで、ほら、伊藤のことで相談ってなに?」
「そうだった。ええと、戒めは効果があったんだけど……それ以来、まこちゃんとの仲が妙にぎくしゃくしてきて……だから」
そりゃそうでしょ――喉元まで出かかったツッコミを、世界は必死に堪えた。
落ち込んでいるような、悩んでいるような、そんな真剣さを刹那の顔に見たからだ。
「う、ううーん……でも難しいなぁ」
「ごめん。お母さんは仕事で忙しそうだし、こういうこと相談できるの、やっぱり世界しかいないから」
「そう言ってくれると友達冥利に尽きるけど……うーん、そうだなあ」
なまじ自分も当事者の一人であるという負い目もあり、真面目に考える。
ここで刹那の機嫌を損ねてしまうよりは、しっかり恩を売って関係修復に努めた方が後々のためだ。
打算的なことも脳裏にめぐりつつ、やがて、ポン、と手を打った。
「そうだ。案外、伊藤も同じこと考えてるかもしれないよ?」
「同じこと?」
「うん。向こうだって、きっと何とかしたいって思ってるって」
「そうかな……」
根拠のない発言に、不安を隠しえない刹那だが、その瞳には期待の光も燈り始めていた。
僥倖とまではいかないが、それだけでも相談した甲斐はあったかもしれない。
「誠くーん」
「……心ちゃん」
浜辺に座り、澄んだ青空を映す水平線を眺めていた誠の目に、砂浜を駆けてくる小柄な人影が映った。
十代前半と思しき、あどけない容姿をした少女は桂心という。
「どうしたの? なんだか元気なさそうだよ」
正面にしゃがみこんで、まじまじと顔を覗き込む少女に、誠は苦笑してのけた。
「ちょっと色々あってね」
「ふーん……あ、わかった。刹那さんとうまくいってないんでしょー」
見る間に動揺の反応を見せる誠に、心はパチクリと目をしばたたかせる。肩下までの髪がさらりと揺れた。
半ば冗談交じりのからかいだったのだが、そんな顔をされては引っ込みがつかない。
「そ、そっかぁ……誠くん、女心に疎そうだから、刹那さんに嫌われるようなことしちゃったんだね」
「別に、そういうんじゃないよ」
「もおー、誠くんっ。図星指されたからってふて腐れるなんて、男らしくないよー」
「だから違うって。心ちゃんが考えてるより、もっと複雑な事情があるんだ」
「むーっ、心は立派な乙女なんだよ? 子ども扱いしないで」
ふくれるあたりが立派な子供なのだが、はいはい、と軽くあしらう誠だった。
「誠くんのこと真面目に心配してるんだから、真面目に答えてくれないと駄目なんだからね」
「ああ、ごめんごめん、わかったよ」
鼻先すれすれまで顔を接近され、誠は少し赤くなって視線を外した。
いくらそこそこ歳の差が離れているとはいえ、ドキリとしてしまう自分が恨めしい。
「じゃあ訊くね。どうして刹那さんとうまくいってないの?」
「それは……」
思わず口ごもる誠。正直なところ、とても人に聞かせるような内容ではない。ましてや、まだ幼い心には尚更である。
「いろいろあって、刹那から、とっても痛い罰を受けたんだ」
結局こんな答え方をしてしまうあたりが誠クオリティ。
「えー、どうして? 刹那さんひどーい」
「いやまあ、たぶん、俺が悪かったんだけど……それに、痛いだけじゃなくて気持ちよくもあったから」
そして快感へ――とはよく言ったものである。
そんなアブノーマルなことは流石に知らない心は、きょとんとするしかない。
「それは、私とえっちなコトした誠くんが、後ろからお姉ちゃんにゴルフクラブで殴られるみたいな感じ?」
「ぶっ、なんでそんな具体的……俺が心ちゃんにそんなやましい感情を抱くわけがないだろ」
「えー、わかんないよぉ。ありえたかもしれない可能性ってやつだよー」
それを言うなら、刹那とのこの夏の出会いが、偶然が産んだ恋物語だったりする。
「とりあえず。どうにも俺がイニシアチブを取れなくなって、それで、刹那との仲がぎくしゃくしてきちゃったんだ」
「イニシアチブ? えーっとぉ……主導権だったかな」
心は塾に通っているため、それなりに勉強はできるほうだった。
もっとも、塾の新米講師と付き合っているという友達から、おませな情報も入ってきているなど誠には想像もつかないだろう。
「そうなんだ。デートで男の子の方がリードできないなんて大変だね」
「まあね……だから悩んでるってわけだよ」
「わかった。――じゃあ、今から刹那さんに会いに行こう!」
「わかってくれた……って! 今から、刹那に!?」
「そうだよっ。誠くん、こんなところでウジウジしてたらお姉ちゃんみたいにヒキコモリになっちゃうよ? 男の子なんだから、自分の気持ちをぶつけて仲直りしないとね♪」
「いや、だからって、いきなりなんて、その、心の準備が……」
「私の準備はとっくにできてるよー。ほら、行こう、誠くん」
「心ちゃんのことじゃなくて……はあ、しょうがないな」
片手を掴んでぐいぐい引っ張る、おしゃまな少女の様子を見ていたら、胸のつっかえが取れた気分になった。
確かに悩んでいても仕方がない。直接会って打ち解けるべきなのだろう。
手を引かれて立ち上がった誠は、少し軽い足取りで浜辺を歩き出した。
時間はほんのちょっぴり遡る。
誠が「それに、痛いだけじゃなくて気持ちよくもあったから」と言ったあたりである。
そんな二人の会話を偶然盗み聞きしている人物がいた。
腰まで届く髪と、端正な容姿。大人しそうで控えめな表情に似合わぬ大きな胸が一際目に付く。
彼女は、散歩中にたまたま通りかかったところ、浜辺で会話している二人を発見したのだ。
「刹那さん、そうなんだ……誠くんに、そんな酷いことを」
どこか険しい顔つきで、ぼそっとつぶやく。
その後の会話を聞くことなく、何事か決意したように浜辺から遠ざかっていった。
彼女の名は桂言葉――榊野学園一年生。
心の姉にして、誠にほのかな想いを抱いている少女である。