遠坂凛の憂鬱


「ふぅ……」

 夜中になんとなくお茶が飲みたくなり、居間を訪れた俺を迎えたのは、遠坂の大きな溜息だった。
 テーブルに行儀悪く頬杖をついた遠坂は、どこか上の空であった。
 俺が入って来たことに気が付いてるのかいないのか全く反応はない。
 なんとなく躊躇われたが、俺もここでお茶を飲みにきた以上は無視しておくわけにはいかない。

「溜息なんかついてどうしたんだ?」
「……ああ、士郎」

 どうやら本当に気が付かなかったらしい。
 虚ろな目で俺をしばらく見つめていた遠坂であったが、すぐに興味をなくしたように視線を逸らした


「ふぅ……」

 そして、可愛らしい桜色の唇からもれたのは、また大きな溜息だった。
 そこにはいつもの覇気はなく、なんだか遠坂らしくない。
 台所で二人分の紅茶を用意した俺は、黙って遠坂の正面に座り込み、湯気の立つカップの一つを差し
出した。

「遠坂も飲むだろ?」
「――ん、ありがとう」

 ようやくこちらを向いた遠坂だが、やはり様子がおかしい。
 俺が用意した砂糖やシロップ、レモンの薄切りには見向きもせず、ストレートで紅茶を一口だけ飲ん
だ。
 遠坂がこの家に住むようになってそれなりに長いからこそ断言できるのだが、遠坂は紅茶を飲む際い
つも最低一杯は砂糖を入れていたはずだ。
 それさえしないというのは異常とまではいかなくても、やはりおかしいだろう。
 まあ、遠坂だって年頃の女の子だ。悩みの一つや二つはあって当たり前なのだろうが、やはりこいつ
の様子がおかしいと気になる。
 俺達は一応、恋人同士なわけだし。
 ――まあ、断言するには色々と微妙な要素もあるが事実は事実だ。
 彼氏として……などと考えると少し照れてしまうが、やはりそのままにして置くことはできない。
 俺は勇気を出して尋ねた。

「さっきから溜息ばかりだけど、なにか悩み事でもあるのか?」

 俺の質問の後、遠坂は一瞬不思議そうにこちらを見つめていたが、すぐに愛想笑いを浮かべた。
 カップをテーブルの上に戻し、ぺロリと舌を出した。

「あはは……わかっちゃった?」
「あれじゃ、誰でもわかる」

 俺がレモンティーを片手に頷くと、遠坂は少し困ったように微笑んだ。

「よければ相談に乗るよ。俺にできることがあれば言って欲しい」
  
 できるだけやさしく問いかける。
 こいつは、普段はやかましいが本当に大事な事は一人で抱え込んでしまう傾向がある。
 それをそのまま抱えさせてしまうようなら、俺は彼氏としては失格だろう。
 そんな俺の気持ちが伝わったのかもしれない、遠坂は小さく頷いてくれた。

「――じゃあ、相談しようかな。士郎にも関係あることだし」
「俺にも?」

 俺は首を傾げる。
 特に思いつく事がなかったからだ。
 かまわず話を続ける遠坂、その顔がどことなく恥ずかしそうだったのが印象的に思えた。

「ねえ、士郎。もうすぐクリスマスよね」
「ああ、もう何日もないな。それがどうかしたのか?」
「うん……やっぱりクリスマスって大好きな人と二人きりで過ごしたいものよね」
「ぶっ!」

 俺は遠坂の全く予想しなかった言葉に驚き、思わず口にした紅茶を吹き出した。
 まさかそんな乙女チックな事で悩んでいたとは……

「ちょっと! 大丈夫?」

 ゲホゲホと咳き込む俺に、遠坂が心配そうにハンカチを差し出す。
 それを俺は片手で制して、大丈夫と伝える。
 今の不意打ちはやばい、心臓の鼓動が一気にはやまる。

「気にするな……話を続けてくれ」
「え……うん、わかった。わたしたちってこの家で三人で生活してるわよね」

 俺はコクリと頷く。
 三人目とはセイバーの事だ。
 聖杯戦争を無事生き延びて以来、俺達三人はこの家で仲良く生活している。
 今は自分の部屋で眠っているはずだが、セイバーも大切な家族の一員だ。

