君に花束を――
イヴの夜。聖なる神子が生まれし日の前夜祭。まぁ、ここ日本では本来の宗教的な意味は薄れてしまったけど、それでも表面上は西洋風の「お祭り」の日のはずだ。
うん、そのはずだ。少なくとも、俺――相沢祐一がこれまでの人生経験で培ってきた常識ではそのはずだ。
だっていうのに、目の前に広がる光景ときたら――
こたつだ。
机の上にみかんの入った籠が置いてあったり、少し可愛い感じのするキャラクター物のリモコン立てにリモコンとボールペンとメモ用紙が入っていたりする、全身全霊を込めてこたつだと自己主張している紛れも無いこたつがあった。
いやまぁ、そこまではいい。こたつは日本の重要にして重大な冬の文化だ。これが無くては俺や北川を始めとする全国一億二千万のこたつファンは冬を過ごす事が出来なくなる超重要アイテムだ。これは許そう。
っていうか、これは俺んちにある俺が買った俺による俺のためのこたつだ。文句を言う事なんて無い。
問題は、その上に並んでいる料理の数々だ。
和風。一言で言えば和風だ。もうちょっと言葉を付け足すならば、調理した人間の手並みがかなりの物だと窺い知る事が出来る、純和風の料理の数々だ。
白いご飯とか、暖かそうな味噌汁とか、ご飯が進みそうな焼き魚とか煮付けとか。普段じゃちょっとお目にかかれないような料理が並んでいる。俺の語彙の少なさが少し悲惨になってくるほど、その料理の出来は良かった。
これ自体は、さして問題は無い。ああ、好きな女の子がこれだけの料理を振舞ってくれるんだ。これで喜ばないような奴は男じゃない――っていうか人間じゃねぇ。そんな奴は俺が全人類を代表して殴り倒してやる。……っと、何か話がずれたな、元に戻そう。
さて、ここで状況を再確認しよう。
今日はイヴの夜で、何故か目の前にはこたつに純和風の料理。時間は夕食に丁度いい時間で、俺は恋人を自分の家にご招待しちゃったりなんかしてるわけだ。まぁ、そんなに珍しい事態でもなかったりするけど。
「あの……祐一さん、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。何でもないんだけど……。何で和食なの? 美汐」
あぁ、思わず訊いちまった。……いやまぁ、別に訊いて悪い事じゃないだろうけど。
「えっと、私が一人暮らしなの、知ってますよね?」
「ああ、知ってるぞ。ついでに言えば俺も一人暮らしだし、大学は同じだけど学部は違うから意外と会えなくて美汐が少し寂しがっているのも知っている」
ちなみに、俺は文学部で美汐は経済学部だ。今同じ一回生だったりするのは……まぁ、色々色々あったという方向で。
そして、俺の言葉に真っ赤になる美汐。変わらないなぁ、こういうところ。
「ゆ、祐一さんっ!」
「悪い悪い。話を続けてくれ」
「もぅ……。簡単に言ってしまいますと、私は和食以外はあまり得意じゃないんですよ。祐一さんは気付いてなかったみたいですけど」
「え? 美汐って、和洋中何でもござれの料理の鉄人だった気がするんだけど……」
実際、美汐の部屋には何回も飯を食いに来てるし、いやまぁそれだけに留まらなかったりするんだけどそれはとりあえず置いておいてだ、普通に和洋中全部食った気がするんだけどなぁ。
「大学に入ってからレパートリ−を増やしましたから。高校時代は、和食しか作った事が無かったので」
「……和食って、作るの一番難しくないか?」
「そうでもないですよ? 懐石料理作れって言われたら流石に無理がありますけど」
そりゃそうだ。懐石料理が素で作れるなんて言われた日には、どう反応していいか分からなくなるほど驚くぞ。
「んで、それがこの事態とどう繋がるんだ?」
「……レシピが無かったんです」
「え?」
「いくらなんでも、七面鳥なんて料理できませんよ……。それに、そもそも売ってないですし」
七面鳥? なぜ? Why?
