雪が降っている。
しんしんと、しんしんと、しんしんと・・・・・・。
人の気配が感じられない。
人の温もりが感じられない。
人の暖かさが感じられない。
そんな場所に一人立つ私は、どこかが狂っているのでしょうか。
あるいは、この狂った世界が正常なのでしょうか。
それとも、正常なものなんて何処にもないのでしょうか。
私は、自分の誕生日を、この日初めて悲しみで迎えました。
四組の防寒具
その日のことを、私は今日も思い出します。
初めて、自分の誕生日に喜ぶことが出来なかった。
初めて、自分の誕生日に雪の降る野外で一晩明かした。
今からすれば、なんて愚かなことをしたのだろうと思ってしまうような、そんな初めて。
それが、今は遠いまぼろしのように感じられます。
それは、大切な何かを、雪の代わりに埋めてくれるものを見つけたから。
あの日の誕生日以来、私は初めて、自分の誕生日を心から祝い、喜ぶことが出来ました。
それも、あなたのおかげです。本当に、ありがとうございました――――――。
十二月五日、翌日に特別な日を控えた今日。
いよいよ大詰めに入った大学受験の模試を終え、俺、相沢祐一は帰路を急いでいた。
卑怯にも、俺の友人たちはそれぞれスポーツ推薦に指定校推薦、専門学校と、合格を決めていた。
という訳で、唯一合格していない俺だけが、わざわざ学校に残って模試を受けていたのである。
くっそ、ひでーよ。
まぁ、愚痴っていても成績は上がらんから、この辺りでやめておこう。
というより、恨むのなら推薦試験を寝坊でフイにした自分を恨め。
・・・・・・・・・自分で言ってて悲しくなってきた。
居候先の水瀬家では、玄関も暖かい。省エネ設計の床暖房のおかげだ。
靴を脱いで上がり、キッチンにいるはずの秋子さんに帰宅したことを告げ、自分の部屋に戻る。
ここんとこずっと勉強漬けだった所為か、体力が落ちていた。
名雪の寝坊も多少は改善され、朝のマラソンが減ったことも要因か?
そんなことを考えつつ、俺は眠りに就いた。
やっぱ、徹夜なんてするもんじゃないな。ぐぅ。
一時間くらいは寝ていただろう。名雪が階段を上がってくる音で目覚めた。
「ゆーいち〜〜、おきてる〜〜?」
「あー。起きてるぞー」
「ごはんだよ〜〜」
「うぃ〜〜〜」
最近、こんな会話ばっかだ。今日なんて、俺のほうが寝坊してしまった。
徹夜の勉強が祟り、毎日家に帰ってきてから夕飯までは眠り、また徹夜。
そろそろ改めないとアカンと思いつつも、できないでいる。まったくの悪循環だ。
そんなわけで俺は、まだ寝足りない頭を無理矢理覚醒させ、食卓へ向かった。
食後。
「祐一さん。あまり無茶しないでくださいね」
「はい。一応気を付けてるつもりなんですが」
「だからって、勉強もしないで、というのはやりすぎですよ?」
・・・・・・・・・バレてた!?
「あらあら」
やっぱり、秋子さんにはかなわないみたいだ。
部屋に戻ると、俺は早速例のブツを取り出した。
これこそが、夜間の半分を費やして作っている物だった。
やはりここは、意外なことでウケを狙うのが相沢流。なんと、編物。手編み。
十月から材料と専門書を買い集め、二学期のテストそっちのけで製作に取り掛かり、実は推薦に落ちたのはその所為だというウワサもある。
とにかく、時間と成績を引き換えに作っていたのだ。
それも、今日中に完成させねば。明日は、愛しのハニーのバースディだ。
・・・・・・まぁようするに、そういうことだったり。
現在時刻は八時。このまま行けば、今日中に仕上がりそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ゆーいち〜〜〜?」
と、完全に自分の世界にこもっての作業中に、名雪が入ってきた。
「うぎゃっ」
俺は驚いて、危うくこれまでの作業を全て水泡に帰すところだった。
「ゆういち、なにしてるの?」
「・・・・・・・・・」
ビックリドッキリのためにひたすら隠していたのに。
「あみもの?」
「ああ」
「似合わないね」
「承知の上での羞恥の事だ」
「・・・・・・無理に難しい漢字使わなくても」
くっ、名雪にすらため息をつかれてる!
