ガララッ――。
 にゃ。
「ただいま、うたまる。元気にしてた?」
 にゃ、うにゃ。
「うん。思ったより遅くなっちゃった。さすがにこんな時間には会いに行けないね」
 にゃ〜?
「そうだね。今日は疲れたし、早く寝て、明日の朝にでも会いに行こうかな。おやすみ、うたまる」
 にゃ〜ん。



 季節は冬。
 一年も終わりが近づき、吐く息は白く染まる時期。
 そんな夜の零時三十分前。
 日付はあと少しでクリスマスイブを告げようとしていた。
 昨年までの冬は桜の花びら混じりだった空模様も、今では雪だけが儚げに舞い、辺りをうっすらと白に染め上げていた。








サクラのクリスマスツリー







「うにゃ? 誰もいない?」

 十二月二十四日。

 一般で言うところのクリスマスイブの朝、さくらはお隣さんである朝倉家の『二階の窓』を訪れていた。

 やや危なげに、自分の家から生えている桜の木を利用して、恋人の純一の部屋の前まで直通でやってきたさくらの目には、人気のない少し散らかった部屋が映っているだけだった。

「お兄ちゃんがこんな早い時間に?」

 さくらの知る限りでは、純一は朝に強い方ではない。朝、純一を起こしていた義妹の音夢が、島の外の学校へ通うようになってからは、遅刻しない程度にはなったが、休日は昼まで寝ていることもザラだったはずだ。

 しばらく耳を澄まして確認していたさくらは、ため息をつきながら「いないんじゃしょうがないか」と呟くと、来た時と同じようにして自分の家に戻っていく。その途中に枝が危なっかしく音をたてた。

「……もう、使えないかな」

 地に足をつけると、木を振り返り、幹に手を当て静かに感謝する。

 これからは“桜”に頼らなくても、自分で繋がりを持てるようにしようと決めながら、さくらは家を後にした。




「さくら?」

 久しぶりの商店街を歩いていると、聞き覚えのある声ですぐ後ろから呼ばれた。

 それに応じるように振り向くと、音夢と、その昔からの友人で自分にとっても一時期後輩だった美春が立っていた。

「音夢ちゃん?」

「さくらも、帰って、たんだ」

「うん。昨日ね」

 なぜか棒読みで音夢が言うので、違和感を感じながらも、肯定の意を示す。

 美春が音夢に対してジト目なのが激しく気になった。

「えっと……あれ?!さくら、少し見ない内に、大きくなった?」

「……ボクは音夢ちゃんの姪とかじゃないんだけど?」

 さらに嘘っぽさの増す音夢に、微妙に子どものような扱いを受けたさくらが、暗に年増扱いをしながら返事を返す。

 …………。

 ため息をついた美春が、音夢に何か囁くと、音夢は「ショッピングに行きましょう」と突然言って、さくらの手を取って歩き始めた。

「朝倉先輩……音夢先輩に頼んだのは失敗だったかもしれませんねぇ」

 少し残された美春は、否定的な発言をしているさくらをしっかり捉えていたが、自分に被害が回ってくるのは御免なのでスルーすることに決めつつ後を追った。




「おごってもらえるのはいいんだけど、なんでこんな服なんだろ……」

 数時間後、音夢に連れまわされ、結局服を一着だけ買わされたさくらが、両手でその紙袋を持って、風見学園を目指し歩いていた。

 元々あまり気温の低くならない土地柄のために、昨夜降った雪は、今では小さな水溜りへとその姿を変えている。

 そんな中、さくらは水溜りをかわしつつ、レンガで舗装された道を鼻歌を歌いながら進んでいく。

 その頭の中では、春に少しだけあった登校時間の楽しい思い出がリプレイされていて、そのせいでにやけそうになる顔を満面の笑みへと変えて、一人にも関わらずとても楽しそうに進む。