たっぷり二、三秒ほど固まった後、ぽん、と手を打ち頷いてみせる。
「済まんが全然事態が把握できん。っていうかむしろ余計分かりにくくなった気がするのは気のせいだろうかどうだろうか?」
仕草とセリフが全く噛み合っていないのは北川との果てしなきボケ合戦の影響だろうか。あいつらとも同じ大学なわけだから――腐れ縁とは恐ろしい物だと実感。ついでに言うと、北川も同じ一回生だ。いやほんと、ここまで波長が合うと恐ろしいものがあるな。
「私に訊かないで下さい。って、私が悪いんですか……」
俺が混乱しているのが美汐自身言葉のせいだと理解したんだろう。美汐がしょんぼりと項垂れる。
「いや、悪くは無いと思うぞ。俺としては何にしても嬉しい訳だし。気合入ってるのは見れば一発で分かるからな」
「え、あ、あの……」
ひょいっ、という効果音が鳴るような感じに美汐の身体を抱き寄せる。向かい合うように抱き寄せれば、美汐の顔は丁度俺の胸の辺りだ。
「うん、まぁ、なんだ。俺はこれでも滅茶苦茶喜んでたりするんだからな? なにせ、これだけ気合が入った料理をお目にかかる機会なんて滅多にないんだしな」
「論点がすり替わってる気がしますけど……」
「気のせいだって。さ、早く食べようぜ。折角の料理が冷めたらもったいない」
「……そうですね」
そうと決まれば俺達の行動は早い。さっさとこたつに足を入れ――ちなみに、掘りごたつでは無い。学生のアパートにそんな豪勢な物があるはずが無い――両手を合わせて「頂きます」。
世のカップル達は外に出てこの日を楽しんでいるのかもしれないが、少なくとも俺達の楽しみ方はこうだ。静かに時が流れていくという感覚も、まぁそれはそれで。
「祐一さんは――」
「ん?」
「祐一さんは、外食の方が良かったですか? ビルの最上階のレストランから夜景を見ながら、とか」
「は?」
一瞬の硬直。
美汐がうっすらと赤くなりながらそんな事を言っていると脳が改めて認識しなおした時、不覚にも俺は爆笑してしまった。
「わ、笑わないで下さいよっ!」
「――い、いや、済まん済まん」
危なかった……。口の中に何か入ってたら大惨事確定だったな。
「何をいきなり言い出すんだよ。俺達は俺達なりに楽しめばいいんだ。他の奴なんて知った事じゃ無いだろ?」
「でも、友達には『若いのに枯れてるね〜』なんて言われましたけど……」
「ん、まぁ、美汐は少しそんな印象を与えやすい雰囲気を持ってるからなぁ。実際には、枯れてるどころかまだまだ若い――いてっ! ちょ、待て! 冗談だって!」
ニヤニヤ笑いを浮かべながらのセリフは、卓下での美汐の見えない攻撃によって強制終了を喰らった。
「そんな酷いセリフは無いでしょう……」
「ってもなぁ。美汐は少し他人を気にし過ぎなんだって」
「祐一さんは他人に無頓着過ぎます」
というか、色々と正反対な性格をしてるんだよな、俺達って。片や不真面目な俺、片や真面目を絵に描いたような美汐。比較的ノリのいい俺に、少し人見知りをする美汐。
「ま、そこら辺は育ってきた環境の違いってやつだろ?」
「それにしたって祐一さんは……」
「んじゃ、それに男女の差ってのも追加だ」
まぁしかし、その友人っていうのも美汐の事をあまり見てないな。美汐は、こう一見おばさん臭く見えても、その実しっかり流行りだとかそういった事に関して敏感なのだ。むしろ、そういった事に敏感だと思われている俺の方が美汐から色々教えてもらっていたり。
いやまぁ、もちろん、おばさん臭いところもあるのだが。
「祐一さん、今変な事考えてませんでしたか?」
「いや、これっぽちも」
言ってから、食事を再開する。……と言っても、殆ど残っていないのだが。