「ああ、それがどうかしたのか」
「えっと……わたし個人としてはクリスマスくらいは一番大好きな人と二人っきりで過ごしたいと思っ
てるのよ」

 遠坂の頬が紅くなる。
 もちろん熱い紅茶のせいではないだろう、恥ずかしがっているのだ。
 それは正面に座る俺も同じだった。
 何も返事を返せず赤面する俺を前に、遠坂は両手の指を意味なく絡ませながら話を続ける。

「でもね……わたしが一番大好きな人と二人でクリスマスを過ごすということは、三人目を一人ぼっち
にしちゃうわけでしょ」
「――ああ」

 確かに俺と遠坂が二人っきりでクリスマスを過ごすという事は、その日セイバーは一人ぼっちになっ
てしまう。
 聖杯戦争終結以来、ずっと三人一緒に行動してきたのに、セイバーを除け者のしてしまう。
 もちろん遠坂の願いには俺も彼氏として共感するが……
 俺は夕食後にセイバーと一緒にテレビ見ていた時の事を思い出す。

 二人で見たその番組では、クリスマス料理の特集をやっていた。
 テレビ映し出された様々な料理を、セイバーは一見何でもないように見ていたが、俺は気が付いてい
た。
 その瞳がそれはもうキラキラ輝いていたことに。
 ああ見えても食いしん坊のセイバーの事だ。
 自分が食べたこともない美しくも美味しそうな料理に心を奪われていたのだろう。
 その時俺がなんとなく呟いた……

「俺もクリスマスくらいは、こういう派手な料理に挑戦してみようかな」

 という言葉にそれはもう、彼女らしくないくらいに食いついてきた。

「私もそれは大賛成です! 何事も挑戦するということは人間を大きく成長させますから! ほら、あ
の七面鳥の丸焼きなんてどうですか? あれは挑戦しがいがあるでしょう。――絶対に挑戦するべきで
す!」

 めずらしく大騒ぎしていた数時間前のセイバーを思い出し、俺は苦悩する。
 あれだけ期待させといて、クリスマス当日は遠坂と二人で出かけてしまったら……セイバーはがっか
りするよな。

「確かに、一人ぼっちは寂しいな」
「……そうよね」

 俺が腕組みしながら唸ると、遠坂はがっかりしたように肩をすくめた。
 しかし、セイバーに悲しい思いをさせたくないが、遠坂にこうも目の前で寂しそうにされると俺も困
る。
 しばしの間悩む。
 俺だって遠坂と二人で過ごすクリスマスには心魅かれている。
 だが自分達がどこかで楽しんでる間中、セイバーが家で寂しそうにしている姿を思い浮かべると、こ
れは相当きつい。
 それは自分のポリシーにも大きく反するものだ。
 ならば遠坂には悪いが……ひょっとすれば世間一般的には彼氏失格なのかもしれないが。
 三人で過ごすクリスマスを選ぶべきだろう。
 いや、衛宮士郎にはこれ以外の選択肢を選ぶことはできない。
 きっと遠坂なら分かってくれる。

「すまん! 遠坂には悪いがやはりクリスマスは三人で過ごしたいと思う」 
 
 俺は少しでも自分の誠意を見せようとテーブルに両手をついて頭を下げる。
 自分の彼女に寂しい思いをさせるのだから、これくらいでは足りないのかもしれないが、今はこれし
か思いつかない。
 頭を下げる俺を見て遠坂が慌てた声をあげた。