 やがて、その前方には当然目的地である風見学園が姿を現し、しかしその人気のない様子に肩を落とした。

「今年は何もしないのかなぁ? 去年の話を聞いた時にちょっと楽しみにしてたのに……」

 校門の所までやってきて辺りを見回す。

 周囲に生える桜の木はすっかり細身になり、色も単色で、どこか寂しさを感じさせる。

 春に、出てくる生徒と一緒に見上げていた時には、綺麗な桜色で覆われているようだった場所も、出入りがないせいか、淡々と存在しているだけのように思われた。

「……会いたいよ、お兄ちゃん」

 あの時と同じように、門で待っていれば自分の下へ優しい顔でやってきてくれるような気がして、少し冷たい校門によりかかる。その温度変化すら、気持ちを暗くしてしまう。

 期待を少し込めて昇降口の方を向くと、丁度だれかが出てくる所だった。

 しかし、自分の探している相手ではない。遠くから見ても、それは一目瞭然だった。

「あれは、暦先生?」

 少し距離が縮まったところでさくらがそう呟くと同時に、相手の方も自分が誰か気づいたらしく、軽く手を上げると歩調を速めて近づいてくる。

「久しぶりだね。どうしたんだい、一体?」

「うん、せっかくクリスマスだから、帰ってきたんだよ。そういえば、結婚したって聞いたけど?」

 意地悪そうな顔をしながらそうたずねるさくらに、少し視線をそらしてタバコを探しながら暦が軽く返事をする。

「ああ、朝倉から聞いたのかい? つまり、その朝倉を探してるわけだな。まぁ、見ての通り……学園はもう休みだから、今日は会ってないよ」

 話している途中で、見つけたタバコを口にくわえて火をつけながら、なぜか視線はまったく合わせようとしない。

「話を受け流した上に、切り替えしてくるなんて……。確かに、お兄ちゃんを探してるんだけど、どうしてわかったの?」

「顔がにやけてるから」

 言っている本人も若干にやけているのだが、取り乱し気味のさくらが気づくことはなかった。

「それは、違うことでにやけてたんだと思うんだけど……」

「カマをかけただけだよ。それより、昼はもうすませたかい? 実は、そのために外に出てきたんだ」

 さくらの反応に笑いながら、研究が一段落ついただけでね、と言って、その足はすでに歩み始めている。

 見かけによらず、同じように研究者であるさくらは、その苦労がよくわかり、話を逸らされたことに気づかないまま、今度は暦に連れられていった。




「くっぴーが女の子だったなんて……」

 暦先生に連れられて入ったファミレスで、杉並君が注文を取りに来たところまではまだ考えられる範疇だったけど……。

 ちゃんと女の子の姿で工藤君……さんも働いてるとは思わなかったよ……。

 もしかして、だから入ったのかな?

「それにしても、お兄ちゃんはどこにいるのかなぁ?」

 これだけ探しても見つからないとなると、普通じゃないところか、隠れてるってことかな?

「……桜公園」

 特別な場所。

 いない気がするなぁ……。

 やっぱり帰るってことを伝えとくべきだったかな?

 ぶぅ、クリスマスなんだから、恋人の行方ぐらい気にしろ〜。

 ……はぁ。なんか、お兄ちゃんのことばかり考えちゃうなぁ……。

 探してるんだから、普通かなぁ。

 この桜の木々の下も、二人で歩けば短かった気がするのに……。

 もう少しで、あの場所が見える。

 いるかな?

 『〜〜♪』

 歌声……。

 なんだか、悲しそうな感じだけど……。

 ここも違う……。

 でも、せっかくだから会って行こう。

 枯れた桜の木のゲートを抜けた先には、やっぱり白河さんがいる。

「…………」

「〜♪……芳乃、さん?」

「久しぶりだね。白河さん」

「……朝倉君なら、家で用事があるって言ってましたよ」

 家で用事?

 ううん、それよりも。

「どうして知ってるの?」

「……朝倉君は、あなたを、しっかり待っていましたよ。私なんかじゃ、遠く及ばないくらいに……」

『私なんか』

 そっか。ライバルは音夢ちゃんだけじゃなかったんだよね。

「ごめん。でも、ボクは譲らないから」

 お兄ちゃんのことが好きだから。

「謝らないでくださいよ……あなたがいない時に、奪おうなんて思っちゃった、卑怯な女なんですから……」

 白河さんが?

「朝倉君は、優しすぎるんです……寂しいときには、そばにいて欲しいような人だから」

「うん。ありがとう。ボクも、そう思うよ」

 かったるいとか言ってるのに、お祖母ちゃんと同じで、困ってる人は放っておけないんだ。

 自分より優先して他人をかばおうとするんだから。

 この場所は、ボクにとって大切な場所だけど、

 あの桜の木は、ボクの願いを叶えてくれていたけど、

 今はボクには必要ないから。

「それじゃ、もう、行くね」

 支えてくれる人がいることが、こんなに嬉しいなんて。

 自分の想いが変わらなくてよかった。

 今度は会えるよね?

「お祖母ちゃん、もう少しだけ、優しい桜の魔法をお願いできるかな……」

 ボクは大切なものを見つけたから。

 もう、守られるだけじゃないから。

 でも、一緒にいて欲しい。





「え、兄さん? 家には帰ってないけど?」

 いない?

 でも、白河さんが嘘をついてる様子はなかったけど……。

 音夢ちゃんは嘘ついたらすぐわかるからなぁ……。

「そうそう、そういえば、その服、着ないの?」

 その服と言うと……、これ?