「ごちそうさまでした。うん、滅茶苦茶上手かったぞ。さすがに美汐だな」
「ふふ、そう言って頂けると嬉しいです。今年最後のご馳走ですから、妥協はしたくなかったんですよ」
「なるほど。それでクリスマスなのに和食だったんだな」
「ええ。七面鳥とは方向性は違いますけど、どちらにしても妥協は一切してませんから」
折角祐一さんと一緒にいられるんですし、と、そう言ってにっこりと笑う美汐。あぁ、なんかもう滅茶苦茶可愛いじゃねぇか。
「祐一さん」
「なんだ?」
「これからもよろしくお願いしますね」
「なんか唐突だな。どうかしたのか?」
「いえ。何となく、ですよ。たぶん、新年が明けるまでは会えないでしょうしね」
「そりゃあ、まぁ、実家が逆方向だしな」
なるほど、美汐にとってこのクリスマスは俺と今年最後に顔を会わせる事になる日なんだな。そりゃあ、気合も入るか。
……こういうところにすぐ気が付かないから、「鈍感」だの「馬鹿」だの「唐変木」だのと呼ばれるんだろうな。
まぁ、美汐に言わせれば『そんな所も含めて私は貴方を好きになったんです』って事らしいけど。やっぱり、もうちょっと気を回すべきなんだろうなぁ。
そうだな。来年の目標はそれで行こう。名付けて、祐ちゃんちょっと鋭くなっちゃおう大作戦。
……こんなあほな事を考えてるから、未だに美汐に子ども扱いされるのかもな。
「どうかしたんですか?」
「いや、何でもない。ただ、今年もこれで終わるんだな、と思うとな」
そんな事をぼんやりと答える俺に、くすっ、と小さく微笑む美汐。
「何となく、相沢さんには似合いませんよ、そんな感傷は」
「そうか?」
「ええ。相沢さんは、そんな感傷とは無縁な人だと思っていましたから」
「そうは言ってもなぁ。ああやってカレンダーにバツを付けて行くと、嫌でも今年ももう残り少ないんだよなぁ、って思うだろ?」
「確かにそうですね」
そう言って立ち上がる美汐。俺が視線で尋ねると、こたつの上に並んでいる食器を流しの方へ運び始めた。
「いいって。後でやっとくからさ」
「でも、水に浸けておくだけでもだいぶ違いますから」
そう言って微笑む美汐の笑顔には、少し元気が無さそうに見えた。
……まあ、そうかもな。なんと言っても今日会うのが今年最後なんだもんな。
「ふぅ……、何なら泊まって行ってもいいんだぞ?」
「本当に魅力的なお誘いですけど、今日は遠慮しておきます。今日泊まっちゃったら、何だか実家に帰れなくなりそうですから」
その言葉に、二人揃って苦笑する。実際、夏休みの時は何だかんだと言って結局実家に帰らなかったしな。
流石に新年くらいは帰省しないと拙いか。……まぁ、俺の方はいいんだけどさ、両親共に海外だし。
「それじゃあ、私はそろそろ帰りますね」
「ああ……。料理、サンキュな。美味しかったぞ」
玄関まで、美汐を見送る。これから少しの間会えないのは寂しいけど、仕方が無い。
「それでは、良いお年を、祐一さん」
「美汐も、良いお年を。それと、忘れ物だぞ」
小首を傾げて振り返る美汐に、ひょいっと花束の入ったバスケットを手渡す。
「あ……」
目を丸くして驚いている美汐に、ニヤッと微笑む。
「ちょっと遅くなったけど、ささやかなクリスマスプレゼントだ」
「こんな……、いつの間に?」
「手品って事にしとくよ」
ちなみに、玄関から入ってすぐそこにある洗濯機の中に隠していた、というのが正解だ。さっき美汐が靴を履く間に、こっそりと取り出して後ろ手に持ち替えてたりする。
「でも、ついこの間も誕生日プレゼントをもらったばかりなのに……」