「ちょっと頭上げてよね! わたしがわがまま言ったのにそんな事されたら困るわよ!」
「いや、これぐらいは当然だ! 俺だって遠坂の気持ちは十分理解できるから」

 遠坂は本当にいい奴だ。
 普通の女の子なら当たり前の願望を口にしただけなのに、それを自分のわがままだと言うなんて。
 俺はこんな素敵な彼女を持てて幸せだ。

「わたしは気にしてないから頭を上げてよ! 本当にこっちが悪いのに!」
「遠坂はまったく悪くないさ」
「悪いわよ……だってクリスマスに士郎を一人ぼっちにしようとしたんだから!」
「それは女の子なら当然の願望だし、仕方がない…………ん?」

 俺は遠坂の言葉の違和感に気が付き顔を上げた。
 俺の聞き間違いか? 遠坂のいい間違いか?

「今……なんて言った?」
「だからね。クリスマスの夜にセイバーと二人っきりになりたいなんて、私の一方的なわがままなんだ
から頭を上げてよって」

 なんだ……そうですか。
 遠坂のクリスマスを二人っきりで過ごしたい相手とはセイバーで、その間一人ぼっちになる哀れな三
人目って俺のことか。
 そりゃ、遠坂も俺に対して気を使うよな。
 ハハハ……俺って可哀想。
 納得した俺は遠坂の顔を数秒凝視した後、ゆっくりと大きく息を吸い込み、ご近所迷惑も考えず叫ん
だ。

「なんじゃそりゃぁぁぁ!!」




 
「――びっくりしたわ。なんなのよ?」

 俺の絶叫から数秒間硬直していた遠坂であったが、思い出したようにそうつぶやいた。
 のん気な反応が癪にさわり、俺は右手でバンッとテーブルを叩き付けた。

「なんでお前はそういう発想になったんだよ!」

 自分でもめずらしいと思うくらい不機嫌丸出しの俺に対して、遠坂は少し驚いた後につられるように
不機嫌な表情を浮かべる。
 まるで怒鳴られる覚えなど、まるでないように。
 
「だから言ってるでしょ。わたしだって女の子なんだから、クリスマスくらいは一番大好きな人と二人
で過ごしたいと思ってるのよ」
「その相手がなんで俺じゃなくて、同じ女の子のセイバーなんだよ!」
「セイバーの方が好きだからに決まってるでしょ!」

 だ、断言しやがったぞ、この女は。
 とんでもなく残酷だこいつは!

「お、おまえは俺をなんだと思ってるんだよ!」
「士郎? 使い魔でしょ」

 俺は後頭部を鈍器で殴られたような強烈な眩暈をおぼえる。
 よりによってこの場で使い魔呼ばわりされるとは……
 今日までずっと、俺達は恋人同士だと思っていたのに……俺の寂しすぎる妄想だったわけか。
 しかも、こうまであっさり断言されるともはや何も言い返せない。
 俺はへなへなとテーブルに突っ伏した。
 とてつもなくショックだった。
 
「俺は体だけではなく心も遠坂と繋がったと信じていたのに……」
「ちょ、ちょっと変なこと言い出さないでよ」
「聖杯戦争の時、俺と体を重ねたのは遠坂にとってはただ契約するためだけだったのか……」
「こ、こら! 士郎!」
「正直きつい……」

 顔はテーブルに突っ伏したままだったが、遠坂が真っ赤にしてるのがなんとなくわかった。
  俺の発言や行動に困っているようだが、今回だけはフォローできないし。
 遠坂はコホンと咳払をしてから優しく話しかけてきた。

「も、もちろん士郎の事は好きよ。使い魔としてじゃなくて一人の男の子として」
「本当にか?」
「もちろんよ。そうじゃなきゃ一緒に暮らしたりしないわよ」

 俺が顔だけ起こして遠坂を見上げると、彼女は愛想笑いを浮かべながら何度も頷いた。
 取ってつけたような言葉を貰っただけだが、ちょっとだけ元気が出る。

「じゃあ、セイバーと俺……どっちが好き?」
「それはセイバー」

 うわぁ、また断言された。
 遠坂ってそういう趣味の人だったんだ……
 当然のように答える遠坂を前に俺はゆっくり体を起こすと、再び大きく息を吸い込み、ご近所迷惑も
考えず叫んだ。