 ボクが視線を手元に下ろしてみると、音夢ちゃんが頷く。

「音夢ちゃん……」

「な、何っ?」

 音夢ちゃんにこういう演技は無理なんじゃないかなぁ?

 いつもは裏モードを立派に起動させてるのに。

 でも、逆に、音夢ちゃんが言うってことは、お兄ちゃんが何か考えてるってことかな?

 この服も仕掛けの一つ?

「どうしてコスプレなの?」

 試着までしたけど、どう見てもこれはサンタクロースの服だよね?

 ミニスカートだけど……。今は冬なのに。

「……なんのこと?」

 今、一瞬だけど止まったよね……。

 お兄ちゃんの指名ではない、と。

「面白そうだからいっか」

 心底ほっとしたような音夢ちゃんの反応がわかりやすすぎるよ……。

 でも、実際、これを見たお兄ちゃんの反応が楽しみ。

 それに、結構かわいい。

 さて、それじゃあ、着てみやしょう。




「うわ〜、やっぱり似合うね、さくら」

「そうかな?」

 赤を基調として作られたサンタのような服は、比較的シンプルにまとめられていて、白いモコモコがなければ普通の服に近い。

 音夢ちゃんに褒められて、その口調が嘘っぽくなかったから少し上機嫌になっているのが自分でわかる。

「でも、その髪型だとこの帽子はかぶれないね」

「確かにそうだね……」

 お店でもかぶらなかったサンタ帽子は、ツインテールだとちょっとかぶれない。

「たまにはおろそうかな?」

 研究所でもトレードマークみたいになってたから、このリボンははずしてなかったけど、大きくなったっていうし、イメージチェンジもいいかも。

「さくらがツインテールじゃないところなんて、久しぶりに見る気がするね」

 姿が変わってなかったから、六年間ずっと同じ髪型してたもんね。

 そういえば、お兄ちゃんにも見せてないかも。

 左右の青いリボンを解くと、ちょっと癖がついてて綺麗に後ろに流れない。

 音夢ちゃんにも手伝ってもらってなんとか抑えると、思ってたより髪の毛が伸びてる。

 成長してる感じがするね……。うんうん。

 音夢ちゃんとの身長差が変わらない気がするけど……。

「なんか、大人の雰囲気だね」

「そ、そうかな?」

 にゃはは、お兄ちゃんはどう思うんだろ?

 なんとなく、舞台に立ったような気分で、その場で一回転をしてみる。

 遅れて回る髪の毛がちょっとくすぐったい。

「さくら、あんまり外では回らないように、ね」

「うにゃ? どうして?」

「スカートが楽しそうに踊ってるから」

 ……スカートが楽しそうに踊ってる?…………!(///)

「そ、それはダメだね」

 お兄ちゃん以外にいないなら……いいかな?

 そういえば、これで外に出るんだよね?

 寒いのもあるけど、ちょっと、いやかなり恥ずかしい。





「ぶぅ〜、お兄ちゃんまだ〜?」

 音夢ちゃんとトランプを始めてもう三時間も経っちゃうよ。

 だいたい、二人でやるものなんて限られてるのに。

 スピードは音夢ちゃん弱すぎるし、ババ抜きとか戦争は二人じゃつまらなすぎるし。ダウトなんかだめだめだよ。

「もうそろそろ六時になるんだけど」

「一度、家に帰る? 兄さんが帰ってきたら連絡いれるように言っておくけど」

「う〜ん、家で用事があるって聞いたのになぁ」

――トゥルルルルルル……。

「!」

「電話? 兄さんかな?」

 電話するぐらいなら帰ってくればいいのに……。

 ボクが戻ってきてること、もう知ってるのかな?

「はい、朝倉、あっ、兄さん?」

 !

「うん、さくらならうちにいるけど?」

 やっぱり知ってるみたいだね。

 知ってるのに帰ってこないってことは……。

「代わればいいの? うん、さくら〜」

 なんだか、いつもと違ってどきどきする。

 アメリカにいた時だって、たまに電話で話してたのに。

「お兄ちゃん?」

『さくらか? 悪いな。思ったより遅くなっちまった。こんなに待たせるつもりはなかったんだが』

 ……なんか、ボクが帰ってくることバレてた?

「それは、もういいけど、ボクはいつまで待ってたらいいのさ?」

『やっと準備完了だ。外は結構暗くなってるし、丁度いい。ディスプレイに番号がでてるだろ?』

 ディスプレイ?

