冬の朝
佐祐理さんは高校を卒業すると同時に家を出ている。
今は舞と2人で暮らしているはずだが、その舞も帰省中。
まあ、帰省とか言っても自宅に戻ってるだけだから同じ町内にはいるんだが。
とにかく佐祐理さんは今現在悠々自適な1人暮らしというわけだ。
あの人のことだから、舞がいるほうが幸せなんだろうけど。
カンカンカン、とアパートの階段を上ってチャイムを鳴らす。
現在時刻午前の10時だ。
「佐祐理さーん? いませんかー?」
そう、俺は佐祐理さんとこに遊びに来た。
のだがしばらく待って呼びかけても反応がなかった。
声を出した時に吐き出された白い息が掻き消えるのを見届けても、反応なし。
うーん、佐祐理さんらしくない。
まさか倒れてるとかいうことはないよな?
しかし無理を無理と思ってない節はあるし、あの人は自分にやたら厳しい。
過労だとかいう可能性もないとは言い切れないか。
「……入りますよ」
思い過ごしだろうとは思うが合鍵で入らせてもらうことにした。
言っておくが合鍵は勝手に作ったわけではなく、2人から貰ったものだ。
ふらっとでも立ち寄ってください、ってな。
がちゃん、という音が響きノブが廻る。
冷たい外気のせいだろう、凍えるような鉄の感触のノブだが気にせず開いた。
部屋の中はカーテンも締め切られていて、電気も点いていない。
朝だというのに隙間から射しこむ光以外は光源がなかった。
とりあえずリビングの隣りにある寝室へ、悪いとは思いつつも行くとしよう。
「佐祐理さん?」
顔だけ覗かせてみる。
が、暗くてイマイチわかりにくい……仕方ないので扉を開けきった。
カーテンはともかくとして、リビングの光で見えるだろう。
その光により佐祐理さんの姿が―――――って。
「よかった。寝てるだけか」
布団に包まって顔だけしか見えないけど、心配していたことはないだろう。
浅い寝息も聞こえるし、布団もかすかに上下している。
それにしても……穏やかな寝顔。
こういうのを見ると天使のようにすら見えてしまう。
相変わらず綺麗で可愛い人だ。
しかも性格だって天使みたいに良いんだから、恐れ入る。
「佐祐理さんが寝坊ねぇ。倒れてはないけど、疲れてるは疲れてるのかな」
とりあえず起こすのは止めておこう。
そうだな……軽く朝食でも作っておくか。
高校時代、佐祐理さんには随分と世話になったからな。
作れる料理なんて数少ないが朝食くらいなら出来るだろ。
すやすや寝ている佐祐理さんに布団をかけなおし、俺は寝室を出た。
「さて、こんなもんか」
テーブルに並んだのはサラダとスクランブルエッグとジャム。
トーストは起きてから焼いて十分に間に合うだろう。
今から焼いてると冷めて美味しくなくなるし。
時刻は10時半、そろそろ佐祐理さんも起きてきてくれるかな。
そう思い、先に使ったフライパンやらを洗っていた時だった。
「……おはよぉ。ごめんね、少し寝坊しちゃった」
やたら可愛い、寝起き全開の甘ったるい声で佐祐理さんが起きてきた。
うお、今すごい胸に響いたぞ。
佐祐理さんが気を許すような声を出すことは滅多にない。
普段から敬語だし、こういうのは舞しか聞いたことないんじゃないか!?
「ふぇぇ。最近、ちょっと疲れてたかなぁ。佐祐理、悪い子です」
とりあえず舞と俺がごっちゃになってるようだ。
手を拭いて、相沢祐一であることを伝えようと振り向く。
「さ」
佐祐理さんの『さ』で止まった。
うわ、佐祐理さん、ホントにかわいい……かわいすぎる。
やはり12月の朝は寒いのか少し体を縮めて。
少し寝癖のついた髪の毛は幼さを感じさせ。
まだ寝ぼけてるのか胸元に枕を抱き締めてたりして。
空いた手で眠そうに目をごしごししてる仕草は、なんかすごい可愛い。
俺が知ってる佐祐理さんはお姉さんしてることが多いから、新鮮だ。
このまま、ぎゅーって抱き締めたい衝動に駆られる。
が、んなことをするわけにもいかない。
俺は心で涙を流しながら佐祐理さんを覚醒させなければならないのだ。
「さ、佐祐理さん?」
「……んぅ」
「寝起きに悪いんだけど、川澄舞じゃなくて相沢祐一だぞ」
「………………あ、ゆぅいちさんだぁー」
「おおうっ!?」
とてて、と歩いてきて俺に抱きついてきた。
半分寝ぼけてるからか甘えまくりで、薄いパジャマだからなんか柔らかい。
料理していたとはいえ俺の体も冷えている。
そこに布団から出たばかりの佐祐理さんの体温が気持ちいい。
しかし抱き締め返すわけにもいかず空中で震えてる手が恨めしかった。
そんな気持ちも知ったこっちゃないとばかりの佐祐理さん。