「ふざけんなぁ!!!」 





「し、しかたないのよ。そうなったのには理由があるし」
「何だよ? 理由って」

 怒りの収まらない俺はテーブルから身を乗り出し遠坂に詰め寄る。
 そんな俺ををなだめようとしてか、少し焦りながらも遠坂は語りだす。

「今日の昼頃、わたしとセイバーはテレビで昔の学園モノのドラマを見ていたんだけど……その最中に
セイバーがとんでもないことを口走ったのよ」
「何だよ? まさか愛の告白でもされたのか?」
「もちろん違うけど、わたしにはそれ以上の衝撃だった」

 俺は首を傾げる。
 この遠坂凛をここまで暴走させるセイバーの言動とはどんなものだろうか?
 セイバーだって人並み以上に思慮深い女の子だ。不用意な発言をするとは思えないから、まったく想
像できないのだが。
 しかし、遠坂の表情を見る限りとんでもないことを言ったのは事実だろう。

「何を口にしたんだ」 
「あの時のセイバーの言葉をそのまま再現するわ。それを聞いたらきっと士郎も平常心を保てないかも
しれない。それでもいい?」

 俺はゴクリと唾を飲み込む。
 遠坂がこれ程までに念を押すのだ、これ以上聞くには相応の覚悟が必要なのだろう。
 それでも俺は勇気を出して頷いた。

「――ああ、頼む」
「あの時セイバーは言ったわ」
「ああ、なんて?」
「この学生達の身に着けている、体操着とブルマーとやらはなかなか機能的でいいですね。私も着てみ
たいです……と」
「……は?」

 そこまで説明して遠坂は顔をポッと赤らめて、そのまま自分の体を抱きしめ身もだえし始めた。 
 全く話を理解できなかった俺をよそに遠坂は、かなり照れた表情で断言した。

「その瞬間わたしは恋に落ちたのよ!」
「なんでだよ!」

 自分の手が痛くなるほどテーブルを叩きつけ、思いっきりツッコミを入れる俺。
 
「今の会話のどこで恋に落ちる瞬間があった!」
「あったじゃないの! セイバーがブルマよ!」

 今度は遠坂がコブシをテーブルに叩きつけ大声をあげる。
 その顔は真赤に激昂している。
 ここまで真面目な表情を見れば俺にもわかる。
 本気だ……この女は本気で言ってる!
 俺は正直なところ遠坂の勢いに負けそうになっていたが、それでも引き下がれず食い下がる。

「と、遠坂! おまえはいつからそっちの趣味に走ったんだよ! 冷静になれ!」 
「わたしだって冷静でいたかったわよ……でも無理なのよ」
「だからなんでだよ!」
「そう思うなら士郎も想像してみなさいよ……ブルマ姿のセイバーを!」

 その言葉を受けて、瞬間的に俺の頭の中にイメージが浮かび上がる。



 朝の道場での剣の鍛錬。
 正面に立つセイバーはいつものように竹刀を手に俺に向かい合う。
 その表情は年相応の少女の者ではなく、凛々しくも美しい可憐な女騎士のもの。
 道場の穏やかな空気が一瞬にして冷たく張り詰めたものに変わり、俺は緊張しながらも竹刀を構える