「祐一」
「何だ?」
「頑張ってね」
それだけ言うと、名雪はドアを閉めて姿を消した。
「・・・・・・おう、がんばるさ」
それは、名雪とも無関係でないのだから。
天野美汐は、俺と同じ御伽噺のような経験をした後輩である。
ものみの丘、妖孤、強い願い、人間化。
そして、その奇跡と引き換えに奪われる、その命。
真琴は、そして天野の「あの子」は。
人間として生まれ変わり、そのまま消えてしまったのである。
それで、天野は真琴と出会うまで笑ったことが無かった。
たった数十分、学校の寒い中庭で会話とも呼べないやり取りをしただけ。
それなのに、天野は心を開いて真琴に微笑んでくれた。
それだけの、思い出。
一年前の冬の物語。
あの時は、ずっと真琴が帰ってくるのではないかと思って、手首に鈴を付けていた。
春になってコンビニから肉まんが姿を消すまで、毎日肉まんを持ってブラブラと歩いていた。
夏になって、秋になっても、真琴を待ちつづけていた。
・・・・・・・・・・・・・・・天野のそばで。
冬はあいつと出会った季節で、三年生の俺には受験のシーズンでもあった。
それなりに勉強はしていたが、推薦には落ちて、これから入試に向けて忙しくなる。
本当は、今でもわきに気をそらせてはいけないのだが、年内は勉強だけに気を取られたくない。
何よりも、真琴のために。天野のために。
翌日の授業は、全て寝て過ごした。
放課後、俺は一度家に戻り、今日の朝に完成したそれを持って天野の家にやって来た。
時間で言えば、午後四時半。1630時である。
そういえば、俺と天野の関係というのはどうなるのだろう。
共通の過去を持っているが、友達と言うのとは少し違う。
たまに誘われて、縁側でお茶を飲んで近況報告。
・・・・・・・・・あぁ、あった。ぴったりの言葉が。
『茶飲み友達』
・・・・・・・・・いやまて、これって普通、若い人には使わないだろ?
だが、本当に茶飲み友達なのだ。天野とは。
まぁ、こんなことを言ったら多分
『どうせ私はオバサン臭いですよ』
なんて拗ねるかもしれないが。
呼び鈴を鳴らしたが、反応が無い。
前々からこの日に予定を入れないでくれと言っておいたから、いないはずは無いのだが。
もう一度鳴らして、三度目四度目。やはりいない。
さほど広くない一軒家だから聞こえないはずは無い。とすると、本当にいないのか。
両親はこの家に来ることは無く、天野には生活費だけが十分すぎる量、送られている。
だから、誕生日でも天野は一人きりだ。
だからこそ俺が来たのだが・・・・・・・・・。
「天野〜〜、いないのか〜〜〜〜」
応答なし。
「入るぞ〜〜」
応答なし。
仕方ない。合鍵を使おう。
なぜか一ヶ月くらい前に貰った合鍵を使って、鍵を開けた。
・・・・・・やはりというか、天野の靴は無かった。
「どうしようか・・・・・・」
玄関で待っているというのも寒いから嫌だし、かといって、勝手に天野の自室に入るのもアレだし。
客間に勝手に上がりこむのも、それは違う気がする。
マーク式テストならここで選択肢が出てくるところだが、残念ながら今回は記述問題である。
・・・・・・・・・思考が受験モードだ、さっきから。
とにかく、俺は天野の自室で待つことにした。勝手知ったる他人の部屋で、ストーブも付ける。
家なんて、水瀬家以上に熟知している。
・・・いや、水瀬家には名雪ですら知らない場所があるので、引き合いに出すのは間違っていると思われるが。
そして俺は、見つけた。
『相沢さんへ』
そんな字が書かれた、茶色い事務用封筒だった。
俺は嫌な予感がした。
天野に出会った直後、真琴のことを天野に聞いたとき。
あの時、俺が感じた予感が、再び。
俺に希望を与えない事実が、また何かを失う予兆が。
『その日のことを、私は今でも忘れません。
初めて、自分の誕生日に喜ぶことが出来なかった。
初めて、自分の誕生日に雪の降る野外で一晩明かした。
今からすれば、なんて愚かなことをしたのだろうと思ってしまうような、そんな初めてです。
それが、今は遠いまぼろしのように感じられます。
相沢さんと真琴が、私の心に空いた穴をどんどん塞いでいったからです。
だから、今年の誕生日は笑顔で迎えられました。
それも、相沢さんのおかげです。
真琴を幸せにして、真琴が消えてからもなお明るく居続けた相沢さんに、私はずっと救われていました。
私も、微力ながら相沢さんのお役に立てたと思っています。
でも、思いつづけても真琴は帰ってきません。あの子も帰ってきません。
相沢さんも、真琴の幻影以外見ようともしません。
相沢さんはここに居るけど、私のことを見てくれません。