俺にしがみついたまま顔だけ上を向いて、目が合うと嬉しそうに笑う。
な、なんて可愛さ。
この相沢祐一有する理性障壁を瞬時に五層はぶち抜いたぞ。
ちなみに全部で十二層だ。
「さ、さささ佐祐理さん! そろそろ起きてください!!」
「佐祐理、起きてますよぉ」
にっこり笑う佐祐理さん。
俺はそれを見下ろしている。
ふと。
その瞳が大きく揺れたかと思えば急速に色を取り戻し……。
「はぇ?」
「おはよう、佐祐理さん。お邪魔させてもらってる」
「ひゃあああぁあぁぁぁぁぁあぁあぁぁ!!!」
大慌てで寝室に飛び込む佐祐理さんもまた可愛いなぁ。
どたばた聞こえる音から察するに布団を畳んで急いで着替えて、だろうか。
それを聞きつつ、食パンをトースターにセットした。
うーん、佐祐理さんの体、柔らかくて温かくて気持ちよかった。
ほくほく気分でトーストをこんがりと焼いて、お皿に乗せたところで佐祐理さんが出てきた。
「お、おはようございます」
「おはよ、佐祐理さん。朝食できてるからどうぞ」
「うぅ……は、はずかしいです」
ちょこん、と椅子に座った佐祐理さんはジャムを塗ってトーストを食べる。
ホントに恥ずかしいらしく、小さくなった姿が小動物みたいでこれまた可愛らしい。
何をしても可愛い人だ。
「それで祐一さん。今日はどうしたんですか?」
「遊びに誘いにね。ああ、それとチャイムは鳴らしたから」
「……はいぃ。舞がいないから気が抜けちゃいましたね〜」
「悪い、佐祐理さん。疲れてたんだろ?」
「疲れ、ですか? それほどでもないですよ〜。朝食を急がないから寝過ごしたんです」
結果的に祐一さんの手料理なのでよかったです、と佐祐理さん。
まあ、この程度の朝食なら好きなだけどうぞって感じだ。
喜んでもらえるなら嬉しい。
珈琲を飲みながら俺は会話を楽しむ。
「とりあえず商店街でも行こうかと思うんだけど」
「あ、はい。佐祐理も暇ですから是非ご一緒させてくださいねっ」
佐祐理さんの着替えを待ってから、靴を履いて外へ出る。
相変わらず寒いことで……クリスマスも近いからなぁ。
どうにも曇り空だし、もしかしたら降るかもしれない。
主に雪が。
雪自体にあまり良い思い出はないんだが、綺麗なもんだとは思う。
ま、北国の降雪量は綺麗だとか言えるレベルでもないと身に染みてるけど。
「ふぇ〜。うぅ、寒いです」
「まったくだ。ホント悪い、佐祐理さん。付き合わせちゃって」
「佐祐理が好きでしてることですから〜。嫌なら断りますよ」
「そか。ありがとな」
嬉しそうな佐祐理さんは建て前『デートみたいなもの』だからか気合が入ってる。
薄くだけど普段はあまりしない化粧もしてるみたいで、ホントかわいい。
服装も普段着じゃなく余所行きか。
上下黒で統一して、上はタートルネックのセーターで下はロングスカート。
さっき室内で見たときは処女雪みたいな肌に黒が映えて思わず見惚れた。
今は純白のコートを上に着込んで襟を立てている。
なんとなくカッコイイな、と思える服装だ。
ちなみに手と首には手編みらしい手袋とマフラーを装備……これも白だ。
いやはや遊びに誘ってここまで頑張ってくれるのは嬉しい。
「あ、あの、祐一さん? 佐祐理の格好、変ですか?」
「へ? どうして?」
「祐一さん、さっきからずーっと見てるじゃないですか」
「ああ、違う違う。可愛いと思ってんたんだよ。ホント、可愛い恋人だ」
「こ、こいび、こいび……と……」
はうっ、と真っ赤になった。
佐祐理さんが恋人なら楽しいだろうなぁ、と真剣に思う。
とりあえず今はせっかくの機会だ、恋人気分を味わおうじゃないか。
その細い腰に手を回して、自分のほうに引き寄せる。
急なことだったからか、佐祐理さんは抵抗もせず俺に寄りかかってきた。
「ふ、ふぇ!? あ、あははーっ。少し恥ずかしいですね、これは」
恥ずかしいと言いながらも、意外なことに佐祐理さんは俺の腕に抱きついてきた。
冬場だから厚着してるけど、それでも抱きつかれてることに変わりはない。
なんとなく柔らかいし温かい。
そこだけ熱を帯びているような感じになってきた。
うわ、予想外。
横を見れば恋人役なんて関係なく喜んでくれてる佐祐理さんがいて。
なんだが、こうしていることが極自然なことにさえ思えてしまう。
「え、っと」
「どうしましたか〜」
いかん。
完全に年上の余裕を見せ付けられてる気がする。
もとより相沢祐一は年上に弱い。
至福。
至福の時だ。
「さっ、祐一さん。行きますよーっ」
にっこり笑う佐祐理さん。
俺も負けじと笑い返す。
「よっしゃ、行こうか!」