「さあ、シロウ……私に隙あらばいつでも打ち込んできなさい」

 そんな彼女には一片の隙もなく、俺の方から飛び込もうものなら……すぐさま返り討ちにあうのが手
に取るようにわかる。
 俺に飛び込めるわけもなく、逆にいつ打ち込んでくるか分からないセイバーをじっと見つめる。
 道場の掛け軸を背に竹刀を構えるセイバー、いつもの見慣れた光景だ。
 しかしその見慣れなた光景に混ざり、見慣れないものが見えた。
 ――それはブルマから生える真っ白で瑞々しいセイバーの太ももだった。
 見ればセイバーはその小さな体を体操着とブルマで包み、まるで体育時の日本の女学生のような姿で
竹刀を構えていた。
 その美しい金髪と大きな蒼い瞳、艶やかで白い肌が純白の白い体操着と紺色のブルマと混ざり合い、
いくらかの違和感と今まで感じたこともない興奮を感じ取り、俺は体を硬直させる。
 やばっ! なんですかそれは! 
 信じられないくらいに似合ってるぞ!
 その女の子らしいほっそりとした体のラインが、その格好ならよく分かってしまう。
 セイバーの金髪と白い体操着の色合いがありえないくらいマッチしている。
 さらには濃い紺色のブルマーから生える太ももは余計に白さが強調されていて……
 正直……エロッ!

「どうしたのですかシロウ? 隙だらけですよ!」

 叫び、打ち込んでくるセイバー。
 しかし俺の視線は自分に襲い掛かる竹刀ではなく、セイバーの白い太ももから一瞬たりとも離すこと
はできず……



「うわっ! やられた!」

 現実に戻ってきた俺は、実際は打たれてもいない頭を抱えてうずくまった。

「ブルマは反則だぁぁぁ!」
「それみなさい!」

 俺を指差し遠坂が自信満々に叫んだ。

「ほら、想像した瞬間は完全に思考が停止したでしょ! 平常心を失ったでしょ!」
「う、失ってしまった」

 反論できずに、何度もうなづく俺。
 遠坂の話を絶対認めるわけにはいかないのだが、これでは認めないわけにもいかない。
 確かにセイバーのブルマ姿はやばい! 金髪美少女のブルマ姿があれほどまでに凄まじい威力を持っ
ていたとは。
 チクショウ! 生きていくには知らないほうがいい事が世の中にはいっぱいだ!
 だが、もう知ってしまった以上はあと戻りできない。

「やばい……やばすぎるぞ遠坂! この想像は危険だ!」
「でしょうね。わたしもあれ以来、ずっと上の空だもの」

 ああ、じゃあ遠坂は昼間からずっとそんなことを考えていたのか。
 女の子のくせにずっとセイバーのブルマ姿を妄想して興奮していたのか。
 おまえは変態か!
 ――と冷静にツッコミたいけど、もう俺にはそのツッコミを入れる資格がない。
 だって、俺の心臓はさっきから爆発寸前の猛スピードで鼓動したままだし、頭からはセイバーのブル
マ姿が焼きついて離れないからだ。
 心臓のあたりを押さえながら俺は必死に心を落ち着けようとするが、まったく効果がない。
 これはやばい。太ももがっ! 白い太ももがっ!
 このままではトキメキとドキドキで心臓が破裂してしまう。
 俺がそんなアホな心配を本気でしだした頃、遠坂がスッと立ち上がった。
 遠坂は何かを決意したらしく、真顔でコブシをギュッと握り締めている。
 
「もう我慢できないわ。今から家に帰って取ってくる」
「はあ? こんな夜中に何を」
「わたしの中学生の時の体操着とブルマーよ! それならセイバーにサイズが合うはず」
「ええ! まさか」
「それを無理やりセイバーに着せる!」

 とんでもない事を言い出す遠坂。
 それはまずいと思う。
 もちろん夜中に女の子が出歩く事がとかそういう話ではない。
 現実にセイバーをブルマ姿にすることがだ。
 正直かなり嬉しいのだが、想像だけでもこれほどの破壊力を持っているのだ。
 実際目の前に存在した日には、俺も遠坂も絶対に平常心を保てない。
 ヘタすれば心臓麻痺であの世行きだ。
 そうでなくてもその場で性犯罪に走るかも。
 仮にも正義の味方を目指す俺がそんなことをするわけにはいかない。
 こんな話は俺達の妄想で終わらせてしまうべきなのだ……もったいないけど。