多分、もう世界の誰もが私を必要としていないのかもしれません。
ばかなことだというのは分かっています。
でも、私は、あの子と真琴に会いたいです』
意味が、一切合財理解できなかった。
だけど、気付いたら俺は住宅街を靴も履かずに走っていた。
雪が踏まれて水になり、靴下を冷たく重く濡らしても、気が付かない振りをした。
何を考えているんだ。俺も、天野も。
見ての通り、鈍感な俺でも天野の心中を察することは出来た。
だから、一人で思いつめていた天野に腹を立てている。
そして。
だから、一人で悲劇を気取っていた俺に苛立っている。
そして、俺は的中した予想を自らの手で覆すために走っている。
真琴が蘇る奇跡を願っていた時より、俺は自分で自分を覆すために走った。
走った。
走った。走った。
走った、走った。走った。
通行人を体当たりで突き飛ばしもう他人に構っていられる余裕など無い車が走り抜けようとする交差点を強引に突っ切る甲高いブレーキ音なんて聞いてはいられない裏路地で見覚えのある模様が目に入っただけど思い出せない斑模様の毛玉から伸びた紐を踏み越え走る雪が解けて泥となっている土壌を滑りながら駆け上がる枝でどこかを切ったようで目の前が真っ赤に染まるこれは血か気にしていられるか急な坂で滑りそうになる足の裏に砂利を踏みしめる感触が消えたもう神経なんて正常に働いていない枝に積もっていた雪が落ちてきて頭からかぶったいい冷却材だそして真っ赤な視界は広く開けた。
ものみの丘の、俺が真琴と結婚式をした草原だった。
だが、人の姿は無かった。あったのは、解けた雪に消えそうになる小さな靴跡。
俺は、それが天野のものだと確信した。それを辿る。
一度立ち止まった所為か、呼吸は苦しく腕が痛い。額に鈍い疼きがあって、足の感覚は相変わらず無い。
そして、小さな石碑。
かつて純白だったであろうレース地の布。
膝を抱えて、泣きじゃくる少女。
ひび割れた、丸い陶器製の青い皿。
そのどれもが、色褪せた一枚絵のように存在感をなくし、消えていこうとしている。
「天野」
俺の声に、その少女の肩が震えた。
制服姿は解けた雪に濡れて、頭に載せられたレース地の布は過ぎた時を物語る。
寒いはずなのに、俺の声に反応した以外に震えてはいない。
ゆっくりと上げた顔は、目から生気というものが一切抜け落ちていた。
「天野」
俺はもう一度名前を呼ぶ。
ここにある、その存在を引き止めるように。
そして気付いた。
そのレース地の布は・・・・・・。
陶器の皿は・・・・・・。
石碑は・・・・・・。
それは・・・・・・。
その残骸、その破片、その切端・・・・・・。
過去の記憶と、決して解けない氷で囲まれた傷跡。その象徴。
俺は、これを知っていた。覚えていた。だけど忘れた振りをしていた。
天野は、これを知っている。覚えている。忘れることも無くずっと。
天野と俺は、同じ傷を抱えているものだと思った。
だけど実際、天野の傷のほうが深く、酷かった。酷く、深かった。
俺は、勝手に同じ境遇の人間だと思い込み、天野の優しさに癒されていた。
それすら、傷口に塗り込められる塩だった。
そして、俺は気付く。
「なぁ天野・・・・・・・・・」
背負ったままだったリュックが重い。
足に力が入らなくなり、天野の隣に倒れるように座る。
「もう冬だな・・・・・・・・・」
返事は無い。
それでも構わなかった。
「俺はまだ待ってる。二人とも」
天野の顔がピクリと動くのが分かった。
瞳がこちらを向いて、訴えてくる。
「帰ってきたら・・・・・・冬だもんな。寒いよ。俺も、お前も」
徐々に、その瞳が俺を認識する。
俺はリュックサックを身体の前に持ってくる。
「四人分。ちゃんと作ったんだ」
天野の首に、マフラーを巻いてやる。
それが俺の答え。
『なぁ天野。誕生日に何が欲しい?』
確かその時は、夏だった気がします。
『そうですね・・・・・・・・・』
確かに、何かを欲しいといいました。
『分かった。頑張って作ってみる』
それが一体なんだったのか、覚えてません・・・・・・。
決して、忘れたわけじゃない。
思い出して涙するほど脆くも無い。
だけど、一人の晩には何故か落ち着かない。
それは、俺だったからだ。
天野は、もう一度二人と会って、今度は四人で過ごしたい。
そう思っていた。
俺が、早く気持ちの整理をつけようと思っていた時から。
だから、四人分の、マフラーと、手袋と、ニットの帽子。
俺が、誰よりも俺が忘れてはいけなかった。
いつか、また四人で過ごせることを望む気持ち。
それが唯一の、俺と天野の絆でもあったのだから・・・・・・。
『Happy
Birthday.Misio』