 この番号は……

『それじゃ、またな』

「あっ、お兄ち」

――ブツッ、プーップーッ……。

「切れちゃった」

 今回はボクが驚かそうと思ってたのにな……。

 お兄ちゃんにはかなわないや。

「さくら?」

「あ、ありがとう音夢ちゃん。ボク行ってくるね」

「あ、うん。気をつけてね」

 気をつけるような距離じゃないんだけどね……。

 だって、あの番号、ボクの家だもん。

 『家』で用事って確かに白河さんは『誰の』とは言ってなかったけど、ずるいよ……。






「あれ?」

 自分の家へ戻ってきて戸を開けようとしたら、予想外に開かなかった。

「中じゃないのかな?」

 でも、中にしか電話はないし……。

「     」

 ?

 庭の方かな?

 何か、音がしたような気が……。

「あれ? いない……」

 周囲を見回してみても、薄暗くなったせいもあって特に何も……。

「はしご?」

 屋根に続いてるみたいだけど……。

 上にいるのかな?

――ヴォオオオォォォォ……。

「わっ……?」

 なんの音?

 やっぱり上から音が……っ!?

「雪?」

 夜の闇が広がる空から、ひと際目立つ白いものが降ってくる。

 でも、それは手で受け止めても溶けることはなくて

「じゃない……これは、桜の花びら……」

 冬なのに?

 もう桜は枯れちゃったのに……?

「! お兄ちゃん!」

 不思議に思って上を見上げると、今度こそ待っていた顔があった。

「これは一体どういうことなの?」

「作り出した桜餅の花びらだ……そんなことより、おかえり、さくら」

「あ、うん。ただいま、お兄ちゃん。……それにしても、桜餅って……何個食べたの?」

 普通、桜餅についてる花びらなんて一枚か二枚だと思うんだけど……。

「何個だろうな……とりあえず、しばらくは食べるのは遠慮するよ……」

「あ、あはは……」

 う〜ん、このはしごを上るのも久しぶりな気がするなぁ。

 でも、やっと会えた。




「それにしても、すごいかっこしてるな」

「あ、うん。かわいい?」

「普通、『似合う?』って聞くんじゃないのか?」

「照れ隠しはいりませ〜ん。待たされた分正直に答えてよ〜」

「かわいいけどな」

「……(///)……」

 自分で言っといて照れるなよ……。



 俺だって恥ずかしいのに。

 いつものツインテールじゃないのも驚いたが、あいつは何を着せてるんだ……。

「おっほん!」

 おっ、復活したか。

「そういうことを言う生徒には、教育的指導が必要ですね。朝倉君、目を閉じてください」

 突然、さくらが春の授業の時の口調になった。

 いや、でも目を閉じろって……指導か?………いいけど。

「…………」

 閉じた瞼の向こうに、近づいてくる気配を感じる。

 互いの息遣いが聞こえる距離。

「…………」

「……歯ぁ食いしばれぇ!」

「なっ?!」

 雰囲気も何もあったもんじゃ

「…………」

「…………」

 目の前には、頬を染めて目を閉じたさくらの顔があった。

 思わず開けてしまった目を、逆にその表情を見ているのが恥ずかしくて、自然と閉じた。

 数秒ではあるものの、永遠にも思える時間。

「……ん、ただいま“純一”」

 !

「……不意打ちだな、さくら……」

 二人で真っ赤になっているのが見なくてもわかった。

 実際、見てみればその通りで、後ろで大人っぽくまとめられた髪とその表情からうかがえるあどけなさのアンバランスがたまらない。

「…………」

 少し熱を帯びた視線が、俺の方を向いている。

 その瞳の中には俺の顔が映っていて……。

 ライトアップ……スイッチオン。

 腕の中でかわいく顔を緩ませている、俺だけのサンタに、頭が考えることをやめる前にプレゼントを返しておく。

 今日一日のほとんどの時間と、今までのバイト代の大半を費やして揃えた、今日のしかけのメイン。

 明日までの期間限定のイルミネーション。

 さくらの向きを変えて、後ろから抱きしめながら、苦労して作り上げたものを見る。


 『サクラのクリスマスツリー』


 庭に生えた一本の桜の木が、緑色を基調としてクリスマスツリーのように光り輝いていた。






「それにしても、よく作ったね」

「一日時間稼ぎしたからな」

「みんなを利用したの?」

「人聞きが悪いな、ちゃんと頼んだんだよ。暦先生から、さくらが帰ってくるって聞いたからな」

「研究所の人から漏れてたんだ……」

「みたいだな」

「……白河さんにも頼んだ?」

「ことり? いや、俺からは特に何も」

「そっか…………ありがとう」

「何かあったのか?」

――『……朝倉君は、あなたを、しっかり待っていましたよ。私なんかじゃ、遠く及ばないくらいに……』

「……ううん、何も」

「?」

「なんでもない……。大好きだよ、お兄ちゃん♪」