「落ち着くんだ遠坂!」
「止めないで士郎……わたしもう我慢できないの」 

 出口に向かって走り出す遠坂の前に俺は立ち塞がる。
 遠坂はどこまでも真剣だ。
 頬を赤らめ、瞳に涙を滲ませる表情は、思いつめた恋する少女の顔そのものだ。
 その切なげな色っぽい表情は、どんな男でも道を開けてしまいそうだ。
 だが、遠坂凛を真剣に愛するからこそ俺はここで彼女を止めないといけない。
 ここで無理やり引き止めるのは遠坂を絶望させてしまうかもしれない……
 それでもここで止めなければ、俺達は社会復帰できなくなる気がする。
 
「どきなさい! わたしは明日セイバーにブルマを履かせて、エッチなポーズをとらせるんだから!」


 ……こいつはもう社会復帰できないかも。
 ちょっと自信がなくなってきたが、それでも俺は遠坂を見捨てるわけにはいかない。

「待て! はやまるな!」
「もう無理なの。思ってるだけなんて我慢できないのよ……」
「無理やりそんな格好させたらセイバーに嫌われちまうぞ。それでもいいのか?」
「!!」

 遠坂は目を見開き、口元を押さえながら俺を凝視した後、膝から崩れ落ちペタンと座り込んでしまっ
た。
 そして彼女の目元からは大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。
 その整った顔に流れる、真珠のような美しい涙を見ながら俺は思う。
 泣き顔の遠坂も可愛いけど、涙の理由がなぁ……
 心の中でのツッコミは置いといて、俺はポケットから取り出したハンカチで拭ってやる。

「分かってくれたか」
「うん……ごめんね」
「いいんだ……いいんだよ、遠坂」

 俺がやさしく彼女の肩に手をかけると、遠坂は俺のその手をやさしく握ってきた。
 遠坂の女の子らしい柔らかい手の感触に、俺は自分の頬が紅潮するのを感じた。
 俺は涙目の遠坂にジッと見つめられてどんどん心臓の鼓動をはやめていく。
 ひょっとして今ので好感度あげてしまったかな……

「士郎の言うとおりだったわ……わたしったら何を急いでたのかしら」

 俺の手を握ったまま遠坂は立ち上がる。
 そして真顔で言い切った。

「無理やりはよくないわね。最終的には着せるとしても、まずはセイバーの意思を尊重しないと」

 社会復帰はできそうにねー。
 思わず意識が遠のきそうになる俺をよそに、遠坂は満面の笑みを浮かべている。

「よく考えたら、セイバーはブルマにいい印象持ってるんだから、無理に着せる必要はないのよね。普
通にプレゼントしたら着てくれそうだし。エッチなポーズは適当な理由をつけてなんとかしていけばい
いし」 
「そ、それはどうなんだろう」
「まあ、どうしても嫌がったら令呪を使って言うこと聞かせたらいいでしょ」

 うわぁ……この人もう駄目だ。
 今の遠坂なら本当に令呪を使いそうだし。
 どうしたらこの馬鹿の目は覚めるのだろうか……
 俺がだんだん思考することを拒否しはじめた頭で、そんなことを考えた時だった。

「凛……いくらなんでも令呪まで使うと言われては、私も傍観できませんよ」

 突然の聞きなれた声に俺と遠坂は同時に振り向き、やはり同時に声の主の名を叫んだ。

「セイバー!!」




「こんばんわ。シロウ」

 いったい何時からそこに座っていたのだろうか。
 居間の入り口あたりで正座していたセイバーは、遠坂には目もあわさず俺にだけ笑顔の挨拶をくれた

 髪をおろし、アニメ調のライオンの絵柄が入ったピンク色のパジャマに身を包んだセイバーは、どこ
から見ても可愛らしい女の子だ。
 少しぶかぶかのパジャマ姿で微笑むセイバーはパッと見には怒っている様子はない。
 だがしかし、その笑顔に秘められた確かな殺気を感じ取り、俺と遠坂はわずかに後ずさりした。