「気にするなって。俺の気持ちなんだから、素直に受け取っておいてくれよ」
俺の言葉に少しの間バスケットを眺めていた美汐は、少し頬を染めて、でもすごく嬉しそうに笑顔を浮かべてぺこり、と頭を下げた。
「――はい。ありがとうございます」
不覚にも、俺はその笑顔に見惚れてしまった。
だってしょうがないだろう? 美汐みたいな可愛い女の子にあんな風に微笑まれて、どうとも思わないなんてあり得ない。ましてや俺は――
「美汐が好きなんだからさ……」
美汐から視線を逸らしながら、口の中でそう呟く。かぁっ、と顔が熱くなってくるのを自覚するけど、どうしようもない。
「ふふっ、祐一さんにも可愛いところがありますね」
「ほっとけ」
横を向いたまま不貞腐れる俺の頬に、ひんやりとした指が触れてくる。美汐の両手に促されるようにして正面を向くと――
「ん……!? むぅ……」
「んふ……」
頭の中が真っ白になる。
ただただ驚く俺を小悪魔チックな瞳で見つめる美汐の身体は、半ばもたれかかる様にして俺に預けられていた。
ほのかに薔薇の香りが漂う玄関に、二人の微かな息遣いだけが静かに響く。
普段は消極的なのに、今日の美汐は少し違った。いつもは俺がノックするまで奥に引っ込んでいるはずの舌が、積極的に俺の舌に絡んでくる。
くぐもった水音が俺を微妙に興奮させ……、気が付けば力いっぱい美汐を抱きしめていた。少しだけ苦しそうな美汐の息遣いに、腕の力を少し緩めた。
刹那とも永遠とも感じられる時が過ぎた後、美汐は静かに俺の身体から離れた。その瞬間、二人の間を銀の光が糸となって繋ぐ。
……それを見て、身体の内から何か凶暴な力が湧き上がってくるのを感じた。もちろん、そんな事はおくびにも出さないけど。
ただ、今夜は眠れそうにないなぁ。
そんな風に内心ぼやく俺を見て、美汐は自分を納得させるかのように一人頷いている。
「決めました」
「……へ?」
何を? と俺が問う前に、美汐は靴をポンポン、と脱ぎ捨てる。
「帰省するのは取り消しです。すぐに帰らなきゃいけないわけじゃないですし」
「いいのか?」
「……祐一さんのせいですからね。私だって――」
何か言おうとするその唇を、啄ばむ様なキスで埋める。我慢する気はないし、そもそも我慢できるはずも無い。
俺は、とっくの昔に美汐にイカれちまってるんだから。
密着した体勢から、美汐の膝の裏に腕を回して抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。小さく悲鳴を上げる美汐だったが、すぐに首に腕を回してくる。
こうしてみると、美汐の身体って軽いし柔らかいし、抱き心地いいよなぁ。
「もう。突然なんですね」
「仕方ないだろ。美汐が可愛すぎるんだよ」
「そんな事ばかり言って……。調子いいんですから」
そう言われると、俺としては苦笑するしかない。実際、自分でも何かスイッチが入っているのが自覚できるからな。
「でも、今日だけは全部許してあげます。あのプレゼント、本当に嬉しかったんですから」
「そりゃ良かった。花屋の店先で悩んだ甲斐があったよ」
「本当に、分かっているつもりでも、こうして伝えてもらうと嬉しいものですね。――私も、愛してますよ、祐一さん」
……やっぱり、バレてるか。
「それにしても、祐一さんも意外と回りくどいですね」
「……何の事だかな」
とぼけてみせるけど、美汐にはバレバレだろうなぁ。
苦笑する美汐を抱えて、俺は玄関を後にした。
赤い薔薇に見送られ、俺達は二人きりの聖夜を過ごす。
君と永久にある事を願って――メリークリスマス、美汐。
――赤い薔薇:情熱、愛情・貴方を愛します、貞操、美、模範的。