「セ、セイバー起きてたんだ……」
「――はい。夜中にあれだけ二人で大騒ぎしていたら、私でなくても起きてしまいます」

 震える声で問う遠坂にあくまで視線は合わさず、セイバーは笑顔で答えた。
 まあ、そうだよな。二人とも大暴走してたし。

「……どこから聞いてたの?」
「そうですね。凛が私にブルマ姿でエッチなポーズをとらせると叫んでいたところからでしょうか」
「さ、最悪……」

 サーッという効果音でも聞こえてきそうな速度で顔を青くする遠坂。
 その逆に俺は心の中で安堵の溜息をもらした。
 良かった。俺があっちの世界に行っていたときはまだいなかったんだ……
 それに、これで遠坂はセイバーにブルマ姿を強制することはできなくなったはずだ。
 ……ちょっともったいないけどな。

「それはそうと凛……私は今、猛烈に剣の稽古がしたいのですが。たまにはマスターである凛に付き合
ってほしい」
「ちょ、ちょっとセイバー……やっぱり怒ってる?」

 笑顔は崩さないままで立ち上がったセイバーはゆっくりと、しかし力強く遠坂の手を掴む。
 その瞬間にパジャマ姿から銀の鎧姿に変身する。
 うわっ! セイバーのやつ、戦闘態勢だ!

「怒ってなどいませんよ……ただ今夜の稽古は真剣を使いますので、凛も死にたくなければ真面目にや
ってくださいね」
「やっぱり怒ってるじゃない! セイバーの持ってる真剣なんてエクスカリバーだけでしょ!」
「いいえ、怒ってません。ただ今夜の稽古は命がけになると忠告しているだけです」

 遠坂は必死にセイバーの腕を振り払おうとするが、片手だけで腕を掴むセイバーはビクともしない。


「し、士郎! お願い、助けて」

 見るからにいっぱいいっぱいの遠坂。
 これから自分を待つ恐怖に、怯えとまどっているようだ。
 なんか今夜は随分とこいつの知らない一面を見た気がする。
 はっきり言って、かなり見たくなかった。
 まあ、それだけセイバーのブルマ姿は強力だったということか。
 ここは、セイバーに任せて遠坂のそんな一面は永久に封印してもらおう。
 つーか、あんな遠坂凛は二度と見たくないから、目を覚ましてやれセイバー。
 必死にこちらに向かって助けを求める遠坂を無視して俺はセイバーに声をかけた。
 
「セイバー……相手がマスターでも遠慮することはないぞ。きっちりお灸を据えてやれ」
「激励の言葉、感謝します。ただ私が本当にマスターと思い従うのは……やはりシロウだけですから」

「二人とも勝手なことを言ってるんじゃないわよ!」
「死ぬなよ遠坂。おまえが死ぬとセイバーが消えちまうからな」
「何気に冷たい台詞! 士郎に見捨てられたぁぁぁ」
 
 遠坂の断末魔の悲鳴を思わせる絶叫をやはり無視しながら俺は、セイバーに軽く手を振る。
 セイバーはわずかに会釈だけ返し、暴れる遠坂を引きずりながら居間から出て行った。
 その後ろ姿が見えなくなった後、俺はこっそりとつぶやく。

「……ま、後でうまい夜食でも持って行ってやれば、セイバーも機嫌なおすだろ」
 
 そうでもしないとクリスマスは遠坂だけ、病院のベットの上で過ごすことになりかねない。
 あ、でもセイバーと二人っきりでご馳走を食べるクリスマスも悪くないな。
 もしそうなったら、思いっきり豪勢なクリスマスディナーに挑戦してみよう。
 まずは七面鳥の丸焼きからだな。
 きっとセイバーは喜んでくれるだろう。

 その後、俺は道場から断続的に聞こえる遠坂の悲鳴を聞きながら、ゆっくりと温めなおした紅茶を楽
しむ。
 そして、一人つぶやくのだった。

「でもやっぱり……ちょっともったいなかったなぁ」